占星術オフィス アルクトゥルス

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高次の月


高次の月



■占星術における月は意識、感情、思考からの影響をとりまとめて肉体に接続する存在だ。肉体からそれは「気の体」として感じられ、ヒーラーなどは他者のそれを操作することになる。つまり、気の感覚としてとらえられた知性や感情の動きは、ヒーラーが主張するようにアストラル体やメンタル体そのものではなく、 厳密には月(エーテル体)に投影された高次の精神機能でしかない。

■高次の精神機能を直接把握するには気の体を鎮める必要があるだろう。さらに、感情を鎮めるとパーソナリティの中核としての太陽を把握することになる。カバラ的な発想では、太陽は「高次の月」なので、このときに、真のアストラル的要素が知覚されることになるだろう。それはヘリオセントリックにおける金星の 開花であり、メルキゼデクのいう「ハートの聖なる中心」ということになる。

■この段階にくると地上的な物事での感情の振幅は起こりにくくなり、あたかも天から恩寵がふってくるかのような形でアストラル的な官能が刺激される。いわゆる法悦の類である。当然、これを「悟った」と解釈する人も出てくるわけだが、カバラやエニアグラムに精通している者はそういった誤謬を犯さないだろう。

■地上的なアストラル的官能と、真のアストラル的官能の違いはそのまま、ジオセントリック金星とヘリオセントリック金星の違いに表れるのではないか。瞑想中にいわゆる「天上の音楽」が聞こえたことのある人なら理解できると思うが、どんなにすばらしい作曲家であっても、あれほどの曲は書けないだろうと思えるほどの荘厳さは、真のアストラル的官能であるがゆえのものだ。無論、実際にそれを譜面に書き起こしても同じ感動は得られない。感情が静まらなければ高次の 感情には接触できないということだ。

■わたしの場合、ジオ金星が「予想が裏切られて失望する演奏者」、ヘリオ金星が「教師が伝統的イメージに対して新しい象徴的形態を与える」となっている。 これは、地上的なアストラル官能はアバンギャルドなものに反応するが、真のアストラル官能は既存の世界観自体の組み替えを伴うという意味になるだろう。当然、前者の性質を鎮めなければ後者は現れてこないことになる。

(c)神谷充彦


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