piled timber

ケイコ


 僕が、何度となくケイコに告げても彼女の答えはいつも適当にあしらうような返事しか返してはくれなかった。
 彼女の誕生日に、男女数人で飲んだ帰りのエレベーターの中で、何が原因で怒り始めたのかは覚えてもいないが、
「誕生日には両手一杯の霞草と黄色の薔薇を三本ね」
 という言葉で用意した花束だったのに、その花束で歌舞伎町の路上で往復びんたの様に殴られ、道路に放り出されたその脇を、
「兄ちゃん情けないな」
 と見ず知らずの他人に言われた事もあった。
 道路のど真ん中には放り出された花束と、散り始めた桜の様に散乱した霞草があった。
 走り去るケイコ。追いかける女達。その中の一人が、
「何があったの。また今度ね」
 と言いながら走って行った。
 僕は放り出された花束を手に拾い上げ、部屋へと帰った。タクシーの中でいくらケイコが怒った原因を考えても思い当たる事は無く、帰り着いた私は花束を洗濯物と同じように部屋の隅に吊していた。

 電話をかければ、いつも他の男の話をする女だった。けれど、彼女を好きと思う気持ちは変わらなかった。それに他の男の話をする割にはいつも誘えば一緒に酒を飲んでいた。
 僕が二十歳位、彼女は僕より四つ位年上だったろうと思う。今の僕からは信じられないけれども、何度酒を一緒に飲んでもそれ以上の関係になる事は無かった。と言うよりも、僕は今の関係以上に持ち込もうとして、この関係が破綻してしまう事を恐れていたのだと思う。結果酔っぱらっては、
「好きだ」
 と何度も、何度も言う事はあっても決してそれ以上の関係になる事は無かった。しかし、踏み込む事が怖かったのではあるけれど、僕の気持ちを受け入れる気にはなっているのは薄々気がついていた。

 週に一二度飲む事が半年余りも続いたある日、僕は意を決して彼女を部屋に誘う事を決意した。当時僕の部屋には、居候のバイト仲間の山崎がいたのだが今日だけは外泊してくれと頼むと意外とあっさりと了承を受けた。
 そして、二人で飲んだ後、僕は部屋へ彼女を誘った。
「今日は、俺の部屋行かない」
「えっ・・・・・・良いよ」
 意外と簡単にケイコは頷いた。

 僕にとっては、初めての体験になるはずだった。
 彼女を部屋へと連れて帰り、ステレオで音楽を流し、ビールを飲みながら二人でベッドに腰掛けながら、僕は初めてのケイコとの口づけを交わした。
 今ならば、そのままとなるのだろうが、なにぶん勝手が判らぬ僕は取り敢えず部屋の電気を消して、洋服を着たままの彼女をベッドの中へと招き入れた。洋服のままの姿の女をベッドに入れるなんて笑い話としか思えない。とにかく、僕は彼女を招き入れ、彼女に覆い被さりながら、彼女に口づけをし、洋服の上から胸をまさぐり彼女の服を脱がそうとした、その時ドアの開く音がして、居候の山崎が帰って来た。
「ごめん、酔っぱらって金が無くて帰って来た。明日の朝早くには出かけるから」
 そう言いながら山崎はベッドの横へゴロリと横になるやグーグーいびきをかき始めた。
 僕は、怒鳴りつけたい気持ちを抑えてそのまま眠るしか無かった。

 結局、山崎が朝目覚める前にケイコが起きて帰って行った。目覚めた山崎は罰の悪そうな表情はしてはいたが僕はそんなに怒る気持ちにはなれなかった。むしろ彼女との関係はこれで良かったのでは無いかとさえ感じていた。

 この事が、あってからも僕はケイコと一緒に酒を飲んでいた。酔って怒って帰ってしまったケイコを追いかけ、明治通りの40km規制の道を120kmで追いかけ、途中パトカーに見つかって捕まりはしたが、渋谷のハチ公前の交番の前から怒った彼女に謝りにいけない電話を入れた事もあった。

 そんな関係のままで半年位過ぎた頃だろうか、土曜の晩、店を休んだケイコの部屋に僕は電話をかけた、
「もしもし、具合が悪いって聞いたけどどう」
「あー北ちゃん。具合が悪いってのは寝坊したからだからどうって事無いよ」
「元気で良かった」
「もう、高円寺の男が部屋に来いってうるさくてね」
「じゃあ高円寺行くの」
「どうしようかな」
「なあケイコ。なんで俺がおまえの事好きだっての知ってるのに他の男の話な
んかいつもするんだ」
「だって」
「あっちの男、こっちの男ってそんな話ばっかり聞かせられちゃ嫌になる」
「じゃあ、今から部屋に来て」
「嫌だ」
「お願いだから、部屋に来てってば」
「もう電話かけるの止すよ」
「なんで来てくれないの」
 電話の向こうですすり泣く嗚咽が聞こえていたが僕は電話を切った。
 長いようで短かった一年半の締めくくりだった。

 それから一月もしないうちに僕は紀と会った。

 そして翌年の夏、僕はケイコから一本の電話を受けた。
「もしもし、北ちゃん」
「何」
「来週一緒に海行かない」
「海か、行っても良いよ」
「じゃあ電車に乗って一緒に行こうね」
「行くのは良いけど、朝起きれるか自信が無いな」
「じゃあ家来て泊まれば良いじゃん」
「うん、判ったそうする」
 そして僕たちは一緒に海に行く事になった。
 週末、僕は海へ行くために荷物を片手に、彼女の部屋へと向かった。そうそうこの道を曲がって、あの自販の角を右に曲がってその先に彼女の住む部屋があった。
 ケイコは部屋で待っており、一緒にしばらく酒を飲んだ。そして明日の朝出かけるのが早いからといって彼女はベッドの横に布団を敷いた。
「おやすみ」
 どちらからともなくそう言うと電気を消し、寝ようとしたのだが、僕は寝付く事が出来なかった。
 僕は、今この部屋で何をしているのだろうそう考え始めると、この部屋に居てはいけないという強い思いに捕らわれてしまい、
「俺、やっぱり帰るわ」
 そう言って着替えると、終電車も無くなった街へと部屋を出ていった。
 困惑したケイコが何かを言っていたが、僕の耳には何も届く事は無かった。


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