おしゃれ手紙

2021.09.01
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カテゴリ: 雑記
関東大震災:雉子郎(のちの小説家の吉川英治)はどうしたか。

雉子郎とは、小説家の吉川英治(1892~1962)で、川柳を投句していて、■ 大阪で活動する水府 ■とも顔見知りだった。
当日、雉子郎は、日本橋の毎夕新聞社にいた。
雉子郎(吉川英治)は生来、地震嫌いであるばかりでなく、その寸前に予知するという能力に恵まれている。
(関東大震災)当日、その雉子郎の顔色がスーッと変わったかと思うと、ばたばたと階段を疾風のごとく外へ飛び出す。

舟を見つけて箱崎から隅田川に押し出したが、まわりの舟に火がついて命からがら九死に一生を得たという。
(略)
雉子郎が逃げ延びられなかったら文豪・吉川英治は存在しなかったわけで、「宮本武蔵」や「新平家物語」を世に送って
読者を喜ばせることも叶わなかった(略)・・・。
 それから 雉子郎(吉川英治)は信州へ走って真綿や下駄を仕入れてきて東京で売ったりし、それを売り尽くすと、こんどは上野公園の入り口で牛めし屋をやるなど、なみなみならぬ才覚をみせた。

(川柳仲間の)十千棒は別れ際に、
「君、もう毎夕(新聞)に復帰するな、作家で一本立ちしろよ」とすすめている。
「道頓堀の雨に別れて以来なり(上)」 ■より


この吉川英治が関東大震災にあった時の話を■ 巌流島の歴史好き、小説好きのガイドさんにしたら ■へぇ~~!!だった。
「西郷は千社札ほど貼られてる」  鞍馬

上野公園の西郷さんの銅像は尋ね人の貼り紙で半分白くなった。
めぐりあわぬ肉親友人をたずねる人々はせめてもの願いを託して、焼け残った銅像や建物の壁に名を書いて貼るのであった。

「上野から海が見えたの騒ぎなり」雀郎
「蝋燭の下で余震を待っている」雀郎
「駿河町富士の姿は江戸のまま」迷亭

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Last updated  2021.09.01 00:06:01
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