piled timber

キスのタイミング



 思えば、闇オフの誘いがあった時、参加メンバを見渡して最初っからオールナイトと僕は決めてしまっていた。翌日は大阪へ朝一の飛行機で向かう事が決まっていたからオールナイトは願ったりだと思っていた。それなのにである。

 十一時をまわる頃には帰ろうかという声が出始め、結局十二時前にはお開きになってしまっていた。お腹が空いたという何人かでラーメンを食べにいった時、一緒にいた今日初めて会った女の子が「朝まで時間をつぶすんなら、私の部屋で時間をつぶせば」と言ってくれた。RTでは何度か見かけた事はあっても話をした記憶も無ければ、会議室上で書き込みをし合った記憶もない。けどちょっと酔っていた僕は渡りに船とばかりに「良いの?」と彼女に尋ねていた。彼女の答えは「良いよ」というあっさりとしたものだった。

 駅で皆と別れた僕と彼女は、彼女の住むマンションの最寄りの駅まで電車で移動し、そこから歩く事になった。「私の部屋、アルコール置いてないんだ、構わない?」「うん、酒が無くったって構わないよ」なんて話しながら歩いていた。僕の頭の中は、初対面だけど嫌なタイプじゃ無いから部屋で時間をつぶして良いよって言ったんだよな。嫌じゃ無くて部屋に入れるって事は、彼女は何かを期待?しているのかな。などという戯けた事を考えていた。

 彼女の部屋は、観葉植物を適度に配置し、間接光を巧みにあしらった女性らしい?住まいだった。「そこにかけて」彼女に促されるまま僕はソファーへと座った。「コーヒーで良い?」「ありがとう」彼女が豆を挽きながらコーヒーを入れる用意を始めた。ギイーとドアを開く音と共に、のっそりと犬がベッドルームらしき部屋から出てきた。「大丈夫、この犬吠えないから」彼女はそうは言ったが、犬が得意でない僕にはちょっぴり怖い存在だった。そして、部屋の入り口で喉を潤した犬は彼女がコーヒーを運んでソファーに来ると、彼女の側に張り付くように僕の前にやってきた。

 彼女の仕事の話、僕の仕事の話、彼女が何年かずつ住んだという外国の話し、彼女の通信の話等の話が続いた。けれど僕の頭の半分は、彼女に対してこのまま話を続けた方が良いんだという思いと、いや、彼女はひょっとして期待しているんじゃ無いか?その期待を裏切っちゃいけないという思い、違ってたらどうしようという思いが交錯していた。彼女の隣に座っていたらという思いがあったのだが、それには彼女の前に座る犬をどかさねばならず、思いは頭の中で空転していた。

 一時間ほど話していたろうか、中断のきっかけは彼女への一本の電話だった。「ちょっとごめんなさい」彼女は受話器を片手にベッドルームへと消えていった。僕は明日の電車での移動の合間に読もうと考えていた本を取りだし読み始めた。三十分程たったろうか、彼女が電話を片手にドアを開けて出てきたのは。しかし、ほんの五分もしないうちに電話のベルが会話を遮り、彼女はまたベッドルームへと消えていった。そして私は読みかけの本をまた手にした。私の前に座っていた犬も、二十分もしないうちに彼女のいるベッドルームへ消えていった。時折彼女の声が、漏れ聞こえる中で僕は本を読み続けた。

 マンションの部屋から見える景色がネズミ色に変わってきた頃、僕は本を読み終えていた。そして前後するように、彼女が電話を片手に部屋を出てきた。もちろん眠そうな犬も彼女の後からついて来たのはいうまでもない。
 「ごめんなさいね、長電話で。コーヒーが無くなったでしょ。コーヒーのお代わりはいらない?」
「何か冷たいものが有ったら、冷たいものが貰えないかな?」
「日本茶でも良い」
「冷たきゃ良いよ」彼女は冷蔵庫から氷をとりだし日本茶を入れてくれた。

 そろそろ羽田へ向かう時間となった頃、彼女の案内で駅までの道のりを歩いた。道すがら、彼氏、彼女の話になったところで、通信上で相手を見つける話になったら「通信上で相手を見つけると色んな問題がある」という意見の一致を見た。しかし、その会話の中でも僕は昨晩の続きが頭の中で渦を巻いていた。僕が何もしなかった(犬が怖くて出来なかった)のは正しかったのか、それとも彼女を傷つける事になったのか?答えは駅に向かう間の会話に有ったのか?

 結局、答えは僕には見つけられなかった。有る面でこれで良かったと思う反面、彼女に失礼だったのか、どちらが良かったのかは僕には判らない。
 ただ、強いて言うならあの犬がいなかったら僕は彼女を抱きしめていたのでは無いかと思っている。


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