ハキーム・サナーイー



ハキーム・サナーイー
Abul Majd bin Majdud


本名をアブル・マジュドゥードという。

ガズナ期末期の宮廷詩人だったが、スーフィー詩人となり、

神秘主義思想を詩の形で表現した。

1150年没

Sana’i was born in the province of
Ghazni in southern Afghanistan.
He was one of the three great mystical
mathnavi writers of Persia,
the second being Shaikh Faridu'd-Din 'Attar
and the third jalalu'd-Din Rumi, who write;

“Attar is the soul and

Sana’i its two eyes,

I came after Sana’i

and 'Attar.”





盲人と象

ganesha


アフガニスタンの東方に、盲人だけの住む街があった。

ある日、王に率いられた軍隊がやってきて、郊外の砂漠に露営した。

王は一頭の大きな象をつれてきていたが、

それは戦闘のためだけでなく、

人々に自分に対して畏怖の念を抱かせる為でもあった。


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やがて象の噂で騒然となった盲人の街から、真相を知ろうとして、

何人かの者が狂ったように駆けつけてきた。



彼らは象というものを全く知らなかったので、

各自が手探りで象の体に触れ、お互いの体験を話し合った。

そして、誰もが少なくともその一部に触れていたので、

自分こそが真実を知っていると思い込んだ。


banarbanarbanarbanar


彼らが同胞のもとへ帰るとすぐに、間違った道を歩んでいるものから

真実を学ぼうとする誤った情熱に駆られた大勢の人々が集まってきて、

口々に象について尋ね、一言たりとも聞き逃すまいとした。



耳に触ったものはこう答えた。

「大きな、ざらざらした、平べったい生き物で、

まるで絨毯のようだった。」



「いや、そうではない」

と、鼻に触ったものが反論した。

「管のような体をした、獰猛で危険なやつだ」



足に触ったものはこう言った。

「丸くて、太くて、がっしりした、柱のような生き物だ」



全員が象の体の一部しか触れていなかったので、

その理解は不正解であり、全てを知るものは一人もいなかった。


banarbanarbanarbanar


真の知識は盲人には無縁である。

全ての者が何かを思い描いてはいたが、

それは事実に反するものであった。

被造物は神の本質を知ることが出来ないし、

通常の知性に基づく学問にそれを知るものはいない。


参考文献「スーフィーの物語」




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この物語は、ルーミーの「精神的マスナヴィー」

(ペルシャ語のコーランとも呼ばれる)文献に収められています。

ここで紹介したのはそれよりも古くルーミーの師、といわれた

ハキーム・サナイが「壁に囲まれた真理の園」にかかれたものです。

何世紀も前からこの話は語り継がれているようです。

トルコ滞在中も、頻繁にこの話をききました。

OSHOもよくこの物語を講話で話したと覚えています。

スーフィーの物語はその話の奥にふかーくするどい教えがあります。

注意してよまないとね。私達はいまだに眠りこけた盲人ですから・・・。

では、もうひとつ。

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頭の弱い男と駱駝の話



camel


気ままに草を食べているラクダを見て、

頭の弱い男がこういった。

「お前の体はずいぶん曲がっているな。

どうして、お前はそんな変な格好をしているんだ?」

ラクダは答えた。

「私の体が変だと思うのは、

お前が誤った印象に基づいて判断しているからだ。

そのことに気づきなさい。

私の曲がった体を、私の欠点だと思ってはならない。

弓にはまっすぐな糸だけではなく、

曲がった部分も必要なように、

私のこの姿にもそれなりの機能と理由があるのだ。

愚か者よ、去れ!

馬鹿者の理解は、しょせんその本性を超えることはない・・・」


     ===ハキームサナイ「壁に囲まれた真理の園」===





「復活した聖者」メブラーナ・マジュドゥード(ハキーム・サナイ)

主観的な印象や条件付けられた判断がいかに信頼できないかを
さまざまな観点から描いている。

「ゆがんだ心の鏡には、天使の顔も悪魔に映る」


参考文献「スーフィーの物語」
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では、またまた、もうひとつ
OSHO講話録「UNIO MYSTICA」より

===ハキームサナイ「壁に囲まれた真理の園」===







彼は自分自身を知らない

どうして他人の己を知り得よう

彼が知っているのは、自分の手足のことだけ

どうやって神を知り得よう

これは賢人の理解を超えている

あなたは愚か者に違いない

もし、あなたがそれを知っていると思うのなら

これを説明できるとき、

信仰の純粋な本質を知るだろう

その時までは

信仰とあなたにどんな共通性があろうか

黙しているがいい

知識人であるかのように無意味なことを語るより

信仰はどんな衣にも紡がれはしない



あなたはワークのために生まれた

誉ある衣(ローブ)があなたを待つ

どうしてあなたが、ただのぼろ布で満たされよう

もし一月に60日を怠けていたら

どうやって富を手に入れられようか

あなたが、何を知っているかを知るために

静かでありなさい・・・・深山のように



そして、不幸によって

心を痛めることのないように

静けさのない知識は

灯りのないろうそく

共にあって、それらは蜂の巣

蝋なき蜂蜜は気高きもの

蜂蜜なき蝋は、焼かれるだけのもの



生まれては朽ちるこの住まいを去れ

この穴蔵を去れ

そして、さだめられし家へと向かえ

このほこりの山は蜃気楼

炎も水のように映る




「UNIO MYSTICA」Osho talks On Sufizm,
 By Hakim Sanai[The Hadica tuall Haqikha]
「The Walled Garden of truth」(English Tittle)より




また OSHO BOOK 「ユニオ・ミスティカ」は
ハキーム・サナイの「壁に囲まれた真理の園」
を題材にした講話録です。 UNIO
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もどうぞ





kabe
よろず、何事にあれ

捜さなければ見つからぬもの

ただこの友だけは、不思議なことに

見つけてからでなくては捜せない


= サナーイー =



bara
ハキーム・サナイ
壁に囲まれた神秘の園
OSHO「UNIO MYSTICA」より

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純粋な人は結びつける
二つをひとつに

愛の人は結びつける
三つをひとつに

しかし、私は恐れる
あなたの無知と愚かさが
橋の上で立ち往生させることのない様にと

彼は提供者だ
誠実さと世の善の
彼は我々の生の手配人に他ならない
彼は専制君主ではない
あらゆるものを受け取るかわりに
彼は七十倍にして返す
そしてひとつの扉を閉じたら
彼はあなたに十の扉を開く

彼は汝を慈しむ
汝が汝自身を慈しむ以上に

立ち上がれ
おとぎ話に別れを告げ
欲望を置き去りにして
私の元に来なさい

あなたは悟らなくてはならない
それが彼の導きだということを
それはあなたを道にとどめる
それはあなたの力ではないということを

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真理というのは
つねに壁に囲まれた神秘の薔薇の園のよう。
と、おもふ。
容易に見つけることも出来なければ
そこから容易にだれにでもかれにでも
壁向こうにまで、その姿は広められない。
香ってはきても、どこからそれはやってくるのか
探さなければみつけられない、
そのような感じ。
ハキーム・サナイの「ザ・ハディーカ」は
そんな私の探究心を揺さぶるようなタイトルだ.


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