人生朝露

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三蔵法師の旅 その2。



のよ。桃源社の『玄奘三蔵 西域・インド紀行』彦ソウ(りっしんべんに宗)著長澤和俊訳によると、昭和17年12月、南京を占領した日本軍の「高森部隊」が兵器廠の内部に稲荷神社を建設する際、ある石棺を発見したとの事。その側面には

大唐三蔵大遍覚
法師玄奘頂骨早因黄巣
発塔今長干演化大師可政
於長安伝得於此葬之

云々。

要は、664年に亡くなった三蔵法師の墓の副葬品が、盗掘されそうになので、黄巣の乱の頃、つまり1027年に長安から南京に骨が移されたということ。で、900年ぶりに掘り当てたのが、日本軍だったというわけ。

日本軍はその翌年、昭和18年2月23日、副葬品と遺骨の全てを南京政府に還付したそうな。この公明な措置に感激した南京政府は盛大な式典を催し、昭和19年10月10日、日本仏教会会長に頂骨を分骨し、

「法師は仏教東漸史上の一大恩人なるをもって、日中両国の仏教とは一意同心あいともにこれを祭り、永遠に法師の威徳を鑽仰せんとするものなり」

と宣言した。

これ、日中戦争中のことなのよ。南京政府って言うのは完全な傀儡政権だった、といっても、ちょっと信じられない話。

実はこのお話、少し小耳に挟んだことがあったけど、作り話だろうと思っていた。ところが、本当のことのよう。 参照

現在、埼玉県岩槻市の慈恩寺に三蔵法師の骨があるのは、侵略者日本軍の功績であるのです。

その後、昭和25年2月20日に日本で納骨式が営まれ、同3月20日、日本玄奘三蔵霊骨塔は物資不足のなか、ほとんど募金でまかなわれて建造されたとか。凄いね。

戦時中も同じ価値観で、日本人と中国人が三蔵法師の霊を祭る式典を開いたっていうのが素晴らしい。タクラマカン砂漠を渡ってまで経典を取りに行った三蔵法師のもう一つの旅。不思議な縁ですな。

2004年3月6日

(実は、2005年春の中国の反日デモの余波で、慈恩寺のお骨の返還運動も起きたらしい。その時に、初めて三蔵法師の骨が日本にあることを知った人も多かったハズ。)


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