霊性の知識

cosmos

この世で、人が学習と勉強で獲得する知識はことごとく”もの”の知識であり、
死んだ後に始めて実現する知識は霊性の知識である。
(「死」とはここでは精神的死、自我の死を意味する)

*「我こそは神」と”知る”事は”もの”の知識であり、
 「我こそは神」に”成る”事は霊性の知識である。

     *(ハッラージュの有名な「酔言」、前出)


ランプの光や火を見る事は”もの”の知識であり、
火の中に自ら燃え尽くし、ランプの光の中に消融してしまう事は、
霊性の知識である。


何によらず、そのものの本性を直観する事は霊性の知識。
何によらず、ただそのものを外から知る事は”もの”の知識である。


直観、直接にものの本性を見抜くことだけが実在を知ることであって、
その他の知識は全てものの形象を知る事にすぎない、と考えていい。
例えば、建築家が構想を練って学校の建物を心に描く。
どんなにその構想が正確でぴったりしたものであっても、
それはただの想像図である。
実際に学校を建てあげた時に、始めてそれは実在となる。

・・・以下、略・・・

「ルーミー語録」訳:井筒俊彦







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