その3. 能動的な聞き方



「能動的な聞き方」はカウンセリング用語では「積極的傾聴」。親業のオリジナルというわけではありません。でも、「親業」の講座では親子の自然な対話としての聞き方をかなり時間をかけて練習するので、他のカウンセリング研修とかに行くと、ちょっとわざとらしいというか、治療者っぽくてやだなあと思う事があるけど、「親業」を受けた人はけっこう自然にこれができる気がします。


「能動的な聞き方」というのは、相手が何か悩み事を言ってきたり、イライラをぶつけてきたり、ぐちってきたりした時に、相手が自分の気持ちを吐き出して、自分の問題を整理して、自分なりの解決を見つけていくのを、サポートする聞き方です。

「能動的な聞き方」を伝えるのに、私が50人くらいまでの講演会では必ずやるロールプレイを紹介します。

まず、あなたの子どもは運動が苦手だとします。もうすぐ運動会という時にこんな事を言いました。

  「どうせビリなんだから、運動会なんて出たくない。」

その時、あなたならその子になんて言いますか? 話し言葉で台詞を書いてみてください。

書けましたか?
じゃあ、今度は状況を変えます。
もうすぐ皆さんの住んでいる地区の運動会です。 あなたは今年、体育委員になっていて、どうしても徒競争に出なくてはなりません。あなたはとっても運動が苦手です。出ればおそらくぶざまにビリです。
残念ながら運動が得意な人は、何か自分が苦手な事、ピアノを弾くとか、絵を描くとか、を人前でする気持ちをイメージしてください。
運動会を数日後に控えて、あなたはお友だちにぐちります。

「どうせビリなんだから、運動会なんて出たくないよ。」

声に出してその台詞を言ってみてください。 そうしたら、隣の人にあなたがさっき書いた、子どもに言った台詞を読んでもらってください。言われてどんな気持ちがするか。いやだなあ、出たくないなあ、という気持ちはどうなったか味わってみてくださいね。


これはとっても盛り上がり、いつぞやはマイクなしの講演で二人が言い合って盛り上がっているのをとめられなくて、「ガランガラン」と鐘を鳴らしたこともありましたっけ。

さて、皆さんはどうでしたか?
親は、何とか子どもの気持ちを前向きにしてやろうと思って、いろいろなことばかけをするけれど、自分が言われてみるとちっとも前向きになれないことばもあったんではないですか?

親業ではこういう時に「コミュニケーションをはばむ聞き方」として、
「命令」「脅迫」「説教」「講義」「分析」「提案」「非難」「侮辱」「同意」「激励」「尋問」「ごまかし」
の12をあげています。

具体的にどんなことばか、私が言ってみるので、順番に「ビリだから出たくない」と言ってください。
ということで、参加者に順番に言ってもらって、私が片っ端からコミュニケーションをはばむ聞き方をします。

 (命令):どうせ出なくちゃならないんだからぐずぐず言わないで出なさい。

 (脅迫):そんな投げやりな気持ちじゃあ、抜けるものも抜けないよね。

 (説教・講義・分析)…要するに理詰め系:
      ビリだろうと何だろうと最後までがんばる事が大事でしょ。

 (提案):今から少し走って、練習すればいいじゃない。

 (非難・侮辱):まったく情けない。すぐ逃げるんだから…。

 (同意):ほんとだよねえ。ビリだってわかってるんだったら、出てもしょうがないよね。

 (激励):大丈夫。参加することに意義があるんだから。

 (尋問):誰と誰が一緒に走るの? 何コース? 練習ではみんなあんたよりどのくらい早かったの?

 (ごまかし):まあ、あんまり考えないでもう寝れば? 明日になればまた気分も変わるよ。


とこんな感じです。 

もうみんなげらげら笑って、「言ってる、言ってる。ぜーんぶ言ってるよ。」なんて盛り上がりますね。
でも、これがダメなら何言えばいいの? という感じですが、
「能動的な聞き方」というのはとっても簡単に言うと、

   「あなたはこういう気持ちなんだね。」
   「あなたの言いたいことはこういうことだね。」
と、話を聞いた人がもう一度口に出すという事です。

例えば、
   「びりになるところ、見られるのいやなんだね。」とか
   「早く走れないから、やる気でないんだあ。」
と返す事です。
自分が何か、もやもやを抱えている時は、どんなに正しい事でも、励ましのことばでも、なかなか聞けないものなんですね。 まず聞いてもらいたい。 自分の気持ちを吐き出したい。 それをサポートするのが「能動的な聞き方」です。


これも私がよく例に出すのですが、1999年に東京の文京区の幼稚園児、若山春奈ちゃんが同じ幼稚園に通う子のお母さん、山田みつ子さんに殺されるという事件がありましたよね。
新聞報道の中で、犯行に至るまでの不安を、みつ子さんが僧侶である夫に話した時のやりとりが、いくつかとても印象に残りました。
その中のひとつ。 
  「私が殺人者になったらどうする?」とみつ子さんが言ったのに対して、
夫が「一家離散になるよ。」と答えています。

この夫の答えは、まさしく答えです。正しいです。実際みつ子さんが殺人者になって、山田家は一家離散になってしまったようです。
また同時に脅迫でもあったかもしれません。 そんな事をしたら大変な事になるよ。バカな事を考えるんじゃないよ…と。

これを能動的に聞くということは、

  「そんなに苦しいのか。」
  「殺すかもしれないって思うのか。 こわいのか。」

そう言ってくれたらどうだったでしょうか。 何も変わらなかったかもしれません。 でも、もしかしたらワーッと泣き出して、どんなに自分がつらいか、充分に吐き出すことができたかもしれません。

「能動的な聞き方」はただ繰り返しているだけみたいに感じる時もありますが、本当に苦しい時、それをうまくことばにできないでいる時に、こうやって聞いてもらって、劇的に状況が変わる事は、私もたくさん経験しましたし、受講生からもよく耳にします。


私の息子が1年生の時、夜になって日もとっぷり暮れてから、予定帳を見て「あっ」と息をのみました。(やばい!何か忘れていたんだな。)瞬間的に私はイヤーな気持ちになりました。 息子は小さい時から、自分の計画とかイメージというのにとても生真面目で、そして感情の表現が派手だったので、何かが思いがけず予定通りに行かなかったりすると、もう乱れに乱れて泣き喚くのが常でした。 
その時も早くも泣き始め、「どーしよう」「もう行けないー!」と怒り泣きで私のほうにあたってきそうでした。そうなると私は逆効果だとわかっていながら、「あんたのことでしょ。」「お母さんにそんな言い方するなら、手伝わない!」などと捨て台詞を言ってしまう。 
 その時もだんだん自分の気持ちが波立ってくるのがわかったので、半ば無理やり、子どもの口を封じるようにして、能動的に聞きました。
  「びっくりしたんだねえ。 後で取りに行こうと思ってたのに、暗くなってから気がついてあせっちゃったんだね。」
 息子は、泣きながら「うん、そーだよー。」
でも、「どーするのー?」 「もう行けないじゃーーーーん!」とまた私のほうへ八つ当たりしようとします。
ただ、私はしょっぱなに能動的に聞いた事で「この子が困っているんだ」ということが自分の中で明確になり、いつものようにヒートアップしませんでした。
 「お母さんにしてほしいことがあれば手伝うよ。何したらいい?」
 「と、と、(ヒック)取りに行くからあ、(ヒック、ヒック)いっ、いいーーー、一緒にき(ヒック)てへ(ヒック)」
 「うん、いいよ」

というわけで、相変わらずワンワン泣いている息子と、懐中電灯を持った私は、家の近くの林に行きました。
 息子は泣きながらじーっと木の上を見上げるのですが、なかなか木の実らしきものは見えません。 
  「なっ、なっかったらはあ、(ヒック)どおーーし、よおーー!」
  「あっ、あったよ。」
息子は夢中になって林の斜面を登ります。 木の枝をたわめて取ろうとするのですが、届きません。
  「おっか、おっかあ、(ううーん、ううーん)届く?」
今度は私が斜面を登ります。 サンダル履きで来てしまったので、ずりずりすべっていたら、後ろで私のたっぷりのお尻を、息子が小さな手と頭で必死に押さえています。 私は何だか、おかしくて、そして泣けてしまいました。
やっと、その小さな赤い実が5~6個取れ、息子がもうこれでいい、と言うので、
  「よかったね。」と言ったら、
  「おっ、おっか、おっかあ、あ(ヒック)ありが(ヒック)と」
私はもうジーーーんと来ていました。
それまでどちらかというと、自分の事は自分でやりなさい。忘れて困るのもいい経験、みたいに思っていて、こんな風に本当に寄り添ってあげた事なかったなあ。 こうやってあげたら、この子がこんな風にありがとうを言うことできるんだなあ、って新しい信頼になりました。




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