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2007年11月15日今日から入院私は仕事なので、一人で病院に行ってもらう。朝、出かける前に「じゃあ、頑張って!夕方行くから。 大腸がんの検査のことメールして!」と言って、いってらっしゃいと言おうとしたら涙がこぼれそうになった。思わずパパに抱きついたらまた背中をさすりながら「だいしょうぶだから」と言ってくれた。 昼にいったん家に戻ると(職場が近いので、ほとんど昼ごはんを家で食べている)当たり前だけど、家には誰もいない。テーブルの上に大きな紙に「いすの上にある物、あとで持ってきてください。 では行ってきます!」と大きな字で書いてあった。それを見て、わーわー大きな声で泣いた。このまま、帰ってこれないかも・・・。さびしい。さびしいと思った。告知されてからこの1週間、まるで新婚にもどったように感情表現をお互いに素直に出来るようになった。この1週間、多分、世界で一番幸せな夫婦だったと思う。そういう点ではがんに感謝だな、と思う。午後パパからメール「大腸の検査結果、多分大丈夫だろうって」あーーーー、よかったーーーーー!本当によかった。仕事が終わって、病院にかけつける。先生から「ポリープはなく、大腸には異常ないかと思われます。」と。多分、やっぱり痔からくるものでしょう・・とのこと。はじめての「いい方」への結果報告を聞いた。今までは毎回「悪い方」ばかりで「ないとは思いますが・・・・」の方に転んでいたので。これをきっかけに、全て好転していきますように、と強く願った。
2008.01.26
2007年11月 14日大腸がん検査の予定が明日なので、検査前の食事セットなるものをパパ、病院の売店に買いに行く。3食分と間食分、レトルトぽい物で、お湯の中で温めるだけで食べられれる。量はごくごく少なく、煮物やおかゆ、みそ汁など。夕飯後、大量の下剤を飲む。腸の中をからっぽにしなければならないので。下剤を飲んだあと、トイレと仲良しになる。きつそうだなぁ~~、とパパを見る。がんとわかってからネットであれやこれや調べて、とにかく出来る限りのことはしたいと思い、いろいろと取り寄せる。フコイダンという、沖縄もずくから出来た液体の試飲用のものと、お試しキットみたいのを取り寄せたので(この情報は妹に教えてもらった)1週間分ほどあるので昨日からそれを飲んでもらってるがまずいらしい。お高いので、今後継続して飲んでいけるようなものではないけど手術前の免疫力が少しでもアップすればいいかなーと思った。スギナ茶というのも、取り寄せた。これもあまりお気に召さなかったようだが、これは、まあ普通に健康茶というだけで実際に問い合わせの電話をしてみたりもしたけどなんだか電話に出たおっさんもうさんくさかった。まだ残ってるので、今はほとんど私が飲んでます(笑)
2008.01.26
11月13日 術前検査で、便を持って病院に。 あと、バリウムも飲んできた。 なので、今日は仕事を休んだ。 帰ってしばらくすると 病院から携帯に電話。 どきっとして、出ると 「実は便が血便だったので、大腸がんの 疑いもあるので、大腸検査もすることに」 という電話。 電話を切って、パパにそのことを言いながら ガマンしきれずに、パパに抱きついて わんわん泣いてしまった。 「どうしようどうしよう。 大腸に転移してたらどうしよう」 パパは 「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言いながら 私の背中をさすってくれた。 逆じゃん!なんで私が慰められてるんだ? と思うんだけど 今まで、笑顔笑顔で、涙を見せまいとしてきたから その分、どっとあふれてしまったようだ。 はじめてパパの前で泣いた。 落ち着いてから、このことは、まだ夕衣には 言わないで、とお願いする。 夕衣、16日面接なので それまで心配をかけたくないのだ。 「わかった」と言ったパパ。 夕衣が帰ってきたら 「お父さん、大腸がんもかも!」と言ってる。 はーーー?なんだ?こいつー!と思う。 「ちょっとー!何言っちゃってんのー」と言うと 「あ、そっかー」だって(がーん) もう仕方ないので 夕衣に、はじめて、これからのことや、 父親の病状のこと、いろいろ話した。 夕衣は動揺することなく 「わかった。それに向かっていくしかないね」と しっかり受け止めてくれる。 多分私の何倍もしっかりしている。 「お母さん、夕衣のこと頼っちゃうから よろしくね!お母さん絶対ひとりじゃ 無理だから!」 と、すりよって抱きついたら 「そんなこと宣言されても~~」と笑っていた。 寝る前にパパに 「死への恐怖っていうのはある?」と聞くと 「それはない」とのこと。 「ないんだ~~!じゃあ何が一番不安?」 と聞くと 「オレの不安材料は 多分、あなたが思うよりずっとレベルが低い」 というので「えー?なになに?」と聞くと 「また手術後、腹に管がささって、痛いのが 嫌なだけ。これをなんとか避けたい」 だそうで・・・・・。 なんか、この人ってどこまでも脳天気なのかも と思う。 がんも、こんなやつを選んで失敗したって きっと今頃思ってると思う。 で「それは避けられないと思うよ」 と言うと「やっぱり?ちくしょー」と まじで悔しそう。二人で笑った。 どうにか避けられないかと、毎日考えていたそうで。 でも、これを聞いて、私としては ちょっと安心した。 「もうそれは覚悟して乗り越えなさい」と言うと 「はい、わかりました」と。 そして 「あのさ、血便って、オレさ、痔だから 多分それだと思うよ」だって。 次にがんになる前に痔を治そうと言ってこの日は 早めに寝ました。 15日から入院が決まったと 病院から電話があったのもこの日です。
2008.01.23
11月12日 妹が岐阜にある 『癌封じ寺』にお参りと祈祷してもらいに 行ってくれる。 祈祷してもらいながら、ボロボロ涙が出たとか。 浄化ってやつかな・・・と二人で話す。 お札とお守りももらってきてくれて 『この中に癌を閉じ込めましたから』 と言いながら渡されたそう。 写メで見せてもらう。 人の体の絵が書いてある胃の部分に○がしてあった。 本当にありがたいことだと思う。 パパも、感謝している様子。 妹に 『私は悪いけどあきらめない!』と言われる。 私や子どもたちのためもあるけれど それより何より パパという人間がいなくなることが嫌だ。と。 失うには惜しい人だから、と言ってもらう。 そうなんだな、と思う。 そんな風に周りから思ってもらえるような 生き方をしてきた人なんだな、と。 私も諦めてはいけないと、思う。
2008.01.23
11月11日 「お父さんいなくなるのやだー」 (入院すると、という意味) と昇。 「お父さんいなくても、お母さんが遊んであげるよ さっちゃんも(妹)きてくれるしね」 と言うと 「さっちゃん?うれしい! さっちゃんにここに住んでもらいたい。 そうしたら、お父さんいなくても 普通の4人家族になるもんね」 なんだか、涙出た。 この頃は、4人家族と言う数字にこだわる昇だった。 「でもお父さん、死んじゃうのはやだー」と。 「さっちゃんいても?」と聞くと 「うん、だって遊べないし、それにさー、お金も・・」 ちょっとおかしかった。 習い事をことごとくやめたので、昇なりに お金が大変って思ってるのかも。 「夕衣が大学出たら、働くし さっちゃんが大金持ちだから大丈夫だよ お母さんも頑張って働くしね!」 と言うと、かなり安心したようす。 でも、お父さんは死なないよ、とは言わないようにした。 「お父さんに何かあったら、お母さんと夕衣と昇と そしてさっちゃんで、助け合っていこうね」 と言うと、力強く「うん!」と笑った。
2008.01.23
11月10日 パパがずっと気になっていた昇の学芸会 私が先に行って、場所取り。 冷たい雨がふり、思いのほか、寒い。 午前中いっぱい、いすに座ってられるかな。 パパに電話。 「寒いから、ちび毛布とちび座布団持ってきた方がいいよ」 始まる寸前に パパと夕衣、ふたりで、来る。 3人で並んで一番前で観る。 もし疲れるようなら、昇のだけ見て、帰れば? と言っていたのだけど なんとか、全部見ることが出来た。 子どもの手をひく、どっかの小太りのお父さん を見て 「いいなー、あんなに太ってて」と思う(笑) なにせ、やせてしまった、隣の自分のだんなを 見ると、胸が痛くなってしまって 他の方と比べても仕方ないのに 「血色いいなー」とか「健康そーだなー」 とかやたら思う(笑) 『来年、これるのかな』 と思うと、涙がにじんできてしまう。 夕方、パパがカラオケに行きたいというので みんなで行くことに。 と思っていたら またしても夕衣は、いびきかいて寝てしまって 全く起きないので 仕方なく3人で。 パパたのしそー。 でも『野風坊』はやめておくれ。 お前が二十歳になった時に酒でも飲みたいとかなんとか そんな歌詞。 殺生なーーと思い、トイレに。トイレで泣く。 帰ってきたら『ロード』 まじですかー?いやがらせ?と思う。 またトイレに。泣く(笑) パパ 「毎日テニスして、カラオケで唄うたってたら 治りそうな気がする」と。 少しは発散できたかな。
2008.01.23
11月8日 仕事が手につかない。 ご飯が喉を通らない。眠れない。 『うつ』にならないようにしなきゃ、と思う。 思考方法がわからない、と苦しくなる。 最悪の状況になった時 どうやって生活をしていくのか どうやって昇を守っていくのか が頭から離れない。 夕衣は、あの子は大丈夫。 過信ではなくて、そう思う。 逆に支えてもらってる感すらある(笑) プラス思考で、ポジティブに、 とか 闘う気持ちが大事 とか 頭でわかってはいても、心がついていかない。 闘うってなんだろう?とかも思う。 夜、パパが 「術後の経過がもし悪かったら 仕事やめて島根に帰って療養するわ、単身赴任で」 と言う。 島根が大好きなこの人にはいいことなのかなと思う。 「じいちゃん、ばあちゃんがいいって言ったら それもひとつの案かも。 でも単身赴任てのはどうして?」 「昇に田舎の小学校はちょっとかわいそうだから」 全校生徒が10人足らずなんです・・・たしかに ちょっとなぁ~・・・と思う。 でも父親の命には変えられないのでは、とも思う。 「じゃあ、昇がおねえと二人暮らしできるくらいに なったら、私も島根に行くよ。 一緒に百姓しよう」 と言うと、すごく驚いて 「あなたの口からそんな言葉が出るなんて・・・」と。 私は、どんなことがあっても 百姓だけは多分無理って常々言っていたので。 自分の心や考え方が 自分でもびっくりするくらい一転していく。 ただ、最悪な状況になった時 弱っていく父親を 間近で昇に見せなくてはならない という事を想像すると いたたまれなくなる。 元気で、陽気で、強かった(いろんな意味で) 父親が、衰弱していくのを まだ10歳にならない年齢で 受け止められるのかどうか。 と考えていると いや、待てよ、と思う。 もしかしたら そう言ってる私は 私自身が受け止められる自信がないだけかも と思う。 私は、強くないとつくづく思った。 結局、自分がかわいいだけじゃん、と思う。 この頃は、いろんな意味での覚悟がまだまだ 出来ていなかった。 パパ 大学時代の友達8人に 胃がんになったということを メールする。11月9日 パパの大学の友達から返信。 パパに内緒で 出来たらお見舞いに来てほしいと 私からメールする。 この時は 入院してもすぐに退院できずに 闘病生活に入る可能性もあると思っていたので そうなった時に なるべく元気なうちに みんなに会いに来てやってもらいたいと思った。 午後 私の携帯に病院から電話。 検査結果や急用は 私の携帯にしてほしいとお願いしてある。 「ご主人のCTの結果なんですが・・・・・」 妙に声が低い。妙な間も。 心臓がとまるかと思った。 「肉眼で見られる転移は発見されませんでした。 予定どおり、手術できますよ」 あ~~~、よかったーーーーー! ていうか、もっと最初から 明るい声で言えよ、とか思う。 むやみにためるな、とも(笑) ありがとうございます。 全てに対してありがとうと思った。 すぐに妹に電話。 妹は、何かと、いろんな物を送ってくれたり 情報収集してくれたり 本当に支えてもらっている。 この報告もとても喜んでくれた。 妹は、東京に引っ越してくることになっていたので 万一のことがあったら 一緒に住んで、とお願いする。 もしくは、近くに住んでほしいと。 もちろん快く承諾してくれた。 一緒に住んで欲しいのは 私のためもあるけど 昇のためもある。 パパと 『もし末期がんだったら』 という話をする(明るい感じで) 私が 昇に父親の弱っていく姿を見せることを 考えるとつらくて・・・と言うと 「そうだな、酷だな。 でも、最期の生き様を見せるっていうのも ひとつの選択肢じゃないかな」とパパ。 この時は、うん、そうだね~とまでは思えなかった。 この頃いただいたメールで はげまされた言葉は 『子どもは全てを自分の力に変える能力がある』 というもの。 どんなに辛い体験でも、きっと自分の力に 変えてくれるであろうと思うと それに向かう勇気がわいてくるのを感じた。 妹に先のことを考えてしまうのはわかるけど 考えすぎだ、と怒られる(笑) 今やらなきゃいけないことを、ひとつひとつ考えようと。 そうだなー、そうしよう、と思う。 ついつい、どんどん 路頭に迷っていく自分 (経済的にも、心理的にも)を想像してしまっている。 妹に、『○○(←私の名前)なら大丈夫! 自分が思っているより、強いから』 と言ってもらえて、少し自信が出る。 そしてこの日 妹から 『これから皆が幸せでいられる最善の方法を二人で 模索しようね』と言ってもらう。 これは、とても心に響いた。 皆が幸せでいられる最善の方法を模索 これは、今も続いています。
2008.01.23
11月7日 パパと二人で外来に。 昨日話を聞いた先生からの話。 昨日私が聞いた話にオブラートをつつんで やわらか~く話してくださる。感謝。 血液検査と、CTを撮って、帰宅。 大好きな友達が、家まで遊びにきてくれる。 お笑いで売れるよ、絶対!っていうほど おもろい子なので、私もパパも夕衣も 終始、大笑い。 パパは「痛い痛い!傷口が開くー!」 と何度もおなかをおさえた。 告知から、今まで笑ってなかった私たち。 ものすごくひさしぶりに、笑った。 友達を駅まで送って、また改札口で泣いてしまった。 パパの前で気持ちが張り詰めているので こういう時、泣いてしまうのかも。 セカンドオピニオンのことや、医療費のことなど アドバイスをもらう。 今度、この友達に何かあったら どんな事をさしおいても、かけつけよう!と思う。 夜、パパが寝てから、この先の経済的なことが不安になる。 メールで元気をいただいてる方に 医療費や、これからの生活のことなど、相談する。 最終的には、生活保護をうける覚悟でいなきゃ!と思う。 治療費のことを気にせずに治療に専念したいな、と思うと それしかないと思う。 昇の習い事もやめさせなきゃ・・・と思うと 涙が出る。 この日は、昼間楽しかった反動なのか、夜中までひたすら 経済的なことで頭がいっぱいになる。 毎日、眠れない日が続く。 昇の無邪気な姿を見ると涙が出る。 お風呂あがりに足つぼマッサージをパパにするのが日課になる。
2008.01.22
11月 6日 主治医の先生に話を聞きに行く。 パパには内緒。 先生の話によると がん細胞の種類は「低分化型腺がん」というもの。 これは、低・中・高とある三段階中 一番悪質なもの。 (「スキルスですか?」と喉まででかかったのだけど 聞けなかった。 スキルスがんというのは、胃がんの中でも、たちが悪く あっと言う間に進行し、死亡率も高いもの) パパの場合 胃に穴が開いているので、その時に がん細胞が漏れ出て、生き残っている可能性は高い ということ。腹膜播種だ。 「内視鏡の写真を見てわからなかったのですか?」 との私の問いには 胃の専門の先生が答えてくれた。 「ご主人の場合、穴をふさぐ手術をしていて 普通の方とは違う状態になっているので この写真を見ても、かいようだとも言えるし がんかもしれないとも言える。 要するにわからないんです。」 と言われる。 がん細胞が漏れていた場合 手術前にCTを撮って、明らかな転移が見られた場合 手術はしないで、すぐに抗がん剤治療に入るとのこと。 もしCTで何もうつらなかった場合は 予定通り手術。 多分全摘。 腹膜への細胞レベルでの転移があるかどうかは 顕微鏡で調べないとわからないので 手術中にわかる場合もあるが、わからない場合もある。 腹膜への転移が確認された場合 胃をとった方がいいという説と とらないで治療をした方がいい説があるが この病院ではとる、ということ。 等々、の説明をうける。 私があまりに暗い顔をしていたからか 「腹膜にばらまかれた状態でも、今職場復帰してる方も いらっしゃいますよ。それにばらまかれていないかも 知れないじゃないですか」 と慰められた。 「主人には、ばらまかれているかもしれない、という ことだけ、まだ言わないで下さい。 悪性の細胞が見つかったというだけで かなりのショックをうけているので とにかく、無事に手術が終わるまでは これ以上刺激しないでほしいんです。 手術後は、事実をきちんと話していただきたいと 思いますが・・・」 と、お願いすると、快く承諾してくださった。 病院をでて、友達に電話する。 今聞いたことを、説明しながら めちゃくちゃ、ネガティブな事ばかり言う。 「パパ、もうだめかもしれない。」 と言うと 電話口で、友達が 「だめなんて言わないでよー!パパ頑張ってたじゃない。 夜昼なく働いて!体こわすまでー! あんなに頑張ってたんだから、だめなんて言っちゃ あんまりかわいそうだよーー」と電話口で泣いてくれた。 地下鉄の階段の入り口でしゃがみこんで 「うんうん、そうだね」と私。 それから、どうやって電車に乗ったのか覚えてない。 最寄駅で、ある方にメールをすると すぐに電話を下さった。 思わず、駅内なのに、電話で話しながら 号泣してしまった。 その方に聞いていただき、少し落ち着く。 改札を出たら、偶然さっき電話した友達が! 話しながら、また号泣。 「夏にね、島根に帰ったときに ばあちゃんに「顔色が悪いからがんなんでは」 って言われた時に 「お義母さん、がんなら、もう今頃末期ですよ」 なんて答えたんだよ。 なんで、あの時に親のいう事をきかなかったのかと 思うと、悔やまれてならない。私のせいだ。私のせいだ」 友達が 「違うよ、誰のせいでもないよ。 あるとすれば、遺伝と、ストレスと過労のせいだよ」 と言ってくれる。 友達と別れてから、どうしたのか、また覚えていない。 家に帰ってから 『腹膜播種』を調べる。 絶望的なことしか出ていない。 手術後の再発は数ヶ月~1年以内。 再発した場合、死亡率は100パーセントに近い。 パパはこのことは知らない。 今日のことも。 もしかして、入院しても退院出来ないかも知れない。 退院の日取りを計算してカレンダーを見ているパパを 見て、涙が出る。
2008.01.22
11月2日 『悪性の細胞』と検索かけて、ネットを見る。 調べれば調べるほど 『がん』であるということがわかり、凹む。 パパも時間を見つけては、パソコンを。 普段ほどんとパソコンなんて開かないのに・・。 私「先生が気になるって言ってたところかな~? 全摘になるのかな?」 パパ「電話では、その可能性高いって言ってた」 私「そっか・・・ とにかく、悪いところはとっちゃって 治すこと考えよう。 大丈夫!一緒にがんばろ!」 こんな会話ばかりだったように思う。 ずっと、パパの手を握ってる。 思えば、ここ最近手を握ってずっといる、 なんてことなかったな、って思う。 胃穿孔の時、病院にかけつけた私に 病院のベッドに横になりながら パパが手をさしのべてきた。 この時が、本当に久しぶりに手を握った時。 でもこの時も、心から手を握ってなかったと思う。 でも、今は違う。 ずっと握っていたい気持ち。 痩せちゃったな~と思う。 親指の下のふっくらしたところが好きだったのに すっかり薄くなってしまっている・・ 違う人の手のよう。 この日はパパの布団に入って寝る。 子どもを抱くように、パパを抱きながら 「大丈夫、大丈夫」と言ったり 「ごめんね・・」って言ったり。 「あなたが悪いわけじゃないよ」というパパに 「でも、もっと早く検査行ってれば・・ 強引に私が病院の予約とるべきだった・・。 食事の管理も全然できてなかった。 優しくもなかった。 私のせいだよ。ごめんね、ごめんね」 がん患者の家族は、自責の念にかられるのが強いと あとで聞く。 生活習慣やストレスに密接に関係するからだろう。11月3日 眠れない朝を迎える この日は家族4人で、地元の神社に。 手術の成功のお礼を言いに。 そして完治願い。 すぐに最悪のことを考えてしまう。 考えると不安になる。 あまりの不安に親しい友人、信頼している方 大好きな方、にメールをする。 『助けて』メールです(笑) と言っても、本当に数人。 数人だけど、その方たちからのメールで どんなにはげまされたことか。 11月4日 前々からとれていた、テニスコート。 抽選で当たったもの。 キャンセルしようと言うと 「せっかくだから、行こう オレも気分転換になるし」とパパ。 家族4人で行くはじめてのテニス。 (夕衣が一緒というのが今までなかったので) パパは、もっぱら球ひろい。 でも楽しそう。 昇もはじめておねえちゃんとやれて嬉しそう。 「ああ~、やりたくなるなぁ~」とパパ。 「夕衣はパワーはあるなー」と。 1時間半くらいだったけど ものすごく楽しかった。 帰り道、昇が 「あー楽しかった!おとーさんが入れば ダブルスできるのに! だめじゃーん!病気になっちゃあー」 と無邪気に言う。 「そうだよなぁ~」とパパ。 後ろからそんな二人を見て 涙があふれそうになるのをこらえる。 もしものことがあった時に昇になんて言ったらいいのだろう これが、この頃一番考えて泣いたこと。 悲しい思いをさせたくない。 長い出張とかなんとか言って、父親がいないことが 当たり前のことになってから、言おうか・・なんて 考えたりもした。 でもある方から 「パパの意向を聞いたうえで 可能な限り本当のことを 伝えてあげては?」と言っていただいた。 「大切な家族の事は幼くても 事実を知りたいだろうと思うから」と。 またある方からは 「昇くんは男の子。 きっとナミさんを支えてくれるようになるよ」 とも言っていただき、 そっか・・・と思う。 昇はまだ幼くて、私が守ってやらなきゃとばかり 思っていたけど、 そうばかりではないかもしれないと思う。 昇の力も信じていかなきゃ、と思う。 11月5日 パパが、病院に電話してもう少し詳しく 聞いてみてくれないか、と言ってきたので この日は私は仕事だったのだが 昼に病院に電話をしてみる。 「金曜に先生からお電話をいただいたようで・・ 私は不在だったので、もう少し詳しく知りたいのですが」 電話に出ていただいた先生は手術の執刀医のひとり。 丁寧に詳しく話してくださった。 最後の内視鏡検査で、がん細胞が見つかったこと。 再度手術が必要であること。 多分全摘になるであろうこと。 「早期発見と考えていいんですか?」と私が聞くと 「ご主人の場合は、穴が開いているので この時に穴からがん細胞が漏れていて おなかの中に散らばってしまっている可能性があります。 そうなると、転移しているということなので 早期とは言えないんですよ」と。 頭がまっしろになる。 穴から漏れてちらばる? こわい。 とっさに 「水曜の外来で、主人にそのこと話しますか?」 外来の先生が電話に出た先生ではないので なんとも言えないとこのと。 もし心配なら、事前に奥さんだけで、先生と お話されたらどうですか? と言っていただき、明日行くことに。 とにかく、もっと詳しく聞いて そして、手術が終わるまでは パパには「穴から漏れているかも」ということは 言わないように、とお願いしに行こうと思う。 ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~* 昨日、島根の親戚の、ずっとお世話になっていたおじさんが肺がんで亡くなりました。陽気で、気配りをよくされる、気のいいおじさんで大好きでした。パパが、今朝、島根にむかいました。昨日、訃報を聞いてパパ、自分の闘病記に(メモ程度)『がんという病気はあなどれない病気だ』と書いていました。私は、お通夜、お葬式にはいけませんが心からご冥福をお祈りいたします。
2008.01.22
パパが10月18日に胃に穴が開き、緊急入院・緊急手術してから昨日でちょうど3ヶ月がたちました。この間にあったこと、考えたこと、感じたこと書き留めておきたいと思うので、少しずつ書いていきます。(携帯メール見ながら書いていこうって思ってます)記録なので、長文だったり読みづらいと思います。それに加え、内容も楽しいものではないのであらかじめ、そういうのが苦手な方はスルーしてください^^10月18日 胃穿孔で緊急入院・緊急手術 手術は無事終わるが、手術後の先生の 「ご主人の開いていた場所が胃の真ん中だったんです。 これは珍しいケースなんですよね~」 というひとことが、心にひっかかった。なんとなく嫌な予感。 「上から押さえた感じ、がんがあるような感じはしなかったので 多分大丈夫とは思いますが、絶対はないので、一応退院前に 内視鏡検査をします」とのこと。 上から押さえた感じ、がんはないように思ったとのひとことに すがる思い。どうか、がんではありませんように。 10月30日 術後の経過も順調で、いよいよ内視鏡の日 パパからのメール『終わった。先生の反応がちょっと心配。 組織をとったのですぐにはわからない』 『生検の結果が出るのに3~4日かかるので良性なら金曜退院』 パパから電話 先生の説明だと、穴の開いた箇所ではなく ひだの部分にひっかかりがあり、そこが気になった、とのこと。 が、主治医の先生は「いや~胃潰瘍でしょ。明日退院しましょう」 との判断 妹や、友達にメールを。 「がんだったらどうしよう」すでに弱気な私。 妹に「肝っ玉かあちゃんみたくどんと構えてないと」と言われる。 「大丈夫、きっと良性だよ」という言葉を何人かからいただき こういう時「大丈夫」って言われるのって心強いなーと思う。10月31日 パパから『今日早くこれる?退院してもいいってよ』とのメール が、その後、先生が来ないので(--;) 結局退院は明日に。11月 1日 退院。結果はわからないけど、先生が何人も「胃潰瘍だよ」 と言ってくれた。きっと大丈夫。 久しぶりに家族で夕飯。布団は敷きっぱなしで寝たり起きたり。 食事はうどんやら、消化のいいものを。11月 2日 ずっと行けてなかった、昇の病院へ(体質改善の注射) パパには留守番していてもらう。 夕衣もいるから淋しくないよねーと。 病院で偶然親子共々仲良し友に会う。 入院中は、励ましてもらった貴重な友達。 ひさしぶりに病院後お茶を。 すっかり話がはずんでしまい、夜遅くなってしまった。 パパが心配で、友達と分かれてから、携帯を手にすると 妹からメールが。 『大丈夫?○○(←パパの名前)に聞いたよ。 淡々と話してたけどショックだよね。今月東京に行くよ』 へ?なんのこと?意味がわからない・・・・と思いながら とりあえずパパに電話 「ごめん!○○(←友)に会っちゃって!話がはずんじゃってー」 するとパパ、低い声で 「さっき病院から電話で、悪い細胞が見つかったって 再入院になった」 「うそ?うそでしょ?またーーーーー!もうやめてよー! しゃれにならないってーー!」 「ホントだって」「うそだあー」 こんな時、しょっちゅう、うそついたり冗談言ってる人は損です。 なかなかすぐには信じてもらえない。 妹はさっき家に電話して聞いたらしいのだが やっぱり「うそー?」 だったらしい(笑) どうやら、本当みたい。 なに?悪い細胞って?がんってこと?がんとは違うの? がんの一歩手前とか? 頭がぐるぐる。ドキドキ。手も震える。 昇とさっき約束していたDVDをレンタルしに行く。 さっき分かれたばかりの友達にこのことをメール。 レンタル屋で、その友達から電話がかかる。 「どうしよう~~、再入院だってーー」 動揺してる私に友達が 「どうしようって言ってても、だめなんだよ。ね、わかる? これから出来ることを考えようね。まずはちゃんとした結果を 詳しく聞かないとね。 早く帰ってパパのそばにいてあげないとね」 と優しく叱ってくれる。 あぁ~、友達ってありがたいなぁと思う。 家に帰る途中、妹に電話。 「淡々と話してくれたけど、多分今頃すごいショックうけてるから 早く帰ってあげて。私も今月必ず行くから!がんばって」 すごくやさしいなぁ~、みんな、と思いながら家に着く。 パパがパソコンに向かってる。 私と昇を見て、半分なきそうな顔に。 昇を抱く。 長い時間抱いてる。 私はそばでパパの手を握る。 昇は「どーしたのー?留守番さびしかったのー?」言ってる。 私はこの時のパパの悲しそうな顔と、昇を抱きしめる姿を はっきり覚えてる。多分一生忘れない。今日はここまでにしておきます。なぜか書きながら、思い出したら涙がとまらなくなっちゃいました(^^;) *~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*昇が、ノロになってしまい、ずっと学校を休んでいたのですが昨日から復活し、今日はもう元気になりました。と、交替で夕衣がきのうの夜から、だるいと言い出し、今朝も食欲もなくだるいと言いながら、バイトに行きました。ノロではないと思うけど、ひどくならずにすむといいけど・・・。私は18日、えびすの「琉球温熱」のサロンに行ってきました。これは、がんの治療にとてもいいと言われている『温熱療法』なんです。病院でもやっているところはあるのだけど、とても少なくしかも、うちの場合は再発予防なので、なかなかそういう患者をうけいれてはくれない。ということで、民間でやっているところを探していきました。自宅で出来る小型温熱器を注文して、来るのを待っているところなのでその使い方を知りたかったのです。パパががんになって、私なりに、ネットや本を調べました。今のところ確信したのはがんに関わらず、大事なのは免疫力をあげること。当たり前の事かもしれないけど、これがなかなか難しい。ではそのためにどうしたらいいか。質のいい睡眠・バランスのいい食事・腸内環境を整える、適度な運動・酒、たばこを控えるなどなど、これはもう当然なのだけどいろいろ調べていくうちに体を温めることの大切さ、に行き当たりました。特にがんは低体温好き。だけど、体温を1度あげるって大変。で、たどりついたわけです。温熱療法。昨日、約1時間半のコースを体験したのですが、超超超気持ちよかったです。不思議なのは、悪いところは、熱い!私は右肩が熱かった。よかった・・・胸とかじゃなくて(乳がんがこわい)実際にこの温熱器で熱を入れていくと、悪いところが熱いのでがんなどの早期発見や、未病の段階での病気の発見になるそうです。今度はパパを連れて行って、実際にやっているところを見せていただこうかなと思っています。簡単に家で出来る、免疫力アップの方法に「爪もみ」ってのがあります。これは、もう退院してからずっと、パパにやってあげてます。ついでに子どもたちにも。あ・・・そう。パパががんになってから我が家では、なんでもまずパパ。ついでに子ども。になりました。これが、我が家で起こった、一番の奇跡かも知れません。
2008.01.19
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