アルビサポになったきっかけなど諸々

おそらく 、1998年だったと思います。「おそらく」というのも、記憶が定かでないからです(笑) 98年当時、当方6歳。小学1年生ですね。このころのアルビは、JFLに所属していました。対戦相手は残念ながら覚えていませんが、その後の試合でデンソー戦があったことは覚えてるので、98年が初めではないかという推測です。(デンソーサポが3人ほどしかいなかったことがなぜか強烈に脳裏に焼き付いています。しかもアルビの敗戦というね。) 人生初のスポーツ観戦。1か所に大勢の人が集まり、試合に熱中し、一喜一憂する。あの空間での、何とも言い表せない感覚は完全に病み付きになっていました。あ、大勢と言ってもJFL当時ですので3000人にも満たない程度だったでしょう(笑) 初めての観戦をした後、父に「また観たいか?」と問われて即答したことはハッキリと覚えています。



 翌年の1999年。J2元年。この年はもっとも思い入れがあります。どれほど思い入れがあるかと言うと、当時のメンバーを今でも暗唱できるほどです!(多分ねw) また、98年とは違ってまともに応援した最初の年でした。冷静な判断ができるが、フィードが致命的な木寺。ずば抜けたキャプテンシーを発揮するが、プッツンしやすい(セクシー)木澤。センターバックでありながら、最終ラインからドシドシとオーバーラップする、「越後の壁」セルジオ。カードギリギリの(っていうか貰っちゃう)激しいプレスが売りの秋葉。フリーキックの名手、リカルド。後にJ2へ落ちてきた強豪浦和相手に、2戦ハットトリックを決め「鳴尾大明神」と(レッズファンに)恐れられることになる、得点感覚に優れた鳴尾。調子の浮き沈みの激しい外国人ストライカーサウロ・・・本当に大好きでした(笑) 決して強くはなかったけど、この個性たっぷりな選手たちは私を魅了しました。



 新潟を語る上で、まず挙がるテーマは「サポーターの多さ」でしょう。今スタジアムへ足を運んでいるサポは、ビッグスワンが完成した2001年からJ1昇格する2003年の間にハマった人が大半ではないかと思います(あくまで個人的な推測です)。また、2002年の日韓ワールドカップによるサッカーブーム。そういえば新潟の十日町にもクロアチア代表がキャンプしてたり、ビッグスワンでワールドカップが行われたり、こうして考えてみると、サッカー人気が爆発するのは必然だったなぁ、としみじみ。ちょうどこの頃からだったでしょうか。 試合開始30分前ではなく1時間前に入るようにしたのは(笑)  それ以前は、1万人程度しか収容しない市陸で30分前に入っても、サポーター席の真ん中に行けましたからね。ビッグスワンが完成した2001年は、市陸とビッグスワンの両方を使っていたんですが、ビッグスワンでの試合はいつも3万人前後入る。一方で、市陸の試合だと1万人も入らない。おいおい他の2万人どこ行っとんねん、と言うツッコミをよくしていました(笑) J1昇格を決めた2003年は、ほぼすべてのホーム戦がビッグスワンで行われていたと思います。毎試合、清五郎の大白鳥はオレンジ色に染まってました。昇格を決めた最終節の大宮戦の来場者数は、クラブ史上最多として未だ破られません。おそらく、今後も破られないかもしれません。J優勝でもしない限り(笑)



現在(2014年)まで十数年間アルビを応援してきましたが、号泣してしまった試合が2試合あります。まずひとつは2003年のJ1昇格・J2優勝を決めた試合であることは言うまでもありません。忘れもしない大宮戦。前半に上野勇作が決めたゴールを守り切って勝利。また、他会場の結果(広島が負けたため)により優勝も決定。あのときはまだ11歳でしたが、父と一緒に男泣きしていました(笑) 夢にまで見たJ1昇格の瞬間は、J2優勝といういわばサプライズも相まって、すべてのアルビサポにとって忘れられない日になったでしょう。



 そしてもうひとつ。それは、2012年の最終節。記憶に新しい人も多いかと思いますが、悪条件の中で成し遂げた奇跡の逆転残留劇。新潟が勝利、さらにG大阪と神戸のどちらも引き分け以下という厳しい条件でした。私はこの時すでに東京の大学へ進学していたため、東京に住んでいたのですが、「J1最後の試合だし、思い出に観に行くかぁ・・・」なんて、半ばあきらめムードでビッグスワンへ行きました。とはいえ、何が起こるかわからない。とりあえず勝つしかない。勝って天命を待つしかない。相手はすでに降格が決定していた最下位の札幌といえども、もう失うものがないチームほど怖いものはない。ですが、試合はといえば新潟のペースに進んでいきました。坪内の振り返りざまのシュートがゴール隅に決まれば、ブルーノロペスの追加点も決まり、押せ押せムード。と、思いきや後半開始早々にするすると裏を通され失点。2-1。勘弁してください心臓が持ちません。すると、アランミネイロのミドルがズドンと突き刺さりゴール。2点差にすると、今度はミネイロのアシスト。サイドで冷静にキーパーをかわし、中央のブルーノロペスへ。合わせるだけ。4-1。さすがに勝ちは確信したが、あとは他会場の結果。試合が終了してざわめくビッグスワン。私の隣のお兄さんは、逐一G大阪と神戸の経過を私と父に報告していました(笑) が、父が「もう見なくてもいいよ、決まるときは決まるんだ」的なことを言ってやめさせてました。まぁ、父はもう気が気じゃなかった、ゆえの強がりだったのだろうか(笑) 選手たちがロッカールームへ戻り始めた直後、どこからともなく湧き上がる歓声。ふとピッチを見れば、飛び跳ね抱き合う選手・スタッフたち。そして、場内に流れる「J1残留確定」のアナウンス。残った。残ったんだJ1に。来年も戦えるんだ。そんなことを思いながら、ひとしきり喜びをかみしめていたとき、オーロラビジョンに映ったのはキャプテンの本間勲でした。勲は声を震わせながらインタビューに答えていました。2000年に入団してからアルビ一筋。J2時代を知る選手は、今やもう勲しかいなかった。その瞬間に、それまでのアルビの思い出が走馬灯のように頭に駆け巡りました。閑散とした市陸。ビッグスワンの完成。やがて、オレンジに染まっていくスタジアム。泣いて歓喜した、昇格の日・・・。そのシーンにはいつも勲がいました。勲の顔を見た瞬間、私は目から流れてくるものを止めることはできませんでした。・・・今書いてても泣けてきてしまうのは、相当ですね(笑) まぁ、それほど嬉しかったというわけです。



長々と書きましたが、アルビに関してはこんなものでしょう。疲れました(笑)




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