占星術オフィス アルクトゥルス

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メモ1


メモ1



■ダークミラーの技法と道元禅は似ていると思った。黒い鏡と白い壁の違い。白い壁をじっとみていると距離感感覚がおかしくなり、中央に紫の光が見えてくる。これは松果腺の色か。

■宗教とは結局のところ物語である。

■ベサイカ・パイシスとキャッツアイ星雲はとてもよく似ている。

■山手氏のいうカルマとは、空間性に対する個体性(固体性)のようなものだと思われる。そのような個体性は2つの目から生じる。ドランヴァロ言うところの 「ルシファー」の意識。「一つ目」の意識を取り戻すにはダグラスのワークが有用。ダグラスのいう「私」と、ヌース理論でいう「視野空間」、山手氏のいう 「空間の意識(ブラフマン)」は皆、同じもの。

■一つ目ということでいうと、ジョンCリリイのサイクロプス瞑想を思い出す。
鏡を顔に近づけて寄り目にして一つになった目の中をのぞき込むというもの。これはまるでダークミラーの技法だ。

■「見る者」と「見られるモノ」は、「見る」の両極に生じる。「見る」が根源で
あり、どちらかというとその構造は英語の方が上手に表している。能動として「見る者」、受動としての「見られるモノ」、中和としての「見る」。自己想起とはそのすべてを「見る」ことであり、もっともシンプルに言うなら、「見る」ことを「見る」ことだといえる。ウスペンスキーは「見る者」を「見る」ことが自 己想起だと説明したが、それは誤謬というものだろう。「見る」ことを見たとき、「見る者」と「見られるモノ」は「見る」というプロセス(クリシュナムル ティはそれを「生命」と呼んだかもしれない)と不分離となるはずだ。

■エノク魔術のアイテールの考え方は、モンロー研のフォーカスの考え方と同じに思える。アイテールと脳波を関連づけることは可能だろうか?

■アジズについては今になってみると、いろいろと疑問がある。特にチャネリング的なことをやっていることについて。神智学的にいうと、これは霊的トライアッドと直接つながっていないことの現われでは? つまり、コーザル体を超えてはいない。

■ドランヴァロのいう45度チャクラはいわゆる6.5チャクラのこと。これはカラーパンクチャーのトランスミッターリレーの中心でもある。赤ちゃんの頭の骨の柔らかいところ。魂の入り口。スサノオがアマテラスの機織り部屋に皮をはいだ馬を投げ込んだ場所と考えると、魂魄の「魄」の方かもしれない。

■この前の図と少し違うけど、ちょっと対応を考えてみた。図というのは十牛図の対応。エニアグラム(グルジェフ水素)は三重構造なのでちょっと対応がとりにくい。

●肉体・エーテル
=マルクト・イエソド
=1図・2図
=H384・H192

●アストラル
=ホド・ネツアク・ティファレト
=3図・4図
=H192・H96

●メンタル
=ゲブラー・ケセド・ダート
=5図・6図
=H48・H48

●魂(コーザル)
=ダート
=7図
=H24

●霊的トライアッド
=ビナー・コクマー・ケテル
=8図
=H12

●モナド
=アイン・アインソフ・アインソフアウル
=9図
=H6?(松村説だとH12)

(c)神谷充彦




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