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昨日夕方、そう、このブログを更新した直後から急に背中に悪寒が走り、体中ゾクゾクと寒気がしました。熱を計ると37度5分、微熱です。初出勤日に体調を悪化させてはマズいので、夜10時にはさっさと寝ました。朝体温を計ると36度、平熱に戻っていました。でも頭は少しボーッとします。食欲も余りありません。しかしながら幸いなことに出歩くのに支障があるほどではありません。無事通勤出来ました。このところ朝夜と昼間の温度差が激しいので体調を崩したのか、それとも水曜日から土曜日まで新潟・赤倉温泉に出かけて、4日間で約千数十kmひとりでハンドルを握っていた疲れが出たのか、あるいはネガティブな内容の日記ばかり書いていた為心身共に落ち込んでしまったか、いずれかが原因だと思います。結構最後の理由が主要因だったりして(^○^)今日は入社説明だけで早めに終わったので、帰宅後念の為に病院に出かけて薬をもらってきました。今はほぼ正常に戻りました。
2006.10.30
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2005年の12月上旬、もうこれ以上この業務を続ける意欲が全くなくなり、退職することを決断しました。まず管理課長に伝え、翌日常務と話し合い「2005年末での退職」が認められました。それにしても呆れ果てたのは、管理課長・常務ともども退職理由を一切確認しなかったこと。マトモな会社ならば、例え分かっていたとしても一応理由ぐらい聞くでしょう。その上で業務改善に役立つものがあれば、それを経営に活かすのが管理者としての努めのはず。もちろん理由を聞いた上で、「あいつの言っていることは個人的ワガママだから、一切取り上げる必要はない」と判断したなら、それはそれで全然構わないと思います。それは会社としての判断なのですから。判断するも何も、人の話を全く聞く意志を持たないのでは、てんでお話になりません。実はこの年の9月に、「滞納関連業務の改善を図る」と大々的に打ち出し、「私が責任を持って改善策を立案します」と管理課長が大見得を切っていただけに、今度こそ何か変わるのではないか?と期待しましたが、完全な期待はずれに終わりました。確かに「改善計画書」なる書類が管理課長の机の上に置いてありましたが、2カ月以上埃をかぶったままで、何も進展している様子はありませんでした。前にも書きましたが、不動産販売と管理部門と、2つの仕事を兼ね合わせていることに無理があるのです。「努力すれば高額報酬が望める仕事」と「努力しても何の得にもならない仕事」の双方をやらねばならないとしたら、余程の聖人君子でもない限り、儲かる仕事を優先させるのは当たり前です。思えば私の前任者が辞めたときも、大して退職理由の確認をした様子はありませんでした。どうやら根本的な解決を図ろうとする意欲がこの会社には全くないようです。とにかく誰か一人に押し付けて、持たなくなったらまた誰かを異動させてまた何年か乗り切る、それの繰り返しです。退職理由を確認されなかった時点で、「ああ、やっぱりこの会社は辞めて正解だ」と思いました。以後の顛末はこれまでのブログに記したとおりです。明日から新たな仕事に就くにあたって、是非一度過去の業務を振り返ってみたいと思い、4回に渡って前職のことを書いてみました。今後は通常通り、日々の雑感を記していきたいと思います。
2006.10.29
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2005年に入り、最初の3カ月位は順調でした。しかし、滞納者の数は増えこそあれ決して減ることはありません。日々の業務はこんな感じでした。ー滞納者との会話ー「いつお支払いいただけるんですか?」「15日頃には何とかなると思います」「それだと12日の家主様振込日に間に合いません。遅くとも11日には入金してもらわないと困ります」「分かりました。何とか努力してみます」しかしながら、11日はおろか15日になっても入金はありません。何の連絡もありません。こちらから電話しても「料金未納」で通じず、出かけても不在の場合がほとんどです。ー家主様との会話ー「最近滞納しがちなAさんはいったいどうなっているのかね?」「当初15日に支払うと言うのを、それでは間に合わないから11日にしてくれと伝えましたところ、”分かりました”と返事をいただいたのですが、当日入金がなく連絡も全く取れません」「困るねえ、お宅にお任せしているんだから、きちんとしてもらわないと」「申し訳ございません。ただここまで滞納額が嵩んできますと、なかなか回収も難しくなります。そろそろ弁護士に依頼する等、法的措置も考えてみてはいかがでしょうか?」(弁護士にお願いすれば、全てお任せする形になり、この嫌な業務から手を引けます)「でもそれではお金がかかってしまうから、引き続きお願いしますよ」「分かりました・・・(かなりガックリ)」「もし可能ならば、あなたの上司も交えてしっかり今後の対策をお話ししたい。一度時間を作って来ていただけませんか?」「分かりました」ー上司との会話ー「例の滞納しているAさんの件はどうなっている?」「これこれこうでああで・・・(これまでの経緯を報告中)。それから家主様が、”一度上司も交えてお話ししたい”とおっしゃっています。一度時間を作っていただけませんか?」「でもなあ、俺も土地売買の仕事の方が忙しいんだよ。(管理課長と不動産売買と兼任です)そんなもうからない仕事になかなか時間を割けないんだよな」「・・・!!!(絶句して言葉が出ない!)」ー本社賃貸営業店長(賃貸部門でもっかの売上NO.1)との会話ー「最近滞納者のAさんの滞納額が増えているんだって?」「確かに嵩んできています」「困るのよねえ。お陰で私たちも家主さんから嫌味を言われるのよ。何とかしてちょうだいよ!」「何とか出来ればやっていますって。何か協力して下さいよ」「そんなの管理課の仕事でしょ!」ー会議の席上での副社長のお言葉ー「最近賃貸部門の人達が休日も使って物件の下見をしたりしています。これは大変結構なことだと思います。家賃滞納に関しても、夜とか朝とか時間を作って努力すること」(ちなみに休日や朝早く、夜遅く動いても何の手当も付きません。タダ働きです)総合して考えるに、嫌な仕事なので誰もやりたがらない。全部一人の人間に押し付けてそれで良いと思っているのです。休日に賃貸営業の人間が動いているからお前もやれ、と言われても困ります。第一インセンティブが全く違います。これは給与計算の複雑な数式によるのですが、もし月次家賃100万円の物件を契約出来たとなると、契約したスタッフには手当として約10万円が支給されます。しかしながら100万円の滞納家賃を回収しても、支給される手当は約500円程度です。10万円ももうかるなら休日に動く人がいてもおかしくないでしょうが、500円増える程度でわざわざ休日をつぶして働く馬鹿がいるでしょうか?ちなみに異動当初の滞納者の数は、毎月口座振替出来ない人が約100件程度、継続的に滞納している人が約30件程度でした。ところが辞める直前には、口座振替出来ない人が毎月250件程度、継続的滞納者は約60件程度とほぼ倍増しました。最初の頃は滞納者リストを仕上げてから、「よし、この100件程度、さっさと電話して終わらしちゃおう!」と前向きに取り組む努力をしていましたが、後半は「何だよ、またこんなに(250名程度)いるのかよ・・・もううんざりだな・・・」と落ち込む感じで、受話器を持ち上げるのすら気が重くて嫌で嫌で仕方がありませんでした。更に、一時期落ち着いていた管理課長が、またおかしな感じになってきました。上記の「もうからない仕事はやらない」発言とかがその良い例でしょう。もしもまた建白書を提出すれば、事態が改善されたかもしれません。しかし私は考えました。かりにあの「ば課長(馬鹿ちょう、とお読み下さい)が担当を外れたとしても、この嫌な業務をずっと続ける状況には何の変化もないんだよな。しかもこの5年で滞納者の数は減るどころか倍々ゲームで増えている。俺がさぼっているのならともかく、やるべきことをやっていてもこの有様だ。こんな仕事をいつまでも続けていても良いのかな?それに会社は営業偏重主義だ。自分より2カ月前に入社した2つ年下のGさんは既に南口店長だし、1年後に入社したひとつ上のTさんはこの春係長になったのに、俺は何なんだ。こんなとこにいつまでもいて良いのかな?」こんなことをずっと考えるようになりました。
2006.10.24
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2003年になると、なぜか滞納者がグンと増えました。しかも悪質なものが多かったです。意図的に支払わず、半年分以上もの家賃を滞らせながら平気で住み続け、そのくせセルシオに乗ったりする輩とか。法的措置も含めて管理課長と共に対処しました。2004年になると社内環境が一変しました。というよりは、管理課長がおかしくなったと言う方が適切かも。それまでは私が相談を持ちかければきちんと返答してくれ、悪質な滞納者に対しては率先して取り組んでくれました。あれは忘れもしない2004年の2月のある日のことです。その直前まで「今度一緒に出かけて交渉してみようぜ」と言っていた案件について、いきなり「あの件はどうなった!何でそんなままでほったらかしなんだよ!さっさと行って来て!」と喧嘩腰の口調で命令するのです。しかも人に背中を向けて全くこっちを見ないのです。余談ですがちょうどその頃読売新聞で、「部下の上手な叱り方、下手な叱り方」なる特集記事が出ていました。上手な叱り方は、しっかり相手の目を見て話し、可能ならば肩に手を添える等して、「君には期待しているから敢えて厳しいことを言うんだ。ただ感情にまかせて言っているのではない」ことを明確にすべしとありました。一方下手な叱り方は、相手と目を会わさない、ただ一方的に厳しい言葉を投げつけるだけ。これでは相手の存在を全く認めていないのと同じ。とありました。このときの状況は、まさに「下手な叱り方」を地で行っています。それ以降、似たような状況が多々発生する様になりました。そして11月のある日についに爆発します。ある悪質な案件に関して、家主様から「もう弁護士に依頼して法的処理を進めて下さい」と依頼され、その場で管理課長に伝え、「分かった。早速相談してみるよ」との返答をいただきました。ところがその1週間後、その家主様と管理課長が直接電話で話し、なにやらトンチンカンな対応をしていました。家主様は一刻も早く退去してもらいたいから弁護士に依頼したのに、管理課長が全く対応していなかったのです。その上、「この状況では相手(滞納者)が住み続けたいといった場合、それを尊重しなければならない」と訳の分からんことを言い出したのです。ちなみにその時点で滞納額は150万円近いんですよ!何が正しいのかが、まるっきり分かっていない。なおかつ意味不明のことを言い出したのです。「それにしても、弁護士に頼むなら頼むで、もっと早く言ってもらわないとな」「もう先週家主様から電話があった時に、その場でお伝えしましたけれども・・・」「いや!俺はそんなの聞いてねえよ!」「聞いてないはずないでしょう。ねえHさん、俺確かに伝えたよね」(その場に居合わせた同僚に確認する)「間違いなくihisakiさん、課長に伝えていましたね」「どうなんですか!!!」(課長はさっさと別の電話に出てしまう)「ったく・・・冗談じゃねえよ!!!やってられるか!!!」怒鳴り、机を叩き、椅子を蹴飛ばし、事務所を飛び出しました。ちなみに私の事務所は5階にあり、1階に賃貸営業店舗がある為、1階でくつろぐことになりました。その後の顛末ですが、この時は事前に管理課長のおかしな振る舞いをその上司である常務に書面で報告していたので、翌日常務と個別に面談して今後の方向性を定めました。いわゆるパワハラに近い状況だったと思います。あれやこれやで一応持ち直し、気分も新たに2005年を迎えることとなりました。しかし、決して事態が好転したわけではありませんでした。続きは後日。
2006.10.23
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昨年まで勤めていた不動産会社のことを書きます。これまでも何度か触れたことはありますが、本格的に書いたことはありませんでした。とりあえず次の仕事が決まったので、これまでの仕事をいろいろと振り返ってみたいと思います。入社したのは2000年(平成12年)の8月です。なぜ不動産会社を選んだかと言うと、それまでの業務で少し馴染みがあったからです。その2年程前、当時在籍していた会社では総務に所属し、会社が独身寮として借り上げている賃貸住宅関係の仕事をしていました。各物件の月次家賃振込手続きをしたり、転勤に伴う入居者が出た場合に物件を探したり、退寮者が出た場合に部屋の退去立ち会いをしたりしていましたので、立場が逆になって同じことを手がけるだけですので、比較的業務に慣れやすいと思ったからです。7月に新聞の求人折込広告で地元不動産会社の「賃貸営業スタッフ募集」の案内が出た為、会長と副社長(2人は夫婦です)の面接を受け、採用が決まりました。入社後1カ月半は順調でした。来店されたお客様の接客をし、ご要望を聞き取りながら適した物件をご紹介し、現地にご案内して室内を見ていただき、気に入っていただければ契約手続きをする、と言った流れです。駅前の店舗で来店客が多いこともあり、1カ月半で4・5件程度の契約がすぐ決まりました。「よし、これなら何とか続けられそうかな!?」と思ったところで予期せぬ事態が発生します。それまで5年近く賃貸管理事務の仕事をしていた社員が、急遽辞めることになったのです。原因はある商業ビルで6件の入居者の内3件もの滞納者が発生し、しかもなかなか払ってもらえないケースばかりで、大家さんからは嫌味ったらしい電話が毎日かかってきて、かつ所属長からも毎日怒鳴られる状況になり、滞納者を訪問しても「ないものはないので支払えない」と開き直られ、同じ部署の自分勝手な同僚女性社員からは「私はそんな仕事嫌いだからやりたくない」と放り投げられ、八方塞がりの状態になってしまったのです。当時賃貸営業にいた私と、私よりも2カ月先に入社した男性社員のどちらかが異動対象になりました。結果としてまだ実績の浅かった私が異動することになりました。もう一人の彼がそれまで営業一筋(年齢は私より2つ下)だったのに対して、私には3年程事務職の経験があったことも作用したかもしれません。せっかく業務にも慣れつつあった時に異動と言われ多少の戸惑いもありましたが、「従来とは違って全面的にバックアップする」との会長の話もありましたので、異動することになりました。全面的バックアップは嘘ではありませんでした。組織の体制も変更し、信用金庫で債権回収に当たった人が「管理課長」となり、大口滞納者等には率先して取り組んでくれました。千件近い口座振替のデータを作成したり、200人程度の家主様への送金データを作成したり、慣れるまでは大変でしたが、異動して数カ月で定例業務に対しては特段の問題もなく取り組める様になりました。そう、少なくとも2002年一杯までは何の問題もありませんでした。業務も順調にこなし、辞めることなど及びもつきませんでした。自宅からバスで10分程度で通えて、近くて便利だなあ、でも本社だと徒歩3分で着いてしまうから、本社勤務になったら近すぎて嫌だなあ、程度のことしか考えていませんでした。それが2003年頃から段々変わってきます。続きはまた次回。
2006.10.22
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就職先が決まりました。といっても契約社員ですが・・・出来れば正社員でと考えてこれまで努力してきましたが、ないものはない!本来ならば失業手当の給付期間中に見つけるべきところ、約3カ月も延ばして挑戦してきましたが、9月中に受験した2社が不合格になった時点で、「夢はあきらめ、まず現実の生活を」に方針転換しました。なにしろこのままでは飢え死に、野垂れ死にする可能性大。そこである工場の契約従業員募集に応募しました。契約スタッフとはいえ各種社会保険完備で、残業をこなせば20万円台後半の収入が得られます。交代勤で夜中勤務があるのが少々不安ですが、それをこなさなければ稼ぎになりません。正社員との大きな違いは、ボーナスがあるかないか。あとは今後のキャリアステップが全く不透明な点でしょうね。それでも現状の収入ゼロよりははるかにマシ。また、前職での滞納家賃回収(平たく言えば借金の取り立てみたいなカスみたいな業務)よりは余程マシだと思います・・・って、実際やってみなければ何とも言えないですけどね。とにかくまずは働かなければ生活が成り立ちません。10月30日(月)から出勤することになりました。来週は最後の「長期休暇」を使って、祖母の墓参りに母親を連れて行く予定です。従って今後このブログの更新も難しくなるかもしれませんが、一応続けていきたいと思いますので、引き続きご愛読下さい!
2006.10.21
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今日は学校を卒業して最初に勤めた会社のことを書きます。学校卒業後約6年間勤務した会社は、大手スーパーD社の孫会社でした。私はD社の子会社に採用となり、更にその子会社(D社から見れば孫会社)に「出向」という形で勤務していました。勤め始めてほぼ3年経過した時、D社が子会社を吸収合併することになり、私のように子会社に籍のある社員は、親会社のD社か、現在在籍している孫会社のどちらかへの転籍を選択することになりました。この時私は、孫会社への転籍を選択しました。更に2年半後、転籍した孫会社は業績不振のあおりを受け、事業所を閉鎖して全従業員解雇と相成りました。この時私には、「あの時D社に行けば良かったのに」という意見が何件が寄せられましたが、私自身は全く後悔しませんでした。なぜかというと、そもそもD社に対して何の魅力も感じなかったからです。そりゃ知名度は抜群ですが、ただデカいだけで売上高に対する利益率はライバルI社の足元にも及びません。その上、全ては創業オーナーN氏の一存で何事も決まる体質。少々アクが強すぎ、私にはついていけません。結局D社はその後赤字がどんどん嵩み、再生機構入り。丸紅傘下となり、これからはイオングループに再建が委ねられることがほぼ確実となりました。もしあの時D社に移籍していたら、恐らく大リストラの嵐に巻き込まれ、早晩お払い箱となっていたでしょう。なんだかんだいっても、結局外様から先に切られるものなのです。実際にD社系列のチェーンレストラン幹部から聞いた話なのですが、そのレストランの店長の殆どが、D社に吸収合併された元「忠実屋」の社員だそうです。合併後1年位は従来通りのスーパー勤務だったそうですが、1年経つと殆どそのレストランに出されてしまうとのこと。そこでは結局朝10時から夜12時までとかの長時間立ち仕事を強いられ、結局その殆どが辞めてしまった、とのことでした。もし私がD社に転籍していたら、恐らく同じ運命を辿ったことでしょう。過去を振り返ると、「あの時、ああしておけば良かったな」と思えることがいくつもあるのですが、「D社に転籍しなかった」という選択は、現在の所唯一最良の選択であったと断言出来ます。もっともそれ以外の選択が、結果として間違いだらけだから今の苦境があるわけですが・・・とはいっても、もう終わってしまったことは仕方がないので、明日に向かって努力するしかないのです。
2006.10.18
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TVCMにてハーゲンダッツの新製品をやっていました。その名も「アフォガート・Affogato(バニラエスプレッソ)」。エスプレッソ味に魅力を感じ、早速買ってきました。今から20年近くも前、初めてハーゲンダッツのバニラアイスを食べたときの感想は、「俺の口には合わん!」といったところでしょうか。何だか濃厚過ぎて、口の中がしつこく感じました。今思うに、安いアイスに慣れきっていた・・・要するに高級アイスの味に慣れていなかったのでしょう。今は違います。勿論好みでない味もありますが、総じて「さすが高級アイスは美味しい」と感じられる様になりました。さて、新製品のアフォガートですが、これが実に美味しい!!!エスプレッソの深みがしっかり再現されており、ファミレスで食べるのと同等程度以上の味にはなっています。自宅で気軽に食べられる点を考慮すれば、これはなかなかの物だと思います。もう毎日でも食べたい位ですが、さすがにそれは無理。ハーゲンダッツは決して安くはないですからね。
2006.10.17
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久々の更新です。先月末に2社の選考が終了してから、気もそぞろで結果として更新を怠ってしまいました。その選考結果が2社とも本日届きました。さあ、その結果は・・・2社ともアウトでした!!!大変残念ですが、これが現実です。あともう少しの所まで到達した実感はあったのですが・・・仕方ありません。甲子園なら準優勝投手でも4球団からオファーが来ますが、就職試験は受からなければ何の意味もありません。いざなぎ景気と並ぶ景気回復期間だそうですが、全然実感に乏しいですね。落ち込んでいても仕方がないので、気持ちを切り替えて新たな方向性を探ります。これまで応援して下さった方々、本当にありがとうございます。またこれから頑張ります!!!
2006.10.13
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今日(3日)は午後から北鎌倉で仕事でした。駅前に12時半集合。駅周辺は鬱蒼とした森みたいに木が生い茂っています。昼から太陽が出て気温もぐんぐん上昇。そのせいなのか・・・セミが元気よく鳴いていました!それにしてももう10月というのに、セミが鳴くのは少々異常ではないでしょうか?少なくとも20年前には考えられない状況だと思います。地球温暖化の影響でしょうか?
2006.10.03
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皆さんは温麺をご存知ですか?漢字でこう書いて、「うーめん」と読みます。宮城県白石市の特産品です。見た目は素麺の様ですが、素麺と異なるのは製造時に油を使用しないこと、また麺の長さが約10センチと、とても短いのが特徴です。私の母親によれば、1970年代には近所のスーパー至る所で売られていたとのことで、要するに素麺、蕎麦、饂飩と同様、実にありふれた商品だったそうです。しかしながら徐々に姿を消し始め、昔は売っていた近所の相鉄ローゼンなる中規模スーパーでは影も形もありません。大型店ならどうかと、ジャスコを探しましたが見付かりません。じゃあちょっと高級そうな成城石井ならどうだ、と探しましたがやはりありません。最終的に横浜そごうで見つけることが出来ました。それにしてもいつから、どうして幻の麺になってしまったのでしょうか?せめて市内で買える状態に戻って欲しいものです。肝心の味は勿論美味。麺類が嫌いでなければお薦めです!
2006.10.01
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