水彩画紀行  スペイン巡礼路 ポルトガル 上海、蘇州   カスピ海沿岸からアンデスの国々まで

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イラクの恐ろしい現実



サダムフセインと、イラク国民を裏切った湾岸戦争当時の大統領だった

ジョージブッシュの父親を告発しています。

下記は、ハワイ在住の女性feelhawaiianmanaの日記に紹介された、

ABCニュースの3月21付けの記事

http://abcnews.go.com/sections/2020/World/2020_iraqiwomen030321.html

を翻訳したものです。


4人の女性が語った現実とは、


「私たちは人々が拷問されるのを見ました。親類や友達が

毎日突然消えていくのを体験しました。」

人権グループは、サダムが34年前に政権をとって以来少なく

とも290,000人のイラク人が姿を消したと推測します。

4人の中の一人の女性は、こう語った。

彼女がバグダッドでまだ13歳の女子学生だったとき、スクー

ルバスから、柱からつるされて処刑された男のまわりを群集

がとり囲んでいるのを見ました。

「青い顔で長い首だった。」と彼女は語った。

サダムフセインは、反対する人をみせしめに公衆の面前で処

刑し、恐怖を与えるためにさらし者にした。

サダムの恐怖政治の時代には、部下を手なずけるために彼は

女性をレイプしてもいいという戦略を立てた。

これらの女性が話す事は恐ろしいことですが、様々な人権グ

ループによって

報告されたサダムフセインの残虐な行為「レイプ、人間挽き肉機械、

化学薬品液槽」の報告事例と一致しています。


アルと言う少女は、少女ですらつまらないことで投獄され、

拷問されることを身近に体験した。

16歳のいとこの少女が、学校ノートに政府に批判的なことを書いただけで、

鞭で打たれ電気ショックの拷問を受けたと言います。

また、ある男性が体制に異議を唱えたり、あるいはサダムに関する

そういう手紙を書くか、冗談を言えば、当局は彼の前で彼の妻か

親類の女性をレイプしたと言います。

レイプは、女性に屈辱を与える手段として日常的に使用された。

しかもさらに人々を恐れさせ服従させるために、拷問やレイプの場面を

撮影して録画し、家族へそのテープを送ったのです。

サダムの人権に対する侵害は、よく報道されているように、

自国の人々に対する毒ガスの使用にまで及びました。

当時16才だったミカエルは、いまだにそのときの恐怖がよみ

がえると語った。


「子供、女、男、誰もが、はれあがった目で、喉から鋭い音を立てて、

叫び、泣き叫んでいました。」

「私たちは毒ガスで目が見えなくなっていました。」

ミハエルはいまだに毒ガスにさらされた後遺症で呼吸困難に

なっていると語った。

当時少女だったアルは、イラクの刑務所の内部を見た。

彼女は恐ろしい場面について語っています。

人々が「人間の肉ひき器」で切断され、酸の入った化学薬液槽の中で

溶かされて、汚水浄化槽の中に文字通り消滅していくのを見せられたと語った。

「これらは誇張していっているのではありません。人々は本当に

このように虐殺されていました」と彼女が語った。

4人の女性はみな今月の初めにブッシュ政権のメンバーに会った。

彼女らは、イラクが民主化される保証を行うまで、アメリカ

およびその同盟国が最後まで付き合う必要があると語った。

世界中で起こる反戦争デモンストレーションは、これらの女性の希望を

妨げようとしていること、戦争反対の抗議者は、今苦しんでいる人々の現実、

拷問や強姦のことを知らない と。

これらの女性は米軍の進攻を支持する一方で、1991年の湾岸

戦争の後に、当時のブッシュ大統領に裏切られたと語った。

現大統領の父親のブッシュは、当時イラク国民に、サダムに対して

イラク人自身が立ち上がらなければならないと言った。

多くのイラク人は女性も含めて、自らの命を懸けて立ち上がった。

アメリカが当然バックアップすると思って。

「それは私が、イラクが解放されると思った初めての体験だった。

私は喜び、人々も幸福にあふれていた」とアルは語った。

しかし、そのサダムへの反乱は短命でした。アメリカと連合軍は

立ち上がった反乱軍を裏切った。

サダムフセインが政権に復帰するのを黙認し、反乱軍を支援

することなく自国へ帰っていった。

その結果、フセインに反旗を掲げた人たちには悲惨な運命が待ち構えていた。

フセインによる復讐的な大量殺戮で30,000のイラク人が殺されたと推測されている。

「失敗した反乱の後に、私は、イラクを去るまで2か月の間隠れていました」

とアルは語った。

これらの女性を悲しませたことは、アメリカおよびその同盟国が

とどめを刺さずに去り、またサダムの残忍な統治を継続させたことです。

国連はそのとき何をしていたのか。人権活動家はみなどこにいたのか。

彼女たちは問い詰めています。

今彼らは何をしているの?と彼女は言った。

つい2週間前にも、クルド人の母親にガソリンがかけられ、理由なしに

憲兵隊によって焼かれたと彼女は語った。

「私たちは、全世界がイラクの内部の私たちの苦痛を知り、

私たちが自由を獲得するために参加してくれるように依頼します」と。

「イラクの人々は35年間十分に苦しみました。もう、彼らは

自由を享受する権利があります。」 と。

だから、米国と英国の軍隊がバグダッドに向かって進攻するなら、

彼らの友達および愛するものが連合軍隊を心から歓迎するだろうと。

水彩画人付記

 父親のブッシュがイラク国民を裏切った卑怯な理由は、下記のように

 言われている。

1.ユーロレポートによれば、世界のテロリストを集めて

  会議を開き、米国へのジハードを訴えたのは、イラン

  と言われています。米国はイランに対しては、法治国

  家であるために、手出しができない。

  イラクの力があまりに弱くなり、イスラム圏内での

  イランの発言力があまりに強くなるのは、米国の利

  益にならないと判断したこと。


2.イランとイラクが国境紛争などで、両者が権力を消耗

  した方が米国にとって都合がいいと判断したこと。

  フセイン後に親イラン政権ができるよりフセインがまだ

  増しだと判断したこと。

3.最後は、うがった意見ですが無いとは誰も言い切れない事。

  1基1億円から10億円といったミサイルが1日に1500

  発単位で今、消費されていますが、米国の軍事予算は、

  他国平均の10倍近く、300兆円。

  莫大な軍事費で潤う軍需産業にとっても、それらに支えられている

  ペンタゴンという防衛庁にとっても平和は存在を問われる死活問題。

  その巨大な軍需産業が支えるのが昔も今もブッシュ政権。

  予算の名目だったソ連が崩壊した昨今、紛争の種を完全に

  摘み取るのは得策ではないと判断したこと。



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