海洋冒険小説の家

海洋冒険小説の家

第九章 安土宗論とは


      (1)

 助左衛門は六月三日まで、安土の旅宿にいたが、忍者の一人も捕まらず、菅屋九右衛門の憔悴ぶりは傍目で見ていても、可愛そうなくらいだった。しかし、このまま安土にいてもどうにもならず、京の三条の旅宿・大原屋に戻ることになった。九右衛門には大原屋に当分逗留すること、何かあれば、知らせてもらいたいと言っておいた。彼は、馬で帰る助左衛門を恨めしそうな目で見送った。
 しかし、助左衛門には関係ないことである。ほっとけば良い。それにしても、こんなに探索しているのに、少しの手がかりも与えないとは、よほど周到な準備をしてきたに違いない。

 夕刻、大原屋に着いた。早速、仁助や秀五郎たち二十人が、助左衛門と六兵衛を取り囲んだ。助左衛門は事が事だけに外にもれないように、皆を座敷に集め静かに話し始めた。
 安土城天主の能舞台に忍者が現れて、信長殿に鉄砲を一発お見舞いしたこと、城に抜け穴が掘られていたこと、琵琶湖に逃げた忍者の舟を、小見の公秀殿の作られた空飛ぶ船「かぐやひめ丸」に、天主の最上階から乗り込み、追いかけたこと、紙焙烙丸の美しかった光のこと、忍者の舟に偶然、焙烙丸が当り炎上したこと、そのあと忍者の者が誰ひとり追手に捕まっていないこと、信長殿が法華の僧たちの仕置きを考えていること、助左衛門がとりなしたことなどを、六兵衛とともにみんなに詳しく話した。
 一同、じっと聞き入ったまま、何も喋らなかった。とにかく、仁助の兄、日光の生死は、ここ数日の信長の決断ひとつにかかっていることが、よく分かったからだ。今は、ここで、じっと待つ以外にない。あちらこちらから、もたらされる書状によれば、京の外に逃れた法華の衆徒や、公家の屋敷に隠れた法華に関わりのある人たちも、それぞれの家に帰り始めているという。

 食事のあと、風呂に入りさっぱりしたところへ、風日庵名で北山の権大納言から書状が助左衛門宛に届けられた。それには、昨日(二日)、村井長門守より「於安土城法花ト浄土法問次第」と、「詫び証文」の写しが届けられたこと、これは京の公家の主だった者全員と、町の宿老、月行事衆などに配れたことなどが、書かれてあり、その、「次第」「詫び証文」全文が別紙にしたためてあった。皆は食い入るようにその「次第」を見つめた。
 なんだかよく分からない言葉の羅列が続いていて、経典に詳しいもの以外に理解できない代物だった。助左衛門は読めるかどうかは自信がなかったが、この際、皆に読んでやるほかない。
                (続く)





© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: