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母の死
つい父が口を滑らせて「実は癌だった」と母に言ってしまった。と姉から聞いたのは三月に入ってからだが、体調が良かったせいもあったのか母の落ち込みも心配する程の事は無かった。
そう、このまま何年か母の無事な姿が見られるようになったかと誰もが考えていたところだった。だが、そんなに上手くは行かなかった。四月に入った頃には母が疲れやすくなり四月の終わりには体を動かす事も辛そうな母の姿があった。急激に衰える母に一番ショックを受けていたのは父だった。そして車に乗せて病院へと連れて行ったところ、そのまま母の緊急入院は決まった。
父から母の再手術の為の説明を受けるから、病院へ来て欲しいと言われ病院へ行ったのは母が入院してから一週間目の事だった。
説明を受ける前、母の体調などを聞くために面会室で姉と話をしたとき、側に座った家族連れの中に、母と同じ病室のご婦人がいるのが見えた。そう同じ病室にいるという事は、似たような病気で入院しているっていう事だ。
家族で最近の事を話している風景なのだが、中学生位の男の子が母親に対しじっと背中を向けて肩を震わせているのが目に入った。何人かいる子供らに、母親が学校の事とか、生活の事など聞いていた。そして立っている子供に対して話かけた時、父親風な人が背を向けている子供に対して一言二言声をかけたそれは怒っている訳では決して無かった。けれどもその子供は母に対して背を向けたままだった。見ている私にはその子の気持ちが理解出来るような気がした。きっと母の姿を見た瞬間にその子は無いてしまうと考えていたに違いが無い。けれど、自分が泣いた姿が母親を余計に悲しませてしまう事を考えていたに違いが無い。本当は母にすがりついて泣きたいんだろうな、そんな事を考えていたら私まで泣いてしまいそうだった。
再手術と聞いた時から、先は短いと解っていた。けれど私は、母の前では泣くまいと決めていた。姉から最近の体調等の話を聞いた後、私は母の病室へと向かった。ぐったりと疲れ切ったような母の姿に涙腺がゆるみそうになるのを感じながら、「また手術だって」と作り笑顔で語りかけた。
結局、医師から受けた説明は歯切れのはっきりしないものだった。開腹しない方が体力から言っても良いのではという僕の問いかけにも、病院側の開腹するという意志は強固で変えられそうも無かった。もう火は消えかかっていて今はもうどうしようも無いものを感じて病院の意見に従う事にした。
連休明けに手術という事になり、連休は母の一時帰宅が認められた。
連休に入り、私は実家へと帰った。母は自分の部屋である二階へ昇る事すら出来なくなって、僕の顔を見ては泣いていた。そんな母に対し僕は二人っきりの時、厳しく接した。
「毎日泣いてばかりじゃ駄目じゃ無いか!」
「手術で、悪いところを取れば、また何でも食べられるようになるんだから」
「小さい頃から頑張れって言ってきたのは母ちゃんじゃ無いか!その母ちゃんが泣いてばかりでどうするんだ」もう助からない母に向かって、嘘を平然と言いながら、「これは母の為だ、母のためだ」と繰り返して言い聞かせていた。
明日手術のため病院へ母が戻るという日、近所の親戚のおばさんが「トシちゃん(母)が言ってたけど明に怒られたって喜んでいたよ」っていうのを聞いて「嘘をついて良かった」とつくづく思った。
翌日病院へと戻り数日後、母の手術の日がやって来た。僕は朝から病院へ駆けつけ手術室へと母を見送り、そして母の帰りを待っていた。数時間はかかると思われた手術であったが一時間ほどで終わって母は病室へと戻されて来た。
そして、父と二人術後の話を伺った結果、開腹しただけで何もせずに閉じたとの事だった。私の隣で父は声を殺して泣いていた。やっぱりなという気持ちで私は、母が目覚めたら何と話そうか考えていた。
午前中の手術だったせいか、夕方には母が麻酔から醒めた。開口一番、「真っ白なご飯を食べる夢を見た」と母は微笑みながら僕に告げた。「良かったじゃないか!、それはご飯を食べられるようになるって事だよ」そう作り笑顔で答えた。それからしばらくは母の側についていたのだけれど、翌日の仕事を考え僕は帰る事にした。帰り際母に「もう帰るのかい?」と言われた時は後ろ髪を引かれる思いがした。「来月になったら子供を連れて来るから」と母に告げると「待っているから」と手を振っていた。
朝一番の始発に、子供と嫁さんと一緒に乗り込み、母が入院している病院へと向かった。それは、「術後一月したら子供を連れて見舞いに来るから」という母との約束でもあった。
その一週間前に、私の元へ電話をかけた事のない姉からの電話が入った。姉は仕事を休んで母の介護に病院へ泊まりで付き添っていた。
「おまえ、今週見舞いに来るって約束してたんじゃ無かったのか」
「いや、来月って約束してたから、来週行くつもりで予定は組んでるけど」
「母ちゃんが、おまえが今週来るって言って、まだ来ないのかって言ってるけど」
「おかしいな、ちゃんと来週ってこの前言ったのに。じゃあ悪いけど、母ちゃんに、来週には行くからって言っておいて」そういって僕は電話を切った。その時点で母の容態が急速に悪化していた事を僕は知らなかった。こうして今、思い出しながら書いていると、母がきちんと話を出来たのがその頃までだったと後で知らされると、母は何かを感じて僕に伝えたかったのかも知れないと今更ながら悔やまれる。
新幹線に遅れは無かった。東京を六時に出た新幹線は九時には盛岡に着いていた。タクシーに乗り病院へと向かった。休日の病院はさすがに患者は少なくエレベーターも空いていた。
エレベーターを降りて廊下の角を曲がった瞬間、僕は異変に気がついた。親戚一同が病室の前に集まっていたのだ。口々に遅かったと言われる中、病室へ分け入るように入っていくと体が様々な管に繋がれた母がいた。意識を無くしてからもう数日経ってるという事だった。危篤状態になったのは今朝方で、僕が帰って来るのを待ってたのかの様に危篤になったようだった。
すでに癌は脳細胞を犯しているらしく、時折薄目は開けるものの意志表示は何も出来なかった。けれど癌細胞に体を蝕まれるのに健康な細胞が悲鳴を上げるが如く、時折体をびくつかせていた。その体の痛みを見るに絶えかねて麻酔を打つことを医師に頼むのだが、ある一定以上は麻酔を打つと心臓の動きが停止する可能性があるから打てないとそれほど打っては貰えなかった。そんな母の体を姉は一生懸命さすり続けた。さする事によって体の痛みが取れると信じる如く母の体をさすり続けた。
私が着いた土曜の晩、日曜の晩と母の命の火は消える事は無かった。しかし私といえば、皆が病室で寝静まった頃、病室を抜け出し、病院近所の酒場へと向かい、母の死を願いつつ酒を飲んでいた。母の命が絶えてしまう事には抵抗があったが、それ以上に無益な苦しみから母を早く解き放ってあげたいと思っていた。
月曜の朝、母は息を引き取った。家族の目からは涙がこぼれていたが、私の目からは涙はこぼれては来なかった。しかし、母を火葬する際には涙がこんなに出るのかと思えるほど頬を濡らしていた。
私にとって田舎が一つ無くなった。
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