鬼瓦の部屋

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2009/06/11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 おはようございます。昨夜は、よく雨が降りました。現在は止んでいますが、日中は曇りから晴れ間も出てくるようです。気温は、26度前後とか・・・

 今朝は、 宮瀧を流れる吉野川 の紹介です。

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 史跡宮瀧遺跡の石柱が立っていたところにあった、万葉歌碑です。中荘小学校前にあり、柿本人磨(柿本人麻呂)の作った歌が記されています。

 この碑からはとても読めませんので、ONIGAWARAが代わって、以下に記してみます。

 ”やすみしし わご大君の 聞こし食す 天の下に 国はしも 多にあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば 百磯城の 大宮人は 船並めて 朝川渡り 舟競ひ 夕河渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激つ 滝の都は 見れど飽かぬかも”

 反歌

 ”見れど飽かぬ 吉野の河の 常滑の 絶ゆることなく また帰り見む”



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  右に見えるのが、宮滝の「柴橋(しばはし)」です。

 案内の方の説明によれば、「喜佐谷川」が「吉野川」へと流れ込む、直ぐ上流に架かっているのが、古書にも記された「柴橋」です。昔はもう少し上流の川幅が狭い所に架かり、旧東熊野街道上の橋で、当時は松の丸太を橋桁にして、その上に歩み板を張り柴垣で欄干を造っていたので、現在は鉄橋に架け替えられました。今でも、「柴橋」と呼ばれています。また、昔は吉野川の水量も今よりは多く、万葉人達が「滝つ河内」で船遊びを行い、最高の避暑地であったんでしょうね。

 毎年(としのは)に かくも見てしか み吉野の
  清き河内のたぎつ白波  
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 「喜佐谷川」が「吉野川」に流れ込む「夢のわだ」です。また、写真では川の面の色がはっきりしませんが、青く澱んでいます。淵は、昔河童がいたという「夢が淵」です。なお、万葉集で吉野川の流れは「たぎつ河内」、「夢のわだ」、「川淀(かわよど)」等と詠まれています。
 そして、柿本人磨(柿本人麻呂)が、女帝の持統天皇の吉野行幸に供をして来た時の歌は、

 ”山川も 依りて仕ふる神ながら たぎつ河内に 船出せすかも”

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 向こう岸に見えるのが、「中岩の松」でしょうか。上から3枚目の写真と一緒ですが、車が写っているのとそうでないのとが違うだけです。

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 同じ構図の似たような写真がたくさんありますが、せっかくですから載せることにしました。

 この辺りで詠んだ歌はたくさんありますが、この散策時の1週間後に再度訪れましたので、そのときの写真と一緒にでも紹介しようかと思います。もし、忘れていなければ・・・





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Last updated  2009/06/11 05:19:16 AM
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