ルル公日記

ルル公日記

PR

Profile

るる公

るる公

Free Space

☆登場人物☆

るる公・・・ねーちゃん
るる公の旦那・・・にーちゃん
るる公義父・・・おとーちゃん
るる公義母・・・おかーちゃん

るる公の愛犬・・・ルル

Calendar

Archives

2025.11
2025.10
2025.09
2025.08
2025.07

Comments

るる公 @ Re:お花見散歩♪(04/02) kurumiさん☆ 最近ね・・・ カメラ向ける…
kurumi6678 @ Re:お花見散歩♪(04/02) ルルチャンなんだか眠たそう(*^^)v 一杯歩…
るる公 @ Re:12歳になりました♪(12/02) kurumiさん☆ ありがとうございます♪ あっ…
kurumi6678 @ Re:12歳になりました♪(12/02) ルルチャン誕生日おめでとう(⌒▽⌒)/゜・:*…
るる公 @ Re:ルルたんと家で(11/12) mickeyママ☆ こちらは~ 気まぐれで更新…

Favorite Blog

イチローな毎日 イチロー王子の母さん
**HappyNaturalLife** ♪tomochama♪さん
ゆっくりね ラブドルフィンさん
☆トイプードルCookie… ☆みかちとCookie☆さん
2009.01.30
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類

こんばんは~星

今日はルルのおNEW♪の服をご紹介

ジャーーーン

IMG_3485.JPG

「似合ってる?」

IMG_3486.JPG

「ねーちゃん最近いろんな物買いすぎだよ・・・」

ハイ・・・
実は服以外にも

それは後日に紹介するとして

みなさんのブログを拝見するようになって
お洋服着てるワンちゃんが可愛くて可愛くて
ルルはもともと裸族で
お洋服を着せるのは、おかーちゃんも反対派・・・(だった・・・)

でも、買ってきたら買ってきたで

可愛い~と家族みんな大喜び
本人は迷惑???

でも、最近嫌がらなくなってきたんですよね~

なので、また買お~っと

ルルの日常をお楽しみの方はここまでで~すスマイル

では、また明日~

にほんブログ村 犬ブログ ビーグルへ


今日は母の7回目の命日でした
ここから先の日記は
母について、自分が覚えてるうちにと書いた日記です。
かなり重たい話(しかも長い・・・)かもしれませんので
読み逃げしちゃってくださいね~スマイル


****************************

今日は母の命日

ほんとに早い・・・
もう7年です。父の時も書きましたが、まだ亡くなったという実感がない
でも月日というのは正直で、当時の事も少し忘れている部分もあったり・・・
なので、今回は自分の為に母の事を書こうかと思いました。

母の病気は肺がんでした。
まだ若かったので進行も早かったのかな~

日頃から咳をしていた母。風邪の延長だと自分は言い張っていたけど
あまりに長い期間・・・
家族も親戚も、いい加減病院に行けと言い続けてましたが
本人はなかなか行かず・・・
誰でも病院に行くのは怖いですよね

でも、さすがにしんどく、声まで嗄れて・・・
自分から病院へ行くと言いました。

近くの内科でレントゲンを撮ってもらったら
肺が真っ白・・・
大きい、呼吸器科のある病院を紹介されました。

この時点で父は
「覚悟しておけ」と母や私に言っていたのですが
母も私も「なんでやろ?」「湿布の貼りすぎ?」とか
何とか悪い事を考えないようにしていました。

紹介された病院へ行く日
母の妹(テン母ねーちゃん)と父の姉(Mおばちゃん)も心配して
一緒に付き添ってくれました。

診察の結果
やっぱり癌・・・
しかも、左胸の心臓に近いところで、拳ぐらいの大きさ
もちろん、手術は無理・・・

これから、検査で癌の種類などを調べます
とりあえず、今日から入院です
そう言われて母と私は診察室をでました。

でも、おば二人はまだ診察室で話を聞いていました・・・

待合室で、母と私は
「やっぱり癌やったか・・・」母
「でも、これから検査で良性、悪性など調べるし
とりあえず入院してたら安心やん!」私
「そやな、良性やったらいいのに!
病院にきたら、なんか安心して楽になったわ」母

と、何とか悪い事を考えないようにしていました。

母はそのまま入院

帰りの車の中で・・・
「余命3ヶ月~半年ぐらいかも・・・」とおばに聞かされました。
診察室に残ったおば二人は、詳しく話しを聞いたのでしょうね
それでも、どうしても悪く考えたくなくて
「大丈夫やって!検査してみなわからん」と思っていました。

家に帰ったら、父にも散々「覚悟しておかなあかん!」と言われ
だんだん「ほんまにあかんの?」と思いはじめました。
でもなんだかその時は父に腹が立ち、ケンカ・・・
そんな時、確かテン母ねーちゃんが電話くれたよね?
私を心配し「大丈夫か?」と・・・
その言葉で一気に線がプチンと切れ、号泣してしまいました。


それから、母の闘病生活がはじまり・・・
カテーテルを試すも、母の血管が細すぎて断念
結局、副作用覚悟での抗がん剤治療が始まりました。

母は小柄だったので薬が強すぎた?のか
かなり副作用がきつく、一時無菌室に入りました。
体重も30キロだい
もちろん髪の毛も・・・

でも、このきつい抗がん剤が効いたのか
癌も今のところは影がなくなり
1週間後には元気になって
外泊
そして、一時退院もしました。

退院して、少しの間は母を気遣い
いろいろお手伝いをしていたのですが
数ヶ月が経つと、またまた母に甘えた生活・・・

家は貧乏でしたが
一人っ子、一人娘で育てられ
今思えば、かなり甘やかされてたと思います。
恥ずかしい話ですが
母が入院するまで、ご飯も炊いたことナシ・・・洗濯もしたことナシ・・・(最悪)

母が入院してありがたみが分かったはずなのに
退院して、ちょっと元気になると
「ちょっとは身体動かした方がいいよ!」
と、わけのわからん言い訳で家事を任せていました。

こういうのって、亡くなってから
「もっと手伝ってあげればよかったー」と後悔しますね・・・

もちろん退院しても、2週間おきの通院
紹介された病院は、家からかなり遠かったので
毎回車での送り迎えは私がしていました。

母と私にとって、通院がてらのドライブ&終わってからの買い物は
なんだかお楽しみになっていたと思います。

でも、ある日の診察で
癌がまた再発し、大きくなったと・・・

またまた入院

そして、今度は放射線治療

この時期だったかな~
主治医がかわったんです!
なんだか納得いかないけど、転院するみたいで仕方ない・・・
(あっ!余談ですが、すごいめぐり合わせで、
今現在、京都のおばあちゃんの主治医がその先生です)

で、新しい主治医!

前の主治医と少し言うことが違う!!!
前の主治医は
「今は手術はできないけど、癌が小さくなったら考える!」
と言ったはず!!!
抗がん剤のあとは
癌が小さくではなく、一時なくなったので
特に手術の事は聞かなかったのですが
再発し、今回の治療が最後だと・・・

その時新しい主治医に
「今回の治療でまた小さくなったら手術できますか?」
と聞いたら
「手術は、はじめの段階で無理です・・・」

「はぁ~?」

今思えばもっとくいついてやればよかったかな?

でも、主治医に従うしかないので
とりあえず放射線治療

この治療は、以前の抗がん剤より副作用は少なく
入院中も本人は元気でした!

そして2度目の退院

またまた家での普通の生活!
結構長い期間、家にいてくれました。
そんな時、テン母ねーちゃんが
旅行がてらに、東洋医学の治療があるからと
母と私とテン母ねーちゃんで加賀温泉へ行きました。

でも、実は
その2日(ぐらい)前が診察日で
またまた再発・・・しかも、脳や肝臓、骨にまで転移・・・
すぐに入院といわれました。
しかも、私だけに・・・
もう、この頃から主治医には余命がみえてきたのかな~
母が検査室に入ってる間、その前で待ってる私を
看護婦(今は看護師)さんが呼びに来て
一人で診察室に呼ばれました
診察室に行くまでの間、心臓が「ドキドキドキドキ」苦しかった・・・

どうにか旅行に行くという許可をもらい
なんとか連れて行った最後の旅行!
思えば、私が大きくなってから
母といった初めての旅行が、最後になってしまった・・・
ほんと、テン母ねーちゃんのおかげです。

で、翌日からまた入院

でもこの時、脳に転移した癌の治療を
主治医からすすめられていました。
「ガンマナイフ」
頭に放射線をあてるのです・・・

私としては、それで長く生きてくれるなら賛成だったのですが
テン母ねーちゃんは、頭に放射線をあてるなんて・・・と反対・・・

でも、決めるのは母

結局治療する事になり
3日間だけ、病院を転院する事になりました。

「ガンマナイフ」当日

私はどうしても仕事で行けなく
主治医も「簡単な治療だから、大丈夫」と言っていたので
病院には行きませんでした。

反対していたけどやっぱり心配してくれてる
テン母ねーちゃん
結局病院に行ってくれました。

そして、元の病院に戻り
闘病生活。
はじめは軽い抗がん剤治療をしていたのですが
だんだん母の体力もなくなって
あとは、見守るだけになってしまいました。

でも、その間に2回ほど外泊はできました。

亡くなる1j週間程前から個室に移動
さすがに、もうダメなのか・・・
父は常に「覚悟しとかなあかん!」と言うし
同室で、同じ状況だった方も
個室に入って1週間程で亡くなっていました。

個室に移動してからは、ほぼ毎日病院にも行き
1泊だけお泊りもしました。

でも、もうすでに看病に少し疲れていて・・・
亡くなる2日前
そうです、私の誕生日です。

この日だけは久しぶりに、ぱ~っと遊びに行こうか!
と、今の旦那が「USJ」に連れて行ってくれました。
母にも
「誕生日の日だけは来れないけど、ごめんな~」私
「ええよ~、楽しんでおいで~!」母
食欲はほとんどなかったけど
まだ、会話はしっかりしていました。

でも、正直全然楽しめませんでした・・・
父からは何度も着信があり
「もう、本当に覚悟しないと・・・今日、喪服買いに行っておく・・・」
きっと、一人で病院に付き添っていて不安だったんでしょうね
今なら冷静にそう考えられます。
その時はもちろん
「何言ってるん!」
「なんでまだ生きてるのに喪服買うねん!」
腹が立って仕方がなかった・・・

でも、実際にその二日後の深夜
母は逝ってしまいました。
まだ52歳でした・・・

またまた私が勝手に思ってるのですが
ちゃんと誕生日を迎えるまで、待ってくれたんだと。。。


そして、今日

家にあるお仏壇にお供え物をして
雨の中、お墓参りにも行ってきました。
実はわけあって、母にはお墓が2つあります。
京都のお墓と滋賀の実家のお墓
分骨してるんですよね・・・

今回は京都のお墓にしか参れなかったけど
また、滋賀に行ったらお墓参りします!

なので、家にいても
滋賀のおばあちゃんの家にいても
母と一緒にいる感じです(笑)


うわーーー
プレビューを開いて書いた日記確認したら
かなり長くなってる・・・

これでもかなり省略してるのに・・・

最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございますぽっ

父の事も、いつか書けるかな・・・






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.01.30 20:58:52
コメント(14) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: