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武蔵野航海記
ローマ史を読みました 5
NHKに「ようこそ先輩」という番組があります。
中年の男女が、母校の小学校で自分の技術を生徒に授業で教えるというものです。
あるときこの番組に能役者が出ていました。
能や歌舞伎の役者はほとんどが世襲で、素人がこの世界に足を踏み入れるのは容易なことではないようですが、この能役者も親譲りでした。
番組の中で能役者は、この職業が世襲でなければ勤まらない理由を諄々と説明していました。歩き方の伝承という問題です。
江戸時代までの日本人は、手を振らずに腰を低くしてすり足で歩いていました。
それが明治になってスウェーデン体操を基に小学校と軍隊で、今の両手を振って背筋を伸ばす歩き方に変えさせたのです。
椅子・テーブルとじゅうたんの生活に慣れ、両手を振って歩く素人では、室町時代の仕草が再現できないのです。
歌舞伎も同じで、素人は江戸時代の日本人の仕草が再現できないのです。
かぶき(歌舞伎)という言葉は、かぶく(傾く)から来たもので、標準から傾いている・普通の状態ではないことを指し、「型破り」という意味です。
室町時代から戦国時代にかけて伝統的な権威が否定され、下克上の世の中になりました。
伝統的な権威を打ち破り成り上がっていった武士たちはわざと昔からの「型」を破る姿勢を誇示しました。
戦国時代の武士たちは、今の日本人にはあまりに派手で気恥ずかしくなるような羽織を着ていました。
その中でも伊達藩は藩主の正宗自身がそういう傾向があったので、藩士の格好が非常に派手で「伊達者」と言われたのです。
これらの伝統的な「型」をわざと破る連中をかぶき者と称したのですが、その代表例が織田信長です。
わざと片腕を出した浴衣の背中には大きな男根の絵を描き、ひょうたんを腰にぶら下げて喜んでいました。
歌舞伎が出来た江戸時代初期はこういう「型破り」がはやっていたのです。
出雲阿国という女芸人が歌舞伎を始めたのですが、この伝統打破の発想で人気が出たのです。
「型破り」から始まった歌舞伎がいつの間にか伝統の「型」を墨守するものに変わっていったのです。
そして今では「型やぶり」という歌舞伎の当初の精神は失われています。
如何に日本人の「型」に対する執着が強いかが分かります。
日本の中学校・高等学校の女子生徒の制服は「セーラー服」ですが、セーラーとは海軍の水兵のことです。
確かにイギリスの水兵は、あの特徴のあるエリを持った制服を着ています。
何で海軍の兵士の戦闘服を少女が着るのか考えるだけでおかしいのですが、何故かそうなってしまったのです。
小学校に行く6歳児はランドセルを背負っています。
このランドセルというのは結構高いのでびっくりしました。
2万円ぐらいで高いのは5万円です。
親は他にも金を使わなければならないので、おじいちゃんおばあちゃんが孫にランドセルを買ってあげるというケースが多いようです。
このランドセルというのはもともと陸軍兵士の背嚢(行軍用かばん)です。
女子生徒のセーラー服といい、小学生のランドセルといい、よくも戦闘員の装備を学校に行く子供の身に着けさせたものです。
なんでこんなことになったのか私には分かりませんが、日本人のほとんども答えられないでしょう。
これは遥かな昔からの伝統ではなく、たかだか100年ぐらい前に出来た「型」です。
ところが理由が分からないままに。セーラー服・ランドセルという「型」を守るのが正しいと日本人は思い込んでいます。
「型」とはこういうもので、それが出来た当初はそれなりの理由があったのでしょうが、時間が経つとこれが忘れ去られ「型」だけが残ったのです。
親は子供にセーラー服を着せランドセルを背負わせるために無理をしますが、これをしないと子供が学校でいじめられるからです。
日本人のいじめの原因はひとつではないようですが、「皆と違う」「型にはまらない」者をいじめる傾向にあります。
「型」を守らないアウトローに対する仲間の制裁がいじめだという見方も可能です。
「型」にはめるというのは、日本人にとって非常に重大なことなのです。
キリスト教は万能の神が全てを創ったというところから出発し、「神の正義」というのが絶対的な判断基準です。
このキリスト教の信仰を守るために「信仰の自由」という権利を認め、これが何よりも大切だと考えました。
そしてこの「信仰の自由」を保障するための政治思想を考え出しました。
「リパブリック」や「デモクラシー」というものです。
このようにキリスト教では、「万能の神」「個人の信仰」「政治思想」が互いに関連して壮大な体系を作り上げています。
一方、日本では「無欲になって自然の中で自分のいるべき位置を知るのが正しい」という感覚があり、その感覚を外から見分ける方法として「型」を作り出しました。
日本人は「型」が正しいとその背景にある感覚も正しいと考えますから、「型」を非常に大事にします。
実は欧米から伝わった民主主義もこういう目で見ています。
素晴らしい価値観である民主主義は、「三権分立」とか「憲法」とか「人民の選挙による代議制」という「型」を持っていると考えるのです。
だから「型」さえ守れば、民主主義は達成できると考えるのです。
何が何でも現在の憲法という「型」を守ろうというのも、こういう発想からです。
逆にこういう「型」を持っていないのは全て「悪」と考えます。
戦争直前に、日本は政党を強制的に合併させて「大政翼賛会」を作り、国会を牛耳りました。
また軍人が首相以下主要な閣僚になり、議会が軍隊から独立しなければならないという「文民統治」でなくなったわけです。
つまり「民主主義」の「型」を破ったわけで、こうなるとこの「型破り」がやることは全て悪いことだったと決めつけるわけです。
そして、南京大虐殺とか従軍慰安婦問題とかありもしないことを、支那人や朝鮮人が騒ぐ前に日本人が大騒ぎして「反省」するわけです。
その一方で、原爆投下、都市の大空襲や捕虜のシベリヤ抑留、支那が日本と約束を守らなかったことなど敵国の犯罪行為については何も言いません。
約束を破ることや外国人の安全を守らないこと、非戦闘員たる市民を殺害し捕虜を虐待することは、どの価値観でも悪いことです。
その行為が正義に照らし合わせて正しいか否か判断するのではなく、「型」を破った者は悪党で、それに敵対した者は「正義の味方」だという発想からきたものです。
私は、今回ローマ史・キリスト教史をもう一度読み直し、日本を対比して考えることで日本人の発想が大分整理出来ました。
「自然の中で無欲に自分の本来いるべき位置を知る」という「あるべきようは」は非常に美しいものです。
自然や他人とのお互いの関係を正しく保つという感覚は自然や人に対して非常に優しいものです。
物や自然を自分のために利用しようという、自分を世界の中心に置いた傲慢なものではありません。
自然や他人に対する配慮を日本語では「思いやり」と表現していますが、この思いやりが日本を非常に良い国にしています。
思いやりはビジネスでは他人との協調という結果に現れ、日本の産業の近代化を推進した原動力になっています。
物に対する優しさは、技術への関心となって日本の製造業を支えています。
自然への愛情は公害対策を一生懸命にやるという努力に現れています。
周囲に対して責任を持つという態度は、国家・社会に対する責任感となって表れました。
幕末に志士が群がり出たのはこの責任感からです。
自然に対する優しさは、源氏物語や和歌という美しい文学を生み出しました。
しかし残念なのは、この「あるべきようは」という感覚を体系化するのを日本人が怠ったことです。
物や人間に対する態度は整理し体系化できるはずのものです。
友だちとの関係はこういうことであるべきだとか、牛や馬はこの様に扱うべきだとかいうことを言葉ではっきりとさせることです。
思想というのはこういう体系化を通して生まれてきたものです。
それをいつまでも論理化せず、その場その場に居あわせた人間の感覚に任せたために、非常に不安定なものになってしまいました。
同じような問題でも、その場に居合わせたメンバーとか雰囲気によって違う結論が出てしまうのです。
この様な不便を避けるために「型にはめる」という安易な方法を選んでしまいました。
何故高校生は髪を茶色に染めてはいけないのか、何故元旦にだけしか神社にお参りにいかないのか論理的に説明できないのです。
さらには何故仏教のお経は未だに誰にも理解できない漢語で読むのかも説明できません。
こういう論理化・体系化しないやり方は、大勢の人を言葉で説得することが出来ません。
日本の国という大きな集団を共通の言葉・価値観でまとめ上げることが出来ないのです。
体系化されていませんから論理的に話して結論を出すことが出来ず、お互いが感覚を共有するまでだらだらと話をして「納得」しなければ問題が解決されません。
日本人は家庭内暴力など、よく相手を説得せずに暴力で解決しようとしますが、これは論理的に自分の考えを説明できないということも原因になっているのではないかと私は考えています。
殴ることでしか、自分の「感覚」を相手に伝えられないのです。
「あるべきようは」という感覚を体系化しない弱点は明治になって一挙に噴出してきました。
開国して付き合うようになった相手は、「あるべきようは」や「型」などという発想はありません。
外国人は自分の正義を執拗に主張してきますが、この正義は体系化されているので非常に論理的です。
対する日本の「あるべきようは」は体系化されておらず未だに感覚的な状態に留まっていますから、説明がしどろもどろです。
「型」を守っているなどという説明で外国人が納得するわけがありません。
日本人はお互いに話し合って合意を得ようとしますが、外国人は対立する意見の相手と合意をしようとは思いません。
自分の正義・論理や力で相手をねじ伏せようとするだけです。
こういう相手と「合意」を得ようとして日本人は際限も無く譲歩を重ねることになります。
「あるべきようは」が体系化されていないために、日本人は国際競争で負け続けています。
この点に関しては、皆さんも日々見聞しているのでこれ以上の説明は不要と思います。
また、「あるべきようは」が体系化されていないために次世代に伝えるのが難しいという問題もあります。
論理的になっていないために教え方も非論理的になります。
日本の古典などを授業で教えることになりますが、これも感覚的な伝え方です。
その一方で学校は数学や物理など論理的な学問も教えます。
また「民主主義」も教えなければなりませんが、これらは全て理屈で成り立っています。
一方で論理・理屈に従えと言っておきながら、論理の無い「感覚」を教えなければならず非常に苦しい状態になっています。
論理で「あるべきようは」を教えることが出来ないため、それこそ服装などをうるさく規制して「型にはめる」伝統的やりかたを廃止することが出来ません。
これに対して「民主的」な教育を受けた生徒が反発するという悪循環になります。
日本では昔から「鉄拳制裁」という暴力で感覚を教え込む教育法がありますが、これは理屈ではない「感覚」を教え込むにはある程度有効な方法だと思います。
ところが学校で先生が生徒に暴力を振るうのは厳禁されていますから、この方法は使えません。
「あるべきようは」という日本人の伝統的な発想を伝えるのが難しくなっています。
体系化されておらず論理的でない「感覚」を教えるには、殴るという直接的な暴力がある程度効果を持ちます。
その一方、殴られた者はいつまでもこの恨みを忘れないという悪影響も当然あります。
戦前の日本軍はまさにこの典型でした。
日本軍も日本の組織ですから、「あるべきようは」という発想で成り立っています。
この軍隊内の感覚的な秩序を雑多な経歴を持つ若者に教え込むには、殴るというのが効果的だったというのは容易に推定できます。
今の日本の80歳以上の年寄りは皆、軍隊の「鉄拳制裁」を経験していて、これに対して抜きがたい恨みを持っています。
軍備を持たないというどうにも非論理的な考え方が日本で幅を利かせている原因の一つは、これにあると思います。
そしてこの老人たちの恨みが子や孫に伝わって、戦争を知らない世代も世界の情勢から見て非常識極まりない考えに賛同しています。
これと似たような問題は今でもあります。
学校で「民主的」論理的な教育を受けた者が卒業し会社に就職した途端に、戦前の軍隊と同質の経験をします。
新入社員教育というのは、企業という運命共同体の持つ価値観を新人に叩き込む教育です。
日本の企業も「あるべきようは」という発想で成り立っていますから、この感覚を持つことが大事です。
さすがに殴るということは無い様ですが、簡単に言えば「理屈は忘れろ」という教育をします。
以前も私のブログでこのことを書きましたが(どこで書いたか忘れてしまいました)、「まったく自分の体験と同じだ」というコメントがたくさんありました。
日本人でありながらアメリカの大学を卒業した者を、日本の学生に人気のある大企業は正社員にしません。
日本の「あるべきようは」という発想を会得していない者は、日本の企業では使いみちがないからです。
このように企業に入って「世の中は理屈ではない」ということを教え込まれた青年がやがて結婚すると、家庭で同じ問題が起きます。
夫の置かれた状況が分からない妻が多いですから、どうしても理屈で対抗します。
その結果、夫はいきなり食卓をひっくり返したり、殴ったりという非論理的な行動に出てしまうのです。
これは私の親戚の何軒かで現に起こっている問題です。
こういうスマートでない夫婦関係という形で日本の妻も「あるべきようは」が体系化されていないことの被害を受けているというのは、私の考えすぎでしょうか。
こんな両親を見て育った娘は、いつまでも結婚しないということになります。
「あるべきようは」が感覚的な段階に留まっていて体系化されていないために、大きな集団である日本人全体に共通する不動の正義になれないでいます。
大企業や官庁などの大きな運命共同体は自分たちの利益を日本全体より優先しますが、この独走を日本全体の正義で抑えることが出来ません。
日本の軍部というのも強力な運命共同体になっていて、戦争を続けることが自分たちの存在理由でしたから戦争を止めることが出来ませんでした。
その結果、日本が非常に悲惨な目に遭ってしまったのです。
現在の日本に強力な軍隊はありませんが、官庁など大きな力を持った運命共同体があります。
これらの運命共同体が、現在日本を蚕食しつつあることは皆さんもすでにお気づきだと思います。
明治維新以前の日本でも幕府や藩などという大きな運命共同体があり、自分たちの利益を最優先していました。
徳川将軍は大名たちに無駄金を使わせて大名たちを借金だらけにさせて幕府に反抗できないようにしました。
大名は大名で返済できるあてのない借金を繰り返しましたが、それでも日本は潰れませんでした。
それはこのとき日本が鎖国していて、外国との競争にさらされていなかったからです。
今の日本は世界に開かれていますから、日本が危ないと思ったら個人や企業が日本を見捨てるということも考えられます。
すでにそういう現象が起きています。
例えば、自分はまだ日本に住んでいても財産を海外に移すというのは、日本を逃げ出しているということで、私の知り合いにもこういうのが何人もいます。
「財産を失うかもしれないなどという贅沢な悩みを持ってみたい」という方々も、年金や健康保険の行く末は心配でしょう。
日本の弱体化に乗じて自国に有利に動こうとする外国も出てくるでしょう。
国際関係というのは非常に冷酷なもので、落ち目になった国を更にいじめる国はあっても、救ってくれる国はありません。
自分は良くても子や孫の心配はしなくてはなりません。
今の日本が直面している危機がどの程度の大きさなのかを正確に測ることは難しいです。
しかし、日本という国が色々な組織に蚕食されているという事実は否定できないと思います。
国家というのは、おかしな「民主主義」を信奉している日本人が考えているほど軽い存在ではありません。
自分たちが働いて生活を支え、子供を育てることが出来るのもまともな国が背後にあるからです。
その大事な国が苦しい状況になっているのは、「あるべきようは」という感覚が体系化されず、日本人に共通する正義になれないでいるからです。
時代の節目にくると他国から新しい思想を輸入して、体制を立て直すのが日本人は非常に好きです。
1300年前には支那から律令制度と仏教を輸入し、400年前に徳川幕府は儒教の一派である朱子学を輸入しました。
明治維新後、キリスト教を作り変えて天皇教を作り、戦後はアメリカ式の民主主義に鞍替えしました。
そしてこれらの輸入の価値観を正しく理解せず、日本式に大いに加工しています。
本場の価値観は動かない絶対的なものを基礎にした壮大な体系を持っているのですが、その本質的な部分を骨抜きにしてしまうのです。
相互に関連して体系化されたものをばらばらにして、その部品の一部を使って自分たちの分かり易いようにしてしまいます。
結局、体系をくずして感覚的な「あるべきようは」の新しいバージョンにしてしまうのです。
そして個々の部品を「型」と考え後生大事に守るわけです。
私はこういうことを繰り返しても意味がないと思うのです。
日本人が輸入品の「民主主義」をマスターするにしろ、自分たちの伝統的な「あるべきようは」を発展させるにしろ、大事なのは「体系化」です。
一つの価値観を体系化し論理的に整理する作業をしなければなりません。
日本人が価値観を体系化するかわりに考え出した安易な手法が「型」ですから、体系化するにはこの「型」から決別しなければなりません。
日本人に大きな不利益をもたらしてきた「型」を捨てて初めて次のステップに進めるのだと私は考えます。
これが、長い間日本というものを考え続けてきた私の結論です。
今回ローマ史を読み直してみたのも、私の感じたことを整理するためでした。
今、私は若い世代の日本人に「型」の問題の大きさとそれを捨てることが如何に大切かということを訴えて行きたいと考えています。
これはある意味では「教育」だと考えます。
そしてその第一歩として、この「型」に関する著作を出版しようと考えています。
「ローマ史を読みました」終わり。
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