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2007/12/05
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経済協力開発機構(OECD)が行った、15歳を対象に実施した学習到達度調査(PISA)で、世界57カ国中、日本は、科学的応用力で前回の2位から6位へ、数学的応用力が6位から10位へ、読解力も14位から15位に落ちたそうです。
このPISAテストの結果について、本日(2007年12月5日)付各紙、社説で採り上げています。

読売社説は、
 科学的応用力の結果を見ると、日本の子どもたちは、現象を科学的に説明したり、問題を科学的に検証したりする力に弱点がある。
 科学の価値や楽しさを感じられない。理科の授業で意見発表や討論を重視したり、実生活に密接にかかわっていることを解説したりする授業をしてくれる先生が少ない――。学力調査と同時に行われた意識調査では、多くの生徒はこう感じている。
 文科省の学校基本調査によると、大学の工学部系の学生が、全学部生に占める割合は10年前より3ポイント近くも低い約17%に減っている。理数離れは深刻だ。
(中略)
 前回の調査で明らかになった読解力の低下が、ゆとり教育の見直しにつながった。さらに、理数系の応用力の低下も浮き彫りになった。指導法の改善などを具体的に盛り込んだ新指導要領の作成を急がねばならない。
と書いています。
この社説を書いている人は、実際にどういう教育が行われているのか見たこともなく、想像で書いているのだと思いますが、言っていることが全く的はずれです。
今、小学校の授業を拝見させて頂いている限り、少なくとも横浜では、意見発表や討論を重視したり、実生活とどのように関わり合っているか、という方針で理科の教育がなされています。
実際に自分で生物を育て観察してレポートを書き発表する、という教育が行われています。
これは、文科省の小学校理科の学習指導要領( 文科省HPの小学校・理科 を参照)の内容に則したものだと、私は感じています。


せっかく、子どもたちが、生活との関わりの中で理科の勉強をしてきても、学校から出てしまうと、科学の成果を否定するような社会事象に出くわすのです。
子どもたちが、学校で教わることと実社会で起こることとの間に違和感を抱いてしまうのは当然です。
子どもが公園で水遊びをしていると騒音だと言って訴訟を起こす人、そして、騒音だと認定してしまう裁判官がいるのです。
これでいて、どうやって、子どもたちに自然現象への興味を持て、と言うのでしょうか?

また、日本の現代社会で、活躍して名前がマスコミに踊っている人たち、そして高級を得ている人たち、のほとんどは文系の人です。
理系の人間で、多額の特許報酬を求めれば、青色レーザー発光ダイオードを開発した中村修二さんのように、特許はおまえ一人の努力ではない、などと言って袋叩きにするのです。
これで、子どもたちがどうして、理数系に進もうとするでしょうか?
理数系でも医者になれば安定した生活が約束されますが、私のように国産OS、国産CPUの開発を目指して、連日徹夜の努力を続けた人間の行き先は、離婚して最愛の子どもと生き別れ、いくら国産のITビジネス振興を訴えても誰も振り向きもしない、これでいて、高校生に理数系を目指せ、と言う方が無理ですね。

日経社説もぜんぜんわかってませんね、
こうした深みのある学力の不足は、文部科学省による全国学力テストでも明らかになっている。(中略)
 原因は複雑に絡み合っているだろう。一因としては、学習内容を大幅に減らした「ゆとり教育」が挙げられる。「ゆとり」路線そのものはPISAの学力観とも相通じる。ところが実際には学習の軽量化だけが進み、ものごとを突きつめて考える機会が減ったのではないだろうか。
 より根深い問題が潜んでいるかもしれない。今回の調査では、科学に対する興味や関心を尋ねた。「科学の本を読むのが好きだ」などと答えた日本の生徒の割合は、OECD平均よりかなり低い。理科の授業で、生徒の発表や観察・実験がおろそかになっていることも分かった。
(中略)「科学の本を読むのが好きだ」などと答えた日本の生徒の割合は、OECD平均よりかなり低い。理科の授業で、生徒の発表や観察・実験がおろそかになっていることも分かった。
 「PISA型」の学力だけが学力ではない。しかし、調査に初参加の台湾はいきなり数学的応用力で首位に立ち、他のアジア勢も健闘した。こうした現実を踏まえれば、社会全体でもっと危機感を共有すべきだ。このままでは、世界の中での日本の地位低下にもつながるだろう。
まず、PISAのテストと文科省が行う全国学力テストとでは、問題の質も目的も違います。
文科省が行う全国学力テストは、基礎学力、読み書き算盤ができるか、というレベルのテスト、社会の中で生きていくのに最低限必要な知識・技能が身に付いているか、ということを見る試験で充分であり、結果をフィードバックさせて、弱い地域には生成の数を増やすなど、重点的なフォローをする必要があると思います。

こうしたものを、学校だけに求めるのは無理です。
しかも、学校では、科学の本も読ませているし、生徒の発表や、観察・実験もしっかりやっているのです。
日本には、「品格」だの「しきたり」だの「スピリチュアル」だの、科学を頭ごなしに否定するものが多すぎるのです。
学校の努力を無にすることを実社会がやっていて、学校に何をしろと言うのでしょうか?
「品格」を否定し、「しきたり」を否定し、「スピリチュアル」を否定するところから、子どもたちの科学への関心が芽生えると言うべきです。

台湾では、ITビジネスの伸張によって、子どもたちが数学的応用力の必要性を肌で感じ取っていることの結果が、このテストに現れているのです。

朝日社説は、読売、日経と比べると、ポイントをつかんでいてくれていますが、それでも、学校に原因を押しつけているという点では、変わらず、
 今回の結果からは、日本の子どもの特徴について二つのことがいえる。
 まず、フィンランドなどの上位の国と比べると、学力の低い層の割合がかなり大きいことだ。この層が全体を引き下げている。これまでも様々な調査で、勉強のできる子とできない子の二極化が深刻な問題と指摘されていたが、底上げの大切さが改めて示されたわけだ。
 もうひとつは、科学では、公式をそのままあてはめるような設問には強いが、身の回りのことに疑問を持ち、それを論理的に説明するような力が弱い、ということだ。
 併せて実施したアンケートを読むと、その原因は授業のあり方に問題があることがわかる。理科の授業で、身近な疑問に応えるような教え方をしてもらっているかどうか。そう尋ねると、日本は最低レベルだったのだ。
(中略)
 自分で問題を設定し、解決方法を考えるという力に弱い。このことは科学の分野に限らないだろう。
(中略)
 応用力を育てるには、公式の当てはめ方などを機械的に教えるのではなく、その論理を子どもたちに自ら考えさせる。そんな授業が求められる。
と言っています。
読売、日経と同様に、朝日の社説ライターも、学校に来て実際に授業を見ているのでしょうか?
多分、これを読んだ学校の先生は笑っていると思います、「そんなことは、もうとっくに、しっかりやってますよ」と。
まさに、「ゆとり教育」で、自ら問題設定し、解決方法を考え、公式の論理を考えさせる、という教育を実践しているのです。
朝日社説は、二極分化を指摘していますが、これは、学校に原因があるのでしょうか?
違います。
日銀金利を低く保って円安誘導し、輸出企業ばかりが利益を上げて一般庶民には還元されない、という日本社会の構造から来るのです。
これを、学校の中に原因を求めても何も見えてこないでしょうね。

毎日社説は、「国際学力調査 順位より「低意欲」こそ問題だ」と題して、問題の本質のありかを見極めたことを指摘しています。毎日新聞に叱られるかも知れませんが、長く引用します。
 例えば、「30歳くらいでどんな職に」という問いに、科学関連の職業を挙げた生徒は8%という。
(中略)
 なぜか。理系の職業や社会的地位は、発展途上国で相対的に恵まれ、子供のあこがれが強いという事情もある。先進国では職業が多様に分化し、選択肢が増えるという側面もある。日本では理系の職種が必ずしも厚遇されていないからという指摘もある。でもそれだけでは日本の子供たちの関心・意欲が「ずば抜けて低い」(文部科学省)調査結果は説明できない。
 実は、こうした傾向は理科教育に限らず、既に多くの学校や子供たちの生活の場で指摘されていることだ。経済的な豊かさ、少子化と受験競争の緩和など、さまざまな要因が挙げられる。「生きる力の育成」を強調した「ゆとり教育」も、本来この状況の打開や改善を目指したものだった。
 前回のOECD調査で読解力の順位が下がったことで、ゆとり教育批判がにわかに強まり、教科学習を再び増やす学習指導要領の改定決定や、全国学力テスト実施に結びついた。ゆとり教育の手法や成果、OECD調査結果との因果関係について十分な検証が行われないまま、「ゆとりが学力低下の元凶」論が高まった面がある。
 今回の結果で、実験を工夫するなど理科教育の改善が進むことは期待したい。しかし、「やる気の薄さ」はこの分野に限ったものではなく、社会全体の問題、これからの日本の幅広い人材育成で避けて通れない問題、ととらえる視点と覚悟が必要ではないだろうか。
社会をどう見るか、という点では、毎日社説の立場と、私の立場は異なりますが、今回のPISAテストの結果の原因を日本社会に求めている、と言う点で、毎日新聞の指摘は高く評価できると思います。

読売、日経あたりの指摘がもっとも、日本人の平均的な感覚に近いと思います。
しかし、学校を見せて頂いて思うのは、学校はしっかりやっている、日本社会に、明日を担う子どもをしっかりと育成していこうという視点に欠けている、ということです。
読売、日経、朝日、の社説が学校に求めていることは、既に、「ゆとり教育」の名の下に、文科省が必至に取り組んでいて、学校の中で成果が見えてきている内容です。
ただ、ゆとり教育では、読み書き算盤の基礎学力を反復トレーニングする時間的余裕が失われてしまっているので、トレーニングの時間をしっかり確保するために、授業時間の増加が必要なのです。
文科省の政策にも問題は多々あると思いますが、文科省が「ゆとり教育」でやろうとしてきていることは、決して間違ってはいません。
これをやめるべきではなく、これを補完する体制、総合科目を地域住民に委ねる、地域住民が子どもたちのサポートをする、といったことを整備することが必要なのです。

日本社会が、子どもたちに夢と希望を与えることができなくて、どうして、子どもたちが科学への関心や、探求心を持てるのでしょうか?
日本が、努力する者が努力しただけの成果を得られるような社会を目指すことが、子どもたちの学習意欲を高め、教育日本の再生につながるのです。

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最終更新日  2007/12/05 03:28:30 PM


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