家庭教育

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虐待 「理想の育児」空回り 朝日新聞より


12月10日(水)朝日新聞朝刊から

 初めて長女をたたいたのは、出産後3日目だった。自宅へ戻ったばかりの日。夜9時、長女が泣き出した。おしめはぬれていない。母乳を含ませても、泣き止まない。なんとか寝かしつけなくちゃ。1時間、2時間‥‥。抱っこして部屋中を歩き続けた。それでも、泣き止んでくれなかつた。午前3時、疲れ果てた佳子は手をあげた。その日から「あんたはダメな母親だ」と責められているように感じた。
 子どもが生まれるまでは楽しかった。彼は産着を縫い、ラマーズ法の教室に一緒に通ってくれた。愛情たっぷりの「すごくいい母親」になろうと思った。が、生まれてみると、自分でも驚くほど、かわいいという感情はわいてこなかった。泣かれるとつい、娘にむかってこぶしを振り上げた。1歳半の頃から、ますます激しくなった。頭をたたき、身体をけった。彼とけんかをしているときに目の前をチョロチョロ歩いただけで、背中をけりとばした。長女がお茶をひっくり返せば、顔をたたいた。
 一度たたき出すと1分以上は止まらなかった。寝顔を見て、「この子のせいで人生がおかしくなっている。首を絞めて殺したい」とも思った。29歳のとき、彼と別居した。家事の負担が増え、虐待はエスカレートした。たたき、そして、ほったらかした。一方で、子どもをかわいく思えないことがつらかった。死にたい、という思いが頭をかすめた。
 ある日、「眠い」とぐずる長女に、佳子は布団をかぶせ、思い切りたたいた。「やーだ」という泣き声で正気に戻った。「これでは本当に殺してしまう」。児童相談所に行き、2歳になる直前の長女を施設に預けた。
 佳子の父は自衛官だった。酒を飲んでは、毎晩のように暴れた。家族はみな父の顔色をうかがった。大好きな母は、お菓子や洋服を手作りしたが、佳子が近寄ると、手で払いのける人だった。愛されているという実感はなかった。だから、余計にほめられたかった。食事を作り、洗濯をし、勉強もした。中学はクラスで一番。高校は地域で最難関の女子高に進んだ。みなが認める「いい子」を続けた。だから、子どもが生まれたら、育児も完璧にするつもりだった。その思いは、しかし空回りした。
 追い詰められ、長女を施設に預けた日。職員に「お疲れ様」と言われた。「お母さんは十分にやったから、少し遊んで」とも。こんな言葉をかけてもらったのは初めてだった。娘と離れて1年を過ごした。気持ちが楽になり、もう大丈夫だと思った。97年、長女を引き取った。その直後、よりを戻した彼との間にできた長男を出産した。
 今度は「理想の育児」をしようとは思わなかった。「私一人で育てなくてもいい。ダメなら施設に預けられる」不思議なことに、生まれてきた長男はかわいいと思えた。助産院で「泣くことは運動よ」と言われ、泣かれても「あー運動している」と受け止められた。暴力を振るうことはなくなった。
 2人の子は今、9歳と6歳になる。自分の体験から臨床心理を学ぼうと、36歳の佳子は大学院で勉強を始めた。以前は疲れると子どもにあたっていた。でも、最近はこう言えるようになった。「ママは疲れたから、先に寝るよ」


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