piled timber


 何故、近隣の人達が覚えているかというと、母が小学校に上がる頃には祖父が村会議員になっていた所為が大きいだろう。馬喰の曾祖父が起こした財産を使って終戦直後の中では三十前半にして議員になったのだから、年配者なら驚きのような記憶が在るのだろう。そして父は坂下の家の三男坊だった。

 そのような立地条件からも、幼き日の二人は物心ついた頃からの幼なじみだったと思われる。そして狭い村落の中の端の方には母が結婚したいと願った男が住んでいた。恐らく、父は母が結婚したいという男が居た事を知ってはいたのだろう。最もこれはあくまでも私の想像でしかない。

 物心ついた頃の私の記憶では、朝から晩まで働きどうしだった両親の事しか覚えてはいない。祖母が家事一切を行って、両親は朝から晩まで農作業を行っていた。父はどちらかというと寡黙な男で、酒もたばこも嗜まず、黙々と仕事をこなしていた。人づてに聞いた話であるが、婿養子に入った父に対し、祖母は農作業に対しても細々と苦言を言っていたらしい。まあそんな状態だったからこそ酒もタバコも嗜まなかったというよりは出来なかったというのが正解だろう。

 何かにつけて社交的な母に対し父は正反対にいた。だが、二人が仲が悪かったと思った事は一度としてない。子供の頃から父と母は一緒に入浴するのが習慣となっていたし、それは母が亡くなる直前まで続いていた事からも伺える。
 まして、子供が成人を迎えると、今度は少し遊べるとばかりに父と母は揃って夜遊びもするようになっていた。まあこの辺は母が父に気をつかったのだろう。

 また、たった一人の息子が入院した時でさえ同じ頃に骨折した父の病院には毎日通っていたようだが、同じように入院していた息子の僕のところには一度として見舞いには来なかった。とここまで書くと薄情のように見えるかもしれないが、実際には父が不在な分の農作業を一人で頑張り、なおかつ父の元に出向くという毎日の中では600kmも離れた場所に住む息子を見舞うなど無理な話なのだが。

 父は父なりに母を愛して来たのだろう。それは母の入院、手術の際にハッキリと感じた。母の死に脅えている父にはかける言葉すら無かった。
 だからこそ、最初の手術から退院出来て父と共に母が夜遊び出来るようになった母に「実はおまえは癌だった」と口を滑らせてしまったのだろう。それから急激に容体が悪化してたった三ヶ月もしないうちに亡くなってしまうなんて思いもしないで。

 そうそう、以前母の手術の事を書いたが、書けなかった部分がある。

 それは、摘出された母の膣を目の前にした時の事である。血の海に浮かぶ膣に切り開かれた後があり、イチイチ説明を受けた時に母の膣の奥にはリングが入っていたのである。
 その時に私は母が始めてオンナであった事を生々しく感じていた。私にとっては母であり生まれた場所である膣が、父にとってはオンナである愛する母の体の一部がそこに切り取られて置かれていたのだから、父はいったいあの時何を感じていたのだろう。

 母さん、貴方は幸せだったのですか?


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