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私はこの空白の4ヶ月、なんだかんだいって葛藤もしていました。でもやっぱり悪者になりきれない中途半端な自分もいて旦那には「そろそろ連絡してあげたら?」なんて事も言っていました。それでも旦那は、頑なに首を振るだけだったけど。旦那は電話する前に何度も私に言っていました。「今回の話し合いには正直言って、俺が連れて行きたくないんだ。 ストレスの元になるのは目に見えてるからね。 ちゃんと俺が“連れて行きたくない”って言うからね。 だから行くとしても一人で行くから。」と。“俺が連れて行きたくない”という部分を執拗に強調しながら。あの手紙が来て、向うに行かなければならなくなるであろう事は2人共覚悟していたので、それを前提に話していました。だからこそ、あまりに真実と違うその言葉を旦那の口から聞いた時には自分の耳を疑いました。裏切られた、としか思えなかった。姑「ちょっとtyerikoちゃんに変わってよ」突然の発言にびっくりしながら“けっこうです!私はつわりでもう寝ました”とメモに書いて旦那に意思表示しました。直接嫌味を言われるのを知っていながら話したくない。私はこの子の為にもストレスを最小限に食い止めなければ。旦那「・・いや、今日はやめとこう。もう具合悪くて休んでるし・・」姑「どうしてよ、おめでとうくらい言わせてくれたっていいじゃないの!」旦那のみえみえの嘘にイラついたように声を荒げます。あんたが言いたいのはそんな言葉じゃないくせに。そんなやりとりを数回繰り返し、ま、いいわと諦める姑。そして旦那は話をすりかえようとしたのかもしれません。認知の話し合いをいつするか、という方に話を進めていました。旦那「今回は俺一人で帰るから。妊婦をそっちまで連れて行くわけにも いかないし・・・。」姑 「あっ、そうなの。まぁそうね、そのほうがいいかもね」旦那「それにお母さんに「計算づく」って言われたことでtyerikoは お母さんにどう接していいか分からないんだよ。」 ん?ちょっと待て。なんかおかしくない??姑 「気まずいなんて、そんなのは私だって同じよっ。」旦那「だったらお互い会わないほうがいいでしょ。」姑 「そんな事言ったって、いつまでもこの状態でいいわけないでしょう。 最初はお互いに気まずい思いをするかもしれないけど、そうやって 歩み寄っていかなきゃ、これから先どうするのよ!」旦那「そうだけど・・でもそういうのは本人の気持ちの問題だしね・・。 時間がかかるかもしれないけど、しかたないよ」 (゜。゜) ポケラー姑 「そう、しょうがないわね。私はいつだって待ってるのに」旦那「まぁ・・そのうちね。」そうやってうまく?話をまとめて旦那と姑は電話を切りました。教えてください、旦那さん。いつ私はそんな事を言ったんでしょうか。私は姑の言葉に心を痛めて、もう会いたくないとあなたに言ったそうですね。しかもその傷が癒えるには時間のかかることなんですね。心優しいお姑さんが待っててくださるにも関わらず、拒否しているんですね。なんて頑固で意固地な嫁なんでしょうねぇー。・・てめぇ、いい加減にしやがれ。ことごとく裏切られた、と思いました。もう姑にどう思われてもいいや、と改めて思った。そして、こいつらは確実に親子だと確信した。旦那には「もう私からむこうに会いに行く事はないから」と言いました。もうほんとにバカバカしいったら。やってられないわ。「子供が産まれたら・・どうするの?」と聞く旦那。「はぁ?私は行かないよ。子供を連れて行きたいならそうしてもいいけど 私がいなくて子供の世話ができるの?君には母乳が出せるの? オムツは?ミルクは?全てきちんとできるなら別にいいけど」冷たくそう言い放つ私の目に本気を感じた旦那は何も言えず下をうつむくばかり。こうして私はもう旦那の実家に行かない事をはっきりと宣言したのです。
2003年08月22日
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この時点でかなりのストレスを感じていた私。「tyerikoを侮辱したことをきちんと謝らせる」と言い続けていた旦那。しかし実際は姑が開き直り、その勢いに押され何も言えずじまい。そこで話がこじれたら完全に絶縁だと騒いでいたのは誰だっけ?ずっと私は言ってたよね、そんなのどうでもいいよって。あんな女のたわごとをいつまでも根に持ってムカついているほど私はそんなにヒマじゃない。謝らせても何も変わらない。君は自己満足のためにそう言い続けて、あの結果。最初から言わなきゃよかったのに。ちょっとだけ頼もしいと思ってた自分が腹立たしかった。そして君は、興味がないとまで言っていた認知を速攻で受け入れ話し合いのために帰省する約束を交わしていたね。本当は認知してほしかったの?私には強がっていたの?ねぇ、何度も何度もその事について話し合ったあの時間は何だったの?君の本音がどこにあるのか、本当に分からなくなった。旦那「それでね、あと電話したのには報告したいことがあって・・。 実は今、tyerikoが妊娠してて、4ヶ月に入ったんだ」姑「えぇーーーーー!!」かなりおかしな声をあげ、素で驚いている。しかし次の瞬間、体勢を持ち直した姑の口から出たのはお祝いの言葉でも何でもなかった。姑「何でもっと早くに連絡してくれないのよー!そんなこと」旦那「だって2ヶ月、3ヶ月じゃあ何があるか分からないだろ? 母子共に落ち着くまで報告するのを控えてたんだよ」姑「そんなこと言ったってー。もっと早くに・・ブツブツ・・」ずっと文句を言い続ける姑。そして姑は、はっきりとこう言った。「tyerikoちゃん、あんなに細い体で丈夫な子が産めるのかな~?」意地の悪そうな言い方。その時の表情さえ想像できる。でも私は知っています。姑も旦那を産む頃はすごく細い体で、4度もの流産を経験している事。にも関わらず、このセリフです。年月が経つと心の痛みも忘れてしまうんでしょうか?どれだけつらかったか姑はよく知ってるはずなのに、同じ女性なのに、どうしてそんな心無いことが言えるんでしょうか。ごめんね、ごめんね。私は心の中で何度も何度も呟いた。お腹の子にものすごく申し訳ない気持ちでいっぱいだった。お母さんが人より少し細かっただけで、こんな風に言われてごめんね。でも、どんな風に産まれてきたってお母さんは受け止めるよ。あなたの全てを受け入れるよ。だから安心して産まれておいで。お母さん、待ってるよ。何度も何度もそう呟いた。相変わらず続く姑の文句を遠くで聞きながら。
2003年08月01日
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旦那は久しぶりに母親の声を聞いて、里心がついたのかもしれません。今まで何度なく私と話し合ってきたことさえも次々にその意見を覆し始めたのです。姑「お父さんに認知してもらえることになったから一度帰ってきて」旦那「うん、そうだね。」二つ返事ですか??文句の一つも言うんじゃないの?私に“今更認知なんてしてもらってもしかたない。どうでもいい”と散々言っていた旦那は認知してもらう気満々。驚きを露わにした私の表情をみて旦那は慌ててこう言いました。旦那「でも・・なんで今更認知なの・・?別にもういいんだけど・・」この途切れがちな言い方はどっちにも気を使っているせいだと思います。そうだよね、親と妻に言っていた事が違ったんだもんね。親にも妻にもいい顔していたいよね。いい息子、いい夫でいるために。姑「何言ってるのよ、認知認知って言ってたのはあなたじゃないの! あなたがずっとそう言い続けるからあなたのために お母さんはお父さんにしつこくお願いしてたのよ。 認知してほしいって言ってたじゃないの、今更じゃないわよ!」おいおい、ちょっと待て。認知認知って騒いでたのはアンタでしょーが!!そもそも旦那は認知って騒ぐ以前にこの家庭事情さえ知らなかったんだよ?この前の話し合いで初めて一度だけそう言ったんだよ?よく言うわー、この人。なんて私の思いはさておき、旦那はというと「・・うん、そうだけど・・」って完全に姑の手の内でコロコロ。その様子に私はイライラ、そんな私を見て旦那はハラハラ。旦那は必死で、私の前で言っていた事との折り合いをつけようとしていました。旦那「・・でも、認知をしてもらうにしても どうして今まで認知してくれなかったのか、 どうして今になって認知をする気になったのか、その気持ちを きちんと聞いて納得してからじゃないと認知してもらう気には ならないから」旦那の言葉に姑も頷いて、「よく話し合いなさい」と言いました。そう、姑には好都合。だって、そうすれば息子は必ず帰ってくる。旦那がむこうに帰れば、またいいように丸めこむんでしょう。今までそうやって育ててきたようにね。旦那は、私の前では姑や舅の悪口をよく言っていました。実際それが全て本音だとは正直思っていたわけではなかったけど、強がりで言ってる部分も少なからずあったんだろうけど、この後の旦那の発言に、私は脱力するのです。
2003年07月31日
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姑の“向う寄り”発言に対して、旦那は特に何かを言うわけでもなく話は進んでいきました。文句か何か言ってくれると思ってたのに。そして、話は本題へ突入します。旦那「手紙の中に“手続き”って言葉がでてたけど、あれは何の手続き?」姑 「あなたの手続きよ」どうやら自分の口からは“認知”というのは気が引けるのかはっきり言葉には出さないのです。この“日陰の女”具合が切ないですね。旦那「つまり認知の手続きってこと?」姑 「そうよ、それ以外に何があるの。」旦那「じゃあ、諸々の手続きっていうのは?」姑 「それは伯母さんとのことよ」______________________________ここで少し話しをそれて、説明をしたいと思います。旦那は伯母さん(姑の姉)と養子縁組を随分昔から組んでいます。何故今になってそれを解除するのか、それは私にも分かりません。ただ、解除する!と姑が言い出した原因を作ったのはおそらく私でしょう。結婚式を控えた当時でさえ、私は旦那の家族のことを何も知りませんでした。ただ知っていたのは親戚は伯母さん一人だということだけ。そしてその伯母さんとは養子縁組を組んでいる。もう一人の母のような家族と変わらない付き合いだよ。と聞いていました。それなら、感謝の意味を込めて花束贈呈の時に伯母さんにも花束を渡したらどうかと提案しました。両親に渡したあとに、ちょっとしたドッキリのように「ここで、小さい頃から見守ってくれた伯母さんにも感謝の花束を・・」なんて調子で。伯母さんには配偶者もなく、子供もいないので旦那を我が子のように思っていることも知っていました。旦那もそれはいいねー!と大賛成。しかし、姑にそれを相談した途端、烈火のごとく怒り狂ったのです。「じゃあ私はなんなのよ!私の立場は?!」と。私たちは思いもつかない事態に、慌ててその計画を白紙にしました。その時は純粋に申し訳ないことをしたなぁと反省しました。でも、感謝の気持ちを表す花束なのにどうしてそこまで・・という気持ちも私たちの中にはありました。そして私は、そのあまりの母としての執着ぶりに寒気を感じました。それから間もなくの事です、姑が養子縁組を解除すると言い出したのは。養子縁組を組んだ理由を“伯母さんの財産を譲るため”と聞いていたので解除の意味が分かりませんでした。今思うと、息子を取られるような気持ちになったんでしょうか。このままにしておいたら母の座が奪われてしまう!と。そりゃあ姑にしたら必死ですよね、息子までいなくなったら自分には何もないんですから。旦那は養子縁組を組んだ時も解除の話が出た時も流されるまま、あまり自分の意見がないような感じでした。だから今回の時も電話で「あー、やっぱり解除するんだ~」ってくらい。結婚式から2年。姑の中で養子縁組解除の話は水面下で進んでいたのです。何故解除を急ぐのか。私はこう思います。息子に全てが知れてしまった今は、息子の目をごまかす必要もない。隠れ蓑にしていた伯母さんの立場はもういらない。こうなったら自分だけで独占したい。それがおそらく本音でしょう。そんな姑をみているとこれから母親になるのが恐ろしく感じます。
2003年07月25日
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その手紙がひとつのきっかけになったので、妊娠の報告もあるし旦那は姑に電話することになりました。その時、電話をする前に旦那は何度もこう言いました。「tyerikoを侮辱したこと謝るまでは次の話に進めないから」と。もし、謝らずに開き直ったら確実に絶縁だ、とも。旦那は胃が痛いと言いながら受話器を取りました。姑たちと電話する時は必ずスピーカーで話します。私も内容が聞きたいし、又聞きすると話もややこしくなったりしたので。もちろん会話するのは旦那だけです。姑もそれを知っています。姑が電話にでて、相手が旦那だと分かった途端、姑は泣きだし、涙声で「元気だったのぉ・・?」と泣き続けます。私は笑いを堪えるので必死でした。“泣くくらいならあんな事言うなよ!”って思ったら可笑しくて。でも、やっぱり旦那はあの女の息子なんですね。親の涙に思いっきり面食らい、さっきまでの威勢はどこへやら。「うん・・元気だったよ。」なんて優しい声だしちゃってます。男はいつの時代も女の涙には弱いってことでしょうか。旦那「手紙読んだよ、でもその前に話したいことがあるんだ。 今までどうして俺がずっと連絡しなかったか分かる?」姑「うん、私のことを想ってくれてたからでしょう・・?」・・・意味が分かりません。どうやら姑は、何をどう勘違いしたのか旦那は姑のためを想って連絡しなかったと思っていたのです。すごいですね。あんな喧嘩をして、自分であそこまで言ったくせにどうやったらそんな思考回路になるんでしょうか。“何言ってるんだろう?”って感じで茫然としながらも頑張る旦那。旦那「違うよ。最後にお母さん、何て言ったか覚えてる?」姑 「え~、何か言ったかしらね?覚えてないわ」自分のため、と思ってた姑が覚えてるわけがありませんよね。この頃にはさっきのは嘘泣きか?と思うほどすばやいスピードで姑は泣きやんでいました。(その間、約30秒ほど)旦那 「tyerikoが色々してくれたこと、全部計算づくだって言ったんだよ。 自分に気に入られるためにしてることだって。 俺はそれが許せなくて連絡をとらなかったんだよ?」姑は自分ではなく、私の事に話が及んだのが気に入らない様子でした。息子は自分のために・・って思ってた事が憎き嫁のため、だったなんて。姑 「あら・・でもそれはしかたないでしょう。 お母さんは一番最初から心にわだかまりを抱えたまま、 ずっとここまできちゃったんだから。だいたい、いつも向う寄りじゃない。 だから私達はいつも遠くから眺めてるだけだったのよ。」姑は私の実家が近いのが昔から面白くないのです。だからあの人の頭の中では、毎日のように私達は実家に入り浸り、かわいい息子があの家に取り込まれてしまうようで非常にいやなのでしょう。ろくに家庭も築けなかった女のひがみ根性が滲み出ています。実際は、何をするにもいつも必ず旦那の実家を一番に行動していました。お誕生日や行事ごと、季節に合わせたお花見や紅葉狩り。お墓参りの時期は私の地域の方が早いのですが、それでもむこうのお墓参りが済むまではいつも後回しにしていました。旦那の親に距離を感じさせないように、寂しくないように。そして私以上に私の親は気を遣ってくれていました。うちは後回しでいいんだからって口癖のように。私は旦那を信じていました。でも、まさかそれが目の前で崩れていくとはこの時はまだ、思ってもいませんでした。
2003年07月24日
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次にこの日記を更新する時は、姑に妊娠の報告をした時だと思っていました。もしくは4ヶ月目の健診の時かなって。でも今日はそのどちらでもありません。そうです、姑からの動きがあったのです。それは今朝の出来事。いつも新聞を取りに行く旦那は、思わぬ物を見つけたのです。・・・・て、手紙だ・・・・。私のサイトをずっとご覧になっている方ならもうお分かりですね。姑のお得意な手紙作戦です。さぁ、今日はどんな事が書いてあるんでしょうか。________________________________________________________前略長いことご無沙汰していますが○○も(旦那)tyarikoちゃんも元気でお過ごしでしょうか。早速ですがお父さんとの件についてですが、○○の誕生日の8月19日に手続きをしたいと思っています。その他にも諸々の手続きをすることもありますが、真実の元に父として、母として君を見守って行きたいと思います。お父さんも8月の前に一度帰って来るように言っています。○○の胸の中にも色々な思いがあることでしょう。ですが、この手続きをまず済ませてから改めて向かい合いたいそう思っています。帰って来るのを待っています。まずは取り急ぎ 父、母______________________________私、思わず笑ってしまいました。やっぱり息子からの連絡が途絶えて、本当に寂しかったんでしょう。家を離れて10年以上。こんなに連絡が途絶えたのは初めての事。でもそれを必死に堪えていたんですね。さぞや辛かったことでしょう!だからこんな形で手紙を書いてきたんですね。あー、可笑しすぎてお腹がよじれる!!だけどね、お義母さん。残念ながら、あなたのやり方は間違っているんです。文中の“手続き”というのはきっと認知のことだと思います。それが旦那を振り向かせる最後の手段だと思っているんですか?そう書いたら旦那は喜んで連絡をしてくるとでも思ったんでしょうか。それは大きな勘違いですよ。旦那が一番認知してほしかった時に散々無視しておいて何故に今更?! この歳になってからの認知にどんな意味があるの?老後の面倒でも看て欲しいんでしょうか。まっぴらです。手紙を読んだ旦那に「今の率直な感想は?」と聞いたら「自分の家庭を大事にしろって感じ。」と突き放すように言いました。自分の家庭、とはもちろん旦那や姑のことではありません。法で定められている正式な家族の方です。私が妊娠してからというもの旦那はさらに優しくしてくれます。自分の家族を守らなければ!という気持ちが日に日に強くなる。と、私によく話してくれます。だから、自分の父の行動が理解できないと。男として、夫として、許せないと。そして旦那が「じゃあ、奥様の率直な感想は?」と聞いてきたので「うーん、妊婦さんはストレスって一番身体によくないでしょ? それにお義父さんヘビースモーカーだし・・・」と、言葉を濁しました。うんうん、と頷きながら「おれも奥様にストレスを溜めさせたくないんだ。一人で行くにしても そんな用事で休みを潰して夫婦別々に過ごすのも嫌だなぁ」と旦那は真剣に悩んでいました。昔から、何故か旦那は自分の実家に一人で帰りたがらない人でした。自分の家なのに、気を使い落ち着かない様子の旦那。私の実家ではみんなのいる居間で昼寝しちゃうくらいくつろぐのにね。それが旦那対“旦那の親”と“私の親”との距離感です。それが何を物語るんでしょうね。
2003年07月18日
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ずいぶん長いこと放置してしまいました。留守にしていた間、遊びにきてくださったみなさま申し訳ありません。久しぶりに再開したいと思います。姑と連絡が途絶えて早4ヶ月。息子に会えない寂しさを我慢して、なかなか頑張っていますね。私もこのまま快適な生活が送れると思っていましたし、そう願っていました。しかし、そうは問屋が卸してくれないようです・・・。ある日、私の母と旦那の3人で買い物に行っていた時のこと。鮮魚コーナーで魚を見ていたら、こみあげてくるものがあったんです。「おええぇぇ」吐くことはなかったものの、涙目でえづく私。ぎょっとする母と旦那。「あ、あんた、まさか・・・?」期待と心配が入り混じったような顔で覗き込む母。「それはないよ!ありえない。」なんて笑って言ってる私達。まだまだ子供なんて欲しくなかったし、今はただ夫婦2人でのんびりと暮らしたかったからSEXはしていたけど子作りはしていませんでした。もともと生理不順でもあったのでできにくい体だと、自分で勝手に思い込んでいました。一人で先走る母をなだめるために、その夜すぐに検査薬を使いました。結果は、まさかの陽性反応。・・・そうです、私、妊娠したんです。(想像していた方もいらっしゃるようでしたが)でも妊娠って本当に不思議です。あんなにいらないと思っていた子供なのに、今ではいとおしくて仕方ないんです。毎日のようにお腹をさすりながら話し掛けています。一つの身体にもう一つの命がある。とても神秘的な事だと思います。お腹の子は、もうすぐ4ヶ月に入ろうとしています。まだつわりも続いていてしんどいですが、今のところ順調だそうです。本当はもっと早くご報告させていただきたかったのですがつわりがひどくとてもPCに向かう元気がなかったのです。この日記も3日に分けて書いています。そして。姑にこれを報告しないわけにはいきませんよね。旦那に「いつ報告しようか?」と相談したところ、吐き捨てるように「事後報告でいいんじゃない?“産まれたから”って一言で!」思わず笑ってしまいましたが、そういうわけにもいかないですよね。報告はやっぱり安定期の5ヶ月になったらしようと思います。そうしたら、きっとこの日記は完全復活することでしょう!(笑)これからしばらくは妊婦日記になってしまうかな?
2003年07月06日
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「母の日ってもうすぐだったよね。」旦那がふいに話し掛けたのは4月のあるの日のこと。優しい旦那。きっとそういうことを言うと思っていました。そして私はそんな旦那の優しさが嫌いではないから。私は父に言われたから、というより私の母の言葉が気になっていました。ある時母は「向こうのお義母さんはあんたのことが憎くて憎くて仕方ないんだろうねぇ」と寂しそうに言っていました。「ずーっと大事に育ててきたのに大きくなった途端に家から出てしまって 何年か一緒にいただけなのに、その女の色に染まってしまった。 私の息子なのに、その女の味方ばっかり。 あの女さえいなければこんな喧嘩だってしなかったのに!」とか、思ってるんじゃないの。と母が言いました。確かに言ってそうですね。悪いことは全て私のせいにする人ですから。でもどんな人でも旦那の母であることに違いはありません。私には、一人で住むには広い部屋でぽつんとさみしそうにしている姑の姿を思ってはどうするべきか迷うようになっていました。そして私は「母の日ギフト」のパンフなどをさりげなく置いておきました。私からは言いたくなかったけれど、旦那が言い出すならそうしようと。今回の一連の流れは、旦那と姑の親子関係のこじれであって、私と姑の、いわゆる「嫁姑問題」ではないから。「メッセージも何も書かないで花だけ贈ろうかな・・?」そのパンフを見ながら私の顔色を伺うようにそう言った旦那。「そうしてあげたいって気持ちがあるならそうしたらいいんじゃない? 私は旦那さんがしたいようにするのが一番だと思うよ」と答えました。それは本心からでた答えだったけど、あんな喧嘩をした後だから姑が素直に喜ぶのか私には疑問でした。「ねぇ、お花贈るのはいいと思うけど、喜んでくれないかもしれないよ?“こんなの贈ってきてどういうつもり?!”って言ってくる可能性もあるよね? そういう事もふまえて、何を言われてもプレゼントしてあげたいって思うなら 私は素晴らしいことだと思うよ。」と言いました。意地悪なこと言っちゃったかなって気になったその瞬間。「そうだよね、いかにも言いそうな事だよなぁ。やーーめた!」あっけらかんとした旦那の様子に思わず笑ってしまった私。ずいぶんたくましくなったなぁ。としみじみ思ったのでした。 ______________________________いつもお越し下さる皆さん、この度1万ヒット達成いたしました!!本当にみなさんのおかげです。ありがとうございます。私の日記はもうほぼ現在に近づいています。このあと、重大な事実が発覚しますがその話はまた次の時に。
2003年06月10日
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正直言って、そのうち息子かわいさに謝ってくるだろうと思っていた私達。それまではのんびり2人の暮らしを満喫してやろうと思っていました。もちろん旦那はまだまだ怒っていましたし、こちらから電話する気持ちはこれっぽっちもありませんでした。私の親にはマンションの許しをもらった事やモデルルームに見学に来る事なども話していたので、結局全ての経緯を話しました。まず最初にブチギレたのは私の母でした。母曰く、「自分の子供達が家を買うまで成長したのを喜ぶのが親なのに どこまで子供の将来を邪魔したら気が済むんだよ!あのクソババアめ!!」興奮する母は「私が文句の電話をしてやる!」と。(笑)私達が色んなことを調べたり、マンション購入を楽しみにしていたのをよく知っていたので余計頭にきたんでしょう。私の兄弟達も話を聞くと口々に「それはひどい!」と言っては慰めてくれたりして、私の中の怒りも緩和されていくように感じました。こんな時は兄弟や、親のあたたかさを有り難く思います。父は、というとその話を聞くや否やおおらかに笑い始めました。「そうか、そんな事があったのか。でもな、今までむこうのお義母さんは ものすごく厳しい生き方をしてきたんだよ。 あんなオヤジと別れて再婚したり、一人で子育てしたほうがずっとずっと 楽だったと思うよ。でも一番厳しい生き方を選んだ人なんだよ。 そんな人がお前達に素直に謝ってくると思うか? 多分自分は間違ってるなんて全く思ってないと思うよ。」と。なんだかやたらと納得してしまう父の言葉でした。父は、「きっとお前達が許してやらなかったら、死ぬまで連絡なんかしてこない と思うよ。頑なに生きてきた人だから。お前達が大人になって許してやれ」と。付き合ってる当時から私の父を慕っていた旦那もこの言葉には困惑顔。「でもやっぱり自分の奥さんを侮辱したのは絶対に許せないんです」と旦那。そんな様子をみながら少し嬉しそうな顔した父。「それは分かるけど、親って年取ると子供みたいなもんなんだよな。 わがまま言ってみたり、だだこねたりして子供困らせちゃったりさ。 しかたねぇなぁって、お前達が許してやらないとかわいそうだよ。 お義母さんのそばには誰もいないんだから。」その日、私の頭の中には父の言葉が繰り返し聞こえてきて離れませんでした。旦那もずっと考え込んでいたようです。葛藤している様子がよく分かりました。そして旦那は、ある決心を私に話すのです。。。
2003年06月05日
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それにしてもすごい手紙ですね。これをみて旦那はため息をつくばかり。どうしてこんなに執拗に旦那を追い詰めていくんでしょうか。本当に腹が立って、思わずその手紙をビリビリに破いてしまいました。(今では姑の必死さがひしひしと伝わって、笑いさえこみあげてくるんですけどね)この手紙にもありますが、私は円形脱毛になってバイトを辞めたままずっと働いていませんでした。それは旦那が、バイトをすることによってまたストレスをためるんじゃないか、また円形が・・とずっと心配してしばらくは休みなさい、働かなくていいと言ってくれていました。もちろん、マンションのことが決まれば仕事を見つけようと思っていましたが。なので、姑には私が意味なくバイトを辞めてそれからずっと遊んでいたように思っていたんでしょうね。円形のことは旦那の親達には言っていませんから。円形ができて働けなくなったのはあんたのせいなのに。それにしても驚いたのは、頭金は任せろって散々言っていたくせに文中の「2人の頭金がどのくらいの額になったか実績をみせて納得させて下さい。」というところ。えぇっ?!って感じです。頭金の心配はするなって言ってたくせに!!これには旦那も唖然。コロコロ意見が変わる人に付き合うのは本当に疲れます。そもそも、最初に納得して賛成したのは姑です。モデルルームに行きましょう!って張り切ったのも姑。ねぇ、どの口が言ってんの?そしてなにより、最後の一文。みんなで会った時は「ダンピング」のダの字もでてこなかったので私達に言い返すために必死になってみつけた単語だったんでしょう。わざわざ「頭の良い君達が」なんて嫌味な言葉までつけて。頑張っちゃってます、姑。アップアップしてるのが片腹イタイですね。そしてその日、私はここのHPを立ち上げました。自分の中でけじめをつけるため、心の整理をつけるため。いや、もしかしたら本当の理由はみんなの反応を知りたかったのかな。あまりにも私の意見と食い違いすぎて、何が正しくて何が間違ってるのかそれさえ分からなくなっていたのかもしれない。あの頃の私は本当に疲れていたから。
2003年06月02日
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それからの日々。私は旦那には申し訳ないくらいに、正直毎日楽しかった。(笑)2人でいる時はいつもと変わらず優しい旦那だったけど、ひとたびあの話になると怒りで顔が硬直する旦那。怒りの炎は静かに燃えつづけていました。電話もしなくていい、手紙もFAXもしなくていい。会いに行く事もない。そうだ、ずっと気になってた頭金援助の話だってダメになった。これで私達は好きな所に、好きな住居を構えられる。もう自由なんだ。 ビバ・絶縁今回の事に限らず、誰に話したって姑がおかしいことは明らかでした。それでもやはり姑にしたら面白くないことだったのでしょう。あの大喧嘩の電話から2日経った朝、その手紙は届きました。電話を切って、堪えきれずに手紙を書いてすぐ出した様子が目に浮かびます。「んだよー!またこんなの送って来やがった!」ポストを覗いた旦那の第一声で姑から手紙が来たんだ、とすぐ分かりました。その手紙にはまたもやびっくり発言が・・・。______________________________○○様(旦那)君の世帯の大事なことは全部君が背負うのです。(←いきなりこの出だし)その時相談に行く場所は△△家ではなく、○○家なのです。(△=私の実家。○=旦那の実家)△△家に近くて喜ばれるのは事がよく運んでいる時だけです。まずこのことをきっちりと胸にたたきこみなさい。2人がその時々を言葉で封じ込めて行く方法は説得でしかありません。いわば絵空ごとのことです。一番大事なことは納得です。納得とは行動を持ってしなければ示せない事です。人はなぜ言葉だけで済ませない場合、念書という方法をとるのか。これが行動に伴う納得だからです。まず私達を納得させてほしいのです。tyerikoちゃんが働くというのならばまず行動を始めてください。そして2人の頭金がどのくらいの額になったか実績をみせて納得させて下さい。そして△△家が移転するというのであれば移転してからマンションの件もそこから始めましょう。でなければ私達は納得できません。*ローンを組む場合ボーナス時の加算を含む返済ならば、社会現象でもあるボーナスカットになった時どうしますか広く町並みをみてごらんなさい、なんと空き物件のマンションの多いこと。頭の良い君達がなぜダンピング物件に目を向けないのですか 父、母______________________________これが届いた手紙の全文です。勝手に載せてしまいましたが困る人は誰もいないでしょう。
2003年05月29日
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怒り冷めやらず、興奮した状態の旦那。「俺は絶対に許さない!謝ってくるまでは連絡も一切とらない!!」と息巻いています。私には「電話がかかってきても俺がいなければでなくていい」との事。これ以上親の事でストレスを増やさなくていいから、と言ってくれました。とうとう姑は、かわいいかわいい息子までも敵に回してしまったのです。舅の愛人の姑にとって旦那の存在は、いわば“最後の切り札”。その息子にこんなドでかい喧嘩を売ってしまったんです。なんて願ったり叶ったり!興奮状態の旦那を尻目に私は心の中で笑いが止まりません。性悪女とお思いですか?ええ、どうぞ何とでも言ってください。 だって私はWINNER!!今まで我慢してきたかいがありました。旦那は少しずつ、じわじわと自分の親達の本来の姿を目の当たりにしたのです。真綿で締められるような苦痛だったことでしょう。信じたくなかったでしょう。だからこそ、旦那の心の傷は限りなく深い。怒り、悲しみ、憎しみ、落胆、、、。自分の親がまさかこんな人間だったなんて・・!!と嘆く旦那。旦那は私の事を悪く言われたのが何よりも許せないようでした。そして、その事で激しく怒り狂う旦那の姿をみて私は心の底から嬉しかった。姑には私の気持ちが伝わっていなかったけど、こんな旦那の様子をみていたら“無駄じゃなかったんだ”って思った。“今までの事も報われた”って思った。その時私は何故だか私達の結婚式に出席した姑の言葉を思い出していました。ビデオの中の姑はとても嬉しそうにこう言います。「今日の日の、この幸せを両手いっぱいに抱えて、こぼさないように大事に 育てていってください。私達はいつでも応援しています。。。」最初、あんなに優しくてとってもよくしてくれた姑。自分が手にできなかった幸せが目の前で繰り広げられている。その様子が辛かったのかな、ずっと日陰の道をひっそりと歩んできた姑には私達の姿が羨ましくて、眩しすぎたのかもしれない。だからこんな事になってしまったんだろうか。そう思うと、私は姑のことを責める事はできないかもしれない。
2003年05月27日
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いつもニコニコしていて温厚な旦那。どんな時でも決して怒鳴ったりしない人。それは、複雑な家庭に育ったがために心得たことだったかもしれません。そんな旦那が、聞いた事もないような大声で怒鳴っていました。姑も言われっぱなしで黙っているようなタマではありません。しかし旦那は口喧嘩が得意な方ではありません。上手に言葉がでてこないタイプ。そのうち旦那は怒りよりもウンザリしたようでした。旦那「もういい。マンションの話はもういいよ。」深いため息。あんなに喜んでいたマンション購入は、この時再びダメになりました。ショックを与えるなら一度にしてくれればいいじゃないの。どこまでも意地悪なんですねぇ、お義母さん。そして旦那はこのままじゃ気が済まないといった様子で、今度は違う話をし始めました。旦那「じゃあさ、前から気になってた事なんだけど。tyerikoが今まで お母さんに手紙書いたり、FAX送ったりいつも色々してくれてるよね? それに対するお礼の言葉とか返事が全くないのはどういうこと?」旦那は以前からそのことが気になっていたようでした。いや、正確に言うと“旦那が気になるように”していたのは私ですが。(例えば、具合が悪いと聞けばFAXを送っていた私。その返事がない時は「FAX送ったんだけど届いてなかったのかなぁ?」と心配した様子で話したり。決して「いっつも返事こないんだよねー」とは言わないのがポイント。) 旦那「うちみたいな複雑な家庭に嫁いできて、お母さんやお父さんに そういう話、一度もtyerikoは聞いたりしなかったよね? 今までどんな気持ちで頑張ってきてくれたか分かってるの? それなのに、いっつもお礼ひとつも言わないで!」姑「何言ってるのよ!どうせそんなの私に気に入られるために やってるんじゃない! 全部計算づくでやってるんだからお礼を言う必要なんてないわよ!!」旦那「それは本気で言ってんのかよ?!!」姑「当たり前でしょ!!」このあと、旦那の心にいつまでも消えることのない怒りの炎を燃え上がらせたのは言うまでもありません。“売り言葉に買い言葉”だとしてもこのセリフはあんまりです。大切な旦那の親、私も大事にしていこうと思っていました。できれば仲良くしていきたい、本当の親子のように付き合っていけたらいいな。そんな風に思っていた私。少しでも喜んでくれるなら、という思いで月1で2時間かけて旦那の実家に行き、2週間に一度は電話orFAXしてきました。そういう私の気持ちが計算だと言うならば私は何も言い返すことはできません。今はっきり分かるのは、3年もの間、姑はそう感じていたということ。とても悲しくて寂しいけれど私の気持ちは伝わっていなかった。それはしかたがないのです。だた、旦那は自分の親だけに余計許せない気持ちで“どうしてそんな風にしか物事を見れないんだ?”と大声で罵っていました。お互いに怒鳴りあって、収拾がつかなくなった電話での話し合い。しかし姑は最後にこんな事を言って勢いよく電話を切りました。「顔を洗って出直しな!!」ガチャン!あわわわ。顔を洗って出直すのは自分だという事に全く気づいてないところがなんとも哀れですね。かわいそうすぎて涙がでちゃいます。でも例え姑が顔を洗って出直そうとしたとしても、長年積み重なったその汚れはヘドロのようにドロドロにこびりついているでしょうからそう簡単には落ちない事でしょうね。素敵ですね♪
2003年05月25日
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モデルルームに見学に行く、と張り切っていた姑、舅。そして、こういう事に当然のように参加する伯母さんも来るようでした。あと1週間に迫っても何時に来るとか、待ち合わせはどこで、とか全く連絡がなかったので旦那はしびれをきらして姑に電話したのです。(「時間とかはこっちで決めて連絡する」と言っていたので)旦那「もうすぐだけど何時にする?待ち合わせ場所は?」姑 「今・・手紙を書いていたのよ・・・。」ここで旦那はものすごくイヤな予感がしたそうです。いつも言いたい事を面と向かって言わない姑は、言いにくいことがあるとすぐに手紙を書いてよこすのです。手紙だと素直に言えるのかもしれません。でも、手紙は面と向かって言わない分伝わりにくいこともあるし向こうは言いたい事を言ってすっきりするでしょうが、何よりこちらの言い分が全く届きません。手紙でイヤな事を言われ、電話をかけて旦那が言い返して、さらに何かを言われたりする。それが今までのパターンでした。姑の口から「手紙」という言葉を聞くと私達はため息が洩れてしまうのです。旦那「もうすぐ会うのに何で手紙なの?何が言いたいの?今ここで話してよ」姑 「せっかく手紙書いてるのに・・・」すごく言いにくそうな様子。旦那「だから何?はっきり言ってよ!」(温厚な旦那がイライラしながら)姑 「やっぱり・・あの場所に新居を構えるのは・・・イヤなのよ・・・」 えぇっ、いまさら?!!近づいてくるモデルルーム見学にじわじわと実感が湧いてしまったんでしょうか。かわいい私の息子があの嫁の実家に取り込まれてしまう!!婿にやったわけじゃないのにどうして嫁の実家のそばに住むのよ~~!とかね。きっと連絡がない間、一人で悶々と考えていたんでしょうね。旦那は言いたいことが、それはそれはたくさんあったと思います。わざわざ話し合いの場を設けて、旦那が必死に説得した上で承諾してくれたのに今になって突然拒絶するなんて。それならあの時もそう言ってくれればよかったのに。旦那「今更、何言ってんの?!だってあの時OKしてくれたじゃない!」自然と声を荒げてしまう旦那。それも当然のことでしょう。そんな旦那を尻目に姑の仰天発言は続きます。姑 「あの時はあなたの涙に騙されたのよ!」だ、騙された、ですと??よくもまぁそんな事が言えたものです。はっきり言ってそれはこっちのセリフです!あなたのような立場の人間が言うべき言葉ではありませんよ?そして物語(?)は終結へと向かっていくのです。
2003年05月23日
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それからしばらくは、落ち着いた日々が続きました。旦那はマンション購入の本などを買ってきては嬉しそうにしていました。でも私は手放しで喜べなかったんです。いつもいつも私の頭の中に重くもたげていた「義親からの援助」という事。マンションの話が本格化してきて「援助」を受けるとはどういうことか、私なりにずっとずっと考えていました。考えてみてください、自分の不倫の末路を告白しないのを私達のせいにするようなそんな卑劣な、汚い大人です。何かにつけて「誰のお陰でマンションが買えたと思ってるんだ」なんてセリフを言われてもおかしくありません。援助を素直に受ければ、もちろん支払いは楽になるでしょう。でもそのあとは・・・?精神的苦痛を考えたら自分達で頑張った方がいいんじゃないか、私はそんな風に悩むようになりました。以前にも話したことですが、旦那の親は昔から「新居の頭金はこっちが出すから」といつも言っていました。きっとそれは姑のプライドがそうさせたんでしょう。旦那はそう言う姑の言葉を鵜呑みにしていたので“出してもらって当然”という態度でいました。その中には一人っ子だし、ゆくゆくは同居だし、というのもあったと思います。もちろん、一人っ子ならではの甘えもあったでしょう。もし私が「頭金も自分達で用意します!」と言ったらどうなることでしょう??義親からの猛攻撃を受けるのは火をみるより明らかです。旦那だって、私の思考回路は理解できないでしょう。今まで黙っていたことですから。もし援助を受けないで自分達で購入するならもう少し貯金が必要な状態。頭金を断るというのは、このマンションを諦めるということ。それは、争いの火種を私が自ら撒くようなもの。とても勇気がいることでした。私はそれと平行して、専門家にそのマンションの良し悪しを判断してもらいたくて業者選びをしていました。(今はそういう業者さんがたくさんあるんですね)マンション販売員と購入する私達の間に第三者の一級建築士をおいて、公正にそのマンションの欠陥などを指摘してもらうのです。素人の目では分からない事ばかりです。一生の大きな買い物ですからね。いい機会なので旦那の親達がモデルルームを見学する時に一緒に同行してもらおうと思っていました。かなり急な話だったのでその業者さんにもなんとか都合をつけてもらい、その日があと一週間と迫ったある日のこと、事件は起こりました。・・・そう、あの人です。______________________________最近途切れがちで本当に申し訳ありません。仕事を始めて時間的にも余裕がなくなってしまいました。かなり放置ぎみなのにも関わらず、遊びに来てくださってありがとうございます。この場を借りて、掲示板のお返事なんですが書き込んでくださった方にはサイトの方にお邪魔してお返事させていただきます。自分の掲示板に返事するのもヘンかな?とふと思ったので・・。ということで、これからもよろしくお願いします!
2003年05月15日
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この話し合いの中で、旦那の腹違いの兄弟の話をしている時に「あなたは会ったことがあるのよ、弟の方、りきさん(仮名)と」と姑が唐突に話しはじめました。私はまたまた理解できませんでした。なぜ、自分の息子を愛人の子供と会わせたんだろう?「子供の面倒をみる」って理由で外出して愛人の姑と会っていたんでしょうか?自分の子供をダシに使うなんて、あの舅のやりそうなことです。障害がある子供とはいえ、重度ではないようなのでその時は一緒に遊んだそうです。意思の疎通は難しいようですが、自分でできることもあるようです。旦那はそのへんの記憶は全く覚えていないと言っていました。でも、実はもっと大きくなってから2人は会っていたんです。それは姑と旦那が一緒に駅前を歩いていた時の事。舅の次男であり、旦那の腹違いの兄、りきさんとすれ違ったそうです。姑はドキドキして息を飲んだと言いました。2人がすれ違った次の瞬間、旦那は立ち止まりその人の方を振り返ったのです。会ったのは小さい頃だから顔を覚えていたわけではないでしょう。何秒かしばらくその人の方を無言で見つめて、また何事もなく歩き始めた旦那。「どうかした?」とドキドキしながら尋ねる姑に「なんでもない」と答えた旦那。あの時、旦那の中で本能的に感じる何かがあったんでしょうか。旦那さえ覚えていない今となっては知る由もありません。姑は「こういうのを“血の繋がり”っていうのかしらね・・・」と、つぶやきました。私は、もう頭の中がかなり麻痺していたので「これがドラマだったらすれ違う瞬間は3回くらいスローモーションで 流れるんだろうなぁ・・」とくだらないことを考えていました。今、その顔も知らない兄弟達はどうしているんでしょうか。私達がもうしなくなった“親孝行”ってやつ、よろしくお願いしますね。
2003年05月08日
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それからというもの、その場の空気は和みっぱなしで和気あいあい。新しいマンションの暮らしをみんなで想像しながら、あーでもないこーでもないと夢は膨らみます。そしてマンションの頭金の話になると、姑と伯母さんは「お金のことはお父さんにたっぷり出してもらいなさいね~」とふざけたように笑い合って、舅は困ったような笑顔で頷き、みんなで笑っていました。程よく時間も過ぎたので近いうち集まる約束をして笑顔のまま別れました。(モデルルーム見学のため)帰りの車の中、私はさっきまでとは一転なんとも複雑な思いでいました。私の中ではマンションが購入できるようになった喜びよりもずっとずっと重く心にのしかかっていたことがありました。“この話ができなかったのはあなた達のせいじゃない!”という姑の言葉。どうしても旦那にそれをぶつけずにはいられなかった。あの言葉だけは聞き捨てならないと思いました。それを聞き流し、否定もしなかった旦那のことも許せなかった。この件に関して、どんな風に歩んできたか旦那は一番近くでみてきたから私の気持ちは一番よく知っているはずなのに。車が走り出してから、しばらく黙ったまま考えていました。もしこのまま私が一人で黙って我慢していたら、今度は私達夫婦の中に溝ができてしまう。私が意見する事で、揉めるかもしれないけど話し合いをしなければ分かり合えない。そういう親子をたった今、目の前で見てきたから。私は内に秘めた怒りを押し殺しながら冷静に聞きました。「どうしてあの時言い返さなかったの? なんで私達のせいにされなきゃいけないの? 君もそう思ってるの?」などなど。すると旦那は意外なことを口にしたのです。「あぁ・・・。気づかなかった・・。」き、気づかなかった・・・だとぉ・・・???!!!!私が怒りに打ち震えていた頃、旦那の頭はかっらぽだった??まさか気づいてさえいなかったなんて。怒りよりも、ただただ呆れるばかり。“所詮親子か・・・。”心の中でつぶやいた。最初から最後まで、本当に疲れた一日でした・・・。
2003年05月01日
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旦那は時折ため息をつきながら何度も同じ説明をしていました。そして、理論的にその話には勝てないと思ったのか今度は方向を変えてきました。「やっぱり私はtyerikoちゃんのご実家が近いっていうのが納得できないわ~」そう言いながらちらっと私を見る姑。これでもかとばかりに続けます。「だって何のための新居か分からないじゃない。そんな実家のそばにいて、それこそ甘え放題じゃない。そんなの自立じゃないわ!」どうだ!と言わんばかりの姑の顔。そんな姑に用意していたセリフ。「その事なんですが、私の両親は持ち家に住んでいるわけではないのでゆくゆくは田舎でのんびり暮らすんです。ですからずっとあそこに住むわけではないんですよ。」とにこやかに答える私。以前、姑に激しく反対された時に(詳細は「マンション購入騒動」にて)自分の親にその話をしたらこのように返ってきたのです。もし今日その事を言われたらこう言おう、とずっとあたためていた言葉。思ってもいない事だったのでしょうか、姑は「えっ?」と言って目をパチクリ。(姑の間の抜けた顔はかなり笑えるものがあったけれど。)するとどうでしょう、今までの猛反対がウソのように「まぁ~~、いいマンションじゃな~いっ!!」と、旦那の持ってきたパンフをみて手のひらを返したように賛美するではありませんか!まさかその言葉がここまで効果を示すなんて思ってもいなかったので私も旦那もビックリ。どうやら私の両親のそばで住むのが猛烈にイヤでイヤでしかたがなかったんでしょうね。「婿にやったわけじゃない」って言うくらいですから。姑が誉め始めたのをGOサインと感じたのか、舅と伯母さんまでもがそのマンションのいいところをどんどん誉め始め旦那は本当に嬉しそう。だって諦めきれなくて、ダメでもともと!って思ってたんだもんね。「そうと決まれば近いうちに早速モデルルーム見に行かなきゃね!」と姑はもうノリノリ。舅はその膨大なパンフをカバンにしまいながら「この施工会社の事をこっちで色々調べておいてやる」と意気揚揚。私は旦那の嬉しそうな顔を見れたのが嬉しくって、一緒になってニコニコしてた。その笑顔が消え去るのも時間の問題だったけれど・・・。
2003年04月25日
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旦那も、旦那の親も胸につかえていた気持ちを開放したからでしょうか、私を除いたみんなはいつしか笑顔で会話をしていました。そこは誰が見ても「幸せな一家団欒」でしかありませんでした。「それでさ、この前話したマンションのことなんだけど・・」と旦那が遠慮がちに話を切り出しました。多少なりとも負い目のようなものを感じていたんでしょうか、前回激しく反対していた姑も何も言わず、旦那の言葉に耳を傾けていました。旦那は、このマンションに決めた経緯をゆっくり話していきました。自分達の住みやすい場所であること、今より通勤が便利なこと。将来子供が出来た事を考えて、子供を育てるのにとてもいい環境であること。近くに公園があったり、商店街もそばにあること・・などなど。でも、ここで旦那があえて話さなかったもうひとつの理由がありました。その地域は福祉にとても優れているのです。親を介護をするにも便利なのです。そう、私達は旦那の親にもしものことがあったらこの地で一緒に、という気持ちがあったから。旦那がその話をあえてしなかったのはきっと恩着せがましくなるのがイヤだったんでしょうね。その話は最後まで口にはしませんでした。一通り話し終わるとみんな口々に意見を言い始めました。「○○にすればいいじゃない」これは姑たちのすぐそばの土地です。「そこがダメなら××ならどうだ?」「△△もいいんじゃない?」・・・。「あのさ、こっちまできたら通勤に何時間かかるか分かって言ってるの?」と旦那が言っても「だって~、それとこれとは話が別でしょお~?」という始末。自分達の言う土地に来るのと、こっちに来たら通勤に不便だという事のどこが別の話なんでしょうか?私は旦那の通勤時間は1時間以内にとどめてあげたいと思っています。体のことも心配だし、帰りが遅い事の方が多い仕事なのであまり遠くだと終電に間に合わない可能性もでてくるからです。姑らの言う土地に引っ越したら、毎日片道で3時間はかかるでしょう。何故好き好んでわざわざそんなに遠くまで引っ越すバカがいるんでしょう?ましてやその土地は私達が考えているような金額では到底買えないような高級マンションが並ぶところです。この人達はどこまで自分勝手に生きたら気が済むんでしょうか?バカは死んでも治らないってホントみたいですよ。
2003年04月24日
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それから舅は少しずつ、自分のもうひとつの家族の話をし始めました。男の子が2人いて一人はもう家を離れ、自立していること。家庭の中では自分はほとんどのけ者にされていて居場所がないこと。(そんなのはお前のせいだろ!と思いますが)そして、次の言葉を聞いて私と旦那は固まりました。「下の弟は、障害児なんだよ」あっさり言ってのける舅。私は自分の耳を疑いました。旦那は驚きのあまり、動きが止まりました。静まり返る空間。だって、その弟って旦那より2つも年上。その子供に障害があると分かった頃旦那は姑のお腹に宿った・・・。障害をもった子供が生まれ、親御さんの心労や苦労は私なんかじゃ計り知れないものがあることでしょう。そんな時によそで子供を作ってしまう舅の人間性を疑わずにはいられません。それと同時に、同じ女として姑を本当に哀れに思います。妻帯者と知りながら好意を持ってしまった不幸。それでもめげずに相手の子供を産んだのに認知もしてもらえず妻と離婚しないままの相手。そして、そんな舅と離れる事さえできずにその男にしがみついている人生。そんな男のそばにいて、本当に幸せになれるとでも思っていたの?2人でいる時、妻の気持ちや子供の事は頭によぎらなかったの?旦那の気持ちを考えたら、母親としてできることがあったんじゃないの?この人たちは、本当にたくさんの犠牲の元、のうのうと暮らしてきた。旦那の優しい気持ちを利用して、騙せるなら死ぬまでだますつもりだった。その結果、旦那はどんどん傷ついていく。最も残酷な形で。私はこの人達を、許せない。姑らに促されて自分の気持ちを話した旦那は自分を産んでくれた事や育ててくれた事には本当に感謝してると、この期に及んでも感謝を述べていました。それが痛々しく思えました。こういうのを親への無償の愛情というのでしょうか。旦那は涙ながらに今までの気持ちを話していました。姑は泣きながらその話に頷いていましたが、何故か私はその空気に馴染めずにウソくさいB級映画でも観ているかのように冷めた気持ちでいました。私だけは冷静にこの場にいなければ、と思っていました。そう、私達のマンションの話がまだ控えていたから。
2003年04月22日
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私は自分で思考回路を強制的に終了しました。このまま普通にいたら頭がおかしくなってしまうと本気で思いました。まるで映画でもみてるような感じで、茫然と眺めていました。頭の中では言いたくても言えない言葉をブツブツ繰り返して妄想を楽しむしかありませんでした。(かなりアブナイ人です)ただひとつの救いといえば、完全に姑の味方だと思っていた伯母さんが一番まともな意見を言っていて、舅に対して毅然とした態度で「認知はきちんとしてくださいよ?お願いしますよ!」と言ってくれたこと。旦那はそこまで言えない性格。私の正直な意見としたら、このまま認知なんてしないでほしい。今さら認知してくれたって老後の面倒を看させられるだけ。いいことなんてひとつもないんだから、いっそのこと他人でいたい。でもそれは旦那には言えない本音。旦那は、やっぱり自分を認めてほしいと思ってるから。姑は最大限、舅の味方をして、伯母さんは旦那の味方をしてくれた。「一番大事なのは○○さんの気持ちだから」って。すごく嬉しかった。私は、というと最初から最後までとうとう何も話さなかった。その結果、問題は解決していないのに何故か“よかったよかった”みたいな感じで「じゃあみんなでご飯食べましょう~!」って姑はウキウキ。きっと長年の秘密を告白できて肩の荷が下りたんでしょう。あ~ぁ、やっぱりこうなるんだって諦め顔の私。旦那は姑のペースに流されたままなんとなく従ってる。すると姑はかすかに笑いながら「やっぱり一緒に食べるんじゃない、食べないとか意地張っちゃって!」コイツを野放しにしておいていいのか、旦那さんよ!?そして、舅は再び語り始めたのです・・・。
2003年04月20日
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姑の言葉の前に少し聞いてください。私達、6月に式を挙げました。なんとなく私は式の日に入籍するのが昔からの憧れでその話はみんなにちらっとしていたことがあったんです。でも実際のところ、式の準備が押し迫っていくうちに一緒に暮らしたほうが物事を決めるのにとってもスムーズにいきますよね。旦那は一人暮らしでしたが私は実家にいましたから。ましてや、式は午前中からで、夜は二次会も控えています。役所に行くヒマなんてあるんだろうか?で、色々相談するうちにその年の元旦に籍を入れようということになったんです。もちろん両方の親に1ヶ月前から話を通して了解をとっています。姑も舅も「元旦に入籍なんて気持ちの良いスタートね」ととっても賛成してくれていたんです。「大事な入籍日を忘れなくていいね」とか言って。あくまでも、結婚式の日に籍を入れるというのは「決定事項」ではなかったんです。この事を念頭において、続きをどうぞ。。______________________________旦那の一言は、きっとずっと言えなかった本心だったと思います。“どうして今まで黙ってたの?何で言ってくれなかったの?!”と詰め寄ることはこの話し合いの中で一度もありませんでした。それは旦那なりの優しさだったのでしょう。こんな時でさえ、親を想ってしまう旦那・・・。困ったような、寂しそうな顔で言ったのです。「でも、それならもっと早く言って欲しかったよ。 せめて結婚の話が出た時に話して欲しかったし、話してくれると思ってた」それは私も同感でした。親として、せめて長年の疑問をはっきりさせてから旦那を送り出してほしかった。それがこの人たちがするべきこと。でもそんなこと、気づくわけないですよね。この人たちが大事なのは“世間体”とか“見栄”とか“プライド”姑はそれを聞いて、パッと顔をあげ「何言ってるのよ、この話ができなかったのはあなた達のせいじゃない!」『はぁっ?』(私の心の声) 「だいたい、結婚に際して順序が違うじゃないの! きちんとした段階を踏んでいればこういう話も必然的にできたのよ! それをあなた達が順番をめちゃくちゃにするからじゃないのっ」姑はさらに続けました。「結婚式の日に籍を入れるって言っておいていきなり元旦に入籍しちゃって 物事には守らなくちゃいけない順序ってのがあるでしょう! あなた達はそれを無視して突っ走ったんじゃない!」『オイ、コラくそばばあ、今なんつった?!』(再び心の声)『順序が違うだとぉ??どの口がそんな事言ってんだ?あ?』(姑のアゴをつかんでガクガクいわせている)←これは妄想。入籍→挙式→新生活という段階を踏んできちんと結婚した私達と、このような状態のお義母さん達とでは、順序が違うのは一体どちらなんでしょうかねぇ???!!!こう叫びたいのを私は必死に堪えました。ギリギリ音を立てる歯、固く握った手のひらは爪が食い込んでいました。唇を噛み締めてしばらくすると口の中は血の味がしました。悔しくて悔しくて、体がワナワナと震えてきた。その震えと密かに格闘している私と違って旦那は言い返そうともせずにそのまま姑の言葉を聞いていました。まるで親に叱られている子供のように。旦那も姑の言うことが正論だと思ったのでしょうか。私は旦那に少しだけ失望し、裏切られたように感じました。こんな言い訳ってあるんでしょうか、本当に私達が悪いんでしょうか。私はもう何も考える事ができずに、ただその場にいました。
2003年04月17日
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舅はまるで昔を懐かしむような口調で、末っ子の自分が祖父(舅の父)の店を受け継ぐ事になった理由などを饒舌に語り始めました。祖父に認められたのは自分だけだ、と時折自慢話もおりまぜながら。そしてそのくだらない話は“どれだけお店が大事か”という説明にすりかわっていつの間にか、先ほど(昨日の日記)の発言の補足になっていたのでした。旦那は私と違って真剣に話を聞いていました。その話の中にある、自分へと繋がる何かを探していたのかもしれません。ただ、旦那にはどうしても納得できない事がありました。それは“借金があったから籍を一度抜いた”と聞いていたこと。他の人が聞いたら明らかにウソだと分かる言い訳。でも旦那にしたら、その言葉を支えにして認めたくない事実に対して目をつぶったのかもしれません。それが子供の頃の旦那ができる自己防衛策。・・そう思うと、切ないです。「借金があったから、俺達(旦那と姑)に迷惑がかからないように一度籍を抜いた って聞いてたのに・・。だから今まで何も聞かなかったのに」と旦那。すると間髪入れずに「そんなこと言ってないわよ!あなたの記憶違いなんじゃないの?!」残念ながら、これが姑の返事でした。「でも、それならもっと早く言ってほしかったよ。 せめて結婚の話が出た時に話してほしかったし、話してくれると思ってた」この旦那の一言をきっかけに、思いがけない姑の言葉を聞く事になろうとはその時はまだ知る由もないのでした。
2003年04月15日
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私はこの話し合いで必要のない人間だったかもしれません。だから、旦那には「私がいない方が身内でゆっくり話せるんじゃない?」と聞きました。向こうもその方がいいのかなぁと思ったし。でも旦那は「これはもう俺だけの問題じゃない。見届けて欲しい」と私に言ってくれたので一緒に行く事にしました。今回の事は、旦那と同じように私もかなり腹が立っていました。言いたいことは山ほどありました。でも、それを言うのは私ではありません。どんなに頭にきてもひたすら黙っていようと思っていました。私が口を挟む事で出来る話も出来なくなるかもしれない、と思ったから。旦那には最後に「自分が思った事は全部伝えるんだよ」とだけ言いました。今言いたいことを我慢したらもう何も言えなくなってしまう。どんな話し合いになるのか私には想像がつかなかったけれど、ただひとつだけ分かっていたことがありました。それは“まわりくどく、遠まわしな言い方でイライラしそう”という事。あの人たちは、いさぎよくストレートに話したほうがずっと気持ちが伝わるということにまだ気づいていない。きっと一生気づかないままなんだろう。姑は「あなた(旦那)のこと、きちんとしてくれないのよ」と言って舅のほうをチラリと見ていました。その口ぶりで、旦那が認知さえしてもらっていない事が判明。不倫して子供まで作っておいて、認知をしていないのです。「いい機会だから」と言って、姑はその事を納得していない様子でした。舅が重い口を開いた時、旦那がぐぐっと前のめりになりました。ずっと聞きたかった父の言葉。弁解してほしかったのかもしれません。「悪かった、今まで申し訳ない」という言葉のかわりにでたのは舅の人間性を表すには十分すぎる内容だったのです。「俺はな、ずっと仕事をしてきてるだろ?仕事ってのは信用が第一だ。 信用あっての仕事なんだ。こんな事が知れたら仕事なんてしていけないだろ?お前だって働いてるんだからそれくらい分かるだろう。」・・旦那は舅を寂しそうに見た後、言葉もなくうつむきました。そんな旦那の様子を知ってか知らずか、舅は、ひとりよがりに小さい頃からの身の上話をはじめるのです。
2003年04月13日
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旦那は姑のところに「皆は何時に集まるか」などの確認の電話をする前、私にこう言いました。「今度の事は楽しい帰省じゃないから、夜ご飯は食べないで帰ろうと思う」「あんな話の後でどんな顔してご飯たべればいいか分からないし 美味しく食べれないと思うから」との事。もちろん、私には願ったり叶ったり。一分一秒だってあの人達と一緒にはいたくないんですから。むこうには昼過ぎに行って、夜ご飯を食べて帰るのがいつものパターン。それを楽しみにしている旦那の親。それなのにあえて「ご飯は食べていかない」と宣言したのです。姑は「なんで?なんでそんなこと言うの?!」と混乱気味。旦那が説明すると、今度は情に訴えてきます。「さみしいよぉ、そんな事言わないで・・。さみしいよぉ・・・」うっとおしそうに「食べないから」と言い続ける旦那。相変わらず、かわいそうな女です。何も分かっちゃいないんだから。こういう時にさっぱり「分かった」と言ったほうがどれだけ旦那の心に“悪い事したかな?”って思わせられるのにね。姑の家に行くと、もうすでに舅、姑、そして伯母さんが待っていました。この話が発覚する前はマンションの話をするつもりだったので(どこに住むかなどの話し合い)姑は自分の味方、として呼んでいたようでした。二人で自分たちの近くに住ませるべく、説得しようとしていたんでしょうね。電話で伯母さんも同席する事を初めて聞いて「どうして伯母さんまでくるの?」と不思議そうに旦那が聞くと「なんで伯母さんをのけ者にするの?!伯母さんだって家族じゃない!」とキレたのです。「後見人として、いてもらう」と言っていました。実はこの伯母さん、旦那と養子縁組を組んでいるのです。その理由として伯母さんの財産を旦那に譲るため、と聞いています。私は詳しい事は分からないのでそれを聞いた時も「親戚のいない一人っ子は得だなぁ」くらいにしか思っていませんでした。でも、よくよく考えればそれは姑の苦肉の策だったのでしょうか。そうしておけばそちらに目がいき、知られたくない事も隠しておけるかも、と。そのような状況から、伯母さんは一般的な位置よりももっとずっと近い存在にいたのです。こんな状態ですから舅の親戚と交流があるわけでもなく、伯母さんはもう一人の家族、といった様子でした。だから姑も余計にそばにいてほしかったのかもしれませんね。
2003年04月11日
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実は、私の実家ではだいたいの予想はついていました。旦那がいない時には自然とその話になり、私の母は「子供だっているかもしれないわよ~」って言ってたくらい。だからそのことを話しても「やっぱりね~~」って感じでした。いい意味でもそのへんはおおざっぱな両親です。「そんな事で彼の人間性が決まるわけじゃないよ。」と笑ってくれて、そういう態度は私にとって救いでした。これがもし、旦那の親みたいなのが私の親だったら鬼の首でも取ったかのようにそれはそれは大騒ぎをして「なんてことだ!!騙された!」と言うことでしょう。実際、あの人たちは私達親子だけでなく旦那をもを騙していたんですから。そして、それから1週間後に旦那の家族と集まることになりました。ここまで分かったのだからきちんと話をしましょう、ということで。ただ、旦那のほうはだいぶ気持ちも落ち着いてきたようで、「もう一度マンションの話をしようと思う」と書類をまとめていました。とても気に入っていたので諦めきれなかったのでしょう。私はもう忘れていたことだったし、またその話を蒸し返すのもいやだったのであまり気は進みませんでした。でも、彼の「過去の話よりも自分達が生きていくこれからの方がずっと大事だ」という言葉でとても前向きなのが分かって、彼の思うように任せようと思いました。今まで自分の親と向き合ってこなかった旦那が、向き合おうとしている。それは大きな進歩でした。これでもし喧嘩になるならそれはそれで何も言わず、黙って見守ろうと思っていました。そして、あっという間にその日はきました。旦那はその日をどんな気持ちで待っていたんでしょうか。
2003年04月08日
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その電話を切ってからも、旦那は言葉を失ったまま茫然としていました。旦那の狼狽ぶりに私はなんて声をかけたらいいか、本当に分からなかった。だから、ただただゆっくり旦那を抱きしめた。「こんな家に嫁がせて・・・ごめんな・・」消え入りそうな旦那の言葉が悲しかった。そんなことないのに。君が謝ることなんかじゃないのに。「私、この事を最初から知ってたとしてもきっと迷わずに結婚したと思うよ。どこの誰でもそんなの関係ないよ。こんなこと、たいした事じゃないよ。」旦那を抱きしめながら、本当に思った事を話しました。うん、うんって頷く旦那。耳元で「ありがとう」ってささやいた。この時、私は心に決めた。「絶対旦那を守っていこう!」って。びっくりするくらい「幸せな家庭」ってやつを教えてあげよう!って。それが、この事実に対する最高の復讐だと思うから。
2003年04月07日
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姑の言葉を聞きながら、私は今までの事を思い返していました。戸籍を取った時、姑と舅は婚姻関係になかった事。旦那と違う姓の舅。旦那が小さい頃週に一度しか帰ってこなかった舅。姑と舅は一緒に住んでいない事。舅の住んでいるところを知らない旦那。数え上げればキリがない、いくつものあやふやな事・・・。どうして今まで気づかなかったんだろう。「どっちが籍を入れられないの?」苦しそうに言葉を絞り出す旦那。「お父さんのほうが・・籍を入れられないのよ」しばしの沈黙・・何も言葉がでてこない旦那。それも当然のことでしょう。旦那は本来であるなら知っているはずの事実をこの年になるまで知らされていなかったのですから。全ての真実がそこにはありました。舅には法で認められた正式な家庭がありました。二人の子供もいました。顔も知らない兄弟がこの世に存在するのです。自分だけの父だと思っていた人は、知らないところでも“父”だった。姑との電話を切ってからも旦那は黙ったままでした。愛人である姑が旦那を産んで“家族ごっこ”を30年以上もしていたこと。もちろん、姑と舅が本当の親だということは事実ですがその関係が誰かの犠牲の元に成り立っていたということ。舅の本妻さんからみたら姑と旦那の存在ほど苦しいものはなかったでしょう。本当ならいるはずのない子供・・なのですから。そんな環境の中で何も知らずに旦那は産まれてきたなんて。電話で姑は、何度も何度も旦那にこう言いました。「今まで話さなかったのはみんなあなたのためを思ってのことなのよ」今まで、話す気ならその機会はいくらでもあったのに姑はそれをしなかった。いつだってはぐらかして言い訳をしたくせに。なんて女。なんて心が醜い女なんだろう。私は初めて姑のことを軽蔑しました。そして、心から憐れみました。
2003年04月05日
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旦那はその手紙を見て「じゃあ話し合いは中止?」と、いまいち内容が飲み込めてない様子。私は今話し合わなかったらむこうの意見に納得したことにされちゃうよ!と、想定されるいくつかのことを挙げました。一筋縄ではいかない人たちだ、ということを私は身をもって知っているから。旦那はすぐに電話をして、「こういう話は時間を置かずに話し合おう」と姑に言いました。旦那が一生懸命姑を説得したのが嬉しかったのかいい気になって「あら・・そ~お・・?」とまんざらでもない様子。そして調子に乗った姑は、「あなた達があの手紙を見て、どうでてくるかみさせてもらったの」と言うではありませんか!た・・試されてたなんて・・・!そんなこと、普通相手に言うか?!この頃になってくると、旦那もさすがに自分の親の異常さに気づいたようでよくため息を漏らすようになっていました。だからこの姑の言葉もカチンときたんだと思います。「おれがどんな気持ちで今まで過ごしてきたか分かってるの?」旦那はふいに姑に問い掛けました。去年、姑が“女としての主張”をしてからというもの、旦那はその話に全く触れなかったから。(詳細は3月6日の日記で)その話になると、姑は途端にトーンダウン。「・・分かってるわよ、そんなのよーくよーく分かってる」「分かってないよ、だってあれきり何も話してくれないじゃないか!」そう、姑はあれっきり、何もなかったかのように舅の事を話しませんでした。とうとう追い詰められた姑。もはや逃げられない、と観念したんでしょう。小さな声でこう言いました。「・・・お父さんと籍は入れられない状況なの」「・・え?どういうこと・・?」「とにかく、籍を入れる事ができないのよ。今言えるのはそれだけ。」あぁっ!そうか、そういうことだったんだ。私の中で、今までの疑問が全てつながった瞬間でした・・・。
2003年04月04日
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私達は姑らのことを考えて、その物件をあきらめました。むこうの意見を無視して、このまま買う気なら頭金の援助をしてもらわなくても買えない事はなかったけど、むこうの激しい気持ちを知ってしまったので例え、それが姑らの勝手な意見だったとしてもそれによって誰かが悲しむなら、それはまだ買う時期じゃないんだ、と自分に言い聞かせました。私の親は、その話を聞いても旦那の親の悪口を一切言いませんでした。「きちんとした話し合いをしなかったのがいけないよ」と言い、「これからいい物件なんて山ほどでてくるから心配しなくて平気よ」と、落ち込む私を慰めてくれました。私が我慢するのは決して姑らのためでは断じてなく、旦那の為だと。争いは、きっと彼を傷つけてしまうから。私達は新居の場所を話し合う機会が改めて必要だと思い、旦那の親と話し合う日にちも決めました。ところがその電話から何日かしたある日、突然姑から手紙が届いたのです。前から姑は筆まめなところがあり何かというと手紙をよこしたのですが、これがまた要領を得ない、意味深な手紙なのです。まぁ、普通の会話でも遠まわしで何が言いたいか分かりにくい人なんですが。“今度の事ではお互いに色々と傷つけ合ってしまいましたね、寂しい思いでいます”から始まって、“○○へ(旦那) 皆君がいてくれるのを喜びとして生きてきました。中でもおばあちゃんは特別目を細めて生きてくれました。つらい時はそんなおばあちゃんを思い出してあげてください。”などと書かれています。私も旦那も首をかしげるばかり。一体何が言いたいんでしょう?姑は、初めて旦那と言い合いになったのがショックだったのかもしれません。(今まで旦那は自分の親と喧嘩らしい喧嘩もしたことがなかったんですよ~!)手紙を最後まで読むと、“それぞれの気持ちの中にゆとりと温かい思いが出てきた時に改めて向かい合いましょう。それがお互いをこれ以上傷つけない為にもよいことのように思えるから”とありました。つまり、争い合いたくないから会いたくない、という事のようです。問題は山積みなのに、今話し合わないでいつ話し合うの??って感じです。旦那の家族はこうやって“なぁなぁ”にして、誤魔化してしまうんです。自分に都合の悪い事はなんとな~く知らん振りしてなかったことにしてしまう。それが今までのやり方のようでした。だから、旦那も自分の父の曖昧な部分をそのままにしてきたんでしょうね・・。
2003年03月30日
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年も明け、落ち着いた頃に私達は早速そのモデルルームに行きました。価格、間取り、周辺環境など、私達の希望にぴったりなマンションなのです。こまごました収納、機能的なこともとってもよかったんですよ。これがまた。さらに、欲しかったタイプのお部屋が幸運にもぽっかりと空いていて。とりあえずその物件をおさえておいてもらって、そのまま私の実家へ相談しに行きました。その土地の地盤がしっかりしているか等、色々聞きたかったから。実はこのマンションの場所、今住んでいるところよりさらに私の実家に近くなるのです。これは私も色々と好都合。賃貸の家賃を払い続けるならマンションを購入して、自分達の財産にした方がこれからのことを考えるといいよね、と夫婦でいつも話していました。ローンを組める今のうちに、とも思っていました。その日のうちに姑にも電話しました。お正月に話していた物件に見に行った事、モデルルームに行ったらとってもよかった事、ちょうどいい部屋が空いていた事、今までの家賃とほぼ変わらない額でローンが組めた事、などなど。すると姑は「そんなことだろうと思ったわ」と吐き捨てるように言ったのです。あれ・・なんかヘン・・・。姑は続けてこうも言いました。「だいたいどうしてそんなとこに住まなくちゃいけないの?!」「あなたを婿養子にだしたわけじゃないのよっ!」「住むんだったら○○!!(姑らのすぐそばの土地)」「tyerikoちゃんの実家のそんな近くに住むなんて!」「そんなのべったり(私の実家に)入り浸って甘え放題できるじゃない!」「自立できてないってことじゃない!!」姑はかなり興奮して、次から次へとまくし立てました。あれ程前(結婚当時)から言っていた事なのに、今さら場所の事で反対されるなんて思ってもいないことだったので、ポカーンと顔を見合わせる私達。あんなに上品でおっとりしていた姑が初めて本来の姿をのぞかせた瞬間でした。どうして最初から私の実家の近くはだめ!と反対をしなかったの?はっきりと電話で地名まで指定してくるなら、なぜ最初からその気持ちを今の今まで言わなかったの?・・・なんで?どうして??私も旦那も姑の言葉にただただ驚くばかり・・。・・・結局、電話での話し合いで解決するはずもなくマンション購入は泣く泣くあきらめることになりました、とさ。
2003年03月29日
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私と旦那は結婚当初から折に触れ、姑らに話していたことがありました。家orマンションを構える時は、今自分達が住んでいる近辺にする、と。姑はそれに対して特に反対もせず、うんうんと聞いていました。だから私達は暗黙の了解だと思っていたのですがこの誤解がのちのち大きな波紋を呼ぶことに。私達の住んでいる所から旦那の実家は県をまたいで車で約2時間。私の実家へは、車でほんの15分ほど。旦那が一人暮らしをしていたところにそのまま住み始めた私達は当然のように住み慣れた場所で新居を探していました。姑は「その時がきたら頭金は出してあげるから」といつも旦那には言っていたようで、旦那はそれをあてにしていました。私も“一人っ子でどうせ将来は同居だし”って気持ちがあったのでそれくらいだしてもらってもバチは当たんないかな、と思っていました。お正月、露天風呂に行くために姑のうちに泊まった時のこと。かねてから新居探しをしていた私達はいいマンションが見つかったので近々モデルルームを見に行く話をしました。姑は金のことしか頭にないようで金の話しかしません。「貯金はあるの?」からはじまって、延々と質問攻撃です。私も旦那もマンション購入に必要な知識は全て調べ上げています。何を質問されても答えられる私達に姑は何故か渋い顔。この後、姑は不思議な話を私達にします。(少なくとも私にはこの時そう思った)私達が結婚してから、旦那の親はまだ1度もうちにきたことはありません。いつもこっちが出掛けていたし、来るということも言い出さなかったし。姑は結婚当時から「新居が決まってきちんとしたらお邪魔するわ」とよく言っていたので私も旦那もそのつもりでいました。姑は、「今住んでいる家に私が行かないのは中途半端なあなた達の家をお父さん(舅)にみてもらいたくないの。新しくマンションを買って、きちんとした状態でみてほしいの。あなたが(旦那)ここまで立派に育ったことやマンションを買えるくらい、私がここまで立派に育て上げたことをお父さんに認めさせたいの。あなた達なら分かるでしょう?」と、同意を求めてきました。さっぱり意味が分かりませんが、とにかくこれは女としてのプライドがそうさせているんだろうなぁということは分かりました。そんなオーラをバシバシ感じました。でも私はちょっと複雑な気持ち。私達が一生懸命に生活している場を“中途半端”という言葉でくくったから。「世間体」とか「格好がつかない」とか周りの目をとても気にする姑は今の私達の住まいも気に食わなかったんだな、とその時初めて知りました。
2003年03月28日
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舅はそのまま仕事場まで送ることにしました。仕事場に着くと、舅は自分の醜態を謝るどころか当たり前のように車を降りてこちらの方を全く振り返りもせずにさっさと帰って行きました。姑はふいに口を開き、その尻拭いをするのかと思いきや「お父さんがここまで出掛けてきた、という事を認めてあげてね」と恩着せがましい言葉を何度も何度も私に浴びせました。舅はもちろんの事、姑も自分達のした事を正当化しようと必死だったのでしょう。この後に、伯母さんの家に新年のご挨拶に行ったのですがその時姑は「人が多くてゴミゴミしてたわーー!」と悪い事を強調し、自分達のした事には触れません。「まぁ~、いやだ!そんなとこ行かなくてよかったわ!あははは」というやり取りを目の前でされ、何とも言えない気持ちでその場にいた私。父と母にはこんな人たちに気を遣わせて申し訳ない気持ちでいっぱいでした。やっぱり旦那は息子なんですね、特に何とも思わなかったようで文句を言う訳でもなくそのやり取りを普通に聞いていました。姑は露天風呂でのぼせてしまい、フラフラしてしまったんですがそれも私のせいのように言っていましたね。富士山が日の出で赤く染まっていく様子を露天風呂に浸かりながら見ていた私達。それはそれは本当にきれいな富士山でした。でもその美しさに見とれてしまいずっと入りっぱなしだったからのぼせるのも当たり前といえば当たり前。(その間、30~40分くらい入っていたので)「だからあの時、1回お風呂から出る?って聞いたのに」と。そりゃあ確かにそんな事も聞かれましたが、まさかそれが“のぼせそう”というサインだったなんて!!誰が気づくんだよっ!自分の体調管理くらい自分でしましょうよ~~、子供じゃないんだから!!
2003年03月23日
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旦那の両親が来るならと、私の両親はのんびりご飯が食べられるように個室を予約した方がいいと言ってくれたので1ヶ月も前から予約していました。そうすればむこうのご両親も他の人の目を気にせずに横になれる、と。(朝も早かったのでそういうところまで気を使ってくれたようです)温泉にも入り、もうすぐで個室を使える時間になる、という時です。舅は何故か自分の荷物を整理し始め突然「帰る」と言うのです!!旦那も私も、姑でさえびっくりしました。姑や私の家族の中ではお風呂に入ったあとに和気あいあいとご飯を食べて交流を深めましょう、みたいな気持ちだったので「これからなのに?」という感じだったと思います。姑や旦那がどんなに引き止めたり、説得したりしても「送ってくれないならここから一人で帰る!」とだだをこねる始末。しまいにはわざとらしく胸をおさえて「心臓が苦しい~」とサル芝居。はぁ・・・。こうなってしまうともうお手上げです。私達はご飯を食べる事もなく、結局その場を後にする事に。私の兄は旦那の親がいないところで「お前も大変だな・・」と心配そう。仲良くしているところを見てもらってみんなには安心してもらいたかったのにな。でもやっぱり、旦那の親のことを思って色々してくれた私の両親には本当に申し訳なくて、笑顔で「気にするな」と言った父の顔が忘れられなかった。自分の親を目の前でないがしろにされた気分はどうやっても拭えませんでした。帰りの車の中、姑も旦那も舅を責める事は全くなく、まるで“予定通りのドライブ”でもしているかのように穏やかでした。何故旦那が舅に文句を言わないのかさっぱり理解できなかったけれど私はもうすでに、精神的に相当疲れていたのでそんな事さえ考えられなかった。その帰りの途中、ちょっと大きなサービスエリアでトイレ休憩しました。さっきあんなに胸をおさえて「苦しい苦しい」と連呼していた舅は涼しい顔してお土産選びをしているではありませんか!!私が怒りに打ち震えたのは言うまでもないでしょう。今すぐここでくたばっちまえ!!!!このクソジジイ!!
2003年03月21日
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その露天風呂のウリは“朝日で赤く染まる富士山が見れる”というもの。そのため、日の入りの時間に合わせてお風呂に入るのです。私の家族とは現地で落ち合うことになり、私達は旦那の実家に泊まり夜中に旦那の親を乗せて出発したのです。お正月は毎年泊りがけで旦那の実家に行っていましたが本当なら、今年のお正月には泊まらないで日帰りの予定でした。旦那の休みがいつもより少なかったので日程の調節が難しかったんです。そして、去年の舅の態度にも納得がいかなかった。少ない旦那の休みを削って来ているのに顔さえ出さないなら、無理して泊りがけで行かなくても十分だと思ったからです。しかし、この露天風呂に行くとなればイヤでも泊りがけにならざるを得ない。私と旦那はキツイ予定の中、旦那の実家に向かいました。_________________________________姑に半ば強引に行く事になった舅も、当日になると嬉しそうな様子でした。私は夜中に出発するので移動中少しでも休めるように、とブランケットを用意したりしましたが舅はその上からどっかり座ってしまい「いらん」と一言。心の中で軽いため息。でもこんなことはしょっちゅうです。そして、現地につき私の家族と合流。そろそろ日の入りの時間になるので温泉に入りましょう、という事に。すると、舅は突然「入らない」と言い始めたのです。旦那が「せっかくここまで来たんだから入ろうよ」と何度説得しても「入らない」の一点張り。意味が分かりません。旦那もさすがに頭にきたようで舅を置いて私の兄弟とお風呂に行き、私の父がそれを見かねて一緒に広間に残りました。(健康ランドの休憩する大広間のようなだだっ広い畳敷きのところです)挙句の果ては、タオルが入っていたと思っていた舅のバッグにはぎっしりと仕事の書類が!それを無言で整理している舅。どうやら最初から温泉に入る気なんて毛頭なかったようです。呆気にとられる私の家族・・。私は旦那の気持ちを想うと、本当に胸が締め付けられるようでした。旦那は自分の父と一緒にお風呂に入った記憶がない、と言っていました。温泉に来る前、旦那は照れくさそうに「親父の背中でも流してやろうかな・・」と私に話していました。そんな旦那の顔を見れてなんだかすごく嬉しかったのに。そういう思い出ができるなら、ここに来た価値があったなぁってしみじみ思ったのに。そして、この舅はまだこれだけでは終わりませんでした。
2003年03月20日
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そんなことがありながらも私は変わらず旦那を誘ってむこうの実家に顔を出しに行っていました。私と結婚した事で家族で過ごす時間が増えたと喜んでくれたらいいな、と思っていたし、旦那の顔をみると姑は本当に嬉しそうな顔をするんです。それが私の出来る親孝行だったから。そして、今年の正月。毎年、私の実家では2日に富士山近くにある露天風呂に入りに行くのですが私の両親が「あちらのご両親も誘ってあげたら?」と言い始めたのです。仕事人間で腰の重い舅と、どこにも連れて行ってもらえずに一年中不満の溜まっている姑を気遣ってくれたんでしょう。ただ、私にとっては毎年家族でのんびりとお風呂に入れる楽しみな家族行事なだけに気は重かった。すごくすごく重かった。そしてそれは私以上に旦那もそう感じたようで自分の親にもかかわらずなるべく回避しようとしていた気がする。結局、私の親に「誘ってあげなさいよ~~」等、言われ続け押し切られる形で誘うことになりました。その話をしたら姑はたいそう喜んで子供のようにはしゃいでいました。「露天風呂なんて15年ぶりだわ~」なんて言いながら。(こういうところはかわいい人だな~と思うんですけどね)だた、舅のほうは明らかに渋ーい顔をして首を横に振るだけ。私の親と会うのが面倒くさいのかもしれません。そういう人ですから。姑は必死で「せっかくだから一緒に行きましょうよ」と舅を説得していました。私の親の優しさに感謝しつつも、頭の痛いお正月になるようなそんな予感を抱えながらその日を迎えました・・・。 つづく。
2003年03月19日
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結婚してる方は少なからず経験しているんではないでしょうか?「あなた達、子供はまだ?」・・これです。このセリフ。どうして簡単にそんな事聞けるんでしょうか?私には理解できない。子供を作るとか作らないとかって夫婦が決める事であってあくまでも姑とかの第三者に、とやかく言われたくはないのです。私にはその言葉が「あなた達、ちゃんとセックスしてるの?」と聞こえてならないのです。そのような力を持つ言葉であると気がついて欲しい。つまり、あなたにそんなことを報告する義務はないのです。結婚=出産だ、とでも思ってるんですか?勘違いしないで下さいよ。そうは言っても旦那は一人っ子なので当然孫は楽しみにしているでしょう。そんな事は言われなくても分かってること。あなたの視線は痛いほど感じていますよ。そして私の兄弟もまだ誰も結婚していないので私の親にとっても初孫なんです。私は自分の母親と話したときに「子供はまだ作らないつもりなの」と話したことがあります。驚くかな、悲しむかなと思いつつ。すると母は「そんなの夫婦で決める事だよ。ずっと二人がよければそうすればいいし、欲しくなったら努力をすればいい。私にはカンケーないよ。」との返事。さっぱりしてるなぁ~とこっちがあっけにとられたほどでした。だから余計かもしれません。姑の態度が理解できないのです。姑は前に「○○家の子孫なんだから・・」と言ったことがあります。恐ろしい!なんて恐ろしいことなんでしょう。そんな風に考えているなんて!私はおたくの子孫繁栄に協力するために結婚したわけじゃありません。旦那と一緒にいたいから結婚したんです。こんな風に考える人に私の子供は抱かせたくないなぁとしみじみ感じた私はやっぱり鬼嫁なんでしょうね・・。
2003年03月08日
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その年のお正月、いつもなら昼間に顔を出すはずのお舅さんがとうとう最後まで「仕事が忙しい」という理由で顔を見せませんでした。私は自営業の家で育っていないのでどれだけ忙しいかは分かりません。何度かお店には行った事がありますが普段の日でもまばらにしかお客さんは来ないようなお店。(卸しの方が主なので)お正月ってそんなに忙しいのかな・・?と私の中では疑問でした。わざわざここまで来たくもないのに新年のご挨拶のために来ているのに、顔を見せるどころか電話さえよこさないお舅さん。こっちは泊りがけなのに、夜中も仕事してるんでしょうかねぇ。誰もそのことに不満を言わずにいるあちらのみなさん。お舅さんのこういう行動はよくあることなんだそうで。ただ、私の中ではお舅さんへの見方は変わりました。あちらの家族は礼儀とか、そういう言葉をよく使っていたので言ってる事とやってる事のギャップがみえてきたから。
2003年03月07日
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お姑さんは「なにもお正月にそんな話をしなくたって・・・」と明らかに難色を示したそうです。でも、お正月みたいにくぎりのいい時でもなければこんな話はできなかった。あなた達がそういう空気を作っていたから。旦那はそれを小さい頃から感じていたから何も聞けずに、そして、何も聞かずにここまできてしまった。その結果、私や私の両親まで巻き込む形で。しばらくの沈黙の後、「私も、母である前に女だし・・」お姑さんはこう、ポツリと言ったそうです。ただならぬ雰囲気を感じた旦那は結局、これ以上は聞けずにその話は終わってしまいました。私は帰宅後にそれを聞いて、なんだかものすごく腹が立ったのを覚えています。何も聞かなかったのをいい事に、隠し通そうとしていたその根性。何十年もの間、言葉にしなかったその思いを、やっと口にした息子に対して“女としての主張”でかき消してしまったその態度。それを聞いた旦那の複雑な気持ちを思うといたたまれなかった。お義母さん、あなた達は何をそこまで隠しているんですか?どうして息子にさえ内緒にしているのですか?言いたいことはたくさんあったけれど、まだ私の出る時期じゃない。それを何度も心の中で繰り返して、作り笑いを絶やさぬように今まで通り、毎月顔を出しに行っていました。私が出来る事は、それだけ。そしてこの頃、再び私の身体に変調が起きたのです。考え事をするとほっぺが真っ赤になって火照りがおさまらないのです。ほっぺの血管が最大限開いて、ものすごいスピードで血が巡っているような感じで、とにかくじんじんして、重たい気がしました。そうなってしまうと本当につらくて少し横になって休むしかありません。ストレス・・。もうその言葉さえ聞きたくありませんでした。
2003年03月06日
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お正月はいつも2日くらいに旦那の実家に行きます。元旦に行っても仕事で忙しいからとお舅さん、顔を出しません。日用品のお店って元旦も忙しいんだ~と私も旦那も思っていてそれ以上は別につっこんで聞かなかったから。お姑さんの住む玄関のドアを開ける前に、旦那は私がいない時にそれとなく両親のことを聞くと言いました。本当は私もその場にいて、一緒にお話を聞きたかった。でも、まずは親子の会話が必要だと思っていたからそれは言わずに「そうだね」とだけ言いました。お正月は、夜にむこうに着いて、お姑さんと三人で食事をとり次の日にお舅さんや伯母さんが集まります。仕事が終わってもお舅さんがここに来る事はありません。お舅さんのお店がここから近いことは知っていたので挨拶をしにちょっとでも顔を出しに行こうとするとお姑さんは必ず「忙しいから」と私達をたしなめていました。そして、私がお風呂に入っている時、旦那は核心に迫ったのです。「お母さんたちは・・一体どうなってるの・・?」と。本当はもっときちんとはっきり聞くべきなんでしょうが、彼にしてみたら、それがやっとの言葉だったのでしょう。まさか息子がそんなことを口にするとは思っていなかったお姑さん。驚きを隠せない様子で、しばらく無言だったそうです。この時、お姑さんは一体どんなことを考えていたんでしょうか・・。つづく。
2003年03月05日
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結婚してから私は将来の不安にかられるようになりました。旦那の親について旦那さえ何も知らなかったから。私は結婚前、自分の祖母を自宅介護していました。その時に取った資格でその後、老人介護の仕事もしました。だから余計に親の老後のことを考えていたのかもしれません。しだいに私は旦那に「自分の親のことなんだからはっきりさせなきゃ!」と、せっつくようになりました。私は不安でした。旦那の親のどちらかに万が一のことがあってもこのまま何も知らない状態じゃ対応ができないと思っていたから。まだ元気な二人ですが、明日の事なんて誰も分からない。ただ、この話をすると旦那は「うーん・・」と言ったままいつも黙ってしまいます。まるで触れてほしくない傷であるかのように。私が言うべきことではないのかもしれない。でも親子なのにこんなに疑問だらけで何も知らないフリしてるなんて。仮にも親子になったんだから私達には知る権利があるんじゃない?私は旦那に一つずつ話して聞かせました。このまま問題提議せずにいたら必ず起こりうる様々な出来事を。・・・そんな会話をしていくうちに旦那も親のことを知るのは必要なことだとしだいに考えたようでした。そして、2度目のお正月がやってきたのです・・。
2003年03月04日
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みなさん、お正月はやはり泊りがけで帰省していますよね?当然うちも泊りがけでむこうに行きます。・・・気が重いです。毎年。一番最初のお正月に、お姑さんと伯母さんに言われた事があった。「これからは○○さん(旦那)のことは全てあなたにかかってくるんですから毎年痩せてしまったか、太ってないか、チェックしますからね」と。「そうそう!」なんて嬉しそうに笑い合っているお姑さんと伯母さん。「はぁ・・」と肯定とも否定ともとれるような曖昧な返事をした私。冗談で言ってるのか、本気なのか分からなかったけど、当時の私はただ戸惑うばかりでした。今思い返すと、あの二人には明らかな悪意を感じるんですけどね・・。そしてそれからも。毎月会ってるのにも関わらず、「○○さん、少しやせたんじゃない?」とのたまうお姑さん。おいおい、ほんの2週間前に会った時は「少し太った?」って言ってたじゃないの。もうボケたんですか?疲れてるんですか?お義母さん。
2003年03月03日
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誰にでもありますよね、誰かに言われたささいな一言。気にしなければいいんだけど、気になってしまうような言葉。お姑さんに言われると余計に気になるのはどうしてでしょう・・。ある、桜の季節でした。普段からどこにも連れて行ってもらえないお姑さん。旦那が誘うと嬉しそうにお舅さんがついてきます。(お舅さんはお姑さんと二人でお出かけしたくないのかな?)お舅さんとお出かけできるのが嬉しいお姑さん。「お花見なんてもう20年もしてないわ」とお姑さんがポツリと言っていたのを覚えていたのでお花見の時期だから誘ってあげたら?と旦那に声を掛けたんです。旦那はそういうこと、あまり気がつかない人。有名なお花見スポットは少しずつ桜が散り始める頃。でもとてもきれいな桜に喜んでくれるかなぁと思っていました。(満開の時お誘いしたら忙しいから無理と断られたのです)何時間かかけて旦那の実家に行き、そこからまたこのお花見場所までやってきた私達。毎月の顔出しとはまた別にここまで来ました。桜を見上げたお姑さんは軽いため息を漏らし、「あんまりきれいじゃないわねぇ」と一言。そんなこと、今ここで言わなくたっていいんじゃないの?と思いつつすごく悲しい気持ちになりながらも苦笑いして「すみません」とつぶやく私・・。2年経った今でも、桜の時期が近づくとその一言を思い出します。私って執念深いのかもしれませんね。
2003年03月02日
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この伯母さん、初めて会った時はそうでもなかったんですが、すごい暴言(?)を笑いながら言うんですよ。会ってから2度目の入籍した年のお正月のことでした。みんなで団欒していた時、「tyerikoちゃんは血液型、何?」いきなりなんだろう?と思いつつ、「B型ですけど・・?」と答えた私。すると間髪入れず、「あ~~、B型かぁ。じゃあ自己中心的なのね。」と、一人納得。そして「B型の人ってのは全て自分中心に物事考えるのよねだからtyerikoちゃんも自分中心に物事考えるんでしょ。まったくねぇ・・・。」はあああぁぁぁぁ??????私はこの人のために様々な気を遣ってきました。どうしてこんなこと言われなきゃいけないのか分からなくてくやし涙を必死で堪えました。旦那はすぐ横で気づく様子もなく、テレビをみて笑っていました。伯母さんとお姑さんは「自己中なB型」の話で盛り上がっています。・・・ここには私の味方がいないんだ、自分の身は自分で守ろう。そう固く心に決めた初めてのお正月でした。余談ですが、この伯母さんの家に行くと大きな額縁に写真が飾ってあります。笑顔で微笑むその人の名は「サイババ」なぜサイババなのかは旦那も(ある意味)怖くて聞けないそうな。
2003年02月26日
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結婚式は梅雨時期にもかかわらずいい天気で、滞りなく行われました。2人の友人知人が集まってみな笑顔で祝福してくれました。もちろん、誰一人として私の円形を知る人はいません。ヘアーメイクの人と事前に相談してなんとか上手に隠してもらえました。幸せでいっぱいなはずの花嫁に円形が2つもあるなんて、絶対に知られたくなったから・・・。ただひとつ気になったのはお舅さんが終始サングラスをかけていたこと。どうしてこんな日に、こんなところで(室内にもかかわらず)サングラスをかけなければいけないのでしょうか・・。確かに私の両親は旦那の家庭のことを気にしていました。旦那のいないところで「きっと複雑な事情があるよ?」と。それでも結婚を許してくれたのは旦那の人柄だと言ってくれました。私も旦那の親と結婚するわけじゃないと思っていたし、その時は幸せであまり深くは考えていなかったんです。お姑さんとお舅さんにまつわる、いくつもの疑問に・・。
2003年02月25日
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私は旦那の実家に行くと途端に「透明人間」になります。そう、旦那の親には私の姿は見えていないのです。以下、○○に入る名前は旦那の名前です。むこうに着くと「まぁ~、○○さん遠くからわざわざお疲れ様」「道路は混んでなかった?疲れたでしょう?」などと、お姑さんはすべて旦那のほうだけを見て話し掛けます。にこやかに答える旦那。誰も見ていないのに後ろのほうでヘラヘラ作り笑いをしている私。「この場に私がいなくてもいいんじゃないか?」という疑問を抱えつつ。旦那は独身の頃、ほとんど実家には帰っていなかったようでした。結婚したら寂しさを感じさせないように毎月顔を出そうと言い出したのは私。だから自業自得だし、お姑さんが喜んでいるのをみるのは悪い気はしない。でもね、「○○さん、来月はいつ来れる?」と毎月来るのが当たり前というあの態度。ここまで来るのはタダじゃないんですよ、お義母さん。気持ちでやってる事を支えてくれるのは、やっぱり相手の気持ちだと思う。旦那は私の事を気遣ってはくれるけど、そんな親の態度には気づく様子もない。私がいない時を見計らって、旦那におこずかいを渡すお姑さん。それを私に話さないで、自分の懐に入れた旦那。(のちのち判明)高速代も手土産代も毎月ともなればいい出費です。やりくりしてるのは旦那じゃありません。私です。やってられないよ。こうして円形ができてからも毎月の義務はかかさずやっていました。その頃になると、最初にできた円形は握りこぶし大になっていました。この2つの円形を抱えたまま私は結婚式を迎えたのです・・。
2003年02月24日
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しばらくはそんな風に暮らしていた私も時間と共にこのままじゃいけない!と思い、少しずつ元気を取り戻していったと思います。同じ頃には結婚式の準備にも大忙しでお姑さんのことを考えてる余裕もなくいい意味で忘れる事ができたかもしれません。それでも外に出る時は帽子をかぶったり、鏡をさけて通ったり・・。旦那はそんな私を見ているのがとてもつらかった、と後から聞かされました。その頃、円形脱毛症になった女性のドキュメント番組が放送されていました。はじめは円形で、みるみるうちにそれが大きくなり最後にはほとんど毛髪がなくなってしまった方のお話でした。自分とダブるその姿・・。恐ろしくなった私は、鏡を見ずにはいられませんでした。何かを探すように・・でも何も見つかりませんようにと祈りながら。そこで私が発見してしまった第2の円形・・・!!愕然としました。それは結婚式まであと2ヶ月に迫った、みどりの日のできごと。
2003年02月23日
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ごめんなさい、この日の日記何故か消えてしまいました・・。(涙)保存もしてません。すみません。記憶をたどって書きますので(あまりいないとは思いますが)一度読まれた方は多少違ってても見なかったフリしてくださいね。___________________________その頃私はバイトをしていたんですが、髪の毛を結ばなければいけない職場でした。左側の生え際にできた円形はどうやっても隠せずに露出してしまうんです。それがたまらなくいやで、結局そのバイトは辞めてしまいました。それからというもの、私の生活はすんさんでいきました。人の視線に耐え切れず、家からは一歩も外へは出ずにいました。ぶつけようのない気持ちを抱えたまま、悶々と暮らしていました。いつまでも離れないお姑さんの言葉。夜は明け方になる頃にならないと眠れず、朝は起きれるはずもなく昼過ぎまで寝てしまう。飲めないお酒を昼から飲んだり・・。しかしそんな私を見ても旦那は決して叱ったりせず、「飲み過ぎないように」と私をたしなめるだけでした。結婚式を6月に控えた、3月のこと。
2003年02月22日
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それからしばらくは、寝ても覚めてもお姑さんのことばかり考えていました。電話でかなりボロクソに言われたので、本当に泣いて暮らしていました。旦那は自分のせいで申し訳ない、という感じだったのでお姑さんに対する気持ちは表に出さないように、でも、嫌いにはなっちゃいけないと頑なに思い続けました。私さえ我慢すればいいと思っていましたし、そうするべきだとも。しかし、そんな私に体が先に悲鳴をあげたのです。いつものようにドライヤーで髪の毛を乾かしていた時、“それ”を発見しました。左頭部に、500円玉くらいの大きさの円形脱毛。・・・私と旦那は声を失いました。それは、お姑さんとの電話から2ヶ月が経ったある日の事・・・。
2003年02月21日
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それからしばらく経ったある日の事。旦那が仕事に行ってる時間にふいに電話が。伯母さん(お姑さんのお姉さん)でした。何故か戸惑ったようにそそくさと電話を切ってしまう伯母さん。(以前に面識はありました)この伯母さんは独り身なので旦那を自分の子供のように可愛がっていたようです。なんの用事だったのかなぁ・・?と思っていると再び電話が。「もしもし?」の声。お姑さんだ。・・あれ、しょっぱなからご立腹の様子。どうやら私達が一緒に住むことを知らなかったらしい。説教されること、数時間!伯母さんは出るはずのない私が電話口に出たもんだから、びっくりして速攻お姑さんにチクったらしい。で、わざわざ電話してきた、と。「一体何を考えてるの?!!」「礼儀という言葉を知らないの?!」と一気にまくし立てられた。私はただ謝るばかり・・。だって、私は当然お姑さんも知ってると思ってたんだもの。旦那が「準備はできてる」って言ったからもちろん話してると思ってた。私が旦那のうちに服などの小さな荷物を持ってくるだけのことだけどまさか自分の親の許可を得てなかったなんて・・。本当はこの何日か後、旦那の休みがあったのでその時に改めてご挨拶すればいいかなぁと気楽に考えてた私。・・・甘かったなぁ。でも、そんなこと言っても始まらないし。確認しなかった私もいけない・・。でもでも、自分の息子に怒らないでどうして私に怒るんだろう・・って腑に落ちない気持ちもあった。まだ入籍したばかりなのに・・って。長い長い嫁姑の関係なのに、もうつまづいてしまったってあの時はものすごくショックでした。それからしばらくの間は、いつもいつも泣いていました。私に突き刺さった、お姑さんの言葉のトゲが刺さったまま抜けなくて。
2003年02月20日
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