海洋冒険小説の家

海洋冒険小説の家

    (4)


    (4)

 助左衛門は奥の座敷に入ると書状を一通したためた。宛名は後藤新左衛門、そして自分の名前、荒木助左衛門と書いた。そしてその後に義治(よしはる)とつづく。しかしこれは省いた。これが彼のフルネームである。その下に「鯨」の字で考案した花押(サインのこと)を書いた。
 「打毬の判者の事宜しく頼み参らせ候、本日の若狭屋での宴は戌(いぬ)の一点(午後七時)にて候、重ねてお知らせ申し上げ候、お待ち申し上げ候、恐々謹言、五月十日、荒木助左衛門、後藤新左衛門様」
 別紙にもう一度、宛名と自分の名前を書き込んだあと、これに書状を包み切封を入れ、隣の部屋に向かって声を掛けた。
 「次郎」
 襖を開けて、南海丸の少年水夫の次郎丸が入ってきた。
 「これを銭屋の新左衛門さんに届けてくれ」
 次郎丸は手紙を受け取るとすっとんで行った。助左衛門はその元気のよさに微笑した。このあと、奉行役(チームの監督)の肥後屋八兵衛にも、もう一通書状を書き、同じく少年水夫の三吉に届けさせた。今夜は料理屋の若狭屋は賑やかな宴会になるだろう。酒の弱い助左衛門はすこし気の滅入る思いが脳裡をかすめたが、久しぶりに仲間と会える喜びのほうがまさっていた。

 いま、銭屋の新左衛門は一枚の銅銭、唐国は北宋の頃鋳造された皇宋通寶を見ていた。銭屋は為替(かわし)や金銀の両替等の業務を主とする替銭屋(かえぜにや)である。左眼の端に店先の人影を見たが、かまわず銅銭をながめていた。皇の字の白が口(くち)になっていて、呈宋通寶(ていそうつうほう)になっている。字の形も朴訥で、字を知らない地方の鉱山の鋳物師(いもじ)あたりが僭鋳(せんちゅう)したものであろう。すこし黄色味がかっていて、北宋銭と色合いが似ていて、銅にいったいなにがまじっているのか、よく分からない。ひょっとして青銅の仏像を溶かして造ったものかもしれない。
 「いい仕事ぶりの一枚だ」
 とつぶやき、ニヤリとして、店先を改めて見渡して、縦二尺、横一尺、高さ一尺ほどの精銭箱にほうりこんだ。横には、これより一回り大きい鐚銭箱(びたせんばこ)が置いてある。堺はおろか日本全国で、銭屋の新左衛門が精銭(唐、宋、明等の頃の中国銭)と言えば精銭なのだ。
 精銭でも永楽通寶(明の永楽帝のころに造られた銅銭、その後交易用にたびたび鋳造された。重さは一匁)は一ランク上で、交換比率は永楽銭一に対し北宋銭などは二である。東国では永楽銭がもてはやされ、畿内では永楽以外の古銭も多く流通している。たとえば、南宋の皇宋元寶、紹定通寶など、おびただしい種類の銅銭である。
 しかし、圧倒的に多いのは鐚銭(びたせん)である。信頼の厚い永楽通寶や北宋銭を中心に鋳型が造られ、鐚銭が鋳造された。京、堺をはじめ畿内のあちこち、西国は長門、九州は大隈、筑前、肥前、また坂東から奥州にいたるほぼ日本全国で私鋳された鐚銭は、上、中、下の三種類に分けている。交換比率は上銭は精銭一枚に対し、二枚、中銭は四枚、下銭は十から十二枚である。三種類の分け方は銅の成分比による。とにかく臨機応変に何枚で一文に相当するのか判断するのだ。また、割れ銭や欠け銭、鉄製、鉛製の粗悪品などもあって、それはそれで下銭として流通している。いや、堺の商人の力で流通させているといった方が正確な表現だろう。新左衛門は金貨、銀貨の成分表はもちろんのこと、鐚銭の産地まで調べてその成分表まで作っていた。これは、古銭も同様である。例えば、永楽銭を溶かして調べた結果、大体、銅が八分六厘(86%)、錫(すず)が一分弱(10%弱)、鉛が四厘(4%)少しの成分であるし、皇宋通寶は銅が九分二厘(92%)、錫が五厘(5%)弱、鉛が三厘(3%)となっていた。即ちこの二種類とも青銅銭であり、色は黄金色の銭である。(ちなみに言えば、銅90%、錫10%の合金は砲金といわれ、金色の美しい色をしており、大砲や機械の軸受けなどに使われる)
 当時、日本では錫が産出しておらず、鐚銭は銅の成分の多い赤銅色か、白っぽい、鉛の含有量の多いものがほとんどだったので、すぐ見分けが付いた。
 彼は、私鋳でも丁寧に造られ、色あいも古銭に近ければ精銭として通用させていた。なにしろ私鋳銭があまりにも多いのだ。それに日本だけでなく、唐国の福建、朝鮮製、コーチ(ベトナム)製の銅銭まで入ってきているので、実際のところ、その見極めを厳しくすると、また貨幣の流通を難しくさせる。見て品質のよいものはそれなりの位置におくのが一番だ、というのが新左衛門の考えだった。そして、これは堺の商人たちの一致した結論でもあった。

 店先から中を覗き込み、新左衛門を見つけると、次郎丸は中に入って声を掛けた。
                       (続く)





© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: