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1-7 選挙議院について
選挙議院議員からのブリーフィング
最悪な寝つきと最悪な目覚めだった。
人は、もしも、という例え話をする。それは実現しない事を前提とす
るから可能な話だ。その前提が崩れてしまったら、誰だって今のおれみ
たいになる筈だ。
夢だったらいい。眠りから覚めればそれは夢だったとオチをつけられ
るけれど、おれが見たのは眠る前に見て体験したもので、それは眠りか
ら覚めても記憶から薄れて消えていってはくれなかった。
シャワーを浴びても、朝食を済ませても、食後にブラックコーヒーを
飲んでも、おれの頭はすっきりとしなかった。だからおれは、AIにそん
ないらつきをぶつけた。
「かあさんは、中目のこと知ってたの?」
「知っていたとは?」
「前に、そのマネキン人形とかが国家機密だとか言ってたよね?それが
中目つながりだとか、そういう意味だよ」
「存じ上げていてもお話しできない事があります」
「知っていたかどうかも、話してくれないの?」
「YesかNoかで言えば、Yesとなります。しかし、一度に全てをお話して
も、タカシにも誰にも理解頂けないでしょう」
昨晩の中目の話を思い起こしてみれば、納得せざるを得ない部分は確
かにある。聖書の中のキリストの弟子たちだって、すぐに全てを受け入
れられたわけじゃない。人間の理解できる範疇を超えた出来事に触れれ
ば、誰だってそうだろう。
「あいつが、神だとか言わないよな?」
「人類一般で定義されているどの宗教にも当てはまりませんし、かの存
在もそうである事を否定しています」
「『憑依者』だの『移住者』だの言ってたけど、何者なんだよ?」
「今はまだ禁則事項に含まれますのでお答えできません」
「・・・中目がいずれ話すまでは?」
「おそらくは、そうなるでしょう」
「やれやれ、だよ」
政治だけならまだしも、SF的な存在までお出ましになるとはね。
「今日は予備審議の日だっけか。こんな状態でELがどうのこうの考えら
れねえよ」
「それでも欠席する事は許されていません」
「頭痛いとか気持ち悪いとかお腹壊したとか、おれがわめきたてても?」
AIはおれの傍らに立ち、額に手をあてて言った。
「発熱その他体調に異常は見られません。従って欠席する医学的理由は
存在しないものと判断します」
「出席するかどうか、おれじゃなく、AIが決めるのか?」
「実際の本審議は、棄権の為に審議を欠席する事は有り得ます。しかし
その場合でも病気等の理由が伴わない限り、可能な限り審議そのものへ
の参加は義務付けられています」
「おれが今、死ぬほど頭が痛くて、何も考えられるような状態じゃないっ
て言ってもか?」
頭が痛いかどうかは別にしても、中目が昨日言った事で頭はいっぱい
いっぱいだった。
AIは、そんなおれの視線に目の高さを合わせてきて真正面から見据え
て言った。
「あなたは選ばれたのです、タカシ」
まるで母親がふてくされた子供をさとすように、それ以上何も言わず、
しかし視線をそらす事を許さなかった。
もしも本物の母さんが生きてて、このAIの代わりにおれの目の前にい
たら何と言ってただろうか?
頬を張り飛ばされただろうか?
それとも、「そう、好きにしなさい」とでも言われて放っておかれた
だろうか?
そもそもこんな風に朝食の後のひと時まで一緒にいるなんて事が無かっ
ただろうか?
最後のが一番有り得た。
だからこそ、自分の目の前で真剣な眼差しで目を逸らさない母親のそっ
くりさんを見て、なんて贅沢な悩みなんだと気がついた。いもしない筈の、
もう二度と会えない筈の人から諭されるなんて、そう誰もが経験できる
もんじゃない。だからおれはひとまず折れた。
「わかったよ、かあさん。それで、今日はどこで何をすればいいの?」
「午前中は、執務室で選挙議員からのブリーフィング。午後からは議事
堂で予備審議、夜には皇居で任命式典と晩餐会がございます」
「うへ、盛り沢山だね」
AIは笑顔でうなずき、おれに身支度を済まさせると、一緒に議員会館
の執務室へと向かった。
その応接間には、おれに割り当てられたという選挙議院の草津議員が
待っていた。四十三歳とプロフィールにはあったが、さっぱりとした学
者風の人で、三十代でも通用しそうだった。
草津議員は立ち上がっておれに手を差し出して言った。
「初めまして、草津です。抽選議員当選おめでとうございます」
「初めまして、白木です。今日はこんな若造の為に来て下さってありが
とうございます」
握手を交わしたが、気さくに見える中にもじっとこちらを観察する様
子が伺えて、逆に安心できた。
「若造だなんてとんでもない。十代の方を抽選議員の対象世代に含める
かどうかは、やはり議論の的の一つになっていましたが、私は推進派で
したよ」
「はは、ありがとうございます。草津議員のお陰で私は国会議員に選ば
れてしまったとも言えるんですね?」
「これは手厳しい。さて、と。何からお聞きになりたいですか?」
二人とも腰を応接間のソファに落ち着けた後、半身を乗り出して草津
議員は聞いてきた。
「んー。国会議員になるなんて想像してなかったので、何から聞いてい
いものやら」
「国会議員の心構えなんてものからお聞きになりたいですか?」
おれは、行徳おじさんの口癖を思い出した。なぜ?、という疑問を
口にして、常に自分の頭で考え、わからなければ人に問えと。
「いえ、それよりは、なぜ草津議員なんですか?」
ぴくりと草津議員の眉が反応し、唇の端が嬉しそうに吊り上がった。
「あはは、意外な所から聞いてくるね。ますます興味がわいたよ。理由
は簡単で、現職の国会議員、この場合は選挙議院の間接枠議員を除くん
だけど、それぞれの抽選議員の希望者の間でくじ引きしてね。ぼくがそ
の権利を勝ち取ったからなんだ」
「くじ引きですか」
「公平なやり方さ。なぜ君を希望したかという理由は、君が一番若い男
性の議員で、あの西行徳元衆議院議員に育てられた人材だからね。MR大
政変を生き延びた政治家の隠し刀を直に見てみたいって思うのは政治学
者としても国会議員としても当然の欲求じゃないかな?」
「ぼくは、行徳おじさんの隠し刀なんかじゃありません。議員としての
活動には、むしろ近づけさせてくれなかったくらいです。時々議員会館
に着替えとかの届け物をするくらいまでで、選挙活動とかには一切関わ
らせてくれなかったし」
「君に聞いても、西氏に聞いても、そんな風にしか答えてくれないとは
思ってるよ。だからこそ逆にそそられるのさ。さて、次は何が聞きたい?」
なんとなく警戒心めいたものを覚えながら、逆に草津議員を観察し
返した。相手は悪びれもせずこちらの視線を受け止めていたが、その議
員バッジの下に光るNBR社のエンブレムが否応無く目に飛び込んできて、
視線を外せなくなった。それは、草津議員がかなり希少な存在である事
を何よりも証明するものだった。
「ああ、これね。ぼくは、NBR社からの支援を受ける数少ない国会議員
の1人さ。日本には5人しかいない。道州枠にはぼく1人、間接枠に2人、
直接枠に2人」
「少ないんですよね、確か」
「希望者は、世界中に幾千といるけど、NBR社の支援を受けているのは、
世界全体でも百人に満たない。非常に名誉な事と言えるだろうね」
他人行儀な言い方が気になった。NBR社に支援されるという事は、あ
の人間嫌いの二緒律子の目にとまったというのと同じ事なのに。
「どうやってお眼鏡に適ったんですか?」
「どうもしないさ」
「え?」
「希望者の間から選ばれる事はまず無いんだ。NBR社から突然申し出が
あって、それで日本なら制限が無いせいもあるけど、10億円が議員口座
に振り込まれていた」
10億・・・。確か選挙議院議員の年俸が1年1億だから、その10年分だ。
「NBRにしてみれば、はした金さ。その気になれば、十億でも千億でも
一兆でも、彼らの懐なんて痛みはしない。世界中の政治家を合法的に懐
柔するくらい何でもないのさ。あの会社にとってはね」
「それはそうでしょうけど。具体的な見返りは、何か求められないんで
すか?」
「何も」
「何もって・・・」
「この言い方が適切かどうかはわからないが、ぼくを支持する価値が無
いと考えたら、支持は打ち切られる。それだけの話さ」
「無言の圧力がかかるとか?だって十億ですよ?」
「確かにお金はいつだって魅力的さ。ぼくはNBR社の施設がある道州の
議会から選出されているし、NBR社が地元に落としてくれているお金が
無くなったら、大騒ぎどころじゃすまない。だからNBR社の動向は無視
できやしない。けれどこちらから何か便宜を図るかというと、特にそん
なこともないのさ」
「どうしてです?」
「彼らがあまりに巨大な存在だからさ。第三次LVがいつ起こるのか、被
害がどのくらいの規模に及ぶのか、誰にも分かったもんじゃない。それ
でもLVに対して一定の効果を持つデバイスを開発している彼らを世界中
の誰もが無視できやしない。
さて、他に質問は?」
「ELの一般販売に関して、草津さんは反対ですか、賛成ですか?」
草津議員は嬉しそうに、にやりと笑った。
「君はどう思う?」
「NBR社から支援を受けてるんだから、賛成の立場を取られたんじゃな
いんですか?」
「外れだよ」
「え、だって、そしたら支援が・・・」
「今回の感情固定装置取締法案に賛成した事で、NBR社からは何の通達
も来ていないよ。ぼくの信条や方針はNBR社、つまり抽選議員になられ
た二緒さんにも伝えてはあったけどね。何のお咎めも説得も無かったよ」
なんか、不思議な人だった。どうしてこんな人が議員になれたのか違
和感があった。
「そもそも、どうして政治家になろうと思ったんですか?」
「政治がつまらなかったからさ」
はい?
「どう、つまらなかったんです?」
「全部」
「全部って」
「だから、全部」
・・・・・。
「ぼくが、君くらいの年だった頃は、そりゃあひどくってね。一国の首
相が所信表明演説をした二日後に辞任するわ、当時の最大野党の党首は
党内調整がうまくいかずにプッツンして党首の座を降りると言ってその
数日後には撤回したりとか。
その二人とも議員は辞めずに続けたとか。もうね、なんでもありだよ。
くだらなかったのさ、全てが」
「それで、自分なら、って思ったんですか?」
「世の中そんなに甘くないさ」
「でも、今、国会議員になってるじゃないですか?」
「世の中に吹く風は、誰かにとっての向かい風が、他の誰かにとっては
追い風になったりする」
「その追い風に乗ったんですか?」
「ぼくは、そもそも選挙なんてシステムを信用してなくてね」
「いいんですか、そんなこと言って?」
「ずっと言ってたさ。特に、できもしない事を並べ立てて票を買おうと
する行為。これが駄目なんだとね。それはMR大政変でこれ以上無いくら
いに証明された。
なんのことはないさ。政治家が駄目なのは、彼らを輩出する国民の側
が駄目だからってあの時ようやく気がついたのさ。この国の人々は」
「そんなんですか?」
「そう。で、道州枠議員。これはぼくみたいな人間にとって都合が良く
てね。直接に有権者から選ばれるんじゃなくて、有権者から選ばれた道
州議会議員達によって選ばれるのさ」
「でも、そしたらコネとかが無いと、そもそも選ばれる対象にならない
んじゃ?」
「ぼくの場合は、その地元の大学の助教授でね。ネット上での発信も、
地道にだけど続けていた。それが目に留まったんじゃないかな?」
「そんなあやふやな」
「でもね、MRがある現在、裏取引は使えない。かといって議会のやる事
なす事に反発する人じゃダメなんだ。そもそも道州の意向を国政に反映
させるのがぼく達道州枠議員の役割なんだから、ある程度、自前の主張
は引っ込めたり曲げたりしてくれる奴じゃないと困る訳さ」
「腹芸ができるっていうか・・・」
「そう卑下したもんじゃないさ。民主主義ってのは、つまる所投票とい
う行為にどこかで頼らざるを得ない。でも、それだけじゃいけない部分
がたくさんある。だからこそ道州枠議員特有の選ばれ方があるんだし、
間接枠議員は政党の持ってた調整機能に有権者が口を出せるようにした
システムさ」
「それも聞いていいですか?」
「もちろん。間接枠は、人口が縮小していく社会にも柔軟に対応できる
よう構築されていてね。有権者は最終的に間接枠議員になる人じゃなく、
議員にふさわしいと思われる人を捜し出して擁立する推薦人を選ぶんだ」
「どうしてそんな回りくどいことを?」
「まだまだ、その回りくどさは続くんだよ。この推薦人が十万人に一人
選ばれ、彼らが議員となるべき候補を擁立しあうんだ。この時、複数の
推薦人が同じ候補を擁立してもかまわない」
「昔の政党みたいですけど、その政党の人事に有権者が口を出せるよう
にしたってことですか?」
「それだけじゃない。有権者の過半数が拒否票を投じた候補を擁立した
推薦人は、期限内に別の候補を擁立しなくてはいけないんだ」
「そんな事をやってると、いつまで経っても候補を選べない選挙区も出
てくるんじゃないですか?」
「だからこそ、推薦人と選挙民は、どこかで折り合わなくてはいけない。
推薦人は有権者が納得できるような人材を擁立しなくてはいけないし、
有権者も無い物ねだりを続けていては自分たちの声を国会に届ける機会
を減じてしまう」
「確か、実際に期限までに選出できなかった所も有ったんですよね」
「全国で、二箇所くらいね。さて、ここからが本番だ。一千万人の道州
なら、百人の候補が擁立されることになる。この百人の間で、十人にな
るまで投票しあう。そして残りの十人の間で、さらに最期の主席と次席
の間接枠議員を選び出すんだ。このプロセスは二日間に渡る公開プロセ
スでね。一種のお祭りと言ってもいい騒ぎになるんだが、見てて飽きが
来ない。白木君も見たかな?」
「ええ。叔父は、昔の談合の様なシステムだとも言ってました」
「そうだね。議員としての報酬を得られるのは最終的に選ばれた二人だ
けで、他の擁立された候補達は無職無給の状態になる。しかも政党助成
金なんてものはこのシステムに移行されて以降は打ち切られた。何故だ
と思う?」
「連続しての当選を難しくさせるのが一つ。それから、有名人やタレン
トを比例代表選挙でリストの上位に名前を連ねさせて得票させていた様
なシステムを無効化するのが目的だと習いました」
「そうだね。過去にも候補者不足でリストに党職員の名前を載せていた
ら当選してしまったというケースがあったが、擁立された候補同士が昔
で言う政党の職員の様なものだとすれば、互いの間の調整も難しくは無
い。ただ、彼らの間の規律は、昔と比べて格段に厳しくなった」
「擁立された時の拒否票の存在ですね」
「うん。最終的に二人しか残らないのであれば、大半の擁立候補の票は
死に票となると言ってもいい。しかし、ある候補の擁立を有権者が拒否
しようとすれば出来てしまう仕組みになった意義は大きい。間接枠の方
がかつての政党組織の議員は有利に選挙戦を展開できるかも知れないが、
競争相手は直接選挙枠よりも多いとも言える。しかも間接枠と道州枠と
直接枠に重複して立候補することは許されていない」
「直接枠は、各道州の人口に応じて一、二名ですから、そういった裏取
引云々を避けたければこちらで出るしかありませんよね」
「そうだね。それで、間接枠の主席と次席の扱いの違いだが、普段の立
法審議で投票権を持つのは主席議員のみ。次席議員の主な役割は抽選議
院と企業院のお目付け役だけど、首相選出や不信任決議の際には投票権
を持つし、抽選議院議長は次席議員の間の互選で選ばれるんだ」
「特権を持っているんだか持っていないんだか、微妙な存在ですね」
「まぁ、間接枠議員は、天変地異やLV災害で現職の主席や次席の議員が
執務執行できなくなっても、すぐに欠員が埋められるように出来上がっ
てる。主席が執行不能になったら次席が主席に繰り上がり、次席にはさっ
きの十人の内残り八人の内から得票順に繰り上がっていくからさ。直接
選挙枠はそうはいかないし、道州枠も各道州議会で候補者を捜す所から
始めないといけないからね」
「それじゃ、草津さんは抽選議院をどう考えておられるんですか?」
「どう考えるか?質問が曖昧だね。不要か必要かと問われれば、必要な
存在だと思う。参議院という旧来のシステムから改善されたかと問われ
れば、改善されたと私は答えるだろう」
「どうしてです?」
「効率だけ考えれば、一院制の方が効率的なのは明らかさ。しかしなが
ら多くの国が二院制を敷いているのは、より慎重な判断を期しているか
らだ。抽選議院が過去の参議院と一番異なっている点は、議員の選出の
され方よりも、むしろ法案の提出機能をはく奪された点にある」
「なぜです?」
「2007~2009年ほどまで日本の国政が体験した衆参で多数派勢力が異な
るねじれ現象。衆院の優越が認められていて議会の三分の二で再可決す
ることで国政は運営されたが、それが何を意味するか分かるかい?」
「参議院で提出されて法案が可決されても、それは意味が無い?」
「全くの無意味じゃないにしろ、例えば問責決議案という衆院で言う内
閣不信任案を参院で可決したものの、内閣が法案審議に参加しなくなる
ようなお墨付きを自分たちで与えてしまうわけだから、これじゃまとも
な審議ができるわけもない」
「だから、立法府の片割れなんだけれども、法案の提出機能を無くした?」
「そうだね。そして議員の選出方法も議席数も大幅に変えた。でも抽選
議院が余計な存在かと言えば、そんな事は決して無いんだ」
「どうしてそう言い切れるんです?」
「抽選議員は、政治家というよりはむしろ裁判の陪審員の存在に近い。
彼らの2/3の同意が得られなければ、基本的にどんな法案も成立しない」
「でも、選挙議院から選ばれた抽選議院議長の票加算があるじゃないで
すか?」
「あれはあくまでもデッドロックを回避する為に講じられた安全弁のよ
うな存在だし、その票加算は等しい重みで選挙議院にも跳ね返ってくる
んだよ?」
「選挙議院での再可決にも、票数が余計にかかるようになるんですよね」
「過半数の21票から、24、26、28、30票という感じにね」
「5回目で、抽選議院の満票の反対が無ければ、法案成立でしたね」
「もし満票で反対されても、満票で賛成し直せば法案成立。ただし満票
が得られなければ、国民投票へとその判断は委ねられる」
「国会と国民投票結果のどちらに重きを置くのかでも、確かかなりもめ
ましたよね」
「国選議会で決着が着けられなかったもののみ、国民投票に回すという
考え方は、ぼくは妥当だと思うけどね。結局の所、それが妥当か妥当で
ないかと考える人の比率がどれだけ違うのか、その思いがどれだけ強い
のかで全てが決まる。それだけの話さ」
「フェア、ですかね?」
「これ以上無いくらいに。一番まずいのは、その境界線と、その境界線
の引き方を曖昧にしたまま放置しておくことさ。曖昧なままにしておい
た方がトラブルが避けやすくなる事もある。ただ、放置したままじゃい
けない事もたくさんあるって、ぼく達は学んだ筈なのさ」
「MR大政変で?」
「もっと広い範囲でさ。近代民主主義なんて、たかだか数百年の歴史し
か無いんだから。そこらの古木の方が、よほど年経てしっかりした根を
下してるよ」
不思議な人だった。行徳おじさんの自宅にまで訪ねてきた政治家の人
たちの数は少なくなかったけれど、こんなタイプの人はあまり見た覚え
が無かった。だから、聞いてみた。
「そう言えば、抽選議員の間で選ばれた副議長、首相代行候補が誰になっ
たかはご存知ですか?」
「もちろん」
「あいつ、中目については、何かご存知なんですか?いくらパブリック
チルドレンだからって十代の女の子がそんな立場に就くなんて、草津議
員とか他の選挙議院の方はどう思ってるんですか?」
「君は、どう思う?」
「どう、って、いくら何でも荷が重いんじゃないかとか思いますけど」
いくら本人が特殊な事情を持ち合わせていたとしても、こういうのが
受け入れられるかどうかは、周囲からの評価で決まるもんだ。
「ぼくは、そうは思わない。むしろ、やっぱり来たかと思ったよ」
「やっぱり、って。草津議員や、他の選挙議院の方にそう思わせる事情
を皆さんご存知なんですか?」
「・・・君はもう、中目議員から事情の説明は受けたのかい?」
「いえ、まぁ、少しだけ・・・」
ふっ、と短い溜息をついて、草津議員は言った。
「婚約とかって騒ぎを起こされてるくらいだから、いずれ全ては語られ
るのだろう」
「あれは、あいつが勝手にそういう話をでっちあげたまでで!」
「彼女は、何一つ不要なことはしないよ。全ての国会議員が全てを語ら
れているわけでも無いが、ぼくらは一つの認識を共有してはいる」
「な、何ですかそれは?草津議員まで、ぼくに中目を頼むとか言うんじゃ
ないでしょうね?」
「ああ、赫さんかな。でも、それだけじゃない。君と中目議員が背負っ
てるものは」
「脅さないで下さいよ。人類の将来を任せたとか言うんじゃないでしょ
うね?」
草津議員は優しい顔付きでおれの肩を数回叩くと、ソファから立ち上
がった。
「そうそう、ぼくは、もう一つ用事を仰せつかっていてね。忘れたらそ
れこそ支援を打ち切られるだけじゃ済まされなかったろうね。危ない危
ない」
「支援てことは、二緒さんから?」
「二緒議員が、白木議員に宿舎で夕食を振舞われたいそうだよ。もちろ
ん日時等の都合は白木議員のご都合に合わされるそうだ。今晩は皇居で
のパーティーがあるから無理だろうけどね。じゃ、確かに伝えたよ」
「え、えぇ、確かに言付けられましたけど。でもなんで?」
「それは、君の方が良く知ってるんじゃないかな?」
草津議員は、立ち尽くしてるおれの手を取って強引な握手を交わすと、
そのまま執務室から退出していった。
おれは応接スペースからデスクへと移り、AIに聞いた。
「二緒議員からメールとか電話は来てた?」
「いいえ」
「なんだって草津議員に伝えさせたりしたんだ?」
「電子記録に直接残したくなかったのでは?」
「でも、お前たちの記録に残れば同じ事じゃないのか?」
「多少は外部に漏れにくくなるでしょうけど、それだけ草津議員が信頼
されているとも言えるかも知れません」
「じゃあ、返事も草津議員を介した方がいいのか?」
「それはタカシ次第でしょう」
黒い椅子をきしませて、考えてみた。二緒議員に呼び出されるとした
ら、用件はたぶん一つしか無かった。
ずっと待ち望んでいた筈の会見を、相手側からお膳立てしてくれたの
に、なんでだか素直に嬉しくはなれなかった。
それはきっと、知らなくてもいい筈のことを知ろうとしているのかも
知れないと、得体の知れない不安がよぎっていたせいだと思う。根拠な
んて何も無かったのだけれど・・・。
午前中はこのブリーフィングと五桁にまで増えたメールのタイトルを
斜め読みするだけで終わった。昼食を採り、セレスティスで議事堂へ向
かう時は、今までに味わった事のない緊張感で満たされていた。
<次へ>
<目次へ戻る>
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