長さんに自転車で追っかけられた真相。



 兄貴が東海高校に通っていた打田君、その仕込で、ハヤカワ・ミステりーをいつも中学校に持ち込んで回し読みしていた私たち。

 イアン・フレミングは先刻承知でした。お色気度では、「カーター・ブラウン」のほうが強烈だったのですが。

 「007は殺しの番号」というのが、最初にわが国で上映されたときの邦題でした。原題は「ドクター・ノォ」です。

 アーシュラ・アドレスが豊満なビキニ姿で、海水を滴らせて陸に上がってきて日本男児を一発でノックアウトした映画です。

 「俺も行く。」と叫びました。ここで参加しなきゃ男でない。(?)剣道部の練習など知ったことか(今日は長さんは学外研修でいないようだ)、打田君と、今夏急死した森道男君と三人で校門を出ました。

 中部中学校は田んぼの中に一本道があり、町につながっていました。その間約600メートルほど。道の両側には、数軒の家が建っているだけです。

 初夏にさしかかった7月のことです。中学2年生になっていました。

 3人で他愛もないことを言い合いながら、一本道を歩いていくと前方の町角から、長さんがトレードマークのキーコ・キーコいう自転車に乗って現れました。

 とっさに、家と家の間の路地に隠れました。

 突然いなくなった私を求めて二人の友人は「おいどうした。」といぶかしげに寄って来ました。

 長さんに日常接していないから、遠くの姿ではピンと来てなかったのでしょう。

 「バカヤロ、早くいけ、長さんがこっちに来ている。」とだけ言いました。

 彼らは歩き出し、私は息をつめて大魔王の通り過ぎるのを、待ちました。

 長さんは通り過ぎ、十分な間合いを置いた後に仲間を見ると、はるかかなたの町角近くまで往っているではないですか。

 「おーい待ってくれ、どこの映画館に行くのだ。」と追いかけますと、打田は血相変えて飛んで戻ってきて、私の頭を押さえつけながらこう叫びました。

 「長さんがUーターンしてきた。ここから動くな。」

 次の路地においてあるゴミ箱(当時は木製でべったりと黒いコールタールが塗ってあり、護美箱と白ペンキで書かれていました。)の後ろに伏せました。

 長い時間が流れた気がしました。

 ゴミ箱の臭いが鼻についてきました。果物のすえた臭いとコールタールの混然となった臭いが、初夏の日差しでこの上なく漂ってきました。

 それでも私は、先ほど早く飛び出しすぎた反省もあり、数を数えながら我慢して待ちました。

 千まで数を数えました。物音ひとつしない昼下がりです。

 ころは良しと、起き上がって街路に出ました。両膝はすでに泥まみれです。

 「お待ちしてました。稽古にいこか。」長さんが自転車を止めて、悠然とタバコを吸ってました。




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