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娘は3月29日生まれで、1歳になってすぐ保育園の1歳児クラスに入れた。まわりには、もうすぐ2歳の子もいた。幼児の時の1歳の差は大きくて、不安だった。次女ということもあって、いつも幼さを感じていた。30歳頃、2009年、長期でイギリスに行きたいと言って、2年間滞在し、語学学校に行ったり、アルバイトをしたり、バレエのレッスンを受けたり、イギリスやヨーロッパを旅したり・・・。40代後半の今もバレエのレッスンを受け、今回の旅行中、パリでもバレエのレッスンに行った。いつもひょうひょうとしていて、よく言えば物事に動じない。浮世離れしている感もある((´∀`*))ヶラヶラふだんは、あまり、前に出るような性格ではないので、今回のフランス旅行で、改めて、頼りになることを知った。私たちが思っている以上に頼りになる・・・。■2018年:イギリスの旅■でもそう思ったのだが・・・。パリのオペラ座の帰り、「洗濯がしたい」という娘。「ホテルに帰ったら、フロントに場所を聞いてみよう」と夫。「コインランドリーの場所はもう調べてるねん」と娘。こんな調子でつつがなく人生を送っていくのだろうか?と思いながらも、一人暮らしの娘の老後を心配する私たち夫婦は、後期高齢者である。六月や今年も半分過ぎにけり はるな■6月見た映画■*ゴッドマザー コシノアヤコの生涯*国宝*テルマがゆく!93歳のやさしいリベンジ*アメリカッチ*はじまりのうた*ルノワール*マリリン・モンロー 私の愛しかた*黒い瞳*上半期のよかった映画をメモ。■戦場にかける橋■■アメリカン・グラフィティ■■雨に唄えば■■アンジェントルマン■■1980 僕たちの光州事件■■サンダーボルト*■■国宝■■アメリカッチ■■マリリン・モンロー 私の愛しかた■■黒い瞳■■書き残したネタ■*スポーツジムの水が出なくなった話。*枇杷の樹*フランス旅行*関西万博*能登の町が復興する時、考えて欲しい町づくりについて。*ダウンタウン松本氏のスキャンダルについて*アフリカで日本の古着が環境破壊!?*トグサ(研ぐさ)*「篩(ふるい)」と「とおし」*レッドオーシャン、ブルーオーシャン*高師浜・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.30
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■ルノワール■うれしい、楽しい、寂しい、恐いそして「哀しい」を知り、少女は大人になる1980年代後半の夏、両親と3人で郊外の家に暮らしている11歳の沖田フキは、たまに大人たちを戸惑わせるほどの豊かな感受性を持ち、得意の想像力を膨らませながら、マイペースに過ごしていた。時々垣間見る大人の世界は刺激的で、フキは楽しくてしかたなかった。しかし、闘病中の父と、仕事に追われる母との間にはいつしか大きな溝が生まれ、フキの日常も揺らぎ始める。 大人の世界を覗き見る11歳の少女が、人々の心の痛みに触れていくさまを描くヒューマンドラマ。主人公のフキを『ふれる』の鈴木唯が演じるほか、『366日』の石田ひかり、『四月になれば彼女は』の中島歩、『あんのこと』の河合優実、『君の忘れ方』の坂東龍汰、『万引き家族』のリリー・フランキーが出演する。監督は『PLAN 75』で第75回カンヌ国際映画祭カメラドール特別賞を受賞した早川千絵。★母親と二人乗りの自転車。母親の背中にさわろうとして、ふと手を止めるフキ。幼い子どもであれば、なんのこだわりもなく、抱き着くところだろうが、11歳はもうそれが出来ない。★本作に影響を与えた映画として『ミツバチのささやき』『お引越し』『ヤンヤン 夏の想い出』を挙げている。私がみたのは、『ヤンヤン 夏の想い出』だけ。★タイトル名はルノワールの絵画(イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢)に由来し、劇中でフキがこの絵に惹かれ、自宅の部屋に複製画を飾る場面が描かれており、早川自身も幼少期にこの絵の複製画を父から贈られた経験がある。★なぜルノワールなのかと今も考えている。「光と影」をあらわしているのだろうか?★朝ドラ「あんぱん」を楽しみにしているが、主人公・のぶの夫、次郎さん=中島歩とのぶの妹=河島優実が出ていた!!★1980年代後半、この時代、テレクラっぽいものがあったらしい。うちの子どもが、2人とも、1970年代後半だから80年代は、忙しかった。★主人公フキの父親は、末期がん。なんとかワラにもすがる気持ちで騙される父親と母親。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.28
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■はじまりのうた■ニューヨークの空の下。歌と出会って、明日が見えた。ミュージシャンの彼に裏切られ、失意の中、ライブハウスで歌っていたグレタは、落ちこぼれの音楽プロデューサー、ダンと出会う。デビューの話へと発展するが、録音スタジオはなんとニューヨークの街中。路地裏やビルの屋上、地下鉄のホームなどでゲリラレコーディングしていくうちに無謀な企画は思いも寄らぬ事態を引き起こす。 ダンと共にアルバムを制作することになるグレタ。経費節約とユニークさを狙って、街の喧騒や環境音の中での無許可の路上ライブを計画し、腕は良いが後払いの効く無名のミュージシャンを集めて録音するダン。別居中の娘や妻も巻き込んで警官の目を盗みつつアルバムは完成した。★この映画のポスターを見た時、「ONCE ダブリンの街角で」と同じにおいを感じた。もっとも、「ONCE ダブリンの街角で」は見たことがないけれど・・。調べたら、なんと監督が同じだった。それに「ONCE ダブリンの街角で」も近々映画館にかかるらしい。★名前のキーラはゲール語で「黒い髪」という意味。★キーラの歌が聞けた。★キーラのギターだけの歌の上に、ドラムが、ピアノが、バイオリンが・・・。次々に重なっていく度に、曲に厚みが出て、編曲って凄いと思った。★「シング・ストリート 未来のうた」、「ONCE ダブリンの街角で」、そして「はじまりのうた」。監督の作る作品は、音楽がテーマだけれど、彼も音楽に関係しているのだろうか?調べてみたら、アイリッシュ・ロックグループの「フレームス(The Frames)」で1991年から1993年の間、ベースを担当し、バンドのライブ映像、ミュージック・ビデオの監督も務めたそうだ。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.27
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私の小学生の頃、今から65年以上前、今では考えられないことだけれど、田植えの季節になると「田植休み」という休みがあって、2~3日、学校が休みになった。秋には「稲刈り休み」もあった。田植えと稲刈りは、大仕事で、子どもも大切な仕事の担い手なのだ。小学生も高学年になると立派な農作業の担い手だし、1年生や2年生は、幼児の子守など出来る。 秋には、稲の収穫に感謝する秋祭が盛大に行われていて、運動会の翌日の休みとして学校が休みになった。 子どもの私は、百姓以外の身近な職業といえば、学校の先生と交番にいる警察官だけだった。 それなら、いつも皆、ご飯に米の飯を食べていたのかというと、違うのである。私の家は、米だけのご飯は、お祭りや正月だけでいつも麦飯を食べていた。学校に持っていく弁当には、母が麦飯が目立たないように、炊きあがった御飯の下の方をすくって入れてくれた。麦は軽いので炊いたときに、上の方になるからだ。その他、雑炊やお粥など、米の使用を少なくする工夫もしていた。 この頃、テレビでは、米がないと大騒ぎだ。備蓄米の放出も話題になっている。私の子どもの頃、備蓄米などあったのかと調べてみたら、1995年からのことだそうだ。 「田植休み」、「稲刈り休み」が消えて、米を作られなくなった田圃が見捨てられたようにあるのをよく見かける。 私の思い出の中には、麦飯の苦い思い出と共に、「田植休み」や水田を飛ぶトンボ、豊かに実る田んぼ、賑やかな祭の風景など「農」のある豊かな風景の記憶がある。 まなこには母と田植えのなつかしき風景ありて吾を支へる母衣崎 健吾・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.26
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プレイバック俳句:2023~2025.3月そのあまりにも有名なキャッチコピー「NO MUSIC, NO LIFE?」"音楽があることで気持ちや生活が豊かになる"という事。で、私も「NO俳句NOライフ」というタイトルを考えたけど、語呂が悪いので辞めた。■2023年6月■蛍*ほーほーと蛍呼ぶ声闇深し*父母がいて妹がいた蛍の夜*城跡に草深々と夏は来ぬ*五月雨の音静かなり外は闇*朝焼けや燕(つばくろ)低く飛びにけり■2024年6月■走り梅雨*六月や今年も半分過ぎにけり*ゆく春や牛久大仏濡れそぼる(短冊を忘れたので2句のみ提出)■2025年6月■蛍*土橋より見ゆる蛍の揺らぎかな*玉ねぎの艶めいて今日夏生(うま)る*走り梅雨袖の長さの色々と*掘割に波紋広がる長雨(ながめ)かな*梅雨晴れ間柳の色の新(あらた)なり■2019~2022・1月■■2019~2022・2月■■2019~2022・3月■■2019~2022・4月■■2019~2022・5月■■2019~2022・6月■■2019~2022・7月■■2019~2022・8月■■2019~2022・9月■■2019~2022・10月■■2019~2022・11月■■2019~2022・12月■◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■2023~2025・1月■■2023~2025・2月■■2023~2025・3月■■2023~2025・4月■■2023~2025・5月■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.24
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■2025.5.24(土)-2北東から流れ込むローヌ川と、北から流れ込むソーヌ川がリヨンの南部で合流する。ベルクール広場にある観光案内所からソーヌ川に行く。▲ソーヌ川ソーヌ川の観光船に乗った。▲ずらりと煙突の並ぶ建物。▼ 「パリからの旅」で堀内誠一は、リヨンを「煙突とギニュール(操り人形)の町」と称している。整然とした美しい街だ。それもそのはず、この辺りは、世界遺産になっている。▲歴史的な建物が多い▼クラッシックな橋。▲どんどん進むとモダンな橋。▲チーズのような建築。「キューブ・オランジ」ローヌ川の東側には、近代的な建物が並ぶ地域がある。歴史的な建物と近代的な建物が上手く住み分けている。▲写真、右端がローヌ川とソーヌ川の合流地点。ここから引き返した。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆2日間の観光カードを利用して、地下鉄とバスに乗りホテルへ。もちろん、娘レイが先導してくれた。 「レイちゃん、すごいね。はじめて来た町なのに・・・。スマホを見たらどこでも行けるんやね」と言うと「私は、スマホ見てやけど、おねえちゃん(長女・ミナ)やったら、スマホ見んでもいけるわ」とどこまでも謙虚である。●10414歩 リヨン泊5/19■エールフランスでフランスへ■5/20-1■パリ東駅からアールヌーヴォーの町ナンシーへ■5/20-2■ナンシー:世界遺産・世界遺産スタニスラス広場など■5/21-1■1デイチケットで美の町ナンシーをまわる■5/21-2■ナンシーでアールヌーボーな2つの邸宅美術館■5/22-1■ドイツ風木組みの町・ストラスブール■5/22-2■世界遺産・ストラスブールをガイドさんと歩く■5/23-1■世界遺産の町・コルマールへ■5/23-2■アルザスのベニス:世界遺産・コルマール■5/24-1■フランス第二の街・リヨン/リヨンはライオン/抗議デモ■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.23
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2025.5.24(土)-1エールフランスでパリに着いて、1泊ナンシーで2泊ストラスブールで2泊した後、リヨンに向かうことにした。ここからは、旅も後半に入る。朝ごはんをしっかり食べて出発。▲ストラスブールの駅で連結する列車を真剣に見るこども。ストラスブールからリヨンまで4時間もかかる。効率が悪いな・・・。リヨンって見どころがあるのかな?という思いでリヨン行の列車に乗る。この日も2階の席だった。向かい合う席に老女が猫のゲージを抱いて座っていた。老女は一人旅なのかと思っていたら時々スマホで会話して(フランス語)その度に、孫のような若い男性が老女の席に来ていた。一緒に座れる席が取れなかったのだろう。通路の反対の席は、ドイツ語を話す夫婦と女の子2人。ドイツ語を話すからといってもスイス人かもしれない。4時間の間私はパリのメトロの地図やガイドブックを広げてあれこれ考えていたらあっという間にリヨンに着いた。 観光案内所はないかと駅のスタッフらしき人に聞いたが「スマホを出して言え」という。スマホに向かって日本語を喋って、翻訳機能でフランス語に変換。スタッフがフランス語で喋って翻訳機能を使って日本語に訳す。この経験もはじめて。結局、観光案内所は駅には無かった。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆かつては、船旅だったのでマルセイユに着いた客は、陸路リヨンを目指したという。そこからパリを目指したのだろう。 永井荷風が横浜正金銀行の社員として滞在したこともある。 作家の遠藤周作は、日本人の海外留学生が稀少だった1950年から1953年にかけてリヨン大学に学び、のちの作品でもしばしばこの地を登場させている。▲リヨンとはライオンが語源だと次の日ガイドさんに教えてもらった。▼あちこちでライオンを見た。ホテルに荷物を置いて、離れた場所にある観光案内所に行った。時間がないのでタクシー使用。▲観光案内所は、ベルクール広場(右下青の〇)にあった。ここで2日間の観光チケットを買った。地下鉄やバス美術館など含まれているのでいちいち買うより便利。太陽王ルイ14世の騎馬像のあるベルクール広場の一角に観光案内所があって、こんなほっとする場所もあるが、ボートの時間が迫っているので河辺に急いだ。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆船着き場の近くの道路で賑やかな音楽と大声が聞こえて来るので野次馬的性格の私は見に行った。ベールをかぶって黒い民族服を着た女性が白いものを抱いている。見ると白いものは、赤く染まっていた。「血だ!」と思って屍を抱いているのかと心臓が止まるくらい驚いた。「私たちの国では、戦争で多くの若者が亡くなっている」という敵国への抗議のデモだったのだろうか?見て見ぬふりをし、和平に動かない世界の国に対しての抗議のデモなのか・・・。5/19■エールフランスでフランスへ■5/20-1■パリ東駅からアールヌーヴォーの町ナンシーへ■5/20-2■ナンシー:世界遺産・世界遺産スタニスラス広場など■5/21-1■1デイチケットで美の町ナンシーをまわる■5/21-2■ナンシーでアールヌーボーな2つの邸宅美術館■5/23-1■世界遺産の町・コルマールへ■5/23-2■アルザスのベニス:世界遺産・コルマール■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.21
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■アメリカッチ■自由はいつも心の中に20世紀初頭、オスマン帝国(現:トルコ)によるアルメニア人への迫害から逃れるために、幼少の身でアメリカに渡ったチャーリーは、1948年、自身のルーツを知ろうと祖国アルメニアに戻る。ソビエト連邦の統治下であっても、理想の故郷と思えたからだ。だが、故郷での新生活に期待を膨らませていた彼は、食料を求める長蛇の列、劣悪な生活環境、そしてソ連による統治の重圧に直面する。どうにか生きる道を探っていたある日、彼は不当に逮捕され、収監されてしまう。悲嘆に暮れながらも、牢獄の小窓から近くのアパートの部屋が見えることに気づき、そこに暮らす夫婦を観察することが彼の日課となる。いつしかチャーリーは、夫婦の生活に合わせ、あたかも同じ空間にいるかのように一緒に食事をし、歌を歌い、会話を楽しむようになっていた。ところがある日、夫婦仲がこじれ、部屋には夫だけが残される。時を同じくして、チャーリーのシベリア行きが決まる。移送の期限が迫るなか、チャーリーによる夫婦仲直り作戦が始まる……。 アルメニア系アメリカ人のマイケル・グールジャンが、監督・脚本・主演を兼任した、どんな過酷な状況でも常に生きる希望を失わないヒューマンドラマ。グールジャンは、アルメニア人ジェノサイドの生存者を祖父に持ち、本作を企画した。共演は「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」のホヴィク・ケウチケリアン。世界各国の映画祭で19の賞を受賞し、第96回アカデミー賞で国際長編映画賞のショートリストにも選出された。■アルメニア人虐殺と第一次世界大戦後の影響■第一次世界大戦中、オスマン帝国はアルメニア人に対する大規模な迫害と虐殺を行いました。この出来事は「アルメニア人虐殺」として知られ、150万人以上のアルメニア人が命を失ったと言われています。その結果、多くのアルメニア人が祖国を離れ、海外で新たな生活を始めることを余儀なくされました。この悲劇は現在も国際的な歴史問題として議論されています。■ソビエト連邦時代と1991年の独立■1918年にアルメニアは短期間ながら独立を果たしましたが、1920年にはソビエト連邦に組み込まれ、アルメニア・ソビエト社会主義共和国となりました。ソ連時代には産業の発展が進められましたが、政治的自由は厳しく制限されました。1991年、ソビエト連邦の崩壊とともにアルメニアは独立を宣言し、現代のアルメニア共和国が誕生しました。★毎週映画に行っているが、映画に行くには、理由が複数ある。この映画は、これまで知らなかったアルメニアという国の歴史を見たいと思ったから。アルメニアという名前は知っているけれど、その歴史を全く知らなかったので知りたいと思った。★アルメニアは南コーカサス地域に位置し、西アジアに属する内陸国。西にトルコ、北にジョージア、東にアゼルバイジャン、南にはイランと国境を接している。特に西のトルコとは複雑な歴史的背景を持ち、東のアゼルバイジャンとの間ではナゴルノ・カラバフ地域を巡る紛争が続いています。主人公の祖母たち村の人々はトルコ人?に虐殺されていた。主人公は、奇跡的に助かり、アメリカに渡った。★タイトルの「アメリカッチ」とは「アメリカ人」という意味。★地殻運動が活発な地域に当たり、火山活動や地震が多く、1988年の大地震では2万人以上が犠牲になりました。*主人公たちが収監されていた時も、大きな地震が起き、塀が崩れ、牢獄の小窓から近くのアパートの部屋が見えるようになった。*小窓からアパートを眺めて楽しそうに暮らす主人公・チャーリー。どんなところにいても、笑顔でいれば必ず救われると言いたいのだろうか。この作品を見ていたら「ライフ・イズ・ビューティフル 」を思い出した。「ライフ・イズ・ビューティフル 」は、多くの賞をとった名作と言われるが、私は好きではない。あまりに呑気すぎると思うから。ホロコーストのどこに希望があるというのだと思うから・・・。ホロコーストの描き方については、「歴史的現実を過度に美化している」として、ユダヤ系団体や一部の批評家からは本作における表現手法の倫理性やバランスに疑問を呈する声もあがった。というが、私もそう思う。アルメニアは、隣国のアゼルバイジャンとの間に紛争がある。早く平和になって欲しい。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.19
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■テルマがゆく!93歳のやさしいリベンジ■老人スクーターでぶっ飛ばせ!93歳のテルマ(ジューン・スキッブ)は、夫に先立たれ、寂しくも気楽な一人暮らしを謳歌していた。ベストフレンドは、心優しい孫のダニエル(フレッド・ヘッキンジャー)。ところが、そんな穏やかな日常を送っていたテルマの運命は、一本の電話で大きく変わってしまう。“おばあちゃん、オレオレ。事故を起こしてしまったよ!”。刑務所にいると語る愛する孫を助けるため、テルマは急いで保釈金1万ドルをポストに投函。だがそれは、“オレオレ詐欺”だった……。落胆する娘夫婦を見て、いても立ってもいられなくなったテルマは、詐欺師たちからお金を取り戻すため、インポッシブルなミッションの遂行を決意。旧友ベン(リチャード・ラウンドトゥリー)を巻き込み、電動スクーターでロサンゼルスの街を駆け巡る大冒険に出発する。果たして、テルマのミッションの行方は……!? 「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされるなど、名脇役として知られるジューン・スキッブが、93歳で初主演を飾ったスロー・アクション・コメディ。気楽な一人暮らしを謳歌する93歳のテルマはある日、特殊詐欺に引っかかってしまう。お金を取り戻そうと、テルマは電動スクーターで大冒険に飛び出す。共演は「グラディエーターII 英雄を呼ぶ声」のフレッド・ヘッキンジャー、「黒いジャガー」のリチャード・ラウンドトゥリー。これが長編初監督となるジョシュ・マーゴリンが、祖母テルマの実体験を基に執筆した脚本を映画化。★映画メモ★★映画の中で、老人用電動スクーターが爆走する。このスクーターは免許がいらないそうで、後期高齢者の私は、気になって値段を調べてみた。数万から数十万と幅が広い。もっと歳をとったらこれが必要になるのかと思いながら見ていた。★いくつ迄この家に住む二月尽 はるな以前、作った私の句だがいつもそう思って暮らしている。映画の中には、老人ホームで暮らす人も描かれていた。百歳で亡くなった夫の母親は、95歳まで一人暮らしだったが、近所に住む夫がマメに面倒をみていたから出来たことだ。★杖無くばこの坂越せぬ梅の花 雛女(仮名・句友)私の同年代の句友の作。★私たち後期高齢者は、この先どうなるのかという、ぼんやりとして不安の中に生きていている。★93歳のテルマの顔は、特殊メイクかと思うほど老人の顔だったが、演じたジューン・スキッブの実年齢も93歳だそうだ。監督の祖母の実体験だそうだ。★耳の遠くなった主人公たちが、スマホを使って内緒で会話するシーンがあったけど、あれはどうなっているのだろう?・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.18
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■2025.5.23(金)-2ストラスブールから約70km南に位置するコルマールは、アルザス地方の古き良き文化を感じることのできる美しい街です。さらに「ハウルの動く城」やディズニーの「美女と野獣」のモデルにもなった町ということもあり日本人人気がとっても高い。でも日本人に会わなかった。プフィスターの家は、1537年に建てられた歴史的建造物で、「ハウルの動く城」に出てくる建物のモデルになったといわれています。壁一面に装飾が施され、コルマールの建物の中でも一際目立つ建築物になっています。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆「プチット・ヴニーズ(小さなヴェニス)」と呼ばれるエリアは、特に人気の高いスポットで、運河の遊覧船もおすすめです。10人ほど乗ったらいっぱいという小舟に乗ると、アラブ系の女性ガイドが英語で挨拶。ガイド「一番後ろの人はどこの国から来ましたか?」私「日本です」ガイド「その前の人は」「オーストラリアです」ニュージーランド、イスラエル、サウジアラビアと続いた。ガイド「インターナショナルですね」運河沿いに立ち並ぶメルヘンチックな家々。「プチット・ヴニーズ(小さなヴェニス)」と呼ばれるイタリアのヴェニスを彷彿させる中世の街並が続きます。コロンバージュ様式という木の骨組みの家々が特徴で、パステルカラーの街並が印象的です。 「日本の方」とガイドさんがいきなり私たちに話しかけてきた。ガイド「この町には日本人が作った映画のモデルになった建物があります。その映画監督の名前は、ハヤオ・ミヤザキです」と言った。私「知ってます。見て来ましたよ、プフィスターの家。宮崎駿は日本で有名な監督です(⌒∇⌒)」と愛想よく答えたが、私はまだ「ハウルの動く城」を見たことがない( ;∀;)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆この日は、スーツケースをストラスブールのホテルに置いて日帰りで着ている。帰りは16:04の電車に乗らなければならないので、サンドイッチなどをベンチに座って食べた。▲ヨーロッパによくある自転車マーク。行きはゆったりしていたのに、混雑だ。金曜日だからパリやリヨンに遊びに行くのかも。オーボワール、さらば、コルマール!約30分後にストラスブールに着いた。駅もホテルも懐かしい気がする。まだまだ明るいので夫は散歩に出かけた。●12988歩 ストラスブール泊5/19■エールフランスでフランスへ■5/20-1■パリ東駅からアールヌーヴォーの町ナンシーへ■5/20-2■ナンシー:世界遺産・世界遺産スタニスラス広場など■5/21-1■1デイチケットで美の町ナンシーをまわる■5/21-2■ナンシーでアールヌーボーな2つの邸宅美術館■5/22-1■ドイツ風木組みの町・ストラスブール■5/22-2■世界遺産・ストラスブールをガイドさんと歩く■5/23-1■世界遺産の町・コルマールへ■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.17
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■2025.5.23(金)-1朝食をすませて歩いてストラスブール駅に向かう。5月23日でも寒い日で娘は、厚手のセーター、私は、ダウンのベスト着用。▲フランクフルト(ドイツ)やバーゼル(スイス)の名前があって、ここは国境の町。行先は、コルマールで電車で30分なのでホテルにスーツケースを置いて日帰り。▲電車の席は2階。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆▲コルマール駅からタクシーでツーリストセンターへ。コルマールを訪れたら絶対に見逃せないのが、「ウンターリンデン美術館」とストラスブールのガイドさんが言っていた。ツーリストセンターの前にあるので早速行って見る。▲フロントの天井や柱が木!!こんな美術館始めてみた!!オーディオガイドの日本語を聞きながら廻る。年間約20万人が訪れるほど有名で、アルザス地方で最も来場者数が多いミュージアム。13世紀のドミニコ会女子修道院だった建物で、二重の美しいアーケード回廊をもちます。設立は1849年と古く、最も有名な作品は、ドイツ人画家のマティアス・グリューネヴァルトの傑作といわれる「イーゼンハイムの祭壇画」。(▲この回廊の天井も木が見えている。)他にも中世末期からルネッサンス期の絵画や彫刻、現代美術、民芸品など豊富なコレクションを見ることができます。▲ピカソのゲルニカのタペストリー。中庭には、井戸が二つ。▼井戸の柱を飾るのは、アカンサスの葉。贅沢な井戸!▲中庭の風景は見飽きないけど時間が・・・。▼◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ウンターリンデン美術館を出た所にミニトレインが。ヘッドセットでは、日本語ガイドも流れる。早速乗ろう。アルザス地方の古き良き文化を感じることのできる美しい町コルマール。町中がフォトジェニックでディズニーの「美女と野獣」やジブリの「ハウルの動く城」のモデルにもなった街として有名。▲木組みの家以外にも可愛らしい家が▼▲1609年に建てられた頭の家 Maison des Têtes。▲看板を見ているだけで楽しい▼▲看板を見ているだけで楽しいpart2▼▲なんかメルヘンな飾りの家も。▲自由の女神のデザインをした人がコルマール出身で記念館もある。▲蚤の市もあった。5/19■エールフランスでフランスへ■5/20-1■パリ東駅からアールヌーヴォーの町ナンシーへ■5/20-2■ナンシー:世界遺産・世界遺産スタニスラス広場など■5/21-1■1デイチケットで美の町ナンシーをまわる■5/21-2■ナンシーでアールヌーボーな2つの邸宅美術館■5/22-1■ドイツ風木組みの町・ストラスブール■5/22-2■世界遺産・ストラスブールをガイドさんと歩く■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.16
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■2025.5.22(木)-2ストラスブール在住25年のガイドさんがホテルまで迎えに来てくれて再びストラスブール市内を観光。赤〇印がガイドさんと行ったところ。▲アルザス伝統の木組み(コロンバージュ)。▲正面に見える建物は、ヴォーバンダムでここに登ると町の全体が見える。▼▲ヴォーバンダムから見る、これが全部世界遺産。三つの塔は、罪人を入れる牢屋だったり見張りのために使われた。▲ツタの絡まる建物があった。ツタの絡まる→蔦の絡まる→蔦(つたの)唐丸。「蔦唐丸(つたのからまる)」とは、蔦重の幼名である「柯理(からまる)」から来ている狂名。帰ったら「べらぼう」見よう( ´艸`)▲そこに可愛らしい看板が!▲看板までも美しい町。▲木組みの家はどれも上に行くほど出っ張っていて間が狭くなっている。税金は、下の階で決まるので二階以上を広く建てている。▲エレベーターの無い時代、大変だっただろうな・・・。▼◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆イル川の中洲である周囲2kmほどの島が都心であり観光スポットもショッピングスポットもこの中洲に集中している。▲プチット=フランス地区はもとはなめし革職人の居住地区だったもので、小水路が入り組んだところにアルザス伝統の木組み(コロンバージュ)の家が密集している。上の家の上の階は、風通しがいいように壁がない造りになっている。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆▲ノートルダム大聖堂、は地元産の砂岩で作られているため外観がバラ色で、地盤が弱いため尖塔が片方しかないのが特徴である。教会の表面は一面彫刻で装飾されています。現在の彫刻はレプリカで、ルーブル美術館に収蔵されているものもあります。▲聖堂内には人の人生を表現したからくり時計「天文時計」が設置されている。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ストラスブールはイル川の水運で栄えた水の都であり、観光客向けに水上バスも運航されている。▲ガイドさんが水上バスを予約してくれたので早速のることに。ガイドさんとは、ここで別れた。▲プチット=フランス地区内には閘門が設けられている。水上バスは都心を出発してプチット=フランス地区の閘門を水路を調整しながら通過。▲日本語のオーディオガイドを聞きながら▲古い町並みをめぐる。▼▲正面のヴォーバンダムは、プティット・フランスやポンクヴェール橋の近くにある人工の堤防。もともとは防衛上の目的で作られたらしく、要塞のような作りになっている。ドイツとフランスを行ったり来たりしたストラスブールには、欧州評議会や欧州人権裁判所、またEU欧州議会の本会議場を擁し、ベルギーのブリュッセルと共にEUの象徴的な都市の一つとなっている。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆日本人観光客に会わないな・・・と思っていたら知り合いがいた。( ´艸`)▲シュバイツァー博士!!30歳から新たにストラスブール大学の医学部に学ぶ。「密林の聖者」とよばれアフリカで活動した。■ストラスブール■●17819歩 ストラスブール泊5/19■エールフランスでフランスへ■5/20-1■パリ東駅からアールヌーヴォーの町ナンシーへ■5/20-2■ナンシー:世界遺産・世界遺産スタニスラス広場など■5/21-1■1デイチケットで美の町ナンシーをまわる■5/21-2■ナンシーでアールヌーボーな2つの邸宅美術館■5/22-1■ドイツ風木組みの町・ストラスブール■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.14
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■2025.5.22(木)-1ホテルから▲ナンシー駅までタクシー。(荷物が多いので)▲ナンシー駅ナンシーから電車でストラスブールに行く。9:13分ナンシー・ビレ駅発。10:40分ストラスブール着。■世界遺産・ストラスブール ■1時間半の列車の旅は、2階が指定席だった。ストラスブールの駅は、前面を大きなドームのようなガラスに覆われていた。▲ドームの中は、▼こんな感じ。ストラスブール駅からタクシーでホテルへ。まだ早いから部屋には入れないけれど、荷物は預かってくれた。ガイドさんは、ホテルに1時半に来てくれるので、2時間ほどある。さっそく、ストラスブールの町を歩いて廻った。フランス北東部の、ライン川左岸に位置するストラスブール。河川港を抱える交通の要衝である。ストラスブール(シュトラースブルク)の語源はアルザス語で「街道の街」であり、交通の要衝として栄える。そういえば、イギリスに行った時、ストラトフォードの名は古英語で"street"を意味すると知った。ストラスブール(シュトラースブルク)とストラトフォード、語源が一緒だったのだ!! 対岸にはドイツの都市ケールが存在するが、シェンゲン協定によってパスポートチェック無しで自由に行き来できる。ライン川にフランス最大の河川港をもち、交通の便の良さから商工業が盛んである。国境の町らしく、ストラスブールからドイツの町へ行くトラムがあるそうだ。また、テレビは、ドイツ語とフランス語の両方を流しているチャンネルがあると聞いたが、本当にドイツ語が流れていた。トラム導入後、公共交通の乗客数は大幅に増加し、なおかつ再開発が非常に高く評価され、交通まちづくりの先進事例として評価が高い。遠く日本からも都市行政関係者などが多数ストラスブールを視察している。かつてはドイツの神聖ローマ帝国に属したが、近世初頭にドイツの混乱に乗じてフランス王国が侵略して併合する。ドイツとフランスが領有権を争った土地として有名である。言語や文化の上ではドイツ系であるといえるが、1944年以降、政治的にはフランスに属する。神聖ローマ帝国の領地となってから20世紀まで、アルザスは戦争の度に蹂躙された。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ホテルに荷物を置いて外にでる。木組みの古い家がここ、ストラスブールのウリ!▲古い建物と▼古い石畳。▲古い猫脚のバスタブが植木鉢に!!(*^▽^*)▲木組の建築物可愛らしい!▼▲昔はこの川を利用して水運が盛んだった。▲近くの山でとれる薔薇色の砂岩の建築。▼▲ストラスブール駅から歩いて5分ほどのところにある「イビス系」のホテル。このホテルに2泊する。▲ホテルの窓から見た向かいの古い建物。5/19■エールフランスでフランスへ■5/20-1■パリ東駅からアールヌーヴォーの町ナンシーへ■5/20-2■ナンシー:世界遺産・世界遺産スタニスラス広場など■5/21-1■1デイチケットで美の町ナンシーをまわる■5/21-2■ナンシーでアールヌーボーな2つの邸宅美術館■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.13
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■国宝■その才能が、血筋を凌駕する・・・。任侠一家に生まれた喜久雄。15歳の時に抗争で父を亡くした彼は、その才能を見抜いた歌舞伎当主の花井半二郎に引き取られる。半二郎の跡取り息子である俊介と兄弟のように育てられ、ライバルとして互いに高め合いながら芸に青春を捧げていく喜久雄。ある日、半二郎は事故で入院することとなり、舞台の代役に息子の俊介ではなく喜久雄を指名する。 吉田修一の同名小説を、『悪人』の李相日監督が映画化した人間ドラマ。任侠の家に生まれながらも、歌舞伎の世界に飛び込んだ男が、芸の道に人生を捧げ歌舞伎役者になるまでを描く。『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の吉沢亮、『流浪の月』の横浜流星、『浜の朝日の嘘つきどもと』の高畑充希、『八犬伝』の寺島しのぶ、『Fukushima 50(フクシマフィフティ)』の渡辺謙らが出演する。★映画を見ていて、歌舞伎ってブランドなんじゃないかと思った。*才能よりも血=家柄を重視することなど、ブランドじゃなかかと思う。*歌舞伎の劇場で踊るのと、町の中の温泉の劇場で余興として踊るのと同じ人が同じ踊りを踊っても有難さが違う。*思えば主人公・立花喜久雄(吉沢亮)も踊り手としては、文句ないのにブランド力に負けて苦しむのである。★原作は朝日新聞に連載されていたというが、私はうっかりして読んでいない。「氷点」に始まって「きのね」など朝日新聞の小説は名作が多いのにうっかり見逃してしまっていた。( ;∀;)★原作者の吉田修一は、「国宝」を執筆するにあたって、黒子姿で楽屋に入り取材したという。★国法的イケメンと言われる吉沢亮が主役。ライバルに大河ドラマ「べらぼう」で主人公を演じる横浜流星。★NHKの「100カメ」という番組だったかで、横浜流星が瞬く間に踊りの振りを覚えて周りの人をビックリさせていた。だから横浜流星は、踊りは覚えただろうと思うが、それでも「べらぼう」で忙しいはずなのにと心配してしまう。★吉沢亮も達者な踊りを見せたが、オーディションとかはあったのだろうか?★立花喜久雄(吉沢亮)のお練の時、内妻と隠し子が見ていた。★内妻の帯に菊が!!★圧巻、圧倒、壮絶。「二人道成寺」、「連獅子」。「鷺娘」で、恋の悲しみにもがく鷺の精を演じた万菊(田中泯)の姿も・・・。ブラボー!!よっ!日本一!!・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.12
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■ゴッドマザー コシノアヤコの生涯★3姉妹の母■クスっと笑って、ホロっと泣ける物語危篤状態となったアヤコは、病院に搬送される。3人の娘が病院に駆けつけるなか、アヤコの前に、天国行きか地獄行きかの審判を下す天使が姿を現す。洋装店の開業、戦病死で夫を失って知った初めての恋、74歳で立ち上げたブランドのことなど、ミシンに魅せられ飛び込んだファッションの世界で生きた生涯をアヤコは振り返っていく。 戦時下を含めた昭和から平成という激動の時代を生き抜き、日本のファッション界に革命を起こしたデザイナー、コシノアヤコの生涯を描くヒューマンドラマ。「SING/シング」シリーズの大地真央がアヤコ、『極道の妻(つま)たち Neo』の黒谷友香、「相棒」シリーズの鈴木砂羽、『ファンファーレ』の水上京香がコシノアヤコの娘であるコシノ三姉妹を演じる。監督を務めるのは『カメラを止めるな!』の曽根剛。 ★戦時下を含めた昭和から平成という激動の時代を2時間にまとめるのだから少し飛ばしている感じがする。その点、NHK朝ドラ「カーネーション」は、コシノアヤコの一生を丁寧に描いて朝ドラでも西(大坂局)政策のトップの面白さだという。もう一つの東京の制作のトップは「あまちゃん」だとか。 大地真央がすっとぼけた演技で面白い。「そこに愛はあるんか?」私はツッコんで見ていた((´∀`*))ヶラヶラ ★70代のブランド製作の時の画面の片隅に本物のコシノ三姉妹が映っていたのを私は見逃さなかった。( ´艸`)★コシノ一家はだんじりが大好きで、実家をだんじりを見るために改造したという。コシノ家の前に前に勇壮に進む姿は、猛烈一家、まさにだんじりである。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.11
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■2025.5.21(水)-2マジョレル邸、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!まるごとアール・ヌーヴォーな邸宅は、ナンシーではこのマジョレル邸が初だったという。1デイ観光チケットには、ナンシー美術館、ナンシー派美術館、それに、このマジョレル邸が含まれている。ここは、予約制で15分前に着いた。待っている間に、周りを見渡すと美しい建物が見える!マジョレル邸の近所の薔薇を美しく絡ませた家も素敵だ!▲「マジョレル邸」はナンシー 派アール・ヌーヴォーの集大成と言わており、アンリ・リヴァージュ(1873-1932)による設計で1901年に建てられました。▲庭から壁を見ると雨どいが。雨どいの下にもアールヌーヴォーなアイテム。サインが入ってる。ヘリンボーンの床や豪華な空間を傷つけないよう、見学時には用意された靴カバーを装着する必要がある。▲アレクサンドル・ビゴによる陶製の暖炉。建築、インテリア、内装、家具までナンシー派の芸術家たちが手掛けたという、いわば大規模なコラボ作品とも言えるお屋敷まるごとミュージアム。▲マジョレルがデザインしたベッド。■世界遺産の町を巡る!ナンシー(マジョレル邸は、5:20)■◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆▲ナンシー派美術館に行った。エミール・ガレのパトロンであった ウジェーヌ・コルバンの私邸を改装した美術館で1964年に開館。ナンシー派(フランス語版)の芸術家たちの作品を多く所蔵している。庭園も整備されている。4壁が唯一無二。ここも1デーチケットで入れる。ミニトレイン、ナンシー美術館、マジョレル邸、そしてこのナンシー派美術館と1デーチケットに含まれているところは、全部廻った。(*^▽^*)▲エミール・ガレのデザインしたベッドベッドルームにあるランプ。▲食堂。▲今の季節は緑が美しい▼▲芍薬が満開。▲庭の片隅には、「水族館」もあった!◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ナンシーは16世紀に新都市として改造され、さらに18世紀初め、この領地を治めたポーランド出の貴族スタニスラス候が唯一の趣味・・・というか情熱を建築と町づくりにそそぎ、フランス、イタリアの芸術家、職人を集めて、広場と宮殿を建て、当時もてはやされたロココ様式で飾り立てました。「パリからの旅」より▲超クセの強いアールヌーヴォー。どうしてこんなクセの強い様式が町が人々に認めたれたのか。それは、アールヌーヴォーが流行する100年ほど前、これまたクセの強い、ロココ様式が貴族の間で流行したからだとか。●11692歩 ナンシー泊5/19■エールフランスでフランスへ■5/20-1■パリ東駅からアールヌーヴォーの町ナンシーへ■5/20-2■ナンシー:世界遺産・世界遺産スタニスラス広場など■5/21-1■1デイチケットで美の町ナンシーをまわる■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.09
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■2025.5.21(水)-1ナンシーの町2日目は、1dayチケットと一日乗り放題パス(写真下の黄色)を買ったので、これを使って一日観光することにした。頼りは娘。 彼女は、バスやトラムのダイヤをネットで調べてくれ、まるで大阪の乗り物に乗るようにスイスイと私たちを案内してくれるので、頼り切っている。「老いては子に従え」の諺に忠実な私たちである。▲正面の建物がナンシーで2泊したホテルで前をトラムが通っている。ホテルの部屋からみた(上)バスレーン。(トラムが走っている)自転車は、バスレーンを走ることができる。▲車は、道路に縦列駐車。これ、どうやって出るのだろうと心配になる。ホテルの前には河が流れている。鉄道のない時代は、この河の水運を使って、この地方の鉱物をパリに運んでいた。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆トラムに乗って市街地へ。▲ナンシーは、マカロン発祥の地と言われているのでお土産を買った。▲世界遺産のスタニスラス広場に来た。広場の劇場前からミニトレインが出ている。これは、観光一日チケットで乗れる。▲日本語の案内を聞きながら廻った。楽ちんなので老人率が高い( ´艸`)▲美しい町の中を進むミニトレイン。▼◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆スタニスラス広場に帰ってきて、広場にあるナンシー美術館に入った。(▲写真・右の建物)入場料は、1デイチケットに含まれている。ナポレオンの命により造られた美術館は、地方都市にある美術館の中でも、最も充実したコレクションを展示していると言われています。ルーベンスやカラヴァッジョ、印象派、現代美術、そして他では見ることの出来ないドーム兄弟の圧巻のガラス作品のコレクションがあるのもナンシー美術館の魅力です。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆スタニスラス広場を出ると並木道が・・・。▲大木の林が広がる公園があった。▼公園の中のレストランで昼食。私は、フィッシュ&チップスがこの日の昼食。5/19■エールフランスでフランスへ■5/20-1■パリ東駅からアールヌーヴォーの町ナンシーへ■5/20-2■ナンシー:世界遺産・世界遺産スタニスラス広場など■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.07
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■2025.5.20(火)パリから列車で1時間半のアールヌーボーの街、ナンシーをガイドさんの案内で、観光。ナンシーで一番有名なのは、スタニスラス広場。スタススラスとは、ロレーヌ公スタニスラス・レスチンスキーのこと。彼はもともとポーランドの国王でしたが、18世紀半ばにロシア軍に追われてフランスに亡命、ロレーヌ地方を譲り受けて統治した。彼がつくったのが、スタニスラス広場。◆スタニスラス広場◆1756年に完成した広場で、これも宮廷建築家エマニュエル・エレによって設計されました。ここはバロック様式の市庁舎や裁判所、▲凱旋門、劇場などで囲まれていて、当時は国王広場と呼ばれた広場。しかし、フランス革命によって中央にあった国王の像が破壊され、今度は1831年にスタニスラスの像が置かれ、スタニスラス広場と呼ばれるようになりました。▲6箇所にロココ様式の美しい金属細工で彩られた鉄柵がある。▼▲ネプチューンの噴水。▲公園と公園を繋ぐ美しい並木道▼アールヌーボー以外にも見どころが沢山あるナンシー。この門はナンシーに現存する一番古い文化財でもあり、14世紀から15世紀に建てられたもの。19世紀まで2つの塔はなんと牢獄として使われていたとか。▲かつての牢獄にある「キ」の字に見えるのは、「ロレーヌ十字」。ジャンヌ・ダルクの象徴といわれる。▲かつての牢獄が見える通り。▲15世紀末から16世紀の初めにかけて建てられた宮殿。▲半円アーチ、騎馬像はルネサンス芸術によく見られるテーマ。歴代のロレーヌ公爵が眠るコルドリエ教会。▲コルドリエ教会のバラ窓の美しさ!!バロック、ルネサンス、アールヌーボー・・・。ナンシーは、見どころがいっぱいあるのに、日本人観光客にあわない。ガイドさんのお陰で、効率よく廻れたし、ランチも美味しかった。スタニスラス広場の観光案内所で、観光チケットや交通チケットを買って帰る。ナンシーは19世紀末に、アールヌーボーが生まれた町。その1世紀前には貴族好みのロココ美術が花開いた町でもある。生活に溶け込んでいるアールヌーヴォーと、貴族のために作られたロココ。一見相反するふたつのアートが同じ町で展開したのは興味深い。■アール・ヌーヴォーの宝庫✨ガレのガラスも街の建築も、美しい街散策 ■●15177歩 ナンシー泊5/19■エールフランスでフランスへ■5/20-1■パリ東駅からアールヌーヴォーの町ナンシーへ■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.06
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■2025.5.20(火)-1「ボンジュール パリ!!」ホテルの窓からパリ東駅が見える。この日は、パリ東駅からナンシーに行く。が、その前に、朝食を。ゆで卵、今日は写真だけにしておこう。パリ東駅(仏: Gare de l'Est)は、フランスの首都・パリにあるフランス国鉄の主要ターミナル駅の一つ。開業は1849年。▲駅の地下には、メトロの駅があるし、パリ北駅も近い。▲駅の近くにある街灯。フランス東部やドイツ、ルクセンブルク方面への列車が発着する。またパリ北駅のすぐ東に位置しており、徒歩で連絡が可能である。なお、当駅名はパリより東へ向かう列車が発着するから「東駅」である。開業は1849年は、嘉永二年。ちなみに父の祖父、私の曽祖父は嘉永の前の、弘化2年生まれ。 1883年10月4日にはコンスタンティノープル(イスタンブール)行きのオリエント急行一番列車の始発駅となった。第一次世界大戦の初期には多くの兵士がこの駅から西部戦線に向けて出征した。▲この時計と壁の意匠は、アールデコ様式。▼9:11発のナンシー行き。10:50分着の予定。▲電車内と▼荷物置き場今回、フランスに行ったのは、ずーーと憧れていた、フランス東部・ロレーヌ地方にあるアールヌーボーの街、ナンシーに行きたかったから。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆アール・ヌーヴォー(フランス語: Art nouveau)とは、◆19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴。分野としては建築、工芸品、グラフィックデザインなど多岐にわたった。 フランスのアール・ヌーヴォーの最も見事な総体が構成されたのはナンシーである。1870年のアルザスとモゼルの併合の後、ドイツの支配の下に留まることを望まなかった多数の併合ロレーヌ地方の住民は仏領ロレーヌに移住した。ここでアール・ヌーヴォーは地方主義要求の表明手段となり、エミール・ガレ、ドーム兄弟、ジャック・グリューバーらがナンシー派を形成した。 ナンシー駅に着いて、タクシーでホテルに。ホテルのフロントで日本人ガイドさん(女性)を待って、一緒に街に繰り出した。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ガイドさんがホテルまで迎えに来てくれて、ナンシー観光に出発!▲サン・ジョルジュ通り沿いにあるユニークな装飾の建物は「ジェナン穀物商(現CCF)」。1901年にアンリ・ギュットンの設計で造られました。水色の鉄装飾が印象的ですが、ロレーヌ地方は昔から製鉄業が盛んだったこともあり、鉄を使ったアールヌーヴォー装飾が多く見られます。パリのエッフェル塔を造っている錬鉄もロレーヌ地方から運ばれたものでした。■地球の歩き方■町中が美しい建物で、ため息が出るが、この建物は、ナンシー観光に必ず出てくる。▲ランチ▼アールヌーヴォーの内装が美しい「エクセルシオール」でランチ。11911年創業のカフェレストラン「ブラッスリー・エクシオール」は、ナンシー出身のリュシアン・ヴァイセンビュルガー(1860-1929)とアレクサンドル・ミエンヴィル(1876-1959)による設計。ステンドグラスや調度品も全てナンシー派アール・ヌーヴォーの巨匠によるとても贅沢な環境。ガイドさんと一緒だから、食べ物の内容も分かって安心。■【世界遺産の町を巡る!ナンシー■5/19■エールフランスでフランスへ■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.04
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(ホテルの窓から見た、エッフェル塔)■2025.5.19(月)コロナになる前の、2019年以来、久しぶりの海外旅行に行くことになった。夫と私、それに、下の娘、レイと三人。行先は、フランス。私は、フランスは、今回で6回目。しかし、始めてエールフランスで、始めての直行便。乗り継ぎ便で行けば、一人につき、10万円ほど安くなるけど、先が短い後期高齢者夫婦と勤め人の娘にとって、時間は、金を出してでも買えとばかりに、直行便にしたのだった。機内食は、ベジタリアンコースで美味しかった。▲着陸1時間ほど前に軽食も。 11時20分発、シャルル・ドコール空港に着いたら、夕方7時頃だった。スマホが勝手に、現地時間になっていた。これは、はじめての経験。 「海外ローミング」という手続きを日本でやって、パリに着いたら、オン。1日1000円で日本と同じように使える。海外ローミングは、普段使っているスマホから簡単な手続きをするだけで、海外でもスマホを利用できる。Wi-Fiルーターのようなスマホ以外の機器を持ち歩いたり、SIMカードを差し替えたりする必要がなく、手間もかからない。これも今回、はじめての経験だ。 飛行機が飛んでいる最中に「御客様にお医者様はいらっしゃいませんか?」という機内アナウンス。日本語以外でも言ってた。降りる時、ビジネスクラスを通ったら、救急隊らしき人が数人来ていた。歳をとると、病気になる確率が高くなるので、今後は、海外にはいけないだろうなと思った。ホテルは、パリ東駅の近くで、9階(ヨーロッパでは、8階と言いはる)の窓からいかにもパリな景色が見えた。シャルル・ドゴール空港に着いたのが7時くらいだったから、8時は過ぎているのに、まだ明るい。まだ明るいし、大きな通りに面していて、危なくなさそうだと夫が1時間以上近くを探検してきた。その時の映像が上の写真。嗚呼、パリだ!パリに来たのだ!!●6811歩 パリ泊・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.03
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へび年ですからと蛇にまつわることを書いている。 「あめふり」 作詞:北原白秋、 作曲:中山晋平あめあめ ふれふれ かあさんがじゃのめで おむかい うれしいなピッチピッチ チャップチャップランランラン『あめふり』は、1925年(大正14)に雑誌『コドモノクニ』11月号で発表された。お母さんが迎えに来てくれる ジャノメとは蛇の目柄の和傘 を指しています。 この歌詞は雨が降れば傘を持ったお母さんが迎えにきてくれるからうれしい、と地面に当たってはねる雨粒のように心を躍らせる子ども心を唄った曲だったんです。 蛇の目傘は昔日本で使われていた和傘の一種。 蛇の目(じゃのめ)とは、同心円を基調にした模様である。ヘビの目から名づけられた。 「ジャノメミシン」という会社がある。社名の「蛇の目」は自社で販売していたミシンの糸巻の形の形式が蛇の目式と呼ばれていたことから、自社ブランドにしたもの(但し、加藤龍之他編の「社史」によれば、「糸巻」の見た目が「蛇の目」紋に似ていたからで、同様の「弦巻」も候補にあったという)。1■辰巳は天井■2■杖にからむ蛇■3■蛇篭(じゃかご)■4■干支の名前■5■♪蛇と蛙は仲良くなれぬ・・・■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2025.06.02
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