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2012.09.02
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カテゴリ: カテゴリ未分類

文章作りと言う作業は

ジャズダンスのレッスンに

ある種似た趣きがあるように想う。

非常に面白く

且つまた楽しく感じられる。

趣き深いものもあるようだ。


そうしたことはどうも

我が国の母国語日本語が

大好きだからであるらしい。


今回も大好きな文章作りを通して

繊細で優美な日本語と

楽しく朗らかに

触れ合ってみたいと想う。


(*^^*)


昨今

巷を賑わすニュースの中に

様々な国際問題が飛び交っている。


国家間の困難な話題を耳にすると

命の尊さや貴重さを(心に)想うせいで

瞬時に平和を祈り

和の国の人として

和やかな心情の大切さを

(胸の内に)感じるようである。


せんだっても片付けがてら

本などを分類整理していたら

偶然ホッコリ

世界史関連の書物が出て来た。


片付けながら書物を紐解いていたら

改めて

アジアは繋がりながら

発展したのだと言う事実を

感じ取ることが出来たようだ。


現在多くの日本人が

何らかの(宗派の)仏教と言う宗教に帰依している。

死者の冥福を祈る様々な法事

(法要・追善供養・葬儀)の有り様をみれば

明らかであるように想う。


法事などの場で

僧侶により唱えられる経(仏の教えを記した文章)は

我が国が島国でありながら

歴史的にみてアジア大陸の影響を強く受け

進化発展して来たことを表わしている。


日本人の思想である経の精神と言うものを

心の中に想い描く時

釈迦によって作られた仏教と言う教えと

釈迦と言う人物を育てたインドと言う風土を

同時に心温かく想像するようだ。


下記の文章は

我が国の言語である日本語が

古くはインドで花開いた文明の影響を

強く受けて出来上がった事実を

趣き深く述べた文章である。


こんなような文面であった。



「日本の中のインド文明大乗仏教は

グプタ朝時代にヒンドゥー教の諸神を

仏法の護持神として

その教養の中に取り込んだ。

それらの神々は中国で漢字名を与えられ

そのまま日本に渡来してきた。

川の神サラスヴァティが七福神の弁財天

つまり芸事の神、弁天様になり

もともとはガンジス川のワニを神格化したクンピーラが

航海や漁業の神、金毘羅様になったのは有名だが

それ以外にも多くの神々が日本に渡ってきては

民衆の信仰を集めている。

大阪の生駒山の聖天様はもともと韋駄天で

ヒンドゥー教の神(破壊と創造の神)シヴァの子供で

像の頭を持ったガネーシャであり

映画「寅さんシリーズ」で有名な東京の柴又の帝釈天は

雷神インドラである。

奈良の秋篠寺の美しい梵天像の正体は

宇宙の根本原理をつかさどるブラーフマで

弁天様とは夫婦である。

若者の街、東京の吉祥寺の名の起こり

吉祥天はヒンドゥー教の主宰ヴィシェヌの妻

富と豊かさをつかさどるクラシュミである。

仏教では吉祥天は

七福神の軍神毘沙門天(多聞天)の后とされるが

毘沙門天は財宝の神クベラである。

運慶の作で名高い増長天は

伝説の神山メル山(須弥山)にあって

南方世界を守護するヴェルダカである。

速く駆けることを「韋駄天走り」というが

韋駄天はシヴァの子で

子供の病気を治すスカンダであり

昔、鬼が仏舎利を盗んだときに

スカンダがこれを追って取り戻したと言う故事に基づいている。

天神つまり大自在天の本体は

雷神で破壊神のシヴァである。

日本の雷神「天神様」の菅原道真は

いつも牛と一緒だが

これはシヴァの乗り物ナンディ(聖牛)と関係があるかもしれない。

なぜかヴィシュヌは日本に渡来していないが

ヒンドゥー教では釈迦そのものがヴィシュヌの化身である。

縁が遠いように思えるヒンドゥー教の聖なる言葉サンスクリット語も

日本語の中に息づいている。

まず「あいうえお」の五十音の配列が

中国のサンスクリット学の影響で出来た。

仏教用語が日本語化したものには

サンスクリット語源のものが多い。

「奈落に落ちる」の奈落は

地獄を意味するナーラカ。

墓の後ろに置かれる塔婆は

仏塔を意味するストゥーバ。

「刹那的」の刹那は

瞬間を意味するクサナが語源である。

誰もが日本語だと想っている瓦は

実は祭式の皿を意味するカパラが語源である。

ヒンドゥー教はインド特有の神秘的な宗教のように見えるが

実はその神々と言葉は

日本人の中に深く溶け込んでいるのである。」



そんなような趣き深い文面だった。



「知る」は「楽しみなり」と言う言葉があるけれども

全く持って

その通りであると

心に嬉しく感ずるらしい。



国家間の軋轢(不和・衝突)などを耳にすると

平和の貴重さ(尊さ・有難さ)を

心の中に温かく想い描き

国際人としてあるべき姿(紳士的な対処法)を

互いに柔軟に模索すべきだと

改めて想う。


躍起になって

感情的な言動に及ぶことなく

(感情を高ぶらせることなく)

冷静な態度を保つよう心掛け

国際法上(国際マナー)に違反した暴力的行為

(脅迫的挑発的行為)に対しても

穏やかに上手に

対処出来るよう様々に工夫し

最善の方法を考えるべきだと

つくづく想うようだ。


我々が暮らす

かけがえのない地球は1つしかなく

取り替えはきかないからである。


そうした事実を踏まえ

近隣国同士が互いに

愚かな戦火を交えることなく

双方共に穏便(穏和な)方法で

和やかに対処することを

心から望みたい。


破壊したり傷つけたりすることは

容易(たやす)いことであっても

建設したり相互の溝(傷)を埋め合ったりすることは

なかなか持って

容易ではないからである。



猛暑が続いた8月葉月も終わり

朝晩には涼しい風も吹くようになって

秋の風情が感じられるようになった。


カレンダーのページが

また1つ新しくなり

長月9月が

スタートしたようである。


まだまだ(日中は)残暑が厳しいものの

こうした季節(ゆく夏・晩夏の風情の残り香)の中に

命の尊さを重ね

改めて平和と言う

貴重で

かけがえのないものを

強く心うちに

祈念したい。


平和の尊さと言うものを

改めて

心の中に

大事にしようと想う。



ご清聴

どうもありがとう。



(*^^*)









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Last updated  2012.09.02 20:43:27
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