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娘、さえりんは今住んでいるこの家と家族が大好きだったんです。私が毎朝必ずすることは、起きてすぐ寝室の隣のリビングのさえりんのお仏壇の電気をつけてろうそくとお線香をあげて「さーちゃんおはよう!!今日も一日よろしくね!!」と言葉にしながら手を合わせてお参りすること。そして自分の身支度を整えたら、さえりんが使っていた部屋のドアを開ける。「さーちゃんおはよう!!今日もいいお天気だね!!よろしくね」と言いながら。すると東の窓のレースのカーテン越しから朝日が射しこみ、眩しくて勢いと元気が湧き出てくるような気がするのです。さえりんが使っていた部屋は2階の北東にあたる部屋。廊下を挟んで向かい側の南東が次女の部屋です。この家はちょうど10年前さえりんが11歳の時、建て直した家です。定年退職になった父が、前の家は古く耐震対策で思い切って子供たちのために建て直すことを決めてくれたのです。前の家は3世代7人で住むには狭くて子供たちの個室もなく勉強机とタンスは寒い仏間の片隅に置いてありました。我が家の土地はそれほど広くはありませんが細長くて、今まで古い家は道路に面した手前に建っていたのを、新しい家はちょうどその奥の以前は車庫と畑になっていた場所に建てたのです。そのためすぐ隣で新しい家が建つ様子を毎日、子供たちもワクワクしながら眺めていました。さえりんはよく更地になった土地や、家の土台が出来た時建設中の時、喜んでその周りでいつも遊んでいました。家が建つのがよほど楽しみだったのでしょう!!父が家を建てると決めた時、当時10歳だったさえりんは自分のお小遣いを「このお金も新しい家の足しにしてね💛」と父に渡していました。当然何の足しにもならないんですが、それでもさえりんの健気な気持ちは充分私たちに伝わりました。父と主人で2世帯住宅を建てることになったのですが、私はこの家はいずれ長女のさえりんが後を継いでくれたらいいなあと心から願っていました。2010年2月に家が完成したとき、さえりんと次女は大喜びでした!!2階の東側の北と南の2部屋を娘たちに、同じ洋室でクローゼットと本箱がついた6畳間。二人に北東と南東のどちらがいいか選ばせました。すると次女はベランダがある暖かい南側がいいと言ったので、さえりんが「私暑がりだから寒い北側でいいよ」と妹の良い方を譲ってくれた。それから数年は机や荷物が置いてあるだけでほとんどが西南のリビングで過ごして寝ていたさえりんでしたが、いつしか自分の部屋にも愛着を持ち働いてからはテレビやソファも買っていつも楽しく寛いでいた居場所になった。さえりんが一生長年暮らすはずだった大好きなこの家に住むことが出来たのは、結局たった9年4ヵ月弱だった。私はこれからも毎日毎日、朝はドアを開けて、夜は「さーちゃんお休み!今日も一日ありがとね。また明日ね~✋」って言いながらドアを閉める。こんな繰り返しをこれから一生、生きている限りずっと続けていくのだろうと思った。持ち主を亡くした静まり返ったこの部屋に、笑い声が聞こえる日は二度とこなくても、それでも私は毎朝毎晩声をかけ続けるのだろう。たとえ姿は見えなくてもさえりんは大好きなこの部屋やこの家に絶対に帰って来てくれていると信じて・・・今、リビングのメタルラックにお雛人形を飾るために片付けたたくさんの写真立てやぬいぐるみを置く場所が無くてさえりんの部屋のベッドの上に置いちゃったこと、さえりん怒るかな・・・(;'∀')あの頃みたいに「もうママ!!!こんなところにものを置かないでよ!!!私寝れないじゃないの!!!」って顔を真っ赤にして怒ってくれないかな??怒ったさえりんでもいいから逢いたいなぁ・・・私が「ご飯できたよ~!」ってキッチンから呼ぶと「は~い!!」って喜んでドタドタと勢いよく階段を下りてきてくれないかなぁ・・・もう一度でいいから、さえりんがゲームに熱中してる時の独り言や楽しそうな笑い声が聞きたいなぁ・・・さえりんがいなくなったこの家は本当に笑顔が途絶え、静まり返ってまるで生気を無くしているみたい。この家だって、部屋だって、さえりんが帰って来てくれるのをずーっと待っているに違いないと思った。(家が建つ前の基礎の上で遊ぶ11歳のさえりん)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月29日
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昨日は特に何にもない穏やかな一日だった。このところいろんなことがありすぎて、心穏やかではなかったから救われた気分だった。昨日は一日中ほとんど家に引き籠っていた。ボーっと過ごしたり、珍しく家に居た次女とのんびりおしゃべりをしたりテレビドラマを見たり。これからも毎日がこんな風だったらどんなにいいだろうかと思った。これからはじまるであろう裁判や交通事故の知りたくない辛い現実が待ち受ける前の、嵐の前の静けさなのかな??今コロナウイルスが騒がれて、マスクや手洗いうがい外出制限など報道されているけど、もし今さえりんが生きていたらどうだったんだろうって考えてしまった。さえりんは超潔癖症だった。外出から帰ると必ず手洗いうがい、手の消毒は必需品だった。あまりにもたくさん消毒液を使うので薬局で買ってはもったいなくてアマゾンの定期販売で毎月1ケース箱買いしていた。それでも足りなくなって薬局で買い足していたくらいです。家でも、職場にも携帯容器に入れて持ち歩かないと落ち着かなかった。ハンドソープも使いすぎて手が荒れて、固形の石鹸を毎日何度も使っていた。さえりんが生きていたら私は今頃、消毒液探しに奔走していただろう!!さえりんのためにどんなに遠くでも探しに行って買いあさっていたに違いない。きっと大変だと愚痴をこぼしていたかも知れないけれど、今こんな状態になるよりは10000倍幸せだったに違いありません!!さえりんは潔癖症なのに、就職してからは何故か毎年インフルエンザに罹った。学生の頃は殆ど病気も怪我もせず学校はほぼ皆勤賞だったのに、就職してからは年に数回、風邪やインフルエンザ休むことがあった。今、思えば余程仕事でストレスが溜まり、きつかったからだと思う。そんな思いに気付いてやれなかった母親で本当に申し訳なかったと思う。さえりん、ごめんね!!私もよくさえりんと一緒にインフルエンザに罹ったことを思い出す。パパと次女は絶対に移らなかったけど、さえりんと私は体質が似てるのかな??さえりんと私はインフルエンザ同志一緒に寝てたこともあるよね。熱があって真っ赤なほっぺのさえりん可愛かったなあー。だから去年の秋には2人で一緒に予防接種受けようねって約束してたよね。今頃はコロナウイルスに感染しないか2人で心配していたかも知れないね。さえりんは本当に大事な娘だったから、コロナ感染が心配で自転車はやめて毎日職場まで私が車で送り迎えしていたかも知れないね。私はすごく過保護で親バカだからね(;'∀')もしそうだったらどんなに幸せで楽しかったんだろうか??さえりんは嬉しそうな顔をして「ママいつもありがとう!大好き!!」ってきっと毎日言ってくれたよね。私も「可愛いさーちゃんのためなら喜んで何でもするよ!!」って言っただろう。こんな妄想が頭の中に広がっていた。あんな事故さえ無ければこれは妄想ではなく、当たり前の日常だったのに!!そう思うとまた悲しい現実に引き戻される・・・(>_<)昨日の晩ごはんは次女のリクエストで手作りのギョーザを作った。次女に「包むのを手伝ってよ!」って頼んだら「えーーー」って嫌がられた。(結局最後には手伝ってくれましたが)こんな時さえりんだったら嫌がらずに「OK任せて!!」って手伝ってくれたのになあって、さえりんがいたらギョーザ大好きでたくさん食べてくれたのになあ、ここにさえりんがいて欲しかったって、また思ってしまった・・・昨日はさえりんも一緒に家でのんびりしてギョーザ美味しいって食べてくれたよね。姿は見えなくても、ずーーっと一緒にいるんだよね!さえりん(さえりん8歳2ヵ月)(さえりん8歳の誕生日に)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月28日
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昨日は朝10時3回目の検察庁へ行った。1週間前事情聴取して検察官が検察調書にまとめてものを確認し、私の署名押印をするために。私たちは時間通りに検察庁に着くと担当検事がまだ取り込んでいるということで待合室で20分ほど待たされ、検察室に呼ばれ調書の確認がはじまった。検事がパソコンを見ながら調書の内容を読み上げていき途中間違いや、追加したいことがあると私たちが伝えその場で直してもらった。その後調書は印刷され私と主人はその用紙をもう一度よく読み確認した。その用紙に最後に私の名前を署名し印鑑を押した。検事が写真とさえりんの部屋のブログのコピーも提出するからと一枚づつ全部に印鑑を押した。私は書類作成を終えてから、起訴・不起訴の決定までの日にちと、起訴されたらその後の流れを聞いた。検事は決定は3月中旬には下ること、その後の流れは図に書いてわかりやすく教えてくれた。私は頭の中がいっぱいになり深いため息が出そうになった。最後に事故の詳しい様子を尋ねた。また私たちの知らない事実が伝えられた。私は思わずそんなはずはない!!と叫びたくなるような事実。先回もそうですが、どうしてこんな酷い事故になってしまったのか??どうしたらあんなに体の大きい娘が自転車ごとトラックの下敷きにされたのか??もしもこんな悲惨な交通事故が、たんに運が悪かったで済まされてしまったら私は一生加害者と運送会社と日本の法律を恨み続けるだろうと怒りが込み上げた!これから先はこんな感情との戦いになるんだと、深い憤りが襲う。真実を知る怖さと、これが本当に真実なんだろうかとの葛藤、死人に口なしの理不尽な現実、加害者にいい分だけが通る都合のいい法の壁。私たちはこんなとてつもなく巨大な得体のしれない敵と戦わなくてはいけないのかと、絶望感に苛まれそうになる。約1時間半の検事とのやり取りを終えて、帰りの車の中では主人も私も無口でイライラしていた。とてつもないやるせなさと焦りと不安に言葉を失くしていた。家に着くと県の弁護士会から大きな書類が届いていた。それは先日依頼した紛議調停の結果だった。中には5枚の書類があり、K弁護士からの答弁書が入っていた。書類を読むと結果的に着手金は返って来る内容だったが、複雑な気持ちになった。その答弁書には保険会社宛てに「○○○○(主人の名前)より令和2年2月10日付で紛議調停を愛知県弁護士会に提起されました。この提起にかかわらず、当方は着手金全てをお返しする予定です。(中略)かかる返金により調停自体無意味なものとなると思われますので、調停の取り下げも○○様(主人の名前)にもお伝えいただければ幸いです」と書かれていました。私たちはこれを読み、腹が立つ以前にK弁護士が情けなく呆れました。私たちが紛議調停を起こさなくても着手金は全て返すつもりだった???そんなのウソでしょう!!もし返す気があるのなら何故5か月間も音信不通にして無視し続けたのか???再三の保険会社担当者からの催促に何故今まで応じなかったのか???返す気なんかなかったのは誰の目から見ても明白です!!なのによくこんなウソが書けるのか人間性を疑います!!!着手金は全額返すから主人に調停の取り下げをお願いしてくれと書いてある。K弁護士はそんなに県の弁護士会が怖いのか???調停されたら今後の弁護士活動に支障が出るのか???それならば何故もっと早く私たちにこんな面倒をかけさせないうちに自ら着手金を返さなかったのか???素人で無知な私たちが紛議調停という方法など知らず、訴えを起こすなんて思わなかったのか???私たちが無知で何も訴えなければ着手金はそのまま手に入れようとズルい考えをしていたのではないか???私たちはK弁護士に甘く見られ馬鹿にされていたようでとっても不愉快になった!!!私たちがもし弁護士会に相談も何も行動に移さなければただの泣き寝入りである!!!これが世の中の現実なのかと、またやるせない気持ちが増すばかりです(>_<)とにかく主人から保険会社の担当者に電話してもらい、お金がきちんと振り込まれたら連絡をもらうことになった。調停を取り下げるのはそれからです。結果的にはお金は戻ってくるのかも知れないけど、単純に喜ぶことは出来なかった。人間お金だけが大事なのか??お金よりもっと大事な信用をこのK弁護士は失ったことに後悔はないのか??私はますますお金が嫌になった。私はこのK弁護士の解任から5ヵ月間返金を無視し続けた言い訳と、加害者の女性ドライバーが8ヵ月間謝罪も連絡すら来なかった言い訳が重なり、自分の保身のためだけに動く浅ましさに嫌悪感が走る。人間のズルく汚い部分が露見し、やるせない現実から逃避したくなった。この世の中はこんな人ばかりではないとよく分かっている。私の周りには昔も今でも、ブログで知り合った方々も優しい方ばかりなのに、今までこんな酷く人間性を疑いたくなるような人になんて会ったことが無かったのに・・・悔しい気持ちでいっぱいです(>_<)私は汚れのない『動物の国へ行きたい・・・』と本気で思ってしまった。こんなこと言ったらさえりんが悲しむね・・・またちょっと心がダメダメなママになっちゃってごめんね・・・さえりん。ママは負けないからね。(8歳のさえりん 河原でバーベキューしたとき)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月27日
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昨日は浜松に住む妹が我が家にはじめて来てくれました。数日前妹から私に「今日は何してますか?」とLINEが入っていました。それが2月6日のこと。その日は友人が我が家に来てくれていたのでその事を伝えると「また今度お姉ちゃんの家に行くね」と返信がきました。そして4日前に妹が「25日にお姉ちゃんの家に行っていい?」とLINEをくれて昨日車で高速に乗って我が家に来てくれたのです。私は、妹がきっと何か伝えたいことがあるんだ思いました。というのも妹は昔から霊感が少しあったのです。何度も亡くなった祖父や祖母が夢枕に出てきて、何か伝えたいことを妹に言うのです。妹が母に「またお祖父さんが出てきてこんなことを言ってたよ」と伝えると、実は法事をしなければいけないのにうっかり忘れていたとか、お墓参りに行ってなかったとかそういうことが度々あったのです。妹は嫌だから、亡くなった身内があまり夢枕に出て来ないように最近は意識を反らせていたと言っていましたが、そんな中はじめてさえりんが夢に出てきたそうなんです!!それが2月6日だったそうです。だから私のことが心配になりLINEをくれたのでした。昨日我が家に来てくれた妹はさえりんのお仏壇に手を合わせ、さえりんに「もっと早く来たかったんだけどごめんね」と言ってくれました。そしてテーブルに座り私と妹はケーキを食べて少しおしゃべりをしてから、妹がここに座ってと床のカーペットの上に正座しました。私も向かい合って正座すると、妹はこんな話を実演してくれました。「2月6日に、まだ2、3歳のさえちゃんが夢に出てきて私の膝に向かい合ってちょこんと座って、両腕を広げてハグじゃなくて二の腕で私の肩をぎゅっとして『泣いてもいいんだよ!』って優しく言ったんだよ。これはさえちゃんがお姉ちゃんに言いたかったんだとすぐわかったよ。するとお姉ちゃんはさえちゃんに『動物の国へ行きたい』と言った。さえちゃんはすごく困った顔をしてたんだ」と。妹は夢と同じように私の肩に両腕の二の腕でギュッとして優しく教えてくれました。私は思わず熱いものが胸に込み上げました。これはさえりんからの私へのメッセージなんだと・・・私の精神状態があまり良くないのを心配したさえりんが、私のところには出て来れないから叔母さん(妹)のところに来てくれたのだと思った。さえりんも「いっぱいいっぱいママのことを愛してる」と伝えてくれたのだと。そして私が言ったという謎の言葉『動物の国へ行きたい』は、多分今この辛く苦しい現実から逃げたい。もっと楽な別の世界へ行ってしまいたいという意味なのではないでしょうか??その言葉に対してさえりんの返事は、何も言わずただ困った顔をして私を心配そうに見つめていたのです。と、いうことはさえりんは私にここから逃げないで、精一杯現実に立ち向かって、まだこっちに来てはダメだよっていう意味なのでしょうか??私は妹に「さえりんはまだここにいるような気もするし、あの世でいろんな友達をたくさん作って『ママのブログを読んで』って宣伝してたくさんの人とのご縁を繋げてくれているような気もするんだよね」と言うと妹は「多分そうだと思うよ」と言ってくれた。そんな会話をしていると仏壇の方で急にゴソゴソっと音と気配がした気がした。妹と二人で「今のは多分さえりだね!」と笑った。妹は「今から梅の花を見に行こうよ」と誘ってくれた。「そうだ、さえちゃんも一緒に行こう!」とシナモンのぬいぐるみを持って妹の車に一緒に乗った。行先は「名古屋農業センターでらファーム」家から車で30分くらいの場所だったけどはじめて行った。そこは満開のしだれ梅がたくさん咲いていてとっても綺麗だった。私と妹が大きなシナモンのぬいぐるみを抱いて梅の花を見ながら歩いているとすれ違う人たちがみんなジロジロ見たり笑っているので私は恥ずかしくなった。だけど、妹は堂々としていて「子供なんですって言えばいいんだよ!」とか「この人たちとはもう2度と会わないから大丈夫だよ!」と言うので何だか面白くなって笑った。こんなに笑ったのは久しぶりだった。私と妹とシナモンに扮したさえりんは、傍から見たらおばさん2人が大きなぬいぐるみを抱いて不思議な光景だったと思うけど、たくさん写真を撮っていっぱい笑うことが出来た。昨日は妹が来てくれて本当に嬉しかった!!久しぶりにたくさん話すことが出来て気持ちも明るくなれた。何より、さえりんの想いを伝えに来てくれたことに心から感謝しました。ありがとう!!T子。そしてありがとう!!さえりん(8歳のさえりん)(昨日、妹と名古屋農業センターでらファームのしだれ梅まつりにて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月26日
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昨日は被害者遺族の手記を読んでいました。1冊はミヤちゃんさんが本と一緒に送ってくれた、公益社団法人 被害者支援都民センターの「もう一度会いたい」(遺族の手記)第19集。もう1冊は先日サポートセンターあいちでいただいた、公益社団法人 全国被害者支援ネットーワークの「犯罪被害者の声」第13集です。どちらも小さく薄い冊子ですが、内容は濃く被害者遺族の生の声や、亡くなった方への深い想い、刑事裁判での遺族としての意見陳述などが書かれているのです。この冊子は昨年7月はじめて主人と一緒に被害者サポートセンターあいちに訊ねて行ったとき前の号をいただきました。娘の交通事故からまだ1ヵ月余りの時、むさぼる様にパソコンでホームページや遺族の方のブログで情報をかき集めて、自分でもどうやってサポートセンターに辿り着いたのかよく覚えていません。とにかく必死だったことしか覚えてないくらいでした。その時の私にはこの遺族の方々の手記はとても重いものに感じられ、涙なしには読めず、時には目を背けたくなるくらい辛いものでした。主人は何度勧めても不機嫌になり、決して読もうとはしませんでした。多分現実をみることが耐えられなかったんだと思います。今でも人が書いた手記は読んではくれませんが、私が書いているこのブログだけは毎日読んでくれるようになりました。(間違ったことや主人の悪口が書いてあるかもしれないので(;^ω^))被害者遺族の方々の手記を読んで、私が感じた事は・遺族の方々は私と同じだった。・この世に被害に遭っていい人なんて誰一人いないこと。・みんな誰かの大事な大事な人なんだということ。・もし誰かが死んでしまったら必ず悲しむ家族や親戚、友人、知人、恋人、 同級生、同僚がいるということ。・人は一人で生きているんではないということ。・加害者にとっては殺意はなかった、悪気はなかったと言うかもしれないけど、 たった一瞬の油断や気の緩みが大勢の人生を狂わせてしまうんだということ。・加害者は刑の重さや軽さにかかわらず、一生取り返しのつかないことをして しまったと、深い反省と償いの人生を歩むべきだと思った。・加害者は刑務所を出たり、罰金を払えば罪は終わったと思うかも知れないけど 被害者や遺族にとってはそんなものでは済まされない一生悲しみは終わらない。・日本は加害者王国である。刑罰は被害者や遺族の無念さを晴らすためではなく、 加害者の今後の生活を守るためのものになっている。これはおかしすぎる!!・被害者遺族はいつも泣き寝入りである。・私はこんな現実をもっともっとたくさんの人に知ってもらいたいと思った!!できればこの冊子は被害者遺族だけでなく、加害者にも、たくさんの人にも、学校の授業でだって使ってもいいというくらいに思っている。実際に命の授業としてmeronさん達や多くの方々が学校や警察の要請で様々な場所や形で講演を行っている。もっともっと広めるべきだと思う。命の大切さを伝えるために!!被害者だけが損をする不公平なこの国の法律を改めるために!!昨日は次女も友達と遊びに行って家にいなかったので、折角のいいお天気だったのに、一日中一人でそんなことを考えて過ごした。やり切れない思いは決して一生消えることはないんだとまた重い現実がずしっと圧し掛かる。私はまだまだはじまったばかりです。これから途方もなく気が遠くなるような理不尽な裁判に身を引き裂かれ、もしかしたら家族がバラバラになるかもしれない苦しみと恐怖と泥沼の闇が何年も何十年襲い掛かってくるのです。こんな思いに苛まれながら一生、生きていかなければならないのです。 今の私にはまだまだ長く真っ暗なトンネルの行きつく先が見えない。私でもいつかもっと心が開放されてmeronさんや他の方みたいに悲しみと共に前を向いて生きていける日は来るのだろうか?と不安になります。それでも素敵な先輩方がいてくださること、出会えたことが本当に有難かったと感謝しました。迷えるママを導いてね、さえりん(小学2年生の5月のさえりん)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。ミヤちゃんさんへムサカリ絵馬?あちらの世界で結婚できるよう供養する風習があるんですね。いつか東北を訪れてみたいです。素敵なお話ありがとうございました(≧▽≦)やっぱり雛人形思い切って出して良かったです。何だか昨日からさえりんも喜んでいるような気がするんです!!部屋もパッと明るくなったみたい。シャルルさんへ妹さんのためにお雛様出してあげられましたか?お人形って凄いですね(^_-)-☆その人への思いが込められているような気がするんです!!だから、お母様が妹さんのためにお求めになったお雛様は、妹さんの想いもきっと運んできてくれるのでは?目の前のお雛様を見てさえりんも遺影の写真が笑って見えます。宝ママさんへ宝ママさんも同じ本を読まれたんですね。私はまだ途中ですが(;^ω^)でも不思議と本を読むと少し穏やかな気持ちになりますね!!最近の私は心がギスギスしてるので娘は出てきてくれなかったのかな??そう思ったら優しく穏やかな気持ちでいなくっちゃって思いますね(#^.^#)
2020年02月25日
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昨日はとうとう出せました、雛人形!!といっても、ひな壇は置く場所もなく凄く重くて物置の奥から出せないのでさえりんの仏壇の向かい側の、さえりんの写真や思い出の品が飾ってあったメタルラックを片付けて、お人形とお道具だけ簡易的に飾ることにしたのです。さえりんから真っ直ぐよく見える位置です。ちょっと高くて見上げる感じだけど、我慢してね(;'∀')さえりん喜んでくれてるかな??前にも書きましたが、この雛人形は長女さえりんが生まれた初節句に娘の幸せを願って、親と祖父母の願いがたくさん詰まった宝物なのです。しかも我が家では初孫のさえりんの誕生を両親はどれだけ心待ちにしていたか。昨日は次女にも少し手伝ってもらい、お人形を丁寧に飾りながらまじまじとお雛様のお顔を見ていると、少し福与かで色白で優しい顔立ちがさえりんに似ているなあって思いました。今まではそんなこと思ったことなかったけど、昨日は雛人形も出してもらって喜んでいるように見えました。本当にここ4、5年忙しさにかまけて出さなかったことが悔やまれました。21年前この雛人形を買ってもらったころの私たち家族の願いはいつかさえりんがこのお雛様みたいに綺麗に成長し、いい人と出会って幸せな結婚をし温かな家庭を築くこと。そしていつか孫の顔が見れたらこんなに幸せなことはないと思っていた。しかし、そんなささやかな親の願いは、無惨にも突然断たれてしまった・・・さえりんの葬儀の時、主人と私はせめてさえりんを結婚式のように華やかに送ってやりたいと、祭壇にはピンク色のお花をたくさん飾ってもらい写真をいっぱい飾って、思い出の動画も流し、最後のお別れをして旅立たせた。だけど、こんな形で見送ることなんて絶対にあってはならなかった!!私たちはさえりんの本当の花嫁姿が見たかったのです(>_<)さえりんがお雛様のように綺麗で幸せな笑顔で嫁ぐ日を何より楽しみに、心待ちにしていたのです!!たとえ嫁ぐ日が来なくても、元気に生きてさえいてくれればそれで良かった!!私たちが望むことは、娘の幸せと笑顔、ただそれだけだったのです!!たったそれだけの親の願いすら叶えさせてもらえないほど私たちは悪いことをしたのでしょうか???亡くなる少し前、さえりんは私によくこんなことを言っていました。「ママ、私将来結婚できるのかな??もしも結婚できても、 出来なくてもずっと家にいてもいい??」と。私は「さえりんは長女だから、うちには男の子はいないし、さえりんは跡取りでここはさえりんの家なんだよ。だから結婚できたらここで一緒に暮らせばいいし、もし結婚できなくてもずーっとこの家にいていいんだよ!!妹はいずれお嫁に行くと思うから、パパとママの老後はさえりんに頼んだよ!!」と言いました。するとさえりんは満面の笑顔で「良かった!!パパとママの老後は私に任せて約束だよ!!ママ大好き!!」と私にギュッと抱き着いてくるのです。こんなやり取りが何度もあったのです。さえりんはもしかしたら、不安だったのではないかと思うのです。自分がこの家族から引き裂かれてしまう日がいつか来るのではないかという漠然とした予感があったのかも知れません。しかし、その時の私にはこんな残酷な現実がくるなんて想像すら出来ませんでした。今、さえりんはこの雛人形をどんな思いで見ているんだろうか??優しいさえりんの事だからこう言うのかな??「ママ、約束破っちゃってごめんね。パパとママの老後を診てあげられなくなっちゃって、本当にごめんね!!先に死んじゃって親不孝をして本当にごめんね。だけど私だってずーっと一緒に居たかったんだよ!!」と。さえりんもう一度ママと約束をし直そう!!「さえりんはこの家が大好きだからずっーと一緒に居るとママはそう思って生きていくよ!だからママがそっちに逝くまでちゃんと待っていてね。また絶対に家族になるんだからね!!一人で先に生まれ変わらないでね」昨日は雛人形をゆっくり眺めながら、たくさんの想い出が頭を過ぎりまた涙が止まらなくなった・・・(>_<)だけど、やっぱりさえりんに雛人形見せてあげられて良かったと思う。そうだよね、さえりん(さえりん1歳~8歳までのひな祭り)(昨日メタルラックに飾った雛人形)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月24日
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昨日は午前中から雨が降っていた。激しく降るわけでものく、シトシトと一日中降っていた。昨日は特に何もすることなく、次女の自動車学校の送り迎え以外は窓の外に降っている雨の音を聞きながらボーっとして過ごした。物置を片付けながら雛人形を出そうかと思っていたけどこんなお天気だし、何かする気力も無くなった。私はボーっとしながら、自分を振り返っていた。最近私の精神状態はあまり良いものではなかったなと思った。突然加害者からの連絡や手紙で感情は逆立っていて、検察での調書のための面談、生命のミニメッセージ展などなど私の心は攻撃的になったり、深い闇に落ちたり、決して穏やかではなかった。昨日はそんな私の心を落ち着かせるための雨だったのかな??冷静になって考えてみれば、私だって優良ドライバーとは言えない。免許だけは今はゴールドだけど、過去には事故を起こしたり、自損事故で愛車を廃車にしたこともある。スピード違反や、運転中に携帯電話をかけて捕まったことも、駐車違反で罰金を払ったこともある。免許をとって32年の間にはいろんなことがあったなと思う。私も娘がこんな事故に遭うまではそれほどの危機意識があったのだろうか??そしてこんな危なっかしい私でも、今まで人を殺すほどの加害者にならなかったのは、運が良かっただけなんだろうか??何かの力で守られていたからだろうか??娘の事が無ければ、もしかしたら事故の加害者になっていたのだろうか??さえりんはそんな私を守るために犠牲になってしまったのだろうか???果たしてこんな私に人を責める資格なんてあるのだろうか???ボーっとした頭でいろいろ考えが頭の中をグルグルめぐっている。雨のせいか、いつもなのかわからないけどやっぱりあまり前向きにはなれない。こんな日は読書でもしようかなと思い立ち先日、ミヤちゃんさんが送ってくれた本を手に取って、『夢でもいいから亡くなった人に会いたい』という本を読み始めた。「幸せになるために、がんばって生きている人に勇気をあたえること」「悟りという無の境地に至り、生きている人を大慈悲で見守ること」これが、仏となられた故人のあの世でやるべきお仕事です。だから私たちは、魂の故郷で故人と再び出会って一緒に過ごせるように、「天寿をまっとうするときが来るまで、幸せになるために今をがんばるから、向こうで待っていて」と言葉をかけてあげてください。と書かれていた。まだ最初の方しか読んでいないけど、さえりんもそうなのかな?あの世で私たちを見守るため無の境地に至る修業をしているのかな?って思った。今の私はまだまだ自分が幸せになるためになんて生きられないなあって思った。そして悟りの境地に至ったさえりんならどんな出来事も大慈悲で見守れるのかな??たとえ自分を轢いた加害者ですら許せる境地にまで達するのかな??って思った。今の私には到底無理ですが・・・だけど、こんなママでも一生懸命今できる事をし、天寿をまっとうしたらさえりんはあの世でちゃんと待っていてくれるのかなって、絶対に逢いたいって強く願っている!!そんなことを思いながら、ふと窓の外を見るといつの間にか夕方になっていて雨は上がり、空が明るくなっていた。きっとママの心が少しは落ち着いて穏やかになったからさえりんが微笑んでくれているのかな??って思えた。ミヤちゃんさんありがとうございます!!さえりんはホント凄いよ!!生きている時から、子供の頃は天使みたいに天真爛漫だったし、大人になってからはいつも家族を気遣ってくれる心優しい娘に。そして今はあの世でみんなを大慈悲で見守るための修業をしてるんだね。ママはさえりんがママの娘でいてくれたことを誇りに思うよ!!これからも迷えるママを正しい方向に導いてね!!ママはあなたのためなら、鬼にも蛇にも、仏の心にだってなる努力をするよ。(努力はするけどなれないかも知れないけど(;'∀'))いつかあの世で逢えるその日まで、頑張って生きていくからね。見守っててね、さえりん(小学2年生4月のさえりん)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月23日
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昨日はTさんとまた生命のミニメッセージ展へコアラドライブに行った。はじめてのTさんはゆっくり丁寧にお一人お一人のメッセンジャーさんに向き合われていた。そして時折、こんな小さなお子さんや、まだこれから未来ある若者がなんと残念なことかと、ため息をついてみえました。Tさんは私より6歳年上でイ〇モ葬祭のスタッフをされてみえる優しいお姉さんのような方。3人のお子さんには計5人の可愛いお孫さんもみえてお仕事柄もあると思いますが、決して他人事とは思えないようで感慨深く真剣に見て下さっていました。私は2日間続けてメッセンジャーさんにお会いする中で気付いた事がありました。それは、横断歩道上の交通死亡事故が多いこと。青信号だったり、学校の目の前の横断歩道だったり、学校帰りだったり。何故なのでしょうか??私たちは子供のころから親や先生に、「交通ルールをしっかり守りなさい」「道路を横断するときは必ず青信号の横断歩道を確認して渡りなさい」と嫌というほど教えられてきました。だから当然自分の大事な子供たちにも同じように教えてきたのです。私もさえりんには特に厳重にしっかりと教え込んできました。それは大事な我が子を危険な目に遭わせないため、大事な命を守るためです!!それなのに、こんなにも横断歩道上での交通死亡事故が多いのはどうしてでしょうか??しっかり教えられた子供たち、しっかり教わったルールを守る良い子たちが守られない社会は何故なんでしょうか???こんな理不尽な現実がまかり通る世の中をこのまま放置しておいていいのでしょうか??理不尽に命を奪われた子供たちはみんな口をそろえて言うでしょう!!!「僕たち、私たちは何も悪いことをしていないのにどうして車にはねられ こんなに早く死ななきゃいけなかったの???本当ならもっともっと 生きてやりたいことがたくさんあったのに、酷いよ!!!」と。昨日はメッセンジャーさん達にお会いしてそんな悲痛なメッセージを感じました。もちろんそれはさえりんのメッセージでもあるのです!!私はこの理不尽な現実に、さえりんに青信号の横断歩道をきちんと渡ることを教えたことさえ後悔しました。私がそう教えなければ助かっていたかも知れないと思うと、いたたまれなく遣り切れない気持ちになるのです。だってもしさえりんが横断歩道さえ渡らなかったら、道路をそのまま突っ切っていたら、うっかり見落とした左折のトラックの下敷きになんてされることは無かったのだから!!!直進の車は前だけは見ているから、さえりんが自転車で突っ切ってきたとしても視界には必ず入るんだから。たとえ急ブレーキを踏んで、クラクションを鳴らして、「危ないぞバカやろー」と大声で怒鳴られても、死ぬことはなかったのだから!!!その方がどれだけ良かったか!!!!交通ルールなんて守らなくても、たとえいい子じゃなくても、車の迷惑になっても命があったほうが、どれだけどれだけ良かったか!!!!そんな風に思う私は悪いダメな親なのでしょうか???子供に交通ルールを守ることは、危険なことだ!!青信号で横断歩道を渡ってはいけないなんて、教えなきゃいけない社会を皆さんはどう思われますか???でも現実には青信号の横断歩道はこれほど交通死亡事故が多く、決して安全なんかではない!!!すごく危険な場所なんだと認識しなければ、もっと犠牲者は増え続けるだろう!!!歩行者も自転車も自分の身を守るためもちろんそうですが、一番は車を運転するドライバーこそが横断歩道での左折、右折には細心の注意が必要なんだと肝に銘じて運転してもらいたいのです!!!今のままではあまりに自覚のない人が多く、だから交通死亡事故が一向に減らない元凶を作っているのです!!!私はこんな社会に絶望せざるおえない!!!こんな暗澹たる気持ちでこれから先の人生を生きていくのだろうか???そんな心に深い闇を抱えている私ですが、昨日はTさんとHちゃんがランチに誘ってくれていた。本当に有難かった。私とTさんはコアラドライブから、Hちゃんは直接お店で集合した。Hちゃんが予約してくれていた「かに甲羅」で私は寿司ランチを食べた。久しぶりのご馳走と楽しいおしゃべりをして少し元気をもらった気がした。夜、Tさんから感想のLINEが来た。「きっとメッセンジャーのあの子たちは、あの写真のような笑顔で仲間と全国旅をして役割を全うしているんでしょうね。そう思ったらこちらも笑顔で頑張ってねえとエールを送りたくなったよ(*^_^*)」と。私は何だか、前向きなTさんの心に救われたような気がした。まだまださえりんの交通事故の事、決して諦められるはずも無いけれど、それでもさえりんもいつかこのメッセンジャーさんの仲間に入れてもらい笑顔で全国各地を回ってたくさんの人たちに命のメッセージを伝える役割を果たせたらどんなに素晴らしいかと温かい気持ちが湧いてくるのです。それまでにはまだまだ裁判という過酷な関門を乗り越えなければいけません。それでもどんなに辛く苦しい現実があったとしても、私はさえりんを心から愛する母親として娘のために、娘の無念を晴らすために精一杯足掻いて揺るぎない覚悟で立ち向かっていこうと強く思うんです。こんなママだけど、見ていてね・・・さえりん(7歳のさえりん 家族旅行パート2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月22日
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昨日は主人と一緒にはじめて生命のミニメッセージ展に行きました。場所は隣の市の自動車学校「コアラドライブ」です。ここではもう何年も前から開かれていたそうですが、私たちは今まで全く知らなかった。娘を喪いmeronさんに出会うまでは、傍観者だったのです。実は先日、Tさんから「新聞に生命のミニメッセージ展の開催が載っていた。行きたい気もするけど、勇気がない」とメールをもらったので、「では一緒に行きましょう!」とTさんと約束していたのです。そのことを主人に話すと「俺も行ったことが無い」というので昨日は仕事休みの主人と一足先に行ってしまいました。Tさん先に行ってゴメンナサイ!!今日も行きましょう!!会場は自動車学校のロビーと渡り廊下のスペースに30名ほどのメッセンジャーさん達が並んでいました。meronさんのイケメンの息子さんにもお会い出来ました!!きっとmeronさんが設営と撤収に来られるのかなと思いながら見学しました。主人はメッセンジャーさんにお会いするのははじめてなので、ちょっと神妙な感じでお一人お一人丁寧に見させてもらいながら「今度はさえりんもこの人たちの仲間に入れてもらうのかな?」と話ました。私にとってはそれは嬉しいことだと感じますが、主人の感想は「悲しいことだと思った。みんなのメッセージが辛くて最後まで読めなかった」と複雑な心境だったようです。私は本当に主人の感想はもっともだなと思いました。もしさえりんがこんな風に交通事故で無念の最後を遂げていなかったらきっともっと違う見方だったと思います。もしかしたら、こんなかわいそうな子もいるんだと交通事故の恐ろしさをはじめて目の当たりにして、自分たちも運転には充分気を付けなければと身を引き締めたと思います。でも今の私たちにはもうかけがえのない娘を失ってしまった喪失感が大きくこのメッセンジャーさんに達のメッセージは決して他人事ではなくなってしまったからです。主人ははじめてメッセンジャーさん達にお会いして少なからずショックを受けているんだと感じました。私もはじめて生命のミュージアムにmeronさんに連れて行ってもらった時主人と同じ気持ちだったと思います。だけど、昨日の私は「さえりんもこの仲間に入れてもらいたい!みなさんさえりんをどうかよろしくお願いします!」そんな気持ちでいっぱいでした。さえりんもいずれメッセンジャーとして新しく命が吹き込まれ、生まれ変わって全国各地へ生命の大切さをお伝えする大事なお仕事に就職出来たらどんなに素晴らしいだろうか!!さえりんが生きてきた人生を無駄にすることなく生きてきた証をたくさんの人に知ってもらえたらどんなに嬉しいだろうか!!と、真っ暗の今の現実にも一筋の希望の光が射すような気持になるのです。帰る前、掲示板にメッセージを貼るコーナーがあり、私は「どうかみなさんの仲間に入れて下さい さえママ」と書いて貼りました。主人は赤い毛糸玉に毛糸を結んでいました。主人と私、それぞれに様々な思いの中で、それでも娘のさえりんを想う気持ちだけは誰よりも負けないところはやっぱり同じなんだと思いました。コアラドライブの玄関先には大きな7段飾りのお雛様が飾ってありました。私はさえりんにも見せてあげたい気持ちになりました。そういえば我が家のお雛様はもう3、4年出して飾っていなかったことを後悔しました。出さなかった理由は私が仕事が忙しく飾るのが面倒だったからです。さえりんはそれでも「ママ無理しなくていいよ」って言ってくれるのです。我が家のお雛様はさえりんが生まれた初節句の時、主人の両親と、私の実家の両親がみんなで一緒に選んで買ってくれたものです。私は子どもの頃お雛様がなかった憧れから7段飾りも欲しかったけど、出し入れの手間を考えて諦め、でも親王飾りだけのケースいりだと寂しいので、散々悩んで、お雛様とお内裏様が大きくてお顔が可愛らしい3段飾りを買ってもらった思い出がたくさん詰まったものなのです。さえりんと次女はこのお雛様がお気に入りで、毎年ひな祭りのお祝いをするのをとても楽しみにしていました。それなのに、ここ数年私の勝手な都合で出してあげられなかった事本当にゴメンね(>_<)許してね。今年はお仏壇と向かい側にメタルラックを置いたので場所が狭くて、しかもさえりんが亡くなりお祝いなんてする気分ではとてもないので出さないつもりだったけど、やっぱりさえりんに見せてあげたいと思いました。雛壇は無理だけど、せめてお人形だけでも近いうちに工夫して出してみようかな??さえりんも見たいよね??(さえりん7歳 4月 家族旅行 富士急ハイランドにて)(昨日 生命のミニメッセージ展コアラドライブにて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。コスモスさんへはじめまして私はさえママと申します。池袋の交通事故の松永さんのブログに私が入れたコメントから来てくださりこのブログもすべて読んでくださったんですね。ありがとうございました!!昨日はメールのほうにコメントを書いてくださり本当に嬉しかったです!!こんな拙いブログですが、これからも読んでいただけたら有難いです。一人でも多くの方に娘の事を知っていただくことでこれからの交通事故軽減に繋がるなら本望です。皆さんからの温かい応援が私の励みです!これからもどうかよろしくお願いいたします!!(アドレスがわからなかったのでこちらにお返事書いてしまってごめんなさい)
2020年02月21日
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昨日は朝から主人も私もとても緊張していた。朝はさえりんの写真をものすごくたくさんある中から8枚選んで、検察官に提出するため、主人にA4用紙1枚に印刷してもらった。そしてこのブログ「さえりんの部屋」は私がものすごく厳選して6回分だけ選び主人が字を大きくするためWordに貼り付け加工して印刷してくれた。面倒くさい作業で時間がかかり申し訳なかったです・・・(;'∀')この前書いた上申書も印刷し印鑑を押して準備が整った。午後3時前、地方検察庁○○支部に着いた。秘書らしき若い男の人に案内されて入った部屋に検事がいて部屋は暑いくらいだった。まずはじめに主人と私のどちら名義で調書を取るかと聞かれ最終的に私になった。そして、持って行った2回目の上申書を渡し読んでもらい、作った写真とブログのコピーを渡した。検事は、先回11月26日にはじめて面談したとき私が出した1回目の上申書に書いた26個の質問の内、今答えられる範囲で回答をくれた。事故の状況についてはまだブログで詳しくは書けませんが、物凄く衝撃的な轢かれ方とその後の状況を聞いて大変ショックで胸が潰れそうに悲しくてやりきれなくなった・・・そしてもっと腹立たしかったのが、検察官が加害者の調書を作るとき、「なぜ今まで8ヵ月謝罪に行かなかったのか?」と聞くと、加害者は「自分が行ったら私たちを悲しませるから。月命日には現場に花だけ供えた。 申し訳ないことをした、こんな自分が生きていていいのか」と検察官に涙を流したと教えてもらったこと。私は怒りが沸騰し「そんなの同情を買うためのウソに決まっている!!」と検察官に言った!!腹が立ち、ますます加害者が許せない気持ちになった!!「自分が生きていていいのか」??と本当にそう心から思っているなら、なぜ8ヵ月間私たちに知らん顔が出来るのか???本気でそう思うのならば、どんなに罵られようと追い返されようとなぜ誠意を見せないのだろうか???加害者は自分がかわいいだけで死ぬ気などみじんもないくせに、反省しているみたいなパフォーマンスだけはちゃっかりして女の武器の涙を見せる。心底ズルいと思った!!!本当に死にたかったのは罪もない娘を突然奪われた私のほうなのに!!!しかも加害者は検察官とのそのやり取りがあったから、慌てて私たちに連絡し手紙を送りつけたのである。私はムカムカした気持ちが治まらなかった・・・私は加害者の前歴を検察官に聞いた。検察官は「前歴は無い」と言った。しかし正しくは「ここ10年間の資料ではなかった」と言った。その前はもう資料が残っていないのでわからないそうなんです。だから本人が無いと言えばもう無いことになるのです。今となっては前歴の噂の真相はわかりません。もしかしたら本当に噂だけだったら書いてしまってごめんなさい(>_<)検察官は調書を取るので娘さんの事と娘さんへの思いをを聞かせて下さいと言い、主人と私は泣きながらさえりんのことを、どんなに大切な娘だったか細かく話した。主人は時どき言葉を詰まらせ泣いていた。検察官は主人が作った写真に、撮った時の年齢や場所を聞いて一枚一枚付箋をつけて裁判所に証拠資料として提出すると言った。そしてこのブログ「さえりんの部屋」を6回分コピーしたものもあとで読んで内容が問題ないか確認出来たら一緒に裁判所に提出しますと言ってくれた。私はこのブログは娘の生きた証を残したい一心で毎日書いている事、このブログを見てこんな理不尽な交通事故がもう起きてはいけないんだということをたくさんの人に知ってもらいたい願いがあるんです!!伝えた。検察官は今、事故に対して、加害者に対してどんな気持ちかと聞いた。私は「娘に逢いたい、返してほしい気持ちは以前と全く変わらない!!しかし加害者に対しては以前よりもっともっと憎い気持ちが強くなった!!」と答えていた。それは主人も同じです!!主人は「事故の後、一生償いますと土下座して涙を流したのは嘘だったのか!!!加害者の態度に誠意の欠片も感じない!!」と涙ながらに訴えていた。2時間かかって調書を作るための面談は終わった。1週間後もう一度検察庁に行き検察官が作った調書を確認して、足りないところがあれば付け足して、正式に審査されて、起訴、不起訴の有無が決まるまでにまだ1ヵ月以上はかかるそうです。本当にまだどうなるのかは私たちにはわからない。ただ、私たちに出来る事は精一杯悔いのないように真実を訴えるだけです!!加害者がどんな刑になろうと、さえりんの無念なんて晴らせるはずもないけれど、だけどパパとママは負けないからね・・・さえりん大好きだよ!!(検察に提出した写真)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月20日
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いよいよ今日は主人と私が検察庁に呼ばれて調書を作る日です。午後からで時間もかかるということで、ブログには明日か明後日内容を載せます。昨日私はほぼ一日中パソコンに向かっていた。愛知でも昨日は寒くパラパラと初雪も少しだけ降っていたので家の中での作業はちょうど良かったですが。一昨日N弁護士からお電話をもらい、調書を作成するとき娘さんの写真を何枚か持って行って調書に貼ってもらった方が、この先裁判になった時にも裁判官に見てもらうにもいいのではと教えてもらいました。私はそこでちょっと欲が出てしまいました。親の思いを伝えるなら写真もいいがやっぱりこのブログ見てもらった方が早いのではと(;^ω^)早速主人に写真を印刷してもらうことを伝え、私のブログも印刷して持って行ってもいいかとちょっとしつこく聞いてしまいました。すると主人は写真は快く承諾してくれたものの「ブログの件はよくわからん!!」と怒らせてしまいました・・・(;'∀')「じゃあもういい!!」と私もケンカ腰になったものの、そんなにいけないこととも思えないので、やっぱりN弁護士に電話して相談してみました。するとN弁護士は笑いながら「あまりたくさんだと読んでもらえないから選んで少なめにすること。でもどうして何のためにブログを書いているのかを検察官にしっかり伝えて渡したらいいのでは」と言って下さいました。N弁護士の最初の笑いはきっと呆れてるんだろうなって思いましたが、それでもこちらがどれだけ真剣なのかが検察官にも伝わればいいなと思っています。人に自分の思いを伝えることの難しさを実感しています・・・ただでさえこの日本は加害者王国なのです。死んでしまった被害者より、生きている加害者の人権だけが守られるという理不尽極まりない納得のいかないおかしな法律。またそこにあぐらをかいている非道な加害者たち。少しでも人の心が残っているのなら自分のしたことを恥じて償うべきと考えることはないのだろうか??人の皮を被った鬼なのではと疑うのです。大津の事故の加害者も全くその通りだと憤りを感じずにはいられない。だから交通死亡事故や殺人は減らないのです!!だって死でしまった被害者より、生きている非道な加害者の方が守られるならそんな好都合なことはないからです!!だから、罪を犯す人は何度も同じく罪を犯してしますのです。一度、いい思いをして刑が軽く済んでしまったら、深い反省もせずまた次も簡単に許されるだろうと味を占めるからです!!これはただの噂かも知れないので、本当かどうかは検察官しかわかりませんがさえりんを轢いた加害者はトラックで死亡事故の前歴があると噂を聞いた。その時はどういう状況だったのか、本当かただの噂かはまだわからないですが、もしそれが本当ならば私はますます加害者を許すことが出来ません!!そして、加害者に甘いこの国の法律も絶対に許すことは出来ません!!だって最初にもっと重い罪を科していれば、もう二度とトラックの運転が出来ないようにしていたら、さえりんは轢かれずに済んだのだから!!!そしてもしこのまま今回も罪が軽く済んでしまったら、加害者は凝りもせず無謀な運転をしてまた次の被害者を出してしまう可能性も高いのだから!!まだわからないのに憶測でものを言ってしまいごめんなさい(>_<)真実はこれから明らかになると思います。ただ私は黙って泣き寝入りだけはしたくありません!!だからなるべく公表して、おかしいことはおかしいと、間違っていることは間違っているとはっきり訴えていきたいのです!!ただよくある交通死亡事故のほんの一つとして簡単に片付けられては耐えられないんです!!!私は人にものを言ったり、自分の気持ちを伝えて理解してもらうことがとっても苦手です(>_<)まだ文章に書く方がいいですが、何の準備もなくしゃべると何を言いたいのか頭が真っ白でわからなくなってしまいます。だからこうして毎日のブログで思いを伝えているのです。昨日は一日今までのブログを読み返し、検察官に渡すものを選んでいました。前に書いた自分の文章がなんて恥ずかしいものかを痛感しました(;'∀')でも恥ずかしくたっていいんです。こんな文才もなんの取り柄もないただの50代のおばさん主婦がやることなんだから仕方ないんです(;^ω^)無駄かも知れないけど、それでも少しでもこちらの思いを知ってもらいたい。そのためならどんなに恥をかいても構いません。検察官だって立場はあっても、家族もみえる一人の人間です。ほんの少しでもこちらの気持ちをわかってもらえたらと願うばかりです!!そして私には、この拙いブログを見て下さる強い見方が大勢みえることが唯一の励みであり明るい希望なのです!!(さえりん7歳の3月に)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月19日
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今、私の願いはただひとつ。娘、さえりんがただ生きていてくれるだけで良かった!!交通事故になんか遭わずにいてくれたら一番良かった。ずっと幸せなままだった。でも、たとえあの時あの場所で交通事故に遭うことが変えようもない事実だったとしても、それでもただ生きていてくれるだけで良かった・・・たとえ、怪我をしてもしかしたら一生車いすや寝たきりだったとしても一生看病が必要になったとしても、それでも生きていて欲しかった・・・もしさえりんが生きていてくれたら、「もうきつい仕事なんてしなくていいよ」って言って毎日一緒に過ごしただろう。もしさえりんが怪我をして一人で動けない体になったとしたら、家を改築してエレベーターをつけて私は喜んで車いすを押しただろう。もしさえりんが生きていてくれたら、一緒に美味しいものをたくさん食べて一緒にカゴを作って、お散歩や遊園地にも一緒に行ってたくさん笑って、時どき仲良しの男の子にも遊びに来てもらってゲームをやって楽しんだだろう。私は事故の加害者に対して、娘をこんな体にしたことを恨んだかも知れない。でも、それでももし生きてさえいてくれたなら、殺さずにいてくれたことをほんの少しは感謝しただろう・・・でも、今は加害者に対して何ひとつ感謝なんて湧いてくるはずがない。恨んでも恨みきれないほどの悔しさと憎さしか出て来ない!!どうして私たちから最愛の娘のさえりんを突然奪ったのか???どうして横断歩道を青信号で渡るさえりんが見えなかったのか???どうして左折するときもっとスピードを落として曲がらなかったのか???せめて、加害者がゆっくり左折していたら、すぐにブレーキを踏んでくれたらさえりんは今頃生きていたかもしれない・・・そうしたら私の願いは叶っていたに違いない!!それなら今頃、加害者を少しは許す気になっていたかも知れない・・・でも、もう遅いのである。今更何を言おうと、どんなに言い訳や、謝罪のパフォーマンスをしても私は加害者を絶対に許すことは出来ない!!!加害者が正しく実刑となり、きちんと罪を償うまでは絶対に許せない!!!もし仮に不起訴や略式起訴で罰金だけや、出向猶予が付き刑に服さず済んでしまうようなら、私はこの理不尽な事実を世間に訴え抗議します!!たとえ泥沼になっても一緒に地獄に落ちても死ぬ気で戦う覚悟でいます!!それは私のささやかな願いすらも叶えてもらいなかった加害者は社会的制裁を受けなければおかしいのです!!罪は罪としてしっかり償ってもらいたいのです!!加害者にとってはついうっかり見落としてしまったで済むかもしれないが、これは殺人といったい何が違うんでしょうか??プロであるトラックドライバーが10tトラックという凶器を使って!!殺意はないのだからといって、簡単に許されてはいけないのです!!娘の一生を台無しにして、私たち家族は遺族にされて、娘の人生を奪ってしまった罪は一生消えないのだから!!もう二度とあの純真無垢な可愛い娘は返って来ないのだから!!!どうか検察官の皆さん、裁判官の皆さん、警察の皆さん、世間のみなさん人として一人の人間として、正しく公正な判断をしてくださることを心からお願い申し上げます!!昨日でこのブログ「さえりんの部屋」をはじめてちょうど5か月になりました。最初はブログどころかパソコンの使い方も殆どわからなかったド素人の50代の主婦でしたが、それでも突然交通事故で命を奪われた長女さえりが生きてきた20年11ヵ月の証を残したいその一心で無謀にもはじめたこのブログです!もちろん師匠と仰ぐmeronさんにお出会い出来たからこそはじめられたこと、meronさんのブログからたくさんのブロ友さんが来てくださり毎日毎日応援してくださっているから続けてこれたこと、またこのブログを見て新しい方とお出会い出来た奇跡はきっとさえりんが繋げてくれた尊いご縁、そして主人が協力してさえりんの写真や様々な設定などやってくれること、決して私一人では何も出来ない、叶わないことばかりでした。このブログを見て下さるすべての皆さまに心から感謝申し上げます!!これからもありのままの気持ちをセキララに綴っていきますのでどうかお付き合いいただきたく、よろしくお願いいたします!!(小学校1年生冬のさえりん)(さえりんの作品)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。シャルルさんへいつもありがとうございます!!確かにさえりんはシナモンに似てるかも(≧▽≦)交通事故の被害者は被害に遭ったことを公表したり、噂で広まったりしますが、加害者はきっと固く口を閉ざし「自分が人を轢いて殺した」とは言わないのでわからないかも知れません。だからズルいですよね!!でもそうやって卑怯な人も明るみに出て、正しく裁かれる世の中であってほしいと願っています!!ミヤちゃんさんへメールすればいいんだけど、またこっちに書いちゃいました(;^ω^)輪廻転生、今度はさえりんが私のお母さんでも全然OKです!!私はもしかしたら、前世では私がさえりんの娘だったのではと思っているくらいです。たとえどんな形でもいいからまた家族にと願うばかりです!!宝ママさんへそうなんです!頑張りますね(*^▽^*)宝ママさんの娘さんとさえりんが向こうの世から一緒に応援してくれたら100人力ですね!!もちろん宝ママさんの応援も嬉しいです(*^^)vさえりんに良い報告が出来る事を願っています!!
2020年02月18日
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最近2月とは思えないほどの暖かい日が続いている。日中の気温はだいたい15℃前後、コートもいらずまるで春が来たみたいです。我が家の畑に父が10年前、家を新築したときに植えた梅の木も満開で綺麗な白い花を咲かせている。花壇には秋に真っ暗闇のどん底の心境で希望と託して植えた、チューリップの球根が可愛らしい芽を出してきた。他にもヒヤシンスの球根からも芽が出てこの花壇が綺麗な花でいっぱいになる日が待ち遠しくなっている。きっとさえりんも喜んでくれるに違いないと、気持ちが少し明るくなる。でも、果たして我が家に明るい兆しは見えてきたのだろうか??チューリップの球根を植えた時、このチューリップが綺麗な花を咲かせる頃には、刑事裁判も何とか良い方向で終わっていてほしいと願っていた。ところがそう簡単に決着がつく問題ではなかったと今ではまた憤る。そんな中先日、県の弁護士会から通知が簡易書留で送られてきた。封を開けてみると、先日送った紛議調停の受理通知だった。私たちが作った紛議調停の書類を受理しましたというもの。後は弁護士会がK弁護士に働きかけしてくれるというものだった。私たちに出来るのはここまで。それ以外はやりようがない。どうなるかは弁護士会と、K弁護士の良心任せである。本来ならこんな面倒なこともする必要はなかったはずである。果たしてこの弁護士問題も明るい良い兆しが見えてくるのだろうか??先日N弁護士からメールをもらい、主人と私が検察官に呼ばれ調書を作る日が今週中に決まったと伝えられた。いよいよである。いよいよ私たちの調書を作り、先に作った加害者の長所と合わせて審議が下されていくのである。この時、私は先日作った2回目の上申書を提出する。N弁護士は立ち会うことは叶わないそうなので、主人と私だけで勝負しなくてはいけない。主人は今から緊張していた。私は緊張というより待ちくたびれていた。いよいよ、まず最初の決戦が始まる!!これは今から始まるであろう戦いのほんの前哨戦に過ぎない。そして、未だ明るい兆しが少しも見られない交通死亡事故の現状にもほんの少しでも風穴が空いてほしい。私はそんな思いで戦いたいと強く誓うのです!!皆さんからの応援も心強い味方として追い風になってどうか明るい兆しが射してくることを願わずにはいられません!!さえりん、パパとママの応援頼んだよ(7歳の秋のさえりん サンリオピューロランドへ行ったとき)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。最愛の娘のパパさんへ生まれ変わり輪廻転生は私も信じています。自分自身も生まれ変わって今この世界にこの家族と縁があり一緒に暮らしていると思っています。そして娘とはきっと前世でも家族だったんだとそんな気がして、そして来世でも絶対に家族になりたいと強く願っています!!だからもし娘が今私がまだ生きているうちにこの世に誰かの子供として生まれてきてしまったらとっても複雑な心境ですね。会えたとしてもそれは別の人の娘だなんて・・・だからママがそっちの世界に逝くまで待っていてねと仏壇の娘にお願いしてるんです!!私は娘の魂とまた一緒に生きていきたいんです!!「前世の記憶を語る子供」のことは前にネットで見たことがあります。(違う子供だと思いますが)オカルトまがいの行為だとは思いません。私も興味があるので。またいろいろ教えてくださいね(*^▽^*)
2020年02月17日
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昨日は次女と久しぶりの場所に気晴らしに行った。それは、昨日思いがけずアルバイトがコロナウイルスの影響でキャンセルになって暇になってしまった次女が退屈だから久しぶりに遊びに行こうよと誘ってくれたからです。その場所は、ボーリングです。家のすぐ近くにあるボーリング場。もう何ぶりだろうと考えると多分最後に行ったのがさえりんが中学生、次女が小学生くらいだったから10年近く前かな。その時さえりんが一番スコアが悪くて、負けず嫌いのさえりんは凄く怒って悔し泣きをして「今度は絶対に妹に負けないからまた絶対に連れてきてよ!」って言ってたっけ。ごめんね、結局最後まで連れてきてあげれなくて・・・私は、ボーリングと聞いてそんな事を思い出していた。次女は先日友人とボーリングに行ったとき、久しぶり過ぎてスコアも伸びず「下手だね」と言われたのが悔しくてリベンジするため練習に行きたかったみたい。「じゃあ行こうか」と午後からボーリング場へ向かった。最近はブームじゃないのか、コロナウイルスの影響かわからないけど土曜日なのにお客さんはたくさんいたけど待たずにすぐプレイ出来た。最初は3ゲームのつもりがどうも後味が悪くてもう1ゲーム追加して2人で4ゲームやった。最初次女は今までと変わらず下手でガーターの連続、スコアは60くらい。まだ若いんだからと、世話をやき投げ方をアドバイスしながらやっていくうちに、だんだんコツをつかんできてようやくスペアやストライクも取れるようになり、スコアも100くらいはいくようになった。「まだまだだね。せめて平均120くらい取れないと、下手は返上出来ないよ」と次女に言うと、「じゃあまた練習に行こうよ!」やる気になっていた。「そうだよ。ママも上手じゃないけど、こんな10年ぶりの50過ぎのおばさんに負けてちゃだめだよ。もっと練習したらすぐにママなんて追い越せるから」とまた次も近いうちに練習に行く約束をした。私は体を動かして、次女とボーリングが出来たことで、本当に久しぶりに気分はウキウキしていた。こんなに楽しかったのはいつぶりだろう??多分さえりんが亡くなってからははじめてだったかも知れない・・・そう思うとちょっとさえりんに後ろめたくて申し訳ないような気持になった。「もう私だけ置いてきぼりはズルいよ!!」って言いてきそうな気がした。ごめんね(>_<)さえりん!そんなつもりじゃないんだよ。本当はさえりんともっと一緒にたくさん遊びたかったんだよ!さえりんはいつまでもずーっとママの側にいると思ってたから、だからいつでも行けると安心してたんだね。本当にママが馬鹿だったと思うよ。こんなに早くお別れするなんて夢にも思っていなかったんだから・・・だけど、また次女とはボーリングにも行くし、多分遊びにも行くよ。さえりんも一緒に付いてきてよね!また一緒に勝ち負けにこだわって勝負しょうね!!いつか成長したさえりんと次女と遊ぶのがママの楽しみだったんだから。家に帰り、晩ごはんの仕度をしていると、母(姑)が久しぶりに私の側に来て「この前久しぶりにさえちゃんが夢に出てきてものすっごく嬉しかった。バグしたら今までと変わらない柔らかい抱き心地で気持ち良かった・・・」と泣きながら話してくれた。私はこの頃、父や母とは挨拶するくらいであまり話していなかった。私がキッチンに晩ごはんを作りに行くと、隣のリビングでテレビを見ていた父と母はテレビを消してさっと寝室に行ってしまうのだ。私は避けられているのかなと思っていたが、母の話では父も母も最近よく「どうしてさえちゃんが返って来ないんだ!」と悔しくて仕方がなくてだからママの顔を見るのが辛いんだと言っていた。父母の思いも私たちと一緒なんです。私たち家族は今もこんなにもさえりんの面影を探してしまう・・・いつ、どこで、何をしているときでも、忘れられるはずもない・・・きっとこれからもずっとそうかもしれない・・・それだけ私たち家族にとって、さえりんは尊くかけがえがなく、大きな存在だったのだから。(さえりん7歳の秋 移動動物園にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月16日
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私が車を運転する時いつも注意してるのが歩行者と自転車。特に横断歩道を横切るときに一番気を遣うのです。歩行者や自転車がいないか、急に飛び出してこないかと。それは、もう二度とさえりんのような悲しい被害者を出さないために・・・主人も私以上に超ゆっくり確認しながら横断歩道を横切る。夫婦揃って思いは同じだから。昨日もお墓参りに行こうと車を運転していたら、私が左折しようとする横断歩道をゆっくりゆっくり自転車で渡っているお祖母ちゃんがいた。私はそのお祖母ちゃんを慌てさせないようにじっと止まって待っていた。そのお祖母ちゃんはちょっとフラフラしながらゆっくり走り去っていった。私はその様子を見届けてからゆっくりと左折した。後ろの車は迷惑だったに違いないが、これも人の命が最優先だから仕方がない。私はふと思ったことがある。このお祖母ちゃんは今まで何十年もの間多分こうして何万回、何十万回自転車に乗りそれでも今もこれからも生きていかれる。それなのにさえりんはたった20年11ヵ月で、生まれてはじめて交通事故に遭い、即死してしまった。この違いはなんだろうって・・・それはこのお祖母ちゃんは運が良くて、さえりんは運が悪かったのだろうか??このお祖母ちゃんは運が良いから今まで長い人生の中一度も危険運転手に出会わずに生きて来られ、さえりんは運が悪いから、ついうっかり見落とすような危険運転手に出会って死んでしまったのだろうか??どうして、何が違うんだろうか??もしこのお祖母ちゃんがものすごくいい人だったとしても、さえりんだって負けないくら優しくていい娘だった自信はある。そして周りを見渡せばこのお祖母ちゃんだけではない、大勢の人が毎日のように自転車に乗り生活をし、長年何事もなく生きている。もしかしたら交通事故に遭った人もいるかも知れない、怪我や病気をされた方もみえるだろう、でも今こうして生きてみえる。それなのに、さえりんは突然亡くなってしまった・・・これは運命なのだろうか???いや、私はそうは思いたくはない!!この世の中不運なことに出会って、何でも運命で片付けられたらそんな不公平で理不尽なことはないのである。そんな加害者に都合のいい言い訳が許されていいわけがない!!!私はさえりんが運が悪い人だとは少しも思っていなかった。確かに少しハンディキャップを持って生まれたが、明るく天真爛漫で純真で人に恵まれ愛され、可愛がられて充実した幸せな人生だったと思う。あの日、あの時、あの加害者の女性運転手に出会ってしまうまでは・・・どうしてさえりんがあんな危険運転手に出会わなきゃいかなかったのか、どうしてさえりんじゃなきゃいかなかったのか、いつまで経っても答えはわからない。一生見つかることはない・・・だけどひとつ言えることは、この交通量が多い車社会の中で運の良い人と運の悪い人を作らない秘策はあるのです!!それは車を運転する全ての人の意識を変える事!!自分は大丈夫、交通事故なんて起こさないと思うおごりを捨てる事!!いつ誰が交通事故の被害に遭っても、加害者になってもおかしくないのです!!そういう危機意識を常に持ってハンドルを握ってほしいのです!!こんなに簡単なことなのに、人はどうして自分がその立場にならないとわからないんだろう。とても悲しく愚かなことに感じる。かくいう私も今まではそんな愚かな運転者の一人だったのだから・・・運転免許を取って30年以上、毎日のように車に乗っていたのにそこまでの危機意識は持っていなかった。だから、こんな私だったから、自分の命より大事な娘の命を失うことになってしまったのかと思うとやり切れない・・・やり場のない怒りと後悔で押しつぶされそうになる・・・どうかみなさんはこんな私のようにならないでもらいたいのです。そして、さえりんのように理不尽な交通事故で命を落とす人がもう出ないような、社会にしていきたい!!だから、さえりんに起きた悲劇を大勢の人に知ってもらいたいと思ったのです!!これはドラマやフィクションではないのだから!!もうこんな悲惨な家族を生み出さないためにも、私は訴えていきたい!!車を運転する全ての人の意識が変れば、交通事故は減るのです!!車の性能や、自動運転が進めばいいのではない!!車を作るのも人間だし、動かしているのも人間なのだから人のせい、車のせいではなく、意識と自覚で事故は減らせると私は確信している。交通事故は天災ではなく、人災なのだから!!誰だって運が良いときも、悪いときもあり、比較的運が良い人、悪い人もみえると思います。そんなこと私だってわかります。だけど、このことだけは、交通事故の事だけは運の良し悪しで簡単に片づけられては困るんです!!誰もが平等に命を尊ばれ、当たり前に安全を確保される権利があるのです!!それなのにどうしてさえりんの人権は守ってもらえなかったんでしょうか??どうか、運がいい人、悪い人の出ないような、老若男女誰でも安心して笑って暮らせるような社会になれますように・・・これが私たち家族と、さえりんからの心からのお願いなのです・・・(小学1年生のさえりん 小学校にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月15日
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今日はバレンタインデーです。想い出されるのは毎年必ず作ってくれたさえりんの手作りチョコレート。さえりんは家族全員に作ってくれた。そして仲のいい男の子や女の子のお友達や、去年と一昨年は職場の人にも作ってみんなに配っていた。といっても、さえりんのは固形チョコを買って来て、溶かして型に入れてトッピングを付けて固めるだけの簡単チョコ。さえりんが幼稚園児の頃私と一緒に作ったものをそのまま大きくなっても同じ作り方でずっと作っている。これはさえりんのこだわりでもあると思う。本当に誰でもできる簡単なものなのに、さえりんの相手を思う気持ちが一番嬉しかったのです!さえりんはバレンタインデー以外にも誰かの誕生日や記念日や気が向いたときによく作ってくれた。もちろんチョコだけじゃなくてメロンパンやレアチーズケーキおこしもの(この地方でひな祭りに作る米粉を使ったお餅に食紅をつけたお菓子)カレーライスなどをよく作って食べさせてくれた。クラフトのカゴもそうだけど、全部がさえりんの愛だったと思う。実はさえりんにはよく家に遊びに来てくれる同級生の男の子がいた。恋愛とかそういう関係ではない。ただ気が合う仲間。同志でゲーム友達。だからその男の子の土日休みがさえりんも休みになると電話をかけ家に来てもらい一緒にゲームして遊ぶのをとても楽しみにしていた。さえりんが事故に遭う2日前の日曜日にも一緒に遊んでいた。それが最後になるなんて誰も知らなかった・・・きっとものすごく楽しかったと思う。私も、唯一その事だけが良かったと思っている。さえりんはその男の子に何年も毎年手作りのチョコを渡していた。さえりんの本当の気持ちはもう誰にもわからない。でもきっとさえりんの心の中は透き通った淡いピンク色だったに違いない。今年のバレンタインは作ってくれるさえりんがいないので、私がスーパーで買ったお特用の大袋のチョコだけ。なんて味気なく寂しいイベントなんだろうって思ったら、早く終わってほしい、こんなイベントはもういらないとさえ思った。だけどさえりんが使っていた材料がまだ残っていたのです。冷蔵庫の奥には溶かす用のチョコ、戸棚の引き出しには可愛いアルミのカップにカラースプレーやカラフルな星形の小さいラムネ、アーモンド、マーブルチョコなどの材料がたくさん買って置いてあった。(少し賞味期限切れだったけど)さえりんはまだまだこれからも何度でもたくさん作って私たちを喜ばせてくれるはずだったのに・・・って思ったらまた辛さと悲しさが押し寄せてきた。私は辛くて見ることも出来ないと思ったけど、かといって折角さえりんが残してくれたものを捨てることも出来ない。それで主人に作ってと頼んでみたら、やってくれた。冷蔵庫の奥に数か月も眠っていたチョコはなかなか溶けず苦戦しながら主人は作った。今まではいつももらって食べる側だったのに、今度はさえりんのために、パパが作ってお供えしてくれた。今頃、さえりんはきっとこう言うだろう・・・「パパ上手だね!ありがとう💛」って。(7歳のさえりん 愛・地球博にて)(パパが作ったさえりんへのバレンタインチョコと私が買ったケーキ)(8年前さえりんが作ってパパにプレゼントしたカップケーキ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月14日
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この頃、『謝罪』ってなんだろうと時どき疑問に思う。辞書で調べると『謝罪』とは、罪やあやまちを詫びる事。と書いてある。よくテレビでは誰かの『謝罪』会見が放映されている。しかし、見ていて納得できるものなんて少ない。殆どがパフォーマンスだと、うさん臭くて嫌悪感が走る。そもそも『謝罪』とは自分が犯した罪を認めていることが大前提で、根底になければならないのではないか??テレビの『謝罪』会見はそれが見られないから、うさん臭くて下手な猿芝居のパフォーマンスにしか見えないんだと思う。それと同じことが今、我が家にも起こっているいるのである。だから最近毎日が憂鬱で不快感で不安定なことが多い。保身の加害者が、娘を轢き殺してから8ヵ月も経って連絡を取ってくる。今更???である!!!昨日はまた2度目の手紙が加害者から届いた・・・しかも多分1枚くらいしか入っていない薄っぺらい形だけの手紙である。普通常識のある人ならお礼状や詫び状はたとえ内容が1枚で終わってももう1枚便箋を付けて送るのが礼儀である。そんなことさえりんだって知っている。特別支援学校の生徒は職場実習に行く度にお礼状をきちんと書いている。さえりんも頑張って職場実習に行く度に何度も丁寧に書いていた。しかし、加害者はそんな常識すら知らないとうかがえる。1度目は裏に住所もなかったので仕方なく大きめの茶封筒に入れて宛名を書いてお金を払って送り返してしまった。だから昨日2度目の手紙が届いた時はN弁護士にもすぐ連絡を取り了解を得て、今度は裏に住所が書いてあったので、また封も切らずに着信拒否と赤ペンで書き郵便局の窓口に持って行った。そしたら直接手紙に書くのではなく紙を貼って書くことと印鑑がいることを教えてもらい、そのようにやり直して送り返した。本当にいい勉強である。しかしこんなことは知らなくても良かったことばかりなのに(>_<)私はここまで、無視したのなら一層の事最後まで知らんふりする覚悟があるのかとそう思っていた。自分のしたことをありのまま裁かれる覚悟でいるのならそれならそれで潔いと思う。でも全く違っていた・・・だから余計に許せない気持ちが倍増し、私たちの心はかき乱されるのです!!昨年6月4日、大事な長女 紗愛理が青信号の横断歩道でついうっかり見逃して左折してきた10tトラックの40代後半の女性ドライバーに轢き殺された。加害者は事故から2日目に会社の社長や上司を大勢引き連れ謝罪に来た。その時流した涙も「ごめんなさい。一生かけて償います」の言葉も私には全く誠意を感じることは出来なかった。通夜と葬儀に来たときも同じだった。それから運送会社の窓口になっていた常務からは主人に「これからはもう保険会社の担当者が対応するから」との電話を最後に二度と連絡が来ることはなかった。加害者の女性ドライバーに至っては、一度も電話も手紙すらも訪ねてくることも全くなかった。私は交通死亡事故を起こした加害者というのはこんなものかと落胆し、自分が無知で世間の常識を知らないからかも知れないと思い、図書館で交通事故の法律の本、被害者遺族が出版した本、加害者がどういう対応をしたらいいか実際のケースを書いた本を借りてむさぼる様に読み勉強した。その本の中では、加害者は被害者に謝罪に行くべきであると書いてあった。実際の事例として、「事故を起こした息子が刑務所に留置されてる間、母が毎日のように被害者宅を訪れ罵声を浴びせられながらも謝罪し続けた」例や「毎月必ず月命日には何十年も花を手向けてお線香をあげに通い続けた」例が書いてあった。その被害者と加害者の関係は、最初は泥沼だったが次第に心が通い時間はかかっても償いの形を受け取った様子が書いてあった。それらの本を読んで、私は当然娘の加害者もそのように来るものだと思っていた。来たらどう対応しようか??いつか償いを受け入れる日は来るのだろうか??と一人で考えていた。本当におめでたい人である・・・ところが最初の月命日も、49日も、初盆も、100ヵ日も何回月命日を重ねても、一度も連絡すらない。手紙の1通も来ない。私は愕然とした。本当にお人好しの間抜けな自分が情けなかった。加害者がどういう人間なのか。何故死亡事故を起こしてしまったのか。どういう性格で、どんな環境で、どんな家族がいて、どんな親に育てられ、どんな生き方をしてきたのか全くわからない。だから許しようもないのである。いや許す気なんて全くないけれど、相手に同情する予知すらないのである。だから、それならそれで、ありのまま裁かれる覚悟があるのだと諦めていた。その方が、潔くてまだ信じられた。ところが今頃になって、うさん臭いパフォーマンスをしかけてくる加害者を人として最低だと絶望している!!!!もっと早く心からの謝罪に何度も来てくれていたらきっと今とは全然違う私の心境だったに違いない。この8ヵ月間ずっとこんな思いを抱えていたけれどなるべく心の奥底にしまって出さないようにしていた。私まで最低な人間に成り下がりたくはなかったから・・・そんな相手とこれから戦うのである。刑事裁判で、そして民事裁判で・・・果たして私はまともな精神状態でいられるのだろうか??「お天道様に恥じない生き方」を貫けるのだろうか??さえりんの自慢のママでいられるのだろうか??とんでもない暗雲に飲み込まれているような不安でいっぱいになる。本当はこんな内容なんて書きたくは無いのにと憂鬱が襲ってくる。今はたったひとつの希望の光が、このブログ『さえりんの部屋』だけなのです。どうかみなさんこんな私ですが、幻滅しないで下さったら有難いです。これからも温かい心と目で見守っていただけたらどれほど心強く励みになるかわかりません!!そして、心が折れてしまいそうなパパとママに勇気を頂戴ね、さえりん(さえりん7歳 夏休みに私の実家にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。ミヤちゃんさんへそうなんです。さえりんが出てきてくれたことは嬉しかったけど目が覚めたら悲しくなちゃいました。でもさえりんも私に逢いたかったのかなとそれは嬉しい。さえりんは中学に入ったら私より大きくなりましたよ。次女は今でもチビですが。やっぱりまた夢でもいいから逢いたいですね(≧▽≦)宝ママさんへ次女さん帰省されたんですね!!久しぶりに会えて嬉しかったですね!!次女さんお仕事忙しく人間関係も大変だったら、いつでも辞めて帰って来てもいいと私も言いますよ!!生きていたら何でも出来ますから、命が一番です!!心や体を壊してまで仕事する必要はありませんよ。仕事の代わりはいくらでもあります。「いつでも戻っておいで💛」と伝えてあげて下さい(*^▽^*)シャルルさんへさえりんのこと全てloveって言って下さりとっても嬉しいです(#^.^#)そうなんです。さえりんの事実には相手がいるんです。それが一番苦しいんです。でもご飯食べられます。主人も私も大丈夫です。体力付けて戦いに備えています。さえりんは実はちょっと気になる仲良しの男の子がいました。もっと一緒にゲームをやって遊びたかったと思います。そう思うと本当に可哀そうでした(>_<)最愛の娘のパパさんへいつもありがとうございます!!本当にいい夢でした(*^-^*)たとえ目覚めてから悲しくなっても我慢するので、また逢いたいです!!最愛の娘のパパさんもどうか娘さんが夢に出てきてくれますように祈っています!!
2020年02月13日
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昨日は朝方、久しぶりにさえりんの夢を見た!!何か月ぶりだろうか??夢に出てきてくれたのは。昨日の夢はさえりんが亡くなる少し前の事だった。夢の中で私と主人はさえりんがあと数日で亡くなることを知っていた。もちろんさえりんと次女は知らない。だからその日、みんなで休みをとってさえりんが行きたがっていた遊園地、ナガシマスパーランドに行って開園から閉園まで一日中乗り物に乗りまくった。私も苦手なジェットコースターにさえりんと一緒に何度も乗った。パパはさえりんの写真と動画を撮りまくっていた。次女も一緒にいた。晩ごはんはさえりんの大好物のステーキをみんなで食べに行った。お腹いっぱいで遊園地で一日満足したさえりんはとっても幸せそうだった。私はさえりんをギュッと抱きしめてもう放さないつもりだったけど、気が付くと抱きしめていたのは次女だった・・・そこで目が覚めた・・・(;'∀')きっとこの夢は私の願望だったと思う。最後にもう一回遊園地で思いっ切り遊ばせたあげたかったから・・・最後にもう一回大好物のステーキをお腹いっぱい食べさせてあげたかったから・・・さえりんとの貴重な時間をもっともっと大事に一緒に過ごしたかったから・・・これが最後だと分かっていたのならもっともっともっともっと、やりたいことがあったのに・・・もっともっともっともっと、永遠に大好きだよって伝えたのに・・・だけど、これが最後だと分かっていたのなら私は正常でいられただろうか???取り乱して、泣き崩れて、気が狂って、壊れていたに違いない。だから最後の瞬間まで私はさえりんの身に起きたことを知らされずにいたのかもしれない。もしかしたら、それもさえりんの優しさだったのかな???一昨日私は上申書を書いた。突然の加害者側から迷惑な電話と手紙に対し、憤慨していることを検察官に伝えるために。A4用紙2枚に10項目に分けて書いた。それをN弁護士にメールで送り見てもらった。昨日N弁護士からお電話をもらい感想を伺った。N弁護士は上申書は何通も書いた方が良いと言ってくれた。ただしこの内容は良いが、私が感情に任せて書いてしまったので言葉使いなど不適切な点もあり、少し訂正してくださると・・・(;^ω^)でもN弁護士は加害者が意味不明な行動をしてきたことでこちらも不愉快極まりない思いを上申書に書けて良かったと笑ってくれた。私はそういう考え方もあるのかとちょっとだけ気持ちが軽くなった。N弁護士の話ではこれは起訴されないといけない案件だが、加害者が検察官にどう供述しているかわからない。まだ安心はできないし、まだまだ時間はかかるらしい。私はまた深い憤りとため息が出そうになった・・・これが、ニュースで大きく報道されるほどの交通事故だったらどうなんだろうと、かなり卑屈で僻み根性を出しながら思う自分がいる。それでも待つしかないんだと自分に言い聞かせた。まだ暫く不安と苛立ちの日々は終わらないのである。たとえ加害者が起訴されて刑事裁判になったとしても、私たちはもっと辛く苦しい現実と向き合わなければならない。これが交通死亡事故の被害者遺族の現実である。私はこの事実をもっともっとたくさんの人に知ってもらいたいと思った。だって、私もこうなるまで全然知らず、交通死亡事故なんて自分とは別世界のまるでドラマの中の出来事だと思い込んでいたのだから・・・もしもたったひとつだけ願いが叶うのなら、あの事故が起きる前に戻りたい!!昨日の朝見た夢の日まで、時間を戻してもらいたいと真剣にそう思った・・・(さえりん13歳の春休み はじめてナガシマスパーランドへ家族で行ったとき)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月12日
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今、大学1年生の次女は春休みに入った。ところが最近またリビングのこたつで一生懸命勉強をしている。それは自動車学校のテスト勉強でなんです。次女は夏休みに自動車学校に通い始めたんですが、大学の夏休みは思ったより短く、おまけに一週間実習が入ったり宿題はないけど実習のレポート作成や、サークルの夏合宿や行事が入って思うように自動車学校が進まず秋は大学も忙しく、冬休みはまた合宿であっという間に終わり、今春休みになってようやく自動車学校に再び通うところなんです。ところが次は仮免のテストからなので、受からないと進めない段階。それで次女もようやく重い腰をあげて勉強し始めているんです。私、知らなかったけど今は自動車学校の入校期限が9か月なんですね。昔の6ヵ月だったら1月末にまだ春休み前で行けないままアウトでした(;^ω^)本当に助かりました!!高額なお金を無駄にしないで済みそうです。次女には何とかこの春休み中に免許は取ってもらいたいです(≧▽≦)昨日は久しぶりに次女と一緒にお墓参りに行くと、次女は何やら真剣にお参りしていました。そして「あとはお姉ちゃん頼みだな!」と言うのです。聞くと、年末にも父母弟と次女と私の5人でお墓参りに来た時も次女は、お墓のご先祖様と家のお仏壇のお姉ちゃんに手を合わせ、「どうか学年末のテストが合格し追試になりませんように!」とお願いしたら追試にならず済んだんだというのです。もちろん努力もしていましたが。次女の中ではやるべきことをして後はご先祖様とお姉ちゃん頼みなんだそうです。だから今回も自動車学校の仮免試験もお願いしたみたいです(≧▽≦)今でもお姉ちゃんを頼りにしている次女が、何だか可愛いなあと思いました。一年前の今頃、次女は今通っている私立大学の入学試験日でした。この大学は3日間試験があって1日でも受かっていれば合格というシステム。それで1日だけ受けても2日でも、3日受けてもいいそうで、次女は行きたい大学だったので3日間受けました。そして合格したとき、家族は大喜びして、私はホールのケーキを買ってお祝いしました!次女は少し呆れてましたが。もちろんさえりんも自分のことのように喜んでいました!(^^)!さえりんはお祖父とお祖母に「妹は頑張って大学に合格したんだよ!!」と自慢げに話していました。そして自分も妹のために何かしたいと言うのです。さえりんは、妹が自分の出来ないことにどんどんチャレンジしていく姿をどんな思いで見ていたんだろうと、今になって想うのです。きっとちょっと寂しくて、ちょっと誇らしいそんな思いだったのではないかと。それでも優しいお姉ちゃんのさえりんはいつも妹の心強い味方だったのです!!今までには姉妹ゲンカもたくさんしたけれど、それでも姉は姉、妹は妹としてなるべく姉を立てて妹をたしなめて育ててきたことは間違っていなかったと今では実感するのです!だから妹は甘え上手で少し調子がいいところもありますが、それでも今でも「最後はお姉ちゃん頼みだ!」と頼っていることが何より嬉しいのです!!きっとさえりんも妹に頼られて喜んでいるに違いないと思うのです。次女にとってお姉ちゃんは、いつまでも自分を守り助けてくれる優しくて大きな存在であることに変わりはないのです。実は私はさえりんは妹が車の免許を取ったら、自分も免許を取ろうかなと言うのではないかと思っていたのです。私は、さえりんが高校を卒業し就職してから何度も運転免許を取ることを勧めていました。さえりんなら自分の働いたお金で免許を取って軽自動車を新車で買えるくらい貯金は溜まっていたし、運転技術の方もきっと次女よりはドンくさくなさそうだし、あと筆記試験は私も一緒になって時間をかけてコツコツ勉強すればなんとか受かるんじゃないかと思っていたのです。でもさえりんはいつも「私には無理だよ」って自信なさそうに言うのです。だから妹が先に免許を取ったら、自分でも取れるかもしれないと思うんではないかと期待していたんです。ところが、間に合わなかった・・・もしも免許があれば、自転車で交通事故になんか遭わなくても済んだのに・・・もしたとえ交通事故に遭ったとしても、さえりんも車を運転していたら車は壊れても、即死になんてならずに済んだかも知れないのに・・・そう思うと悔しくて悔しくてやりきれなくなります・・・(>_<)それも、もう後の祭りです・・・さえりん、どうか妹のこと守ってあげてね!!パパとママのことも応援してね!!何だか大忙しだね、さえりん(さえりん7歳 南知多ビーチランドにて、私の妹家族と一緒に)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月11日
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最近の私はメンタルが下がっていて重いブログばかり書いていた。書いている私も、多分読んでくださるみなさんもうんざりしていたのでは。それで今日は娘、さえりんとの楽しい思い出を書こうと思います。だって、このブログは恨みつらみを書くためにはじめたわけではないんだから。さえりんという、いくつになっても素直で天真爛漫で無邪気な娘がちゃんと20年11ヵ月の間、確かにこの世の中に生きていたんだと、素敵な想い出をたくさん残してくれたんだと、その証を残すためにはじめたブログなんだから。昨日は勇気を出して私の宝物が入っている開かずの引き出しを開けた。開かないのはカラーボックスが前に置いてあってさえりんへのお供え物やお花や仏具がのっているから普段開けていないのです。その引き出しには懐かしい娘たちが子供の頃に私にくれたお手紙や絵やちょっとしたプレゼントなどのかけがえのない私の宝物が詰まっています。私にはたくさんもらったお手紙や絵の中で心に残っている手紙があります。それは見つからなかったのですが、こんな内容でした。さえりんが小学校1年生の時、私が急用が出来てさえりんが学校から帰る時間に家に居られなくなってしまった。父母も主人も仕事でさえりんは家の鍵を持っていなかった。私は台所におやつを用意して、置手紙を書いて裏口のドアに貼り、裏口だけ鍵を空けて出掛けました。そして家に戻り裏口から入ろうとドアを見ると、私が貼った手紙は剥がして代わりにさえりんからの手紙が貼ってあった。こんな内容でした。ままへおかえりなさい。さえりはだいじょうぶだよ。ひとりでおるすばんできるよ。おやつたべたよ。ありがとう。ままがかえってくるまでいいこにおうちでまってるよ。ままいつもありがとう💛だいすきだよ。私は感動して家に入ると、一人でテレビをつけて遊んでいたさえりんがとっても健気で愛おしくてギュッと抱きしめて泣きました。そしてこれはさえりんが高校生のときくれた手紙です。お母さんへ私を産んでくれてありがとう。私が幼い時からよく怒ってばかりで嫌な思いもよくしていたけど、でもそれでも私のことを思っていたんだね。いつも私のことをしっかり見ていてくれたり、自分も疲れているのに私のことを一番に考えてくれてありがとう。口うるさく言われたり、きついこと言われてうざく感じたり頭に来たりしたけど、やっぱりお母さんは私のこととってもとっても大切で、大好きな親なんだとあらためて思いました。昨日だって私がのどを痛めた時、疲れているのに私を病院に連れてってくれて本当にありがとう💛お母さんが私のお母さんで本当に良かったです。お母さん大、大、大好きです💛 お母さんの娘 紗愛理より💛我が家は女の子2人だったからか幼稚園くらいからよく絵やお手紙を書いてくれた。私も返事を書いたりたくさんやり取りをしていました。昔はたくさんありすぎて粗末に扱ってしまったものも多く、今となっては広告の裏の落書きでも全部大事にとっておけばよかったと後悔している。それでも、残っているのもだけでもたくさんたくさんあって、主人もたくさんとっていて、今では大事な大事な宝物なのです!!私は今までさえりんに手紙で伝えたかどうかわからないからこのブログにお返事を書きます。さーちゃんへママの娘に生まれて来てくれて本当にありがとう💛ママはさーちゃんが生まれてから20年11ヵ月間ずっーとずっとものすごく幸せでした!!つい口うるさく怒ったのもさーちゃんのことが大事だったからなんだよ。でもわかっててくれたんだね。嬉しいかったよ!今は会えなくてめちゃくちゃ寂しいけど、それでもママはさーちゃんがいてくれたこと絶対に忘れることなんてできません!!ママの中でさーちゃんとの思い出はなによりかけがえのない宝物です。本当にありがとう!!ずーっとずっと大、大、大好きだよ💛 永遠にさえりのママより💛(小学1年生夏のさえりん)(香嵐渓の渓流で泳ぐさえりん)(さえりんが描いた絵)(さえりんが書いた手紙)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。ミヤちゃんさんへいつも私の見方でいてくださり、さえりんの見方でいてくださり本当に嬉しいです!!これからまだどうなっていくかわかりませんが、裁判の行方を最後まで見届けていただけたら嬉しいです(*^▽^*)そしてこんな人がいる、こんなことが実際にあったんだと広めていただけたら少しはこんな理不尽なことがまかり通る世の中に警鐘を鳴らせるのかな??宝ママさんへ宝ママさんとはいつも同士のように、同じ境遇の仲間だと感じています💛いつも応援してくれてありがとうございます!!とっても心強いです(≧▽≦)お互いに娘の事ですからやっぱり納得できるまであがいた方がいいですよね。真実なんてわからないかもしれないけど、やらない後悔はもう嫌だから。検察官にしっかりアピールしますね。ブログでたくさんの人が注目してるって!!シャルルさんへいつもさえりんのこと本当に可愛いと思って下さること心から感謝しています。もっと早く知り合いたかったです。さえりんに逢ってもらいたかった!!私もシャルルさんと知り合えて本当に嬉しいです。いつかお母様にもお逢いして妹さんのお話も伺ってみたいです(*^_^*)いつも見方でいてくださり心から感謝しています!これからもお願いいたします!最愛の娘のパパさんへ交通事故の事、日本は加害者天国だということ私もこうなるまで知らなかった。まさかの状態で知りたくはなかったです。しかし現実に起こってしまいました。でも、私には祟るという行為は多分できません。祟る行為は私だけが地獄に落ちそうなので。だから必死で戦うのです。武器は娘への愛だけです!!たとえ加害者と地獄に落ちても構わない覚悟で!そしてこんな現実を世間に知らせる手段を考えています!!私は諦めません!!これからも宜しくお願いします(^_-)-☆
2020年02月10日
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昨日の朝、加害者から手紙が来ていることに気づいた。宛名は主人宛て、裏には差出人の名前だけ、住所は書いていない。私はその手紙を見ただけでも悪寒が走った・・・礼儀の欠片も、誠意も全く感じなかった。主人は「封を切らずにすぐに送り返せ!」と言った。私もそう思ったが、何を書いてきたのか見たい気持ちも少しあった。まずN弁護士にメールで訊ねた。すると、N弁護士も主人と同じことを言われた。先日、線香をあげたいという申し出を断ったからだと思う。相手は2月7日に2回目の検察官からの呼びだしを受けている。だから少しでも自分の罪を軽くするために必死なのだと思う。どこまで私たちを舐めているのか!!!加害者には良心の欠片も見られない!!!人を一人殺している罪をまともに償う気もないのか!!!その浅ましくて愚かで醜い行為に、悪寒が走るのである!!!今まで8ヵ月何の音沙汰もないのは、自分の罪を全部そのまま言い訳も隠し立てもせずに、全てを受け入れるつもりなのかと思っていた。しかし、そうではなかった・・・こんなに保身で自分の身だけがかわいい加害者に愕然として言葉の出なかった。こんな人間にさえりんは殺され犠牲になったのかと思うと悔しくて苦しくてやりきれない辛さで爆発しそうだった。私はお店が開く時間を待ってダイソーで大きめの茶封筒を買ってその手紙を入れて、その足で郵便局の休日窓口でお金を払って郵送した。一緒に一昨日作った紛議調停の書類も郵送した。昨日は午後から被害者サポートセンターあいちの被害者自助グループの集まりに参加した。ここへはもう5回目なので一人でも行けるのです。その中でこの手紙のことを話したらみなさんから的確なアドバイスをもらった。・手紙が来たら「受け取り拒否」と赤字で来てポストに投函すればいい。・郵送なら着払い。こちらがお金を遣う義理はない。・今後の連絡は一切弁護士を通してもらった方がよい。なるほどと感心する事ばかりだった。やっぱり私は無知でお人好しだったと思った。・今後、検察官や警察に事故の状況を通知制度を利用して開示してもらうよう 頼むこと。・被害者ホットラインに電話をし、今何をしておくべきか聞いておくこと。・出来れば検察官に面談するとき上申書を作って、聞くべきことを整理する。などなど、アドバイスはとっても参考になった。昨日は参加できて本当に良かったと思った。家に帰り一人になるといろんなことが頭を巡る。私にはまだまだやらなきゃいけないことがたくさんあったんだと。まずは、加害者がきちんと裁きを受け正しく刑に処すまでにしなくてはいけないこと、やれるべきことはたくさんあるのにどこか目を背けて逃げていたのかも知れないと思った。事故の状況確認やや捜査資料の開示請求一つとっても、よく知っておかなければ戦うことなんて出来ないとわかっていながら、心の中では本当は見るのが怖いと逃げたい気持ちでいっぱいだった。さえりんが受けた、死ぬほど痛くて辛く苦しい仕打ちを思えば私なんて本当に弱虫で甘えてるんだと情けなくなった・・・こんなに勇気もなく、ダメなママで・・・ごめんね、さえりん・・・(小学1年生夏のさえりん)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月09日
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私のダメなところはたくさんありますが、今一番そう思うところは何かしようと思っても、迷いが出て、優柔不断になり、詰めが甘いところ。昨年9月K弁護士を解任してから、着手金返還のことで悩んでいた。K弁護士とは、刑事裁判に向かう意見の食い違いで、私がこの弁護士では一緒に戦ってくれないと判断し、まだ何も取り掛かる前に解任してしまった。しかし、保険会社経由で何度、着手金の返還請求を出しても居留守をつかわれ応答なしで、とうとう保険会社も匙を投げた。そこで、県の弁護士会に電話で2度相談し、窓口の担当弁護士から紛議調停の申し立てをするといいと勧められた。紛議調停とは弁護士との金銭トラブルを弁護士会が間に入って解決に向かうよう働きかけてくれること。正し強制力は無いので、応じるかどうかは相手のK弁護士しだいである。それでも、簡単に諦めるよりはやった方がいいとみなさん言ってくれるので、私もやってみようと思い詳しい資料の請求をした。そして、県の弁護士会から、提出書類の見本とご案内が届いたのが年末。ところがここで私の悪い癖が出てしまった。『迷い』である。私の中の良い人がささやくのである。「そんなことまでしなくても、契約を途中解除したのは私なんだから 返って来なくても仕方ないのではないか。K弁護士もお金に困っていたの かもしれないし、160万は大金だけど保険で支払ったお金だから私が直接 損をしたわけではない。労力や手間を考えたらしない方が楽なのでは?」一方、もう一人の私の中のシビアな人は、「こんな理不尽なことが何のお咎めもリスクもないまま簡単に通ってしまったら 相手は丸儲け。きっとこんな泣き寝入りの被害者はますます後を絶たない。 このお金が返って来なければ民事裁判を起こすとき困るのは私たちなんだ! だから、絶対に許してはいけない!断固戦うべきである!!」この2人の私が心の中で葛藤していた。それでしばらくは現実逃避、嫌なことから目を背けて放置していた。ところが先日、保険会社の担当Iさんから「その後どうなりましたか?」と電話をもらった。Iさんはこんなケースは稀で会社の上司にも相談されたそうでやはり私たちから紛議調停をした方がいいとの見解だったと言われた。それで私の『迷い』は一気にやっぱり、やってみようと傾いた。そしてこれをやったからといって『お天道様に恥じない生き方』に反したわけではないと。当然のしかるべき主張をするだけだという考えに及んだ。それで昨日は、ようやく重い腰をあげて紛議調停に必要な書類6枚を主人に手伝ってもらい作った。契約書や必要書類もコピーして6部ずつ準備することが出来た。あとは県の弁護士会に郵送するだけである。私の中には良い人の私と、シビアな私と、悪い私が常に共存している。必ずしも良い人の私が正しいとは限らない。家族や大事なものを守るためには、時にはシビアな私や、悪い私にならなければいけないときもある。もう昔みたいにきれいごとだけでは生きていけないんだと憤りを感じた。(さえりん小学1年生の時)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。昨日はホームセンターでプランターと腐葉土を買って、先日Kちゃんにもらったグラジオラスの球根を植えた。夏にピンクのグラジオラスが綺麗に咲きますようにと願って!花壇には秋に植えたチューリップとヒヤシンスの球根から芽が出てきた。とっても健気に思え、咲いたらさえりん喜んでくれるかなって嬉しくなった。ハナミズキは青翠さんに教えてもらったので3月に植えることにしました(≧▽≦)(ホームセンターで咲いているチューリップも買ってきた)ミヤちゃんさんへいつもお優しいコメント本当に嬉しく励まされています(*^▽^*)愛知県のこと気にしてくださって嬉しいです。私も東京、千葉、岐阜、神戸、岩手、東北、四国、北陸などブログの方々のお住まいのお天気やニュースなどがいつも気になっています。ブログだけの繋がりがこんなにも温かいものだとは思いませんでした。ミヤちゃんさんさえりんをエアぎゅーしてくれてありがとうございます!!シャルルさんへいつもたくさんさえりんへのメッセージ送って下さりありがとうございます!!お住まいは多分車で1時間くらいの距離ですね。出来る事ならこんな形ではなくさえりんが生きている時にお知り合いになりたかったです!「おばバカ」になって下さり本当に嬉しいです!!いつかお会い出来たら感激します(≧▽≦)宝ママさんへ体調大丈夫ですか?お仕事お忙しいですか?心配です(>_<)交通死亡事故をおこす人ってやっぱり起こすべくして起こす、日頃や人格のそういう人なんですね。最近ようやくわかりました。今までの甘い私はそう思いたくなかったんです。自分だっていつ事故を起こすかわからない可能性はたくさんあったんだから。だけど、今になって線香をあげたいと非常識な加害者の態度にそう思わざるをえなくなりました。辛いです。
2020年02月08日
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「お天道様に恥じない生き方をしなさい」これは祖母に教えられたこと。子供の頃、両親が共働きだったので私と妹と弟の3人は昼間毎日、祖母に面倒を見てもらった。私はお祖母ちゃんっ子で夜寝る時もいつも祖母と一緒だった。だから、祖母からたくさんの事を教わった。祖母は明治生まれの人で子供のころから片親で苦労して育ち戦争も乗り越え大変な思いもしながら、家族のため強く逞しく生きてきた。祖母の経験豊富な言葉は子供だった私の心にも深く響いたのです。「人間にとって一番大事なものは信用。 人は信用を無くしたらこの世では生きていけないんだよ」「今の状況から逃げても、結局また同じ状況に陥る。 人は嫌なことから逃げる事は出来ないようになっている。 それは人生が修業だから。修業を放棄したらまともな人間になれないよ」「お天道様に恥じない生き方をしなさい。 自分の胸に手を当てて耳を澄まして、良心に尋ねる事。 人に後ろ指を刺されるような、お天道様をまともに 仰げないような生き方だけはしてはいけないよ」祖母の教えは私の心の中にしっかりと根付き、それが生きる指針になっていた。私自身はその教えを守って健全に日向の道を生きてきたつもりだった。だからかわからないけど、今まで出会った方々はほとんど倫理的で素敵な方が多かったと思う。そして、今このブログを通して出会った方々も本当にお優しい立派な方々ばかりです。それなのに・・・突然奈落の底に突き落とされてから理不尽で到底納得なんてできない現実に悩み、苦しんでいる。どうして人は罪を犯すんだろうか??どうして人はついうっかりで簡単に人を殺してしまうんだろうか??どうして人は自分の犯した罪を正直に認めず、保身に走るんだろうか??どうして人は自分が幸せになれれば人を犠牲にしても構わないと 思うのだろうか??どうして人は信用を無くしても生きていけるなんて思うのだろうか??どうして人は悪いことやズルいことをしてもそれを恥ずかしいとも思わず 堂々と生きていくことが出来るんだろうか??どうして人は罪を犯しても自分の良心が痛まないんだろうか??今までの私には理解不能な現実が襲ってくる。私は、こんな酷い目にも、酷い人にも会ったことが無かったから、世間知らずで平和ボケでのうのうと生きていただけだったかも知れない。こんな過酷で厳しい現実を前に、私は未だどうしていいかわからない。いくら自分の胸に手を当てて良心に尋ねてみても、答えは見つからなかった。『絶対に加害者を許すことなんて出来ない!!』『だけど、加害者に復讐したり、一生恨み続けることも出来ない・・・』宙ぶらりんになった、祖母から教わった私の倫理観が今は自分を苦しめている。一層の事、私も相手と同じように非道な人間になってしまえば楽なのに・・・それでも、綺麗ごとだと笑われるかもしれないけど、やっぱり私は「お天道様に恥じない生き方をしたい!」と思ってしまうのです。その心が返って自分をズタズタに傷つけ苦しめる事になると分かっていても・・・それが馬鹿で間抜けでお人好しでも、さえママという人間なんだから仕方ないんです。だって私はいつまでも、さえりんの自慢のママでいたいから・・・いつかあの世に逝ったとき、正々堂々と胸を張ってさえりんと再会するのが、今の私の一番の夢なんだから・・・いつか「ママよく頑張ったね!!」って褒めてくれるかな?さーちゃん(小学校の入学式のさえりん)(6歳のさえりん 海にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。昨日は嬉しいことが3つあった!!1つ目はいつもさえりんを可愛いというコメントを頂戴するシャルルさんとはじめてお電話でお話する事が出来たこと!!緊張してあまりうまく話せなくてごめんなさい(;^ω^)でもとっても嬉しかったです(≧▽≦)これからもよろしくお願いします!!2つ目は、独身時代からの友人Hちゃんがまた我が家を訪ねて来てくれ、一緒にテイクアウトしたお惣菜を食べながら楽しい時間を過ごせたこと。Hちゃんの地元の名物のクルクルパンをたくさんお土産に頂き、三人文殊さんからいただいた文旦をHちゃんと一緒に頂きました。美味しかったです!!三人文殊さんご馳走様でした(*^▽^*)Hちゃん来てくれて嬉しかった!!ありがとうございました。(クルクルパン)3つ目は、「なおみさん」という方から二度目のコメントを頂きmeronさんに「なおみさん」のことを教えて頂いたこと。お会いできる日をとっても楽しみにしています(#^.^#)これからもどうかよろしくお願いいたします!!これも「お天道様に恥じない生き方をしたい」と願う私へのさえりんからのプレゼントなのかな
2020年02月07日
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昨日は朝、主人が「ちょっとドライブにでも行くか?」と誘ってくれた。私も主人も一昨日の、事故相手の運送会社の電話でかなり気が重くなっていた。それに断ったから来ないとは思うけど、もしかして家に来られても対応に困るから、いない方がいいと思った。昨日N弁護士と電話で話した時にも思ったんですが、私たちは甘いんだなと。相手の下心見え見えなのに、それでも来てもらって文句のひとつでも言って、私のブログを見るように伝え少しでも遺族の想いを感じてもらえたらと、そうすれば少しは反省の心が現われるかもしれないと思いたかったから。でもN弁護士はその可能性は少ないと。家に上がり線香をあげただけで私たちが許したと検察官の調書に書かせる目的だと、教えてくれた。私たちはますます相手の手口の汚さ保身の醜さに絶望した。つくづく私たちはお人好しなんだと落ち込んでいた。それで昨日は主人が気晴らしにドライブに連れて行ったくれた、行先はお隣の岐阜県土岐市。朝は陽が出ていて少し暖かかったですが、急に曇ったり風が強く冷たく岐阜県はちょっとパラパラ雨も降ったり、寒かった。でも車の中は暖かく、おしゃべりしたりおやつを食べたり楽しかった。まず行ったのは土岐市役所。NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の番組展へ。人物像のマップやポスター、等身大パネル、出演者のサイン、撮影に使った衣装などが展示してあった。大河ドラマは面白く楽しみなので、興味深かった。次に行ったのは土岐プレミアムアウトレット。主人は前に行ったことがあるが、私ははじめてだった。特に買うものはなかったけどウインドショッピングするだけでも楽しかった。お昼ごはんにフードコートで高山ラーメンを食べた。最後に多治見市モザイクタイルミュージアムへ行った。ここへは何度も行ったことがあり、可愛いタイルのお土産を買ってくるのが楽しみだった。多治見市笠原町はタイルの生産量もシェアも日本一だそうで、2016年にこのミュージアムが建てられたそうです。変わった形の建物でタイルを使った手づくりコーナーもあり面白いです。私はこのモザイクタイルミュージアムで買った可愛いタイルを貼ってさえりんと次女の部屋のネームプレートや写真立て、コースターを作りました。家から土岐市まで車で1時間半、ドライブに調度いい距離でした。昨日は主人がドライブに連れていいてくれて少し気晴らしが出来ました。これからまだまだ裁判までの道のりは長く、近々私たちも検察に呼ばれるとのこと。そして検察官の判断がどのように下るのか??もし刑事裁判にならなかったら私はきっと気が狂い正常ではいられないだろう。もし刑事裁判になったら今より何十倍も辛く苦しい思いをするだろう。どっちになってもいばらの道である。そして次は民事裁判へ。暗く長い泥沼の戦いはこれから始まるんです。今はそれまでの間のほんのささやかな休息の時。せめて家族だけはバラバラにならないように仲良くいたいものです。でなければ一番悲しむのは、さえりんなんだから・・・(6歳のさえりん)(6歳のさえりん海で)(昨日行った土岐市役所・土岐プレミアムアウトレット・多治見モザイクタイルミュージアム)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。最愛の娘のパパさんへどんなご事情かは存じ上げませんが、お気持ち痛いほどお察しいたします。コメントありがとうございました。
2020年02月06日
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昨日はさえりんの8回目の月命日だったので朝、一人でお経をあげた。その時頭の中を過ぎったのは『罪を償うってどういうことだろう』ということ。昨日は主人が思いがけず早く仕事を終わらせ昼頃帰って来てお花を買って現場にお供えに一緒に行ってくれた。現場には多分最近供えられたであろう花があった。相手の想像はついている。家に帰り遅めの昼食をとっていた午後2時ごろ、突然加害者の運送会社の担当の常務から主人の携帯に電話があった。「加害者の女性ドライバーと線香をあげに行きたい」と。主人は憤慨していた!!今まで8ヵ月知らん顔をしていた相手である!!通夜と葬儀には主人に言われて来たものの、その後は何の音沙汰もなし。「保険会社に任せたから」という電話を最後に連絡は一度もなかったのに。何故今頃になってお線香をあげさせてほしい、ふざけるな!!!主人は物凄く怒っていた!!理由はわかっている!検察に呼び出されたからだ。うちにお参りに来て罪を軽くするためだ!しかも電話をかけてくるのはいつも運送会社の常務である。本人は何も嫌な思いをせずにのうのうとしている!!どうなっているんだ!!主人はその常務に言った。「○○さんもし自分の子供がこんな形で轢き殺されて、8ヵ月も知らんぷりされて 今頃、罪を軽くしたためにお参りしたいと言われてあなたどう思いますか?? 本気で謝罪したいのならもっと早く毎日でも謝りに来るべきではなかったのか! あなたも担当者なら知らん顔ではなく加害者を連れてくるべきではないのか!!」主人の口調は厳しくも、父親の悲痛な叫びだった。私は悲しさを通り越して、憤りと怒りしか湧いてこなかった!!私には加害者の態度は信じられないことばかりだった。現場のお花も多分そうだ。謝罪の件もただのパフォーマンスとしか思えない!!検察官の印象をよくするため、私たちが謝罪を受け入れたとアピールするため弁護士に入れ知恵されたに違いない!!少しでも自分の罪を軽くするために!!刑事裁判になっても加害者は何と供述するのかわからない。殺してしまった娘の事より、自分の身が可愛いのだから。でも私は加害者にたくさん言いたいことがある!!自分も母親ならば、20代半ばの息子がいるらしいがもしその息子がさえりんと同じ目にあったならあなたはどうしますか??8ヵ月も知らんぷりの加害者を許すことが出来ますか??轢き殺した娘のこの先の人生をあなたはどう償うつもりですか??最愛の娘の命を突然奪われた親の気持ちになったことはありますか??あなたは娘を殺して心が痛まないんですか??もしも血の通った人間の心が少しでもあるのならどうしてそんな誠意のない態度が出来るんですか??通夜の前日うちに来て「一生償います」と土下座したのは嘘だったのか??私には、罪を償うとはどういうことなのか??さっぱり分からなくなった・・・結局、N弁護士に急いでメールで相談し、謝罪は拒否することにした。これは本当の意味での謝罪ではないから。ただの点数稼ぎのパフォーマンスにすぎないから。大事な娘を殺しておいて人を馬鹿にするのもほどがある!!どこまでも、どこまでも自分も保身しかない加害者と運送会社に吐き気がした。これがまともな人間のすることなのだろうか??これが心から反省し悔い改めた人間のすることだろうか??そもそも人間の殻を被った鬼畜ではないかとさえ思えてしまう。怒りと悔しさで心がまた壊れそうになった・・・どうしてさえりんはこんな人に出会ってしまったんだろうか??なんの因果関係かわからない。もし何かの罰だとしたら、これは私が過去に犯した罪なんだろうか??身に覚えのないところで人を傷つけたり、罪を犯していたのだろうか??そうだとしたら、どうしてその罰は私に来なかったのだろうか??さえりんではなく私が罰を受ければ良かった!!私が事故に遭って死ねばよかった!!罪の償いなら私が償うべきだったのに・・・私は今までこれほどまで人が憎いと思ったことはない。こんなに誠意のない鬼畜な相手を許すことなんて出来るはずもない。私は相手を憎み、それと同時に私自身も鬼畜になってしまうかもしれない。でも今は共に地獄に落ちても構わないとさえ思う。それほどまでに仏の心を無くしてしまいそうである。誰か教えて下さい!!罪を償うとはどういうことなのか??そして私はこんな加害者をどうやったら許すことが出来るのか??今の私には全くわからないんです!!ただひとつわかっていることは、もう二度と愛娘さえりんは帰って来ないという理不尽で悲しい現実だけです・・・(6歳のさえりん)(4歳のさえりん)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。昨日は最悪な日だったのに、嬉しいこともあった。それは先日お参りに来てくださった高校の同級生のお母さんYさんが午後3時ごろ、うちを訪ねて下さった。Yさんは仕事の途中だったが渡したいものがあると言って来てくれた。それは昨日発売されたローソンのシナモンの形をしたあんまんだった。ネットで発売を知ったYさんは、さえりんがシナモンが大好きだったからとわざわざローソンを何件も回って数量限定だったのに3個も買い集めて持ってきてくれた。「今日はさえちゃんの月命日だから」と。Yさんのお気持ちが何より嬉しくて泣きそうになった。こんなにも優しい人がいるんだと・・・鬼畜になりそうな私の心にも温かいものが込み上げた。(Yさんが3個、その前にパパが1個買っくれたシナモンのあんまん)(夜食べたら美味しかったです。ありがとうございました!!)そしていつもブログを見て下さる方々、温かいコメントをくださる方々や心配してメールや電話をくれたり、時どきお参りに来てくれる友人達がいてくださるから私は復讐の鬼にならずに済んでいるんだとあらためてそう思った。みなさんには心から感謝しています!!これから先、裁判のことや加害者や運送会社のとの対応などで、私自身どんな心境になるのか、どんな状態になるのか全くわかりません。もっと酷い、醜い自分に成り下がってしまうかもしれません。それでも最後まで見届けていただければ有り難いです!!どうかよろしくお願いいたします!!
2020年02月05日
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2月4日、今日は8回目の月命日。最愛の娘、さえりんが突然亡くなって今日で8ヵ月。まだ8ヵ月なのか、もう8ヵ月なのかはわからない。ただ現実問題としては刑事裁判は一向に進んでいない。こんなに時間がかかってそれで起訴されないなんて事があったら私はきっとどんな手段を使ってでも抗議するだろうと思う。そして、加害者や運送会社の関係者にも私の思いを訴えなければ気が済むはずもない!死んでも許せるはずもない!!自分たちがしたことの重大さをもっと知るべきではないか!!被害者遺族の気持ちや想いにもっと耳を傾けるべきではないのか!!もっともっと誠意を持った謝罪は出来ないのか!!もはやまともな心を持った人ではないとさえ思える。さえりん、今日は私一人では現場に行く勇気がないからゴメンね。明日、パパと一緒にお花持って行くからね。今日はまたさえりんへお手紙を書きます。さえりんへあなたと会えなくなって8ヵ月が過ぎました。最近のママは前向きだったり、急にメンタルが落ちたり、心のバランスを保つのが難しいです。さえりんもそうかな?ママや家族に逢いたくて泣いちゃうこともあるのかな??この頃さえりんはママの夢に殆ど出てきませんね。原因はわかっています。私がさえりんの事ばかり想っていないからだね。最近のママは次女と話をしたり、次女のことも思うことで現実逃避してることがあるからだよね。きっとさえりんにはバレバレなんだよね(;^ω^)だって言い訳だけど、さえりんの事ばかりをずっと考えていたら逢いたくて逢いたくて心が押しつぶされて病気になっちゃいそうなんだよ。だから時どき次女に癒されてるんだ。ゴメンね・・・(;'∀')この前パパがさえりんの夢を、朝方見たんだととっても喜んでいたよ!さえりんに逢えて「さえり生きていたんだ!良かった!!」と握手したんだって。その手がフワッとして柔らかくてさえりんの手そのものだったって。パパは夢を見ながらトイレに行きたくなったけど、起きたらさえりんの手を離さないといけないから我慢してたんだって(≧▽≦)さえりんは今ママがこんな精神状態だから、代わりにパパのところに逢いに来たのかな??もしかしたらさえりんも寂しくなったのかな??だったら今度はママのところに逢いに来てよね!!ママは握手だけじゃ我慢できない、ギュッと抱きしめて放さないから。もう二度とさえりんを放したくないんだよ!!たとえ夢でもね。昨日はママの友達のYちゃんがピンク色のグラジオラスの球根を持ってきてくれたんだ。グラジオラスは7月のさえりんのお誕生日頃に咲くから楽しみにして、明日植えようと思ってるんだ。それから去年の秋、花壇に植えたチューリップの芽が出てきたんだよ!チューリップが咲いたらさえりん喜んでくれるかな(*^▽^*)あと昨日meronさんのブログ見て思ったんだけど、ママはさえりんのメモリアルとして、ピンクのハナミズキ植えようかと考えたんだ。ちょうど5月~6月頃可愛いらしい花をつけるからね。でも、うちの庭は日当たりがイマイチだからか、土のせいかわからないけど家を建てたときに植えたピンクと白のハナミズキは2本とも1、2年で枯れちゃったから、植える場所や対策を考えないとね。だけどママはさえりんがお空から見てもすぐにお家がわかるようになるべくお花いっぱいで綺麗にしておきたいんだ!ちゃんと見ていてね!さーちゃん!!あと最近のブログの写真凝ってるでしょ!パパが毎晩こだわって写真を厳選して作ってくれてるんだよ!さえりんの可愛い写真をアルバムみたいにブログで紹介したいんだって。やっぱり相変わらずパパもママも親バカですね(≧▽≦)じゃあまた来月もお手紙書くからね。お返事は来なくても我慢するから、せめて読んでね!!またね!さーちゃん ママより(5歳~6歳のさえりん)(この動画はパパが連写で撮った写真を50枚繋いで作りました)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月04日
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昨日は午後から行くべきところがあったのに行けなかった。前の日から私の心はざわざわしていた。昨日も朝からずっと迷っていた。行こうか?やめようか?それはTAV被害者遺族の会。昨年10月はじめて参加した。その時はmeronさんに連れて行ってもらった。その時会の人に言われたことが「よくここまで辿り着いてよかった。この会の存在を調べて連絡を入れてきても当日来られない人も多いいんだよ」と。それだけ交通被害者遺族が一歩踏み出すのは困難で勇気がいる事なんだと知った。その頃の私は藁尾も掴む思いで感情も麻痺していたかもしれない。しかもmeronさんの存在が大きかった。だから行けたんだと思う。meronさんは私の師匠みたいな付いて行きたい人だから(≧▽≦)(迷惑だったらごめんなさい)でも今回はいつまでもmeronさんを頼ってばかりではいけないと思い、自分一人で行ってみようと思っていた。一度行ったんだから、2回目だから行けるような気がしていた。だけど昨日は朝から体が重く、気が重く、頭痛もしてきた。行けばきっといい方たちばかりだとはわかっていたけど、一歩踏み出す勇気がなかなか出なかった。またつい最近みたいにメンタルブレイクするかもと怖くなった。人見知りでメンタルの弱い自分に自己嫌悪した。まるで登校拒否の子供みたいだなって思った。それで昨日は珍しく家にいた次女とぼーっとドラマを見て過ごしてしまった。だけど次女がいてくれたことが何より救いだった。私は今まで後悔するような人生は送りたくないとずっと思っていた。だけど、さえりんを失ったあの日からは後悔の連続だった。どうしてあの時、もっとさえりんと話をしなかったんだろう??どうしてあの時、「ママは仕事が休みだよ」の一言が言えなかったんだろう??どうしてあの時、「お昼はママと一緒にお寿司を食べにこう」って言わなかったんだろう??そうしたら、こんな交通事故は起きなかった!そうしたら、さえりんは死なずに済んだ!!そうしたら、今頃今までと変わらない平穏で幸せな毎日だったのに!!!今日は被害者遺族の会へ行けなかった、ただそれだけなのに今までのやれなかった事の後悔がまた押し寄せてくる。不甲斐ないママでごめんね。さえりん。次女はこんな私を見て「まあそういう時もあるよ。それでもいいんだよ」と肯定してくれた。きっとさえりんも次女と同じことを言ってくれると思う。多分パパも。こんなダメな私だけど、優しい家族に恵まれて幸せだと思った。ありがとうみんな。(さえりん5歳の時)(三人文殊さんお供え物ありがとうございました!!)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月03日
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昨日は実家へ行った。隣県に住む妹が、うちの次女に娘さんが使っていた参考書をくれるとラインをもらい実家で会うことになった。妹は相変わらず元気で屈託がなく明るい。浮き沈みが激しく最近どよーんとしていた私をブログをチェックしながら心配してくれている。妹は「お姉ちゃん一緒に、ウオーキングに行こうよ!」と『気軽に参加できる さわやかウオーキング』のパンフレットをくれた。いつでも参加自由で最寄り駅まで電車で行って地図をもらって名所を歩いて回るコースがたくさんついている。そういえば我が家の近くでも時どき駅からリックを背負った中高年の団体が神社やお寺、馬街道などに向かって大勢歩いている。そういうプランだなと思った。健康のためにも流行っているらしい。妹はご朱印帳も見せてくれ、今度はマンホールカードも集めるらしい。妹は仕事もしながらも自分の趣味も見つけて楽しんでいる様子がみえる。今の私の状態を心配して誘ってくれることが何より嬉しい!「そうだね。行ってみよう!運動不足だしね」と私。やっぱり姉妹は心強いなって思った。シャルルさんの妹さんの内容のコメントを見て姉妹の絆の強さを思う時、私なんて姉ながら全然自分のことばかりで姉らしくなかった事を反省した。それでも今私のこの状態をいつも心配してくれる優しい妹に感謝だなって心からそう思った。我が家の娘たちを想うとさえりんは妹思いの優しいお姉ちゃんだったけど最初からそうだったわけではない。2歳4か月違いで妹が生まれたとき、さえりんは知的にも1歳半くらいの遅れがあったのでとても姉としての自覚なんて全くなかった。妹がハイハイしたり動き回ると自分のおもちゃやテリトリーを荒らす悪者だと感じたのか、目を離すと馬乗りになって髪の毛を引っ張って妹を泣かせていた。困った私は保健センターの児童心理士の先生に相談すると「さえりんの精神年齢の成長より妹の成長の方が早くなるはずなので 妹に今は我慢させて言い聞かせ妹を姉のように育てなさい」と言われた。医学的な対処方法としてそれが正しいかもしれないけど、しかし、私はそのやり方に納得できなかった。だって私もちょっとも姉らしくなくて、妹のほうが優秀でしっかりしてたけどそれでも姉は姉として、妹は妹として育ててもらったのである。どう考えても、たとえどんなに障害があろうともやっぱり姉は姉、妹は妹である。それで私はいろいろ悩んで、さえりんに言葉の魔法をかけた。「さーちゃんはお姉ちゃんだね。優しいね!」と毎日何度も言い聞かせた。そして妹におもちゃを貸してやれたり、順番を譲ってやれるとオーバーに喜んでさえりんをギュッと抱きしめて褒めた。さえりんはどんどん聞き分けが良くなり、妹思いの優しいお姉ちゃんへと変身した。次に妹にも言葉の魔法をかけた。「お姉ちゃんは優しいね。お姉ちゃんには敵わないね。あなたは可愛いね!」と。すると妹もお姉ちゃんを頼りにして甘えて、どんどん可愛い妹に変身した。今でも次女は人に甘えるのが得意で、目上や先輩に可愛がられる事が多い。本当に言葉の魔法の威力は凄いなって思った。それ以上に素直に汚れない心で真っ直ぐに育ってくれた娘たちが愛おしかった。姉と妹、世界でたった2人だけの姉妹。次女には姉を亡くし可哀そうなことをしてしまったと思う。親には気を遣って言えないことのあるのかもしれないし、お姉ちゃんがいなくなったことで、一人で家や親を背負わなければとプレッシャーもあるかも知れない。だけど、私も主人も、もちろんさえりんもお空の上から次女の幸せを心から願っている。次女が夢や希望を持って「毎日楽しいよ!」って笑って過ごしてくれることを何より願っている。さえりんはきっと今でもこれからも、妹を守ってくれる最高の優しいお姉ちゃん!!ママの言葉の魔法は、いつしか本物となり姉と妹の絆は永遠になったのだから・・・(さえりんと妹)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。nao_ken_leoさんお久しぶりです!!いつも私の拙いブログ見て下さり本当に嬉しいです!!naoさんもいいお父さんだと思います(^_-)-☆夫婦はいろんな時がありますが、子供を思う親の気持ちは同じです!これからもどうかよろしくお願いします!!シャルルさんへいつもさえりんを可愛いと言って下さるコメントに心が救われます(≧▽≦)妹さんと年が離れていて半分母親のようなお気持ちでいらしていたんですね。妹さんはお母さんが2人いて本当に幸せでしたね。親であれ、兄弟姉妹であれ自分を心から愛してくれる人の存在は永遠だと私は信じています!!ミヤちゃんさんへいつも私たちを気遣って下さるコメントに心が温かくなります(#^.^#)さえりんのこと理解して可愛いいと思って下さることに心から感謝しています。ミヤちゃんさんがなんだか私のお姉さんみたいに感じています!(嫌だったらごめんなさい(;^ω^))これからもどうかよろしくお願いします!!宝ママさんへ喉風邪は大丈夫ですか??心配です。でも親って凄いですよね。子供のためにと気が張っているときには病気にならないけど、気が抜けてメンタルが下がると体調を崩しますね。次女さんの帰省、本当に嬉しいですね(≧▽≦)たくさん触れてオキシトシンが出て、幸せホルモンで元気になれますように!!
2020年02月02日
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昔からよくことわざで「子は鎹」といいますが一般的な意味は夫婦関係がうまくいってないけど、離婚せずにいられるときによく使われています。鎹って何か私は知らなかったけど、柱と柱を繋ぐ金属製で先端が尖ったコの字型の金具なんですね。柱と柱は鎹によって繋がれている。柱と柱を夫と妻だとすると子供という鎹が繋ぎ合わせてくれているからバラバラにならずに済んでいるという意味なんですね。主人と私は離婚したいとかは全くなくて逆に主人がいなかったら私は生きていくことが出来ません。でも今の私は子供がいなかったら、きっと死んでいた。肉体もそうですが、それ以上に心が死んでいたと思います。ここ最近、心が壊れてどうしょうも苦しくなったときその前にもさえりんを失って生きる気力を完全に無くしてしまったとき奈落の底で真っ暗闇の中の一筋の生きる希望は、次女の存在でした。今は次女の存在が、私という壊れそうな柱とこの世に生きていくという土台を繋いでくれるかけがえのない鎹になってくれているのです!!一昨日の心が荒んで酷い心境の時も、大学のサークルの打ち上げで夜遅く帰ってきた次女が、泣きはらしてどんよりした私の顔を見て「ママなにかあったの?大丈夫?」と優しく声をかけてくれた。私は「大丈夫だよ。ママは心の浮き沈みが激しいからこういう時もあるんだ」というと、次女は「そっか。そういう時もあるよね」とさっぱりとそれ以上は詮索せずに、大学での楽しい話をしてくれた。私は次女との楽しい女子トークにどれだけ救われているだろうかと思った。次女は素直で何でも話してくれる娘。普通の女子大生は母親に何でも話すのかは知らないけど、次女はよく話す。というより黙っていられない性格なのかな?前に次女の友達2人が泊まりに来てくれた時「お母さんと何でも話せる関係っていいなあ」と言っていた。普通はどうなのかはわからないけど、私は次女の話を聞くことで若いパワーと元気をたくさんもらうのです。次女は無意識に何となくしていることだと思いますが、今の私にとって次女との楽しい会話は、生きるための源、命綱になっているのです。結婚前卵巣ガンで卵巣を片方ともう片方も半分以上切除しているので私は子供が出来るのかとっても心配でした。主人は出来なかったらそれでもいいと言っていたけど私は子供が欲しかった。そしてさえりんが元気に生まれ、次女を妊娠中に卵巣ガンの再発もありギリギリの選択で未熟児で産んでしまい次女には可哀そうなことをしてしまいましたが、二人の娘を授かったことはこれ以上にない幸せでした。2人の娘は主人と私に最高の幸せを運んでくれたのです!本当に生まれてきてくれてありがとう!!人生は何があるかわからない。突然こんなことになってしまいさえりんとはあの世とこの世に離れ離れになってしまったけど、次女もいつかは大人になって親元を巣立っていくと思うけど、それでもさえりんと次女の2人の娘はいつまでも私たちの宝物なのです!!(0歳から2歳までのさえりん)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。昨日書いた、トラックの轢き逃げ犯は事故の翌日逮捕されました。娘の加害者とは違う運送会社でした。トラック運転手は「身に覚えはない」と否認しているそうです。嘘と言い逃ればかりの自分勝手な行動は許すことができません!!
2020年02月01日
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