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人生朝露
絶対者と荘子の造化。
荘子がどうのこうのです。
『荘子』という書物は、支離滅裂だし、わけのわからん話ばかりなんですが、こうやって、素人ながらに進めているのも、かなり、大変なんです。あのね、「言葉を忘れる」んです。この本は。だから、できる限り経路を作って辿っていくしかない。橋頭堡がいくつかないと、ああなれないんです。
今日は、単純に長い話を。
『少知曰「季真之莫為、接子之或使、二家之議、孰正於其情?孰偏於其理?」太公調曰「鶏鳴狗吠、是人之所知、雖有大知、不能以言讀其所自化、又不能以意其所將為。斯而析之、精至於無倫、大至於不可圍、或之使、莫之為、未免於物而終以為過。或使則實、莫為則虚。有名有實、是物之居。無名無實、在物之虚。可言可意、言而愈疏。未生不可忌、已死不可阻。死生非遠也、理不可睹。或之使、莫之為、疑之所假。吾觀之本、其往無窮。吾求之末、其來無止。無窮、無止、言之無也、與物同理、或使、莫為、言之本也、與物終始。道不可有、有不可無。道之為名、所假而行。或使莫為、在物一曲、夫胡為於大方?言而足、則終日言而盡道。言而不足、則終日言而盡物。道、物之極、言、默不足以載。非言非默。議其有極。』
→少知は尋ねた。「季真の唱える無為の説と、接子のいう有為の説とがありますが、この二家の議論は、どちらが人情にかなっていて、どちらが理論的なんでしょう?」太公調は答えた。「「鶏が鳴く。」「犬が吠える。」といったことはどこの誰でも知っていることだ。しかし、鶏が勝手に鳴いた、犬が勝手に吠えたという出来事を、どんな知者であろうとも言葉では説明しつくせないし、また、鶏や犬が、今まさに何を考えているかも、言葉によってすべてを説明し尽くすことはできない。これを極限まで小さな分析しようとしても、極限まで広い範囲から考えてみても説明しつくせないのだ。物を基準に、有為である説と、無為である説とを言葉で議論しても、それは過ちにしか至り得ない。働きかけがあるとする説であれば、実在するとなり、働きかけがないとすると、虚無であるということになる。働きかけを行うものがあるとすると、「道(tao)」が物として存在することになり、働きかけがないとするならばすべてが虚の世界ということになる。言葉にすることが出来ることも、頭で考えることができることも、これを言葉で説明しようとすると、ますます真実から遠ざかることにしかならない。未だに生まれずとも、これから生まれようとするものを留めることも、既に死んだものをこの世に引き戻すことも、我々にはできない。生死は、我々の目前にありながら、その理を我々は知り尽くすことはできない。有為であるという説も、無為であるという説も、ただ「そうかもしれない」という推測の域を出ない。言葉によって根本を突詰めても極まるところがなく、末節に拘っても留まるところがない。無限の止めなき世界は言葉で言い表すことはできず、ただ物の理と一になるしかない。有為であるとする説と、無為であるという説は、議論のきっかけにはなるが、結局のところ、物にとらわれたままで、終始するだけだろう。「道(tao)」とは、有るということもできず、無いということもできない。「道」という名前すら仮のものに過ぎない。有為の説も、無為の説も、物の一部分について語っているのであって、天の大いなる働きには、何の関係もない。もし言葉でが真実を説明するのに十分な道具あったとしたら、一日中話し続けてその全てが道について表現できるということになるが、言葉が不十分な道具であるとすると、一日中話し続けても、全て物を語っているにすぎない。道いうのは物の究極であり、言葉と沈黙のみでは把握することはできない。言葉と沈黙にもよらずして、その極まりあるところを議論せよ。」
・・・難しいですよ、これは。
まず、何の話をしているかというと、この宇宙の始まりは無なのかというところからはじまってですね、その根本原理たる「道(tao)」に働きかける主宰者はいるのか?という部分を抜粋したんです。
主宰者はいなくて、なんら働きかけがないという季真と、
主宰者はいて、何らかの働きかけをしている接子の二人の議論の対立を通して、後半は「道」を悟る方法論を述べています。「荘子」の「道」の理解について意義深いところなんですが、宇宙の原理を司る主宰者を、言葉によって説明することはできない。としています。わかりやすくいうと、「全知全能の存在」とやらを、人間の不確かな知覚と、不十分な言葉という道具によって「いる」とも「いない」とも証明することはできない。と言っているわけです。これ、ものすごく「全知全能の存在」に対して誠実な答えだと思います。そういうものを「いる」とか「いない」とかぎゃんぎゃんわめきたてている連中は、紀元前の大泥棒に言わせると、
「而欲求富貴焉(それで、結局のところ、てめえ自身が儲けたいだけじゃねえのか?)」
と、なっちゃうんですよね。神様、神様と言っているお前は一体何様か?と。
『荘子』におけるこの態度は、お釈迦様の「捨置記(しゃちき)」と似ていまして(宇宙の始まりについての議論も同じ)、無意味な形而上学的議論を排除するという紀元前の知恵ですね。孔子も議論をする相手は選べとは言っています。もう一つ特徴的なのが、言葉(ロゴス)の否定です。そもそも、荘子は斉物論篇において弁証法すらも否定しているんですが、アリストテレスとほぼ同時期に、スコラ哲学的な視点を備えながら、それとは違う方法論を展開しています。
・・・ただし、荘子は無神論者とはいえないんです。
「子犁往問之曰『叱!避!無怛化!』倚其戸與之語曰『偉哉造物!又將奚以汝為。將奚以汝適。以汝為鼠肝乎。以汝為蟲臂乎。』子來曰『父母於子、東西南北、唯命之従。陰陽於人、不翅於父母、彼近吾死而我不聴、我則悍矣、彼何罪焉!夫大塊載我以形、勞我以生、佚我以老、息我以死。」(『荘子』太宗師 第六)
→「しっ!離れなさい!造化を驚かすんじゃないぞ。」そう言うと、入り口のそばに立ち、子来に話しかけた。「偉大なる造化よ、一体彼を何に変えようというのです?どこへ連れて行こうとするのです?死に行くあなたは虫の肘にでもなってしまうのでしょうか?」すると、子来はつぶやいた。「親の命令に子供は従い、東西南北のどこにでも行く。天地万物の創造者たる造化の命令ならば、父母の命令と比べようもない。今、私が造化によって死に向かうという命令を聞かないのは、単なる私のわがままだ。造化に何の罪がある!」
この「造化」という言葉が、「荘子」には頻繁に登場します。この世の造物主です。ID理論なんですよ(笑)。この美しい世界を作り上げた存在として、人間では到底及ばない芸術家として、荘子は造化を無条件に褒め称えます。
参照:Wikipedia インテリジェント・デザイン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3
・・・しかし、この造化は、具体的な命令をしません。正確に言うと、「夫大塊載我以形、勞我以生、佚我以老、息我以死。」(造化は、私を大地に乗せるのに肉体を与え、私を働かせ、一生働き続けないよう私に老いを与え、私に安らぎをもたらすように死を与える)これ以外の命令がありません。
すなわち、誕生と同時に「活動、老い、死」がセットになっている命令、これが、「生きることの命令」、すなわち「生命」であるということですね。逆に言うと、それ以外は干渉しないんです。(生きる・老いる・死ぬ)。それ以外は自由。生き物は勝手に自化自生するんです。これが、紀元前の荘子が、たくさんの生き物をじっと観察しながら得た答えです。造物主の命令は、それ以外は分からなかったようです。
ちょうど、この造物主のありようは、『火の鳥 未来篇』の中での主人公と同じ立場です。たとえ一つの種が滅びようとも造物主は何もしません。語りかける程度のことです。
となると、「エントロピーの増大」やら「ヘイフリックの限界点」やらを意識して、その延長線上にある死を受け入れろとなります。そして、同じく造物主の産物として「自化自生」している万物の大いなる流れの中に生きていく・・・「造化に従う」といいます。「長く曲がりくねった道」を歩く秘訣は、「あるがままを受け入れる」ということですね。
参照:The Long And Winding Road- The Beatles + lyrics
http://www.youtube.com/watch?v=z6ZegjrEIGQ
Let It Be- Beatles + lyrics
http://www.youtube.com/watch?v=YBPFvp750sc&feature=related
・・・「mother Mary」って、聖母マリアとばかり思ってません?ポールのお母さんは「Mary」って言うんですよ。
これが松尾芭蕉の座右の銘、「造化随順」という思想です。
>西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ処月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類す。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。(松尾芭蕉『笈の小文』より。)
当然、西行、宗祇、雪舟、利休共に荘子の影響を受けてしまっているわけで、芭蕉は気付いたんでしょうね。ただね、芭蕉は荘子マニアですよ。この人の荘子好きは異常(笑)。
荘子の最終章・天下篇に荘子という人物の論評として、こうあります。
「上與造物者遊、而下與外死生、無終始者為友。」(『荘子』天下 第三十三)
→彼は、上は造物者と遊び、下は生死を忘れ、永遠を友とする人だ。
遊んじゃうんですよ。この人。四季の移り変わりのなかで、「道(Tao)」を探しながら、造物者に語りかけているわけです。芭蕉はそれにあこがれちゃったんです。
蝶よ蝶よ 唐土の俳諧問はん (芭蕉)
蝶よ、蝶よ、あなたの国の俳諧って、どんなもの?
まだまだ続くな。
今日はこの辺で。
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