東京の特許事務所から☆弁理士日記

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大人の女性養成講座



先日、東京メトロ日比谷線広尾駅で化粧をしていた若い女性に、こんなところで化粧をするべきでないとの旨の注意をした方がいました。

この方は注意された若い女性に肩を掴まれ揺さぶられて、駅のホームに進入してきた電車と接触、大怪我をする結果になりました。

これはあってはいけない事件です。

あってはいけない事件ですが、この事件の背景には「何で電車の中で化粧をしてはいけないか」ということを理解していない若い女性の存在があります。

もっとすごいことは、小娘たちに電車の中で化粧をすることが何故いけないことなのかを説明できる大人が絶滅寸前である、ということです。

私は何故電車の中で化粧をしてはいけないのか、ということを自分の言葉で説明することができます。

あなたは説明することができますか?

  *   *   *   *   *

■ 電車の中で化粧をして良いのか、いけないのか ■

何故電車の中で化粧をしてはいけないか、という問題に答えるためには、我々の共有している空間には、大きく「公共的な空間(パブリック空間)」と「私的な空間(プライベート空間)」との二つがある、ということをまず知っておく必要があります。

そして、このパブリック空間とプライベート空間とでは、適用されるルールが異なる、ということも知っておく必要があります。

さらに問題を複雑化させる要因が三つあります。

一つ目の要因は、パブリック空間の存在は頭の中で考えただけでは出てこない、ということです。

我々の住んでいる宇宙は膨張を続けていますが、この膨張を続けている向こう側には何があるのかは、宇宙内部にいる限り直接的には知ることができません。

宇宙のスケールとは話は異なりますが、プライベート空間にいて頭の中で考えているだけでは、パブリック空間の存在を認識することはできない。パブリック空間はこの様な特徴を持っています。

二つめの要因は、仮にパブリック空間とプライベート空間とが存在することを認めたとして、またそれぞれの世界に適用されるルールが異なることも認めたとして、
個人がそのルールに従わなくてはならない理由は必ずしも明かにされていない、ということです。

「電車の中では化粧をしてはいけないよ。」というメッセージに対し、
「いいじゃない、誰にも迷惑かけていないんだし。」という反応が出てくる余地があるわけです。

三つ目の要因は、電車の中で化粧をしてはいけないというルールを、誰が決めたのかが必ずしも明かではない、ということです。

「電車の中で化粧をしてはいけない」というルールを決めたことについてこちらが承認した事実はないし、
仮にそんなルールがあったとしても、こちらがそのルールに従わなくてはならない理由はない。
こういった反応が出てくる余地もあるわけです。

いかがでしょうか。

  *   *   *   *   *

さて、これから上記の問題を解きほぐして行くことにします。

我々が共有している空間には「公共的な空間(パブリック空間)」と「私的な空間(プライベート空間)」とがあります。

プライベート空間は、人間の場合はこのようにプライベート空間と表現していますが、例えば、動物の場合にはテリトリーと表現される場合があります。

このプライベート空間の特徴としては次の様なものがあります。
プライベート空間のルールは、そのプライベート空間のリーダーが決めます。
プライベート空間のリーダーは、家族の場合は家族の長がなっている場合もありますし、一人で生活している場合には、その人本人がリーダーです。

次にプライベート空間のリーダーは、プライベート空間に所属しない構成員がプライベート空間に許可なく侵入しようとする行為を排除しようとします。
動物の場合には争いに発展する場合がありますし、人間の場合には警察に電話するとか、出ていく様に要請するとかいう行為に出ます。

プライベート空間にいるときは、自分自身がその空間の実質的なリーダーの場合には何をどうするかは全て自分が決めることができます。

プライベート空間では、人に迷惑をかけない限り、原則何をしようが自由です。

化粧をするのも自由。
携帯をかけるのも自由。
漫画を読むのも自由。
部屋に座って、食べ散らかしたものをその辺においておくのも自由。
たばこを吸うのもお酒を飲むのも一定の年齢に達していれば自由。
全て自由です。誰からも何も言われる筋合いはありません。

プライベート空間にいるときに、「あんたお化粧してはいけないよ。」とのメッセージを受けたとき、そのメッセージに従わなくてはならない理由はありません。

何故こんなことが言えるかというと、外界の「パブリック空間の論理」をプライベート空間に持ち込むことが許されていないからです。

その様な論理を採用するかどうかは、プライベート空間においては、プライベート空間を実質的に支配する個人が決定することであると考えられているからです。

この一方で、プライベート空間の存在しか認めていない者同士が出会った場合には、テリトリーに侵入してきた相手に対する動物の行動に見られる様に、実際に相手を敵とみなして排除しようとする行動に出ます。

公共的な日常生活でこの様な戦闘が繰り返されては安全な生活ができませんから、公共的な空間では、プライベート空間とは異なる行動様式が要求される様になってきました。

こうしてパブリック空間とプライベート空間との使い分けが発生してきたと考えられています。

プライベート空間の論理は直感的で理解しやすいものであるのに対し、パブリック空間は公共的な観点から人為的に定められたルールにより運営されているので、そのルール自体を知らないと理解できないものになっています。

プライベート空間だけにいる限り、何故プライベート空間以外の他人に挨拶しなければならないかを考えても、他人に挨拶しなければならない確固たる理由は理解できません。

もっと進んでいうなら、プライベート空間だけにいる限り、パブリック空間の存在そのものを認識できません。

パブリック空間は人為的に定められたものですから、その存在を、「第三者」、すなわちプライベート空間の外側にいる人から教えてもらわない限り、パブリック空間の存在そのものを認識することができないからです。

駅のホームで化粧をしていた若い女性が「ここでは化粧はしないもの」とのメッセージを伝えた方の肩を掴み揺すって、ホームに侵入してきた電車に接触させ、大けがさせる事件が起こりました。

この行動は、「プライベート空間に許可なく侵入してきた敵に対する排除行動」そのものです。

これは切れた異常な小娘が起こした事件ではないのです。

単に「パブリック空間」の存在を知らない小娘が、「プライベート空間」の論理に従って行動した結果が今回の事故につながった、ということです。

大人の女性は、自分たちの共有している空間が、大きく「公共的な空間(パブリック空間)」と「私的な空間(プライベート空間)」との二つからできていることを理解しています。

そして、パブリック空間の論理をプライベート空間に持ち込んではいけないこと、また逆にプライベート空間の論理をパブリック空間に持ち込んでいけないことも理解しています。

何故パブリック空間の論理をプライベート空間に持ち込んではいけないかというと、プライベート空間の個々の主体が大切にされる状態を守るためです。

逆に何故プライベート空間の論理をパブリック空間に持ち込んではいけないかというと、パブリック空間の全体が円滑に機能する状態を守るためです。

プライベート空間の論理とパブリック空間の論理との相互不可侵性を理解し、スムーズに双方の論理の切り替えができることは大人としての必要条件です。

公共の場で化粧をしてよいとか、いけないとかの一つ一つの列挙規定があり、それに従えば足りるか、というとそうではありません。
パブリック空間にプライベート空間の論理を持ち込まない、という単純なルールが存在していて、そのルールの一つの具体例が「公共の場では化粧をしてはいけない。」、ということです。

もちろん、我々は生まれながらにしてプライベート空間の論理とパブリック空間の論理を理解している訳ではありません。
生まれてからしばらくの間は、プライベート空間が100%を占めます。

思春期になりますと、プライベート空間とその外界(それが何かは未だ理解できない状態ですが)との間に境界壁を打ち立てなければならない状態に至ります。

プライベート空間と外界との間にうまく境界壁を作ることができればよいのですが、中にはうまくその境界壁を作ることができず、つっぱり等の行動にでる少年少女が現れます。

これはプライベート空間の外側にプライベート空間とは異なる世界があることを少年少女たちが理解し始めたことを意味します。
その異なる世界から自分のプライベート空間を守ろうとする一つの行動がつっぱりです。

もう少し年齢を重ねてうまくプライベート空間と外界との間に境界壁を築くことができる様になると、つっぱりから卒業することになります。つっぱりという形でプライベート空間を守る必要がなくなるからです。

ただし、ここで多くの少年少女たちは、大人へのステップを上がりきれずに踊り場にとどまることになります。

パブリック空間の存在を、プライベート空間の延長として理解しようとするからです。

パブリック空間においても、プライベート空間の論理が通用すると信じて疑っていないので、
「公共の場で化粧をしてはいけないよ。」というメッセージに対して、
「別にいいじゃない。人に迷惑かけているわけじゃないし。」という反応が出てくることになります。

「私的な空間(プライベート空間)」だけにいては、「公共的な空間(パブリック空間)」の存在自体を認識できない、と先に説明しました。

パブリック空間の存在を認識している、ということは、プライベート空間の外側からプライベート空間を見つめることのできる視点がある、ということです。

自分のことを外部から見る自分がある、という話みたいで奇妙に聞こえることと思います。自分のことを外部から見る自分、というのは、通常は幽霊です。

この様な幽霊はどの様にして現れるのでしょうか。現れるとすれば、通常は自分を殺したときですよね?

まさにその通りです。
過去の子供だった自分を「象徴的な意味で」殺すことにより、自分自身のことを外部から見つめることのできる視点を手に入れることが可能になります。過去の自分から卒業して文字通り生まれ変わります。

過去の子供だった自分を「象徴的な意味で」殺すことができずに、「現実に」自分を殺してしまう人も中にはいます。

過去の子供だった自分から卒業して、新たな自分とうまく出会うことのできた人が大人である、というわけです。この段階に至った人は、プライベート空間にいる自分と、パブリック空間にいる自分とをはっきり認識し区別することができます。

この章の最後になりますが、「電車の中で化粧をしてはいけないなんて誰が決めたのか?」という問題に答えておきたいと思います。

電車の中で化粧をしてはいけないという内容のルールを決めたのは、先日、東京メトロ日比谷線広尾駅で小娘に「ここで化粧をしてはいけない」との旨のメッセージを伝えたおばさんでしょうか。

それとも私でしょうか。
それともこのブログをみているあなたでしょうか。

いずれも違います。

このルールの内容を決めたのは、「歴史」です。

先のおばさんも、私も、このブログを見ているあなたも、「歴史」のメッセンジャーであるに過ぎません。

何故、小娘にこのメッセージを伝えようとするのか、といえば、我々大人がこの小娘をパブリック空間の大切な構成員である、と考えているからに他ならないから。そういうことです。

                            弁理士 平野泰弘





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