おるはの缶詰工場

おるはの缶詰工場

ガラスの靴2



 仕事柄、いい靴を大事にしている俺が、踵をつぶして履いていたそれを蹴り飛ばすくらいに。

 大泣きした後、冷蔵庫のビールを一缶飲み干した。

 彼の好きだった銘柄のビール。

 そのラベルを見ていたら、彼の気配の残る自分の部屋にいることが耐え切れなかった。

 財布も何も持たず、衝動的に部屋を飛び出した。

 そして、現在夜道をふらふら歩きながら、靴を飛ばして遊んでいる。

 数歩先に、ぼてっと靴が底から落ちた。

「・・・・・・お前、持ち主の俺様に逆らうのか?! 明日は雨だって言ってんだろ!」

 明日のお見合いが土砂降りの雨になればいい。

 そう思うくらい許されるはずだ。

 落ちた靴をもう一度足に引っ掛け、今度は思いっきり足を振り上げる。

 酔っ払いに微妙な力加減など無理だと、思い知った。

 足から離れた靴は、軽々と生垣を飛び越えガシャンと何かが割れる派手な音がした。

「・・・やべ」

 パッと二階の電気が点いた。

 靴ひとつから足がつくことはないし、この暗闇だからダッシュで逃げれば、見つかることはない。

 一瞬のうちにそんな計算が頭の中でされた。

「ガキじゃあるまいし、そんなことできないよな」

 謝るか、としぶしぶ靴を引き取りに玄関へと向かった。

 綺麗に整えられた庭と、カントリー調のドア。普通の家ではこんなものを使わないだろう。

 もしかして、何かの店か? もし、値の張る商売道具を壊してたら、弁償に大金がかかるかも・・・。

 憂鬱な気分で待っていると、程なくして外灯が点き、ドアが開いた。

「誰?」

 かわいい雰囲気のお店だったから、無条件で中にいるのは女性だと思っていた。しかし、それを裏切り男だった。端整な顔つきだが、俺のように女性的なところはなかった。

 俺を見る目に強い光を感じて、嫌いなタイプだと思った

「さっきの音、君が?」

「あ・・・と、はい、すみません、こちらに靴を蹴りいれてしまって、多分何か壊したかと」

 視線が俺の足元に移動する。

 右足だけ靴下なのを見られてしまい、俺はいたたまれなくなった。

「あぁ、もしかしてあれ?」

 指し示す方向を見ると、確かに俺の靴と割れたガラス、そしてビー玉が散らばっていた。

 元は大きなガラスの器で、その中にビー玉を入れて水を張っていたらしい。

 皮肉なことに、割れたガラスやビー玉の中で靴は見事に裏返って着地していた。

「す、すみませんっ」

 片付けようと右足を一歩踏み出した。

「危ないっ」

 後ろから襟首をつかまれて、ぐっと首元がしまった。

 危ないのは、お前だ。と言い返してやろうかと、つかまれていた手を払い振り返った。

「イッ・・・・・・」

 重心が右足に移った途端、足の裏に激痛が走り、俺はしゃがみこんでしまった。

「だから、言ったのに・・・。裸足で歩くからそんなことになるんだよ。まぁ、天罰だと思いなさい」

 当たり前だが、「大丈夫」の一言もない。

 え~え~、そうでしょうとも。見ず知らずの男に冷たく説教されるのも、足にガラスが刺さったのも、男にフラれるのも、全部俺の行いが悪いせいですよ。

 涙ぐむ俺の前に影が落ちる。

 目の前に差し出された手は、お世辞にも綺麗な手とは言えなかった。

 水仕事をする、男の手だった。

「ほら、手当てしてあげるから、立ちなさい」

 悲しみと不幸のどん底にいた俺は、無意識のうちにその手を掴んでいた。


© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: