武蔵野航海記

武蔵野航海記

ローマ史を読みました 4

「神を信じるだけで天国に行ける」という理屈は非常に分かりにくいです。

この考えは聖書の中でパウロが繰り返し述べています。

ところが、一般信者がなかなか理解しないから、カトリック教会も信者を繋ぎ止めるために「善行を行え」と言い出したのではないでしょうか。

「神を信じるだけでよい」という考えに関するプロテスタントの思考回路は下記のようなものだろうと私は考えています。

神を信じるということは、神が全世界を創り自分も作ったということを信じることです。

自分を創ったということは、今の自分の性格や考え方も神がそう在らしめたということです。

自分がキリスト教徒になったのも神がそう決めたからであって、自分の意思でキリスト教徒になったのではないと考えるのです。

プロテスタントは人間に意思などないと考えていて、ルターは「奴隷意思論」を唱えています。

人間は神の意思の奴隷で神が考えたとおりに動いているに過ぎないのです。

全ては神の計画で、人間の意志など何の影響も持っていないというのが「予定説」というもので、プロテスタントの重要な教義です。

教会で洗礼を受けたのも、彼女と結婚したのも、今の会社に就職したのも全ては神の意思だったのです。

自分がキリスト教の信者になり神の意思を実践するように計画されているのだから、今後も神の意思どおりに動こうと考えます。

そして、「では神は私に何をさせようとしているのだろう」と自分のすべきことを考え始めるのです。

そして神は「隣人愛」を説きましたから、自分は隣人のためを思って行動するべきだと思い至るのです。

こうしてプロテスタントの信者はひたすら隣人愛を実行していきます。

つまり神を信じれば悪いことなど出来なくなるということです。

実はこの隣人愛が発展したものが資本主義の精神です。

近代資本主義がイギリス・オランダ・ドイツなどのプロテスタント諸国で発生したのはこういう理由です。

マックスウェーバーという学者がこのことを一生懸命に説明していますので、興味のある方は彼の著書を読んで下さい。

プロテスタントは「カトリック教会はうそつきだ」と言いました。

ローマ法王が神の代理人だなどと言うのは真っ赤なウソだと主張します。

イエスがペテロ(イタリヤ語でピエトロ)という弟子に、「お前は岩だ。お前の上に私の教会を建てよう」と言ったと聖書に書いてあります。

ペテロとはヘブライ語で岩を指すそうです。

このペテロ(ピエトロ)が後にローマのバチカンの岩の上に聖ピエトロ教会を建て、初代のローマ法王になりました。

カトリック教会はこの聖書の一節を、イエスがローマ法王を地上の神の代理人にした証拠だとしています。

しかしプロテスタントはこんな挿話は証拠でもなんでもないと反論しているわけです。

ローマ法王が神の代理人であることを認めないだけでなく、プロテスタントはおよそ神父という神と信者の仲立ちをする存在を認めていません。

プロテスタントの牧師(カトリックは神父ですがプロテスタントは名称まで違います)は、神と信者の仲立ちをするのではなく信者のリーダーです。

この神と一般信者の間に仲立ちがいるのといないのとで、非常に大きな違いが生まれてきました。

カトリックの場合は、信者は神父に自分の行いを報告し、神父はそれが神の教えに反しているか否かを判断します。

信者は信仰を神父という仲介者に管理してもらえるのです。

ところがプロテスタントの場合、人間と神の間を仲立ちする者がおらず、信者は神と直接向き合わなければなりません。

信者が自分の信仰に疑問を持って牧師に相談しても、彼は参考意見を述べるかもしれませんが、神になりかわって判断するわけではありません。

結局、信者は自分の胸の中で神と対話をするしかありません。

彼の在世中の行動は最後の審判の時に明らかにされ、神の裁判を受けなければなりません。

このとき彼は神に自分の信仰を直接申し開きしなければならず、牧師に責任を転嫁するわけに行かないのです。

ですから信者にとっては自分の信仰は自分で判断しなければならず、相手が国王のような偉い人でもその指示に従うわけには行きません。

なにしろ結果は永遠の幸福を得られるか否かと言う重大な事柄だからです。

ここから自分の信仰を命がけで守るという態度が出てきました。

宗教の行動が全然規制されない現在日本では想像するのも難しいかもしれませんが、16世紀、17世紀のプロテスタントには自分の信仰の方が命より大事だと思っている者がたくさんいたのです。

中世は現世よりも来世の方を重視ていましたから、近代のはじめもこの伝統から来世の幸福が何より大切だったのです。

彼らにとって良い政府とは、自分の信仰を邪魔しない政府でした。

ところが現実の政府は自分の信仰の邪魔ばかりします。

世襲のカトリック王は自分の権力を強化するために王権神授説を信奉しています。

カトリックの正統性とローマ法王が神の代理人であることをプロテスタント認めません。

プロテスタントはカトリック国王の権力基盤を危うくする敵ですから、王は彼らを徹底的に弾圧します。

カトリックは全ヨーロッパを覆う組織ですから、問題はすぐ国際問題に発展します。

イギリスのカトリック王が危ないとなったら、フランスやスペインの王が軍隊の派遣など様々な援助をカトリック王にします。

イギリスのプロテスタントがやられれば次は自分たちの番だと危機を募らせたオランダやドイツのプロテスタントはイギリスのプロテスタントの応援に駆けつけます。

ヨーロッパのどこかで新旧の宗教的対立が起きるとそれが全ヨーロッパ規模での紛争になるという騒然とした社会になっていきました。

こういう騒動の中で「信教の自由」「内心の自由」「思想信条の自由」「表現の自由」というものが確立してきたのです。

今の日本では、これらの自由はエロ本を出版するための口実に使われていますが、本来は命がけで信仰を守るためのものです。

カトリックの国王とプロテスタントの紛争が激しくなってきたときに脚光を浴びるようになったのが、例のRES PUBLICAです。

中世のカトリック教会にはローマ人のRES PUBLICAが変形したものが生き残っていました。

神の正義というヨーロッパ人に共通する価値観を実践するのが政府の正しいありかただという考え方です。

そして神の正義に反した政府はつぶさなくてはなりませんが、それを決めるのは神の代理人たるローマ法王だというものです。

プロテスタントはこの考え方を利用して抵抗権・革命権という概念を作り出しました。

このプロテスタントの思想で加工されたRES PUBLICAが英語のREPUBLIC(リパブリック)です。

これを共和制と訳した日本語は基本的なところで概念の誤りを犯していると思うのです。

神の正義に反する政府は潰さなくてはならないという点では、プロテスタントはカトリックと同じでした。

ただ、その政府が神の正義に反するか否かを判断するのはローマ法王でなく正しい信仰を持った者たちだというのが違います。

プロテスタントにとって正しい信仰を持った者とは自分のことですから、結局正しい政府とはプロテスタントの政府だということになります。

プロテスタントであれば各人の信仰を守ることが極めて大事だということが分かりますから、内心の自由を保障します。

プロテスタントがカトリックの国王を追い出した例としてはイギリスの名誉革命が有名です。

これは、カトリックの世襲王を追い出し、その実の娘でプロテスタントの信仰を持っていた者を女王にしたという革命騒ぎです。

ついでにその娘の夫もイギリス王にしています。

このときイギリスのプロテスタントは条件をつけましたが、これを国王夫妻が認めたので彼らを国王に迎え入れたのです。

この条件で一番重視したのは、信仰の自由でした。

これと関連してカトリック教徒を国王にしないというのも条件にしました。

この規定は信仰の自由に反する規定ですから両者は矛盾しています。

憲法学者はこの矛盾を色々弁護していますが、体制を破壊する思想は認めないというあらゆる体制が持っている限界をしめしています。

イギリスのプロテスタントは審査法というものを作って、カトリックなどの異端者は公職につけないようにまでしました。

後にこの審査法は廃止されましたが、国王の資格まで許したかどうかはっきり私は分かりません。

イギリスの政治体制はこのとき出来た体制のままですから、今でもカトリック教徒はイギリスの国王になれないのではないでしょうか。

それはとにかく、17世紀末のイギリスでは信仰ということが何より大切だったのです。

このイギリスの名誉革命の理論的基礎を作ったのがジョン・ロックで彼の思想がアメリカに流れていって独立戦争を引き起こしました。

またフランスにも流れていってヴォルテールやルソーの思想を生み、最終的にフランス革命を引き起こしました。

つまり現代の民主主義という思想の根源はキリスト教だということです。

私は、この「ローマ史を読みました」の書きはじめで、ローマ史は支那史よりはるかに面白いと書きました。

色々な意味でローマ史の方が面白いのですが、まず初めに支那の歴史というのは政治史でしかないのですがローマの歴史は思想史でもあるということです。

支那にも思想があるのですが、それは政治に利用された思想であり本当の深みに欠けるものです。

儒教は一応宗教に分類されていますが、魂の救済という宗教の本源的な問題を避けて通っています。

多様な民族が雑多に入り混じった支那を政治的に統一するために、「天」という絶対者を想定しその求心力で支那を統一しようと考えたのが儒教です。

この「天」という絶対者を前提としているから宗教に分類したのでしょうが、これは大勢の人間の集団をどう導こうかと考えたもので、個々人の悩みを解決しようとしたものではありません。

儒教の仁とか孝、忠といった道徳は対人関係に使われるもので、皇帝を中心にした国家組織や親子などの親族関係の秩序を維持するための礼儀です。

別に内心の状態を規定するものではなく外観を問題とするものです。

支那で個々人の悩みを解決しようとする宗教は道教です。

圧倒的多数の支那の庶民は儒教などに関心はなく道教を信奉していますから、支那の宗教は道教だといえます。

道教では、修行をして仙人になることを理想としています。

仙人になったら超能力が身につきます。

超能力で不老長寿が得られたり、霊視・霊聴などの能力が開発され生存競争にがぜん有利になります。

要するに孫悟空になるわけで、道教というのは現世での幸せを追求したものなのです。

精神的な宗教として仏教がインドから渡来し、漢末の動乱期から唐までは結構普及しましたが、とうとう支那には根付きませんでした。

当時の支那人が仏教に帰依したのは、精神的なものよりも、労役や税金を免れるためだったのです。

現在の支那には仏教徒はほとんどいません。

支那人というのは精神的なものが苦手のようです。

人間の魂の救済という精神的なことに関心が薄いので、宗教が本当の力を持つことが出来ず現世利益の宗教ばかりが栄えています。

ですから支那人の行動がどうしても現実的な損得勘定中心になってしまい、精神的な衝動から社会を変革するということがありません。

支那の歴史が儒教の教科書的な行動ばかりで、昔と同じような生存競争ばかりを繰り返しているのはこういう理由です。

初期のローマの歴史は、小さな都市国家のために皆が一生懸命頑張っているという感じです。

日本の会社人間ならぬポリス人間で、命がけで自分の国を守ったヒーローがたくさんいました。

ローマは幸運なことに、ここ一番という大事なときに非常に有能な指導者が現れてピンチを切り抜けています。

強力なライバルであるカルタゴと大戦争をしていたときに、カルタゴにハンニバルという天才的な将軍が現れてローマ軍を徹底的に打ち破ったということがありました。

ローマの男たちの多くが戦死し兵員の補給も底をついたというときにスキピオというハンニバルをしのぐ名将が現れて奇跡のどんでん返しを行いました。

これなどは運が良かったといってしまえばそれまでですが、まだ24歳ぐらいで才能の程も分からない若造にローマの運命を託したローマの指導者のカンの良さには驚きます。

ローマ人の支配階級には政治的・軍事的な才能が備わっていたとしか思えないのです。

戦争で打ち破った相手にびっくりするような好意的な条件を提示して心からの同盟者にしてしまうなどは大変な政治的才能です。

ローマが大きくなり昔ながらの元老院と民会という体制が機能しなくなった時に、カエサルという天才が現れてインペラトールという新しい体制を作りました。

彼は自分が暗殺されることを予期していたのか、遺言状で自分の後継者を指定していました。

後継者に指定されたのはカエサルの姉妹の子供であったオクタビアヌスですが、カエサルが暗殺されたとき彼は18歳でした。

カエサルは18歳の青年ともいえないような年齢の者の才能を見抜いていたのでした。

オクタビアヌスはカエサルが見抜いたとおりの政治的才能に恵まれた男でした。

このほかにも、ローマのために自分の才能とエネルギーを惜しみなく使った指導者が何人も出ています。

これはその才能に恵まれた男に自由に才能を発揮させたローマの支配者層の能力が高かったからだと思います。

個人ならいざ知らず、ある集団が長期にわたって才能を維持し続けるというのは、そういう文化的な伝統があったからだと思うしかありません。

こういうローマの支配者集団の政治的・軍事的才能によって、広大な版図の安全と治安が保たれ、その結果空前の経済的繁栄を楽しんだというのがローマの全盛時代だったと思います。

ローマも末期になると指導者たちの緊張感が薄れ、軍事と政治の能力が衰えてきました。

軍事力による安全の確保がローマ隆盛の原動力であり、広大な版図の住民がローマを支持する理由でもあります。

その軍事力による安全が確保されなくなったわけですから、ローマのRES PUBLICAの魅力がなくなってきました。

そして現世の望みを失ってどんどんと精神的内向きになっていきました。

ローマが衰退し始めるのは3世紀頃ですが、支那もこの頃後漢が潰れて北方の騎馬民族が侵入し衰退しました。

同じ時期に衰退しているのですが、両者の対応の仕方が違っています。

支那人はあくまで現世の幸せを求めて、道教という現世利益の宗教を作り上げました。

道教は、支那世界が衰退に向かった三国志の時代に張陵が始めた五斗米道が源流です。

経済が縮小し全体のパイが小さくなっていく中で各人が生き残るために他人を押しのけるので支那の動乱期はいつも悲惨ですが、これは支那人が魂の救済という精神性をあまり持っていないからでしょう。

一方のヨーロッパ人は来世の幸福を求めてキリスト教化しました。

現世から来世に生きる目的を変えたわけで、ここでヨーロッパは180度の転換を遂げます。

個々人を見てみると100%来世のみを考え現世を無視する人はいないでしょうし、抽象的なことをまるで理解しない動物のような人もいたでしょう。

しかし社会全体が来世に向けて舵を切ったということは否定できません。

その中で個々人は、状況により宗教的な情熱に駆られるときもあれば、現実に目覚めて立ち止まったこともありました。

カトリック教会がヨーロッパを支配した中世が1000年続いたあと、ルネッサンスが起きました。

ルネッサンスはカトリック教会が来世の幸福ばかり説くのにうんざりして、現世を重視しようと考えた運動でした。

しかしその直後に宗教改革が起きました。

これは堕落したキリスト教を元の純粋なものに戻そうとしたもので、更に来世への志向を強めたものです。

ヨーロッパの近代の幕開けは、ルネッサンスと宗教改革という背反する運動が同時に起こった時代でした。

ローマ末期に180度転換して来世に向いたヨーロッパ人は、ルネッサンスを経験した分だけ現世を重視するようになり、また以前よりまじめなキリスト教徒になったわけです。

よく人間の行動を経済的利益だけで考える人がいます。歴史家にもそういうのが大勢います。

彼らは、中世後半に起きた十字軍も経済的利益を目的として行ったと解釈します。

確かにそういう要素があったことは否定できません。

特に前後7回に及んだ十字軍の後半では、こすいイタリヤのヴェネチアなどは経済的利益を当てにして参加しています。

しかしそういう側面だけに注目しては全体が分からなくなってしまいます。

ヨーロッパの封建制度が潰れた原因の一つは十字軍によって社会がダメージを受けたからだという説まであるのです。

フランス・ドイツ・イギリスなど北方の素朴な大名たちはキリスト教の情熱に駆られて十字軍に参加しました。

一度行ったら十年ぐらい帰ってこないわけで、この間の当主不在による領地の荒廃、負債の増加という現象が起きました。

当主が遠方で討ち死にすれば跡目争いも起きます。

いくらのんきな大名たちでもそのぐらいのことは分かっていたはずです。

法王の特使がやってきて大名たちに十字軍への参加を呼びかけたところ、熱狂した大名たちが争って参加を表明しました。

ところが大名たちがいざ出陣の準備を始めたら、その困難さに気がついて逃げ出したという例がたくさんあります。

数多い十字軍のなかには、子供たちが始めたものもあるし貧しい巡礼たちの十字軍もありました。

十字軍というのは、決して冷静な計算に基づいて行われた経済活動ではないのです。

イエスが活動し、はりつけにされ、最後に復活したエルサレムの地が敵対するイスラム教徒に占領され、キリスト教徒が迫害されているのを悲しんだ人間が大勢いたということなのです。

ところが宗教という合理的に説明できない衝動を理解できない頭脳は、そういうことを考えないのです。

金をかけ汗と血を流して行ったからには、そこにある良い物を盗りに行ったからに違いないとしか考えることができないのです。

スイスのグリンデルワルトという観光地に行ったことがありました。

ここはアルプスの登山基地で、かなたにはアイガーやユングフラウなどの名峰が見えます。

6月という一番気候のいい時で、村の家々のベランダは花で一杯でした。

アメリカ人、フランス人、日本人などの観光客も団体で来ていました。

そこから空を見ていると、はるか上空をハングライダーが一つ飛んでいるのです。

そこにいた観光客たちは皆見上げて口々に感嘆の声をあげていました。

アメリカ人とおぼしきオッサンは「あいつは、地上の俺たちを見下して楽しんでいるに違いない」と仲間にしゃべっていました。

私もそう感じました。彼が幸せな気持ちで一杯なことが私にも感じられたのです。

金髪が見事な白髪に変わった上品なおばあさんは、「彼は神に近づいているわね」と私に話しかけてきました。

「神の栄光は彼の翼を見ている貴女の目にも達していますよ」と私は返事をしましたが、彼女はうれしそうにうなずいていました。

ハングライダーの青年のおかげで、そこにいる皆が一時幸せな気持ちになったのです。

昼の食事時に日本人の団体と一緒になりましたが、リタイアした方々が主体でした。

先ほどのハングライダーのことも話題になったのですが、この日本人の団体のみは彼に批判的でした。

「あたら有為の青年が死んだらもったいないではないか」とか「親から頂いた命を粗末にしてはいけません」という具合です。

「事故を起こして人様の迷惑になってはいけません」というのもありました。

彼らの話を聞いているうちに私は悲しくなってきました。

彼の命は彼の物であり神の物でもあるかもしれませんが、断じて日本人のおじさんおばさんの物ではありません。

彼が楽しんでいればそれでよいではないかと思ったのです。

他人の迷惑になるといいますが、墜落して死んでも彼は土に還るだけで誰の迷惑になるとも思いません。

いまこのことを振り返って考えてみると、日本人は「冒険」ということに価値を見出さないのだなと思い当たりました。

日本人は精神的な民族で、決して現世利益だけを追求している我利我利亡者ではないのですが、無償の冒険というのが理解できないようです。

堀江兼一というヨット乗りがいます。

1962年にマーメイド号という小さなヨットで太平洋を横断した男ですが、有名なのでご存知の方も多いと思います。

私もヨット乗りの端くれとして彼には興味を持っています。

当時ヨットでの単独太平洋横断という夢を多くの日本の青年が持っていました。

詳しいことは分かりませんが、当時の日本は自由に海外にいけるわけではなく法務省の許可が必要でした。

ところが当時の法務省の役人がこの「冒険」を理解せず、誰にも出国の許可を与えなかったのです。

危険だからという理由のようです。

多くの若者が準備万端整えてあとは法務省の許可を待つだけという状態だったのですが、いつまでも許可が下りないことに業を煮やした堀江青年は、密出国という非常手段で太平洋に乗り出しました。

カリフォルニアに堀江青年がたどり着いたというニュースが世界中を駆け巡りましたが、これを聞いた警察だか法務省だかは彼を密出国容疑で逮捕するために飛行機でアメリカに飛びました。

ところが現地に着いた役人たちは、堀江青年が英雄になっているのを見て逮捕を諦めて日本に帰ってきました。

他国で英雄になろうが何になろうが、日本の法律に違反したら断固として逮捕するべきなのに日本の法体系はどうなっているのだという問題がありますが、本題ではないのでこれ以上触れません。

堀江兼一は一部の日本のヨット乗りには評判が悪いのですが、彼が法を犯して他を出し抜いたからです。

堀江兼一事件はスイスのハングライダー事件と同じ性質のもので、「命を粗末にする」という問題です。

これは「命は誰のものだ」という問題でもあります。

キリスト教でははっきりしていて、命は神のものです。

生きている人間は、神のものである命を管理しているのです。

だから神が「この命をこういうふうに使え」と命令したら、人間はそれに従わなければならないのです。

命がけで冒険をするということは、神が自分の偉大さを示そうとして人間に不可能に挑戦させたということです。

だから冒険を成し遂げた人は、神の命令に従った正しい信仰を持った人だと理解されるわけです。

どうやらキリスト教徒が冒険について持っているイメージはこういうもののようです。

神の栄光のため・神の偉大さを証明するために命を使うというのは、キリスト教徒にとっては立派なことです。

神の栄光とか神の偉大さという言葉をキリスト教ではよく使いますが、これは神が万能の存在であるということが証明されると信者は安心するからです。

神の偉大さを証明する一番分かり易い例が宣教です。

神の存在を知らずそのありがたさも分からない現地人を一人前のキリスト教徒にすることで神の威力が良く分かります。

気候の涼しいヨーロッパを一人で旅立ち、熱暑の熱帯で敵意を持つ原住民に神の教えを説くのは並大抵の苦労ではありません。

今でもアフリカや中近東などでは宣教に来た男女が殺されています。

このように危険で報酬の少ない仕事にも係わらず、宣教師はアメリカの子供たちが将来なりたい職業のトップに常に位置しています。

ところが日本人は宣教師が宗教的な情熱に駆られてやってくるということがどうにも理解できないようです。

日本人だけでなく、支那人や朝鮮人などにも理解できないようです。

そこに良い物があるからそれを取りにやってくるのであって、宣教と言うのは隠れ蓑だと思うのです。

そして宣教師はヨーロッパの植民地主義の尖兵だなどと考えて納得してしまうのです。

たしかに戦国時代末期に日本に宣教師を送ってきたスペインやポルトガルには日本を植民地にしようとする野心がありました。

しかしこんなことを考えるのは、自分は安全なところにいて他人を危険なところに赴任させる国王や枢機卿などの支配者です。

実際に日本にやって来る宣教師が、こんな傲慢な態度をとったら即刻殺されてしまいます。

戦国時代の末期に日本にやってきたザビエルや明治初期に札幌農学校に赴任してきたクラーク博士の宗教的情熱は日本人にも伝わりました。

だから彼らに接した多くの日本人がキリスト教徒になったのです。

日本人にとって命は誰のものなのだろうと考えても、良く分からないのです。

自分の物の様でもあるし、周囲の皆の物の様でもあります。

「御仏から頂いた命」という言葉がありますから、本来は仏様の物なのかもしれません。

結局、命は誰の物ということではなく、そこに有る物なのではないでしょうか。

前から私が主張しているように、日本人の基本的な発想は「あるべきようは」です。

月や山、動物・植物と同じように、人間も、さらには社会や国家も自然物でそこに存在するものです。

「自然」という秩序の中で人間や組織は自分の本来居るべき場所を理解してそこに居るのが正しいのです。

これは、「天」や「神」という絶対的な存在が作った正義とは別のものです。

他人や他の自然物との位置関係という相対的な善悪の世界です。

命も自然物であり、自然という体系の中でその位置を判断すべきものです。

ですから、自分の命を全体の体系に沿う形で使うのが大切なのです。

全体の中でどういう位置にいれば正しいかということに関して詳細な取り決めはなく、大勢の日本人の感覚的な判断に任されます。

ですから、「この何が正しいか」という判断も状況の変化に応じて変わっていきます。

ハングライダーの青年の行為を日本人の熟年夫妻たちは、「自然の秩序」に外れた行為だと思ったのでしょう。

堀江兼一の行為も日本の役人たちは、「自然の秩序」に外れた危険な行為で「命を粗末にしている」と考えました。

ところが彼らがアメリカに来てみて、堀江青年が英雄になっていることを知りました。

日本という狭い社会では堀江青年の行為は「自然の秩序」に反していたのですが、世界という日本より広い自然界では彼は「自然の秩序」にふさわしい行為をしたわけです。

日本の役人は自分たちが考え違いをしていたと思い直し、おとなしく日本に帰ったのです。

この様に、状況に応じ、結果に応じて日本人の考えは180度転換します。

この変化のプロセスを外国人は理解できず、「卑怯だ」とか「無節操だ」と軽蔑され憎まれるのです。

あるいは組みし易しと考え、なめてかかります。

日本以外の主要国の判断基準は「神」や「天」といった絶対的なもので、状況に応じて変化するような柔軟なものではありません。

幕末に欧米列強の軍艦が日本にやってきて開国を要求しました。

これに憤慨した多くの侍が尊皇攘夷を旗印にして、日本独立運動を展開しました。

この過程で多くの志士が斃れましたが、おそらく数千人ぐらいにはなるでしょう。

彼らの死を日本人は「命を粗末にした」とは考えません。

正しいことの為に、わが身を考えず命を捨てることを日本人は立派なことだと思っています。

日本人だけでなく、どこの国の人も正しいことのために命を捨てるのを立派なことだと考えています。

違うのは何が正しいかという点です。

もう一つ違いがありますが、これは正しいことのためにどこまで必死になれるかという点です。

ヨーロッパ人が、来世での幸福のため神のために戦ったことは、十字軍や宗教戦争を見ればわかります。

日本人が日本のためアジアの独立のために必死で戦ったことは、明治維新やその後をみて良く分かります。

19世紀以後経済的に成功し国家も栄えた民族は、皆この真面目さというか青さ・若さを持っています。

逆に言えば、19世紀・20世紀に惨めだった国民は、この青さ・若さを持ち合わせていなかったということです。

隣人のため、自分たちの伝統や社会・国家という物のために自分の大事な命を捨てる者がいなかったということです。

これは自分の現世の利益以外に大事なものがあるという精神的なものに無関心だったからです。

宗教的な敬虔さが無い者は、「隣人愛」や「他人に対する思いやり」というのがありません。

支那人が傍若無人であつかましいのはここから来ています。

これは、お互いの連携という近代産業に必要な資質がないということでもあり、貧しさを克服できない理由です。

支那や朝鮮にも国家を支える儒教という思想がありましたが、これは建前だけで真面目に信奉していなかったのです。

支那や朝鮮は、明治維新後の日本の必死の様相を横から冷ややかに眺めていただけです。

日露戦争は日本の独立ひいてはアジアの独立を目指したものですが、日本人の日本やアジアに対する真面目さを彼らは理解できませんでした。

国家・民族というものや隣人が自分の命や財産より大事だと考える人間がいるとは想像も出来なかったのです。

だから日露戦争や満州事変・支那事変を、日本人が何かを奪いに来たのだとしか考えられないのです。

尚、この点についてはローマ史と少し離れてしまいますので、いずれ別のテーマで書こうと思っています。

日本とアメリカは色々なところで違いますが、「自由」という言葉に対する反応も大きな違いのひとつでした。

アメリカでは「自由」というのが非常に重要で、大統領も頻繁にFreedomという言葉を使い、それに対して国民も敏感に反応します。

ところが日本人に「自由」という言葉を使うと相手は警戒するのです。

なにか面倒なことに巻き込まれそうだと日本人は感じるらしいのです。

日本では「自由」は、「そんなことは私の自由で、お前の指図は受けない」というように相手の言葉を拒否するときに使うからです。

確かに「自由」には相手の不当な圧力を撥ね返すという意味がありますから使い方がおかしいわけではありません。

どこが違うか長い間考えてきましたが、最近思い当たりました。

日本語の「自由」には積極的な意味がないのです。

「自由」を「勝手」という言葉に置き換えても意味が通じます。

さっきの例で言えば「そんなことは私の勝手で、お前の指図は受けない」と言い換えても意味は全く変わりません。

「自由」と言うのは昔からある言葉ではなく明治になって作り出した言葉で、日本人の発想にそれ該当する実体がないのです。

ではFreedomには何が含まれているかといえば、「キリスト教の信仰」が含まれているのです。

ローマ法王とか誰か他の人が神について語った内容ではなく、その人個人が持っている信仰が含まれています。

自分の神への信仰を守り、それを不当に奪われないように抵抗することがFreedomです。

各人はこの自分の「神への信仰・思い」を抱いて最後の審判に臨むわけですから、他人の圧力で変形されてしまったら大変なことになります。

だからFreedomが大事なのです。

日本人の大部分はキリスト教の信仰を持っていませんから、このFreedomの大切さが分からないのも当然です。

良い政府とは個人のFreedomを守る政府であり、キリスト教の信仰という共通の価値観を体現した政府(リパブリック)だということになります。

色々な政体の政府がリパブリックな政府となりえますが、可能性としては広く選挙で選ばれたデモクラティック(民主的)なものが良いだろうということになるわけです。

私がこういう考えを整理しようとしたら、どんどん前に遡ってローマ史までたどりついてしまったのです。

多くの日本人はキリスト教の信仰は持っていませんが、仏教を信じているから仏への思いを誰にも邪魔させないというのがFreedomになるかと考えましたが、無理な様です。

宗教の構造が違うからです。

仏教の場合は、そもそも絶対的な存在がいません。

宇宙はお釈迦様が作ったものではなく、理由は良く分からないが昔からあるというもので、それを支配しているのはダルマ(法則)です。

お釈迦様は学者みたいな方で、ダルマを理解すれば解脱できると言い、このための修行のマニュアルを提示したのです。

このダルマは気の遠くなるような修行の末に得られるかもしれないもので、一般の信者に分かりやすく説明した聖書のようなものがあるわけではありません。

仏教のお経というのは、長い間に様々な考えを持った人が書いた膨大な量のもので、統一されたものではありません。

お経は長い間整理されない状態が続きましたが、近年になり大分整理が出来てきて、お釈迦様の説いた原始仏教が次第に明らかになってきました。

この原始仏教では、ダルマは個々人が努力して会得できるものであり、別に釈迦如来や薬師入来に頼ったところで意味はないと考えます。

ところが後に出来た浄土宗など一部の宗派では、仏に頼り南無阿弥陀仏と唱えれば救われると説いています。

ここまで原始仏教と違うものが果たして仏教なのかという疑問がわいてきます。

原始仏教では魂の存在を認めていません。

ところが仏性という形で魂に近いものを認めている一派もあります。

仏教は難解であると同時に、様々な宗派が分立しお互いに矛盾していることを言っている状態で統一されていません。

こういう難解なものを多くの日本人が理解して共通の認識を持つというのは不可能だと思うのです。

もしも仏教徒に共通の価値観を提示してこれを基に社会を作ることが出来るのであれば、とうの昔に誰かがやっているはずです。

これが無理だったから隣の国から儒教を導入して社会組織をつくったのです。

しかしこの儒教というものを日本人は千年かかってもとうとう理解できずに終わってしまいました。

そもそも儒教など教養としての意味はまだあるかもしれませんが、政治思想としては誰も相手にしなくなったものを今さら持ってきても無意味です。

このように考えると、「自由」とか「人権」を日本に定着させようとするなら、日本人をキリスト教徒に改宗させて「永遠の神」「万能の神」「世界を創造した神」という概念を日本人に植えつけるところから始めなければならないと思います。

今の日本で葵のご紋のようになっている「民主主義」や「人権」「自由」の本質はキリスト教の信仰です。

従って本気なってこれらの価値観を日本に定着させるためには、日本をキリスト教国にしなければならないというのは冗談でもなんでもありません。

こういう基本的なことを抜きにして表面上のものだけを輸入してもうまくいきません。

日本は同じ失敗を1300年前に経験しています。

飛鳥時代に支那の真似をして中央集権国家を作ろうとしました。

そのために律令制という支那の国家制度をそのまま輸入したのです。

律令制度はそれだけが独立してあるものではなく、儒教という支那の支配者の価値観を実現するための道具です。

支那人の家族観・善悪という考え方を前提にしてこそこの律令制度は有効に機能します。

ところが当時の日本人はそこまで深く考えずに、律令制度を国家組織だと割り切ってしまいました。

その根底にある儒教をほとんど理解しないままだったために、いかなる理由でこの様な組織になったのかその理由が理解できなかったのです。

そして律令制度を使いこなせなかったのです。

結局、国家組織などといえるものがなくなってしまい、地方では武士と中央から派遣された国司が律令とは全然違う原則で行政を行うということになってしまいました。

今の日本も1300年前と事情が全く同じで、「人権」「自由」「民主主義」というのがキリスト教だという認識をしていません。

日本国憲法の冒頭に書いてあるように「人類普遍の原理」だと勘違いしています。

そして「民主主義」を国家組織だと思い、憲法を持ち、三権分立の国家組織を持って、選挙によって選ばれた「国民の選良」が国会で議論すれば事足れりと思っています。

国家組織はその背景に国民共通の価値観がなければならないということに気がついていません。

社会のルールというのは理屈を言って説得するのではなく、頭から信じ込んだ価値観がなければ有効に機能しません。

各人が強制されなくても自分の内心の声を聞いて従うという宗教的な権威がなくてはならないのです。

「物を盗んだら犯罪だから牢屋にぶち込むぞ」と物理的な強制を加えても、警官がいないところでは盗みを防ぐことができません。

そもそも世の中の全員が泥棒を志向したら、警官のなり手がいません。

外部から強制されなくても、「神の教えに反する」とか「世間が許さない」とか「ご先祖様に申し訳ない」とか、内心からいけないと思わなければ泥棒はなくならないのです。

このような価値観は別に宗教の形をもたなくても、ローマ法などという形の権威でも良いわけですが、堅く信じ込んだものでなくてはなりません。

日本には伝統的な価値観があったのですが、それが様々な問題を持っているからいけないと考えて否定し去り、今では輸入品の価値観だけでやっていこうと頑張っています。

そしてどうにもならない状況になっています。

学校で起きている「いじめ」にしても、日本には昔から「弱いものいじめはいけない」というルールがありました。

ところが今の学校ではこういう説得方法をとらずに「民主主義」とか「人権」という単語を連発します。

言っている本人がその内容を分かっていませんから、聞くほうが納得するはずがありません。

少し前に新聞に書いてあったのですが、女子高校生が援助交際をして学校の先生に叱られました。

女子生徒は「私が納得し相手の男も承諾しているのだから、お互い合意の上であり何も悪いことはしていない」と言い返したのです。

先生はこれに反論できませんでした。

皆さんもこれに関する私の考えを読む前に少し考えてください。

先生も女子生徒も散々「民主主義」を聞かされていますから、双方とも「民主主義」を前提に議論しています。

そして「民主主義」を誤解しています。

民主主義とは「多数決」や「合意」ではなく、その国民が共通して持っている価値観を守ることで、具体的には神の正義です。

多数決というのは、何が神の正義かを判断する過程で多数派の意見も参考にするという程度のものです。

神の正義に反することを多数派が決議しても、それは無効だというのが民主主義の鉄則です。

少数派の意見を無視してはいけないというのは、その少数派の方が正しいことを言っている可能性があるからです。

その先生は「お前は神の教えに背いた」と一言いえばそれで済んだのです。

昔の日本だったら「神仏が許さない」とか「ご両親のお嘆きを考えてみろ」とか「世間様に顔向けが出来ない」とかそれなりに効果のあることを言ったと思います。

あるいは何も言わずに殴りつけたかもしれません。

小娘一人も説得できず右往左往しているのが日本の現状です。

本気になって、「民主主義」「人権」を日本に根付かせようと思ったら日本人を皆キリスト教徒にしなければなりません。

もっともその前に、そんなことが本当に必要か良く考えなければなりませんが。

また果たしてそんなことが可能かどうかも考えなければなりませんが、現状では不可能です。

現在日本のキリスト教徒はカトリックとプロテスタントを合わせても総人口の1%未満と極めて少なく、こんなにキリスト教徒が少ない国も珍しいです。

キリスト教徒が少ない分だけ日本は仏教の勢力が強いとも私は思っておりません。

日本のキリスト教は明治になってから入ってきた新しいものなのでまだ日本式にアレンジされている度合いが少なく、本場の強烈なにおいを
残しています。

一方仏教は長い間に原型を留めないまでに日本化されています。

お釈迦様は修行の大切さを説いていますが、その修行は 1)俗世間からはなれて 2)戒律をまもり 3)独身を守って行うべきだとしています。

ところが仏教が支那に入って権力者の庇護を受けるようになり、俗世間から離れなければならないという条件が脱落しました。

この支那仏教が日本に入るともっと権力と癒着して僧侶は国家公務員になりました。

また戒律も骨抜きになりました。

最後に明治になると、僧侶は皆結婚するようになり、結局お釈迦様の教えをことごとく破ってしまったのです。

日本の仏教は、果たして仏教なりやと外国からは疑問符を付けられている状態です。

この様に外国から輸入された思想は、その強烈な臭いを消され原型を留めないまでに加工されて初めて普及するのです。

仏教もそうですが、儒教も日本化され本場のものとはまるで別物になっています。

「民主主義」や「人権」もまさに日本化の過程にあります。

外国の思想を本場の状態のままで日本に輸入しようとしても、それは不可能なのです。

私は日本人には、外国の思想を日本式に変形しなくては収まらない発想があると思っています。

外国の思想というのは体系だっています。

神や天がどういうものかを説明し、その人間に対する命令も基本的なものから徐々に具体的なものに演繹されてゆきます。

あるいは「ダルマ」のような法則を知るための修行の体系を定めています。

こういう体系は人間の都合や状況によって変化しない不動のものです。

だから人間のほうから神や天に近づいていかなければなりません。

ところが日本人は、この思想の体系化がどうしても出来ないようです。

思想の壮大な体系というものに「作られた人工的な臭い」を感じ取って、拒絶反応を起こすように見えます。

最上のものは全て「自然に」存在すると考えているようです。

日本人が価値を認めるのは「自然な」ものです。

服装でもしぐさでも「飾らない、自然なもの」が評価され、対人関係も「自然体」が良いと考えられます。

自分も自然に存在する物の一つであり、外にあるものと基本的には同じ性質のものであると感じるのです。

この様な感覚を鋭敏に持っていたのが、鎌倉時代の明恵上人です。

彼は月の歌人として有名ですが、自然と自分が一体になるという心境を歌にした僧侶でした。

山の端にわれも入りなむ月も入れ 夜な夜なごとにまた友とせむ

故郷の海岸から見える島を懐かしんで、島に手紙を書いたこともありました。

この明恵上人は、人間は努力して生きていかなくてはならないと考え、同時代の法然上人や親鸞聖人の態度を批判しています。

仏に頼って努力しないで後生を願うだけの態度は良くないと考え、「あるべきようは」に沿って生きるように努力すべきだと主張しています。

この「あるべきようは」とは自然の中での自分の位置を悟ることで、自分の中にある仏性を感じることができればいるべき位置も分かってくるのです。

そして仏性を感じるには無欲にならなければなりません。

結局、人間は無欲になれば本来自分がいるべき位置が自然に分かってくるのです。

日本人であれば、明恵上人の「あるべきようは」という感覚が自分の中にもあることに気が付くと思います。

実際、この発想はその後も何人もの日本人が繰り返し唱えています。

僧侶は仏教の言葉で、儒者は漢語でこの「あるべきようは」を語っています。

一昔前の共産主義者は「マルクスレーニン言葉」で、最近の日本人は「民主主義言葉、人権言葉」で「あるべきようは」を語っています。

「無欲になって自然の中での自分の位置を知れ」といっても非常に漠然としています。

あまりに漠然としているのには日本人も困ったと見えて、これを外部から見て判断する方法を見つけ出しました。

「型」というものです。

この「型」を最初に説明したのは江戸時代の石田梅岩という学者ですが、彼は心学を興した非常に重要な思想家です。

自然は善であり、欲を捨てて自然の秩序に従って「本心どおりに生きる」のが良いと考えましたが、これは明恵上人の「あるべきようは」と同じです。

ここで梅岩は、自然には型があると考えました。

馬は草を食べるという「型」を備えていますから、誰に教わらなくても本能のままに草を食べるようになります。

蚊は自然に動物の血を吸う「型」を持っています。

このように自然に従って生きるとは、定められた「型」を守って生きるということです。

人間は働くという「型」を持っているのだから働けと梅岩は主張するのですが、この「型」に従うという発想は日本人の心に深く浸透しています。

「型」にはまっていれば自然、はまっていなければ不自然だとし、これがそのまま善悪の判断基準になります。

サラリーマンが背広とネクタイをしていないと「不自然」で悪いサラリーマンだということになります。

高校野球の選手は坊主頭でいるのが正しい「型」です。

日本人は、「型」にはまった「自然」な姿でいるか否かで相手の人物を判断します。

「型」にはまった姿をしていれば、彼は日本人の発想である「あるべきようは」を身につけているまともな日本人で、そうでなければ「不良」です。

学校が生徒の服装や髪型をうるさく「型」にはめようとするのも、「型」にはまったまともな日本人を作ろうと努力しているということなのです。

余談になりますが、この「型」を守るのが正しいという日本人の強固な思い込みによってどうにも納得できないことがそのまま続いているということがいくつもあります。

例えば雅楽がそうです。神社などで流れているあの恐ろしくスローテンポの曲です。

あの曲のリズムに乗って踊りだす素人はいないと思いますが、本来はダンス音楽です。

その証拠にあの曲に合わせて踊る巫女を神社の結婚式などでたまに見かけます。

源氏物語でも光源氏が「蘭陵王」を踊る場面がありますが、テンポのことは何も書いていません。

あれは奈良時代に支那から日本に輸入されたのですが、当初からあんなにテンポが遅かったのだろうかと疑問に思っていました。

実は元々ペルシャ人のダンス音楽だったのです。

7世紀にイスラム教徒がアラビアからペルシャに攻め込んだために大量の難民が発生し、支那に逃げ込んで来ました。

仕事を求めた若いペルシャ娘(胡姫)が酒場でペルシャダンスを踊ったのです。

これが大評判になり、「胡舞」というのが唐の都の新しい流行になりました。「胡」というのはペルシャを意味します。

李白は「少年行」という詩でこの人気ぶりを歌っています。

五陵の年少 金市の東 銀鞍白馬 春風をわたる
落花踏み尽くして 何れの処にか遊ぶ
笑って入る 胡姫の酒肆の中

胡舞は唐の宮廷でも舞われましたが、唐の皇帝の一族は北方騎馬民族の出身で支那の文化にはあまりこだわっていなかったのです。

後に反乱を起こした安禄山はペルシャ系の混血でしたが、玄宗皇帝の前でこの胡舞を踊って皇帝に取り入りました。

彼は恐ろしいほどの肥満体だったのですが、目にも留まらない速さで胡舞を舞い、玄宗に気に入られました。

この胡舞というのは非常にテンポの速いものだったのです。

これが遣唐使を通じて日本に輸入され、宮内庁の雅楽部で1300年間連綿と伝えられました。

そして長い間に10倍ぐらいに間延びしたものになってしまいました。

雅楽を初めて聴いた人はあのスローテンポぶりを何かおかしいと感じるはずです。

そういう思いを宮内庁の連中も持ったでしょうが、昔から伝わった「型」を尊ぶ頭脳ではそれ以上の疑いを持つことができなかったのでしょう。

「型」にこだわるあまり、「胡舞」の本来の楽しさは失われてしまいました。


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