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今日も引き続きの江ノ電ネタです。私が初めて江ノ電に乗ったのは、今から30年以上も前の、幼稚園児の頃です。母親の友人が稲村ヶ崎に住んでおり、そこを訪ねるときに初めて乗りました。
当時の藤沢駅南口はまだ再開発前で、江ノ電藤沢駅は現在のビル2階ではなく、小田急・国鉄藤沢駅にピッタリくっつく辺りまで線路が延びていました。最初に思ったのが緑の多さ。ホームには立派な木が何本も植えてありました。電車に乗り込んで感じたのは、「何だかバスみたい」ということです。当時のバスは床が木製でした。その頃の江ノ電は旧型車両の全盛期。当然の事ながら床は木製でした。
また、「随分短い電車だなあ」と思いました。国鉄東海道線は当時から15両編成が当たり前。かつ先頭もしくは最後尾に1両ないし2両の荷物電車を連結した編成も多かったので、堂々17両編成という電車もありました。それより前に住んでいた所の沿線の東急東横線だって、8両程度はつないでいましたから、それに対する江ノ電の2両編成は、とても短く感じました。
幼少時のことですから、何から何まで覚えているはずもないのですが、最も印象に残ったのは江ノ島~腰越駅間です。江ノ島駅を発車すると電車は左にカーブして、併用軌道区間に飛び出します。つまり道路を走るのです。当時の私は路面電車など乗ったこともなく、「何これ!何で道路の上を電車が走っているの!凄い面白い!」と無邪気にはしゃいでいました。それ位新鮮な驚きでした。
腰越の隣に鎌倉高校前という駅があります。その名の通り、県立鎌倉高等学校の最寄り駅です。小学生になってから、私は無邪気に言いました。「僕は将来鎌倉高校に入る。そうすれば毎日江ノ電に乗れるんだもん」。まあ、小学生らしい可愛らしい発想です。しかしその夢が実現することはありませんでした。というのも、1970年代末期に学区の細分化が行われ、私の住む地域からは、藤沢・鎌倉市内の高校は別学区となり、進学は不可能になったからです。
と書くと、学区変更で被害を被ったみたいですが、そんなことはありません。もし同一学区だったとしても、恐らく鎌倉高校への進学は無理だったでしょう。この地域のトップ校は、旧制中学の流れを汲む「湘南高校」です。ご年輩の県外在住者に「ご存知の神奈川県の高校は?」と訪ねると、まず間違いなく「湘南高校」と答えが返ってくる位、各界に著名人を輩出している、この地域というよりも、神奈川県を代表する進学校です。
そしてその次が、旧制高等女学校の流れを汲む「鎌倉高校」なのです。無謀にも私は、地域No.2の名門校に進学したい、と言っていたわけです。ただ江ノ電に乗りたいが為に。
結果として江ノ電で通学とはおよそかけ離れた、自宅から徒歩3分、自転車なら1分未満で通えるT高校に進学することとなりました。けれども私は大満足です。なにしろこのT高校、校風、先生方、学校行事、部活動、クラスメイト、どれをとっても不満なところが全くない、非常に楽しい学校だったからです。同じ市内の高校を見てみると、CH高校には学力で劣り、C高校ほどの歴史と伝統もないですが、私はT高校に通えて大満足でした。
やっぱり混んでいました 2007.05.03 コメント(6)
桃も桜も花盛り 2007.04.08