ピカルディの三度。~T.H.の音楽日誌/映画日誌(米国発)

Jan 15, 2006
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 ピカルディの三度という用語は、クラシック音楽を勉強したことのある人のなかでどれほど知られている言葉なのだろうか。僕がそれを初めて聞いたのは、たぶん高校一年の時。音楽の先生が、授業中にピアノを叩きながらさらっと言及した。

 そのまま短調で曲を終えてしまってもいいところを敢えて長調に変えることに好き嫌いは分かれるだろう。おそらくピアノでバッハの短調曲に親しんでいる人にとっては普通に「お約束ごと」として、自然に捉えられていることなのかもしれない。不思議なのは、曲そのものの性質や、あるいは奏者の弾き方によって、この最後の和音の変化が曲の終了後に残す余韻は異なるということだ。
 1) 突然のハッピーエンドに思わずずっこける。(椅子から転げ落ちてしまう。)
 2) 椅子からは落ちないまでも、ちょっと滑稽な響きにクスッと笑い出してしまう。
 3) 眉間にしわを寄せて聴いて(弾いて)いたけど、華やかに終わって気分爽快、ああスッキリ。
 4) 邪道! せっかくの荘厳で神聖な重々しい音楽が最後の音で台無し。
 5) 長調だろうが単調だろうがどーでもいい。
 僕はこのピカルディの三度という言葉を15年ぐらい忘れていた。上の選択肢で言えば5番。曲の最後の和音は、そりゃ重要だとは思うけど、僕のそれまでの音楽活動といえばアマチュアのオーケストラでヴァイオリンを弾くのが主だったから、まず縁がなかった。そもそも、アマオケではバロック(しかも短調の曲)はほとんど演奏しないし、したとしても、曲の最後の音はヴァイオリン奏者はたいていドミソドの一番上のドを弾いて、それで悦に入っておしまい。最後の最後に誰かが弾いてるミの音がフラットだろうがナチュラルだろうが、一般のヴァイオリン弾きはあまり気にしていないものだ(たぶん?)。

 それ以降、僕はこのピカルディ終止をちょっと意識して音楽を聴いて(弾いて)みるようになった。そしてそのことが、その後の自分の音楽人生を180度転換することになろうとは、当時の僕は知る由もなかった。(つづく。)

補記: 外国に住んでる割に横文字が未だに苦手なワタクシ。このピカルディという言葉がなかなか覚えられず、いつもピカデリーだとかバカルディだとか言ってしまう。だから、もう二度と忘れないようにと、このページの題名にすることにしました。





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最終更新日  Jan 16, 2006 12:15:52 AM
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