放浪の達人ブログ

テレビ

  【テレビ】

デジタル放送開始とエコポイント絡みで我が家もついに地デジ対応テレビを買ってしまった。
ていうか本当は今までのテレビが2重に映ったり細かい文字が潰れて見え始めたからだ。
たとえば野球でいえばピッチャー2人が同時に投げバッター2人が同時に打ち
守備選手が2人並んで2個のボールを追いかけるという感じだったり、
バレーボールのスコアが2020対2424のセットポイントだったり
天気予報見ると晴れのち晴れのち曇り曇り降水確率4040%だったりしてたのだ。

新しいテレビを設置してからは意味もなくリモコンで設定をいじっている家族を見ていると、
子供時代に実家に初めてテレビがやってきた時のことを思い出した。
親父が屋根の上にハシゴで登ってアンテナの向きを色々変えてセッティングし、
居間の窓を開けた母親や俺が「映った~」と屋根の上の親父に叫んでいたことも覚えている。
当時は中京テレビ(7chあるいは35ch)のことをUチャンネルと呼んでおり、
チャンネル横のつまみをひねるという方法で見ることができた。
小さなアンテナを増設することにより三重テレビ(33ch通称三重チャン)も何とか見ることができ、
まあ今でいうところの衛星第1とかWOWOWみたいな羨望のチャンネルだったのである。
無論チャンネル主導権は親父だった。ウルトラマンを見ている時間に親父が早く帰って来ると
ニュースに替えられてしまうので泣きながら隣りの同級生の家に見に行ったこともあった。
アポロ11号が月面に着陸した1969年7月、真夜中に親父に起こされて
「これは見とけ」と一緒に見たこともしっかり覚えている。
調子が悪くなったテレビは横をバンバン叩いてると直ったりしてたよなあ。

それから20数年後、結婚して2人目の子供が生まれた頃にアパート暮らしをしていた。
その頃しばらくテレビがない期間があったのだが、ちょうどイラク湾岸戦争が起こった時に
ヨメが「戦争が始まったみたいよ」と言い、ストーブもない部屋で毛布にくるまりながら
ラジオに耳を傾けるという途上国のような生活をしていたこともある。

テレビを買った、とブログに書いたらタイ在住の知人からこんなコメントがあった。
「私の近所で馬鹿でかいテレビが懸賞で当たった家があり、家が狭いので窓を開けて
 道路を挟んだ場所に縁台を置いてそこでいつもテレビを見ている家族がいます。
 それはそれでいいのですが毎晩うるさくてたまりません」だそうだ。(笑)
俺がネパールで数日居候した家は中華鍋を屋根の上につけてアンテナ代わりにして
片手にテレビリモコン、もう片手にはチベット教のマニ車を回しながら
230チャンネルもあるデジタル放送を婆さんが見ていた。
テレビの前でWiiをやったらリモコンがすっ飛んでテレビ画面を割ったって人もいるし、
いやあテレビって色んなエピソードや思い出が詰まってるんだなあと思った次第である。


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