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昨日は車ネタでした。そこで今日は・・・「くるまじゃないよ、くま」(byヒッキー) 熊さんネタにします。ある日の休憩時間、廊下の長椅子に座っていると、熊さんが出てきました。「おかしい、ボールペンがいなくなっちゃった。どこかに逃げ出したのかなあ?」内心私は、”また妙なこと言い始めたぞ。ボールペンは生き物じゃないんだから、「いなくなる」じゃなくて「なくなる」が正しい表現でないの”と思いつつ、「どうしたんですか?」と聞くと、熊「100均で買ったあの子がいなくなっちゃったの。どこかに逃げちゃったのかなあ?」私「・・・・・・」(反応出来ず)なんで熊さんがこんなことを言いだしたかというと、熊さんの使っているボールペンは、クリップの部分に「くまのプーさん」がデザインされています。これを見た若い人達も、「熊さんだけにプーさんのボールペンなんてピッタシ。熊さん可愛い」なんて言っていました。本人も愛着があるんでしょうね。だからこその発言なんでしょうけれども・・・ちなみにその日の夕方には無事「戻ってきた」みたいです。この熊さん、発言内容は西村知美や浅田美代子を彷彿とさせます。外見は加藤あいを老け込ませ・・・もとい、グッとアダルトにした感じ。つまり黙っていれば結構な美人なんです。こういうヘンテコ発言をする天然系の人、疲れるから苦手という人もいるみたいですが、私は結構好きです。格好の笑いのもとになりますので。
2007.07.29
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今朝久し振りにクルーガーハイブリッドとすれ違いました。約数ヶ月振りです。そんなこともあって、今日は久々の車ネタです。近頃省エネ運転が流行とか。エコ運転とも言うらしいですが、要するに燃費を良くする為の運転です。具体的には1.急加速、急発進、急ブレーキ等、急のつく動作をしない。2.加速時はなるべくゆっくりアクセルを踏み込む。3.ある程度スピードにのったら、アクセルを緩める。4.前方に赤信号や渋滞を見つけたら、すぐアクセルを緩めて惰力で走る。これらの項目を実行するだけで、燃費が良くなるそうです。私もなるべくこれらの項目を実行する様にしています。私の車には燃費計が装着されています。朝の出勤時は渋滞情報を受信する為、カーナビとして使っていますが、夜の帰宅時は燃費計を表示させて使っています。そうすると、省エネ運転を実行するだけで燃費がグングン良くなることが数字で示されるので、とても楽しいです。下記は先週木曜日帰宅直後の燃費計画像です。ご覧の通り、リッター14.8kmを記録しています。そして下記はその翌日の帰宅時の画像です。省エネ運転を心がけたお陰で、リッター15kmの大台にのりました。なおカタログ上の燃費は、17.8kmとなっています。これでもノーマルのガソリン車と比べてかなり良いはずです。ちなみにガソリン車の燃費は・・・調べて書こうと思ってビックリ!トヨタのホームページからクルーガー及びクルーガーハイブリッドが削除されています。いつの間にか廃盤になっちゃったんですね。ということはこれ以上増える見込みはないわけだから、私の愛車はかなり希少価値のある存在になってしまったのでしょうか?今でさえ異常に少ないのに・・・ちなみに省エネ運転は、あくまでも安全あってのものです。危険回避の為にフルアクセルが必要な場合には、躊躇せず踏み込みましょう。ガソリン代をケチって事故を起こしてしまっては、修理代、弁償等、かえって高くつきますので・・・
2007.07.28
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神奈川県内には数多くのシネコンがあります。複数のスクリーンを兼ね備えている為、様々な作品を上映出来、幅広い客層を取り込むことが出来ます。神奈川県内のシネコン分布を見て、非常に疑問に思うことが出てきました。それは・・・厚木・藤沢両市には、なぜシネコンがないのか?厚木市の人口は約22万人。かたや相模川対岸の海老名市は12万人。ところが人口、面積ともに遙かに小規模な海老名市にはシネコンが2館も存在します。それなのに厚木市内にはゼロ。藤沢市の人口は何と40万人!近隣の茅ヶ崎市は22万人、平塚市は26万人。茅ヶ崎、平塚両市にはそれぞれシネコンがあります。ところが遙かに多くの人口を有し、面積もこれまた広い藤沢市内にはシネコンが全くありません。まあ各企業の経営方針と言ってしまえばそれまでなのでしょうが、この2つの市にシネコンが存在せず、建設計画すら聞こえてこないのは、どう考えても不思議でなりません。
2007.07.22
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7月16日(月)に新潟県中越沖地震が発生し、柏崎市内を中心に甚大な被害が生じています。被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。さて、16日のニュースで被害状況を見ると、新潟県上越市内でも家屋倒壊があり、長野県飯綱町ではコンビニの商品棚が散乱したとか。これを見て私は、中間地点の妙高市も大きな被害を受けているんだろうか、と心配になりました。しかしながら妙高市の被害状況はさっぱり伝わってきません。そこで現地に電話してみると、随分長く揺れたけれども、物が落ちるとかそういったことは一切なしとのこと。妙高市観光協会のホームページを見ても、妙高山麓一帯に地震被害は一切ないとのこと。つまり赤倉温泉も何の影響もないと言うことです。これを聞いて、昔の人の偉大さを思い知りました。赤倉温泉の開湯は、約190年前の1816年、江戸時代文化年間です。その時に我が5代前のご先祖様も一緒になり、高田藩主の命により現在の地に温泉街を開いたのですが、源泉は更に3km山を登った地点にあるので、別に現在の地点に温泉街を形成しなくても良かったのです。しかしこの場所は余程恵まれていたらしく、過去に天災の影響を殆ど受けたことがありません。地震、台風、火山噴火、豪雪、土石流とあらゆる災害が起きても、温泉街には何の影響もありませんでした。象徴的なのが1978年(昭和53年)に発生した土石流災害です。近代になってから形成された温泉街が土石流に飲み込まれ大変な被害が生じた中で、江戸時代から続く温泉街には全く被害がありませんでした。開拓時に地盤、地質調査をしたわけでもなし。それにも関わらず200年近く無事に過ごせているということは、この地を選んだ先人の慧眼に感服せざるを得ません。今年は赤倉温泉に2回程行く予定があります。皆様も是非お越し下さい。
2007.07.21
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6月16日の日記で「虫の知らせ」について書きましたが・・・またです。またやっちゃいましたよ。普段と変わった行動をとったら、またお別れです。今回の登場人物は、T・AカップルとNさんです。どんな人物かは、5月19日の日記を参照して下さい。6月最後の金曜日、日勤での勤務でした。この日A氏は発熱の為休み。Tさんは前週からずっと残業続きでした。夕方Nさんがやって来て、「今日Tさん、6時15分であがれるみたいよ。よかったね!」「ああそう、じゃあA氏の看病も出来るじゃない!良かった良かった」なんて会話を交わしました。私はこの日残業の為、一旦休憩に出て6時少し過ぎにクリーンルームに入りました。普段ならば入って真っ直ぐ自分の担当するエリアに向かいます。ところがこの日はなぜか、”そうだ、まだTさんが中にいるから、Tさんのところに寄って挨拶していこう”と思い立ち、Tさんの元へ向かいました。するとTさんもちょうど作業が一段落したところで、少し余裕があるみたいです。私「今日はもう終わりなんですってね。良かったね。帰ってゆっくりA氏の看病でもしてあげてね」T「はい、ありがとうございます!」私「とにかく2人共無理し過ぎないでね。体を大事にしてね」T「本当にどうもありがとうございます」こんな会話を交わして、自分の作業エリアに向かいました。何でこんな行動を取ったのか、今考えても不思議でなりません。次の週からは夜勤。夜勤時の夜中50分休憩時には、Tさんとピッタリ重なることが多いので、”来週はまた色々とお喋り出来るな”としか考えていませんでした。それなのに、”今日はちゃんと挨拶しないといけないな”と無意識に行動したのです。次の週の月曜日、A氏は来ましたがTさんは休み。風邪による体調不良とのこと。A氏からうつってしまったみたいです。次の日、A氏もTさんも休みです。嫌な予感がしました。というのも、ここのところA氏が色々とストレスを抱えて、「もう限界だ、近い内に辞めるかも」ともらしていたのです。私とT・Aカップル、Nさんの4人は皆仲良しでしたので、この辺の事情はよく知っていたので、Nさんも「ちょっとヤバいんじゃないの?」と気にしていました。でも金曜夜に私にはA氏から、NさんにはTさんからそれぞれ電話があり、「来週からは出勤します!」と言ってきたので、2人して”本当に良かったね”と手を取り合って喜んだものです。しかし月曜日の朝、2人共来ていません。Nさんと、「今日来ないと、段々来づらくなっちゃうんじゃないのかな?」と不安げに語り合いました。そしてその日の10時休憩時、先に出て戻ってきたNさんと、更衣室で会いました。見るとこの世の終わりのような暗い表情です。それを見て全てを悟りましたが、Nさんが話しかけてきます。「さっきTさんからメールが届いて、2人共退職することにしました、ですって」うわあ、一番聞きたくない結果だなあ。それを聞いた瞬間、思わず倒れ込みそうになりました。もし人目がなければ、思いっきり泣きたい位悲しい気分です。私も外に出て携帯を見ると、A氏から同様のメールが届いていました。結果としてあの金曜日にTさんと挨拶をしたのが最後の会話になってしまいました。なぜ?どうしてなの?どうして私がふと思い立って普段と異なる行動をとるとこうなってしまうのでしょうか?連休中に一緒に忍野八海に出かけたことからも分かるとおり、T・Aカップルとは単なる職場の同僚を超えて、”歳の離れた友人”となっていただけに、大変なショックです。でも別の人からはこうも言われました。「Tさん、あれっきり突然来なくなっちゃったから、私なんか満足に挨拶もしてないんですよ。それに比べれば、ihisakiさんは最後にちゃんとお別れの挨拶が出来たんだからラッキーじゃないですか」そうか、そういう考え方もあるよね。T・Aカップルが来なくなってもう半月が経過しようとしています。職場と更衣室の長い通路を歩いていると、色々なことが思い出されます。途中の桜並木が目にはいると、私「ほら、見てごらん。朝はまだ蕾の多かった桜がほぼ満開になっているよ」T「うわあ、本当だ!綺麗ですね!」そんな会話を交わした3月末を思い出したり、雨が降れば、A「すごく図々しいお願いなんですけれども、途中まで僕とTの2人を車に乗せてもらえませんか?」私「全然構わないですよ。1人で乗るのも3人で乗るのも一緒だからね」そんなやりとりを思い出してしまいます。そしてどこかから2人がひょっこり現れて、A氏の「お疲れっす!」という元気な声、「お疲れさまです」というTさんの飛び切り爽やかな笑顔に出会えるのではないかと思ってしまいます。そんなことあるはずないのにね・・・よくモーニング娘。の卒業コンサートで、卒業するメンバーを涙涙で見送る儀式がありますが、”別に死ぬわけでもないのに大袈裟な”と思っていたのですが、いやいや、自分がその立場になってみるとよく分かります。これまで毎日会っていた気の合う仲間とそうそうは会えなくなる、別れがこれ程辛く寂しいものだとはね・・・当初はここで締めようと思ったのですが、あまりにもしんみりし過ぎなので、長くなりますがもう少し続けます。T・Aカップルは会社は辞めましたが、人生を辞めたわけではありません。私はA氏と、NさんはTさんとそれぞれ連絡を取り合っています。最後は私とNさんの会話で締めたいと思います。私「昨日A氏と電話したんだけれども、凄く元気そうで安心したよ」N「私もTさんと電話した時にA氏と代わって貰ったんだけれども、ホント元気そうでした」私「お別れは辛いけれども、これで良かったんだよね」N「そうですよ、取り敢えずは余計なストレスから解放されて良かったと思いますよ」私「今度ウチら有志で慰労会でも開いてあげようよ」N「そうですね。私も預かっていて渡す物があるから会いたいし」私「あの2人には本当に幸せになってもらいたい。これまで本当に頑張ってきたんだもの」N「そうですよ。いい仕事が見付かって、早く結婚出来れば良いのに」私「ところでNさんは辞めたりしないでしょうね。最近僕と仲良くなった人が皆いなくなっちゃうんで凄くショックなんですけれども」N「私は大丈夫ですよ。ihisakiさんこそ大丈夫ですか?」私「まだまだ大丈夫です。さあ、今日も忙しくなりそうだね。お互いに仕事を頑張ろう!」N「そうですね!今日も頑張らないと。さあ、行きましょう!」
2007.07.14
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昨日7日(土)は実によく寝ました。先週は夜勤の勤務週。定時間は20時40分から5時45分までです。でも色々と忙しかった為、5日間の内3日は8時半まで、週末2日間は8時45分までの勤務となりました。帰宅後11時半頃に就寝し、全く目覚めることなく家族の「いつまで寝ているのかな?」との呼び声で目を覚ましたのは夜7時過ぎ。その日の夜は昼寝の反動で全く眠れなかった・・・なんてことがある筈もなく、夜11時半には就寝し、今朝7時までグッスリ眠りました。明日からの日勤に向けて、時差調節は完璧に終了しました。さてタイトルの話題ですが、よく行くラーメンチェーンの花月にて、期間限定メニューとして「GTR3」なるメニューが出ました。GTRといっても車ではありません。ガーリック(G)トマト(T)ラーメン(R)の略です。過去2回登場し、今回が3度目の登場となる為、GTR3です。2年前に同様のメニューを食した時は、あまり感心しませんでした。だから今回は食べるのはよそうかと思ったのですが、”期間限定”と謳われるとどうも弱いですね。ついつい頼んでしまいました。で、実際に食べてみての感想は”意外と美味しいんじゃないの!?”というものです。今回の方が空腹だった為でしょうか。でもそれを差し引いても、本当に美味しく仕上がっています。スープの味はスパゲティミートソースと同じ。中にはホールトマトが入っています。そしてプチトマトが1粒、アクセントになっています。ミートソースをスープパスタにしたような感じでした。到底前回と同じ物とは思えない程、美味しくなっていました。やはり実際に食べてみないと分からないものです。食わず嫌いはいけません。
2007.07.08
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いよいよ7月となり、今年も残すところ半分となりました。そこでこんなタイトルを付けてみました。とはいうものの、壮大なタイトルの割には、大した展望があるはずもなく、単なる雑談です。今年1月5日の日記で、「亥年はどんな年?」という内容の日記を書きました。その中で、過去3回の亥年はいずれも年初と年末では全く環境が変わった旨書きました。で今回の亥年ですが、現在のところさしたる変化はありません。私の心境としては、現状は程々にうまくいっているのだから、特段変わらなくても良いんじゃないのかな?というのが正直な気持ちです。勿論不満、不安もいくつかあるのですが、人間関係面においては、過去10年間で最良と言って良いでしょう。仕事面においても、まあまあの水準だと思います。もっとも前回亥年の1995年は、勤務していた会社の解散発表があったのは9月。その例でいけば、まだまだ何があるか分かりません。ただどう変わるにしても、今時流行らない言葉かもしれませんが、出来れば「仲間皆で幸せになりたい」と願っています。
2007.07.01
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