Half Full!~PD~

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「カウンセリング」とは


私はパニック障害5年目だが、病気ときちんと向かい合ったのは去年から。
それまでは家族の理解もなく、また、関係するHPを読んでも、失礼ながら他の方の辛さに感情移入するとつられてしまって、自分の発作のきっかけになってしまっていた。一人で知識を得ようとしてはいるものの、どうしても一人で得る情報というのは、悪い方に取るし、私の場合は悪いほうに働いてしまっていた。だから私は向き合いたくない自分をうまくごまかし、ムリヤリ病気に蓋をした。
(ムリヤリ蓋を出来る自分もすごいなと今では思ったりもする)

去年からやっと良い病院にめぐり合い、通院とカウンセリングが始まった。
医者については昨日の日記にしたから、今日はカウンセリングの話にする。

担当は女性。私より年下(20代後半)。普段着っぽい感じに白衣をはおっている。
最初は正直どこかで、「この人で大丈夫か??」と思っていた。
でもカウンセラーのきちんとした会話の内容と、もうこっちは心の瀕死で、ワラをもつかみたい気持ちだから、「ここで素直にならなくてどうする!」という自分の心の言葉を受けて緊張しながらも結構早めに心を開いた。「治したいなら心をひらかなくては」というちょっとした義務感もあった。

カウンセリング室からは泣きながら出てくる人も見た。
でも私はどんなにピークの発作の時でもカウンセリング中は涙がウルウルすることがあっても、決して泣かなかった。帰りの電車では、ポロリポロリと止まらないことはあるのに。(そんなところが病気に蓋を出来てしまう部分かも)
素直に話はしていても涙だけは踏ん張っていた。

ところが先日、1年ちょっとお世話になっていたカウンセラーの彼女が退職されるので最後のカウンセリングのおしまいに、「ありがとうございました!」と言った途端に、自分でもビックリするほどの涙が出た。ドーッと!もう、ゴーッと!!(笑)驚いた、驚いた!!

そして、後から感じたことだが、今まで人生で感動や感謝はすることがあっても、一人の人間に対してこんなに無垢な「ありがとう」って気持ちもあるんだなって自分で感心してした(笑)。その時初めて、「私にとってカウンセリングはこんなに大切だったんだ!!」と、ほんとに後から実感した。

もし、時間があって、心の負担にならないようだったら、心の病の方にはカウンセリングもいいと思う。私も1年以上続けた今頃になってわかってきた。実感してきた。
それまでは、『カウンセリング』に行くのも緊張しすぎたりとちょっと頑張らなきゃならないし、決してカウンセラーは、「こうしなさい」とかの提案や、否定意見は言わないから、こんなんでいいのかな~、と思ったりもした。なぜなら、「治してもらえる」みたいな依存と期待も持っていたから。

ところがぶっちゃけ、カウンセラーは何をしてくれるわけではない。でも自分が口に出して初めて「私こんなこと思っているのか」と、改めて気付くときもある。
「なぜそう思うのですか?」と聞かれ、「確かに自分で決め付けてるけどなんでだろう・・・」と思ったりする。
それがきっかけで、辛さで固まった頭が柔らかくなり、貝のようになっていた「聞く耳」の隙間が開く。
そんなことを繰り返して、病気の捉え方が少しずつ変わる。すると少し楽になる。そしてちょっぴり自信がつく。
捉え方を変えて行けるのは、自分でも気付かない自分の奥底にある『私の生きる力』だったのだ!
すると不思議と、死にたいくらい辛かったし、あんなに自分は『生きる力が足りない駄目な私』だったのに、結構よく踏ん張ったな~。もう駄目だと思っていたけど、生きるための力って、自分でも気付かないような奥底に残っていたんだ~。』などと思う。それが自信がつく源。

何かをしてくれるわけではない。
でも『カウンセリング』ってそんなもんだと思う。


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