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さて、ここ最近の私の変容のきっかけは、ここ数年間、私ととおさむの恒例になっていた9月に行う予定の旅がきっかけでした。9月のおさむの誕生日前後に、また旅に出かけようと今回はおさむがギリシャに行きたい、というので何ヶ月か前には、以前宿泊したギリシャのサントリーニのホテルを予約していました。ですが、今回、おさむの身体が旅に出るのを許可しません。旅に行くのを身体が許可しない、というと変ですが、つまりは、本当のおさむは旅に行きたくないもしくは、今は旅に出るタイミングではない、ということなんです。試しにマップカードを引いてみましたが、私が引いてもおさむが引いても、答えはノー。私一人で旅に出る、と出てしまいます。おさむに至っては「あなたは荒れ狂う波を簡単に乗りこなせる波だと甘く考えていませんか?今は、あれこれ行動せず、ただ波に漂っている時です」などというカードばかりが出てきます。考えられる一つの理由には、経済的なことがありました。毎年、おさむの誕生日の旅は、私がお金を出していたので、今年もそうするつもりだったのですがそれがここ最近のおさむのテーマであった、自立や男性性、に引っ掛かっているのだろうと、おさむの身体を調べてみましたが、どうやらそういったことだけではないようです。じゃあ、もう今回の旅はやめよう、としたのですがそうすると私の身体からの声として「一人の時間を持ちなさい」とか「これまでのパターンを捨てる時です。そうしなければ、おもしろくない人に成り下がってしまいます」などというものが上がってきました。確かに、5月に日本から戻ってから、この約3ヶ月、ずっとセッション詰めだったこともあって9月はモードを変えるためにも、短期間であってもどこかに旅に出たいという思いはありました。でも、おさむが行かないのだったら、一人で行ってもなあと。それで、まず、おさむに私のセッションをやってもらって出てきたのが「人と感動を分かち合いたい」という私が潜在意識に持っていた思いでした。旅で美しい景色、おいしい料理、楽しい体験、そういったものを一緒に分かち合いたい一人で体験しても、それをシェアできないのはつまらない、という思いです。セッションで年齢退行していくと、子供の頃からの思いが出てきました。私には3歳下の妹と、7歳下の弟がいますが、私の記憶の中で、例えば誰かからお菓子やケーキをもらったら、まずは弟に食べさせてあげなきゃとか、みんなで一緒に食べよう、と思ったことを思い出しました。いわゆる、典型的な長女体質ですね。私にとって、人と感動や喜びをシェアすることは、当たり前のことであってそれが問題であるとは全く思っていませんでしたがそれが私の自由さのブロックになっていたとは。そのセッションの後、一人旅をする決心がようやくついてさてどこに行こう?と思ったら、その日のうちに、ネットでフランスのモンサンミッシェルの写真を見たので、いつか行きたいと思っていたこともありフランスに決めて、チケットを取りました。が、この時点では、私の意識はそこまで大きくは変化していなかったのです。その後、おさむが「いいな〜やっぱりおれも行きたい」と言い出したのでやっぱり、おさむも一緒に行った方がいいよね、とおさむが何とか一緒に行けるようにセッションで調整してみることになりました。が、その日のセッションで、おさむの身体から出てきたのは「子供の頃に甘やかされた」「与えてもらって当たり前」「感謝できない」「人をうらやむ」「人の痛みがわからない」と言ったディープな要因が次々と上がってきて、はてはDNAやら脳の問題まで上がってきてとても1回や2回で調整できるようなものではなく夜中3時頃、途中まででギブアップしました。次の日「私がお金を出すことには問題がないのにやはり、無理なのかな?おさむのハイヤーセルフは厳しいね」と話していた時におさむが一言「いいな〜、おれも一人旅したい」と何気なく言った一言がひっかかりました。「あのな〜、私が何とか一緒に行けるようにと夜中までセッションやっていて俺も一人旅したい、じゃないでしょ?」とその時はプンプン怒ったものの、また次の日には私は忘れてしまっていました。そして、それから、2日後、仕事のことについてのおさむのある一言で今度は頬をバシバシ殴られた気持ちになりました。まるで誰かに「目を醒ませ〜!」と言われているかのようでした。「あ〜私はこれまで何をやってきたのだろう」と。思えば、おさむが2年前にキネシオロジーを仕事にすると言い出してからのことでした。彼が一人前になれるように彼のクライアントさんが増えるように、彼が認められるようにあらゆる資料を手渡し、教えて私のクライアントさんたちを紹介してその方たちがおさむのセッションを気に入ってくれたら私が認められるよりもうれしくて時には夢の中のシーンにまで出てくるまでになっていたのでした。そして、私のそういった行為やあり方が、逆におさむの自立を防いでいたことに気づかなかったのでした。私は彼の食事の世話をしたり、洗濯してあげたりはしない人なので彼に尽くしている感覚は全くありませんでしたがこれじゃあ、過保護のお母さんと同じだなあと。(これがおさむ曰く、何でも出してくれるドラエもん状態だったわけですが)本当の意味で、私は彼の力を信頼できていなかったのですね。もちろん、これは私自身の問題です。いや〜人のことはよく見えるのに、自分のことは全くわかっていなかったというか。情けないというか。クライアントさんなら、ニュートラルに観えてきますが自分のパートナーとの関係となると、ただありのままに見ることって難しいですね。という経緯がいろいろあって、一人で旅に出ることにもまた、おさむの問題は、おさむに任せておくことももう何の抵抗も罪悪感もなくなりました。考えてみれば、10年ぐらい前までは、コスタリカに一人旅したり一人でアメリカ各地に行くこともあったのに年々、やらなくなってしまっていました。一緒に感動を分かち合うことも素晴らしいけど一人で体験することもまた人生でのエッセンスだなあと。そして、私がその調整をした後、2週間の間に「人と感動を分かち合いたい」という思いが問題、とクライアントさんの身体から上がってきたケースが、3回もありました。人と感動を分かち合いたいために、本当の自分のやりたいことを優先できなかったりまたは、何でも分かち合えなければ、さみしい感覚になっていたり自分だけが幸せだと罪悪感を感じてしまっていたりとそれぞれの人によって、状況は違いましたがまさに私がそこから抜けたから、出てきたのね〜と感じる要因でした。感動を分かち合うことは素晴らしいことだし分かち合う心は必要ですが一方でそれが強すぎて「分かち合わなければ」になってしまうと自由さを失ってしまったり、無意識のストレスになってしまったりするのですね。ということで、これまでも自由に生きてきたつもりでしたがさらに自由に生きてゆきます〜
2015年08月31日
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昨日、おさむが主催した伊藤研人くんの講演会+サウンドヒーリングの会がニューヨークの28stのセンターで行われました。研人くんに関しては、以前、何度かこのブログでもご紹介しましたが2012年にセドナで出会って以来のご縁。2014年にエジプトで一緒に食事をした時にも話をしましたがこうして講演会という形で、彼の話を聞くのは私も今回が初めてだったのでそこで、新たな感動や気づきがありました。ここでは私なりに感じたことを書いてみますが参加された方、それぞれがあの場で、いろんな思いや気づきがあったでしょうしそのどれもが間違いはないと思います。研人くんは、世界各国で撮った写真をプロジェクターで見せてくれながらなぜ、世界中旅をすることになったのかそこでどんな体験や経験をしてきたのかそして、そこからどんな気づきを得てきたのがこれからどういう意識でやってゆこうとしているのかなどを語ってくれました。講演中の研人くん。(iphoneで撮ったので、暗いですが)彼の旅のお話はとてもおもしろくて、いろんなエピソードにわくわくしたり涙でウルウルしたりまるで一緒に旅をしているかのような感覚になりました。実は、こういったある人の経験や気づきをみんなで聞くような講演会って微妙だなあと、講演前には少し思っていました。どんな経験や気づきであっても、それはその人にとっての経験や気づきであって自分のものとは違いますし人によっては、こういう話を聞いて「この人はこんなに素晴らしいのに私はだめだ」とか「私は、何も人の役に立っていない」などと比べて、自分にダメだししてしまったりまた講演した人の気づきが、人によっては、新たな信念体系を生み出してしまったりするからです。例えばAさん、Bさん、Cさんと同じ出来事を体験した、としてそこで感じる感じ方はみんな違っていて、またそこから得られる気づきも人それぞれみんな違います。例えば、子供の頃にお父さんに厳しく怒られた、という出来事があって人によっては「お父さんが怒るのももっともだ。私が悪いのだから。お父さんに感謝しよう」という気づきにつながる人もいれば「私は自由でいれなかったから、自分の子供には自由にさせてあげたい」という気づきにつながる方もいてそのどれも間違ってはいないわけです。感謝することで、自分の抑圧された感覚を見逃してしまうこともあるわけですから感謝する方がいい、とは必ずしも限りません。ですから、何が正しい感じ方、とか、どれが正しい気づき、というのは何一つないのです。また同じ人でさえ、年を重ねるごとに、同じ過去の出来事が違った経験として捉えられてきます。私自身、例えば12歳の時のある出来事を思い返した時に20代の頃に「12歳の頃は〜〜だったなあ」と思っていたことが30代の頃に「12歳の頃は実は私はこう感じていたのだな」と変化し40代、50代になると「12歳の頃は、私の中で〜〜ということが起こっていたのかも」などと、時が経つに連れて、同じ出来事に対する捉え方や自分の感覚が変化してゆくことに気づいてきました。だから、その体験そのものにも真実はなければそこで得た気づきにも真実はないわけなんですね。そういったことを思えば、講演会などでその人の体験やそこからの気づきを聞くことは果たして、どういう意味を持つのかしら?と思った時に、それが上手く言葉にできなかったのですがこの研人くんの講演会を聞きながら、はっきりと認識できたことがありました。それは彼がサンダースの修行で得た気づきについて話していた時でした。彼が肉体や精神の極限まで行った時に生かされていることへの、大きな感謝の感覚を得た、という話をしてくれた時に私の中に、何か圧倒的な感覚が溢れてきてどわ〜と涙があふれそうになったのでした。その瞬間は、どうして自分がこんなに感動しているのかわからなかったのですが後から気づいたのはそれは、彼の経験がすごい、とか、気づきが素晴らしいということに感動したのではなく彼の口から、彼のエネルギーを通して出てくる、言葉には表せないエネルギーに私が過去に感じた、同じような感覚との共鳴が起きたからだ、ということでした。頭で「ああ、そうだ、生かされているのはありがたいな」という感謝ではなくただ腹の底からわき上がってくる、生かされていることへの感謝と祝福のエネルギー。それは、実際に私が過去に体験した、至高体験とも言える感覚の切れ端みたいな感覚でしたがもしかすると、それは私が体験した感覚というだけではなくいろんな次元レベルでの感覚だったのかもしれません。ですから、例え、これまで全くそんな感覚を持てなかった人であってもあの研人のエネルギーに触れれば、共鳴が起きることもあり得るなあと。だから、講演会で話を聞くというのは話し手の伝える内容そのものが、いいとか上手いとかいうことではなくただ話している人の存在やそのエネルギーと共鳴するかしないか、なのだなあと。もちろん、その共鳴の度合いも種類も人それぞれであって何も間違いはないのです。そして、その気づきは、研人くんの講演が終了した後みんなで輪になって、おさむが誘導瞑想をした時にさらに認識することになりました。最初、おさむが地球への祈りと感謝を捧げるために「それでは、地球に感謝します。感謝の意識と共鳴してください」などと誘導瞑想を行ったので、目をつぶって、感謝の意識になろうとしたのですがどこか空々しく違和感を感じている自分に気づきました。「ああ、感謝のエネルギーって、言葉で言われて出てくるものではないなあ」と。水があるから生きていける、食べ物の命を恵みを頂いて生かされているそんなことは、頭ではよくわかっているし、そのことに関して感謝はできますがあの圧倒的な感謝のエネルギーー実際はそんな「感謝」という言葉では、到底表せないような感覚ーとは、全く違うものでした。もちろん、それはおさむの問題というわけではなくこれまで私も何度もやってきた誘導瞑想というもの自体の限界でもあるのかもしれません。また、この瞑想の言葉は、おさむが彼自身に向けて言っている言葉なのだなあとも感じていました。約2週間ぐらい前に行ったおさむへのセッションで彼の身体から上がってきた問題となる要因の一つに「感謝できない」というものがあったからです。その後、彼は自己ヒーリングを行い、彼自身のエゴを見つめたと彼のブログにも書いていましたが、それがあの瞑想の言葉として出てきたのかもなあと。(まだ彼にはそのところは聞いてませんが)もちろん、人それぞれみんな気づきや受け取る感覚は違うのであの誘導瞑想が心に響いた人も中にはいるかもしれません。その後、おさむが輪の中心に入って、ギターで伴奏しながらみんなが声を出して合わせていきました。それは、まるで子供の頃に大勢で合唱した時の喜びと一体感のように私自身は、シンプルに気持ちよかったのですがその場にいた人たちのエネルギーを感じてみると人によっては、やはり違和感を感じていることにも気づきました。でも、その違和感や分離感を感じる、ということがまた一つの気づきのプロセスであるとも言えるのでやはりそれはそれでいいわけなんですね。それから、みんなが床に横になっておさむのギターとクリスタルボールのサウンドヒーリングを聞きました。ただただ美しい彼のギター。音楽に言葉は要らないし、言葉がないからこそ、伝わるものが大きいと言えるのかもなあと。ということで、研人くんの話に戻りますが今回、研人くんは、日本人の持つ素晴らしい和の精神がこれからの世界に必要であり、日本を世界を変えてゆく大きな鍵であるという話をしてくれました。実は、私は全く違うアプローチから、セッションを行うケースが多いのです。人を思いやる人の気持ちや立場を考える人を気遣う人に尽くす調和を大事にするそういった日本人の和の精神は、プラスになることもあればマイナスになることもありますが私のセッションに来られる方の約80〜90%にそのマイナスの要因が出てくるのです。人に遠慮して、自分の率直な思いを伝えれない人に対して気遣ってしまうので、人といると疲れる人が喜ぶことばかりやろうとして、自分が何をしたいかわからなくなる調和を乱さないように、自分の願いは抑えてしまうすぐに人に同情、共感して、自分の感情が不安定になる人のことまで責任を負おうとして(無意識に)負担になる例えニューヨークにいる日本人であっても(いえ、アメリカ人や他の国の人であっても)そういった人たちはとても多く、日々の生活の中で自由さを失ってしまっています。ですから、それぞれの人たちの身体の声に従ってセッションを行ってゆくと一見は、和の精神とは逆のアプローチになってしまうわけですがでも、最終的に目指している方向は同じなのだなあ、ということも今回、感じました。一人一人が自分軸で生きて、自由な自己表現ができてこそ日本人が本来持っている和の精神が生かされてゆくのではないかしらと。この和の精神というのは、日本人の多くは遺伝子レベルで持っているものですから個人レベルでは、それぞれの個性を生かしたり人のことは人に任せたり、という意識を持つことでバランスが取れてくるのだなあと、感じるのです。人と人とが共鳴し合うということ。それは、それぞれの考え方や思考を越えたところにあります。一体感や共鳴すること、感覚を分かち合うこと自体は素晴らしい感覚ですが一方で、一体感や分かち合いを求めてしまえば自由さを失い、本来のそれぞれの魂が望む方向からはずれてくることもあるのです。そのことに最近、私とおさむとの関係を通じて、あらためて気づいてきたのですがその話は長くなるので、また次回ということで。ということで、今回、けんとくんの講演を聞くことで、またいろんな感覚や気づきがあって(その気づきも、今後また変化してゆくのでしょうが)本当によかったです。また次回の彼との再会が楽しみ〜♪
2015年08月29日
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今、ダーリンが夕食を作ってくれていてちょっと時間があるので、今日は2つ目の日記を。今朝アップした日記の中で「自分が望むこと、やりたいことをやる」ということに関連して人それぞれ4つの状態に分かれるなあと思います。1)自分がやりたいことが何なのかわからない状態。2)自分がやりたいことが何なのかはわかっているが、今はやれておらず 先延ばしにしている状態。3)自分がやりたいことのある部分は今、やっているが ある部分は先延ばしにしている状態。4)自分がやりたいことをすべて今、やっている状態。もちろん4の状態がベストですが例え、やりたいことがわからない状態であってもそれもまたその人にとっての、人生のプロセスである、とも言えます。ですが、それぞれの要因を探ってみると多くの人に共通した要因が浮かび上がってくるのです。1の状態の方についての要因は、前回のブログに書いた通りですがそれでは、2や3の「やりたいことがわかっていても、やれていない状態、やりたいことを先延ばしにしている状態」についてはどうかと言うと最も多く上がってくる要因の一つが左脳型思考パターンであり「何かができること、何かを達成していることが自分の存在価値になっている」という問題です。私が「目標達成型思考」と(適当に)名付けた、その意識は実に多くの人たちにとって、根本となる意識になっていてそれが様々なストレスやアンバランスさをもたらしています。その意識の元ではやりたいことをやろうとした時に「これをやるためには~が必要」とか「今の自分ではまだ不十分」など先のことや達成するために必要なことを考えて、今の行動を決めてしまうので今すぐにやりたいことができなくなるわけです。自分がやりたいことをやるためには自分の能力や技術がまだ足りない、とかお金が足りない、とか時間が足りない、とか周りのサポートが足りない、とか情熱が足りない、など人それぞれ不足していると感じているものは違いますが何かをやるためには何かが必要という意識ではいつかやりたい、と先延ばしになってゆくのです。そして、その「いつか」は自分自身の内面を変えない限り、やって来ないのでそのうち、それが本当に自分のやりたいことなのかわからなくなってしまう方も多いのです。また、何かを達成した時に感じる達成感自体には問題がないですが達成感を求めて何かをやろうとすると今取るべき行動、本当の自分が今すぐやりたいことが見えなくなります。やりたいことは、それを達成する、しないに関わらず今すぐに何かしらの形で取り組んでゆくことが大切なのですがこの目標達成型思考では、失敗することへの恐れが出てくるのです。まさに、前回のブログでご紹介したジョージバーナードショーの言葉「ミスをしながら過ごした人生は、何もしないで過ごした人生よりも立派なだけでなく、十分な使い道があります」にもあったように失敗は、自分にとっての新たな気づきや成長の糧となるものですが多くの人はすぐに達成したい、成功したいと思うわけですね。私も振り返ってみると、例えば、今のように筋反射が正確に取れるようになったのはたぶんセッションの回数で言えば、500回は軽く越えていたと思うのですがそれまでは、筋反射だけでなく、目標の立て方も何もかもがよくわかっておらず、上手くいかないこともたくさんありました。その頃は、なぜそうなっていたのか、気づいていなかったことも多いのですがでも、そういった経験を積んできたからこそ、今の私がありそして今、キネシオロジーを教えてゆく立場になってからキネシオロジーを学んだ多くの人たちが、どこでつまづいてしまうのかどうして筋反射があやふやになってしまうのかどういう目標設定にすると効果が上がらないのか、などがよくわかるのです。だから、私がやってきた上手く行かなかったプロセスがすべて「使い道があった」ということなんですね。この他にも過去に上手くいかなかったことが、今は大切な「使い道」になっていることが、たくさんあります。でも、それは、困難があってもがんばらねば、という意識ではなくただ、結果にとらわれずその時々でやりたいことをやってきただけなのです。ということで、やりたいことを先延ばしにしてしまう方はこの目標達成型思考を手放すことや左脳型から右脳型に調整することになるケースが多いです。また3のやりたいことをある部分ではやれていてある部分ではやれていない、ということに関してですが好奇心が強く、やりたいことが山ほどあるという人はそれ自体が問題であるケースもありますから、内観力を高めることで本当に自分がやりたいことを見極めてゆくことが必要なことがあります。例えやりたいことが山ほどあっても、今の自分にとって必要なことやりたいことは、それほど多くはないものです。また、いくつかやりたいことがある人は時間やエネルギーの使い方も問題となってきます。私は、これまでその時々で最もやりたいことをやってきた人なので特に何かが問題だとは思っていなかったのですがある時期は音楽ばかりやっていたかと思うと、ある時期は絵ばかりやっているという感じになりがちでいろんなことをバランスを取ってやってゆく、というのは苦手でした。ここ数年は、音楽や絵をなかなかやれなかったのは日々キネシオロジーのセッションに、エネルギーを費やしそこで大きな喜びや楽しみを得ていたので、満足していて他のことをするモチベーションが上がらなかったことやエネルギーや時間がなかったことがありました。そういう意味で言えば1〜4ではなく、5として「やりたいことをやり過ぎている状態」だったと言えるかもしれません。少し前に、自己ヒーリングをやったら年齢退行で18歳〜22歳が上がってきたのでさらに、スキャンリストから身体の声を聞いてゆくと「バランスを取ることへの恐れ」と言うのが出てきました。その当時の私はジャニスジョップリンのような破滅的とも言える情熱的な生き方に憧れていたたので、一つのことに情熱を燃やして燃え尽きるまでやることが素晴らしいと思っていてバランスよくいろんなことをやる人なんて、つまらない、と思っていたわけです。例え、酒を飲むのでも、バランスよくほどほどに飲んだりするのはつまらない「飲むならとことん飲むわよ」という感じだったのですね『バランス調整』であるキネシオロジーを何年もやっていて「バランスを取ることの恐れ」を持っていたのはちょっとおもしろいですがまだ自分の潜在意識に若い頃の思いが残っていてそれが無意識に影響していたわけですね。ということで、ここ最近、ようやく少しずつやりたいことをやる上でのバランスが取れるようになってきたかな~と。ということで、やりたいことは「いつかやろう」ではなく今すぐやることそのためには不要な思い込みやこだわりを手放したり思考パターンを変えることが必要だったりと必要なことは、人それぞれ違いますが大切なのは、お金や能力や状況の変化を待つのではなく自分の意識、内面を変えることだけなのです。
2015年08月28日
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今日は先日ちらっとご紹介した、フィボナッチを受けて異次元に行かれたSakuraさんの感想からご紹介させてくださいね。ありがとうございます〜。ここ数回のセッション、どうもありがとうございました~。あのフィボナッチの後の怒涛の日々を抜けて、おかげさまで穏やかな日々を送っています。でもまだフィボナッチの余韻はあって、今度はポジティブに周りの人に変化がみられます。例えば、いつも自分で仕事を抱えてしまっていたのですが上司に"自分で抱えなくても大丈夫。まわりの人にやってもらえばいいんだから"と言ってもらったりミスで自分を責めたくなる時に、そうじゃなくっていろんな人のフォローがあるべきで、あなた一人のせいじゃないと同僚に言ってもらえたり。。。なんか温かい世界へ今度はワープしているみたいです♪フィボナッチって、ものすごく強力なデトックス効果をもつヒーリングなのかも。両極端な世界を行き来したような感じで私は私の心地よい世界へ一段階上がって落ち着いたような気がします。そうだとしたらフィボナッチのつくりだす?世界の振れ幅はすごいけどその後に得られるヒーリングの力も相当すごいと感じました。(でもあの辛いデトックスはもういいです(笑))その後、女性性についてはじわりじわり効いていましてこれからどんな変容が起こるのか楽しみです♪Sakuraさんは、ご自身のブログに詳しく経過をアップしてくださっています。彼女のブログは、セッションの感想だけでなくニューヨークやアート、食に関するいろんな情報が載っているので、ぜひ♪http://spiritofbeauties.blog12.fc2.com/blog-entry-1329.htmlhttp://spiritofbeauties.blog12.fc2.com/blog-entry-1348.htmlhttp://spiritofbeauties.blog12.fc2.com/blog-entry-1350.htmlhttp://spiritofbeauties.blog12.fc2.com/blog-entry-1349.html彼女のブログの中で、感性と感受性についての私の説明を書いてくださっていますが一言で感受性と言ってもいろいろで例えば、他の人に同調しやすい、共感しやすい、ということだったりまたは、人の言動に傷つきやすい、という傾向だったり人の感情やエネルギーを感じやすかったりすぐに感動する、とか、泣いたり笑ったり怒ったりが激しい、とかなどいろいろな要因があります。感受性が全くなければ、何も感動しない、何も感じない人になってしまいますが強すぎれば、外界からの刺激による感情やエネルギーのアップダウンが激しすぎて問題となります。なので、感受性の場合は手放す、のではなく、和らげるという調整になります。私も昔から、すぐに感動して、泣いたり笑ったり怒ったりが激しい人でまた、そういう自分のことが好きだったもののこの感受性の強さを調整したら、エネルギー的にかなり楽になりました。昔は、すぐに相手の話に感動して泣いたりする方が、何か愛が深い感じがしていたのですが感受性の強さと愛の深さは全く関係ないなあとつくづく感じます。(とはいえ、いまだに他の人の感動の話や幸せ話を聞くとすぐにウルウルきてしまいますが)また、感性に関しては、感受性と同じような意味で使われることもありますが私は感性は、外からの反応ではなく、内に向かう力直感力や内観力、つまり自分が何をやりたいか、やりたくないかを感じる力と捉えています。Sakuraさんの場合は、感性が低いと言っても、直感的に「あ、これいいもかも!」と素敵なものを見つけたり、行動する力は強いのですが自分がその瞬間瞬間に何を感じているか、ということを感じる力は弱かったということです。彼女の場合も、すぐに感動する、人と共鳴するという感受性が強くそれは、ある部分では彼女の好奇心や行動力につながっていてよかったのですが一方では義理人情、同情、共感などが強くなり物わかりがよくなりすぎて、自分の感覚より、他人の感覚や思いや会社の期待に共鳴して動いてしまうので本当の自分はやりたくないことまで、やってしまっていました。彼女にとって、それは子供の頃から当たり前としてやってきたことだったのでそれがストレスになっている、ということに、これまでは気づかなかったのですがそれをフィボナッチを受けることで、自分自身で、無意識に抑えていた感覚にはっきりと気づいていったわけです。その気づいてゆくプロセスがフィボナッチのおもしろさなだなあと。必ずしも、すぐに気づくわけではないんですね。彼女のブログから「でも今ふりかえってみて、ようやくわかりました。少なくともあの期間は、達観してまあいいや、と思ったり、なんとかしなきゃ、とは思わずもういやだ~、助けて~、って思ってました。ってことは、この一ヶ月、私は自分の素直な感情を”感じる”ことが出来るようになっていた、ってことみたいです。そっかぁ。私って、こういう感情を押し殺していて、見ないふりをしていたのね」この気づきは、これからの彼女の内観力にとって、とても大きいと思います。その他にも彼女のブログから最近、ポジティブ思考、ネガティブ思考がフォーカスされ、ポジティブがよくってネガティブは排除、みたいな考え方が充満しているようですがネガティブ思考を排除するのではなく、それを受け入れどこからそれが来ているのかを感じ、その先に見える光を見つめることが大切なのだなぁというのがわかった気がしました。本当にポジティブ思考や物わかりのよさは、感性や内観力を防ぐ最も大きな要因だなあと日々のセッションで感じます。周りと調和するために自分の感情を抑えたり人を喜ばせるために人の希望に合わせたり責任を果たすために本当はやらなくてもいいことまでやったり相手の立場や周りの状況を考えて気が利かせたりそして(自分の内なる感覚を)「まあ、いいか」とポジティブ思考で抑えてゆくそういった無意識レベルでのパターンを、人によっては子供の頃からやってきていているので大人になって「自分が何をやりたいかわからない」とか「どんな仕事をしたいのかわからない」という問題に当たります。そして、人によっては「やりたいこと探し」をしてあれこれとやってみるもののこれも違う、あれも違う、ということになってしまっているのです。いくら外に向かって探しにいっても、自分の中身(潜在意識)が変わっていないので何も変わらないのですね。ですから「自分がやりたいことがわからない」という人たちの多くに共通して出てくる要因は、感性、内観力の欠如でありそうなってしまう根本的原因は、人を喜ばせなければ、という思いから物わかりのよさやポジティブ思考、自分軸で生きれなくなってしまったこと。キネシオロジーのセッションでは、そういった要因を一つ一つ外してゆきますが人によっては、その人生のほとんどをそうやって生きてきているので何度かのセッションが必要になってきます。また、女性の場合は、女性性も感性の一つの要因としてあります。Sakuraさんの場合は、フィボナッチでの後のデトックスが起こった後その1ヶ月後に受けられたIHキネシオロジーのセッションで女性性の問題が初めて上がってきたのでなるほどな〜と、またそれぞれの完璧なプロセスに感動していました。すべては完璧なタイミングで起こっているというのは、なかなか問題の最中には思えないものですが後になってみると、そのことがよくわかるのですね。ということで、Sakuraさんのブログのご紹介とともにあれこれと書いてみましたが彼女のように、自分の思いを上手く言葉で表現できる力というのは実は感性にとって、大きな利点です。私たちにとって、感性というのは、単に右脳の働きというわけではなく言葉によるものが大きいからです。私たちが感じている感覚を的確に言葉に変換することで私たちは「私は今、こう感じているのだ」と認識ができるわけです。言葉に変換できないと、どこかでもやもやした感覚はあるのですが自分が何を感じているのだ、とはっきりと認識できない状態になってしまいます。ですから、感性のための調整には、左脳の言語中枢も出てくることが多いです。自分が感じていることを、言葉に変換するプロセスがずれてしまえばもやもやしつつ、周りの状態に流されてしまいます。例えば、実はストレスになっているのに、ストレスを感じていないという方の多くは、この言語中枢に問題があるケースが多いです。ストレスを感じないのだからそれでいいじゃないか、と思われるかもしれませんが無意識でストレスを溜め込めば、いずれ身体の問題として出てしまうのです。と、ここ最近、言語中枢の調整をすることが多かったのでついでに書きましたが人の脳の仕組みとそれぞれの性質やエネルギーの関係はとても奥が深いので、毎日が新たな発見と気づきです。さて、今日の最後に、少し外れますが「物わかりのよさ」ということに関連して先日、たまたま見たジョージバーナードショーの言葉をいくつか抜粋してみますね。「分別がある者は、 自分を世界に合わせようとする。分別がない者は、 世界を自分に合わせようと 躍起になっている。ゆえに、分別がない者がいなければ、 進歩はありえない」 「ミスをしながら過ごした人生は、何もしないで過ごした人生よりも立派なだけでなく、十分な使い道があります」「自分の望みに 忠実に生きよ。さもないと、嫌いなものを、 押しつけられるはめになる」
2015年08月27日
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8月は連休を取っていたので、ロングアイランドへ一泊二日のショートトリップに行ってきました。今回はおさむとではなく、友人のKyokoさんと二人です。ロングアイランドは、私はかれこれ20年以上前に当時の彼や友人と一緒に、夏はドライブしたり、シーフードを食べに行ったりしたのですがなぜか、おさむとつきあい初めてからは、ほとんど行ったことがなく。ロングアイランドのワイナリーも、いつか行きたいと思いつつまだ訪れたことはなかったのですが先日、Kyokoさんの誕生日だったこともあり、誕生祝いも兼ねて急遽、ワイナリー巡りすることになりました。ロングアイランドのワイン街道とも言うべきメインストリート沿いには80ものワイナリーがあります。前日の夜は2時半に寝たので、6時すぎに起きて、ばたばたと支度をして出発。Kyokoさんの運転でブルックリンを出発したのが朝9時で約2時間で、最初のワイナリーPaumanock Vineyardに到着しました。朝11時オープンだったので、一番乗り。さっそく、4種類のワインのテイスティングをします。二人別々のワインを頼んだので、8種類を試すことができました。ここはスパークリングロゼがおいしかった。この日の朝一番の食事がチーズとワインというのは何とも言えませんが前日の睡眠不足も手伝って、すぐにいい気分です それから、次のワイナリー、Bedell Cellarsへ。ここはオバマ大統領の就任式で使われたワインで有名になったところだそう。とてもモダンできれいな内装。ここのワイン畑。それから、グリーンポートの街へ出かけて雑貨屋や洋服屋をぶらぶら見て回ります。 この日のホテルは、グリーンポートからは3マイル離れたところで小さなキッチン付きの2ベッドルームで特に何がいいというわけではないですが、シンプルできれいなお部屋でした。それから、シーフードレストランに入って、早めの夕食を取りました。Kyokoさんのバースデーに乾杯です グリーンポートの港付近をお散歩。 それから、ホテルに戻ったら、もう目が開けておられず、バタンキューで眠りました。次の日。グリーンポートのナチュラルフードマーケットのカフェで軽く朝食を取った後、ランチにキッシュをテイクアウトして出発します。グリーンポートから、対岸のシェルターアイランドまで10分置きにフェリーが出ているので車に乗ったままフェリーに乗り込みます。チケットは要らず、フェリーの上で支払うようになっていて、とても簡単。約10分ほどで、対岸のシェルターアイランドに到着。そこから車で15分ほどで、Mashomack Preserve(マッショーマック自然保護区)に到着です。ここは30分のコースから、5時間のコースまで5種類のトレイルコースがあり最初に自然保護区の方から説明を受けました。「ブルージェイが見れるかもしれませんよ」と教えてくれたので「どうか見れますように〜」と祈りつつ私たちは、グリーンのトレイルコースを選んで、てくてく歩きます。沼地や平原や森の中など、とても歩きやすいコースです。昼間はかなり暑くなってきて、後半はけっこう疲れましたがランチ休憩も含め、約3時間半〜4時間ぐらいで元のビジターセンターに戻ってきました。トレッキングの最中は、鳥は飛んでいても、高い木の上だったりやぶの中だったりで、なかなか写真は撮れなかったのですがここのビジターセンターは、ガラス張りになっていて庭のバードフィーダーや木の上に様々な鳥が飛んで来るのでここに座っているだけで、いろんな鳥の写真を撮ることができました。こちらは私の家の前でもたまに見る、カーディナル。 Black-capped Chickadeeとカーディナル。 左は初めて見たのですが、Common Grackleという深い青と紫の鳥。右はHouse FInch。 そして、ブルージェイ。この日の最後の最後に姿を見せてくれました♪ それから自然保護区を出て、またフェリーでグリーンポートに戻りワイナリーへ向かいます。この日、訪れたのはLenz Winery。テイスティングはとても賑わっていました。4種類ぐらい試しましたが、どれも味はまあまあだったので次に向かいました。メインロードを車を走らせていると、ふと目に止まったのが、MACARIの看板。「あ!!MACARIここに行きたい!!」と、Kyokoさんにすぐに車を停めてもらいました。MACARIは、もう10年以上前に、私とおさむがよく飲んでいたワインでロングアイランドでは大好きなワインです。何年か前に、地元のワインを置いているワイン屋さんがつぶれてしまって以来あまり見かけなくなって、最近はその存在をすっかり忘れてしまっていたのですが名前を見て、思い出しました。これまで回ったところは、どこも人が多かったのですがここは私たち以外は、テイスティングをする人がおらずカウンターでゆっくりとテイスティングしました。と、やっぱり、おいしい〜〜〜この二日間、テイスティングしたどのワインよりも、おいしい。白とロゼを合わせて5種類試しましたが、どれもそれぞれにすっきりして飲みやすい上に、味わい深く、とてもおいしいのです。(ワインの味の説明は苦手なので、上手く説明できないのだけど)私はあまりシャルドネは好きではないのですが’ここのシャルドネはシャルドネぽくなくて、好きだったのでロゼとソーヴィニオンブラン、シャルドネの3種類を購入。そして、グラスワインを頼んで、ワイン畑を見ながらテラスで頂きました。大きなグラスになみなみとついでくれました♪あ〜幸せ〜〜ここはテイスティングする人は多くはなかったですがテラスでボトルで飲んでいる人たちは3、4組いました。この日の最後に、偶然、大好きなワイナリーを見つけることができて、ラッキーでした。MACARI VINEYARDSということで、1泊2日のロングアイランドへのショートトリップはトレッキングで歩いて身体も動かすことができたし友人と車の中でおしゃべりしたり、懐かしい音楽を聴いたりおいしいワインにも出会えて最高でした♪
2015年08月18日
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前回、ブログを書いてから約2週間ですがそれがもう遠い昔のように感じるぐらい様々な変化がありました。その都度、自分自身と向かい合うことで、新たな気づきがありここ最近の変化について書くだけで、本一冊ぐらい書けそうなんですがさて、一体何から、書こうかしら?まずは、フィボナッチのクラスの経過報告ということではみなさんに案内を送ってから8日間で、定員はすべて埋まりキャンセル待ちも数人出たので、それからロンと話してリトリート施設の予約の部屋と定員を増やしました。また、この人数になるとロンだけでなく、もう一人サポートの先生が必要、ということで他のアーキュトニックの先生に来てもらうことになり結果的にクラスの参加者は30人、私とおさむ、通訳、先生を含めると総勢36人の大所帯になりました。クラスだけだったら、30人以上増えても問題ないですが7泊8日の宿泊を含め、リトリートのすべてをオーガナイズしているのでこれ以上は私が対応できなくなるため(というか、今でも充分には対応しきれてない感じですが^^)30人は限界の人数ということでロンと相談して、もうこれ以上は増やさないことに決めて今は、またキャンセル待ちの方もいらっしゃる状態です。ここしばらくは、最初のデポジットの支払いについての対応やロンとのやり取りに追われていたのですがようやくそれらも先日、一段落しました。私がロンから、テキサスでフィボナッチのクラスを受けた時は10人ぐらいの生徒だったのでそれを考えると、30人のクラスというのは、かなり多いです。30人のうち、2人を除く28人は日本在住の方でニューヨークの方も何人か参加されるかしら、と思っていたのでこの結果には少々驚きました。そのことをロンに伝えると、ロンからのメールで「日本にこんなにたくさんの人がフィボナッチを受ける準備ができているというのに、僕は驚いているよ」とありました。「フィボナッチを受ける準備ができている」ロンがどういう意味でこの言葉を書いたのかハワイで会った時にでもまた聞いてみよう、とは思っているのですがその人がクラスを受けたい、と思い、今、それを受けるためのお金や時間などを作ることができる、ということはすでに「準備ができている」ということでもあるしそれがその人が受けるタイミング、いうことあってこれは、精神レベルや潜在意識で「準備ができている」ということとは全く違うのだなあと感じます。実際、ニューヨーク在住で私から見て充分「準備ができている」と感じるヒーラーやセラピストの方たちが今回、お金や仕事の都合で参加できなかったのは精神レベルで準備ができていない、ということではなくそれぞれの方にとって、今はタイミングではない、ということなのでしょう。また、そのことで私の中で「次回のフィボナッチはニューヨークで開催する」というアイデアが出てきたのでロンに相談したところ「ぜひ次回はニューヨークでやりたい」と言ってくれてそれも今後、また話合っていくつもりです。ニューヨークではリトリート形式ではなく、単にクラスだけになるので私としては楽にオーガナイズできるしその頃には翻訳本などもできているわけですから、かなりスムーズでしょう。いつになるかはまだ未定ですが、ニューヨーク在住で「準備ができている」方はぜひ受けられてくださいね。フィボナッチに関しては、私もまだ100回前後しかセッションをやっていないこともあり、未知数です。IHキネシオロジーの場合は、人それぞれ違いはあるもののそのセッションをやることで、ある程度の効果や結果が観えてくるわけですが、フィボナッチの場合は、どうなるか全く観えてこない、というかクライアントさんによっては、セッションの後想像もしていなかった結果や状況になったりします。これからまた何千回とやっていくにつれて観えてくるのかもしれませんが、とにかくおもしろいヒーリングだなあと。先日、フィボナッチを受けられた方の感想で「IHキネシオロジーを受けた後は、毎回、自分の変化がよくわかってその効果を実感できていたのですがフォボナッチのセッションを受けた後はそういう感覚はなく、私の内面というより周りの状況がいきなり変化した感じで、まるで異次元スポットにはまったかのようでその中で自分の持っている問題を次々と見せられて、どうにもならずもがいている感じでした」というものがありました。実は、これと似たような報告は、この方だけでなく何人もの方からありました。これは一種のデトックスとも言えるのですがつまりは、その人にとっての魂の道に逸れているところがあればそれをさらに増幅させてしまうような状況になったり問題が次々と起こり、自分の内面に気づかざるを得なくなるわけです。たまたま、この方の場合は、フィボナッチを受けた1ヶ月後に私のセッションが入っていたので、そのセッションでその方の魂の道を防いでいた大きな要因を外したらその次の日には状況は落ち着き、その異次元の感じはなくなって通常の穏やかな生活に戻ったとのことでした。その方の場合は、その「大きな要因」は、それまでも何度か、私のキネシのセッションの中で上がってきた要因でしたが、それを調整するにはまだ早い、とそれまではテーマとして身体が選ばなかったことでフィボナッチを受けたことによって、それが調整できるレベルにまで表層意識に上がってきたわけです。もちろん、フィボナッチを受けてから、物事がびっくりするぐらいスムーズに進んでゆきますというような人もいるし、一概には言えないのですがフィボナッチは、その人の本来の道に引き戻すために不要なものを強制終了させるために働いていく感じだなあと。そして、その強制終了が、ここ最近強力に起こっていたのがマイダーリン、おさむですおさむは、今年のハワイのリトリート以来様々な彼自身の中にある闇を見せられていましたがフィボナッチを受け始めたぐらいから、それが加速的に起こっているのを感じていました。そのおさむの「問題」に対して私も一つ一つ向かい合っていたのですがおさむに起こっている問題は私にとっては、私自身の内面をさらに深く見てゆくために起こっているということに最近、あらためて気づかされました。パートナーと関係において、いえ、パートナーだけでなくAとBとの関係で、片方だけに問題がある、というようなことはあり得ないのです。例えば、AさんとBさんの関係において、ある問題が出てきた場合Aさんに対してセッションを行えば、なぜ今、その問題が起こっているのかがAさんがこれまで抱えてきた様々な要因とともに、明らかになってきます。その要因を手放すと、その問題はなくなってしまうのでAさんにとっては「あ~やっぱり問題を生み出したのは私(のマインド)だったのね」ということになります。でも、これがBさん側をセッションすると、Bさんがこれまで抱えていた要因が上がってきてなぜその問題が出てきたのかが、Bさん自身のマインドの問題として明らかになってくるのです。では真実は一体何か?というと、真実というのはどこにもないわけです。Aさんが悪いわけでも、Bさんが悪いわけでもないし物事は起こるべくして起こっていてただそれぞれの内面を見せてくれているに過ぎず、だからこそ何か問題が起こった時、それぞれにとっての立場から気づいてゆく必要がある、ということです。そんなこことは充分にわかっていたはずですがやっぱり自分自身のことは、なかなか気づきにくいのですよね〜。これはおさむの問題だね、と達観してしまっていた私がようやく自分の内面を深く見せられることになりました。例えば、これまで私が「おさむを甘やかしていた」というのが、私自身の抱えている問題だとははっきりとは認識していませんでした。今日のおさむのブログでも書いているように「のりこは、俺のドラエもん〜」と、おさむはよく言っていたのですが私がその意味をちゃんと捉えておらず(人の話は話半分の人なので)聞き流していたわけです。それは私が、のび太の望みを何でも叶えるドラエもんになっているつまりは、おさむを甘やかしているという一つのサインだったのだなあと。(それにしても『ドラエもん侍』ってどんなんよ。)例えば私が一日中セッションをやってどんなに疲れていたとしてもおさむに何か問題が出てきた時には夜中2時でも3時まででもおさむにセッションをやっていました。次の日の朝早くからセッションが入っていようが身体がボロボロになっても関係ない、というかただやらずにはいられなかったわけです。もちろん、それは私自身が選んでやってきたことなので本当に意味では「犠牲になっていた」わけではないのですが「おさむを一流のキネシオロジストにするために最大限サポートしよう」などとという思いが、私の本来の自由さを失うことになっていたとは。いや、どこかでは気づいていたのに、やめられなかったというのが正しい言い方かもしれません。私自身はセッションをするのが大好きだし基本的に、おさむにも言いたい放題、言う人で好きなことしかやっていないので、何も不自由さを感じたことはなかったのですがこの部分では、自由さを失っていたことに、今回あらためて気づいてまるで顔にビシバシ、とビンタされた感じでした。おさむのブログの言葉「さよならドラえもん!! ボクはきみをプリンセスにします!!』ふふ、うれしいけど、期待はせず、話半分に聞いておこういや、夫婦やパートナーとの関係において相手に期待したり、相手を美化したり相手を否定したり、わかってもらえないと被害的になったりどうせこんなものだと達観したりすることなくただありのままのその人を見ることというのは自分の本質が観えていなければ、できないことだなあとあらためて感じます。こういう話というのは、言葉ではなかなか本質は伝わらないので誤解を招くところもあってすべては幻想、とか、真実はない、などという言葉だけを捉えると「どうせ今私が感じていることも幻想だし」などと達観してしまったり、自分の内面を見ようとしなければ問題はず〜と抱えたままになるわけです。そこで、IHヒーリングやキネシオロジーは潜在意識や脳の働きを変化させることで言葉にはできないレベルでの深い理解とともにそれぞれの本質、魂が求めている方向に向かっていくのですがフィボナッチに関しては、いきなりドカーン、と強制終了に持っていかされる可能性もあり、という感じだなあと。(だから、準備が必要になるわけですが)ふふ、こういうことをあれこれ書くと「そんな大きなデトックスが起きたらどうしよう」とフィボナッチを受けることに恐れを抱く人もいるかもしれませんがどちらにしても、本来のその方にとって不要なものはいずれ、手放さざるを得なくなる時が来るものです。それが今すぐなのか、あと20年先なのか、はたまた来世に持ち越すのかぐらいの違いであって、それはこの宇宙の流れから言えばそうたいした違いではないとも言えるのですけどね。(ま、早い方がいい方はぜひ)とにかく、ここ最近は、他にもいろいろな気づきがあったのですがこのあたりの経過は、詳しく話すとまた長くなるので(もう充分長いけど)また次回に話すことにしま〜す。(あ〜セッションレポートやメールの返事も山積みしているのですが、今日はどうしても今の感覚をブログにアップしたくなったので、後回しにしてしまいました)
2015年08月15日
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昨夜はブルームーンでしたね。日が落ちてから、おさむと、いつものようにサンセットパークに行きました。草の上にゴザを敷いて、おさむのギターに合わせて、歌ったり見つめあったり、触れ合ったり、笑ったり、ごろごろしたり♪あ~、こんなシンプルなことが、ほんと最高に幸せだなあと。そうこうしているうちに、ブルームーンのお月様が上がってきました。とても美しいお月様でした。(実際は、こんな青ではないですが)月や星を眺めること、歌うこと、踊ること、草の上にごろんと根っころがることおしゃべりして笑うこと、ハグすること。どんな人でもそうやって、人生を楽しむことはできるのだけど多くの方たちは、そのシンプルな幸せ感を感じていないというか日々の生活に追われたり、状況や周りに翻弄されて本来の感覚を見失ってしまうのだなあと。このブルームーンのハッピーなエネルギーが多くの方々に届いているかしらさて、この日はセッションでもちょっとおもしろいことがありました。この日セッションにお越しになった方の中でフィボナッチを行う、と身体からの指示があった方がいらしたのですがフィボナッチを行う前に必要な調整、として身体からいくつか上げてきた要因の一つが、星座に関するものでした。その方の身体から「水瓶座のネガティブな影響を手放す」というものが反応したのでその方に直接「水瓶座なの?」と尋ねると「いいえ、私は獅子座です」とのこと。「う~ん、でも何度身体に聞いても、水瓶座に反応するんだけどこれはどういう意味かしら?」と、彼女にまた尋ねてみてわかったのは、彼女の両親ともに、水瓶座だということ。それで身体に聞いて、わかったのが彼女の両親は、水瓶座本来の力「クリエイティビティ」や「自由さ」を発揮できておらず水瓶座のネガティブな性質を持っていて彼女はその両親の影響を強く受けているのでその影響を手放す、という調整でした。両親の星座からの影響を受ける、だなんて、これまで考えたこともなかったのですがまあ、身体がそう指し示すのだから、そういうこともあるんだな~と調整を行ったわけですがおもしろいことに、セッションが終わってからおさむにその水瓶座の話をしたらおさむが「今日は水瓶座のブルームーンなんだよ」と言うのでびっくり。私はセッション中は、その日がブルームーンであることもすっかり忘れていたししかも、それが水瓶座なんて全く知らなかったからです。水瓶座のブルームーンの日にセッションを受けられた方がたまたま両親ともに水瓶座で、その影響を手放す調整を行うことになったなんてその意味はどうであれ、おもしろいシンクロだなあと。実は、星座の調整に関してはAcutonic社のチューニングフォークを使って奇経八脈の中のいくつかのポイントに当てればシンプルにできるということが、最近、あれこれやってみてわかったことでした。Acutonic社のプロフェッショナルセットはZodiac(星座の十二宮図、黄道帯) や新月、満月などの波動のチューニングフォークがあるので、それらを組みあわせて使います。(どの奇経八脈に、どのチューニングフォークを当てるのかはそれぞれの人やケースによって違うので、筋反射で見ていく必要があるのですが)きっかけは、先日、おさむがサウンドヒーリングのワークショップを行う前に私がいくつかの調整をした時のこと。スキャンリストからおさむの身体が選んだ文が「乙女座が本来持っている組織力を活性化する」とか「乙女座のネガティブな要因である、優柔不断なエネルギーを手放す」というもので、おさむは乙女座なのでへ~星座って、そんなことにも影響しているのね~と正直、これまで占星術にはあまり興味がなかったのですがおもしろくなり、その後、私の星座の影響も調整してみようと調べてみたら、私に出てきたのは私はお羊座の好奇心や冒険心は、活性化されていると出ている一方で牡羊座のネガティブな側面である怒りのエネルギーをを手放す、というものでした。う~ん、確かに、この怒りはどこから来るのだろうと思ったことが何度かありました。その怒りの感覚は、言葉で表すのは難しいのですが胸が揺さぶられるような怒りでははく、イライラという感覚でもなく「感情的ではない怒り」で敢えて言葉にすると、プリプリ感、とか(ちょっとかわいく表現しすぎ?)アグレッシブ感、というような感じです。そのプリプリ感は、感じて認識された途端あっという間にすぎ去ってしまう感覚なのでこれまで深くは追求しなかったのですがいつか詳しく見てみようと思っていました。普通、怒りに関しての調整で、いつもイライラしている、とかすぐに怒りが湧いてくる、などという方は子供の頃にいい子だった(自分の感覚や感情を抑えていた)とか自由に生きれなかった、わがまま言ったり甘えることができなかった、とかさらには、正義感が強い、いい悪いの価値判断が強い感受性が強い、プライドが高いなどの要因に加えて原始反射や脳幹、神経伝達物質、知覚感覚神経など脳の問題ホルモンバランスや内分泌系の調整になることがほとんどでそれらを調整すると、ほとんどの場合、そういった怒りは収まります。でも、私の場合、そういった要因も以前にはあったものの最近は出てこないのでこの感覚はどこから来るのか不思議だったのですがそれが、牡羊座の影響だったとは。そして、実際にそれを調整した途端、そのプリプリ感がなくなったのです。星座の影響によって、怒りやオーガナイズ力はたまたクリエイティビティや自由さにまで関連しているというのは、ここ最近の新たな発見でした。5月に福岡で受けた占星術のリーさんの占いも生まれた星の位置だけで、ここまで細かいことがわかるのか〜と思うほどの的確さでしたがでも、一方で、例え星の影響から来る問題や要因を伝えられたとしてもそれを調整(ヒーリング)しなかったら、問題はなくならないわけですから逆に知らない方がいい場合もあるな、とも感じたわけです。なので、これまで占星術には興味がなかったこともあるのですがこういった星座の要因も調整できたら、さらに可能性が広がりそうです。もっとも、だからと言って、膨大な占星術を学ぼうという気までにはならないのですがこれから、そういった要因にももっと意識を向けてみようと。ということで、水瓶座のブルームーンの日の気づきでした♪(星座に関しては、今後、また違った気づきがあるかもしれませんのであくまでも今のところ、ですが)
2015年08月01日
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