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昨日はなーんにもやる気が起きない日でした・・・(;'∀')無気力感・・・最近時どきこういう状態になるのです。頭が考えることをやめて、もう何もかもどうでもいいと思ってしまうのです。午前中はそれでも何とか何とかいつものルーティンワーク。午後からはさらに憂鬱感が酷くなり、次女に頼んでボーっとしながらもドラマを一緒に見てもらった。特に見たいわけでもなく、特に面白くもなく、ただ気を紛らわすための現実逃避・・・これって何か意味があるのかな???急に気温が下がって寒くなってきたからでしょうか???それとも、心が波立ってこれはおかしいと吠えた反動なのでしょうか???急に寂しくなったり、何をしてるんだろうって嫌になったり、どうしてこんなことになっちゃったんだろうって悲しくなったり・・・私、怠けてるのかな???私、甘えてるのかな???私だけが堕落したダメダメ人間で、私だけが世間から取り残されたような気がする・・・このままでいいわけないと思うけど、ここから抜け出す気力が湧いてこない・・・今は花さえも買いに行く気力も無く、買い物も行きたくない、完全なる引きこもり。お仏壇の前でゴロンと横になってさえりんに話しかける。さえりん、お願だよ!!もう一回初盆の時みたいに、リアルに夢に出てきてよ!!さえりんがお空で元気にしてる姿が見たいよ!!お友達がたくさん出来て楽しく過ごしてるってママに教えに来てよ!!ママはさえりんの笑顔がもう一回見たいんだよ!!遠く遠く離れ離れになっても、逢えなくても繋がってる、いつも側にいるってわかっているけど、それでも逢いたくて仕方ないよ!!目をつむってウトウトしてもさえりんは出てきてはくれなかった・・・(>_<)どうして、さえりんだったの???どうして、さえりんじゃなくっちゃいけなかったの???どうして、さよならも言えずにあの世へ逝かなくっちゃいけなかったの???どうして、ママはさえりんに最後に「ありがとう、大好き」って言って 手を握り抱きしめてあげることさえ許されなかったの???どうして、私たち家族がこんな酷い仕打ちを受けなくちゃいけないの???どうして、こんな過酷な人生を歩まなきゃいけないの???どうして、私はそんなに悪いことでもしたの???もしもそうなら、 罰を受けるべきはさえりんではなく私のはずなのにどうして???また答えの出ない問いが私にじわじわと襲ってくるのです。まるで逃げられない底なし沼にハマってしまったみたいに・・・(>_<)この喪失感や憂鬱、倦怠感、後悔の念や絶望感、脱力感や浮き沈みはいったいいつまで続くのでしょうか???この先、生きてる限りずっーと逃れることは出来ないのでしょうか???何にも変わらないこの世界の片隅の平凡な生活からたった一人さえりんがいなくなっただけなのに・・・私は何にもできなくなってしまった、孤独なダメダメ人間・・・さえりん、こんなママでごめんね(´;ω;`)ウッ…(さえりん7歳 移動動物園にてpart1)(動物が大好きなさえりんは大喜び(*^^*))ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますにほんブログ村、応援お願いします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館昨日はまたこんな心の病が出てしまい、鬱々と時間だけが過ぎていきました。皆様のコメントにお邪魔できなくてごめんなさい・・・(>_<)
2020年11月30日
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昨日は久しぶりに被害者サポートセンターあいちの、自助グループの集まりに行きました。名古屋の愛知県庁の近くですが、我が家から車で国道1号線、国道23号線バイパス、名古屋高速に乗り道が順調なら約35分で着きます。昨日は行ってみるとなんと、集まった遺族は私一人でした・・・(;'∀')私もなかなか行けなくて3ヵ月ぶりくらいの参加でしたが、今まで私1人ははじめてです。支援員の女性の方2名と私の3人での話し合いになりました。支援員の方が数年ぶりに被害者遺族サポートセンターあいちの小冊子を新しく作るため表紙の図案を見せて下さいました。内容も新しく変えようかと考えてみえるそうです。私はとても素晴らしいことだと思いました!!それから今は「被害者遺族週間」だということで愛知県警がYouTube動画を作って配信中と言われ見せてもらいました。中には被害者遺族サポートセンターあいちの自助グループの様子の写真も入っていて、なんと私の横後ろ姿も少し出てしまったのですと、謝られました。まあそれは良いとして(^-^;でもその動画は10分間なんですがクラシックの音楽が流れて文字が出てくるだけのなんとも味気ない単調な動画でした・・・(;'∀')「みんなで考えよう!犯罪被害者支援」というタイトルです。とても失礼ですが、私はこれを見た時、愛知県警の被害者支援に対するやる気のなさにガッカリしたのです。とりあえず、形だけ作ればいいという思いが見え隠れしています!!素人のさえパパだってもっと素敵なものが作れるのにと残念に思いました!!それから支援員さんが「『交通事故の被害にあわれた方へ』というパンフレットを見たことありますか??」と聞かれたので、「一応あります」と答えました。「しかし、このパンフレットはさえりんが事故に遭ったその日に警察へ行き、突然変わり果てた娘の姿に、もう何が何だかわからないパニック状態の時に警察を出る前に他のパンフレットと一緒にただ何の説明のなく渡されたかどうかも覚えていません。そんなの誰が見ると思いますか???」と言いました。支援員さんは「本当にそうですよね。酷い話です。そんなときに渡されても遺族の方はそれどころじゃありませんよね」と穏やかに言われました。「私は警察で娘の身元確認をしてそれで終わりでした。その後も1ヵ月後に事情聴取に行き散々嫌な思いをして、ただそれだけで被害者支援の人には一度も関わったり、電話すらありませんでした。最近東京の被害者遺族の方のお話を聞いてはじめて被害者支援の担当者が遺族に寄り添ってくれることを知ったのです。それくらい警察では何もしてくれず、知らん顔でした」と言いました。すると支援員さんは「愛知県でも各警察署に1人か2人は、被害者遺族係がいるはずなんです。なにもしてもらえなかったなんて不思議です!!」と言われました。私はこれが交通事故ワーストワンの愛知県の実態なんだと幻滅しました!!そして、せっかく被害者サポートセンターあいちがあっても、その存在すら知られることは少なく、もし知ったとしてもここまで繋がれる人は極わずか。それが、もう15年くらいやっていても、人が入れ替わったかもしれませんが現在遺族の自助グループに入っている人はわずか4、5人という現状なんです!!愛知県だけでも毎年何百人も交通事故で亡くなっているにもかかわらずです!!いったい何のためにこの被害者支援はやっているのだろうかと落胆しました。もちろん被害者サポートセンターあいちの支援員の方々は誠心誠意心を込めて被害者の話を親身に聞いて相談にのって下さいますし、裁判の付き添いなどの支援もしてくださいます。それなのに、このセンターまで繋がっていかない、この歯痒い現実はいったい何がいけないのでしょうか???私はそれは警察があまりに被害者支援に対して無関心だからではないかと思うのです。せっかく被害者や遺族に手を差し伸べて下さる機関があるのに、それを伝えることをしない、仕事だからと事故当日に遺族にパンフレットを無造作に渡してそれであとは知りませんでは、あまりにも人として冷たく遺族に対する慈しみが足りないのではないかと思ってしまうのです!!それを警察にばかり求めるのはおかしいのかもしれませんが。支援員さんは言いました。「私たちも警察の方には被害者遺族の方に伝えて頂くようにお願いはしているんです。長年かかかってようやくパンプレットを各警察署に置いて、渡していただけるようになったんです!!中には遺族を見兼ねたご友人がネットでここを探して連絡をくださり、遺族の方へのサポートをすることもあります」と。この温度差こそが、遺族に被害者支援が届かない現状の原因なのではと!!誤解のないようにくれぐれも言っておきますが、私は自分が適切な支援を早急に受けられなかったことを怒ったり恨んでいる訳ではありません!!!私は何とか自力で必死で慣れないパソコンにかじりついて、ネットで見つけることが出来ました。さえりんの事故からちょうど2ヶ月経った2019年8月です。そして自分で勇気を出して電話をかけて、被害者サポートセンターあいちと繋がりました。心理カウンセリングも無料で数回受けさせてもらえました。この支援が後にmeronさんと出会う勇気となったりブログを開設のきっかけです。だから自分が何もしてもらえなかったなんて思っていません。感謝しています。私がここへ繋がろうと思った理由は、娘を突然亡くした親はこの先どうやって生きていけばいいのか全くわからず後悔に苛まれ途方に暮れていたからです!!ですが、ここまで見つけられない方、もし見つけても自らここまで繋がれない方が大勢みえるのではないかとそのことを嘆いているのです!!中には「支援なんて受けなくていいからそっとしておいてほしい」という方もいらっしゃると思います。それならそれでいいんです。ただ必要だと思った時には、こういう機関があることだけを知っていたらそれだけでもいいのです。昨日は、支援員さんお2人と私の3人で約1時間半お話しながら、穏やかな時間でしたが、もっと支援を必要としている方は大勢いるのではと思ったのです!!どうかこれ以上、絶望のどん底でもがき苦しむ被害者遺族が増えませんようにと心から願うことしか、今の私には出来ないことが切ないのです(>_<)(さえりん小学1年生 学校公開日)(さえりん給食当番🍞(*´艸`*)🍞)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますにほんブログ村のバナーを変えました!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月29日
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先日我が家で民事の打ち合わせがあった時、佐々木さんにこんなことを言われました。「交通事故現場にお花を供えるのは警察としては認めていない。『被害者遺族や関係者が勝手にやっているが、警察のものとして佐々木君はそう言うことはくれぐれもしないように』と息子が事故で亡くなった時、上司に言われた。」と。佐々木さん自身もそう言うお考えなのかもしれませんが、お立場は大事だとは思います。確かに、警察ならそう言うことを言いそうだと思いました。警察は犯人逮捕が一番の仕事ですから、遺族の個人的な感情に振り回されてはいけない立場です。それにもしそこが私有地だったら、その方のご迷惑にもなりますし、お店の真ん前なら営業妨害にもなるかも知れません。いろんなケースがある中でこれは良くてこれはダメだといえないから、すべてダメだというのだと思います。その一方で有名になった事件や事故に対しては寛容で、現場近くにモニュメントや石碑が建ちます。警察の管轄ではないと思いますが、そういうことが特例で許されるのはとても不思議です!!哀しいかな殆どの交通死亡事故は無名です。全国各地ですべての死亡事故現場にモニュメントを建てたらきっと凄いことになってしまうでしょう??もちろんそんなお金もないし、不可能なことです。被害者遺族の方がその横断歩道を歩者分離信号に替えるための働きかけをされたり、反射板や様々な事故の再発節に勤めたりされてみえる事故現場もあります。それも被害者遺族の「もう自分の家族のようなこんな悲しい事故が起きてはいけない!!」とうい切なる願いが形となっているのです!!以前、歩者分離信号連合会の会長さんがこんなことを言われました。「すべての信号機が歩者分離信号に変わるためには、人柱がいるのか??」と。それは、人が一人亡くなって人柱にならなければその信号は分離信号には替えてもらいないのか!!という嘆きです!!にもかかわらず、さえりんが亡くなった横断歩道を歩者分離信号にと県警の交通規制課の担当者に頼んだら「あの交差点は危険なので帰るべきとは思いますが、近隣住民の方に信号が長くなって不便になったと反対されるといけないのでまだ出来ません。住民の方々の了解が得られるならやりましょう」という何とも消極的なご意見でした。ということは「被害者遺族のあなたが近隣住民の了解をとってきたらやってもいいですよ」ということです。私たちはその地域の住民ではありません!!学校区もPTAとも地元の市議会議員ともつながりが全くありません。実際に替えられた豊橋のIさんのお話を聞いたり資料をコピーさせていただいたのですが、まだその地区の自治会や議員さんに掛け合いに行く勇気や気力が湧かずそのまま中断になっています。結局、さえりんが人柱になっても何も信号機すらも替えることが出来ないという残念な状況なんです!!学生でもなく、有名な事故でもなく、無名なたった一人の20歳の女性の死なんてそれくらいの扱いなんです・・・(>_<)私は無力で何もできなくてさえりんに本当に申し訳なくなるのです:;(∩´﹏`∩);:こんな情けないママでゴメンね。さえりんの死を無駄にしてしまって・・・でも、先日私のブログに初めての方からこんなコメントを頂きました。「私は事故現場に供えてあったお花がきっかけでこのブログに辿り着きました。たまたま信号待ちをしていた時、とてもキレイなお花が供えてある目に止まり、どんな事故があったのか気になり、ネットで調べたらこちらのブログに辿り着きました。ブログを読んであの交差点で起こった事故の凄惨さをはじめて知り事故は絶対に起こしてはいけないと自覚を強くし思いを新たにしました」と書いて下さいました。(一部省略させてもらいました。ごめんなさい)私は自分はさえりんのために何もしてあげられていないと落ち込んでいたときでしたので、その方のコメントに本当に勇気をもらいました。現場のお花一つでも事故の抑制や、注意喚起になるのだと!!私自身も、何も無い道端にお花が供えられていたら、やはりここで交通死亡事故がありお亡くなりになった方がみえるんだと思い、その瞬間深呼吸をして一層気を引き締めて安全運手に集中しようと思うからです。現場のお花には意味と大切な役割があるのです!!もう事故が起きないために!!私はそこで終わってしまう人間ですが、この方はさらにネットで交通事故を検索し、このブログまで辿り着いて下さり、コメントも書いていただき、本当にありがとうございました!!私はまだ勇気が無くて現場にあまり足を運ぶことが出来ません(>_<)今は毎月4日のさえりんの月命日に主人と一緒に行くのが精一杯でした。でもお一人でもこのような方もみえるんだと思ったら、せめてもう少しは勇気を出して足を運んで、綺麗なお花に替えてきたいと思いました。こんな些細なことでも、さえりんの死を無駄にしない行為に繋がるのなら私は少しでもさえりんのためになることが出来たのかなっと思えるから。さえりんからの命をかけた最後の願いでもある、交通死亡事故が起きない社会であり、愛知県になれますように!!(さえりん7歳 自宅にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございます<にほんブログ村のバナーを変えました!!>この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんの顔をクリックしてください!!よろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月28日
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一昨日はお庭のお花に水やりをしていたら、可愛いモンキチョウがお花や私の周りをヒラヒラと楽しそうに飛んでいきました。私がさえりんガーデンの方へ行ったら、またそのモンキチョウは付かず離れずついて来て、まるで私にまとわりついて遊んでいるかのように可愛らしく見えました。私は思わず、声をかけました。「さえりんなんでしょ!!ママ側にいつもいるよって来てくれたんだよね」と。するとお花にとまって、暫くまるで話を聞くかのようにじっとしています。私も愛おしいさえりんを見るかのようにその黄色い蝶々をじーっと眺めました。そのうちまたじっとしていられない子供みたいにヒラヒラと楽しそうに飛んでいきました。私はさえりんが逢いに来てくれたんだと信じているのです!!一昨日、母がこんなことを言いました。「最近さえちゃんの夢を見るんだけど、いつもさえちゃんの気配は感じるのに姿は見えないの。でもそこにいるんだってわかるのよ。今朝はうちにたくさんの知らない人とさえちゃんが来たんだよ。その中には若くてカッコイイ甘い顔したイケメンのお兄ちゃんもいたのよ。」と嬉しそうに。私はそのイケメンのお兄ちゃんはきっとmeronさんの息子さんだと思いました。ということは、さえりんはメッセンジャーになって新しいお友達がたくさん出来て瞬間移動して我が家へ遊びに来たのかなって、すぐにそう思いました。母にはさえりんがメッセンジャーになったことは伝えましたが、生命のメッセージ展のことは殆ど知りません。だからどんな人がいるのかも全く知らないのです。詳しく話すときっとまた泣いて落ち込んでしまいそうなので母には言えません。でも母は祖母なりの愛情でさえりんのことをずっと想っていてくださいます。だからさえりんの気配を感じるのも、想う気持ちが強いからだと思うのです!!母は毎日外に出るときは、玄関のさえりんと母が一緒に撮った成人式の時の写真に向かって「さえちゃん行ってきます!」家に帰るとその写真に向かって「さえちゃんただいま!外は寒かったよ。でもいいお天気だよ」と大きな声で話しかけています。私も毎朝晩、お仏壇とさえりんの部屋の窓を空け閉めしては「さえりん今日も一日よろしくね💛」「さえりん今日はありがとう💛」と話しかけ庭に出れば自転車置き場のブルーシートに包まったさえりんのピンクの自転車に「さえりんの自転車おはよう」と声を掛けます。それはあの日、最後の瞬間までさえりんと一緒にいて見届けてくれた唯一の相棒だからです。こんな変な嫁姑の会話や、私の想いや行動も、知らない人から見たら本当にバカみたいなただの思い込みだと笑われるかも知れません!!ちょっと頭が可笑しくなった家族かと思われることでしょう。それでもそれでも、今私たち家族が生きていくためにはこうするしかないんです。こんなことでも、さえりんの気配を感じなければ自分を支えていけないのです。私も自分がこういう被害者遺族という立場になるまで全く別世界の出来事だったのですから。実は最近の私は毎日空回りばかりです。さえりんのために何かしなくてはと思うのに、何をどうすればいいのかわかりません。だったらもっと交通事故が起きないための交通法の勉強や、遺族の方の自伝や、ネットで交通事故のニュースを見ることだって今の現状を知り、勉強になるはずのに、心が重くちょっとも気が進まないのです(>_<)かといって仕事にはもう行くことは出来ず、ただのひきこもり主婦です(^^;)こんなんでいいのだろうか??こんな無力な私でさえりんはもっと悲しむんじゃないかと、気持ちばかりが焦るのです。それで、心が上がったり下がったり毎日のように揺れ動くのです。こんな自分が嫌になり疲れてしまい、また落ち込む・・・そんな悪循環から、なかなか抜け出せずに悶々としているのです(>_<)唯一の希望だった生命のメッセージ展もコロナの影響で開催が中止になるばかり。さえりんのメッセンジャーデビューの目処も立ちません・・・コロナで仕方がないことはわかっているのですが、夢も希望も見つかりません。ここ数日出るのはため息ばかりで無気力でやる気がちょっとも湧かないのです。これは日曜日の打ち合わせのショックと毒を吐いたの反動なのでしょうか???昨日は特にメンタルが下がり憂鬱になり、昼間はさえりんガーデンを眺めながらぼーっと数時間、何もせず日向ぼっこをして過ごしてしまいました:;(∩´﹏`∩);:こんなママでごめんね・・・さえりん。そんな理由で昨日は皆様のブログへコメントもできず、ごめんなさい(>_<)(さえりん7歳 愛・地球博🍁 part7)(お土産にピンク色のキッコロを買ってもらってお家に帰ろうね)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月27日
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今週の私は特に日曜日の、民事裁判へ向けての打ち合わせがあまりに衝撃的で落ち込んでいました。当分誰にも会いたくないし、何もしたくもないので、また暫くの間、引き籠り生活を送ろうと思っていました。ところがそういうときに限って、外に出て人に会わなければならない用事が出来てしまうのです・・・(;'∀')月曜日、次女の前撮り写真を撮ってもらった着物屋さんから「アルバムが出来ましたのでご都合が良いときに取りに来て下さい」と連絡を頂きました。次女にそう言うと、「明日なら夕方までは時間があるから、明日の午後に一緒にもらいに行こうよ!ついでに銀行にも行きたいし」と言います。私は今週は誰とも会いたくないし外にも出たくないなあっと思っていましたが、他ならぬ次女の頼みなら仕方ありません(^-^;それで火曜日の午後、次女と一緒に岡崎市の駅前の着物屋さんへ行きました。店員の男性と一緒にアルバムの中身を確認しました。次女は、大きなアルバムと同じ写真のミニアルバムと、ミニキャンパスと、前撮り写真の全データのセットを頼んでいたので(さえりんの倍以上、高かったんですが(~_~;))中身を確認してもらってきました。アルバムも枚数が30カット以上もあり分厚かったです。その中には、家族写真も入っていました。背景はさえりんの赤い振袖、下にはさえりんの草履とバッグが飾ってあり、後ろに立つパパと、中央よりに椅子に座った笑顔の次女、隣に私も椅子に座りさえりんの遺影を抱えています。みんなの笑顔が自然であったかくなるような素敵な家族写真を撮って下さいました。振袖姿の次女と、同じく振袖姿の遺影の中のさえりんが本当に一緒にそこにいるような気持ちになれるのです。私は実感しました。やっぱり私たちは永遠に4人親子なんだと!!今はあの世とこの世に離れ離れになってしまいましたが、目には見えなくてもたとえ触れることも出来なくても、絶対にさえりんはここにいるのです!!私には見えるような気がするんです。ちょっと照れくさそうにはにかんだ笑顔で妹に「成人おめでとう!!おなたも大人の仲間入りだね。大きくなったね💛」って祝福してくれるさえりんの姿が、手に取るようにわかるのです(^-^)アルバムにスマホでQRコードを読み込むとスライドーショーが見えるおまけもついていたので、家に帰り主人にアプリを入れて読み込んでもらい見てみたらそれがすっごく温かくて感じられて、また感動して涙がぽろっとこぼれるのです。本当にこんなに大きく育った2人の娘たちの存在に心から感謝でいっぱいです!!我が家は昨年、大事なさえりんを喪うという最悪の悲しい出来事がありましたがそれでもこの4人親子は何があっても変わることはありません!!いままでも、これからもずっとこの4人親子の関係は永遠に続くのです!!私は何度も3分間のスライドショーを繰り返し見ながら涙が止まりませんでした。紗愛理、○○○(次女)私たちの娘に生まれて来てくれて本当にありがとう💛目には見えない不思議な縁で親子になって、家族になれてママは幸せでした!!それなのに、紗愛理が私たちより先にあの世へ旅立つなんて夢にも思わず、ママは未だに諦めがつかなくて、哀しくて悔しくて人生最悪の出来事でした。それでもあなたたちが生まれて来てくれて本当に良かった!!さえりんと次女が私の娘に生まれてくれたことは人生で最高の幸せです!!たくさんの愛と希望と生き甲斐を、私に与えてくれて本当にありがとう💛私たちは強い強い絆で結ばれたかけがえのない親子なのです。生まれ変わっても、また家族になろうね(*'▽')☆彡約束だからね!!さえりん(2回目の家族写真・私たちは永遠に4人親子です!!(^_-)-☆)(みんな自然ないい笑顔なのに顔を隠してごめんなさい・・・(;'∀'))さえりんの振袖をこんな風に飾りたいといったのは次女のアイデアなんです!!お陰でさえりんが私たちを包みこむような温かい家族写真になりました(*'▽')💛(さえりん7歳 愛・地球博🍁 part6)(さえりん水遊びの後は公園で遊んでる??せっかく万博に来たのに(^^;))ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月26日
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前々から何度も書いていますが、私はかなりの親バカです。娘のためなら、たとえどんな苦労や面倒なことも厭わないと思う母親です。人から見たら過保護だと笑われるかも知れませんが、それでもいいんです。一昨日、夕方主人から家族LINEが入りました。[名鉄本線人身事故のため上下方面、運転見合わせ!]すぐに次女と私は反応しました。大学へ行っていた次女は、岐阜県から名鉄本線で帰って来るからです。しかもその日に限って夕方からラストまでアルバイトが入っていたからです。次女へすぐに、大学から岐阜駅まで出て名鉄ではなくJRで帰れないかとLINE。すると何とか岐阜駅までのバスに乗れそうだからJRで帰るとの事。JRはわが市には通っていないので急遽隣の刈谷駅まで私が車で迎えに行くことにしました。三河線もあるので刈谷駅から名鉄に乗り換えて帰ることも出来ますが乗り継ぎなど、かえって時間がかかるとアルバイトに間に合わないからです。それで夕方6時、次女が岐阜駅からJRに乗れたというLINEと同時に私も車で刈谷駅へ出発しました。家から刈谷駅までは車で15分くらいで行けますが、夕方の帰宅ラッシュ時は特に道が混んでいて時間がかかるからです。結局25分くらいかかりましたが、次女が電車で着くより早く着き、無事に次女を乗せていったん家に帰り、アルバイトに間に合うことが出来ました!!ところが久しぶりに夜の刈谷駅へ向かう道中、そして家に帰るまでずっと私は昔の想い出が走馬燈のように次々浮かんできたのです。次女の前では涙を堪えるのが必死でした(>_<)それはさえりんが高校生の時のことです。さえりんは高校1年生の7月から卒業するまで週に2回、放課後等デイサービスに通っていました。それは軽度障害児の子たちが就職へ向けて就労訓練をするためです。高校の先生から勧められ、仲良しのお友達も通っていると聞いてさえりんが行きたいといったからです。それまで高校生活に慣れず潔癖症が加速して情緒不安定になっていたさえりんが、その就労支援へようになってからピタリと潔癖症が元に戻り、元気を取り戻してきたので、私はそこがさえりんに合っているんだなと安心して通わせることにしたのです。毎週2回学校帰りに、そこの支援員の方が1人一緒に電車に乗ってくださり同じ放課後等デイサービスに通う数人の仲間と一緒に学校から電車で向かうのです。2時間の訓練を受けて夕方6時半ごろ帰りは一人で電車に乗って帰って来るのです。しかも帰りはみんな方向がバラバラです。さえりんは最初はずっと一人で帰ってきていました。でも夏から秋、冬になる頃には日も落ちて帰りはもう真っ暗です。私の心配性が発動してじっとしていられなくなりました・・・(;'∀')大事な大事なさえりんに、もしものことがあったらどうしようと・・・それで過保護で親バカな私はさえりんにこう言ったのです。「帰りは真っ暗だから、女の子が一人で駅前の飲み屋街を通って駅まで歩くのはちょっと心配だから、ママが車で迎えに行こうか??」と。さえりんは満面の笑みを浮かべて言いました。「ママありがとう!!本当は私もちょっと怖かったんだ。嬉しい(≧▽≦)」と、さえりんは私に抱き着きました。それから2年半、週2回ほぼずっと、私はさえりんをお迎えに行ったのです。それがこの刈谷駅近くの就労支援施設だったのです!!さえりんは帰りにいつも「お腹空いた!!」と言うので、この刈谷駅向かい側のバローへ立ち寄り、焼きたてパンを買って車の中で食べるのが習慣になっていました。さえりんはいつも、ほんのり甘いミルクパンが大好きですごく美味しそうに食べるんです。私が「夕飯の前だからあまりたくさん食べちゃダメだよ」と言うと「うん。わかった💛」と言いながらさえりんの無邪気で嬉しそうな笑顔を見るのが楽しみで、ついつい買ってあげたくなっちゃうのです。私はさえりんのこの笑顔を見るだけでどれほど幸せ感に包まれたことでしょうか!!思わずさえりんをギューッと抱きしめたくなってしまうのです。私は夕方の忙しい時間に渋滞する道を走りながら、それでもこのお迎えを少しも苦にはなりませんでした。それどころかこうしてさえりんと2人きりで過ごせる至福の時間はまるで私の宝物だったのです。それくらいこの親バカな母親は、さえりんのことが大好きだったからです!!さえりんはいつも私にこう言いました。「ママは最初に生まれた私を一番、可愛がってくれてありがとう💛でも普通の母親はお姉ちゃんだから我慢しなさいって、妹ばかり可愛がる人が多いんだよ。だから私はママの娘で本当に良かった(*'▽')💛ママ大好き💛」と。私も言いました。「そうだよ!!ママは世界で一番、紗愛理のことを愛しているんだよ!!」と。そしてさえりんは大きな体で満面の笑みで私にギューッと抱き着いてくるのです。ねぇさえりん。ママはあの時の気持ちと全然変わっていないよ💛それどころかもっともっとさえりんが大好きで、逢いたくて堪らないんだ!!さえりんも絶対そうだよね!!ママとまたギューッとしたいんだよね!!こんなに娘を溺愛して変な馬鹿母娘だと思われるかもしれませんが、今思えば本当にこれで良かったのです!!さえりんと過ごせる時間がこんなに短いなんて夢にも思ってもいませんでしたが、それでもこの20年11ヵ月の間にたくさんたくさん「あなたを一番あいしてる」と素直な気持ちを伝えてこれたのだから。もしも、本当の気持ちを伝えられずにさえりんを喪ってしまったのなら、私は今の100倍も1000倍も死ぬほど後悔して、自暴自棄になっていたことでしょう。一昨日3年半ぶりに夕方刈谷駅へ向かう道中、私の頭の中はさえりんとの想い出が走馬燈のように駆け巡り次女に決して悟られないように必死で涙を堪えたのです。それは次女に余計な気を遣わせたくないし、今以上に寂しい思いをさせたくはないからです。私は次女のいない間に、このブログを書きながら堪えていた涙が一気に流れだし号泣しました。ここ数日民事裁判のことでかなり落ち込み、さえりんがあまりにも可愛そうで胸がえぐられるほどの辛い想いも、一緒に涙となって流れました。もしかしたらこうして時折号泣することも心のリハビリなのではと思いました。これもさえりんが私に仕掛けてくれた、グリーフケアなのかも知れません(さえりん7歳 愛・地球博🍁 part5)(さえりんはじめてトルコアイスを食べたね( ^ω^ )ニコニコ 美味しかった??」ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月25日
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昨日のブログの続きです。日本交通事故調査機構の佐々木さんとN弁護士との民事裁判打ち合わせの内容です。佐々木さんからの調査報告の詳しい説明に続き、N弁護士が民事裁判を起こすために裁判所に出す、訴状の確認をしました。佐々木さんとも話し合い最初の訴状には新たにわかった調査報告は書かずに事故の内容と賠償責任のことだけにした方がいいという話になりました。相手の出方を見てからの切り札として、佐々木さんの調査を使うということに。私はこの訴状の案を読んで違っているなと思う箇所をN弁護士に伝えました。それは「被害者、紗愛理は○○病院へ搬送されて・・・」という部分です。私はN弁護士に言いました。「紗愛理は病院へは搬送されていないんです!!」「えっそうなんですか??」N弁護士も佐々木さんもかなり驚いた様子でした。「救急車は地元の方が呼んで下さったのですが救急車がきても紗愛理は頭が潰れた酷い状態で即死していたので、搬送不可で帰って行ったそうなんです」と言いました。N弁護士と佐々木さんは「そんな話はここ20年間で初めて聞いた」と言いました。佐々木さんは警察官時代多分20年くらい前に上からの指示で「たとえ即死した方でも救急隊に頼んで病院まで搬送してもらうように」と伝えられていたからです。遺族の感情を考えたら被害者がたとえ亡くなっていても、せめて最後は病院へ連れて行ってあげた方が良いという考え方だそうです。私は「どうして紗愛理は病院へ運んでもらえなかったのでしょうか??」とお2人に訪ねると困った様子で「それはよくわからないけど、愛知県だからかな??」と苦笑いされました。私はつくづくこの交通死亡事故ワーストワンからいつまでも脱却できず、事故の処理にばかり慣れになっている県警を憎みました!!!そしてこの愛知県に生まれ育ったことも、今も住んでいるも嫌になりました!!!その話を聞いた私は、またさえりんが可哀そうで不憫で仕方なくなりました(>_<)さえりんはあの女に理不尽に命を奪われ、そのうえ最後瞬間までも人としての当然の扱いすらしてもらえなかったのです!!!!私はあらためて○○警察署を恨みました。しかも、事故から2時間以上たっていきなり「娘さんは事故に遭い亡くなりました。警察署で預かっています」と言われたのです!!!!もしも遺族の感情を汲んでくれたのならもう少し別の対応はあったはずです!!!!しかも警察でそんな指示が出ていてもなお守らず、遺族の感情なんて全くお構いなしの対応です!!!!!酷すぎます!!!!!私はまたも、絶望しました(>_<)どうしてさえりんがこんな目に遭わなくっちゃいけないの????こんな酷い仕打ちと、人権を無視した扱いを受けなくっちゃいけないの????さえりんがいったい何を悪いことをしたと言うの?????この事故の事を知れば知るほど、あまりに悪質で残酷な現実が見えてくるのです!!これは交通事故ではありません!!!トラックによる殺人事件です!!!!さえりんは加害者に殺され、警察には人間としてすら扱ってもらえなかったのです。これほど酷い仕打ちがあるのでしょうか?????真実を知る事の残酷さに衝撃うけ、私の心はまたも打ちのめされました(>_<)打ち合わせでは「まずはN弁護士が裁判所に訴状を出して、相手側から答弁書がくるのでそれを見て次の対策を考えましょう」ということになりました。私はあまりのショックで茫然とし、もうどうでもいいとさえ思っていました。そんな私にさらに佐々木さんが言いました。「民事裁判では加害者への罪の追及はもう出来ないんです。刑は刑事裁判で確定してしまったんだから。民事裁判は賠償金の額を決めることしか出来ないんです」私には、一番きつい一言でした・・・(>_<)さらに「被害に遭ったのはお母さんではありません。被害者は紗愛理さんです。だからどんなに辛くてもお母さんは当事者ではないんです。今の日本の法律上それがどうにもならない現実なんです!!」と。私はバットで頭を殴られたくらいの衝撃でした・・・(>_<)そしてN弁護士は穏やかに言いました。「ここで民事裁判をやめたり、途中で和解する気はないんでしょう!!だったらもう覚悟を決めて、精一杯闘いましょう!!!」と私を諭すように。主人はあまり口を挟まず隣で黙って聞いていてくれました。時折、感情的になる私をなだめるように、声をかけてくれました。そてだけでも、いいのです!!充分助かりました!!もしここに主人がいてくれなかったら、私はどうなっていたかと思うのです。私はこれからさえりんのために何が出来るのだろうかと考えていました。もうどんなに悔しい思いも辛い思いも、どれほど怖くて痛かったのかさえも言えなくなってしまったさえりんの想いはどうしたら伝えることが出来るの???こんな理不尽な交通死亡事故の現実をどう受け止め、こんな悲しい事故が二度と繰り返されてはいけないと思う気持ちはどうしたら人に伝わるの????さえりんのことを忘れられたくなんかありません!!!!加害者はもうなかった事にしたいと忘れたいと思っていると思います。だけど、そんな都合のいい身勝手は許せません!!!一生償わなくてはいけないのす!!!だってそれ程までに酷いことを、罪もないさえりんにしたのだから!!!!!私は加害者がさえりんを殺した事実を一生忘れないようにするためには、何をしたらいいのか、何が出来るのか悩み、訊ねました。すると佐々木さんは「自分はその思いがあるからこの仕事を生業とし、テレビやメディアにも出るようにしている。息子の加害者に罪を忘れさせないためにね」と教えてくれました。私は佐々木さんみたいにはとてもできませんが、ほんの少しせめてものあがきとして、あの横断歩道を歩者分離式に変えたいことと、このブログ「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に知ってもらいたいと思いました。そしてコロナが治まったら、さえりんにはメッセンジャーとして活躍してもらうしかないと思ったのです!!!まだいつデビューかも決まっていませんが(^-^;それしかもうこの絶望の淵から、ほんの微かにでも射す光は見えないのです。夕方5時前に佐々木さんとN弁護士を主人と、三河安城駅へお送りしました。私には傷口を開いて塩を塗られたくらい本当にキツイ打ち合わせでしたが、これも必要あってして下さったことなんだと思いました。こんなことに耐えられないくらいでは、これからさらに過酷な民事裁判に立ち向かうことは出来ないからです!!そのための準備だったのだと、あえてキツイことを言って下さったお2人に心から感謝いたしました!!お仕事とはいえ、こんな3連休の日曜日に遠い愛知県まで新幹線で来てくださり、本当にありがとうございました!!(さえりん7歳 愛・地球博🍁 part4)<「さえりんの部屋」を読んで下さるみなさまへ>私のブログは暗くて重くて、時に過激になってしまうことがよくあります(^^;)コメントが書きにくいことも充分にわかっています。ですので書きにくいときは、スルーして下さいね!!みなさまに読んでいただけるだけでも、さえママもさえりんも心から嬉しく感謝しています( ^ω^ )ニコニコこれからもどうかよろしくお願いいたします!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月24日
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昨日は民事裁判に向けての打ち合わせの日でした。大阪からN弁護士が、仙台から日本交通事故調査機構の佐々木さんが、新幹線で三河安城駅までお昼過ぎに来てくださり、お迎えにあがり我が家へ。お忙しいお2人に愛知県まで来ていただき、打ち合わせをして頂いたのです。主人は仕事の休みが取れず私一人での対応のはずでしたが、前日夜からメンタルブレイクの私を見兼ねて急遽仕事を休んでくれました。父や母にはもうこれ以上の辛い思いはさせたくないですから。佐々木さんの事故調査のこの前の資料の内容を詳しく伺いながら、解析と佐々木さんの見解をお聞きしたら、私はまた気絶しそうなくらいの衝撃を受けました・・・(>_<)そしてショックのあまり私の思考回路は壊れそうになりました。私の思考回路が壊れたのは過去2回。1回目は警察から「娘さんが交通事故に遭い亡くなりました」と電話があった時。2回目は執行猶予付の判決を覆すべく控訴を求めたが検察に却下された時。そして今回が3回目。私はあらためて真実を知る事の残酷さを痛いほど突き付けられたのです(>_<)佐々木さんは「これが刑事裁判の前だったらもしかしたら・・・」と。私は心底後悔しました・・・刑事裁判の前に佐々木さんに事故の正しい調査を依頼しなかったことを!!!警察の捜査資料や検察の言葉を鵜呑みにした無知で馬鹿だった自分自身を!!!佐々木さんとN弁護士は言いました。「今の日本の法律ではもう加害者を裁くことは出来ません。後は民事裁判でしかありません。今は相手に手の内を見せては不利になりますから、相手の出方次第で」と。だから、私はこのブログでも今は真実の全てを書くことは出来ません。民事裁判が終盤を迎えてもう支障がなくなったら、全部書きます。ただ私の頭の中ではこの言葉が何度も何度も繰り返されていました・・・「どうしてさえりんは死ななくっちゃいけなかったの???」「どうして私はこんな悲劇の人生を背負って生まれてきちゃったの???」私はまたも奈落のどん底へ突き落されたのです。真実を知る事の残酷さと共に・・・以前、佐々木さんをご紹介して頂くときに、meronさんから言われました。「真実を知る事はとても残酷な事だよ!!本当にそれでもいいんだね」と。私は言いました。「それでもいいから本当のことを知りたいです!!」と。だから、今もこういう日が来たことに後悔はしていません。もし、私が真実を知ることを諦めてしまったら、真実は永遠に闇の中。加害者にとってはこれほど都合がよく、ラッキーなことはありません!!!そうなったら後になってもっともっと後悔して、さえりんに申し訳なくなって自分自身を許せなくなってしまうと思うから!!でも昨日は、せっかく次女が元気に旅行から帰ってきたのにこんなママでごめんね・・・(>_<)次女には決して言えないけど・・・ママは現実に絶望し、また死にたくなっちゃったんだ(´;ω;`)ウゥゥこれが運命だというのなら、私は運命を呪います!!!つづく・・・(さえりん7歳 愛・地球博🍁 part3)(さえりんと妹はピンク色のキッコロの小さいぬいぐるみを買ってもらったよ!!)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月23日
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昨日次女は最近にしては珍しく早く起こしてと頼んできました。といっても朝6時。大学の授業がまともにあった時は普通に起きる時間でしたが。早起きの理由は、友達と3人で昨日と今日1泊2日の旅行へ行ったのです。行き先はあまり詳しくは教えてくれませんが山梨県みたいです。うちから高速道路を使って3時間少しで着くとの事。もちろんコロナも心配ですが、次女いわく「これから12月、1月と試験で忙しいし、2月後半から3月は実習だし遊べるのは11月中しかないんだから!!」だそうで、友達の家の車をお借りして女子3人旅へ出かけたのです(^_-)-☆運転手は車持ち主の娘Aちゃんと次女の2人。主に次女が高速道路を運転するのだとか(^^;)保険はAちゃんのお宅が誰でも年齢無制限の保険に入っているからということでした。Aちゃんのお家の方、本当にありがとうございます!!朝出掛ける時からバタバタ大騒動・・・(;'∀')朝7時20分頃Aちゃんが車に乗ってきてくれてみんな我が家集合に。まず一番乗りが近所のKちゃん。うちの車庫で待っていてくれました。母(姑)はそのKちゃんを次女と間違えたらしく、部屋の窓からKちゃんに向かって「○○ちゃん(次女の名前)こんなに早くどこへ行くの??大学??」と叫んでいました。Kちゃんは「私○○じゃありません!!Kです」と一生懸命話すも、母は耳が遠いのか全然聞こえず「○○ちゃん遊びに行くならお小遣いあげようか」とさらに叫んでしました(^^;)次に車で来てくれたのはAちゃんでした。次女はようやく仕度を終えて玄関先まできたら、母が次女を見つけ服が違うのでようやくさっきの子はKちゃんだと気付いたらしく・・・(;'∀')「3人で美味しいお昼ご飯でも食べな」と次女にお小遣いを渡してくれました。次女が外へ出るとようやく3人が集合できました。出掛ける前にも外へ出たら思ったより寒いので、Kちゃんと次女はショールと取りに帰ったりしてバタバタ。Aちゃんが出掛ける前に次女に誕プレをくれて広げて中身を確かめお礼を言って、私に部屋に置いといてねと渡しました。ホント、女の子は時間通りには行けませんね(;^ω^)ようやく出発!!私は車が見えなくなるまでお見送りしました!!そして私はすぐに家に入り、さえりんのお仏壇に手を合わせました。「さえりん、次女たち3人組が車で旅行へ行きました。どうか無事に帰って来れますように、見守っていてね!!」と。さえりんからは「もう私はミュージアムへも行って忙しんだからね。でもいいよ。ちゃんと妹たちを見守ってあげるからね!!」って言ってるような気がしました。夕方次女からとっても綺麗な紅葉や富士山の写真がLINEで送られてきました。無事にホテルに着いて、楽しそうな様子にホッとしました(^-^)明日も安全運転で無事に帰って来てくれるようにさえりんにお願いしました。実はこの同級生3人組は小さい頃からの幼馴染みなんです!!Kちゃんはうちのすぐ近所の子で、次女とは幼稚園の時からのお付き合い。Aちゃんは母親同士が知り合いで、次女とは2歳の時からのお付き合いです。その頃次女がよくAちゃんを突き倒して泣かせていたことも…(。-人-。) ゴメンネそれでもなぜか遊んでいた3人。Aちゃんが6年生の時父の転勤で転校し、高校生になる時戻ってきても、3人は方向も全然バラバラの高校だったし、大学も別々。それでもなぜか、また今でも連絡を取り時々つるむ仲なんです( ^ω^ )ニコニコ本当に次女は人に恵まれ、助けられることも多くとっても有難いです!!さえりんには次女のように幼馴染みで仲良しだったという子はいませんでした。さえりんは人との人間関係をうまく結べなかったので仕方ありません。でも、ひとりだけ中学の時からずっと、気が合う男の子の友達はいました。高校も一緒でその頃からさえりんが誘って、時々うちへゲームをしに遊びに来てくれました。その様子がとっても微笑ましくて嬉しそうだったんです!!お互い社会人になってからは休みが違うのであまり遊べませんでしたが、事故の2日前の日曜日。さえりんが休みになり久しぶりに楽しくゲームをして遊ぶことが出来たのです!!本当に最後になってしまいましたが・・・(>_<)さえりんはとっても嬉しかったに違いありません!!あの世へ旅立ち初盆の最終日、初めてさえりんが私の夢に逢いに来てくれた時も「○○君とは時々ゲームしてるんだー(≧▽≦)」と嬉しそうにそう言ったのです。さえりんには幼馴染みと呼べる人はいなかったけど、○○君がきっとそうだったんだね!!今までさえりんと仲良くしてくれて、本当にありがとうね💛(*'▽')💛(さえりん7歳 愛・地球博🍁 part2)(さえりんはせっかく万博へ行ったのにほとんど水遊びばっかりでした(-_-;)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月22日
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昨日はとっても変わりやすい、変なお天気でした。昨夜から降っていた雨、午前中は降ったり止んだりどんより。お昼過ぎから空がパッと明るくなりとってもいいお天気かと思ったらまた曇りからの雨??しかも暑い??この変わりやすさはまるで私の心と一緒です・・・(;'∀')一昨日の11月19日は亡くなった私の祖母の誕生日でした。祖母は私が高校1年生の時病気で亡くなりました。明治42年生まれだったのでもし生きていたら、今頃は何歳なのでしょう??私は小さい頃から両親共働きの為、姉妹弟3人は昼間は祖母に育てられました。一番下の弟だけは生まれて2歳で、祖母は病気で寝たきりになってしまったので、母が仕事を辞めて祖母の介護を家でしながら子育てもしていました。私は特におばあちゃん子だったので朝も夜寝る時もずっと祖母の側から離れませんでした。それほどまでに私にとって祖母は偉大な存在でした!!私はこの明治生まれの厳しい祖母から生きるための術をたくさん教わりました。ある時、近所のおばさんが大人になった私に言いました。「あなたは小さい頃道でよく転んでいたんだよ。泣いていて可哀そうだったから起こしてあげようとしたら、お婆さんに叱られたのよ。『この子は転んでも自分の力で起き上がれるように、強い子になるように訓練してるんだから手を貸さないで!!』って言われてね。厳しい人だったよね」と教えてくれました。私は幼かったのでよく覚えていませんが確かによく転んだような記憶はあります。その都度、祖母はスパルタ訓練をして私を鍛えてくれていたなんて。見兼ねた近所の方を叱りつけてまで・・・(;'∀')私が何となく覚えているのは、自分で起き上がり祖母のところまでヨタヨタと歩いて行くと、満面の笑みで私を抱っこしてくれた優しい祖母の感触です。祖母は私をどんな苦境にも耐えられるように厳しくの温かく育ててくれたのです。私がこうして祖母のことをよく思い出すようになったのは、さえりんが亡くなってからです。私はあの世で最も信頼できる身内は、祖母と父しかいません。祖父はあまりあてにはならない人だったから(^^;)だからいつもいつも祖母と父には「どうか私の愛娘、さえりんが先にそちらへ逝ってしまいました。よろしくお願いします!!」と心の中でお祈りするのです。父はさえりんを11歳まで知っているので良いのですが、厳しい祖母はお転婆で天真爛漫なさえりんにビックリしていないか、とっても心配です(;^ω^)でも、祖母ならきっと私の娘のさえりんを、私の時のように厳しくも愛情深く接してくれていると信じています!!さえりんが亡くなってから、私は時々不思議な体験をしています。細かいことがたくさんあるのですが私が特に印象に残った出来事があります。それは忘れもしない今年の7月15日、刑事裁判の最後の判決の日です。午後4時からの裁判所へ向かおうと家を出た時、私は玄関先の階段を降りようとして足元をすくわれて、すってんころりんと見事に転がってしまいました(>_<)通路のコンクリートで顔を打ち、足をひねったのです。この家に住んで10年、こんなことは初めての体験でした。でも不思議なことに転んだときはすごく痛かったのに、私はどこにもケガをしていなかったのです。私はすぐにとっても嫌な予感がしたのです。これは裁判での悪い判決の予兆ではないかと・・・(;'∀')その最悪な予感は、的中してしまいました!!!最も恐れていた、加害者の刑に執行猶予が付いたのです!!!その瞬間私は物凄い怒りで、体全身の震えが止まりませんでした!!!そして家に帰るとすぐに、最後の微かな望みをかけて控訴のための署名を集めることにしたのです!!結果はご存じの通り、見事に検察に控訴は却下されて打ち砕かれました。私は暫く、絶望感に苛まれました。それでも、このブログのブロ友さんや、署名を下さった大勢のみなさまの温かいお気持ちとお励ましに勇気を頂き、何とか今に至っているのです。それからかなり後になって思ったのです。あの時、私が足元をすくわれて転んだのは何か意味があったんだろうかと。そんなのただの偶然だよって笑われるかも知れません。でも私は偶然ではなく「祖母とさえりんからのこれから先はさらに険しい道だという忠告と、負けるなというエールだったのかも知れない」と思ったのです!!祖母からは「あなたはどんなことがあっても、どんなに転んでも自分で起き上がり歩いて行けるように育てたんだよ!!自信を持って前に進みなさい!!」と。さえりんからは「ママ負けないで!!何があっても私がついているから!!絶対諦めないで私を守ってくれるんでしょ!!お空から見てるからね(*'▽')」と。私には2人がそう言って、空から笑っているような気がするのです( ^ω^ )ニコニコ目には見えない不思議な力で!!(さえりん7歳 愛・地球博へ行ったよ🍁 part1)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月21日
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昨日夕方、ある方から突然私に電話がありました。被害者遺族のその方は、民事裁判でとってもショックを受けたのだと、堪えきれずに声を震わせ、お電話を下さったのです。私はまだ未経験なので聞くことしか出来ず、でもお話を伺っていたら私まで悔しくて「どうしてこの社会は加害者ばかりを優遇して、被害者と遺族はいつもいつも虐げられて蔑ろにされて酷い仕打ちばかり受けなきゃいけないの??」と大声で叫びたくなりました!!!私が叫ぶ場所はこのブログしかありません!!それでこんな内容のブログを書こうと思ったのです!!ハッキリ言って私も全然勉強不足なので、もしかしたら憶測でものを言ってしまうかも知れません。もし違っていたらごめんなさい。また訂正いたします。でもそれでもいいんです!!それでも私の心は叫ばずにはいられないんです!!普通のご自分が遺族になったことのない皆さんは(私も今まではそうでした)家族が交通事故で亡くなったら、保険金が無条件でたくさんおりてくるんだと思っています!!それは保険会社のCMで「事故の時は対人対物無制限で保険が対応します」と、ひっきりなしに宣伝しているからではないでしょうか??ところがそれは保険会社の都合がいい建前でしかありません!!!それを知らない人々は思います。「あの人は子どもが亡くなったから多分高額の保険金が手に入ったに違いない」と。現に私のブログやネットでもそういったデマを真に受けた不届き物が著名でいやらしく意地悪な書き込みをしてきます!!そんなバカな奴らのことは気にしませんが、少なくとも他の大勢の方は言葉には出しませんが、心の中ではそう思ったこともあるのではないかと思います。でも現実は全然違うのです!!!!!以前、23歳でバイクで通勤途中にトラックの運転ミスで衝突させられ殺された啓至さんのご両親はこんなことを言っておられました。「息子は大学を卒業し就職していたのに、民事裁判では裁判官に屈辱的な金額で和解を勧められた。決してお金が欲しいわけではない!!だけど、息子の命の値段がこれ程までに下げられてしまう現実がとても悔しく許せない!!」と。そして、裁判官は言うのです!!「不服ならば金額は少しは上がるかも知れないがその代わり、加害者に条件を出すことは出来ません!!」という内容を!!!!これって、みなさんはどう思われますか????私は、裁判官も最初から加害者を擁護して、保険会社の支払いを如何に少なく損益を減らすことを優遇しているとしか思えません!!!!これがこの国が、被害者に対する二重、三重もの苦痛を与え、奈落のどん底へ何度も突き落としている悪の元凶であり、現実の世界なんです!!こんな酷い司法の仕打ちを何も知らない人たちは、テレビニュースや新聞で「この事件・事故は、保険金○○円で和解しました」というのを見聞きして悪気無く思うのです。「被害者はお金をもらえば気が済み和解するんだね」と!!でも現実には加害者一切痛手を負わず、加害者ばかりが守られる!!!!!被害者と遺族ばかりが、いつもいつも理不尽な現実に泣かされる!!!!!こんな不公平なことが果たして平然と許されてよいものなのでしょうか?????私は以前図書館で、交通事故裁判の本を借りて読んだことがあります。難しい内容で私には理解できないことばかりでしたが、民事裁判の項目の中でどうしても納得できず、府に落ちなかったことがあります。それは損害賠償の金額の内容でしたが「ある交通事故で2人が犠牲になりました。一人は即死、もう一人は命は助かったものの重度の障害を負ってしまった。その場合の保険金は亡くなった人よりも、重度の障害の人の方が額が多いのです。」私は疑問でなりませんでした!!!どうしてそうなるの????もちろん重度の障害を負ってしまったらこの先生きていくのが大変でお金がかかるのは理解できます。それでも生きていたらまだまだこれから先、楽しいことも幸せを感じることも出来るのです!!でも死んでしまったらもう何もかも無くなってしまうのです!!私はたとえさえりんが重度の障害を負ったとしても生きていて欲しかった!!決してお金たくさんが欲しいからではありません!!もっともっと一緒にいたかっただけなんです!!さえりんのために精一杯側にいて出来うる限りのお世話をしてあげたかったのです!!それなのに、私からさえりんという愛娘の命と共に、夢も希望も未来も全てを一瞬で奪われてしまったのです!!何故、亡くなった人は賠償金額が少ないの????命を奪われてしまったら、その時点でその人の人権も生きていた事実も全て無くなってしまうから、損害賠償を支払う価値には及ばないってこと????こんな酷い仕打ちってあんまりです!!!!!だったら、さえりんの命は殺され損ってことですか?????さえりんは絶対にまだまだ死にたくなんかなかったのに!!!!!!あの女のうっかりのせいで、ブレーキを正しく操作しなかったせいで無惨に理不尽に命を奪われて、挙句の果てに法律にまで命を軽く見られてさえりんの命をいったいなんだと思ってるんですか???????これは私一人の意見なんかではありません!!!理不尽に命を奪われたすべての被害者遺族の声無き、心の叫びなのです!!!どうか心有る方々にほんの少しでも届くことを願っています!!こんな理不尽でおかしな加害者天国日本が少しでも、被害者遺族の想いを正しく受け止めて適切な不公平のない世の中になってくれることを強く願うばかりです!!!!さえりんの民事裁判はまだこれからです!!ですので、これからどうなるの全くかわかりません。もっともっと酷いことになって、私はさらに荒れ狂うかもしれません(>_<)それでも、このブログにはありのままの心の叫びを正直に書いていきます!!だってこれが殆ど経験者と当事者しか知られていない驚愕の現実なのですから!!(さえりん7歳 ママの実家にて従妹たちと一緒に)昨日はお電話を下さった方や、日頃からメールでお話をうかがう啓至さんのご両親のお気持ちを思ったら、つい我が事のように胸が張り裂けそうになり心の叫びが爆発してしまいました。昨日は啓至さんの月命日でした。さえりんもきっと同じように無念な想いをたくさんたくさん抱えて、たった一人あの世へ旅立ったんだと思うと、決して他人事なんかではないからです!!どうか一人でも多くの方に、決して他人事ではなく我が事として真剣に危機感を持っていただけだらと心から願うばかりです!!そうでなければこの世から交通事故は一向に無くならず、さえりん達のような哀しい被害者は増えるばかりだからです!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館お詫び交通事故で障害を追われた方に、もし失礼だったらごめんなさい(>_<)交通事故被害者はどちらも同じということは、よくわかっています。もしも誤解を生むようなお気持ちになられたら、どうかお許しください!!
2020年11月20日
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我が家の2人の娘たちは長女のさえりんと、2歳4ヶ月下の次女の2人姉妹です。さえりんは生まれた時も3384gもあり、健康優良児で母乳もよく飲み、よく寝て、発達発育共に順調にすくすく育っていきました。しかし、次女はさえりんと対照的で約2ヶ月も早く1914gの未熟児で生まれ、保育器の中で1ヵ月、未熟児室で1ヵ月育ててもらい体も小さく、内臓も弱く、少食で、背も低く何もかもがマイナスからのスタートで苦労を掛けたと思います。そんな姉妹はそれでも、毎日毎日公園へ行き体をたくさん動かして、のびのびと元気に育ったと思います。次女はいつも元気で活発なさえりんを追いかけて、高いところへ登ったり、ブランコをビュンビュン漕いだり、お姉ちゃんは憧れでした。どんどん背も高くなり体重も増えていくさえりんに比べ、次女は高校生までほぼ身長は学年でも1番、2番くらい低く体重も少なく、2人の差はどんどん広がっていました。それでも心が優しくて力持ちのさえりんと、甘え上手でクールな次女は性格もタイプも正反対ではありましたが、お互いを補い合えるいい関係でした。さえりんは反抗期も殆どなく、穏やかで大らかで家族思いな大人に育ちました。それに比べ、成長するに従ってどんどん生意気になり反抗期もいっぱい出してきた次女でしたが、大きくなっても「お姉ちゃんにはかなわない」という気持ちだけは持っていたそうです。子供の頃は体力的にそう思ったのだと思いますが、大きくなってからは人間としてそう思ったと、次女は姉亡きあとそう言いました。さえりんの人生は、永遠に20歳11か月で止まってしまいました。あれからアッという間に、1年5ヵ月が経ち、2歳4か月違いだった姉妹は、先日次女が20歳の誕生日を迎え、今は同い年になりました。そしてあと11ヶ月後には、次女がさえりんを追い越す日が来るのです。次女の成長は親としてとっても嬉しいことで成長を心から喜んでやりたいです!!でも、その一方でもう妹に追い越されそうになるさえりんを想うと悲しく不憫でとっても切ない気持ちにもなるのです。私にとってさえりんは、いつも次女の前を走っていて、時には喧嘩もしましたが、小さい妹を気遣ってくれる、次女の憧れの心優しいお姉ちゃんのままなのです。さえりんが亡くなってからも、次女はどんどんいろんな経験をしています。次女は4月に車の免許を取りました。今ではさえりんが大好きだったピンクのN-BOXを乗り回しています。もしさえりんが生きていたら妹の運転する車で2人でお出かけすることもあったかもしれません。今は時々、車で友達と遠出したり、友達と旅行にも行っています。アルバイトも頑張って、時々ラスト(閉店後の片付け)までやってきて夜中の1時過ぎに帰って来ることもあります。次女は20歳になって急に大人気分で、最近は近所の友達と駅近くの居酒屋へ行ってお酒を飲むことを覚えました。まだまだ弱いのですが、少しずつお酒の味も覚えてお付き合いも増えて、楽しく飲める日も、きっと近い将来のことでしょう。我が家は主人も私もお酒は飲まないので、さえりんも20歳になっても飲みませんでしたね。一度、缶酎ハイを私が買ってきて勧めたら「お酒はまた今度ね」ときっぱり断ったまま、一度も飲むこともなくあの世へ逝ってしまいました。さえりんが酔っぱらうとどうなるのか見たかったなあ(>_<)きっと次女は隔世遺伝で、お祖父ちゃん似だと思います・・・(;'∀')次女はどんどん普通に成長し、少しづつ大人の階段を登っていくことでしょう。次女も来年早々には成人式です。そんな次女の成長を少し危なっかしくも思え心配もしながらも、それでも嬉しくも頼もしくも微笑ましくも思え、親として温かく見守ってやろうと思えるのです。これから先どんどんいろんな経験をして、いずれ就職して、家を離れ自立して、いつか結婚もして、子どもを授かり、家庭を築いていくであろう次女の幸せを私は母として心から願っています。そうでなくてはいけません。しかし・・・その一方で時間が止まったまま、妹に追い越されてゆくさえりんのことを思うと不憫で可愛そうでたまらなくなり、とっても複雑な気持ちになるのです。さえりんの知らない時間と、状況が増えていく物悲しさかも知れません!!もちろんこんな私の気持ちは、絶対に次女には悟られないようにしていますが。上のお子さんを亡くされた親御さん方は、誰しもこういう思いをされてみえるのでしょうか??たとえ姉妹でも成長の過程も度合いも全く違います。だからたとえ、さえりんが生きていたとしても、次女の方がどんどん先を越してしまうこともあったでしょう。それでも、もし生きていたのなら、きっとさえりんなら素直に次女の成長と幸せを祝福し、喜んでくれたことでしょう!!そんな風にこれから先、変わりゆく姉妹の関係を見れなくなってしまったことが一番悔しく辛く悲しいのかも知れません・・・(>_<)「もうどうにもならないことをいつまでも思っていても仕方ない!!」と言われるかもしれません。私自身でもそう思うこともあります。「もう一人妹がいただけ良かったではないか!!」「さえりんは20歳まで生きていてくれたんだから贅沢言うな!!もっと早くに亡くなってしまった子も大勢いるんだぞ!!」と言われるかもしれません。本当にその通りです。とってもわがままで贅沢なことを言っていることも承知しています。でもやっぱり、どうしても諦めきれないのが親心なんです!!往生際が悪くても、みっともなくても、業が深いと思われても構いません!!それが、私という人間なのですから!!(さえりん7歳 南知多ビーチランドpart3)昨夜、ブロ友さんとLINEをしていたら、亡くなった子どものアルバムを作成することは、カウンセリングの先生からも勧められるのだそうです。「死んだ瞬間や哀しみだけがあの子たちの人生ではない。生きてきた幸せな時間があったはずだ。」と認識するための大事な作業なのだそうです。私は何の知識もなく、そんなこと全く知りませんでした。ただ思いつくままに、何かに突き動かされるような感じで、さえりんが亡くなって4ヶ月後くらいには、必死でアルバムを作っていました。今は主人が毎日、ブログの写真や動画を作っているのも同じことだと思います。それがきっと、グリーフケアのため必要なことだったのですね!!大事なことを教えてくださり、ありがとうございました(*^^*)私を突き動かしたのはたぶんきっと・・・さえりんの仕業です(^_-)-☆ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月19日
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我が家の家族はとっても写真魔です(^^;)単に親バカなのかも知れませんが。毎日のブログ写真を見てもらってもそうなのですが、主人のパソコンの中にはその何十倍もの写真のデータが入っています。そしてその写真はすべてわが家の歴史であり、娘たちの成長の記録と生きた証我が家の大切な大切な家宝なのです!!私は昔からこんな考え方だったので、きっと相当な過保護で娘たちをひたすら溺愛する愚かな親だったのかも知れませんが、今となってはそれが良かったと実感しています。それはもう二度とあの頃へは戻れず思い出も写真がなければ蘇ることもなかなかないのですから。我が家はさえりんが3歳、次女が1歳頃まではフイルムカメラを使っていました。その頃の写真はカメラ屋さんで全部現像してもらって私は12冊の大きな増えるアルバムにきちんと整理していました。それは将来娘たちがお嫁に行くときに持たせてやりたいと思い、さえりん用、次女用、私の思い出用の3パターンに分けて綺麗に貼っていたのです。ところがそれ以降はデジタルカメラに代わり現像はせずにデータだけをパソコンに保存するようになったのです。行事などの時は主人に頼んで印刷してもらってはいましたが、デジタルになってからは殆どアルバムを作れずにいたのです。ところが・・・1年5ヵ月前のあの日、さえりんが突然この世からいなくなってしまった時我が家の時間も一緒に止まってしまいました。私はもうこの先一生、心から笑える日も、幸せと感じることもないんだと人生をも諦めました。我が家から、光が消えて、笑顔も消えて、喜びも、楽しみも全てが無惨に踏み潰されて、幸せな時間が止まってしまったのですから。さえりんが亡くなった数か月後、勇気を振り絞って悲しみを必死でこらえながら堪えきれずに何度も何度も泣きながら、私はある作業に一生懸命没頭にしました。それは今までたくさん撮ってパソコンにデータとして入っている中から選んで写真として印刷しアルバムを作ることでした。パソコンのデータもいいのですが、やっぱり思い出に浸りながらめくって見れるアルバムを作りたいと。主人にそう頼むと「じゃあたくさんあるデータの中から印刷したい写真を選んで写真用紙を買ってきて自分で印刷しなさい!!」と突き放されました。その時は「なんて主人は冷たいんだろう!!!」と嫌いになりそうでしたが、今になって思えば主人も悲しみの頂点で本当に辛いときだったんだと主人の気持ちも推し量れるのです。とにかくその時はもう意地になって、自分一人で必死になってアルバム作りをしたのでした。印刷した写真はほぼ900枚。300枚入る差し込む形のアルバム3冊に収まりました。これは姉妹2人で写ってるものも、家族のものもありますが殆どがさえりんメインの写真ばかりです。さえりん専用のメモリアルアルバムが完成したのです!!ところが完成して一瞬は嬉しかったのですが、すぐにとても哀しくもなりました。それは、このアルバムはこれから先もう二度と増えることがないからです(>_<)作っているときは必死だったので、出来てみたらさらに哀しくなるなんて思いもよりませんでした。そして、4冊買っていたアルバムのうち何も入っていない残りの1冊を抱きしめて絶望感に浸り、私はさらに声をあげて泣きました(>_<)もしかしたら、主人はこうなることがわかっていたからアルバム作りに協力してくれなかったのかも知れません。出来上がった3冊のアルバムは年齢順に色分け、ピンク色は幼児期、赤色は学童期、白色は中高生から社会人の時期の3冊です。私は出来上がったアルバムを何度も何度も見返して、可愛かった頃のさえりんが成長していく過程を眺めては一緒にいた頃の幸せ感を想い出していました。しかし、最後になるとまたこれ以上増えない写真の寂しさが襲ってくるのです。私は残った1冊の水色のアルバムを、棚の奥底にしまい込み封印しました。あの時からちょうど1年。今ではさえりんの写真は毎日主人が私と主人のブログに可愛く加工して貼り付けて、ブログの中でステキなアルバムのように作ってくれています。もしかしたら主人も、最初は辛い作業だったかも知れませんが今ではこうして毎日さえりんの可愛い頃の写真や動画を作ることも、主人自身の癒しであり、楽しみであり、生き甲斐になっているのかもしれません。それでもさえりんの命の時間は、20年11ヵ月で止まったままでした。ところがつい先日、私はあることに気付いたんです!!さえりんはメッセンジャーとして新たに使命を持って生まれ変わったんだと!!そう気付いたとき、私は封印していた水色のアルバムを探し出しました。そして主人に頼みました。「このアルバムにはこれからさえりんがメッセンジャーとして新しい出会いや、新しいお仕事の写真を増やしていけるんだよ!!だから最初にメッセンジャーとして誕生したときのさえりんの写真と見守ってくださった皆さんとの写真を印刷して欲しい」と!!主人は快く「いいよ」とすぐに印刷してくれました。さえりんの新しい人生のスタートを、新しいアルバムに増やしていけるのです今は主人と同じ方向を向いて、さえりんのメッセンジャーとしての新しい命を一緒に見守っていけることが、何より嬉しいのです(*'▽')☆彡(さえりん7歳 南知多ビーチランドpart2)さえりんは永遠に20歳のシンデレラです👠でも一度は命を奪われ、止まってしまった時間が・・・メッセンジャーとして生命を受けて、再び動き始めました!!どうかコロナが早く治まり、大勢の仲間と共に全国各地へ新しい出会いと、新しい思い出を紡ぐ旅へと出られますように!!それが母からの、ささやかな願いなのです💛ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月18日
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一昨日主人と次女と3人で晩ご飯を外食し、家に買ってきたら急に主人が「明日、急に仕事が休みになったんだ」と言いました。それで昨日は朝から暖かくてとってもいいお天気、せっかくなので主人に「香嵐渓に紅葉を見に行きたいなあ🍁」と言ってみると「いいよ」と連れて行ってくれました(≧▽≦)もちろんさえりんも一緒に!!ですが、昨日は急に決まったので家を出るのがいつもより遅くなり、家から香嵐渓まで1時間のところが、着く手前で大渋滞にはまってしまいました・・・私は平日だから大丈夫かなと思っていたのですが、読みが甘かったです(^^;)そのうち主人は少しイライラ不機嫌になってしまいました(~_~;)「やっぱり今日じゃなく水曜日にもっと早く家を出れば良かったヽ(`Д´)ノプンプン」それでも何とか市営の駐車場に車を止めて、歩き出すとすごいたくさんの人。みんな考えることは同じです(;^ω^)主人は早速紅葉の写真をたくさん撮っています。去年までは私は写真は全く興味がなかったのですが、今年はちょっと前からインスタを始めたので、私も主人に負けじと夢中になって写真を撮りました。私は主人みたいにセンスも技術もなく下手なので、面白そうなインスタになるようなネタを探して撮りました。すると気が付くと人ごみの中、主人とはぐれて迷子になっちゃいました(=゚ω゚)ノ携帯で呼んでみると「こっちだよ」と川の向う岸から手をふるオジサンが・・・主人でした(´▽`) ホッ合流してからもお互い写真ばかりに夢中で、気がついたらいないという状態です。イチョウの木が真っ黄色で綺麗だったので見ていたら、穏やかな風が吹いてきてイチョウの葉っぱが一斉に落ちてきました。まるでイチョウの雨か雪みたいに幻想的ですっごく綺麗で思わず見惚れました(*^^*)主人を呼んだら近くにいましたが「ちょうどインスタをあげていて写真が撮れないから撮っといて」と言われ、慌てて撮りました。でも写真より実物の方がとっても綺麗で私は感動していました。あとでシナモンに扮したさえりんを、落ちてきたイチョウの葉のジュータンの上にのせて写真を撮りました(^_-)-☆いつもの広場の露店で、お楽しみのおやつタイム(^^♪私が並んで、みたらし団子としょうゆ団子と手作りフランクを2本づつ買って主人が場所を確保していて、主人とさえりんと私の3人で食べました!!とっても美味しかった。結局これがお昼ご飯になりました(⌒▽⌒)アハハ!紅葉を満喫してお腹も膨れて、車に戻る途中で気になるものを発見!!「もみあげまん」と書かれた提灯の屋台でもみじ饅頭を油で揚げていました。いつもは見るだけで素通りするのにインスタのお陰で私は喰いつきました(^^;)もみじ饅頭が揚げて串にさしてあるだけで1個250円はめちゃ高い!!でも興味半分でインスタの受け狙いではじめて買っちゃいました(∀`*ゞ)エヘヘ1個だけ買って主人と半分っ子で食べてみると、意外に美味しくてΣ(゚Д゚)最後にパラパラ降りかけてあった塩がいい感じで中のカスタードクリームとマッチしてました(*^^*)車に戻り家に向かいました。気がついたら、いつの間にか朝渋滞して不機嫌だった主人の機嫌はすっかり治って、とっても楽しそうでした。私もインスタで面白写真をたくさん投稿出来て大満足!!こんなに楽しかったのは久しぶりでした( ^ω^ )ニコニコもしインスタをされてみえる方は良かったら見て下さいネ!!https://instagram.com/saemama_1107?igshid=jfee3rgocr8l(昨日の香嵐渓)私たちはこの香嵐渓には昔からよく行きました。お隣の豊田市の足助町というところで家から1時間で行ける、紅葉で有名な観光スポット。紅葉シーズンは観光バスも日帰りツアー客をたくさん連れてきます。さえりんたちが小さい頃は紅葉よりも、真夏に川遊びが大好きだったので毎年のように来て、さえりんたちはいつも浮き輪につかまり泳ぐのを楽しみにしていました。10年くらい前から子供たちが学校へ行っている間に平日休みの主人と2人で紅葉デートに来るようになりました。それ以来毎年続いています。ただ、昨年は私の中で躊躇する気持ちもありとても複雑でした。さえりんが亡くなり5ヶ月しか経っていない時で、私はまだブログもはじめて2ヵ月、まだまだ悲しみのどん底から這い上がれず暗闇でもがいていた頃でした。さえりんが亡くなり私はもう二度と心から笑うことも楽しいことなんて一生ないと思っていたのです。子どもを亡くしたばかりの私が、観光地へ行ったり楽しいことをしていけないという気持ちが強かったのです。私もさえりんも悪いことなんて全然していないのに、どこか後ろめたい様な隠れていたいような気持ちでいっぱいで過ごしていたのです。その頃は近所の方や知り合いに会うのもすごく嫌で、近くのスーパーには行けなかったり、人に会いそうになると隠れて逃げていたのです。家に訪ねてくださる方は事情が分かった上で覚悟して来られるから良いのです。でも不意に私に会ってしまったら相手だってなんて声をかけていいかわからなくて迷惑なんじゃないかと思ってしまうのです。娘を事故で亡くしたこんな母親は世間から除外された人間のように感じて、私なんかいない方がいいと思いました。それですっかり引きこもり生活がはじまったのでした。そんな最中の昨年の紅葉シーズン、主人は私を元気にしようと連れ出してくれたのですが、私の心は重たくてとても楽しめるような心境ではありませんでした。まして数年前までさえりんが楽しんで泳いでいた川を見るのも本当は苦しかった。ただ知り合いに会わなかった事だけがホッとしたのでした。それが1年経って、まさか自分でもこんなに楽しんで紅葉を見れる日がこんなに早く来るなんて思ってもいなかったのです!!私の中で、さえりんがメッセンジャーとして誕生し、生命のメッセージ展に再就職できたことはこんなにも大きな心の変化に繋がったんだと実感しました。さえりんは死んでしまったけど、さえりんの魂は今も生きている。生きてこれから命の大切さを全国のみなさんにお伝えする大切な役割を担うんだという使命感はこんなにも私の心の拠り所と未来への希望になっているんだと気付きました。まだまだ厄介な民事裁判で心の浮き沈みは絶対に大きく揺れ動くことでしょう。それでもこの心の拠り所は、私にはどれだけ支えられ励まされることでしょうか。さえりんは一度死んでしまいましたが、今も生きているんです!!もちろん私や主人や家族の心の中で、このブログを読んで下さる皆さんの心の中でそしてこれから先、全国各地のメッセージ展で新しく出会うであろう大勢の方の心の中で。そうだよね!!さえりん昨日もお空からパパとママを見ていてくれたんだよね(さえりん7歳南知多ビーチランドにて、従姉弟家族と一緒に)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月17日
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昨日はとっても会いたい方にお会い出来ました!!その方は以前にもお会いした、豊橋市のIさんです。昨日で2回目のご対面(*^^*)以前私のブログにも書きましたが、Iさんは2年前の7月(さえりんの誕生日)に当時中学1年生のご長男さんA君を、青信号の横断歩道で13トントラックに左折の巻き込みで即死させられました。中学校に登校途中の大惨事でした。そして刑事裁判の判決は禁錮3年・執行猶予5年という、さえりんと同じく煮え湯を飲まされた到底な得できないものでした。それでも、Iさんはその後その信号機を歩者分離式信号機に替えるなど事故再発防止にご尽力されています。昨日お会いしたかった理由は「横断歩道は歩行者優先」のマグネットシートをお渡ししたかったのと、ミュージアムで買ったnaominさんのハートグッズをさえりんとYちゃんとお揃いで、A君にもお供えしてほしくて、是非もらって頂きたかったのです。昨日11時半に豊橋市のレストランで待ち合わせだったんですが、10時過ぎに家を出ようとしたら次女が「今日は安城市の図書館で勉強したいから行くとき乗せていって」と言うので、次女を乗せまず安城市図書館アンフォーレに20分かけて向かうと、豊橋までの到着時間が12時とカーナビに出ました(^^;)家より安城市は豊橋方面に近いはずなのに家から行くよりかなり時間がかかってしまいます・・・(;'∀')道路の関係です。仕方なく助手席の次女に、私のスマホからIさんへ30分遅れることをLINEで送ってもらいました。次女を下ろして、国道1号線をひたすら走り豊橋に着いたのは12時でした。Iさん30分も待たせてしまい、ごめんなさい(^-^;着いたのは「コスタリカ」というレストランでランチを頼むと焼きたてパンがどんどん出てきて、とっても美味しくてたくさん食べちゃいました(≧▽≦)Iさんとは交通事故の事、裁判のこと、その後の様子などを時間も忘れてたくさんお話しました。うちもそうなのですが、Iさんのご家庭もA君が突然還らぬ人となってしまい、家族一人一人の心にぽっかりと空いてしまった穴は想像するより遥かに大きくて、埋めようのない虚しさとなって様々なところで生活に支障をきたすほどの症状になって現れるのだと教えて下さいました。私より一年先に被害者遺族になってしまったIさんのお言葉は本当に重い物でした。経験した者でしかわからない世界に、出来れば経験などしたくなかった世界に突然突き落とされる辛さと悲惨さは、被害者遺族になってみないとわかりません。Iさんとも「こんな理不尽な交通事故の被害者がもう増えてはいけない!!長年交通死亡事故ワースト1の愛知県から声をあげていくことが出来たらいいのに!!」とお互い願いは同じなのです!!それでも私たちには何の伝手も力もなくどうしたらいいのかさえ道筋も見えません。何か良い方法はないものかと憂いるばかりです。長居してしまったレストランを出たのは午後4時過ぎでした(^^;)駐車場でまた少しおしゃべりしていると、ふと見上げた空がとっても眩しく感じ思わず「あの空の上で、さえりんやA君やYちゃんや啓至さんもみんな、私たち親が涙しながらも精一杯頑張って生きている姿を見ていてくれるのかな??」とそんな気持ちになりました。Iさんと2人で「どうしてうちの子たちじゃなくっちゃいけなかったの??」と永遠に答えのない問いを話しながら、私はお空のさえりんに向かってこう思いました。「みんなで仲良くママたちを見守ってね!!パパたちやママたちはあなた達のことを絶対に忘れないよ!!あなた達の死を無駄にしないように頑張るからお空から見ていてね!!」と心の中で叫んでいました!!Iさんと駐車場で別れて、次女を迎えに安城市のアンフォーレに向かおうと車を走らせると、国道23号線バイパスの向うに真っ赤に染まるとっても綺麗な夕陽が見えました。私は思わず、お空のみんなが「頑張ってね!!」とエールを送ってくれているように包み込まれるような温かい気持ちになり、涙が零れました。本当にありがとう(´;ω;`)ウゥゥ夕方6時頃、アンフォーレに着いて次女を乗せて、弟にお弁当を買って一度家に持って行き、それからまた安城市のチェーン店のしゃぶしゃぶ屋さんへ向かいました。夜7時半過ぎ仕事帰りの主人と合流して、3人で1週間遅れの次女の誕生日祝いにしゃぶしゃぶ食べ放題でたくさんお肉を食べました(≧▽≦)本当にこの頃、美味しいものを食べてばかりのさえママです(∀`*ゞ)エヘヘ昨日はIさんにお土産を渡すために会ったのに、逆にまたたくさんのお土産をいただいてしまいました(^-^; ありがとうございました(*^^*)夜Iさんが、娘さんと猫ちゃんが「横断歩道は歩行者優先」のマグネットシートを体に貼り付けた、可愛いらしいお写真をLINEで送ってくれました(≧▽≦)(さえパパが映した、昨日朝の三河の空)(真っ赤な夕陽は運転中だったので、撮影ができませんでした(^-^;)(さえりん7歳 堀内公園にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月16日
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連日私の心境は上がったり下がったり、まるでジェットコースターみたいな日々が続いています。そんな昨日は私の友人Hちゃんに会いに行ってきました!!Hちゃんとはお互い独身時代に同じ職場で働いていた同僚で、もう30年くらい前からの友人です。私は親しみを込めて「Hちゃん」と呼びますが、本当は私より6歳年上の穏やかで優しいお姉さんなのです(≧▽≦)昨日会った一番の目的は「横断歩道は歩行者優先」のマグネットシートを車にも貼ってもらうためです!!10枚もらったうちの1枚をHちゃんに。あと残りは2枚です。もう1枚は明日また大切な方にお渡しする予定です。午前11時、西尾市のスーパーの駐車場で待ち合わせ。Hちゃんの家とうちの中間地点だからです。車で約30分の場所です。いろいろ行き違いはありましたが無事に会えて、私の車について来てもらい「ラパン珈琲店」という新しいお洒落なカフェもあるパン屋さんへ行きました。実は私は西尾市の出身なのですが、今では街もすっかり変わってしまい新しくいろんなお店もできてもうすっかり浦島太郎状態です(⌒▽⌒)アハハ!このお店はHちゃんが知人に聞いてくれて場所は私がGoogleマップで調べました。私たちはお店に入って、パンランチを頼みました。パンを販売してるコーナーで好きなパンを2つお皿にとって、スープとサラダと飲み物と可愛いデザートが付いて700円でした。私は明太子がのったパンとミルクパンにしました(^-^)明太子パンは私の大好物、ミルクパンはさえりんが好きそうだと思い選びました。食べてみたらミルクパンがさえりん好みでほんのり甘くて柔らかくてとっても美味しかった!!心の中で「さえりんママと一緒に食べようね💛」と思いながら私が美味しく頂きました(∀`*ゞ)エヘヘHちゃんとはいろんな話がはずみとっても楽しい時間を過ごすことが出来ました!!会話の中、Hちゃんがこんなことを言いました。「テレビのニュースを見ていたら子供さんをいじめで亡くした親が裁判を起こし賠償金額の8割で示談したと聞いてちょっとがっかりした。最後はやっぱりお金なのかって思っちゃって」と。私も昔はHちゃんと同じことを思っていました。「民事裁判を起こすのはお金で賠償して欲しいからでしょ」と。でも今なら理由はハッキリわかります。そして最後まで決着できずに途中で示談を裁判官が持ちかけそうしなければならない状態になってしまう理由も少しはわかるのです。このご両親は決して子供さんの命をお金に替えたかったわけではないと思います。でも示談を迫られ応じることでしか相手に条件を突き付けられない場合もあるのです。もしかしたら私もそうなってしまうかも知れません。Hちゃんにそう話すと「私たちが知らないことって事件や事故のニュースの影にはたくさんあるんだね」と納得してくれました。私だってそうなんです!!自分の身に起こって初めて知る現実ばかりです!!一番驚いたのはHちゃんも私の他の友人もブロ友さんも言ってくれましたが、「たとえ過失でも人を轢き殺したら無条件で刑務所に入るんじゃないの??」という疑問です。私だって当然そう思っていました。100%加害者が悪いのなら当然だと。でもその当然は全く違っていたのです!!実際に過失運転で刑務所に入るのは1000人に1人か、何千人に1人というのが現実の世界なんです。私たちの思っている常識と、法曹界の常識とではこんなにも大きく食い違い全く未知の世界だったという現実に、自分が遭遇して初めて愕然と知らされるのです。私はHちゃんに言いました。「これからきっともっともっと過酷な現実に遭遇し挫折もし未知の世界を見せられると思う、私はそれもありのままブログに書くから見ていてね!!」と。Hちゃんは心配そうに「無理しないでね。でもあなたのブログで私はすごく勉強になっているよ。ずっと応援してるからね!!」と優しくそう言ってくれました。気がつけばもう3時近くになっていました(^-^;帰りにパンをお土産に買いました。実はさえりんにミルクパンを買おうと思っていたのですが売り切れだったので、代わりにそのお店一番人気の白くまちゃんバーガーをさえりんに、カレーパンをパパに、くるみパンとアスパラベーコンパンを次女に買い、家に帰りました(*^^)v昨日は久しぶりにHちゃんとお外で会えてたくさん話もできマグネットシートも渡せて、本当に優しい気持ちになれた良い一日でした(*^^*)Hちゃん昨日は、本当にありがとうね💛(*'▽')☆彡実は明日も大切な方にお会いできるのです!!私にとっては久々に心ワクワクする2日間です!!こういう日が無ければ私はきっと、これから始まる民事裁判の過酷な現実を直視して闘うことは出来ないと思うのです。私には理解して味方でいてくれる優しい友や、ずっと見守って下さる温かいブロ友さん方が大勢いて下さるんだということが心を支える原動力なのです!!「さえりんの部屋」を見守って下さる皆さんへ私はこれからも、交通事故の被害者遺族が通る道や、過酷な現実をありのまま私が感じたまま書いていきたいと思っています。自分でもまだどうなるのか全く未知の世界ですが、これは決してフィクションではなく現実世界なのです。「へえーーこんな人もいるんだー」くらいでも、私は構いません。それでもいいのでどうかこの現実を一人でも多くの方に知っていただくことで「やっぱり交通死亡事故は絶対に被害者にも加害者にもなってはいけないんだ」と強く感じてもらい、もうさえりんのような悲しい被害者が増えないことを強く強く望んでいます!!それはさえりんからのお願でもあるのです!!(さえりん7歳 香嵐渓で水遊びpart2)私は東京でもブログで知り合った素敵なお友達に出会い、勇気と元気と優しい気持ちをたくさんたくさんいただきました!!本当に人の出会いってすごいんだと改めて実感し感謝でいっぱいです(^_-)-☆ミヤちゃんさんとnaominさんとちゃっぴーさんは以前お写真を載せました。Yちゃんのママさんとパパさんとは写真を撮り忘れてしまい残念です(;^ω^)最後にお会いしたのは、りりくまさんは帰る時さえパパが覚えていてくれて写真を撮ってくれました( ^ω^ )ニコニコ(話に夢中になるとつい忘れる私(^^;))私にとっては死別遺族に関係なく、みんな大切なかけがえのない友達なんです!!みなさんから頂いたお花はさえりんのお仏壇に大事に飾っています(*^^*)お土産はさえりんにお供えして、代わりに食べちゃいました(⌒▽⌒)ゴチソウサマ!(東京で皆さんからいただいたお花)(ラパン珈琲のパン)りりくまさんとの写真を載せようかと思いましたがやめました。私たちの思い出にしときます( ^ω^ )ニコニコご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月15日
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昨日は我が家にレターパックで書類が届きました。送り主は、N弁護士からです。民事裁判に向けての、『訴状』の原案が出来上がったのです。私は今まで裁判なんて無縁の生活をしていたのでよくわからないのですが、どうやらこの『訴状』を地方裁判所へ提出し民事裁判を起こすのだそうです。私は中を見るのがとても怖かったのです。でも、逃げていては民事裁判なんて起こすことが出来ません!!だから勇気を出して、レターパックを開けました。中には『訴状』(案)の書類と、訴状委任状が入っていました。私は恐る恐る、『訴状』(案)を読みました。本当は全部主人任せにしたいのですが主人は仕事やブログ写真が担当で、こういう事故関係の書類はいつの間にか私の担当ということになっているんです(;'∀')そこには娘を喪った損失の賠償額の請求が書いてありました・・・(>_<)私は泣きたくなるのを必死に堪えて、最後まで読みました。民事裁判とはこういうものだということは皆さんから聞いて覚悟はしていました。でもいざ大事な我が娘、さえりんがお金に換算されるのを見るのは過酷でした。まだ、案なのでこの通りに通ることはないと思います。保険会社は少しでも減額するために粗を探して嫌な所をどんどんついてくることも聞いています。私はますます悲しくなりました・・・(>_<)さえりんの命の価値っていったい何なの???いったいこんなお金に何の意味があるの???もし、このお金でさえりんが元に戻るのなら私は喜んで出します!!!!1億円だって10億円だって、家屋敷を売って借金してしてでもお金なんていくらだって出しますから、さえりんを還してください!!!!!私にとってさえりんは、こんな醜いお金なんかには絶対に変えられないかけがえのない尊い、世界でたった一人の最愛の娘なんです!!!!!はじまる前から虚しさが込み上げ、この先が不安でしかありません。でも、やるしかありません!!!そうでなければ、加害者はますます謝罪の気持ちなんてこれっぽっちも持たずお義理で会社任せでやっている月命日の現場への献花すらもう来ないでしょう!!加害者はろくに謝罪もせず、執行猶予が付いて刑にも服さず、何の償いもしないで自分が殺したさえりんのことなんて忘れて普通に暮らす。そんな卑怯な人生なんて絶対に許せないんです!!!!これが過失の死亡事故が減らない元凶なのです!!だから、私は最後まで加害者と闘わなくてはいけないんです!!!!私はその勢いで先日、日本交通事故調査機構の佐々木さんから送っていただいた『交通事故調査報告書』もじっくり読みました。事故の見取り図がたくさん載っていて難しい計算方式や現場状況から導き出された本当の事故の真実が書かれていました。警察の資料とはかなり異なっています。民事裁判では、この加害者の自分有利な検証結果を元にした警察の捜査資料を撤回するところからはじめなくてはならないのです!!!!この日本交通事故調査機構の佐々木さんは依頼人である被害者に有利な報告書は決して作りません。どんなに被害者が不利になろうが、正しい事故の真実を正直に明らかにすることを信条として信念を持って事故調査をされる方です。だから信用が出来るのです!!!これが事故の正しい真実であることを!!!娘はこうして亡くなったのだと、赤裸々な図面と事故のシュミレーションを見るのは胸が苦しく心が壊れてしまいそうになります(>_<)だけど、目を背けていてはいけないんです。私がそんなことではいったい誰がさえりんの無念を晴らすことが出来るのでしょうか!!!!!自分の命より大事な、娘の命が儚くも奪われていく瞬間を見るのは身を引きちぎられるくらい辛いものです。それでも一生懸命堪えて読みました。最後の結果の欄には「加害者は紗愛理と最初に左前輪で衝突し転倒させてからブレーキを踏んで停止するまでに、普通の人の4倍以上の時間がかかっている。すぐに正しくブレーキを踏んでいれば大型トラックの下敷きになった紗愛理を轢く前に止まれたと推定される。紗愛理は他に体に怪我や傷も殆どないためもし頭を轢過されなければ致死は免れ、軽症で済んだものと推定される。」やはりここを読むと、悔しと加害者への憎しみが込み上げるのです!!!加害者はどうしてすぐにフルブレーキを踏んでくれなかったの???私も車を運転していてもし何かとぶつかったらとっさに体が反応してすぐに急ブレーキを踏みます。運転経験のあるものなら誰しも同じなはずです!!!それなのに人の4倍以上もかかってブレーキを踏み始めたのは何故ですか???加害者は何故さえりんを轢き殺したの????わざと殺したの????誰だって人を轢いてしまったら、とっさに相手を殺さないため、負傷を少なくするために、すぐに急ブレーキを思いっきり踏んで止まるはずでしょう????それなのにあの女は何故さえりんを救うための行動を取ってくれなかったの???あの女はいったい何をしていたの????何を守りたかったの????私のこのぶつけようのない憤りや怒りや疑問は、あとは民事裁判でぶつけるしかないんです!!!!昨日はようやくこの書類から逃げずに、しっかり読むことが出来ました。いったんは現実逃避して身を守り逃げましたが、お花を植えて花壇に癒され、みなさんにたくさん励まされて、ほんの少しですが一歩進むことが出来ました。これから裁判が始まればもっと酷いこと辛いことが待っていることでしょう。でも私は、さえりんの死が運命だったのだから仕方ないなんて思えないし簡単に諦めることなんて絶対に出来ないんです!!こんな一進一退の繰り返しですが、それでも前に進んでいきたいと思います。これからもどうかよろしくお願いいたします!!(さえりん7歳の夏 香嵐渓で川遊び)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月14日
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東京から愛知に帰ってから3日間は、私はまた過酷な現実に引き戻されて精神状態は大荒れで酷いものだった。しかし昨日は、風が強く体も心も寒かったこの3日間にに比べ、春の陽射しが戻ったような穏やかな暖かいポカポカ陽気になりました。朝から私の心は決まっていました。「そうだ!!今日こそはまたお花を買いに行こう!!もう枯れかけた夏の花を片付けて、新しく秋から来年の春にかけて咲く花に植え替えよう!!」と。朝、出勤する主人をお見送りし、大学へ行く次女を駅まで送ってから私はお花の苗を買いに、みよしの三貴フラワーセンターへ行きました。昨日はお天気も良かったのでたくさんの人が花の苗や、野菜の苗を買いに来ていました。私もたくさんのお花の中から可愛いと閃いたお花を次々にカゴへ入れていきました。気が付くと苗は2カゴいっぱいになっていました(*^^*)家に帰ると早速、陽射しが暖かいさえりんガーデンの前にブルーシートを敷いてここでお花の植え替え作業開始です!!さえりんガーデンの方は全部新しい花なので植え替える必要はありませんが、前から植えていた家のすぐ前のお庭のプランターやハンティングの方は、もう夏の花が息絶え絶えの状態でした。ミニドールガーデンのお花も伸びきって枯れて見苦しい状態だったので植え替えました。するとお庭が生き返り、私の心も生き返ったような気持ちになれたのです!!だから、私はお花が好きなのです(≧▽≦)真っ暗闇のどん底でドロドロした私の心まで、優しく癒し思わず微笑ましい気持ちにしてくれるからです。花は綺麗で汚れが無くて何の罪もありません。人を騙そうとか、自分が有利に立とうとか、損か得かなんて微塵も思ってなんかいないんです。そういうところがさえりんとそっくりだと思うのです(*'▽')心が限りなく美しいから尊いのです!!私の心はすっかり汚れてしまい、もうそんな純粋な心の持ち主になれませんがそれでもお花に携わっている時だけは、私の心も優しい気持ちになれるのです。そんなことを思いながら花を植え替えていると、母(姑)が見にきました。「今日は暖かいから日向ぼっこしようと思って」と言いベンチに座りました。穏やかな日差しの中で母と会話をしながら過ごしていると、モンキチョウがヒラヒラとお花の周りに飛んできました。「あっ、さえりんが来た!!今日は黄色いチョウチョさんになったのね(^-^)」って声をかけると、母も微笑ましそうに笑っています。母も私ももう何も望むことなんてありません。物もお金も何も要りません。私たちの願いはただ一つ、さえりんが還ってきてくれたら・・・それだけです。叶わぬ望みをいつまでも諦めきれない嫁姑は、癒えない傷を慰め合うかのように共に幸せだった頃の思い出話を語り、一緒に涙を流し、時にはハグをして「どうしてさえちゃんがこんなことになったの??」と悲しみを共有するのです。永遠に答えに出ないこの問いが、まるで嫁と姑を繋ぐ鍵になっているかのように。お花はそんな私たちの想いをよそに、何の憂いもなくただただ綺麗に咲いているだけです。人に惑わされず、影響も受けず、自分の役割を果たすだけなのです。だから、私はお花を買うのです!!こんなになってしまった私でも、いつかお花のように、自然に身を任せ、儚くも、美しく、凛として、潔く、汚れなく、生きていきたいから。今の私にとって、お花はさえりんそのものなのです!!お花は私の心に、復活魔法をかけてくれたのかな(^_-)-☆「ママ元気出して!!私はいつだってママの側にいるんだよ( ^ω^ )ニコニコ」って、さえりんの声が聞こえてきたような気持ちになれるのです!!(昨日植えたお花たち(*^^)v) (マロン🐕も見にきました!!)(さえりん7歳 お庭で花火🎇part2)(さえりん晴れなのに長靴履いてる??花火で足をやけどしないためかな??)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月13日
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私は今まで自分が如何に世間知らずで、偽善者だったのかと最近よく思います。さえりんを奪われる前の私は、この世に本当に心底悪人なんていないんだと思っていました。みんな必ず良い心を持ち合わせていて、たとえ何かの間違いで罪を犯してしまったとしても絶対に良心の呵責に耐えかねて、自分を顧みて心からの涙と謝罪の気持ちになるのだと・・・根っからの悪人も犯罪者も存在しないんだと、どんなに悲しいお話でも最後は必ずハッピーエンドになるんだと、心からそう信じていました・・・でも現実はそうではなかったのです(>_<)今思えば、私はなんとお幸せな、平和ボケした、お人好しだったんだろうと自分が恥ずかしくなります。本当に世間知らずで無知で、人を疑うことを知らない、お花畑か、温室育ちだったのかもしれません。だから、さえりんがこんな形で命を奪われてしまったのも、こんな馬鹿な私のせいだったかも知れないと、自分を責めるのです。今でも私の心の中ではこう自問自答するのです!!さえりんはあの日、どうしてあの女の運転するトラックに出会ってしまったの??どうしてさえりんが命を奪われなきゃいけなかったの??さえりんは、あの女に何か悪いことでもしたの??あの女がフルブレーキを踏んでさえくれれば死なずに怪我だけで済んだのに!!さえりんは今も元気に生きていてくれたかもしれないのに!!!!!それが運命だとか、たまたま偶然だとか、運が悪かったなんて言葉で簡単に片付けられたくはありません!!!!だって私ならいざ知らず、さえりんは何も悪いことなんてしていないんだから!!それなのに、こんな目に遭わなきゃいけなかった理由は何なのですか????私の平和ボケした頭で何十回も何百回、自問自答しても答えなんて見つかりません。昔の私はこう思っていました。「罪を憎んで人を憎まず」犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけないという教えを、素直にその通りだと思い、自分もそんな寛容な人間になりたいと思っていたあの頃が、もう遠い遠い過去のように思えてならないのです。今の私はもう二度とさえりんがいた幸せだった頃の私には戻れないのです(>_<)だから、今の私は「罪も憎むし人も憎みます」もういい人なんかじゃなくても構いません!!はっきり言って加害者が憎いです!!交通事故が憎いです!!理不尽が平然とまかり通り、加害者が何の罪も償わず反省も謝罪もなく普通に暮らせる寛容なこの社会と、この状況を許すことなんて出来ないんです!!!私のこの思いはもう民事裁判で闘うことしか出来ません!!民事裁判では加害者の罪を問うことは出来ないのはわかっています。すべては損害賠償として娘をお金に換算されてしまうということも、私にとって不本意極まりないことですが、それでしかもう真実を明らかには出来ないのです。少し前、心無い人がネットで著名で私にこんな意地悪なことを言いました。「娘が死んで保険金をたくさんもらえてさぞ嬉しいだろう」と。私は腸が煮えくり返るほど悔しい思いをしました!!!!私が欲しいのはお金なんかじゃありません!!!!一番は娘を、生きて元通りの姿にして還して欲しいのです!!!!それが叶わないというなら、せめて加害者に娘の遺骨の前で跪き土下座して心からの謝罪と懺悔を望みます!!!!さえりんに心から謝って下さい!!!加害者のついうっかりのせいで、一瞬で奪ってしまった未来ある20歳の娘の魂にせめてもの慰めにもならないですが、罪を認めて一生謝罪し続けて下さい!!!加害者はそれ程のことをしてしまったことを、一生かけて悔い改めて下さい!!!そのために、私は最後の手段として民事裁判にぶつけるしかないのです!!!加害者に自分の罪の重さを少しでも認識させるために!!!さえりんに何の罪も、何一つの落ち度もなかった事を証明するために!!!心無い人や加害者や、保険で賠償が見込まれるという理由で加害者に安易に執行猶予をつけた裁判官に、私はこう問いたいです!!!「あなたは自分の家族や大切な人が、さえりんと同じ目に遭っても保険金がもらえて嬉しいと思えますか??自分に置き換えて考えたことがありますか??」私の辛く過酷な闘いは、まだまだこれからはじまるのです(>_<)(さえりん7歳 自宅の庭にて)(さえりんと次女と近所の幼なじみKちゃんと、仲良く花火楽しいね🎇)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館悲しいことがありました。今までたくさん励まして頂いた、とってもお優しくて魅力的で素敵な方が知らない間に旅立たれていことを、昨日知りました。せめてここでお礼を言わせてください。○○さんへ今まで心から励まして頂き、さえりんのこと一緒に悲しんて下さり、本当にありがとうございました!!あなたと知り合えて本当に良かったです!!心から感謝しています!!私はあなたのように、人の心の痛みに寄り添って温かい言葉をさり気なくそっとかけて下さる素敵な女性に、いつかなりたいと憧れていました。できればメッセンジャーになったさえりんを見てもらいたかったです。どうか安らかに、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。どうして、人の命はこんなに儚いのでしょうか???こんなにいい方ばかりが早く亡くなってしまうのでしょうか???神様は本当にいるのでしょうか???この世はどうして不公平で辛いことばかりが起きるのでしょうか???私にはわからないことばかりで、ただ悲しみだけが渦巻くのです。
2020年11月12日
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昨日はとってもお天気は良かったのに、風が冷たく肌寒かった愛知県。東京に行っていたあの2日間が暖かすぎて、お天気や気温にも増して、お出会いした方々のお心が温かくてお優しくて、愛知県に帰ってきた私はいきなりまた辛い現実に引き戻されたような気持ちになるのです。そして、日本交通事故調査機構の佐々木さんからの「交通事故調査報告書」で新たにわかった悔し過ぎる現実に、私の心は真っ逆さまに地獄へ逆戻りです。でもこれが私の人生の現実なんだと、もうとっくに諦めも付いています。そして、東京から帰って2日目の昨日は、心も体も疲れが出たのでしょうか、新事実のショックから立ち直れず、ものすごい無気力感と眠気が襲ってきました。熱は全くなく他に調子が悪いところも無いのでコロナやインフルではありません。ただ私のいつもの身を守るための「現実逃避の術」が働いているのだと思います。本当は佐々木さんからの資料に詳しく目を通したり、東京で歩者分離信号連絡会の会長さんに頂いた「分離信号番組集」のDVDや資料を見て、この先の民事裁判へ向けて、勉強しなければいけないことはたくさんあるのですが、今は少し休息が必要な私なのです。まるで夏休みが終わりそうなのにたくさんの宿題から逃げている子供みたいな気持ちになりました(^-^;昨日は結局、一日中ダラダラと体を休めてゆっくりしました(;^ω^)それでも確実に時は進み、私の身の周りでも確実に様々なことが動き始めている足音を感じるのです。それは大きくうねった民事裁判という名の荒波かも知れません。世間の今までの常識という過酷な嵐の中で大波に飲まれそうに遭難しかかっている、何の力も権力もないただの非力な小舟かも知れません。もう一つは、陽だまりのように温かなメッセンジャーという希望の光なのかも知れません。生命のメッセージ展という大きな大きなハートと虹と希望が見える世界へと、こんな私でいいのだろうかと恐る恐る勇気を出して一歩足を踏み入れたばかりの迷子なのかも知れません。その両極端な世界の狭間の中に、今私はいるのです。そしてそのどちらにもサポートし導いてくれる方々と、こんな私でもいつでも励まして下さるブロ友さんもいて下さるのです。そしてすべてを導いてくれるナビゲーターは、やっぱりさえりんなのです!!民事裁判のことも、メッセンジャーのことも、多くのブロ友さんや同じような被害者遺族の方々とのお出会いも、私は自分の意思でしているようでも、実は違うのです。あの世からのさえりんの導きと遺志に違いありません!!ミュージアムで初めてお会いしたとき、歩者分離信号連絡会の会長さんはさえりんのことを、ユーモアを交えてこんな風に例えて下さいました。「青信号の横断歩道で天に召された、青天菩薩様」だそうです。その菩薩様ってもしかしたらさえりんがちょっと太ってるからなのかなって、さえパパと2人で大笑いしちゃいました(⌒▽⌒)アハハ!こんな風に嫌な気持ちにならず穏やかに感じられるのも、同じ悲しみや痛みを何十年もずっと抱えて、それでも前に進んでみえるご遺族だからかも知れません。さえりんはそうした温かい場所や人々と、私たちの縁を繋いで引き合わせてくれているのです。私たちがこれからも生きていける道を見つけるために・・・そうだよね!!さえりんママはちょっと休憩したら、また歩き出すからそれまで待っていてね!!どんなに辛くても、絶対に逃げ出したりしないから。(さえりん7歳 自宅&自撮り)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月11日
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一昨日の夜、東京から帰る車中で私の携帯にメールが入りました。送って下さったのは、日本交通事故調査機構の佐々木さんからでした。「パソコンメールに事故の報告書案を添付しています。ご確認ください」と。そういえば、7日の夜ホテルでパソコンを開いたらメールが来ていましたが、いろいろバタバタ慌ただしかったので添付の書類まで見ていなかったのです。私は「今、主人の運転で高速道路を走り自宅へ向かっていますので、帰ったら書類を確認しご連絡入れます」とメールを返しました。夜、家に着くと早速メールを開き添付の書類を確認しました。それは、佐々木さんにお願いしていたさえりんの交通事故の正しい鑑定の書類でした。細かい数字の数式やシュミレーション再現図がたくさん載っていて30ページ以上に上るものでした。私がさっと目を通しただけでは詳しいことは理解できませんでしたが一番最後の一文に私はショックで衝撃が走りました!!「加害者が最初の衝突後、速やかに適切な処置を講じ、最短距離で停止していれば、坂田紗愛理は致死を免れていたものと推定される」えっ・・・・っていうことはさえりんは死なず済んだということ????加害者のブレーキ操作のミスで轢き殺されたということ????加害者は右ばかり気にして、左を確認せずに左折したことで紗愛理と衝突したにも拘らず、さらにブレーキをすぐに踏まなかった2つのミスを犯したの????刑事裁判に向かう中、私は検察官に何度も確認したのです!!!「10トントラックという大きなトラックの左前輪で倒された後、中に潜ってしまい下敷きになってから対角線上の右後輪で頭を轢かれるまでに、加害者はトラックを停止させることは出来なかったのですか??」と。そうしたら、検察官は「計算上止まることは不可能だ」と即答しました。何度聞いても不可能だとしか答えてくれませんでした。だから私はこの疑問に納得がいかないまま諦めざるを終えなかったのです!!!でも、私の思った通りの結果だったのです・・・警察も検察も所詮は加害者を擁護するための方便だったのだと私は落胆しました。私の心はまたガラガラと音を立てて崩れ落ちそうになりました(>_<)「あくまでも草案の段階です」と書かれていましたので、これからの調査次第なのかもしれません。もしかしたら、今このブログに書くべきことじゃないのかも知れません・・・(;'∀') 私は、それでもいいんです!!これで不利になることがあったとしても、問題はそこではありません!!こんなに辛い思いをしている家族がいるんだという現実を、一人でも多くの方に知ってもらいたいんです!!こんなことがあってはいけないんだと思って下さる方が一人でも多くいて下さることが、この不条理な理不尽極まりない社会を変えていく力になるんだと、信じているからです!!でも、この調査結果が正しいのなら、加害者は故意に紗愛理を殺したれっきとした殺人者です!!!!決して過失だから仕方がないと、執行猶予が付いて罪を償わず済んでしまうなんてこれ程酷い話がまかり通ってもいいのでしょうか????私はますます加害者が憎いです!!!!紗愛理を殺さずに済むことも出来たのに、加害者が殺したんです!!!!世間が許しても、私は絶対にあの女を許すことは出来ません!!!!ミュージアムで歩者分離信号連合会の会長さんは私にこんなことを言いました。「今この社会では警察も検察も、犯罪者を増やさないために、加害者の罪を少しでも軽いものにしようとするのだ」と・・・それは本当だったんだと思いました。亡くなってしまった被害者の人権なんてもうないんです!!それより生きている加害者を守ろうと擁護して罪を軽いものにする!!!こんな間違った世の中の非常識がが果たして、法治国家だと、国民が安心して暮らせる社会だと、誰が思えるのでしょうか????私はまた絶望のどん底に突き落とされた気持ちになりました・・・(>_<)これから民事裁判が始まるともっといろんな思いをするのでしょうか??一昨日お会いしたYちゃんのママは、私たちに聞きました。「なぜ私たちが??私たちの子供が選ばれたの??」私はその答えが見つかりません・・・なぜなら私もその疑問が、ずっと頭から離れないからです!!なぜさえりんだったの??なぜさえりんが殺されなくっちゃいけなかったの??私たちは、この答えを永遠に見つけることはできないのですから・・・(さえりん7歳 知立神社へ輪くぐりへ行く)東京でのさえりんメッセンジャー誕生や、ブロ友さん達との心温まる交流がたくさんあったからこそ、昨日はなんとか倒れずに済んだのだと思います。それほどに、私にとっての心の支えとなっているんです!!そして、メッセンジャーは私の最後の希望なのです!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月10日
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11月7日(土)さえりんは無事にメッセンジャーとして3命の新たな命を授かることができました!!私たちは今回の東京行きの大きな目的を果たすことができました。そして、私たちには今回東京でのもう一つの目的もあったのです。それは、会いたかった人に会うことです(^^)v私は今までネット社会を馬鹿にしていました。それは様々なニュースなどでネットで知り合った事件や事故、詐欺や酷い事件に巻き籠れるといった情報に惑わされていたからです。だからネットで知り合った人を信用してはいけないんだと強く思っていましたし、娘たちにもネットは悪質だから絶対に信じてはいけないと自己防衛のためにそう教え込んできました。ところが、私はさえりんを喪い、奈落の底で地獄に突き落とされた時、一筋の希望のように優しく手を差し伸べて下さったのは勿論友人知人もそうですが、驚くべきことに今まで信用できないと排除してきたネットで知り合った方々だったのです!!私の意識は180度変わったのでした!!そうなんです!!私の今回の東京旅の目的のもう一つはブログで出会ったブロ友さんに初めてお会いすることだったんです!!まず、7日ミュージアムでお会いできた方は、naominさん。naominさんはスタッフでとってもお裁縫がお得意で、私が持ち込んだたくさんのカゴをただのカゴからメッセージグッズへと生まれ変わらせて下さるそうです。私はもし家がミュージアムへ通える場所にあったなら、本当は毎週でもnaominさんのお手伝いとして修業に行きたいと思うくらい、素敵な方なのです!!そして、さえりんのメッセンジャー誕生を共に見届けに来てくださったのは、ミヤちゃんさんです!!ミヤちゃんさんはいつもコメントで私を励ましてくださる、しっかりしたお姉さんのイメージピッタリの素敵な女性でした(≧▽≦)ハツラツととはっきりモノを言われるミヤちゃんさんは頼れるお姉さんです!!私はお逢いできてすごく感激し、さらに大好きになりました!!ちゃっぴーさんはアメブロのさえパパのブロ友さんです。あとでゆっくりお話を伺ったとき「悲しい現実を表に出さず娘の写真や動画を投稿し続ける父親の愛情と、さえりんの笑顔に惹かれて、さえパパのブログに導かれたんです」と言って下さいました!!ちゃっぴーは笑顔が眩しいとっても魅力的な女性でした(*'▽')温かいお心づかいがとってもチャーミングなお人柄となって滲み出る方でした!!そしてホテルに一泊し、翌日8日にお会いできた方は4人です。まず朝ホテルを出てすぐに車で向かった先は、Yちゃんのご両親のお宅です。Yちゃんは今年3月、パパと一緒に青信号の横断歩道を歩いて渡っていた時、信号無視の車に轢かれて亡くなりました。11歳のとっても可愛い女の子です。一緒に轢かれたパパも重傷を負いましたが一命はとりとめ、今はご夫婦お二人で最愛のYちゃんを偲んで計り知れない悲しみの中精一杯に生きておられる方です。私は今回東京行きが決まった時行きたかったところが、このYちゃんにお参りしたかったのです。何故かわかりませんがとってもYちゃんに心惹かれるのです。昨日はお宅にお招き下さり、Yちゃんに初めてお逢いすると遺影の写真は、なんとさえりんと同じく赤い着物を着た写真が・・・ご両親にお話を伺うと、Yちゃんは2分の1成人式(10歳)の時にこの赤い着物を着て記念に写真館で撮った写真だったのだと。それが遺影になってしまうなんていったい誰が想像できたでしょうか??本当ならこれから小学校の卒業式も中学校の入学式も、高校も大学も、本物の成人式も、結婚式もまだまだ明るい未来と希望と楽しい人生がたくさんたくさん待っていたはずだったのに・・・どうしてこんな悲しい現実が起きてしまったのでしょうか???どうしてこんな可愛くて未来あるYちゃんの大切な命が無惨に、交通ルールを守らない自分勝手な悪い大人に奪われなくっちゃいけなかったのでしょうか???私はYちゃんのご両親とお話しながら、本当に悲しくて悔しくて、やりきれない気持ちいっぱいになりました。Yちゃんの事故の刑事裁判はまだこれからです。もうこれ以上ご両親を苦しめるような判決が出ないことを祈るばかりです!!そしてこの不思議なご縁はきっとあの世でさえりんとYちゃんが仲良くなって私たち親を引き合わせてくれたに違いないと思うのです!!ブログというネットを通して「パパママたちが少しでも心安らげるように💛」と2人の可愛く愛おしい娘たちの願いを強く強く感じるのです!!お昼過ぎYちゃんのご両親に見送られ、次に向かったのはお隣の県でした。ファミレスで待ち合わせをしてお会いしたのは私のブロ友りりくまさんです!!りりくまさんとは、今年の7月末にネットニュースでさえりんの事故を取り上げてもらったときに知り合いました。それからお互いのブログやメールのやり取りをしながら、不思議と波長があるように惹かれるのです。私と年齢も近く同じ年頃の娘さんお2人のお母様だからかも知れませんが、昨日はじめてお会いしたのに全然違和感がなく昔からずっとお友達だったように気がしました。お会いする前はお互い人見知りだということでどうなるかなと緊張していたんですが、会った途端そんな心配はすっかりどこかへ消えてしまいました(*^^*)お互いの娘の話や同居という同じ生活環境やブログのことなどを、夢中になって会話が弾みました!!気付くともう夕方になってしまい名残惜しみながらお別れしました。きっとまたいつかお会いできると、そんな気がする懐かしい気持ちになれるようなとっても柔らかい雰囲気の素敵な女性でした!!今回の東京への旅は本当に意味のある有意義な時間でした!!お会いできたみなさんはどなたもみんなお優しくてステキな方々ばかり!!私はこれはすべて、さえりんがご縁を繋いで逢わせてくれたんだと思うのです。主人も私もこの出会いの全てに心から感謝しました!!ミュージアムもスタッフの方々、歩者分離信号の会長さん、会いたかった皆様に大変お世話になりました!!本当にありがとうございました\(^o^)/たくさんお花やお菓子をいただき、またそれ以上に温かいお気持ちをお土産にいただきました(≧▽≦)さえりん、さえパパ、さえママは感激しています!!本当にこれ以上にないくらいとっても素敵な東京旅になりました!!これからもまたお会いできる機会がきっとあります。その時までどうかお元気で!!またお会いしたいです!!よろしくお願いいたします(^^♪さえパパの運転で昨日夜10時前に我が家に無事帰り着くことができました。さえパパ2日間、安全運転ありがとうございました(いのちのミュージアムでさえりん誕生を見守って下さった会いたかった方々と)(皆さまから、メッセンジャーさえりん誕生のお祝いに頂いたお花のプレゼント)(皆様から頂いたマスクやお菓子など)皆様本当にありがとうございました(*'▽')☆彡さえりんも喜んでいます💛ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館朝、さえパパに言われて気付いたんですが、いつの間にか多分今日の夜中か明け方の内に30万アクセスを超えていましたΣ(゚Д゚)ビックリ!!私のこの拙い『さえりんの部屋』へ大勢の皆様にお越しいただき心より感謝申し上げます!!今の私の夢は、メッセンジャーになったさえりんと共にいつかブログを読んで下さっている皆さんと全国各地でお会いすることです!!いつの日かそんな夢が現実に叶いますように、これからもどうかよろしくお願いいたします(^_-)-☆
2020年11月09日
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昨日はさえパパと2人で朝7時に家を出て、東京へ向かいました。東京でお昼ご飯をさえりんと最後に外食した、ブロンコビリーで再びシナモンになったさえりんと3人で、あの日と同じようにハラミステーキを食べました。偶然ブロンコビリーを見つけたので早めのお昼にと思い入ったのですが、これはもしかしたら、さえりんがもう一度食べたかったのかもしれないと思いました。そして、向かった先は日野市百草台コミュニティーセンター内のいのちのミュージアムです!!到着したのは午後1時。私は1年前meronさんと見学させていただきましたが、さえパパは初めてです。まずスタッフの方々が自己紹介してくださいました。代表の鈴木共子さん、他5名のスタッフ方々の中にはブロ友さんのnaominさんもわざわざ来てくださいました。そして、メッセンジャー家族として歩者分離信号普及全国連合会の会長さんも来てくださいました。いよいよ、さえりんがメッセンジャーになるのです!!私たちは真っ白なパネルをさえりんの身長160㎝になるように頭の形にカットします。あらかじめ作って頂いた写真付きのメッセージ文を胸に張ります。そしてもう一つ、以前チャコさんにご好意で書いていただいたさえりんの似顔絵もラミネートして下に貼って頂くことに!!そして胸にはトレードマークの赤いハートのマスコットをつけるのです💛さえりんはミュージアムの常設展示用と本開催用とミニ開催用の3人作りました。誕生の作業は私は不器用なので殆どさえパパが手際よくやってくれました。あたたかなミュージアムの作業場でさえパパは汗だくになりながら、結構大変でしたが、こうやってメッセンジャーとしてさえりんが生まれていくことが心から嬉しく、明るい希望が持てるような気持ちになりました!!最終的にはさえパパとさえママ、スタッフの方にもお手伝いいただき、3人のさえりんを無事完成させることができました(^_-)-☆可愛いメッセンジャーさえりんの誕生です!!さえりんは昨日メッセンジャーとしての新しい生命を授かったのです!!命の大切さを伝えるという大切な使命を持って!!そして、昨日のさえりん誕生にはなんと、ブロ友さんのミヤちゃんさんとさえパパのアメブロのブロ友ちゃっぴーさんも立ち会って下さいました(≧▽≦)スタッフの方々とブロ友さんに見守られて、さえりんは皆さんから祝福されてこれからメッセンジャーとして第2の人生を歩み始めるのです!!私とさえパパは感動しました!!さえりんが亡くなってから、これ程嬉しかったことはなかったからです!!最後にメッセンジャーさえりんを囲んで皆さんで写真撮影をしました(^^)vそしてさえりんの新しいお友達も一緒に写真撮影をしてもらいました。meronさんの息子さんと、会長さんの息子さんと、スタッフのKさんの息子さんです。さえりんをどうかよろしくお願いします!!仲良くしてね(^_-)-☆さえりんの新しい生命の誕生と、メッセンジャーとしての人生のスタート、新たな挑戦の旅がこれから始まるのです!!さえパパと、さえママにとって、一生忘れられない感動の日になりました!!(さえパパさえりんの頭の形を書きます)(カッターでカットします)(切った断面にヤスリをかけて綺麗にします)(さえパパもヤスリかけ)(2人で丁寧に綺麗にしていきます)(さえママはメッセージボードの裏に両面テープをつけました)(メッセージ文を貼り付けました)(メッセンジャーの足を付けました)(ハートマスコットをつけるための穴をさえパパがドリルで開けました)(穴を空けたところに磁石を入れます)(メッセンジャーさえりん一人目完成です!!パチパチ!!)(3人無事に完成です!!さえパパ、さえママと一緒に💛)(3人のメッセンジャーさえりん)(ちゃっぴーさん、さえパパ、さえママ、ミヤちゃんさん、naominさん)(お世話になったスタッフの方々と一緒に!!)(ミュージアムの新しいお友達と一緒に!!)(これからさえりんを仲間に入れて下さいね!!よろしくお願いします(*^^*))ミュージアムを出てから私たちは、ミヤちゃんさんとパパのブロ友さんのちゃっぴーさんと4人でカフェへ行きお話しました(*^^*)本当に初めてお会いしたのにすっごくいい方々で、あらためてさえりんが引き合わせてくれたご縁の尊さを感じて感動しました。ミヤちゃんさん、ちゃっぴーさんお忙しいところさえりんのためにお越しいただき心から感謝いたします!!とっても嬉しかったです\(^o^)/本当にありがとうございました(*'▽')☆彡ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月08日
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今日は私の最愛の2人の娘たちの誕生日です!!正確に言えば次女の20歳の誕生日と、さえりんがメッセンジャーとして新たな再就職をし、新しい姿と使命を授かる日です。命への複雑な思いもあって、手放しで喜ぶことなんて出来ない私ですがそれでも娘たちのために祝ってやりたいのが親心です。今日はそれぞれの娘へのお祝いのメッセージを書きたいと思います。さえりんへ今日はあなたの新しい挑戦と冒険が始まる日です!!ママは今日はあなたのもう一つの誕生日🎂だと思っています(^-^)さえりんは1年5ヵ月前、辛い思いをして私たち家族と引き離されて突然あの世へ逝ってしまいましたね。ママは今でもこれからもずっと悲しくて仕方ありません。そんな中ママは知ったのです。人は亡くなってもまだ果たすべき使命があることを。たとえ姿形は見えなくても、その魂からのメッセージは相手に届くということを。それはママの励みになりました。さえりんはあの世へ逝ってしまっても、まだこの世で人のためになる働きを、果たすことができる子なんだと!!あなたを喪ってから、初めて見えた光と生きる希望でした。とうとう今日がその日です!!さえりんは穏やかで暖かい日差しの中で、温かい人たちに囲まれて、新たな命を授かるのです!!いのちの大切さを伝えるメッセンジャーとして!!ママはあなたのことを誇りに想うよ!!さえりんが生まれて来てくれて、本当に良かった!!そして一度は命を失ってもなお、かけがえのない使命を授かったこと。さえりんは誰よりも心優しく温かく人が大好きだったから、きっとこれからもあなたならできる事があるのです。あなたはまだまだこの世に必要な人なのです。ママはそう確信しています!!今日、メッセンジャーとして新たな命を授かったさえりんは、これから大勢の仲間と共に全国各地へ旅に出るのですよ!!さえりんは旅行大好きだったよね。もっともっといろんな各地の良いところをまわって、温泉に入ったり、その地の美味しものを食べたり、遊園地へ行ったり楽しい遊びをしたりしたかったよね(*^^*)これからは夢が叶うんだよ!!さえりん思いっきり楽しんでおいでよ!!時々はパパとママも一緒にお供するからね!!そして、思いっきりいい仕事をしておいでよ!!交通事故で悲しむ被害者も、加害者も、もうこれ以上増えないように!!みんなが安心して暮らせる、安全で住みよい日本になりますように!!パパとママはさえりんのことがこれからもずーっと大好きで、さえりんは永遠に私たちの宝物だからね 早くさえりんに逢いたいママより💛次女へ20歳のお誕生日おめでとう🎂(^^)v早いものですね。あの未熟児で小さかったあなたがもう20歳なんですね(^_-)-☆いつの間にかお姉ちゃんと同じ歳になりましたね・・・あなたは妊娠4ヵ月のあの日、思いっきりママのお腹を蹴りましたね。普通なら胎動もまだのはずなのに、きっとあなたはママのピンチを感じて必死だったのね。何度も何度も何度も、力いっぱいに蹴って!!それでママの腹は決まりました。この先何があっても絶対にママは生きて、あなたとお姉ちゃんを守ろうと!!あなたのお陰でママの卵巣ガンの再発は早く見つかり、あなたがギリギリ33週間お腹で育つまで奇跡的にガンの進行が留まり、あなたもママも無事生きることができましたね。あの日あなたがお腹を蹴ってくれなかったら、ママは弱気になってあなたのこと諦めていたかも知れません。そして自分が生きることも諦めて、自暴自棄になっていたかも知れません。あなたは自分の命とママの命、2つの命を救ったのです!!本当にありがとう(≧▽≦)あなたが生まれてきてくれて、本当に良かった!!諦めなくて本当に良かった!!あなたが私の娘で本当に良かった( ^ω^ )ニコニコあなたはちょっとドライで冷たいようなところがあるけれど、本当は責任感が強くて負けず嫌いで頑張り屋さんです。そしてあなたもとっても家族思いです。小さい頃から「生と死」についてとても敏感でしたね。そんなあなたは将来の目標に向かって今、勉強中ですね。ママはあの時、たとえ自分が死んでも、あなたに命のバトンを渡せるだけで、それだけでも充分だと思っていました。それなのにあなたはママのことも助けて未来への希望や、夢も見させてくれましたね。ママはたとえどうなってもあなたという娘がこれから先も命を繋げていってくれたら、もう何も望むことはありません。あなたは我が家で、唯一の明るい未来なのだからです!!こんなこと言うとプレッシャーになっちゃうかな(^-^;とにかくあなたは、あなたのままで自分が思った通りに、心のままに生きて下さいね!!あなたが楽しかったら、笑っていてくれたら、それで充分です!!ママはそんなあなたをいつも微笑ましく見守っていますよ!!あなたが私たちの娘に生まれて来てくれて、本当に良かった!!心から、20年間ありがとう☆\(^o^)/☆これからもよろしくね☆彡 いつまでも子離れ出来ないママより☆ (さえりん学校公開日 2日目)(さえりん大好きなプール楽しみだね(^^)v)今日は朝7頃、東京へ向かって車で出発します!!運転はさえパパです(⌒▽⌒)アハハ! 私はラクしていってきまーす!!今日は皆様のブログへのコメントのお邪魔ができませんが、どうかお許しください(o*。_。)oペコッご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月07日
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先日、主人と私のインスタをフォローして下さり、お知り合いになった方のお父様のご命日が今日11月6日だと伺い、心からご冥福をお祈りいたします。理不尽でとても納得のできないお亡くなり方とその後の裁判のご様子を教えていただき、私も悲しみと怒りが込み上げました。どうしてこの世から理不尽で無謀で一方的な交通事故の悲惨な現実は無くならないのだろうと、憤りが募るばかりです。この世は本当に無常だと思います。そして明日は我が家の次女の20歳の誕生日です。そして、さえりんの誕生日7月5日は、豊橋の中学1年生だったA君が亡くなられた日。どこか誰かの誕生日は、その一方で誰かが亡くなった日でもあるのです。先月、さえりんのメッセンジャーとしてのメッセージ文を考えていたときミュージアムから頂いた「いのち・未来へ」というメッセンジャーの本を参考にしようと思い真剣に読みました。その本の副タイトルは「愛しき者のいのちを理不尽に奪われた家族たちの心の叫び」です。メッセンジャーお一人お一人のお写真共にお名前、年齢、都道府県、誕生日と亡くなった日と、その方のメッセージ文がご家族の思いで書かれています。私は順番に読み進めながら、最初はさえりんへのメッセージ文の参考にしようと思って見たのですが、どんどん引き込まれて、と同時に理不尽に命を奪われたみなさんのことが決して他人事ではなくなり、さえりんと重なって、ご本人はどれほど無念だったのだろうか、ご両親やご家族の思いはいかばかりだったのだろうかと感情がどんどん入ってしまい、そのうち頭痛と吐き気で胸が苦しくめまいがし倒れそうになりました。それでもうこれ以上読めないと思いました。以前にもこの本は読んでいたのですが、その時は大丈夫だったのに。それから私は2週間くらい、現実から逃避しました。もう一切、メッセンジャーのことも、手続きやメッセージ文も、民事裁判のことも頭からすっかり追い出して。ちょうどあの頃です。レンガ花壇を一生懸命に作っていた時のことです。私は辛すぎる現実から逃げるために、花壇やお花に夢中になって没頭することで、一時的に自分を逃がし身を守っていたのだと思います。そして花壇が一段落して、私の心も徐々に落ち着きを取り戻してきたとき、もう一度、さえりんのメッセージ文にようやく向き合えたのです。自分でもまだまだこんなにも心の傷が癒えていなかったことに驚きました。私はあらためて自分の弱さと不甲斐なさを知りました。と同時に、人が一人理不尽に亡くなるという現実の、命の重さ、命の大きさ、命の偉大さ、命の尊さに、あらためて気付かされたのです。罪深い人間は平気で人を殺します。刃物で、毒物で、爆薬で、拳銃で、暴力で、自殺に追い込んで、ストレスを与え心と体を蝕ませて、そして車という強固な凶器を使って・・・警察に捕まり刑務所へ入り、果たして本当に心からの反省をする日なんて、くるのでしょうか??人を追い詰め殺した人間はもしかしたら自分が殺したと自覚もないかもしれません。そして、車という強固な凶器を使って人を殺した人間は皆こう言うのです!!「故意ではなく過失だったのだから仕方がないのだ」と!!そしてまた、こんな非合理な理不尽がまかり通る法曹界もこう言うのです!!「これは過失であり、加害者の罪はそれ程重い物とは言えない」と、執行猶予という加害者への大サービスを付けて!!そして何の罪もなく理不尽に命を奪われたものと、その遺族だけが、永遠にこの社会の中からはじき出されて、真っ暗闇の奈落の底の人生を歩むしかなくなるのです。それでも私は思うのです!!人を殺した罪は、この可笑しな社会の法律や、人間が許したとしても、その事実と罪は決して許されるべきものではないのだと!!!今日は誰かの誕生日、と同時に誰かが亡くなった日だという無常の事実を私は知ってしまいました。だから私はもう決して手放しでなんて喜べないんです。明日は次女の誕生日です。20年前、様々な偶然と幸運が重なって奇跡的に生まれてこれた次女の命。そしてさえりんがメッセンジャーとして新しい息吹を吹き込まれる日。でも1年5ヵ月前、様々な偶然と不運が重なって悪夢のように奪われてしまったさえりんの命。私だって、人は生まれたらいつか必ず死ぬことなんてわかっています。それが長いのか、短いのか、悔いのない人生だったのか、無念に無惨に罪深い人間によって奪われたものなのか、それが人間の幸・不幸を大きく分けるのです。私はあらためて深く深く、考えさせられるのです。人の命の重さと、かけがえのない尊さを・・・(さえりん小学1年生 学校公開日)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月06日
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先日ブログの中で、前世のことを書いたときコメントの中で「ベットも縁あって家族になったんですよ」と教えていただきましたが、本当にそうだと思うのです。先日11月3日は我が家のペット、ミニチュアダックスのマロンが初めて我が家の家族になった日です。今から12年前の事です。当時8歳の誕生日の真近だった次女が、突然言いました。「私の誕生日に犬が欲しい」と。次女は末っ子で下に妹も弟もいません。もしかしたら動物のお世話をすることで、自分もお姉ちゃんになったような気持ちになりたかったのかもしれません。我が家は主人の両親と同居なので私たちの一存では動物は飼えません。さえりんが小さかった頃飼っていた、ウサギやハムスターも金魚でさえも全て両親の了解を得てからでないとむやみに飼うことは出来ませんでした。それで次女に「おじーちゃんに聞いてごらん。おじーちゃんが良いと言ってくれたらね」と言うと、次女は早速父(舅)の元へいき頼むのです。「ねえおじーちゃん、私の8歳の誕生日プレゼントは、犬が欲しいんだけどいいですか??」可愛がっている孫娘の真剣な頼みに、父は2つ返事で許してくれました。そして「おじーちゃんが買ってあげるからどんな犬がいいのか考えてママと下見しておいで」と言いました。次女は物凄く大喜びでした!!それで次女と私はどんな犬がいいのか、ペットショップを回って勉強しました。次女の体は学年でも一番小さく力もないので、お散歩に連れて歩くにも大型犬や中型犬では無理があります。もしかしたら次女も犬も交通事故や危険な目に遭うかもしれないと思うと、小型犬が一番いいという結論になりました。動物保護センターでもらって来ようかとも思いましたが、ちょうど次女にもお世話ができるくらいの小型犬がいるかどうかはわからないので、仕方なくペットショップでということになったのでした。次女はいろんな犬を見て決めていました。「私ミニチュアダックスがいいなあ」私は「そうだね。調度いい子がうちの家族になってくれたらいいね」と言いました。11月3日文化の日(祝日)両親は次女をペットショップへ連れて行ってくれました。もちろん私とさえりんも一緒について行きました。近くのイオンタウンのテナントのペットショップへ着くと、動物好きのさえりんと次女は大喜び。さえりんは小動物が好きなのでハムスターに目を輝かせていました。私たちは犬を探して次女がミニチュアダックスがいいというので店員さんに伝え小さな女の子をケースから出してもらい、次女が抱っこさせてもらいました。するとその子は次女の腕の中でブルブル震えて怖がっていました。次女も違うと思ったらしく店員さんにお返しして、違うケースに真っ白でふわふわの可愛いポメラニアンと目が合って「この子はどうかな??」と次女が言います。その子はさっきの子より大きくて元気一杯だったので、次女も今度は大丈夫かと思い抱っこさせてもらいました。するとそのポメラニアンはそわそわとっても落ち着かない様子に次女も扱いに困っていました。また違ったのです。グルグルとペットショップを探していると一番上のケースにミニチュアダックスの男の子がいることに気付いた次女は言いました。「この子はどうかな??」その子は4匹兄妹の中で1匹だけ残っていたのです。しかも、少し大きくて(生後4ヵ月ですが)ケースの中の紙をちぎって食べていました。でもとても優しそうで淡いシューデットクリーム色のボディと、とっても良い顔だちをしていました。その犬を次女が抱っこした途端、ピタッと馴染むのです!!そして犬もまるで次女が来ることを待っていたかのように、喜んで思いっきり甘えてくるのです。次女は犬をぎゅっと抱きしめてもう放したくない様子でした。そして言いました。「おじーちゃん、私この子がいい!!」と。父は次女の嬉しそうな顔を見て「いいよ」と言いました。もう予防接種も済んでいてすぐに連れて帰れました。その日からこの犬は我が家の家族になったのです!!名前は秋に我が家に来たので「マロン」と私が名付けました(^-^)家に着くと私が箱から出して「あなたは今日から我が家の家族だよ!!名前はマロンだよ。今日からここがあなたの家だよ!!よろしくね💛」と言うと、言葉がわかったのか、急に喜んで家中をぴょんぴょん飛んで走り回りました。さえりんと次女も大喜びで犬を追いかけ一緒に走り回りました(⌒▽⌒)アハハ!まるで我が家にもう一人男の子が誕生して3人姉弟になった気持ちになりました。あの時の光景は12年経った今でもはっきりと目に焼き付いています。今でも思うのです。これはただの偶然ではなく、たとえ犬であってもきっと我が家に縁がある子だったんだと。もしかしたら、前世で何かしらの繋がりがあったようにも感じるのです。そして、マロンが次女のことをあの日から今でもまるで愛おしい恋人のように、大好きだと全身で喜びを表現していることも不思議な繋がりを感じずにはいられません。だから時々冗談で次女に言うのです。「前世ではマロンはあなたの恋人だったんじゃないの??それとも、マロンが人間の男の子であなたは可愛がっていた猫か犬だったんじゃないの??」と面白半分に(´∀`*)ウフフ私は思うのです!!この世には目に見えない魂の繋がりみたいな、とっても不思議なご縁が必ず存在することを。現世の私たちには知ることは出来ませんがきっとそれは前世からの繋がりでもあるのだと思うのです!!目には見えなくても、きっと出会うべく時に出会って「この人だ!!」と強く惹かれあったり感じたりするのだと。私は特に幼い頃から養父に育てられたり、嫁としてこの家に嫁いで同居し義理の両親とはケンカもたくさんしましたが今では本当の両親のように思えるので、血の繋がり以外にも縁は必ず存在するのだと容易に信じられるのです。そして、さえりんとは1年5ヵ月前のあの日突然「さよなら」も「ありがとう」も言えないままあの世とこの世に引き裂かれてしまいましたが、それでもそれでも私は信じているのです!!さえりんと私は、深く深い縁があり、何物にも負けない強い絆で繋がっていることを。決して目には見えなくても、どんなに遠く離れていても、お互い感じあえることは絶対にできるのだと!!さえりん、待っていてねママと再び家族になれる日まで!!(昨日、常滑焼き物団地セラモールで見つけた可愛い置物たち🐻🎅🐱)(我が家の長男マロン12歳)(さえりん6歳自撮り写真&公園)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月05日
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今日はさえりんの17回目の月命日です。またいつものように事故現場へと花を手向けに主人と行きます。先日さえりんのお位牌の件で仏壇屋さんへ伺った時店員のNさんから、昨年私がお仏壇を買った時担当してくださった方が転職されて、今はあのさえりんの事故現場を通って通勤されてみえると伺いました。「あの交差点に花が供えてあるのを見て○○さんの娘さんだと直感し、通る度に交通事故の恐ろしさを思い気を付けようと気を引き締めるのよ」と言ってみえたと、教えて下さいました。私はやはり事故現場にお花を供えることには、さらなる事故の抑制にもなり、意味があることだったんだと思いました。本来ならもっと頻繁にお花を枯らさないように行ってあげたいのですが、私のメンタルがもたず、月一回しか行けないことに申し訳なく思うのです。本当は豊橋のIさんのように、お線香立てやロウソク立て、花瓶なども常設できたらと思うものの現実はなかなか出来ずにいるのです(^-^;今日はさえりんへの手紙を書きます!!大好きな紗愛理へ💛さえりんと離れ離れになって、今日で1年5ヵ月です。ママには早いのか、遅いのかよくわかりません。未だ悪い悪夢の中にいるような気持ちになったり、これが現実だと突き付けられてどうしようもなくあなたに逢いたくなったり、ママの心もまだまだ不安定です。でも、少しずつ前には進んでるって思うこともあるんだよ!!実は、さえりんに重大発表です!!さえりんの再就職先と新しく生まれ変わる日が決まりました!!再就職先は「生命のメッセージ展」です。さえりんはこれからメッセンジャーになって他のたくさんのお友達と共に全国各地を回って、命の大切さをお伝えするというとっても大切なお仕事をするのです!!「え~~私にはそんなの無理だよ~:;(∩´﹏`∩);:」ってさえりんの弱気な声が聞こえてきそうですが、パパとママはさえりんにピッタリなお仕事だと確信しています!!「さえりんなら絶対にできるから自信を持って頑張っておいで!!パパとママはずーっと応援するから!!さえりんの力を信じてるからね☆彡」そしてさえりんがメッセンジャーとして新しい命を授かる日は、11月7日(土)に決まりました!!パパとママはその日、東京のいのちのミュージアムへ行ってさえりんを誕生させます。スタッフの方々にもお世話になって、さえりんはみんなに祝福されて第2の人生を歩み始めるのです!!実は、この日は妹の誕生日と同じだよね。今回偶然思いがけずこういう運びになったことも何かのご縁だと思っています。妹はさえりんの誕生には立ち会えませんが、地元で一緒に20歳の誕生日を祝ってくれる大切な仲間ができたこともママには喜ばしいことです。こうやって2人の娘たちは少しずつ親から離れ、社会の中でお世話になりながら、新たな居場所を見つけてくれることは何よりの親孝行だと思えるのです。少し寂しくはありますが、親も子も成長です(^-^)さえりんこれからは、ちょっと忙しくなるけど頑張ってよ!!さえりんなら、愛知県の自宅から東京の日野市や全国各地まで瞬間移動で一瞬で行き来して、毎日いのちのミュージアムへ通勤できるよね( ^ω^ )ニコニコさえりん、今ママは「さえりんガーデン」で毎日癒されてなんとか生きているよ。それはさえりんがママを元気にするために仕向けてくれたことだと思っています。「バレてた(∀`*ゞ)エヘヘ」ってさえりんの笑い声が聞こえてきそうです。昨日は、白くて八重の可愛い山茶花を植えたんだよ!!山茶花の花言葉は「困難に打ち克つ・ひたむきさ」なんだって(*^^*)その前に植えたクリスマスローズの花言葉は「慰め・私を忘れないで・私の不安を和らげて」なんだって。さえりん知ってた??ママは全然知らなかったよ。偶然なんだけど今のママにあっているよね。ママはお花をボーっと眺めながらさえりんと対話しているような気持ちにあることがあるんだよ。昨日は鳥の声がいっぱい聞こえてきて、さえりんが仲間と一緒に遊びに来たのかなって思っちゃった(^^♪傍から見たら、頭が可笑しくなった変なおばさんかも知れないね(;'∀')それでもいいんだよ。少しでも心穏やかでいられる時間と場所がママには必要なんだ。そうでなければ気が狂うか、心と体を蝕んでしまいそうだから。それで、さえりんがお空からメッセージをママの心に送って、花壇を造らせてくれたんだね!!だから花壇にいると心が安らかに落ち着くんだよね(*'▽')最後になりましたが、さえりん、新しいお名前は気に入ってくれましたか??ママが勝手に変えちゃってごめんね。でもママはとってもさえりんに似合っていて、すっごく気に入っているんだ!!さえりんはママにとって「光」だから。ママはその「光」を目指して、これからも少しずつだけど進んでいくからね。いつかあの世で、さえりんに再会できる日まで ママより💛(昨日のさえりんガーデンのお花たち)(さえりん小学1年生 はじめての運動会part2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月04日
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昨日は朝から雨が降りました。でも気温の割には寒く感じませんでした。昨日は不思議と心境が落ちることなくこの雨も穏やかな優しい雨に感じました。朝10時出かける次女を駅まで車で送った後、アピタへ買い物に行きました。次女に頼まれた食材などを買って、帰ろうかなと思いつつまた車はホームセンターへ向かっていました(^-^;古い土の再生材や肥料などを買いながら、お花コーナーを眺めていたら、目に飛び込んできたのは白い山茶花でした。12㎝のポットに入った高さ約50㎝の山茶花は淡いピンクの蕾と、淡いピンク色を外側に残した白い八重の花が1輪咲いていました。「かわいい~💛」私は一目惚れしてしまいました(´∀`*)ポッ値段も598円、このくらいなら買える!!思わず衝動買いしていました(^-^;家に帰ると、私は雨の中花壇を眺めて山茶花を植える場所を探しました。調べてみると山茶花は樹高が2メートルから6メートル(=゚ω゚)ノ 場所は日向か日陰でも明るい場所なら良いと書いてありました。となると花壇の中よりも木が植わっているほうの近くにしようと思いました。サクランボの木の近くのフェンス側のクリスマスローズを植えた後ろにしようかなと目星をつけました。明日、雨が上がったら鹿沼土や赤玉土を買ってきて植えようと思いました!!そして雨に濡れた花壇をのんびり眺めていたら、花たちもなんだか雨が降って嬉しそうに咲いているような気がしました。見ていたら私も嬉しくなって雨に濡れながら花の写真や庭の木の写真を夢中になって撮りインスタにあげました。この雨があがったら山茶花を植えるんだという楽しみがあるので、いつもの雨降りよりは心も辛く重くならずに、私の心の中には不思議なくらい穏やかで優しい時間が流れていました。これもさえりんからの私へのプレゼントなんでしょうか(*'▽')☆彡私はまたもレンガ花壇をもう一つ造りたいと思うのですが、父に叱られそうなので、今はまだ大人しく画用紙に書いて計画を練っています・・・(;'∀')春にひまわりの種を植えるために造った花壇には、もう既にたくさんの花を植えすぎてひまわりの種を植える場所がありません(^-^; だから来年の春までにもう一つレンガ花壇が作れたらいいなあっと思うのです( ^ω^ )ニコニコ最近気付いたのですが、お花には人の心を癒し元気にしてくれる不思議なパワーがあるのです。不精だった私が今、とり憑かれたように特に雨の日にお花の苗を買ってしまう理由も、お花と土から元気と生きる力をもらうためだと思うのです。これも本能的に身を守り、生きるための術かも知れません。最近、次女と一緒にいる時間が長く、いろんな話をします。この頃次女が一番気になっていることは、前世の話。次女は今、大学の授業で保育や家庭の在り方などのことを学んだり、自分でもインスタ漫画の子育てのものを見たりしながら、小さい子が前世や胎児の記憶を持っていたり、話したりする子がいることに興味を持っているようです。「ねえ、ママ私は小さい頃に胎内記憶のことや前世のこと話してなかった??」と次女は聞いてきます。私はハッキリ言って、子育て中は忙し過ぎたのでよく覚えていません(;^ω^)次女は残念そうに「自分の子供がいつか生まれたら、前世の記憶がないか聞いてみよう!!」ともう今から楽しみにしている様子。まだ学生なので数年、数十年先になるかわかりませんが、私は次女が結婚して幸せな家庭を築いてくれることを何より願っています。それが我が家の唯一の明るい未来への希望なのだから。次女は言います。「私とママは前世でも親子だったのかな??」私は「さあね。ママは前世のことはよくわからないけど、きっとさえりんとは前世でも親子関係だったような、深い縁があるような気がするよ」と言いました。次女は「じゃあ私とは違うんだね!」とちょっと拗ねて言います。そんな次女がとっても可愛くなって(´∀`*)ウフフ私は「あなたともきっと家族だったと思うよ。もしかしてペット??」と言うと、次女は「ママ酷いなあ~」って笑っています(⌒▽⌒)アハハ!私は霊感もないし、スピリチュアル系なことは何もわからないただの凡人です。でもさえりんを喪った今、一つだけ確信していることは「信じる者は救われる」ということです。だから本当かどうかなんてわかりませんが、私は来世でもあの世でも必ずさえりんに逢います!!そして、絶対にまた家族になります!!前世でも家族だったかはわかりません。でもきっと前々から深い縁で繋がっていたことは確かです。なぜなら私の魂がさえりんをすごく強く求めているからです。それだけは強く感じて、信じているのです!!次女と私はどんな関係だったのかはわかりません。でも次女もまた深い縁で繋がれた関係であったことは直感的にわかるのです。それは、次女が産まれてこなかったら私は今頃きっと卵巣ガンが進行して手遅れになって、もうこの世にはいなかったからです。次女は私を助けるために、我が家に希望を与えるために生まれてきてくれたのだと、そう信じています。次女と2人でこんなたわいもないささやかな女子トークをしながら、これもまた穏やかで優しい時間だと実感するのです。人生子供だけが全てだとは思いません。でも今の私にとってはこうして次女との何気ない女子トークをする時間や、お花を愛でながらさえりんを感じる時間が、私の何よりの救いであり、癒しであり、生きるために支えになっているのです!!さえりんと次女へ私の娘に生まれて来てくれてありがとう優しい時間をありがとうたとえあの世とこの世に別れても、私たちはずっと親子だからね!!もう少ししたら絶対にまた逢えるからね、待っていてね(さえりん小学一年生 初めての運動会)(さえりんダンス上手に踊れたかな(≧▽≦))ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月03日
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先日「信号のない横断歩道での停止率県別ランキング」のブログを書いたときmeronさんがコメントに「愛知県は死亡者数はワーストワンだが10万人当りの死亡者数ランキングも出ているよ」と教えてくださいましたので、早速調べてみました。すると、今まで私が知らなかっただけで様々な交通事故の見方があることがわかり、とても勉強になりましたので少し抜粋させてもらいます。(さえりん6歳 公園・自宅)(さえりん大好きなプリキュアやシナモンのぬりえよくやってたよね(*'▽')☆彡)保険の窓口 インズウェブ!というページです。(警視庁統計資料より)交通事故発生ランキング(都道府県別)交通事故の発生件数は2019年は381.237件が全国各地で発生しています。< 交通事故発生件数TOP3 2019年>1位 大阪 30.914件 事故発生率57.6%2位 愛知 30.836件 事故発生率55.6%3位 東京 30.467件 事故発生率55.4%全国平均 8.111件4位・福岡県 5位・静岡県 6位・神奈川県 7位・兵庫県 8位・埼玉県 9位・千葉県 10位・群馬県だそうです。車と人口が多い都道府県ほど事故の発生率は多い。交通事故が起きやすい場所として注意が必要なのが交差点です。平成30年中に起きた交通事故の内、54.1%が交差点及び交差点付近で発生しています。<人口10万人当りの交通事故発生件数TOP3 2019年>1位 静岡 686件2位 佐賀 615件3位 宮崎 612件全国平均 290件なお、交通事故発生率件数で第2位の愛知県は、人口10万人あたりの交通事故発生率では409件で8位だそうです。<人口10万人当りの交通事故死者数 2019年>1位 徳島 5.57人2位 鳥取 5.54人3位 香川 4.89人全国平均 3.27人この要因の一つは65歳以上の高齢者の交通死亡事故が高いことがあげられます。※別のサイトでも調べてみました。「くるくら」といページです。(警察庁資料をもとに作成)<都道府県別 交通事故死者数 2019年>ベスト5 ワースト51位 山梨県 25人 47位 千葉県 172人1位 島根県 25人 46位 愛知県 156人3位 石川県 31人 45位 北海道 152人3位 福井県 31人 44位 兵庫県 138人3位 鳥取県 31人 43位 東京都 133人最も死者数が多かったには千葉県の172人。3年連続で最多だった愛知県を超えて2019年はワースト1になった。(2020年は10月現在また愛知県がワースト1になっている)<都道府県別 10万人当りの交通事故死者数 2019年>ベスト5 ワースト51位 東京都 0.96人 47位 徳島県 5.57人2位 神奈川県 1.44人 46位 鳥取県 5.54人3位 大阪府 1.48人 45位 香川県 4.89人4位 埼玉県 1.76人 44位 高知県 4.67人5位 福岡県 1.92人 42位 栃木県 4.21人 岐阜県 4.21人 「交通事故死亡者数を減少させるには」内閣府発表の第10次交通安全基本基本計画では、2020年12月末までの統計値で交通事故死者数を年間2500人以下にするとしている。(2019年は年間3215人、2018年は3532人)この目標を達成するには1年間で全体の交通事故死者数を約23%減らす必要がある。公共交通機関が発達している東京、神奈川、大阪は車を運転する機会が少ないことの10万人あたりの死亡者数が少ない要因である。 逆に人口減少や高齢化が進んでいる地域では、公共交通機関も減少し、高齢者が外出するために車を運転せざるを得ないことが死者数の増加に関係している。 交通事故死者数を減らすために、近年実証実験が行われている自動運転バスなどの次世代公共交通機関の登場や、衝突被害軽減ブレーキなどの最先端安全機能の拡大も期待したい。 もちろん、ドライバー1人1人が安全運転を心掛けることが重要である。歩行者がいる場合は必ず横断歩道直前で停止すること。ながら運転、飲酒運転などの危険行為は絶対にしないことなど、当たり前のことが真に当たり前になる交通社会を目指したい。私は調べていて、頭痛と吐き気がするくらい嫌な気分になりました(>_<)その理由はすべてが数字の世界だからです。この数や%はただの数字なんかではないんです!!この数はすべてかけがえのない大切な人間だということを念頭に置いて見ていただきたいと、強く思ったのです!!2020年度はまだ終わっていませんので統計が出ていません。この数は2019年度のものです。そしてこの中の1名は私の命よりかけがえのない尊い愛娘、さえりんなのです!!決して数字の1なんかではないんです!!それでも、こうやって調べてブログに載せようと思った理由はただ一つ!!一人でも多くの方に、交通死亡事故の現状を把握して頂き、もうこれ以上悲惨なさえりんのような交通被害者が出ないことを心から願っているからです!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館三人文殊さん、YouTube動画「ゆうき和尚の仏教・仏事解説チャンネル」の中で「横断歩道は歩行者優先のマグネットシート」をご紹介くださり良かったです!!こういうことを一人でも多くの方知っていただき、「横断歩行者妨害」を意識してもらうだけでも、今や半数以上にも上る横断歩道での交通死亡事故はきっと減るのだと思います!!ありがとうございました(*^^*)
2020年11月02日
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先日、次女の自転車が盗まれました。岐阜県の大学の最寄り駅の駐輪場に置いていたものです。今、オンライン授業が多くなって大学へ通うのは1週間の内、1度か2度。当然自転車も駐輪場に置きっ放しになってしまうのです。その駅は小さな無人駅なのですが、次女と同じ大学へ通う学生たちや、近くの高校生が自転車を置いていて、駐輪場はいつもいっぱいになっているのです。次女は1週間ぶりに大学へ通う朝、自分の自転車がないことに気付きました。駐輪場をウロウロしていたら、ボランティアで自転車の整理をしてみえたおじさんが声をかけてくださったそうです。次女が自転車が無くなったと言うと、探してくれたそうですが見つかりませんでした。次女はその瞬間「盗まれたんだ」と思ったそうです。それは思い当たることがあったから。実は自転車の鍵が1つ見当たらず、もしかしたら鍵を抜き忘れたかもと頭をよぎったそうです。仕方なく次女はその日は大学まで歩いていくことに。歩くと40分くらいの道のりです。しかも、その日に限って通販で買った5センチの上げ底の初めて履いた靴で学校に着くころには両足が靴擦れで靴下に血がにじんでいたそうです。帰りは大学からバスに乗りで名鉄岐阜駅まで行き、電車で帰ってきました。私たちは次女の自転車が盗まれたことはもちろんショックでしたが、そんなことより、次女に何事もなく無事に帰ってきたことが本当に良かったと心から思いました。万が一交通事故にでも遭ったら、もう私も主人も生きた心地はしません!!さえりんと、次女まで奪われてしまったら、もう生きてはいられないからです。次女も私たちがそう言うだろうとわかっていたみたいです。「自転車盗まれちゃってごめんなさい」と謝りましたが、きっとパパとママは「この世で命より大切なものは何もない」と言うだろうと思ったそうです。次女は私たちの考えることをよくわかっています。とはいえ、自転車がないと最寄駅から大学への通学に不便なので(バスは出てる本数が少ないので)何とかしなくてはいけません。それで、昨日の土曜日に、次女と一緒に自転車を探してそれでもなかったら、警察へ盗難届を出すため、岐阜県の大学まで行こうと思ったのです。次女はこう言うのです。「もしかしたら、自転車は誰かが一時的に借りて乗って行っただけで大学のどこかに置いてあるかもしれないし、元あった駅の駐輪場の違う場所に置いてあるかもしれないよ」と、次女は前向きな性格です(*'▽')私は本当に見つかればいいなあと、ほんの少しだけ期待して行くことにしました。昨日朝9時半頃、行きは私の運転で家を出て岐阜県の次女の大学の最寄り駅へと車で出発しました!!いつものように国道1号線から国道23号線バイパスへ出て名古屋高速へ乗りました。順調に走っていたのも束の間カーナビはすぐに名古屋高速から降りるように指示します。私はカーナビが時々変な案内をして惑わされるのを案じて無視して走り続けました。すると大渋滞にはまってしまいました(~_~;)そして次のインターで降りようと思った時にはたった1区間の距離まで進むのにノロノロの大渋滞を1時間以上もかかってしまい・・・(;'∀')やっと降りたら、名古屋の街中をまたもカーナビの案内を半分信じてあとは適当にウロウロ・・・ようやく指示に従ってまた高速道路へ乗ったもののカーナビはすぐに降りろの指示を無視して乗り越して何とか目的の駅に着くのに順調に来れば1時間20分のところ3時間もかかってしまいそれだけでクタクタになってしまいました(;´・ω・)何とか事故もなく無事に着けただけでも良かったと気を取り直して、駅前のロータリーのところにいったん車を停車させて、駅の駐輪場で次女の自転車を2人で探しました。ところがよく似た自転車はあるものの次女のはありませんでした。仕方なく私たちは次女の大学へ行きました。もしかしたらと大学の駐輪場にあるかも知れないと次女が言ったからです。大学の駐輪場は3か所あり土曜日で大学は休みのはずなのに自転車は結構な台数置いてありました。その1台1台を丁寧に探しましたがやはりなかったです。でも、私は内心ホッとしました。ここにあったとしたら、次女の自転車を盗んだ犯人は同じ大学の生徒ということになってしまうからです。そんな生徒がいる大学だったら親として次女を通わせることに不安になってしまうからです。私たちは近くの交番に行きました。すると「現在パトロール中」と書かれていて誰も見えなかったので、もう少し先の岐阜県羽島警察署へ向かいました。入口で次女が「自転車の盗難届をお願いします」と言うと中へ案内されて、一人の警察官が対応してくれました。盗難された場所を地図で確認して書類を書いて盗難届を作成しました。最後にもう一度、警察官と一緒に駅の駐輪場に戻り、自転車を置いていた場所を次女が指で刺した写真を撮って終わりました。次女はとっても恥ずかしそうに「知っている人が通りませんように・・・」とドキドキしている姿が可愛かったので、思わず笑ってしまいました(≧▽≦)次女は今回のことで大変さがよく分かったようなので、これからは自転車の盗難や防犯対策にしっかり気を付けてほしいものです!!私たちは警察官と駅で別れてから、近くのイオンの自転車屋さんへ行きました。そこで新しい自転車を選んで予約だけすることに。今まで入っていた自転車保険の盗難補償が、警察で盗難届を出して書類を送り保険会社からの書類が自宅へ届いてからの購入でなければ補償が効かないからです。補償される金額は2年目なので購入金額の6割ですが新品の自転車の半分くらいの補填にはなります(^-^)だから、それまで予約として取り置きして頂くようにお願いしてきたのです。あとは次女が大学の帰りに自分で残りのお金を持ってもらいにくればいいのです。ちょっと過保護だったかもしれませんがこれで私の手助けミッション完了です!!ここまで終わってホッとしたら、もう午後3時を過ぎていました・・・(;'∀')お昼ご飯もまだでしたので急にお腹が空いてきました。次女に何が食べたいかと聞くとマックでいいと言うので、隣のマクドナルドへ買いに行き2人で車の中でハンバーガーを食べてから、帰りは次女が運転して帰りました。帰りは高速道路も渋滞せず、名古屋高速も工事での通行止めもなくスムーズに走れました。順調に1時間20分で夕方5時前には家に着くことができました。家に帰ってからすっかり疲れてしまった私は2時間爆睡してしまいました(^-^;気が付くと次女もリビングのソファで爆睡してました(≧▽≦)昨日思ったことは、今回思わぬところで警察のお世話になってしまいましたがこれが交通事故じゃなくて本当に良かったと思いました。交通事故は被害者にも加害者にもどっちにも、もう絶対になりたくはありません!!次女にももちろん絶対に、どちらにもならないで欲しいと強く願うのです!!そして自転車盗難の件は、駐輪場にうっかり鍵をかけ忘れて自転車を置いてきた次女ももちろんいけないのですが、人のものを何のためらいもなく簡単に盗っていってしまうこの世の中が当たり前なのだという非常識は、果たしてどうなのだろうかと疑問が強く残りました。数年前のオリンピックの演説で「お財布を落としても見つかるような日本」は、いったいどこへ行ってしまったのでしょうか??もっとモラルある、お天道様に恥じないようなような倫理的で安心安全な、自信を持って自慢できる日本には、もう戻ることは出来ないのでしょうか??私は「盗まれた自転車」よりも、もっともっと大切な日本人の心が戻ってきてくれることを強く望みます!!そうなれば当然ですが犯罪や盗難、飲酒運転や轢き逃げだって減すはずです!!自分がされて嫌なこと、悲しいことは絶対に人にしてはいけないのです!!今人気の若手俳優が交通事故を起こして簡単に逃げようとするのはもちろん本人の身勝手さですが、しかしそんな風潮や世の中を作ってしまった責任は、他でもない私たち大人が卑怯なことズルいことをしても、それも良しとして逃げたり、悪い見本をたくさん見せてきてしまったからではないでしょうか??私は大切な娘が、将来家庭を持ち子や孫たちが、悲しい思いをすることなくこれから先もいつまでも、安心して暮らせるような社会を強く望みます!!そしてもうこれ以上交通事故で悲しみ苦しむ人が増えないような、安全なこの国であってほしいと強く強く望むのです!!だからこそ今の私たちのモラルや生き様が、この先将来の子や孫の社会へと繋がっていくのだと思うと、背筋をピンと正されたような気持ちになるのです。それは理不尽に命を奪われてしまった、さえりんや多くの子供たちからの切なる願いでもあると思うのです!!(さえりん6歳 大好きだった幼稚園の先生のご出産のお見舞いに行ったとき)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年11月01日
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