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今年は、辰年ですからと辰=龍にまつわる話を書いている。「竜・龍」のつく一番有名な名前といえば、「坂本龍馬」。かつて土佐では、動物には人間以上の精気があるとおもわれていて、新生児に動物の名をつけることが多かった。★坂本龍馬や★吉村虎太郎もそうだし、★幕末、土佐藩の行政の責任者だった後藤象二郎もそうである。★中江兆民の幼名は竹馬で、★明治期の自由民権思想家の馬場辰猪も、動物の名前である。♪土佐の高知の播磨屋橋で、坊さんかんざし買うを見た。★この坊さんの相手の娘の名前が「お馬」だ。★「街道をゆく」で取材に高知県に行った司馬遼太郎が飲み屋に行ったが、その店の女将が「亀子」だった。「街道をゆく27・因幡(いなば)・伯耆(ほうき)のみち、梼原(ゆすはら)街道」司馬遼太郎★私の祖父(父の父・明治9年生まれ)には、兄(明治元年)がいたが、名前を寅太郎といった。 ★その寅太郎の娘は、鶴という名前。鶴は父のいとこにあたるが、この人は私も見たことがある。鶴には沢山の子供がいたが、その中の一人、「よしひろ」と私の従姉、絹江が結婚。そんなわけで、私も鶴を見たことがある。★私の岡山の家の裏には、「くまさん」という名前の植木職人が住んでいた。★父の幼馴染で馬車引きをしていた人の名前が「とらちゃん」といった。父が亡くなって葬式とは別に、故郷でお別れ会をしたが、とらちゃんも来てくれた。 昔は、土佐以外にも動物の名前の人がけっこういたのだ。それにしても、「龍」と「馬」という名前を持つ、坂本龍馬、すごい!! たつ年ですから1■辰巳は天井■2■臥龍梅■3■龍天に昇る■4■釈迦の誕生と龍の関係■5■登竜門と鯉の滝登り■6■リュブリャナのドラゴン橋■7■竜血樹■8■戊辰戦争■9■龍笛(りゅうてき)■10■天龍寺船■10-2■画竜点睛■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.11.01
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龍飛崎(たっぴざき)は、青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩龍浜にある津軽海峡に突き出た岬。津軽半島の最北端に位置する。津軽国定公園の一部。■青森県:竜飛岬■竜飛岬はアイヌ語のタム・パ(tam-pa 刀の上端)からの転訛(てんか)で、「突き出た地」の意味だという説があり、タムパを"龍が飛ぶ"と当て字したといわれている。表記には「竜/龍」及び「崎/埼/岬」という揺らぎがあり、竜飛埼、龍飛岬(たっぴみさき)など 竜飛岬といえば、石川さゆりのヒット曲「津軽海峡冬景色」に出てくる。♪ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと見知らぬ人が指をさす息でくもる窓のガラスふいてみたけどはるかにかすみ見えるだけさよならあなた 私は帰ります風の音が胸をゆする泣けとばかりにああ 津軽海峡 冬景色タイトルが先に決まっており、三木たかしが作曲したメロディに阿久悠が作詞をした。いわゆる、曲を先に作って歌詞を合わせる、「曲先(きょくせん)」だったのだ。その際に阿久側から「津軽海峡冬景色」のフレーズで終わるように要望があった。歌詞の内容は、東京を発って本州最北端の青森県にたどり着き、津軽海峡をこえて北海道に渡る人々を描いた叙事詩である。●源頼朝に追われた義経らは、竜飛岬の三厩(みんまや)から津軽海峡をわたろうとしたが、海が荒れて術がなく、やむなく稔侍する観音に祈願した。満願の暁、夢に白髪の翁が立ち、竜馬を三頭あたえよう、という。目がさめてみると、三頭の竜馬がつながれていた。それに乗って、供の弁慶、亀井六郎と海峡をわたったという。 たつ年ですから1■辰巳は天井■2■臥龍梅■3■龍天に昇る■4■釈迦の誕生と龍の関係■5■登竜門と鯉の滝登り■6■リュブリャナのドラゴン橋■7■竜血樹■8■戊辰戦争■9■龍笛(りゅうてき)■10■天龍寺船■10-2■画竜点睛■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.10.21
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●上方(かみがた)では、葬式には造花の花輪を用いず、シキミの盛大な枝葉を形づけて葬家を荘厳(しょうごん)する。●原始仏教は花が好きであった。(略)長安では、いつも手軽に花が採取できるわではない。日本もそうである。シキミをもって花に代用したのであろうか。■街道をゆく26:嵯峨散歩■シキミって、そういう歴史があったのか。私の子どもの頃には、*シキミを花枝といっていた。*シキミを養う。*シキミをシキビと言っていた。日本語ではバ行音とマ行音の交替はよく見られる現象で(たとえば「けぶり→けむり」など)、「さびしい」→「さみしい」「しきび」→「しきみ」もその一つだろう。 「バ行」→「マ行」の例「ひむがしの野にかぎろいのたつ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ」■かたぶきぬ→かたむきぬ■ 「ほっかぶり」→「ほっかむり」「ひぼ」→「ひも(紐)」。 「さぶい」→「さむい」。■こぶらがえり→こむらがえり■■こぶらがえり1■■気になる言葉:~させていただきます■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.10.19
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「宮参り」とは赤ちゃんが無事生まれた報告と、今後の健やかな成長とご加護をその土地の氏神様に祈る行事。関西では、男子赤子の額に「大」、女子赤子の額に「小」の文字を赤い色で書く風習がある。大阪で暮らすようになってから知ったことだ。なぜ、このように「大」の文字を書くのかを何度か調べたが、納得いく答えがなかった。ところが、先日、「清張さんと司馬さん」という本を読んだとき、はたと気が付いた。■古代史家としての清張さん■新説には、たとえば「男子は大小と無く皆 鯨面文身(げいめんぶんしん)す」と「魏志」にあります。従来の説では、「大小」を大人も子供も顔や身体にイレズミをする、ということでした。清張さんは大笑いするのです。どんな未開社会だって子供にイレズミをするところがあるものか。鯨面文身は、成人になったしるしに決まっている。ここは「大人も下戸も」と解釈すべきなのである。上層の人もイレズミをしている。ただし、その紋様には尊卑貴賤の区別はあったであろうが、というわけです。「鯨面」とは顔面のタトゥー、「文身」は身体のタトゥーを意味する。 わかりやすくいうと「魏志」にある「男子は大小と無く皆 鯨面文身(げいめんぶんしん)す」の解釈。「大」も「小」も顔や身体にイレズミをしている。この「大」は、身分の高いもの、「小」は、身分の低い者という意味で、決して、大人も子供のではないと清張は言った。おおまかにいうとそんな感じ。 そこで私は、ピンときた!!お宮参りの際に、赤子に「大」や「小」を書く理由を。今と違って昔は、乳児死亡率の高かった時代の宮参りの際、「この子は、もう、大きくなっています。ほら、額に「大」の字があるでしょう。だから乳児ではありません。ですから、神様、この子の命は、とらないで下さい」ということで、額に大人の印「大」を書いたのではないだろうか・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.10.14
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辰年ですからと辰=龍にちなんだことを毎月メモしている。●画龍点睛(がりょうてんせい)●意味:最後に加える重要な仕上げ。 この四字熟語は有名な故事がありますよね。多分、学校でも習った気がする。 中国六朝時代に安楽寺に四頭の龍の絵を描いた人がいたんですが、その人は龍の瞳を描かなかったんですよね。どうしてかというと龍の絵に瞳を描き込むと龍が飛んでいってしまうと。でも世間の人は信じなかったので、二頭にの龍にしぶしぶ瞳を入れたら実際に龍が飛んでいってしまいます。そして瞳を描かなかった残りの二頭はそのままだった。 世間一般的には「画竜点睛を欠く」という言葉の方が知られてる気がしますが、ようは「大事な仕上げが出来てない」って意味の言葉ですね。 たつ年ですから1■辰巳は天井■2■臥龍梅■3■龍天に昇る■4■釈迦の誕生と龍の関係■5■登竜門と鯉の滝登り■6■リュブリャナのドラゴン橋■7■竜血樹■8■戊辰戦争■9■龍笛(りゅうてき)■10■天龍寺船■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.10.11
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辰年ですからと、毎月、辰=龍にまつわる話を書いている。●天龍寺船とは● 天竜寺造営の費用を調達するため元(げん)に派遣された船。1341年(興国2・暦応4)12月、足利直義(あしかがただよし)は京都・天竜寺の夢窓疎石(むそうそせき)に対し、二隻の貿易船の派遣を免許し、翌年の秋に出航できるよう準備を進めさせた。直義はそのうちまず一隻を渡航させることにし、疎石は博多商人・至本を綱司に推挙した。至本は貿易の利益のいかんにかかわらず、帰国後に5000貫文を寺に納めることを約束した。他方幕府はこの船を当時瀬戸内海地方に横行していた海賊などから保護する責任を負った。 角倉家と嵯峨の天龍寺との縁はふかい。天龍寺の僧のかかりつけの医者(角倉家の家業のひとつが医者)だったという時代もある。(略)(保頭川の水運をひらき、高瀬川を開削した)角倉了以の父親も天龍寺船に乗って明に行ったことがある。天龍寺船はいわば一航海きりの会社のようなものだから、角倉一族は当然、資本も出し、利潤の配分にもあずかったであろう(略)「街道をゆく26:嵯峨散歩」 角倉一族は、民間人ではあるけれど、大きな視点を持つことが出来たのは、こういう国家的な事業にも関わっていたからだろう。 たつ年ですから1■辰巳は天井■2■臥龍梅■3■龍天に昇る■4■釈迦の誕生と龍の関係■5■登竜門と鯉の滝登り■6■リュブリャナのドラゴン橋■7■竜血樹■8■戊辰戦争■9■龍笛(りゅうてき)■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.10.01
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今年は辰年ですからと辰=龍の話を書いている。今回は、龍笛(りゅうてき)の話。■龍笛とは■龍笛は七孔の横笛で、笛の長さは約40cm。主に雅楽の唐楽吹かれています。篳篥(ひちりき)とともに主旋律を演奏します。龍笛は「横笛(おうてきorよこぶえ)」と呼ばれることもあり、日本全国各地の伝統民俗芸能などでも使われています。 低い音から高い音の間を縦横無尽に駆け抜けるその音色は「舞い立ち昇る龍の鳴き声」と例えられ、それが名前の由来となっている。同じ運指(指使い)であっても、息の吹き方によって、低音である和(フクラ)と高音である責(セメ)とに吹き分ける事ができる。又、竹製の「本管」は竹の種類や使用年数などで、別の龍笛と音階がズレる事も多い(元々龍笛自体が絶対的な音階で作られたものではない)。 音量を高めるために、管の中に鉛を入れたり、外側を樺や籐で巻いたりするなど意匠が凝らされている。奈良時代の楽人、尾張浜主が龍笛を広めたといわれ、「笛之楽祖」と称えられる。 龍笛は古くから貴族や武将に好まれ、堀河天皇や源義経、源博雅(みなもとのひろまさ)などの、龍笛にまつわるエピソードはいくつも伝えられている。また、清少納言も『枕草子』の中で、「楽器の中では、笛がとても良い」と書いている。 たつ年ですから1■辰巳は天井■2■臥龍梅■3■龍天に昇る■4■釈迦の誕生と龍の関係■5■登竜門と鯉の滝登り■6■リュブリャナのドラゴン橋■7■竜血樹■8■戊辰戦争■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.09.04
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辰年ですからと、毎月、辰=龍にまつわる話を書いている。●つちのえ・たつの年、音(おん)でいうと戊辰(ぼしん)になる。西暦でいえば1868年である。ややこしいのは、この一年のあいだに、元号が二種類あったとこである。このとしに、慶応四年が明治元年(9月8日に改元)にかわった。元号がふたつあるために、このとしにおこった国内戦争のことを、とくに十干(じっかん)十二支で、もって、「戊辰戦争」というのが慣わしになっている。戊辰戦争は、日本史がしばしばくりかえしてきた、「東西戦争」の最後の戦争といっていい。 *平安末期:西方の平家政権が勃興した。当然ながら、東方はその隷下に入った。*東方の鎌倉政権が西方を従えた。 *織田・豊臣の西方が日本をおさえた。*その後、家康が江戸幕府を開き、東方の勝利。*戊辰戦争は、薩摩・長州など西方の勝利。しかし、新政府は、首都を東京に置き明治後は、東の時代となった。「街道をゆく 白河・会津のみち 赤坂散歩」司馬遼太郎 たつ年ですから1■辰巳は天井■2■臥龍梅■3■龍天に昇る■4■釈迦の誕生と龍の関係■5■登竜門と鯉の滝登り■6■リュブリャナのドラゴン橋■7■竜血樹■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.08.02
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辰年ですからと、毎月、辰=龍にまつわる話をメモしている。■竜血樹(りゅうけつじゅ)■竜血樹の幹を傷つけると、まるで動物が流血しているかのように赤い樹液が流れ出ます。血を流す摩訶不思議な木。それは「竜血樹」という木である。なんだかファンタジーにでも登場しそうな名前だ。竜血樹は主にアフリカの北西や大西洋の島々で育つ樹木。学名では「ドラセナ・ドラコ」と名付けられている。樹液が固まって赤い固形物質となったものを「竜血」とよび、薬品や染料などとして古来から珍重されてきました。その竜血を産出する木として「竜血樹」とよばれたのが名前の由来とされており、英名でも「dragon’s blood tree(竜の血の木)」の呼び方があります。竜血樹は切られると、その断面から真っ赤な「血」を出すことで知られる。 ビックリ!!本当に血のような赤い樹液が!! ■流血樹■ たつ年ですから■辰巳は天井y■■臥龍梅■■龍天に昇る■■釈迦の誕生と龍の関係■■登竜門と鯉の滝登り■■リュブリャナのドラゴン橋■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.07.01
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■リュブリャナのドラゴン橋■最初は1901年にフランツ・ヨーゼフ1世の即位40年を祝う意味を込めて祝賀橋と名付けたそうですが、橋の四隅に竜の彫刻で装飾したことからいつの間にか竜の橋と呼ばれるようになったそうです。町のシンボルであるドラゴンは、力や勇気、大きさの象徴らしいですが、なぜドラゴンがシンボルになったのでしょうか。▲リュブリャナのまち●由来はギリシャ神話の英雄イアソンが退治したドラゴン!? 山深い湖の畔で、半人半馬の賢者ケンタウロス(J・テルジェフ)に育てられたイアソン(G・ジェンティーレ)はいまやギリシャ有数の英雄となっていた。彼の父はギリシャのイオルコスの王であったが、異父弟ペリアス(L・バルビーニ)に殺されたとのことだった。そしてケンタウロスは、イオルコスに行き王位返還を要求するように、とイアソンにすすめた。奪われた王国を取り戻すために金毛羊皮を追い求め王女メディアのいるコルキス国を目指す勇者イアソン。この毛皮は金羊毛といって、ギリシャ神話のなかで秘宝とされる一つ。コルキスの王が所有するもので、眠らないドラゴンによって守られているものでした。だんだんイアソンとドラゴンが結びついてきましたね。 この物語、■「王女メディア」■で見た。また、■「アルゴ探検隊」■も同じ内容。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.06.01
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偶然買ったせんべいは、「まがりせんべい」というものだった。個包装になっていて、その袋に各地の「とてもおいしい」という方言が2つづつ書いてあった。方言大好きな私は思わずメモした。★岩手県「ほに うめぁ」★東京都「とても おいしい」★千葉県「すげぇ うめぇー」★茨城県「うんと うまかっぺ」★山梨県「だたら うまいじゃん」★岐阜県「えろう うんまい」★京都府「ほんに おいしおすなぁ」★兵庫県「ごっつ うまい」★広島県「ぶち うまい」★山口県「ぶち うまいっちゃ」 私が買ったのには、同じ言葉がダブったりして、これだけしか入ってなかったけど、違う方言もまだあるのだろうか。おまけの当たりクジがでるまで、子どもが、お菓子を買う心境が分かるが、買わないことにした。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.29
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今年は辰年ですからと辰=龍の話をひとつ。登龍門(とうりゅうもん)は、成功へといたる難しい関門を突破したことをいうことわざ。「登竜門」とも書かれる。特に立身出世のための関門、あるいはただ単にその糸口という意味で用いられる。 鯉の滝登りともいわれ、鯉幟という風習の元になっている。流れの急な龍門という河を登りきった鯉は龍になるという伝説になぞらえて、「龍門に登った」と形容したという。▲こいのぼりの唄「鯉のぼり」 弘田龍太郎・作詞百瀬(ももせ)の滝を登りなば、忽(たちま)ち竜になりぬべき、わが身に似よや男子(おのこご)と、空に躍るや鯉のぼり。■高知県・安芸市の弘田龍太郎の碑■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.01
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辰年にちなんで、辰=龍の話を。お釈迦さま誕生の際、九頭の龍が天から清らかな水を降り注いで産湯としたとする伝説がある。 日本の*灌仏会(かんぶつえ)*では、右手を天に向け、左手を地に向けている釈迦像に甘茶を掛けて祝うならわしがある。*灌仏会(かんぶつえ)*灌仏会(かんぶつえ)は、釈迦の誕生を祝う仏教行事である。日本では原則として毎年4月8日に行われ、一般的には花祭・花祭り・花まつり(はなまつり)と呼ばれている。 降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)の別名もある。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.04.03
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アイヌに興味を持っていて、ことあるごとに、メモしていた。 先日も■「ゴールデンカムイ」■を見て、サバイバルの知恵に感動した。明治時代、悲劇の八甲田山雪の行軍で多くの軍隊が行方不明になった。そんな時に駆り出されたのが、雪に慣れているアイヌだ。■八甲田山でアイヌが活躍■★アイヌの活躍。勇敢で雪山の知識もあるアイヌが6人、捜索隊に加わった。2月11日~4月19日まで捜索。その結果、67日間の捜索活動で遺体11体と多数の遺品を発見した。4月になり、アイヌの労働の季節になったので、弘前の軍隊の見学と市内の見物の後、北海道に帰った。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■青森県:竜飛岬■竜飛岬はアイヌ語のタム・パ(tam-pa 刀の上端)からの転訛(てんか)で、「突き出た地」の意味だという説があり、タムパを"龍が飛ぶ"と当て字したといわれている。表記には「竜/龍」及び「崎/埼/岬」という揺らぎがあり、竜飛埼、龍飛岬(たっぴみさき)などとも言われる。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■青森県:種差海岸■種差海岸の地名の由来には諸説あるが、アイヌ語の「タンネエサシ」(長い岬)から来ているという説が有力視されている。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■蝦夷(えみし)平定の際に残した守備兵の駐屯地〔柵戸(きへ)■エゾ経営が東北に進み、とくに激しい軍事的対抗関係に入るようになった東北中部あたりから以北のエゾについては、実際に人種的にも別種の人たちではなかったかと考えられる。その人名、地名についても、このあたりからヤマト語では説明できないものが出てきて、この人たちが「アイヌ系」であることを物語っている。この人たちが、もう少し時代が下り、場所も北海道に近づいて、エミシとも区別してエゾとよばれ、アイヌであることをはっきりさせるが、そうなるまでには、この「アイヌ系」のなかでかなりの変化があったと思われる。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■生保内(おぼない)■「思い出の潟分校」。田沢湖町立生保内小学校潟分校(たざわこちょうりつ おぼないしょうがっこう かたぶんこう)は、秋田県仙北市田沢湖にあった生保内小学校の分校である。「おぼない」というのはアイヌ語で「深い川」を意味する。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■横須賀のもともとの地名は「須賀」であったが、いつのまにか「横」の文字がついて「横須賀」になたっという。アイヌ語的に解釈すると、「イ・スカ(そこの・浜)」が本来の地名であろう。アイヌ語の特色として、地域の人達が事前に承知しているときには、本来地名の冒頭の「イ(そこ、それ、我ら)」や語尾の「イ(所)」は省略した。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆●(青森県・下北半島にある)宇曽利川は、恐山(おそれざん)山地から流れている。恐山のオソレは、宇曽利のウソリから転訛(てんか)した。もとアイヌ語だったにちがいない。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆●マタギの古い猟方。山にはいるとき、渓流に酒をそそいで山の神に感謝する。山に入れば俗世間のことばをつかわず、五百語もあるという「山ことば」をつかう。山中で食事をするとき、山菜やキノコを採るが、決して根ごとは採らない。(略)マタギということばは、アイヌ語だという。アイヌ語で、狩猟の専門家のことを、「マタンギトノ」というが、反対に日本からアイヌ語に入ったことばだともいう。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.03.25
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静御前といえば、源義経の愛妾で当時ナンバーワンの白拍子だ。愛する義経を追いやった、頼朝の前で、露骨に国事犯を恋う歌を、かつ舞い、かつうたう~しずやしず賤(しず)のおだまき繰り返し昔を今になすよしもがな~は、あまりにも有名。その舞を舞ったときのバックで音楽を奏でたメンバーがすごかった!!●(義経の恋人、静御前は、頼朝の前で舞を舞う。)その時の楽党は、名うての大名たちであった。小鼓は工藤佑経(すけつね)=坪倉由幸胴拍子は梶原景時(かげとき)=中村獅童笛は畠山重忠(しげただ)=中川大志(*注「鎌倉殿の13人」の配役。)静のいでたちは、白い小袖の上に唐綾(からあや)をかさね、白い長袴を踏みしだき、割菱模様の水干(すいかん)をつけ、一面みな紅の扇をひらいて、頼朝の御簾にむかって立ち、やがてごくめでたいだけの「君が代」をひとさし舞った。「いまひとさし」という頼朝の所望があって、静がうたったのが、のちの世にまできこえる歌となる。しずやしず賤(しず)のおだまき繰り返し昔を今になすよしもがな■「街道をゆく27 」司馬遼太郎:因幡(いなば)・伯耆(ほうき)のみち■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.03.16
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3月10日からはじまる、大相撲三月場所。大阪場所とあって、映画を見に行くと、街でお相撲さんに会うことが多い。ところで、土俵で力士が片足を高く上げ、強く地を踏む所作を「四股(しこ)」というが、その語源が分かった。四股(しこ)とは、相撲における動作のひとつで、力士が土俵の上で片足を高く掲げ、強く地を踏む所作のことをいう。もとは醜足(しこあし)といった。●(スサノウ命は)またの名を葦原色許男(あしはら しこお)という。色許男(しこお)は醜男(しこお)といい、この醜はミニクイというより、強悍という意味である。上方方言で、男の子があばれちらすことを、シコルという。これは、「醜(しこ)る」ということです、とかつて田辺聖子さんが教えてくれた。【醜(しこ)の御楯(みたて)】とは、強い近衛兵ということであり、また相撲の力士が土俵にのぼって四股を踏む、というのも、敵に対して大いに「醜」を利かせてみせる、という古代の風からきた所作、ことばであるに違いない。「街道をゆく27 司馬遼太郎:因幡(いなば)・伯耆(ほうき)のみち」より。*醜(しこ)の御楯(みたて)】天皇の楯となって外敵を防ぐ者。武人が自分を卑下していう語。 三月や難波(なにわ)に鬢付け油の香 はるな・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.03.08
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今年の干支、辰にちなんで龍の話を。■龍(りゅう)天に登る(仲春)3月の季語の意味。■龍は、中国で神聖視された巨大な想像上の動物。■雲を起こし雨を呼ぶといいます。龍は、春分の日に天に登ったと信じられていました。逆に(点から降りてきて)淵に潜むのは、秋分の日だそうです。万物生動する春の盛んな気分が生んだ、いかにも中国的な幻想です。 龍天に登ると見えて沖暗し (伊藤 松宇)龍天に登る山火事雨を待つ はるみ・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.03.01
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今年は辰年。辰=龍の話を。■「臥龍梅がりょうばい」命名の謂れ■「臥龍」という言葉は古く、その出典は中国四大奇書のひとつに数えられる長編歴史小説、「三国志演義」であります。 「臥龍」は寝ている龍、まだ雲雨を得ないため天にのぼれず、地にひそみ隠れている龍のことで、転じて、まだ志をのばす機会を得ないで民間にひそみ隠れている英雄、「諸葛孔明」の例えであります。さて、処はわが国に移り、時代は下って戦国時代末期のことです。後に徳川幕府を開設した徳川家康は、幼少の一時期、今川家の人質として「清見寺 せいけんじ」という禅寺に暮らしていました。■清見寺■そして家康は、寺の庭の一隅に一枝の梅を接木したと伝えられています。「諸葛孔明」の故事どおり、「清見寺」にあった頃の家康は地にひそみ隠れておりましたが、その後、龍が天にのぼるがごとく天下人となりました。 家康の植えた梅は三百年の月日を経て大木に成長し、今も、毎年春三月には凛とした風情で花を咲かせております。さながら龍が臥したような見事な枝振りもあいまってか、この梅は何時の頃からか「臥龍梅」と呼ばれるようになりました。 もうすぐ梅が咲く頃。■辰巳は天井■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.02.01
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●古語では、食用になる海藻のことを「め」という。古代では、暖地で採れる若布(わかめ)、荒布(あらめ)、海松布(あらめ)ぐらいが食用海藻で、 北方の海でとれる昆布は、日常のものではなかった。江戸時代の海運が、昆布を、上方の暮らしのなかで常にあるものにした。 はじめは、昆布とよばれるよりも、もっとロマンチックなよばれ方をした。「えびすめ」とよばれた。 アイヌたちが採取する海藻という意味で、いまでも、大阪の塩昆布の商品名として、えびすめということばがつかわれている。(略) えびすめの名がついた塩昆布は、芸術的にまで加工されて、いまでは大阪みやげの一つになっている。北のまほろば:街道をゆく41:司馬遼太郎「えびすめ」は、大阪に本社のある株式会社小倉屋山本(おぐらや やまもと)の商品。創業は嘉永元年(1848年)の老舗。「をぐら昆布」こと松原久七から暖簾分けを許された初代山本利助が「新町橋小倉屋」として独立。のち「小倉屋山本」と社名を変更し、現在に至っている。作家の山崎豊子は3代目山本利助の実妹にあたる。作家・山崎豊子は、船場のとうさんで、船場をテーマにした作品を沢山書いている。北海道には、「昆布盛(こんぶもり)」という駅がある。駅名の由来は、アイヌ語の「コㇺプモイ(kompu-moy)」(昆布・湾)に由来する。2024年元旦に放送されていた「孤独のグルメ」で房総半島で採れる海藻「カジメ」を使ったカジメ汁というのが出ていた。主人公・井之頭五郎(松重豊)が美味しそうに「カジメ汁」を飲みながら「(カジメが)ちょいネバ、ちょいネバだ。いいネバネバだ、ネバダ州、ラスベガス」と心の中で駄洒落を言いながら食べていた。((´∀`))ケラケラ・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.01.29
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▲■岡山県で見た景色■昔から上のようなところにある家を見ると、不便だろうな・・・と思っていた。なんで山の下の土地に住まないのかと不思議でもあった。 30年ほど前、里山保全のために炭焼きの講座があって山の上に住む古老の講座に通った。その時、「なんで、山の上に住んでいるんですか?」と同じ講座に通っている人が古老に聞いた。「そら、米や」と古老。「下の田んぼは、米作らなあかん。そやから、ここに住んでんねん。」古老はこともなげに言った。水を沢山使う稲作は山の上ではできない、ということを知っていたはずなのに、不思議に心に残っている。●日本人は「水辺の民」であったのであろう。水田のできる低地が一等地で、蕪やネギなどの畑作しかできない丘は三等地であった。中世末期には、丘に住むものを「坂の者」として差別したほどである。いまは、日本人も丘にあこがれている。不動産会社の広告を見ればわかる。この現象は明治後のことで、当初、「異人さんはなぜ水田もできないああいう丘に住むのか」とふしぎがったであろう。やがて異人さん文化へのあこがれが丘について価値観を一変させた。「街道をゆく21」司馬遼太郎・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.01.15
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●かつて南部藩領だった下北半島には江戸初期までアイヌが住んでいた。(まさかりの部分が下北半島)(略)慶長十九年(1614)、いわゆる大坂冬の陣がおこった。南部藩も出兵した。このとき、下北半島田名部のアイヌの人数も中に入っていたという。(略) アイヌたちは、和人の武士たちとともに、はるかに上方へ行った。(略)戦いがすすみ、城近くの前線までくると、鉄砲の音が、落雷のようにひびいた。それまでおだやかに暮らしていたアイヌにとって、はじめて聞く音だった。四方に散り、それを追いかけるうちに戦いは済んだという。 「北のまほろば冬の旅:街道をゆく41」:司馬遼太郎●私は、アイヌが家畜のように使われていることに憤慨している。 大坂の陣は、江戸幕府と豊臣家(羽柴宗家)との間で行われた合戦。大阪の陣とも表記する。大坂の役とも呼ばれている。 慶長19年(1614年)の大坂冬の陣と、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣から成る。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.01.02
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あけましておめでとうございます!本年もどうぞよろしくお願いいたします。 今年は、辰年。龍の年ですね。 ということで、今年は、辰=龍にまつわることを毎月メモみたいに書いていこうと思います。■相場格言■に「子(ね)は繁栄、丑(うし)はつまずき、寅(とら)千里を走り、卯(う)は跳ねる。辰巳天井・・・。」があり、辰年の相場は俗に天井といわれるそうです。皆様の運が天井まで上がりますように・・・。 今年もどうぞよろしくお願いします。m(_ _"m)■うさぎに関する諺■■虎は死して皮を留め・・・■■女賢(さか)しゅうして牛を売り損ね■■ねずみ算・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.01.01
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うさぎ年ですからとウサギにまつわる諺を書いておく。■うさぎに祭文(さいもん)■何の反応もなく、意味のないことのたとえ。祭文とは、祭りの際に神に捧げる祝詞(のりと)のこと。それをうさぎに聞かせても当然理解できないことから、「馬の耳に念仏」と同じ意味で使われます。理解はともかく、うさぎに突然聞いたこともない祝詞を聞かせたら、警戒してその場で固まるか、逃げていってしまいそうです。■うさぎの角、亀の毛。■かわいいうさぎに角!? と驚いてしまいますが、まさに「ありえないこと」のたとえです。「兎角亀毛(とかくきもう)」「亀毛兎角(きもうとかく)」ともいいます。ほかに「亀毛蛇足(きもうだそく)」「烏白馬角(うはくばかく)」という言い方も。また根拠のないことに基づく無益な議論を「うさぎの角論(つのろん)」ともいいます。 日常的に使われる「とにかく」は漢字で「兎に角」と書きます。これは夏目漱石が当て字として使い始めて広がったものです。文中の写真は、■うさぎ神社■のもの。■卯は跳ねる■■雪ウサギ■■うさぎ神社■■三月ウサギ■■イースターはなぜうさぎ?■■「兎と亀」の続編「負け兎」■■しろいうさぎとくろいうさぎ■■うさぎ小屋と動画■■世界一有名なウサギ・ピーター・ラビット■■「待ちぼうけ」/株を守りて兎を待つ■■月に兎が住むのはなぜ?■■ウサギの数え方■■ウサギに関する諺■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.12.01
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8月の終わりにピアノを処分。次は、骨とう品を処分しようと私は、ネットで調べて買い取り業者に家に来てもらった。古い者が好きで、もらったり拾ったり、たまに買ったりと高価なものではないが、骨とう品?(といえるかどうか)古道具を持っている。それらを好きだけれど、手放すことに。 20代の若い男性がうちに来てくれて、見てくれた。見ている最中に、「欠けがあるものも、対象になるんですか?」と私は聞いた。男性職員「???」そこで私は、口の部分が少し欠けている片口を示しながら「金継ぎなんかして、商品にするのかと思って・・・」と言うと「金継ぎってなんですか?」と若い男性職員。古物を見に来ていて、「金継ぎ」を知らないって・・・と私はびっくりした。改めて金継ぎについて調べてみたらいろんなことが分かったので、ここにメモする。 金継ぎ(きんつぎ)は金継ぎ師によって陶磁器の破損部分を漆を用いて修繕する技法であり、古来から行われる日本の伝統工芸の一つである。古くは金繕い(きんつくろい)とも言われた。金継ぎを高く評価し、その知見を拡めた人物として千利休が挙げられ、当時金継ぎにて修繕された陶磁器は、黄泉の国より蘇った物として特別な評価を与えられたとされる。このような金継ぎの評価や、豪華絢爛さより情緒を重んじた侘び寂びを求め作為的な物より不完全な物の中に美を見出そうと取り組んでいた千利休の思想をとっても、当時禅の思想が政治や茶の湯を含めた文化、また、金継ぎが特別視されていた認識に大きく影響していたと考えられている。●逸話●豊臣秀吉が愛玩していた大井戸茶碗(銘『筒井筒』戦国の武将「筒井順慶」が興福寺の寺侍・井戸氏から譲り受け、所有したことからこの名前がついている)を小姓が割ってしまい、罰せられかけたところを、その場に居合わせた武将にして歌人の細川幽斎が「筒井筒 五つにわれし井戸茶碗 咎(とが)をば我に負ひにけらしな」と詠み、その後金継ぎを行い命を救ったと言われている。その大井戸茶碗は昭和25年に重要文化財に指定され、現在は金沢県の嵯峨家(元・侯爵家)の個人蔵となっている。 近年では、エコロジー、SDGsの観点から日本の文化・思想の一つとして、海外を中心に高く注目されており、その流れを組んだビジネス化、あるいはデジタル情報化社会の影響によって、簡易金継ぎなどの一般人による金継ぎが盛んに行われている。 うちに買い付けに来てくれた会社は、古物・骨董より指輪、貴金属などをメインに扱っているそうで、買い取りは古い腕時計のみだった。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.11.18
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今年5月16日、徳島県の出羽島(でばじま)という島に行った。■出羽島(でばじま)■現在は沿岸漁業を中心に、約70人ほどの人が暮らしている小さな島。島の家と家の間をこの地方独特のいい方で「あわえ」という。「あわえ」という言い方をするというのを島に行く前に知っていた私は、「!!」と気が付いた。高校時代に習った「平家物語」に次のような一文がある。 矢ごろ少し遠かりければ、海へ一段(いつたん)ばかりうち入れたれども、なほ扇の*あはひ*七段ばかりはあるらんとこそ見えたりけれ。**(現代語訳)**矢を射るには少し遠かったため、与一は馬を海へ一段ばかり乗り入れたが、それでもまだ七段ほどあるだろうと見えた。この「平家物語」の中にある「扇の*あはひ*」は、沖の船の扇の的との「間」という意味。**********徳島県の出羽島(でばじま)では、「家と家の間の通路」という意味で使われている。また「あわい」が縮まって「あい」という言葉になる。上の写真は、「あいかき」=「間掻き」という道具。(徳島県)「間」=あい。「あい」は、大阪では「あいさ」という言い方で古老が言うのを聞いたことがある。他の地域でも言っていた。●「あいさ」で始まる方言●あいさ (群馬の方言)隙間。 椅子持ってぐからあいさに入れて(椅子を持っていくから二人の座席の隙間に入れて)●あいさ (埼玉の方言)合間。 勤めのあいさに桑切りしたんさ(勤めをしている合間に桑切りもしたのさ)●あいさに (奈良の方言)たまに。時々。 あいさにわしとこへも遊びにきとくんなはれ(時々、私のところにも遊びに来てください。古い言葉は、京都で出来て、カタツムリのような遅さ(速さ)で移動して、最後は島など移動ができないところで止まるというが、納得だ。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.11.04
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【ウサギの数え方】 ウサギは、ノウサギ類とアナウサギ類に大別されます。長い耳、短い尾、大きな目が愛らしい上、人に慣れやすくて鳴き声が小さいことから、江戸時代にはペットとしても愛されるようになりました。ペットはアナウサギを家畜化したものです。 一方、ノウサギは狩猟の対象でもあり、食用にも用いられてきました。 昔からウサギを「羽」と数えますが、これは、仏教で四足の動物を食べることを禁じられていたため鳥として扱ったから、獲物の耳を束ねて持ち歩くことから「一把、二把」となり「一羽、二羽」に転じた、などの説があります。 現在は、生きたウサギは「匹」、食肉は「羽」、ペットは「頭」「匹」と使い分ける場合が多いようです。■卯は跳ねる■■雪ウサギ■■うさぎ神社■■三月ウサギ■■イースターはなぜうさぎ?■■「兎と亀」の続編「負け兎」■■しろいうさぎとくろいうさぎ■■うさぎ小屋と動画■■世界一有名なウサギ・ピーター・ラビット■■「待ちぼうけ」/株を守りて兎を待つ■■月に兎が住むのはなぜ?■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.11.01
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「●●させていただきます。」という言い方が気になって仕方がない。そう思っていつか書こうと思っていたら、なんと司馬遼太郎の「街道をゆく24」にそのことが書いてあった。 (略)この地(近江)では、むかしから五十戸ぐらいの門徒でりっぱな寺を維持してきたが、寺の作法と講でのつきあい、さらに真宗の絶対他力の教養が、近江人のことばづかいや物腰を丁寧にしてきた。********************日本語には、させていただきます、という不思議な語法がある。この語法は上方から出た。ちかごろは東京弁にも入り込んで、標準語を混乱(?)させている。「それでは帰らせて頂きます」。「あすとりに来させて頂きます」。「そういうわけで、御社に受験させて頂きました」。「はい、おかげ様で、元気に暮らさせて頂いております」。この語法は、浄土真宗(真宗・門徒・本願寺)の教義上から出てもので、他宗には、思想としても、言い回しとしても無い。真宗においては、すべて阿弥陀如来・・・他力・・・によって生かしていただいている。三度の食事も、阿弥陀如来のお陰でおいしくいただき、・・・(略)・・・夜は九時に寝かせていただく。(略)「お陰」という観念があればこそ、「地下鉄で虎ノ門までゆかせて頂きました」などと言う。相手の銭で乗ったのではない。自分の足と銭で地下鉄に乗ったのに、「頂きました」などというのは、他力への信仰が存在するためである。もっともいまは語法だけになっている。(略)この語法は、とくに昭和になってから東京に浸透したように思える。明治文学における東京での舞台の会話には、こういう語法は一例もなさそうである。「街道をゆく24」司馬遼太郎*********************************** 私は、「~させていただきます」という言葉を「丁寧すぎる言葉」としていつも気になっていた。私の推理はこうだ。★大阪の船場の商人が使っていた。「ほんなら、(値下げして)勉強させていただきます」という風に・・・。★吉本の芸人がテレビで使って、いつの間にか東京でも認知される言葉になる。*アテ(酒の肴)やドヤ顔のように。 東京方面の人でも、最近「ゆうたら」もけっこう使っている人がいる。■世界史ってまず単語がかっこいいんだよね【好きになっちゃう放課後 前編】で「ゆうたら」を聞いた!■あの東大クイズ王・井沢が「ゆうたら」と言った。4:28・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.10.17
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月に兎が住みのはなぜか?と調べた。月見の季節ですから・・・。■月になぜ兎がいるのか■猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。3匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。 この兎はお釈迦様が人間としてこの世に出る前に修行している姿だったという説もある。同じような話は、メキシコやネイティブ・アメリカンの間にも残っている。 月は毎月一回は必ず満月になるので、一年だと12回は満月を見る機会がありますが、中でも旧暦の8月15日(新暦では9月中旬から下旬、10月上旬)か旧暦の9月13日(新暦では10月中旬から下旬、11月上旬)の日に行う月見が有名です。■卯は跳ねる■■雪ウサギ■■うさぎ神社■■三月ウサギ■■イースターはなぜうさぎ?■■「兎と亀」の続編「負け兎」■■しろいうさぎとくろいうさぎ■■うさぎ小屋と動画■■世界一有名なウサギ・ピーター・ラビット■■「待ちぼうけ」/株を守りて兎を待つ■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.10.02
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■歌詞:童謡・唱歌『待ちぼうけ』■待ちぼうけ 待ちぼうけある日せっせと 野良稼ぎそこに兔がとんで出てころりころげた 木のねっこ待ちぼうけ 待ちぼうけしめた これから寝て待とうか待てば獲物が驅けてくる兔ぶつかれ、木のねっこ■株を守りて兎を待つ■株を守りて兎を待つとは、古い習慣にこだわって、時勢の変化に応じた処理ができず進歩がないこと。一度味を占めたことにとらわれて、融通が利かないことのたとえ。●語源・由来●株を守りて兎を待つは、『韓非子』の次の故事に由来する。昔、中国宋の農夫が、切り株にウサギがぶつかって死んだのを見た。それ以来、これと同じ事が起きてウサギが手に入るのではないかと思い、仕事をしないで毎日その株を見守っていたが、結局何も起きず、ウサギは捕れなかった。この話から、古い習慣や過去の経験にこだわって、進歩がないことを「株を守りて兎を待つ」と言うようになった。「待ちぼうけ」は、北原白秋作詞、山田耕筰作曲の唱歌(童謡)である。1924年(大正13年)に、満州唱歌の一つとして発表された。♪満洲唱歌♪満洲唱歌(まんしゅうしょうか)とは、1924年(大正13年)から太平洋戦争終戦にかけて満洲で発行されていた教科書(唱歌集)『満洲唱歌集』・『満洲小学唱歌集』・『ウタノホン』に収録された歌の総称。♪『待ちぼうけ』 - 北原白秋作詞・山田耕筰作曲。1924年発行の『満洲唱歌集』に収録された。満洲唱歌用に作られた作品であったが、その後内地でも流行した。1940年の大改訂で削除された。『ペチカ』 - 北原白秋作詞・山田耕筰作曲。1924年発行の『満洲唱歌集』に収録された。 今回、はじめて「まちぼうけ」の歌の裏にある、中国のことわざや、「満州唱歌」のことを知った。■卯は跳ねる■■雪ウサギ■■うさぎ神社■■三月ウサギ■■イースターはなぜうさぎ?■■「兎と亀」の続編「負け兎」■■しろいうさぎとくろいうさぎ■■うさぎ小屋と動画■■世界一有名なウサギ・ピーター・ラビット■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.09.01
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世界一有名な兎といえば、ピーターラビット。その生みの親は、ビアトリクス・ポター。■~ビアトリクス・ポター~■ビアトリクス・ポターは1866年7月28日、ロンドンのケンジントン、ボルトン・ガーデンズ2番で生まれました。ポター家は、大勢の使用人に囲まれて大邸宅に住む、典型的なビクトリア朝の裕福な家族でした。教育を受ける年齢になると、子ども部屋は教室となり、ビアトリクスはひとりで家庭教師から授業を受けました。彼女のような上流階級の子女は学校には通わずに家庭教師につくことが多かったのです。幼少の頃から多くの時間をペットとして飼っていた小動物や昆虫などと過ごし、鋭い観察力と絵画の才能を磨きました。ビアトリクスが16歳の夏、一家はイングランドの湖水地方に家を借りました。これがビアトリクスにとっての初めての湖水地方訪問です。彼女はこの土地の美しさに一瞬にして魅せられ、その後生涯を通じて魅了され続けることになります。(▲湖水地方の風景)39歳の頃、ロンドンから湖水地方に拠点を移し、晩年は牧羊と自然保護活動に力を注ぎました。1943年にビアトリクスが亡くなった時、16の農場と4300エーカー以上の土地がナショナル・トラストに遺贈されました。彼女の望みどおり、▲ヒルトップ農場は当時ビアトリクスが住んでいたそのままの姿で保存されており、現在でも年に何千人もの観光客が訪れています。☝ヒルトップの畑☟☝ヒルトップの畑☟■ヒルトップとポターの愛した小径■■映画ピーターラビット■■卯は跳ねる■■雪ウサギ■■うさぎ神社■■三月ウサギ■■イースターはなぜうさぎ?■■「兎と亀」の続編「負け兎」■■しろいうさぎとくろいうさぎ■■うさぎ小屋と動画■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.08.02
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うさぎ小屋とは、日本人の狭い住居を形容した語。うさぎ小屋の語源・由来うさぎ小屋は、昭和54年(1979年)にEC(ヨーロッパ共同体)が出した非公式報告書『対日経済戦略報告書』の中で、日本人の住居が「rabbit hutch(うさぎ小屋)」と形容されたことから、日本では自嘲をこめた流行語となった。■それでも、世界では真似ができない、日本ならではの素晴らしいところがあります。■それが、お風呂とトイレ。「新しいお家に遊びに行ったときに、家庭用のお風呂なのにミストサウナやTVがついていて驚いたよ!あと、トイレに入ると、蓋が自動で開くし、ウォシュレットがついていて先進的だと思ったね」日本のウォッシュレットトイレは、世界的に見てもかなり先進的。便座が温かなトイレも、海外で見かけることはほとんどありません。「NEVER TOO SMALL」というYouTubeチャンネルが好きで見ている。世界中の小さな部屋、しかも魅力的な部屋が紹介されていて、とても興味深い。■NEVER TOO SMALL: DIY Plant-filled Waterfront Loft, Amsterdam -■☝アムステルダムの水辺の小さなアパート。☟日本の小さな部屋も紹介されている。■NEVER TOO SMALL: Modern Compact Japanese Family Home, Osaka - 57sqm/613sqft■大阪:■NEVER TOO SMALL: Iconic Tokyo Architect’s Tiny House - 19sqm/194sqft■☝東京☟■NEVER TOO SMALL: Tokyo Architect’s Tranquil Small Apartment 46sqm/495sqf■ 中でも一番好きなのが■この回■小さな部屋だけれど二人のセンスが光っている。彼らの■YouTube「ヒゲとわたし」■は毎回楽しみ。こんなセンスのいい部屋でも「うさぎ小屋」っていうのかな・・・。■キオク的サンサク■のこの回の部屋も大好き♪■卯は跳ねる■■雪ウサギ■■うさぎ神社■■三月ウサギ■■イースターはなぜうさぎ?■■「兎と亀」の続編「負け兎」■■しろいうさぎとくろいうさぎ■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.07.01
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「しろいうさぎとくろいうさぎ」二匹の小さなうさぎが、広い森のなかに、住んでいました。二匹は毎日、一日中楽しく遊びました。あるとき、ニ匹で遊んでいる最中、黒いうさぎが座り込み、とても悲しそうな顔をします。どうしたのか訊ねる白うさぎに、黒うさぎは言います。「ぼく、願いごとをしているんだよ。いつも いつも、いつまでも、君といっしょにいられますようにってさ。」二匹は手を握り合い、たんぽぽの花を摘んで耳にさしました。他のうさぎたちや、森に住む動物達がやってきて、月の光の中で結婚式のダンスを踊ります。 白いうさぎと黒いうさぎのやさしい愛の物語が墨絵のような濃淡でやわらかく語られます。森の情景の美しさ、こずえの葉のそよぎ、草のにおいまでが2匹のうさぎを祝福しています。「ずっと一緒にいたい」という想いを託して、大好きなあの人へのプレゼントに!内容紹介(情報提供:絵本ナビ) うちにある「しろいうさぎとくろいうさぎ」は今から40年以上前にバザーでピンと来て買ったもの。表紙のイラストの可愛らしさに、中も見ないで買ったけれど、買ってよかったと今もあの時を思い出す。 それから何年かして、今度、ピンと来たイラストの本があった。それが「大草原の小さな家」シリーズ。イラストは、ガース・ウィリアムズ。 「しろいうさぎとくろいうさぎ」は、文章もウイリアムズ。白いウサギと結婚する黒いウサギの物語である。この本は異人種間の愛というテーマを連想させるために、アメリカ南部の図書館では開架から撤去されるケースもでて、論争を呼んだ。ウサギたちを二つの異なる色彩で描いたのは読者が違いをすぐに見分けられるからだとする人もいたが、一方で、白と黒のモチーフは陰陽(つまり「男と女」ただし、色と性別の組み合わせは逆転している)を示唆するものだという人もいた。■卯は跳ねる■■雪ウサギ■■うさぎ神社■■三月ウサギ■■イースターはなぜうさぎ?■■「兎と亀」の続編「負け兎」■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.06.01
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兎年ですからとウサギの話を集めている。「ウサギと亀」という超有名な童話は、知らない人がいない。しかし、「ウサギと亀」に続きがあるとは知らなかった!■カメに負けてしまうという汚名を着てしまった負けウサギ。■もちろん仲間のウサギから仲間外れにされ、故郷を追い出されてしまう。 しかし、負けウサギはひょんなことから、オオカミが自分の故郷の子ウサギたちを狙っていることを知る。オオカミから子ウサギを守れば、また仲間に戻れると思った負けウサギは、仲間たちのところへ行き「オオカミをやっつける」と宣言をするのだった。そして、負けウサギは1匹でオオカミのところへ向かうと、こう言った。 「子ウサギを連れてきたいのだけど、オオカミさんの顔を見ると子ウサギたちが怖がるので、連れてこられない。いいと言うまで、後ろを向いていてもらえないか?」オオカミは素直に負けウサギの提案にのり、負けウサギに背中を向ける形で崖の上に立った。そのチャンスにすかさず負けウサギはオオカミに攻撃! オオカミは崖から落ちて死んでしまった。 知恵を使って命がけで子ウサギたちを守った負けウサギは、見事故郷に戻ることができ、ヒーローとして称えられるようになったとさ。「敗者には厳しい結末が付き物だが、名誉挽回のチャンスは来るものだ」というメッセージを感じる。どん底に落ちても、知恵と勇気があれば、また幸せになれるといったところか。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■滋賀県「豊郷(とよさと)小学校」の旧校舎■は、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計し建てた小学校として有名。階段の手すりには、兎と亀!!自分の足の速さ=才能を過信して、亀なんかすぐ追い越せるとばかりに、眠る兎。かたや、亀はというと、コツコツと歩いて、お先に失礼とばかりに階段の中ほどにいる。ヴォーリズの遊び心のある建物だ。▲名古屋市で見つけたウサギ!!■卯は跳ねる■■雪ウサギ■■うさぎ神社■■三月ウサギ■■イースターはなぜうさぎ?■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.05.01
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■イースターはなぜうさぎ?■うさぎは多産なことから、イースターでは豊穣と生命の象徴として登場しています。うさぎは、肉食動物から狙われる被捕食動物であるため、妊娠サイクルも短く、たくさん子供を産んで種を維持しており、そんな生態が豊かな命の営みや春の躍動感を感じさせ、キリストの復活というお祝いの意味付けに一役かっているからなのでしょう。 イースターのうさぎは「野うさぎ」で、うさぎの食物である草が、春先に茂りはじめ、うさぎも繁殖を始める時期であることからも、春の躍動感とリンクした動物というイメージがあることも理由でしょう。なお、うさぎが登場するのは西欧のイースターだけで、東欧では登場しません。古くから、縁起の良い動物として扱われてきたうさぎ。キリスト教の重要な役割を担っていたなんて知ったら、あらためて見直してしまいますね。 イースターは「春分の日以降、最初の満月の日の次に来る日曜日」に祝うため、毎年日付が大きく変わります。2023年のイースター(復活祭)は4月9日(日曜日)。 ■イースター(復活祭)■クリスマスツリーがクリスマスのシンボル、かぼちゃがハロウィンのシンボルであるように、イースターにもシンボルがあります。それが、「イースターエッグ」と「イースターバニー」!お店で見る卵やうさぎは、イースターグッズだったんですね。イースターエッグとは、最近ではプラスチックやチョコレートでつくられたものが多いですが、卵そのものを指します。卵は生命のはじまりの象徴であり、殻のなかにいる時間を経て、殻を割って生まれてくる様子が、キリストの復活を表していることからシンボルとなっています。続いてイースターバニーは、うさぎが多産であることから、豊穣や繁栄のシンボルとされていることがもとになっているそうです。 ちなみに、モアイ像で知られるイースター島。1722年、オランダ海軍がこの島を発見した日がイースターだったため、「イースター島」という名をつけたそうですよ。島の名前になってしまうほど、昔から特別な祝祭だったんですね。■卯は跳ねる■■雪ウサギ■■うさぎ神社■■三月ウサギ■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.04.01
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言葉が大好きで大河ドラマ「どうする家康」を見る時も、自然にその地方の言葉を探してしまう。 第8回目:「三河一揆でどうする!」では、一向宗が寺に集まっているシーン。その中に、★「さぁ、たんと食べり・・・」と言いながら握り飯を配る一向宗信者の女性。「食べり」!! 大河ドラマ「花燃ゆ」でも、「た(食)べり。」と握り飯を配るシーンがあった。■大河ドラマ「花燃ゆ」で見つけた方言:食べり■大阪の泉州地方や兵庫県の西部・高砂市あたりでも使っているのを聞いたことがある。九州一の歓楽街中州でも、初対面のお姉さんたちは「もっと飲み♪」「こっちに座り♪」「これ食べり♪」「また来(き)♪」と客を接待する。★「どうする家康」の中では、もう一つ、「イ行」の命令形が。それは、「目を開けり」。戦いで殺されて、運ばれてきた夫に対して妻が「あんた、目を開けり」とすがりつくシーン。■大河ドラマ:どうする家康■■「一段活用動詞の連用形+り」を使う地域は下記の地方だそうだ。■群馬県長野県大阪府泉州地域兵庫県姫路市周辺山口県福岡県大分県方言をチェックしながら見ると、ドラマが二度楽しめる(⌒∇⌒)■動画:三河一向一揆は、なぜ家康人生の三大危機と言われるのか?■■朝ドラ「半分、青い。」の方言■■大河ドラマ:西郷どん:三人(みたり)■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.03.04
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三月ウサギ(英: March Hare)は、ルイス・キャロルの児童小説『不思議の国のアリス』に登場する、擬人化されたノウサギのキャラクター。 帽子屋、眠りネズミとともに自宅の前で「狂ったお茶会」を開いており、お茶会に加わったアリスをおかしな言動で翻弄する。チェシャ猫から帽子屋とともに「気が狂っている」と評される三月ウサギは、「三月のウサギのように気が狂っている」という英語の言い回しから生み出されたキャラクターである。 この成句は繁殖期である三月に雄のノウサギが見せる落ち着かない振る舞いを示している。ただし実際にはノウサギの繁殖期は8か月の長さにおよび、三月だけ特に繁殖行動が盛んになるというわけではないらしい。 このノウサギの繁殖期の観察を行ったアンソニー・ホーリーとポール・グリーンウッドという科学者は、デジデリウス・エラスムスの句に「沼のウサギのように狂った」というものがあり、この沼 (marsh) が三月 (March) に転訛したのだと述べている。■卯は跳ねる■■雪ウサギ■■うさぎ神社■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.03.01
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可愛らしい赤ちゃんの顔が見たくて、毎日覗いている北海道の方のブログで方言の話題が。方言大好きな私としては、ついついメモしてしまう。この日のタイトルは■「1人でおっちゃんこ」。■「おっちゃんこ」というのは初めて聞くが、コメントもいろいろ。★生まれた時から神奈川県在住ですが…「おちゃんこ」ですね。座ること。★滋賀では、おっちん、と言ってましたよ~!★うちは両親が長野でしたが「おっちゃん」でした。代わりがない方言は「ずくなし」かなー?なまけもの?みたいな意味だけどまたちょっと違う感じだそうです。◎「ずくなし」を調べてみた。「ずく」とは共通語に訳しにくい言葉だそうで、「ものごとに立ち向かう気力、活力」を意味し、それが「ずくなし」となれば、「面倒臭がり、役立たず、怠け者、無精者」となるらしい。★静岡ですが、ちゃんこですね。★岐阜県出身です。おちゃんこ、っていいますよ。★我が家も旦那さん関西人で「いずいわぁ〰︎。」って言ったら「いずいって何?」言われましたわぁ◎「いずいわぁ〰︎。」が「お座りは・・・」?いづめ人形は、冬にご飯を保温するのに使う籠(いづめ)に、幼い子を入れて寒さから守った風習から生まれた民芸品。飯を「いい」と読み「いい」を詰める「飯詰=いづめ」。そのいずめに座る人形を「いずめ人形」というが、「いずい」もこのあたりから来ているのではないかと思う。知らんけど( ´∀` )★「おっちゃんこ」写真を見て分かりました。関西地方は「おっちん」「おっちんとん」でこちら中国地方は「ちゃんこ」です。★私は東京うまれですが、座るときは、えんこ、えんちょで育った記憶があります。★奈良県はおすわりのこと、「おっちん」です。★おっちゃんこ使わないけど私は「ちゃんこしてね」って使うから分かりましたよー!愛知県在住です。★名古屋だと、「ちゃんこ」=おすわり です。子どもや赤ちゃん、子犬もです。可愛い子に対して「はい、ちゃんこして」って言います。お年寄りは、更に名古屋弁が強いと「はい、ちゃんちして」とか「はい、ちんして」って言います。何だか、「ちゃんこ」の丁寧バージョンが「おっちゃんこ」みたいな★私は関西ですが、「おっちょん」です。◎私は、「おっちん」、「おっちんとん」。◆ちゃんこ系◆ちゃんこして、ちゃんちして、ちゃんちゃんして、ちゃんちんして、ちょんちょんしてさらにはこれと似たものでじぇんこして、しゃんこ、じゃんこして、じゃんしてまた北海道などで多かったのが「おっちゃんこして」、「おっちゃんして」というものです。きっとこれはちゃんこに「お」を付けたものなんでしょう。◆おっちん系◆おっちんして、おっちんこして、おっちんとんしてこれは関西地方を中心に西日本で多いようでした。◆えんこ系◆えんこして、えんとして、えんこたんして、えんこちゃしてえんちゃしてというようなものや、ちゃんこと似た「えんちゃんこして」という言い方もありました。◆その他いろいろ◆あっとんして、あんがーして、おいんとして、おしゃんこして、おしゃんこらして、おちょきんして、おちんとんして、とんちして、とんとんして、べべちゃんこしてその他にもいろいろあるようです。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.02.25
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■早春賦■♪音が出ます!春は名のみの 風の寒さや谷のうぐいす 歌は思えど時にあらずと 声もたてず時にあらずと 声もたてず 春を待ちわびている人々の思いや朗らかな風景を表現した日本の名曲「早春賦」。■題名の「賦」とは■漢詩を歌うこともしくは作ることを指し、「早春に賦す」が原義である。そのせいか、難しい言葉が多い。はるはなのみのかぜのさむさやというところを「春花の実の~」と歌っている人がいたが、私も大きな間違いをしていた。それは2番。氷とけさり あしはつのぐむさては時ぞと 思うあやにく今日も昨日も 雪の空今日も昨日も 雪の空2番の1行目の氷とけさり あしはつのぐむを氷が解け去ったので、足がつのぐんだと思っていた。つのぐむって、足がのんびりする、みたいな感じかな・・・と思っていたが、違った・・・。正解は、「葦はつのぐむ」。氷は解け 葦(あし)は芽吹くという意味。「つのぐむ」は、葦が芽吹く時、鹿の角が生えたように見えることから「角ぐむ」というらしい。■早春賦■時にあらずと:まだその時ではないとつのぐむ:芽が出始めるさては時ぞと:今がその時だと思うあやにく:思ったのに、あいにく知らでありしを:知らないでいたものをへえぇ~~!!へえぇ~~!! 立春が過ぎたが、春は名のみで風が冷たい今日このごろである。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.02.06
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■雪ウサギ■雪うさぎは、雪でウサギの形を作ったもの。雪像のひとつ。 白い雪を固めて作った半球形の胴体に、南天や椿などの常緑樹の緑の葉を二枚付けて耳とし、南天の赤い実を二つ付けて目としてウサギの形に作る。(飯塚書店編集部編 『短歌表現辞典 生活・文化編』 2刷2004年(1刷1998年) p.53)。 松の葉を髭として付ける場合もある。同じ雪像の類である雪だるまは大きく作ることを競い合ったりするのがふつうであるが、雪うさぎの場合は動物のウサギが小型獣であるせいか、大きさは10センチから30センチくらいであまり大型に作らない傾向がある。 南天が冬でも枯れず「難を転じる」として正月の縁起物である植物であることも手伝って、雪うさぎの愛らしい姿は冬の風物詩として親しまれている。 雪の降らない土地で子供時代を過ごしたので、雪ウサギは、1回しか作ったことが無い。雪だるまも数えるほどしか作ったことがない。 ■卯は跳ねる■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.02.01
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えっさっさ えっさっさぴょんぴょこ兎が、えっさっさ、郵便はいだつ、えっさっさ、唐黍(とうきび)畑を、 えっさっさ向日葵(ひまわり)垣根を えっさっさ両手をふりふり、えっさっさ傍目もふらずに、えっさっさ「電報」「電報」 えっさっさ北原白秋私は、これを文字通りなつかしみつつ読んだが、「郵便はいだつ」とあるのに驚いた。(以下略)(大正十年のアルス刊の初版本)山田俊雄著 これを読んで、私は、はっと気がついた。「洗濯」を「せんだく」というのを聞いたことがある。それも一人ではなく・・・。それで調べてみた。■命の洗濯■「洗濯」が「せんだく」になっている点にも注目していただきたい。「洗濯」は古くは「せんだく」と濁って発音されていた。日本イエズス会がキリシタン宣教師の日本語修得のために刊行した辞書『日葡辞書(にっぽじしょ)』(1603~04)にも、「センダク」のほうが「センタク」よりも良い言い方であると記されている。■連濁(れんだく)とは、■二つの語が結びついて一語になる(複合語)際に、後ろの語(後部要素)の語頭の清音が濁音に変化する、日本語における連音現象をいう。「ときどき」「いけばな」などがその例である。「配達」を「はいだつ」、「洗濯」を「せんだく」というのは、連濁だったのか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.01.21
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■シーハイルの歌■作詞:林柾次郎、作曲:鳥取春陽1 岩木のおろしが 吹くなら吹けよ 山から山へと われらは走る きのうは梵珠嶺(ぼんじゅね) 今日また阿闍羅(あじゃら) けむり立てつつ おおシーハイル 私が子どもの頃流行った「シーハイルの歌」という歌。好きだったけど、「ボンジュネ」、「アジャラ」、「シーハイル」ってなに???これはスキーの歌だから、分からないと思って調べなかった。けれど、調べてみようと思ったのは、昨年6月に東北の青森県、岩手県、秋田県を旅行した時。■2022年6月14日(火)■青森県・弘前市をガイドさんの案内で廻った。良く晴れた日で、岩木山がすっきりと見えた。この日は、青森県・弘前市から東北自動車道を通って秋田県に移動。その途中、「阿闍羅PA」と書いてあるパーキングエリアを通り過ぎた。通り過ぎたのは、一瞬だったのが、その一瞬で、「シーハイルの歌」のことが半分以上分かった。弘前市の岩木山は、♪岩木の颪(おろし)が吹くならふけよ。そして、さっき通った「阿闍羅(あじゃら)PA」は、♪今日はまた阿闍羅(あじゃら)。そうしたら、「梵珠嶺(ぼんじゅね)」という地名もこの辺にあるのでは、と地図を見ると、あった!!梵珠山(ぼんじゅさん)は青森市と五所川原市に跨る標高468mの山。 東北地方に奈良時代仏教を布教した法相宗の道昭上人が釈迦三尊の文殊菩薩の文殊に因み、当時からまたはその後造語として「梵珠」と名付けたとされる。梵とはブラフマンとも言われる宇宙の根本原理。珠は数珠にも使われる文字で丸い玉を意味する。 そして、「シーハイル」とは、ドイツ語の 「Schi Helli」、「スキー、万歳!」、スキーヤーの挨拶言葉なんだそうだ。60年以上謎だった歌詞の意味が分かった、。「釈迦内」という地名もあった。 阿闍羅(あじゃら)PAのある大鰐町は津軽地方でも仏教の伝来は早く、国の重要文化財の指定を受ける大日如来像が祀られ、地方の信仰を集めていた。阿闍羅(あじゃら)という名の由来には、諸説があり、阿遮羅(あしゃら=不動明王)、阿婆羅(あばら=五輪塔)、阿闍梨(あじゃり=修行を積んだ僧)、さらに聖徳太子が宮殿内に大日如来・不動尊・聖観音の三尊を祀り、阿闍羅不動と称したことなどです。ドイツのヒットラーに敬礼する時、「ハイルヒットラー」というが、あれは「ヒットラー万歳!」という意味だったのだ。今頃、青森県では、スキー客が「シーハイル」と言い合っているのだろうか。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.01.07
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あけましておめでとうございます!本年もどうぞよろしくお願いいたします。 今年は、卯年。ウサギの年ですね。ということで、今年は、ウサギにまつわることを毎月メモみたいに書いていこうと思います。相場格言に■「子(ね)は繁栄、丑(うし)はつまずき、寅(とら)千里を走り、卯(う)は跳ねる」があり、卯年の相場は俗に上昇相場といわれる。今年の運勢は跳ねて上向きだといいなと思います。■しば犬をうさぎと見間違えてしまった自分にツボる2歳児■(〃艸〃)ムフッ 今年もどうぞよろしくお願いします。m(_ _"m)・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2023.01.02
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●一休と虎屏風の虎退治 足利義満が一休に出した問題の一つ。「屏風絵の虎が夜な夜な屏風を抜け出して暴れるので退治して欲しい」と義満が訴えたところ、一休は「では捕まえますから虎を屏風絵から出して下さい」と切り返し、義満を感服させた。 他にも一休さんのとんち話には、「このはし渡るべからず」というのがある。桔梗屋が一休に出した問題の一つ。店の前の橋を一休さんが渡ろうとすると、「このはしわたるべからず(『この橋を渡るな』の意)」と書いてある。しかし一休は、「この端(はし)渡るべからず」と切り返し、橋の真ん中を堂々と渡った。後日談で、同じ問題に加えて「真ん中も歩いては駄目」と難題を出されたが、「橋に乗らねばよいのだろう」と敷物を敷いてその上を歩いて渡ってきた。■一休宗純が遺した言葉■*門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし*釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはするかな*秋風一夜百千年(秋風のなかあなたと共にいる。それは百年にも千年の歳月にも値するものだ)*女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む*世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って後は死ぬるを待つばかりなり*南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ*えりまきの 温かそうな 黒坊主 こいつの法が 天下一なり(本願寺で行われた開祖親鸞の二百回遠忌に、他宗の僧侶としてはただ一人参拝し、山門の扉に貼り付けて帰った紙に書かれていた)*分け登る 麓の道は多けれど 同じ高嶺の月こそ見れ■一休という名前は、■一休さん自身が残した「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」という言葉から来たという。実のところ、さまざまな解釈がある難解な内容らしいが、人はいずれ、有漏路(うろじ、煩悩の世)から無漏路(むろじ、悟り)に向かうのだから慌てるな、ということだろうか。確かに死がやってくればすべては終わる。慌てなくてもいつかは死ぬ。さあて一休み、一休み。でも、その一休さんが臨終の床で発したのは、「死にとうない」のひと言だったという。今日は、19日ということで、「1」「9」・・・いきゅう・・・一休。ということで、この記事をアップした。■とら年ですから:陽気に虎拳:とらとら■■とら年ですから:虎拳「♪ とらとら」■■とら年ですから:「山月記」の虎が表すものと国語の教科書問題■■とら年ですから:もしもトラがいなくなったら■■とら年ですから:虎の名前の植物■■とら年ですから:張り子の虎■■とら年ですから:虎口(こぐち)■■とら年ですから:虎の語源■■とら年ですから:千人針と寅年生まれ■■とら年ですから:大坂・高麗橋の虎屋■■とら年ですから:江戸時代の見世物と虎という字について■■とら年ですから:白虎■■とら年ですから:虎は死して皮を留め人は死して名を残す■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2022.12.19
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方言が好きな私は、旅行中、つい方言を採取する癖がある。■6月に行った東北旅行の方言■をここに記録。6/9■青森県:青森市「ねぶたの家 ワ・ラッセ」■ 写真3枚▲6/10■青森県:けっぱれ■坂道の途中に「ケッパレ」の文字。「がんばれ」の東北弁。6/11-2■秋田県:じょっぱり■津軽弁で頑固者のこと。▲6/13-2■青森県:かだれ■弘前市の中心部、百石町にある「かだれ横丁」。「かだれ」とは津軽の言葉で「語れ」という意味。▼▲7/14■青森県:あずましい■青森の方言「あずましい」は、「気持ちがいい」という意味で北海道でも使われている。青森から北海道に渡った人々が伝えた言葉だろう。6/15-1■秋田県:コの字づくし■♪コラ、秋田名物 コの字づくしをつまんで言うならば(アーソレソレ)坊ッコにガッコ笠ッコに小皿コ 酢コに醤油ッコ■秋田音頭■やませ=偏東風(山背)とは、北日本の(主に東北地方)太平洋側で春から夏(6月から8月)に吹く冷たく湿った東よりの風のこと。私は、■小林旭 - アキラのダンチョネ節■ではじめて知った。♪別れ風だよ やませの風だ俺をうらむな 風うらめ忘れまいぞと あとふりむいてダンチョ歌えばさ、また涙 ダンチョネ「国民休暇村・陸中宮古」で「宮古弁講座」があった。●あめる→(共通語)腐る●かれる→(共通語)(虫に)さされる。●かぜ→(共通語)ウニ●くるびーもづ→(共通語)くるみ餅●けけだす→(共通語)思い出す●とつこ→(共通語)(糸が)からまる■:岩手県:やませ、「宮古弁講座」■おでって=「おいで(ください)」■岩手県:盛岡市にて■「こびり」とは、「こびる」=「小昼」、転じて「おやつ」という意味らしい。■「しったげうめえ」。■良い意味でも悪い意味でも「すごい」ときに使う方言。「死ぬほど、死ぬだけ」を語源としているので、「しんたげ」という言い方をする場合もあります。写真で見たわけではないが「キナキナ」という言葉もメモしておこう。▲「キナキナ」とは主に南部系の工人によって作られる、頭部がくらくらと動く小寸(10cm程度が定寸)のこけしをいう。宮沢賢治の父親目線で描かれた賢二の物語小「銀河鉄道の父」で知った。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2022.12.08
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とら年ですからと今年は、虎にまつわることを書いてきた。■虎は死して皮を留め人は死して名を残す■[解説] 虎の皮はその美しさによって古くから珍重されました。日本に虎は生息しませんが、すでに飛鳥時代に新羅からその皮が貢上されています。日本に虎が生息しないことは、よりその希少性を高めたことでしょう。希少性に鑑みるならば、ことわざは虎の皮と人の名をともに貴重なものとして並称していることになりますが、真意は虎と人とを対比させ、物ではなく名誉を残すことの大切さを語る点にあります。■この言葉は、日本にもかなり早く伝わっていたようで、■『日本国語大辞典』(小学館)を調べたところ、『古来風体抄』に「とらはしにてかはのこす。人はしにて名をとどむ」とあるそうです。『古来風体抄』は、1197年に初撰本が編まれ、1201年に再撰本が作られていますから、鎌倉時代初頭には、この言葉が日本に入ってきていたことになります。臆病な虎を鍛へる十二月 櫂未知子■とら年ですから:陽気に虎拳:とらとら■■とら年ですから:虎拳「♪ とらとら」■■とら年ですから:「山月記」の虎が表すものと国語の教科書問題■■とら年ですから:もしもトラがいなくなったら■■とら年ですから:虎の名前の植物■■とら年ですから:張り子の虎■■とら年ですから:虎口(こぐち)■■とら年ですから:虎の語源■■とら年ですから:千人針と寅年生まれ■■とら年ですから:大坂・高麗橋の虎屋■■とら年ですから:江戸時代の見世物と虎という字について■■とら年ですから:白虎■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2022.12.02
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とら年ですから、「虎」、「白虎」の話をしよう。■白虎(読み)びゃっこ■中国古代の想像上の動物で、玄武(げんぶ)、青竜(せいりゅう)、朱雀(すざく)とともに四神(しじん)の一つ。四神はそれぞれ天空の四方に輝く星宿(せいしゅく)に配当され、地上にあっては四方の土地を分担して守護する霊禽(れいきん)神獣と考えられたが、そのなかで白虎は西方を管轄した。四神の信仰は中国の戦国時代のころに形成されたと思われるが、中国の国内において浸透しただけでなく、古代の朝鮮や日本にも伝播(でんぱ)した。わが国では、奈良の薬師寺金堂の本尊台座や、飛鳥(あすか)の高松塚古墳の石槨(せっかく)内壁にみられる四神の意匠が有名である。地相、家相で、理想的な地形として、家の右方(西)に大道のあることをいう。 ●平安京は、延暦十三年(794)「山背国(やましろのくに)」から「山城国」に改名。陰陽歴の原理、四神相応(しじんそうおう)の地。東に鴨川(青流の神がやどる川)南に巨椋池(おぐらいけ)(朱雀の神がやどる池)、西に山陰道(白虎の神がやどる道)、北に船岡山(玄武の神がやどる山)と考えられた。「曳舟の道」より。 「白虎隊」の名称は、中国の伝説の神獣「白虎」に由来する。会津藩では、1868年(明治元年)軍政の改革をして中国の故事にならい年齢別に軍を編成した。 白虎隊16歳から17歳 朱雀隊18歳から35歳 青竜隊36歳から49歳 玄武隊50歳以上 の四隊に分けた。■とら年ですから:陽気に虎拳:とらとら■■とら年ですから:「山月記」の虎が表すものと国語の教科書問題■■とら年ですから:もしもトラがいなくなったら■■とら年ですから:虎の名前の植物■■とら年ですから:張り子の虎■■とら年ですから:虎口(こぐち)■■とら年ですから:虎の語源■■とら年ですから:千人針と寅年生まれ■■とら年ですから:大坂・高麗橋の虎屋■■とら年ですから:江戸時代の見世物と虎という字について■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2022.11.01
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両国で見世物見物、今度は虎の見世物です。見世物と言っても、虎の皮を板に張り付けるような代物せはなく、生きた虎を見せるのです。その虎は、生後七か月ほどの子虎で、大きな犬ほどの大きさです。また、少々値は張りますが銭七百文(約1400円)を上乗せすれば、鶏を食べるところを見せると言うのです。鶏は生きたものか死んだものかは、書かれていません。それにしても七百文はちょっと高い気もします。この虎は、オランダ人が長崎へ持ち込んだもので、千七百両もした高価な虎、少しでも元を取ろうというのでしょう。さてこの虎は、将軍の上覧にも供されたほどの虎でありますが、実は虎にあらず豹だったのです。虎は元々日本にいない動物、豹を虎と偽ってもばれないと思ったのでしょうか、しかし、昔の日本では豹を虎のメスと考えていた時代もあり、あながち嘘とも言えません。「下級武士の食日記 増補版」より■「竹林豹虎図(ちくりんひょうこず)」■名古屋城の本丸御殿(名古屋市)。一之間と二之間には、「竹林豹虎図(ちくりんひょうこず)」と呼ばれる障壁画がはめ込まれている。竹林で虎の親子がたわむれる様子が、金箔と岩絵の具で描かれている。江戸前期に狩野派の絵師が手がけたといわれる。何頭かはどう見ても豹だが、制作当時、日本では虎と豹は区別されておらず、豹は虎の雌と思われていたとされる。■とら年ですから:陽気に虎拳:とらとら■■とら年ですから:「山月記」の虎が表すものと国語の教科書問題■■とら年ですから:もしもトラがいなくなったら■■とら年ですから:虎の名前の植物■■とら年ですから:張り子の虎■■とら年ですから:虎口(こぐち)■■とら年ですから:虎の語源■■とら年ですから:千人針と寅年生まれ■■とら年ですから:大坂・高麗橋の虎屋■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2022.10.01
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今年は、とら年ですから、虎にまつわる話を書いている。 今回は、■「下級武士の食日記」■にあった江戸時代の大坂・高麗橋にあった虎屋の話。●伴四郎は大坂名物の虎屋饅頭を飛脚で和歌山の家へ届けさせています。わざわざ飛脚で送るくらい美味しく有名な饅頭だったのでしょう。虎屋饅頭というのは大坂高麗橋三丁目にあった菓子屋虎屋伊織(山城)の名物でした。この店は、現在の商品券にあたる饅頭切手を考案したり、店頭で饅頭を蒸しあげる時にパフォーマンスを行って客寄せを行うなど、上方では知られた菓子屋でした。店そのものが大坂名所になっており、多くの旅人が見物に訪れています。例えば嘉永五年(1852)、お伊勢参りの途中に大坂を訪れた武藏国大里郡村岡村(埼玉県熊谷市)の農民たちが、案内人に連れられて虎屋を見物しているのですが、台所(製造場)の大きい事への驚きを道中記に記していtます。 虎屋伊織は明治以後閉店しますが、現在では大阪の鶴屋八幡がその衣鉢(いはつ)を継いでいます。ちなみに京都で永年禁裏の菓子御用を勤め、明治二年(1869)の東京遷都とともに東京にも進出した虎屋(とらや 虎屋黒川)とは別の店です。 「店頭で饅頭を蒸しあげる時にパフォーマンスを行って客寄せ」といえば■動画:奈良・中谷堂の高速餅つき■■中谷堂HP■ そして、中谷堂の餅つきを見ると、思い出すのが、■クールポコ!!!■な~~~に~~い~?!!やっちまったなぁ~●大坂では、贈答用として、よく饅頭切手が使われる。虎屋伊織という評判の菓子屋の発行するもので、一枚を店に持ち込めば、ひとつ五文の饅頭十個と引き換えてもらえる。幸が四代目、五代目に嫁いだ時も、お家(え)さんが挨拶回りで配っていた。ものは日持ちのしない饅頭である。贈る側からすれば饅頭そのものを持ち歩かずに済むし、贈られる側からすれば好きな時に饅頭に交換できる。それに慶弔の挨拶回りであれば、何十、何百と数が必要になるが、切手なら嵩張らない。その利便性が大いに支持を集めたのだ。「あきない世伝金と銀12」より。高麗橋は、慶長9年(1604)には擬宝珠(ぎぼし)をもつ立派な橋となっていた。高麗橋という橋の名の由来には諸説あるが、古代・朝鮮半島からの使節を迎えるために作られた迎賓館の名前に由来するというものと、豊臣秀吉の時代、朝鮮との通商の中心地であったことに由来するというものが主なものである。高麗橋筋には元禄時代から三井呉服店(三越百貨店の前身)や三井両替店をはじめ様々な業種の店が立ち並び、人々の往来が絶えなかった。そして橋の西詰には幕府の高札が立てられていた。江戸時代に交通の要所など重要地点に架けられ、幕府が直接管理する橋を公儀橋と呼んだが、この高麗橋は公儀橋の中でも特に重要視されていた。 高麗橋は、■みをつくし料理帖■の主人公、澪の幼馴染の家も高麗橋にあった。■あきない世伝金と銀■の主人公、幸が奉公に入った五鈴屋の御寮さんの実家があったり物語には、よく出てくる場所だ。■とら年ですから:陽気に虎拳:とらとら■■とら年ですから:虎拳「♪ とらとら」■■とら年ですから:「山月記」の虎が表すものと国語の教科書問題■■とら年ですから:もしもトラがいなくなったら■■とら年ですから:虎の名前の植物■■とら年ですから:張り子の虎■■とら年ですから:虎口(こぐち)■■とら年ですから:虎の語源■■とら年ですから:千人針と寅年生まれ■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2022.09.02
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千人針は、第二次世界大戦まで日本でさかんに行われた、多くの女性が一枚の布に糸を縫い付けて結び目を作る祈念の手法、および出来上がったお守りのこと。武運長久、つまり兵士の戦場での幸運を祈る民間信仰である。 1メートルほどの長さの白布に、赤い糸で縫って結び目(玉結び)を一目つくってもらう。それを千人の女性に一人一針ずつ縫ってもらうことを目標に一枚の布を縫い進める活動。 特例として寅年生まれの女性は自分の年齢だけ結び目を作る事が出来る。これは虎が「千里を行き、千里を帰る」との言い伝えにあやかって、兵士の生還を祈るものである。同様の理由から、ただ単に縫い目を並べるのではなく、虎の絵を刺繍で描いた例も多く見られる。 1894~95年(明治27~28)と1904~05年(明治37~38)の日清(にっしん)・日露戦争のときから始まったという。肌に巻く晒(さらし)などに赤い糸で縫うもので、この赤という色にも災害をよける意味があったとみられる。■とら年ですから:陽気に虎拳:とらとら■■とら年ですから:「山月記」の虎が表すものと国語の教科書問題■■とら年ですから:もしもトラがいなくなったら■■とら年ですから:虎の名前の植物■■とら年ですから:張り子の虎■■とら年ですから:虎口(こぐち)■■とら年ですから:虎の語源■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2022.08.01
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●大阪弁のお洒落表現言葉:やつし・粋な(すいな)・こぉとな●大阪弁には、お洒落な人を評するときに、『やつし』という言葉があった。この言葉も、今は、殆ど使われない。明治生まれの祖父は、羽織の裏に凝った。「松はんは、やつしやさかい」と言われるのも、まんざら悪い気持ちはしていなかったようだ。「あんたとこのお父さん、どこ行くんでも、やつしてから(お洒落して・めかしこんで)」ご近所の人から、若干揶揄するように言われても、祖母は「へぇ、ほんまに」と交わしていた。「身ぃにかまえへんようになったら、あかん」というのは、祖父母共に同じ考えだった。 お洒落に関する大阪弁なら、他に、「すいな(粋な)」という表現もある。粋(いき)な、婀娜(あだ)っぽい、という意味になる。また、渋い、趣(おもむき)があるという場合は、「こぉとな」と言った。こぉとな装いは、地味であるのに品が良く、人の目を惹くものだ。●以前、読んだ文章だが、どこに書いていたのかは分からない。■あきない世伝金金と銀(3)■で、質素で上品、地味であるのに品が良く、人の目を惹く美人の幸の姿に、道行く人が「こぉとな・・・」と言う場面があった。 ■ファジーな大阪弁一覧表「こ」■■ファジーな大阪弁一覧表■■難波の日(ひぃ)■・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2022.07.28
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