男女 の法は、良男 ・良女 共に所生 らむ子は、其の父に配 けよ。若 し良男、婢 を娶 きて所生らむ子は、其の母に配けよ。若し良女、奴 に嫁 ぎて所生らむ子は、其の父に配けよ。若し両家 の奴婢 の所生らむ子は、其の母に配けよ。若し寺家 の仕丁 の子ならば、良人 の法の如くせよ。若し別に奴婢に入れらば、奴婢の法の如くせよ。今し克 く人に制の始めたることを見 さむ。」
(『新編 日本古典文学全集 日本書紀3』小学館. p.121)
〔現代語訳〕
また男女の法は、良男・良女の間に生れた子は、その父につけよ。良男が婢を娶 って生れた子は、その母につけよ。もし良女が奴に嫁いで生れた子は、その父につけよ。二つの家の奴婢 の間に生れた子は、その母につけよ。寺院の仕丁 の子の場合は、良人の法のとおりとするが、別に奴婢に入っている場合は、奴婢の法のとおりとせよ。今、人々に法の制定の始まりを示すものである。
(同書 p.121下段)
〔頭注〕
【男女の法】生れる子を、男女すなわち父母のどちらに配するかを定めた法。唐令は「戸令」に「良人相姦、所 レ 生男女随 レ 父…」の規定があり、その影響があるか。養老令には良民と賎民の間の所生男女の身分についての規定は「戸令」にあるが、右の唐令に対応する条文はない。
【奴婢】神代紀下・第十段一書第四 (『日本書紀1』187頁 四・五行 ) にみえる「奴婢」の語は、男女の召使の意でツカヒと訓んだ。本条は令制でいう良民に対する賎民の身分で、「戸令」に種々の規定があるが、大化期にはそのような法制はなく、後文にみえる「奴婢の法」は慣習法のことであろう。
【仕丁】令制用語で、養老「賦役令」仕丁の条に規定がある。大化二年正月条の改新の詔の其の四の凡条にも「仕丁」の語がある。ここでは寺に仕えて雑用に従事する男を令制用語を用いて「寺家の仕丁」といった。
【人に制の始めたることを見さむ】『日本書紀通証』(谷川士清)に「見 2 人為 レ 制之始 1 」とは、人々に制と為す始めを知らせることをいうとある。大化の改革は、男女の法という身分法の制定から始ることをいったか。
(同書 p.121頭注)
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