令和7年11月 エッセイ集

令和7年11月 エッセイ集

2025.11.26
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カテゴリ: 日常と写真
​​​​​ ​高齢ともなると寿命の先が限られているので幸福感も絶望感もない。
そういうことにあくせくもせず、生きていることだけでも有難いと思うわけだ。

愉しみとはなんぞやと問われれば、これまでは子供の成長とか少し年月が経てば孫の成長を楽しみに過ごしてきた。
今は子供も見守る年齢ではなくなり、孫への期待もそれほどせず、という気持ちだ。

じゃあ、生きている心の糧はなあに?と自らに問えば、毎日が良ければいいのである。
もっと細かくいえば、目の前においしい食べ物があるとき幸福感を感じる。
身体上の症状があればそれが収まったとき幸せだなあと思ったリする。

私は足が弱いので遠いところへはもう行けなくなったので、花が好きでも高山植物を見には行けない。
毎日見ている写真サイトFlickrの投稿写真を見ても現実にその国には行けない。


今までネットで若い気持ちになって若い人たちとメールをしたり、好きだと思ったりしていることが過去の遺物となった。
会ってうれしいひともいない。
生き返って愛した人に会ったとしても相手は見るかげもない姿になっているだろう。 だから、サスペンスをみて生きるの死ぬのというくだらないストーリーをみて喜んでいるのだ。

本音をいえば、子供たちが傍に居て家族が仲良くしてくれれば、せめてもの慰みになるだろうけれどそうもいかない。かといってそのようにしてほしいと頼める立場ではない。

神様に幸せをお願いして、祈ろうとも今はそれほど思わない。
ただ良いことも悪いこともありのままに受けて静かに余生を生きる。これが現在の心境だ。





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Last updated  2025.11.26 22:09:55
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