メキシカン・アメリカンな暮らし

メキシカン・アメリカンな暮らし

質問して怒るお姑ごん




例に漏れず、うちのお姑ごんにもいわゆる「波」というものがあり、いい関係を築けそうだなと希望を抱いてしまうくらいご機嫌な時もあれば、ただただ嵐が過ぎ去るのをじっと待機していなければならないような不機嫌な時もある。

お姑ごんの機嫌ばかりは、嫁である私が直せる訳でもないものだと諦めてからは、「波」のパターンを読むことに集中するようになったものの、偶に「お日様が照っていたのにいきなり嵐」のような機嫌の日もあるのでほとほと困ったりもするのだ。

半年前にお姑ごんがうちに訪れていた時の話だが、その時、私たちはお姑ごんが一度も来たことのない町に住んでいた。
お姑ごんは私たちが新地へ引っ越す度に訪れに来るのだが、いつも決まって訊ねる質問といえば、何故か「家賃」そして「物価」のことである。

今回もいつものようにお姑ごんは料理をしながら、物価に関しての質問をしてきたが、いつもと違ったのは予想外にも「荒波」が突然起こってしまったことだ。


お姑ごん:『きゅうりは幾らくらいなの?』

お嫁1号:『3本で1ドルくらいだと思います。』

お姑ごん:『へー、前の所に比べて高いのねー。でもテキサスもこの位するわね。』

お嫁1号:『そうなんですか。』

お姑ごん:『卵は幾らくらいするの?』

お嫁1号:『大安売りの時で1パックが1ドルくらいですかね。』

お姑ごん:『普段は幾らくらいなの?』

お嫁1号:『うちの周辺だと2ドル50セントくらいです。』

お姑ごん:『高いのねー! 私、今卵料理作っているけど、余り使わないことにするわ。』

お嫁1号:『あ、気になさらないで下さい。セールの時以外はこの周辺では買い物しないですし、卵も隣町で買っているからかなり安いですよ。』

お姑ごん:『あら、そうなの。牛乳はこの辺で幾らくらいなの?』

お嫁1号:『1ガロンで3ドル前後ですかね。』


卵の値段にお姑ごんがやけに反応したとは言え、それ以外はいつものように単なる質問・応答の会話であったが、問題のお姑ごんの「荒波」は以下からである。


お姑ごん;『高いわねー。牛乳も余り飲まないようにするわね。○○○(義弟の名前)、お嫁1号が牛乳高いんだって。飲みすぎないでよー。飲みすぎたらお嫁1号が怒るわよー。』

その瞬間、何でわざわざ誤解されるようなことと嘘を義弟に言うのかさっぱり理解出来ず、私は思わず洗っていた食器を落としそうになった。
そして、『え、私そんなこと言っていないんですけど、、、。』と言い終わらぬ内に、義弟がひょこひょこと私たちが居るキッチンにやってきたのである。


義弟:『牛乳飲むなだって!?』

お姑ごん:『お嫁1号がね、この周辺は何でも高いから、飲み食いに気をつけろだって。』

お嫁1号:『・・・・・・はい? そんなこと一言も言いませんでしたよ。』

義弟:『暗に言ったんじゃない?』

お嫁1号:『牛乳が幾らかって訊かれて素直に幾らって答えただけなの。もし私があなたに『この辺の牛乳幾ら?』って興味本位で尋ねて、あなたが○ドルと答えたと想定してみてよ。あなたは○ドルって素直に答えただけなのに、私は『あなたは暗に牛乳飲むな!って言っているのと同じ。』って受け取ったらどう思う?』

義弟:『、、、女同士のことだから、僕は関わりたくないね。』(そして、逃げた義弟、、、。)


その後私は、値段を訊かれたからそれにただ答えただけだったこと、飲むなということを暗に言ったつもりも無いこと、値段のことを気になさらないで下さいとの旨をお姑ごんに伝えた。

お姑ごんは少し怒鳴り口調で、『冗談を言っただけよ! 本気にしてないでちょうだい!』と返してきたが、私には最早返す気力もなく、今起きたばかりのことを流すように食器を洗い続けていた。


暫くして分かったことだが、お姑ごんが牛乳の話になって取り乱したのは、
私の夫に『水みたいにガブガブ牛乳を飲むなんて無駄飲みだよ。』と言われたからだそうで、これは義弟から後になって聞いた話であるが、今回のお姑ごんの荒波の原因は、どうもお姑ごんの思い込みにあったようである。

どうやらお姑ごんは、息子(私の夫)に牛乳を無駄飲みしないでと言われた時、これまでに自分の息子がそんなことを言ったことがないから、さては嫁である私が変なことを吹き込んだに違いないと不満に思ったのだそうだ。
その思い込みの所為で牛乳の話に極端に反応し、取り乱してしまった結果となったようだが、『うちの子に限って、、、』という考えが私に責めのベクトルを向ける原動になり、また、息子も生活を支える身になった今となってはそれなりに状況も考え方も違ってくるということをどうやら見逃していたようである。


牛乳騒動が起きた日は、丸一日私に喋りかけて来ることはなかったお姑ごんだが、翌日は嵐が過ぎ去ってまたお日様が出てきた空のように、機嫌のいいお姑ごんが目の前に現れた。
まさに晴れのち時々嵐、そしてまた晴れの日、、、である。
私は私でこの牛乳騒動を機に、物の値段を訊かれても『ちょっと分かりかねます。』で通そうと決めたのは言うまでもなく・・・。

それにしても、お姑ごんと知り合って彼是5年も経とうとしているが、それでも未だに「波乗り」が下手な私である、、、。




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