おしゃれ手紙

2021.03.01
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テーマ: ■雑学王■(728)
カテゴリ: トリビア

▲八重山諸島・由布島(ゆふじま)の水牛車 ■)

うし年ですからというわけでなく、いつも
『源氏物語』に出てくるような牛車(ぎっしゃ)は、平安時代以降、見ないのはなぜだろう??と思っていた。
 イギリスのジェイン・オースティンの「高慢と偏見」が大好きで何度もDVDで見ている。

お金持ちの人は、自分の家に馬車を持っていて、旅をするが、主人公のエリザベスは、家に馬車や御者がいないので、駅馬車で旅をする。

アメリカなども「駅馬車」というタイトルの映画があるくらいだから、馬車に乗っての移動があったのだろう。

日本にも江戸時代に駅馬車があればどんなだったんだろうといつも思っていたら答えをみつけた。
そもそもの原因として
江戸時代幕府が基本的に車輪の使用を禁止したので、馬車の類は御禁制です。

これは軍事防衛上の理由で、川に橋が架かっていなかったり、大型の船の建造が禁止されていたりしたのと同じような理由です。
ですので馬車だろうが人力車だろうが車輪は使えません。

荷馬車の場合なら大八車は江戸市内限定、それより小型のべか車は大坂、京都限定、あとは届け出すれば徳川の一門の人間なら一時的に使ってもいい といったぐあいだったようです。
まあ、時代劇なんかじゃ、作者が知識不足なのが原因なのか結構地方でもばんばん登場したりしますがw

 小説「銀二貫」は、江戸時代の大坂・天満が舞台で、 「べか車」

ベか車
「ベカ車」の名称が現われるのは、安永年間である。

長さは2間ないし6、7尺で、幅は3尺余であり、大八車より狭かったが、これは大坂の道路の幅員が狭かったからである。
前方で1、2本の綱を2、3人が引き、後方で1、2人が撞木を押し、これを「楫」といって進退を掌った。
堅牢であったから、木石などの重量物を運搬するのに用いられた。

安永3年(1774年)9月、ベカ車の橋上通過が令をもって禁止された。
橋梁を破損させるというのが理由であった。
ベカ車が普及したため、上荷船、茶船への影響は決して小さくなく、寛政3年(1991年)に彼らの請願によって制限令が発せられ、その後もしばしばきびしい取締が行なわれたが、その効はなく、広く用いられた。


他にも探せば、牛車関係の本があった。
 貴族の乗用車である牛車(ぎっしゃ)は京都で発達していたが、江戸時代には衰退していた。
荷物運搬用の牛車(うしぐるま)は、京都・駿府(静岡市)・江戸・仙台、幕末には箱館等の限定された都市でしか使用されなかった。
都市紀要32 江戸の牛


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
王朝文化の一翼を担った牛車はなぜ衰退したのか。
牛車の盛衰を交通史や技術史との関連で探り、絵巻や日記・物語に描かれた牛車の種類と構造、利用の実態を明らかにして、平安の「雅」の世界へと読者を誘う。
うし年ですから:なで牛
1月5日は「牛日(ぎゅうじつ)」
丑紅(うしべに)
牛飼(うしかい)が歌よむ時に・・・
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Last updated  2021.03.01 00:03:41
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