人生朝露

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兼好法師と荘子 その2。

荘子です。
荘子です。

徒然草。
兼好法師と荘子の続き。

参照:兼好法師と荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005166/

日本の知識人というのは、特に『徒然草』の流行した江戸時代には、基本は四書五経から始まる儒学であって、実学的と言わずとも政治学的な要素の強い知識を獲得するというのような傾向があるんですが、兼好法師にはその気はあまり見当たりません。

兼好法師((1283~1352)。
「名利に使はれて、靜かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。
 財(たから)多ければ身を守るにまどし。害を買ひ、煩ひを招く媒(なかだち)なり。身の後には金をして北斗を支ふとも、人の爲にぞ煩はるべき。愚かなる人の目を喜ばしむる樂しび、又あぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらん人はうたて愚かなりとぞ見るべき。金は山にすて、玉は淵になぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。
 埋もれぬ名をながき世に殘さむこそ、あらまほしかるべけれ。位高く、やんごとなきをしも、勝れたる人とやはいふべき。愚かに拙き人も、家に生れ時にあへば、高き位にのぼり、驕りを極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、みづから卑しき位にをり、時に遇はずして止(や)みぬる、また多し。偏に高き官(つかさ)・位(くらゐ)を望むも、次に愚かなり。(『徒然草』第三十八段)」

「身を立て名を挙げやよはげめよ」というような立身出世を、世俗的な価値として明らかに忌み嫌っているところがあります。

荘子 Zhuangzi。
『徹志之勃、解心之繆、去徳之累、達道之塞。富、貴、顯、嚴、名、利六者勃志也。容、動、色、理、氣、意六者、繆心也。惡、欲、喜、怒、哀、樂六者,累徳也。去、就、取、與、知、能六者、塞道也。此四六者不盪胸中則正、正則靜、靜則明、明則虛、虛則無為而無不為也。』(『荘子』庚桑楚 第二十三)
→志の乱れをただし、心のしがらみを解き、徳の煩いを去り、道が塞がるのを防ぐ。富・貴・顕・厳・名・利の六者は志を乱し、容・動・色・理・氣・意の六者は心を縛るものだ。惡・欲・喜・怒・哀・樂の六者は徳を煩わせ、去、就、取、與、知、能の六者は道を塞いでしまう。この四つに区分した六者が入り乱れて人の胸中をゆさぶるが、それらに乱されないことこそ正しい精神のありようだ。正すなわち静、静すなわち明、明すなわち虚、虚すなわち無為。虚心であるがゆえに為すというところがない。

・・・名利や富貴に対してのとらえ方が、まさに荘子なわけです。
第三十八段は『荘子』の引用がやたら目立つところですが、細かいところは後々。

荘子 Zhuangzi。
『莊子釣於濮水、楚王使大夫二人往先焉。曰「願以境?累矣」莊子持竿不顧、曰「吾聞楚有神龜、死已三千?矣、王巾笥而藏之廟堂之上。此龜者、寧其死為留骨而貴乎、寧其生而曳尾於塗中乎?」二大夫曰「寧生而曳尾塗中。」莊子曰「往矣、吾將曳尾於塗中。」』(『荘子』秋水 第十七)
→荘子が濮水のほとりで釣りをしていたところ、楚王の二人の使者がやってきて「あなたに楚の国の政をお願いしたい」と言ってきた。荘子は釣竿を持って、釣り糸を見つめながらこう言った。「楚の国には神龜という亀がいるそうですね。死んでからすでに三千年も経っていて、楚王はこれを大事にして、廟堂に祀っていると聞きます。その亀の身にすれば、死んで骨を大事に祀られていることを望んだのでしょうか?それとも、泥の中で尻尾を振ってでも生きていくことを望んだでしょうか?」使者は「泥の中でも生きていたいと望んだでしょうな」と答えた。すると荘子はこう言った「お行きなさい。私も泥の中で生きていたい。」

荘子 Zhuangzi。
『子貢乘大馬、中紺而表素、軒車不容巷、往見原憲。原憲華冠?履、杖藜而應門。子貢曰「?。先生何病?」原憲應之曰「憲聞之「無財謂之貧,學而不能行謂之病。」今憲、貧也。非病也。』子貢逡巡而有愧色。原憲笑曰「夫希世而行、比周而友、學以為人、教以為己、仁義之慝、輿馬之飾、憲不忍為也。」』(『荘子』 讓王 第二十八)
→孔子の門人である子貢は、紺の布と絹を重ねたいでたちで、立派な馬を引く車に乗って先輩の原憲に会いに行った。車が大きすぎて原憲の家にいたる小路に入るのも難儀なほどだった。原憲はぼろの冠と破れた履、アカザの杖を携えて旧友を迎えた。子貢はその姿を見ると「ああ、先輩はひどく病んでおいでです。」と嘆いたが、原憲は「財産の乏しいことを貧といい、学びながらそれを行えないのを病というではないか。今、私は貧乏であっても、病んでいるのではないよ。」と応えた。
 子貢は恥ずかしそうな顔した。しかし、原憲は笑って「他人に認められるために行動し、周囲におもねってばかり者を友としたり、他人に自慢するために学問をしたり、己の欲のために仁義を騙って他人に教えを垂れたり、車を立派にして飾り立てるというのが世の君子のあり方のようだが、私には、到底そういったまねはできないよ。」

物質的な欲求や名声欲について、もっとクリアに言っているのが第十八段です。

兼好法師((1283~1352)。
「人は己をつゞまやかにし、奢りを退けて、財を有たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀なり。
 唐土に許由といひつる人は、更に身に隨へる貯へもなくて、水をも手して捧げて飮みけるを見て、なりひさごといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝にかけたりければ、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また手に掬びてぞ水も飮みける。いかばかり心の中涼しかりけん。孫晨(そんしん)は冬の月に衾なくて、藁一束(わらひとつかね)ありけるを、夕にはこれに臥し、朝にはをさめけり。
 唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記しとゞめて世にも傳へけめ、これらの人は、語りも傳ふべからず。(『徒然草』第十八段)」

昔から聖賢が富んでいる例は稀であるとして、『荘子』では逍遙遊篇から出てくる古の隠者・許由の名が出てきます。中国では古くから貧しい賢人の記録が残っているのに、日本の古典にはそういった傾向がないと、率直な感想を述べています。こう見ると、兼好法師という人は、「隠者の思想」、隠逸とか清貧といったライフスタイルも含めた思想の潮流を、日本人として早い段階で意識した文化人であるといえます。実際『扶桑隠逸伝』のような隠者を描いた書物が著されるのも、日本では江戸以降のことです。

『徒然草』には他にも特徴的な人が出てきます。
兼好法師((1283~1352)。
≪ 月・花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ。岩に碎けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をもわかずめでたけれ。「沅・湘、日夜、東に流れさる。愁人のために止まること小時もせず」といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。嵆康も「山澤(さんたく)にあそびて、魚鳥を見れば心樂しぶ」といへり。人遠く、水草(みぐさ)きよき所にさまよひ歩きたるばかり、心慰むことはあらじ。(『徒然草』第二十一段)≫
≪人と對ひたれば、詞多く、身もくたびれ、心も靜かならず、萬の事さはりて時を移す、互のため益なし。厭はしげにいはむもわろし。心づきなき事あらん折は、なかなか その由をもいひてん。同じ心に向はまほしく思はん人の、つれづれにて、「今しばし、今日は心しづかに」などいはんは、この限りにはあらざるべし。阮籍が青き眼(まなこ)、誰もあるべきことなり。(同 第百七十段)≫

竹林七賢図(1983) 范曽筆。
・・・「嵆康(けいこう)」・「阮籍(げんせき)」という名前が出ています。三国志の時代の末期、日本で言うと邪馬台国の卑弥呼の時代の文人で、陶淵明は『集聖賢群輔録』で、彼らの名を挙げたうえで「右、魏の嘉平中並びに河内の山陽に居まい、共に竹林に遊を為す。世は「竹林の七賢」と号す。」としています。後の世にいう「竹林の七賢」と呼ばれる人々です。兼好法師は『老子』や『荘子』から直接でなくとも、老荘思想にまつわる人物の詩文を好みます。それは政治的な成功者に向けられた眼差しではありません。

参照:Wikipedia 竹林の七賢
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%9E%97%E3%81%AE%E4%B8%83%E8%B3%A2

『嵆康も「山澤(さんたく)にあそびて、魚鳥を見れば心樂しぶ」といへり。『徒然草』第二十一段)』というのは、『文選』にも収録されている「與山巨源絶交書(山巨源に與ふる絶交書)」からの引用です。嵆康が友人の山涛に宛てた、政治の世界に自分は向かず、長閑に暮らしていきたいという意思表明をした手紙です。『文選』を読んで、この感性に惹かれるというのが、兼好法師ですね。

『又讀莊老、重増其放。故使榮進之心日穨、任實之情轉篤。此由禽鹿少見馴育,則服從教制,長而見羈,則狂顧頓纓,赴蹈湯火,雖飾以金鑣,饗以嘉肴,逾思長林,而志在豐草也。(「與山巨源絶交書)」』
→また私は『荘子』や『老子』を読み、その放への思いが強くなっていきました。故に栄進の心は日に日に翳り始め、心の赴くままに暮らしたいという思いが篤くなっていきました。産まれたばかりの頃から鹿を飼っていれば、鹿を飼い慣らすことはできましょうが、成長した鹿を繋いだところで、鹿は頭を振り乱し、綱を引きちぎって、湯火を踏み越えてでも、しがらみから逃れようとするようなものです。豪華な轡をはめられようと、贅沢な御馳走でもてなされようと、心は豊かな山林を思い、そこで草を食んでいたいと願うのです。

参照:與山巨源絕交書 維基文庫,自由的圖書館
http://zh.wikisource.org/wiki/%E8%88%87%E5%B1%B1%E5%B7%A8%E6%BA%90%E7%B5%95%E4%BA%A4%E6%9B%B8

荘子 Zhuangzi。
『澤雉十歩一啄、百歩一飲、不?畜乎樊中。神雖王、不善也。』(『荘子』養生主 第三)
→沢のキジは十歩に一度エサをついばみ、百歩に一度水を飲む。そんなキジでも籠の中に閉じ込められる事を望まない。人間で言えば王様のようにエサや水にありつけても、キジの心がそれを善しとしないからだ。

今日はこの辺で。


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