お気楽者でいこう!

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神と人との関係・その3


 委ねるということは、全てなすがままで自分の意志をまったく主張しないという意味ではありません。人によって解釈は違うでしょうが、僕は自分の感覚に照らし合わせて、 体験をえり好みしないこと という風に解釈してます。

 つまり、目の前の現実社会で起こるさまざまな出来事も、自分の内側で巻き起こる色んな思いも、すべて受け入れるということです。一般的に現実を受け入れるというと、外側の世界の現実を受け入れることにフォーカスしがちですが、自分の内側にもOKを出すところがミソです。そもそも自分の内と外との区別がどんどん曖昧になっていくのが悟りのプロセスです。

 例えば、誰かに何かイヤなことを言われてムカッと来たら怒ればいいんです。今はちょっと我慢しとこうと思ったら、我慢すればいいんです。なんて自分はつまんない人間なんだと思えば、落ち込めばいいんです。今その瞬間の体験を、意義付けしたり理屈をこねまわしたりせずに、ただ味わうだけです。
 それを逆に、自分の好みの体験だけをチョイスするために、何かしら状況をコントロールしようとすると、とたんに苦しみが生まれます。決してコントロールしきれないからです。怒ってはいけませんと言われたって、できないものはできないでしょう?(笑) 怒りも素敵な体験なんですよ。


 一瞬一瞬の体験を受け入れること=委ねた生き方をしていると、苦しみが生じないばかりでなく神の恩寵が流れ込みやすくなります。それは以下のような理由によります。

 インドで習ったことでなるほどと思ったのが、 人の表面的な意識と神との間には無意識が存在している という話です。ここでいう無意識とは、見るのもイヤな自分自身が、表面意識に上ってこないように放り込まれてる穴倉です。
 子供の頃のトラウマもそうだし、自分でも気づいてない思い込みや固定観念、恐怖、怒り、悲しみ、寂しさ、そんなものを抱えた自分自身が、腐敗した状態でドロドロに詰まってます。言ってしまえば汚物ですね(笑)
 このことを示したのが、以下の図です。

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 この無意識の領域の厚さは、人によって厚い人もいれば薄い人もいるでしょう。また均一の厚さでもないと思います。その人ごとに、厚い部分、薄い部分があると思います。
 でも、いずれにせよこの無意識の部分は汚物なので、直視しなくてすむように壁に塗り固めてあって、さらに表面的にはおしゃれな壁紙かなんか貼ってあるので、普段はその存在に気づくことさえありません。ここでいう壁紙とは、自分の真の姿から目をそらすもの全てのことをさします(例えば、刺激の多い生活)
 この図のように、現代人の表面的な意識は神と断絶しているんです。だからこそ、何をやってても、何を達成しても、なんとなく寂しさ、空しさ、不安、物足りなさを感じてしまうのです。そのため無理に幸せを求めようとして、より刺激的あるいは享楽的な生活に走ってしまってるという感じもします。

 こうした状況をなんとか救おうとして、神は恩寵を与えます。
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 ところが、間に無意識の壁があるもんだから、簡単には恩寵が流れません。しかも、人の側から見れば、壁紙が破れて汚物がせり出してくるわけです。これはたまりませんね(^^: 見たくないと思って隠し通してきた自分と直面せざるをえなくなるわけですから。
 そうして、せり出してくる壁を必死で手で押さえて、「やめて~」といって苦しんでるのが現代人の一般的な姿ではないでしょうか?

 バガヴァン「 苦しみから逃れようとすること、それが苦しみです

 僕らが委ねた生き方ができずに体験をえり好みしようとしてるのは、要は ある状況において自分の理想どおりに行動できない・できなかった自分を見るのがイヤだから だと思います。それがイヤだから、なんとかそれを見なくて済むように手を変え品を変え、もがくんです。それが苦しみの正体です。特に僕なんざ、あれこれ考えるのが好きだし情報量は多いし、本当にたくさんもがいてきました~(^^:
 よく映画の主人公が困難な状況で「この世には神も仏もないのか!」と叫ぶシーンがありますが、実はそういう状況こそが神の恩寵の現れじゃないかと、↑この図がひらめいたときに僕は思いました。

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 見たくない自分も、見てしまえば終わりです。神の恩寵が流れてきれいに掃除してくれるんです。この辺は中西さんのセミナーなどでサムスカラシュッディ(質の浄化)をちゃんとやった人はわかるでしょうけど、怒りも恐怖もちゃんと味わえば、その後にものすごい解放感と喜びがやってくるんです。サムスカラシュッディの場合は、人の側からも無意識の壁に穴を開けていくことになるので、開通作業がはかどりやすくなります(人力ではそんなに深くは掘れないんですけどね。。。)

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 一旦、穴が開いてしまえば、そこから神様と「今度はこのあたりをよろしく♪」なんてお話しできるので、効率的に穴開け作業が進み、ますます恩寵が流れ込んでくるようになります。

 結局悟りのプロセスというのは、この無意識の壁を壊していって、人と神との境目をなくしていくことだなあと思います。そのために神様が使う優秀なツールがディクシャです。人によって壁の厚さがまちまちなので、穴の数や大きさに差は出るかもしれませんが、でもいずれはみんな神とひとつになるんだろうなあというのが、この図からわかりますよね(^o^)b


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