死して成れ



rumi,shams


神のもとでは二つの”我れ”は並び立たない。
そなたは「我れ」と言い、神も「我れ」と言う。
そなたが死んで神が残るか、
神が死んでそなたが残るかだ。
そうでなければ”我れ”が二つ並立することになる。


だが、神が死ぬということは、事実上あり得ないことだし、
また心の中で想像することもできないことである。
「神こそは永遠の生者、不死不滅」なのだから。
神の恩情は限りないから、もしも可能であるならば、
神が自ら死してそなたを残し、
そうすることで二つの”我れ”の並立を避けるようになさるかもしれない。
だが、神が死ぬということはあり得ないことであるからには、
そなたが死ぬほかはない。
そなたが死んで神の露堂々たる顕現を待ち、
そうすることによって二者並立を滅却するのだ。


二羽の鳥をくくり合わせてみるがよい。
二羽はお互いに同類であり、
元来二つの翼しかなかったものが四つの翼を持つことになる。
しかし、飛ぶことはできない。
二者並存だからだ。
だが死んだ鳥を生きた鳥にくくりつけても、
生きた鳥は飛ぶことができる。
二者並存の状態ではないからだ。


太陽の恩沢は浩々として無辺だから、
できることなら一匹の蝙蝠(こうもり)の為に死することも辞さないであろう。
だが、太陽は死ぬことはできない。
そこで蝙蝠にこう言い聞かす。
「蝙蝠よ、わが恩沢は万物に偏りなく行き及ぶ。
お前の為にも何かしてやりたい。
幸いお前は死ぬことができる。
だから死ぬがよい。
死んでわが栄光の輝きに与り、
蝙蝠から転身してわが霊峰を飛翔する不死鳥と成れ」
と。

・・・中略・・・

sema


神が無になることは不可能である。
と、すれば、こちらが無になるのが唯一の道だ。


=抜粋=  ルーミー語録 [談話 その六] 
      邦訳:井筒俊彦 


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