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朝、新聞をいれなきゃと玄関のドアを開けてびっくり。
玄関先に 桜の花びらがちらほら・・・
ウチの近くに桜あったっけ?と 思いながら、桜の季節の終わりを感じた。
桜・・といって思い出すこと。それは とうしゃんの実家の庭に咲いていた桜・・・
とうしゃんの父親は 生涯で2件の家を持った。
一件目の家は、市街地の近く。便利は良かったが庭も狭く日当たりもあまりよくなかった・・らしい。
「最初は良かったんだけど、まわりにアパートやらマンションが次々建って、・・・あまり好きじゃなかったな、あの家。だって、親父はいっつも単身赴任で家にいなかったから どうでも良かったんだよ家なんか。その前の社宅もひどかったなぁ。」
と とうしゃんは いつも言っていた。
そして、わたしたちが結婚するちょっと前にその家を人に貸し、2件目の家を郊外に建てた。
庭も広く、いろんな木や花が季節を彩った。
新婚生活を横須賀でスタートさせたわたしたちだったが とうしゃんのUターンで故郷の九州に戻った。
両親とは別のところに
住まいを構えた為、とうしゃんの東京転勤が決まるまでの約9年間の週末は いつも両親のところに遊びに行っていた。
義父は、桜の季節が巡ってくるたびに 芝生の中央寄りに植えられた桜を指差しながら
「〇〇ちゃん、どうじゃ、見事じゃろう。」と ご満悦だった。
普通のいわゆるソメイヨシノとは違う、枝がわりと下のほうから分岐していて、「コレ、ほんとにサクラ?」と思わなくもなかったが、義父がサクラと言うからサクラなのだろう。
それはそれは見事な美しさだった。
でも、それはいつからか、怖さに変わった。
もともと桜というと、昔国語の教科書に載っていた梶井基次郎の『桜の樹の下には』の一説が浮かんでしょうがなかった。
「桜の樹の下には屍体が埋まっている !」っていう、アレ。
ゴリラ顔の基次郎さん(関係者いたら
m(_ _)m)と同じくらいのインパクトで、「そうか、桜の樹の下には・・・」って 思っちゃったんだなぁ。・・・単純。
それでもって、おじいちゃんご自慢のサクラは 年を追うごとに怪しく見事に咲く・・・どんどん大きくなって・・・・
屍体は その樹のイメージとして 男性のじゃない。女性。竹久夢二の描く美人画のような・・・ものすごい、妄想。
義弟もそれを感じてかどうかはわからないが
「親父、このサクラ切ろう!」と何度も言った。
けど おじいちゃん、首を縦に振らなかった。
我が娘までもが
「じいちゃんが あんなサクラ植えるから、ばあちゃんやおとうさんが病気になったんだ。」と言う始末。
まあ、この頃は、おじいちゃんが一番元気だった・・・
でもそのあと、おじいちゃんの病気、肺がんが発覚。
あれよあれよという間に 半年で逝ってしまった・・・・
不思議なことはそのあと。
あれほど何年も見事に咲き誇っていたじいちゃんのサクラが・・・・・枯れた・・・・・
娘たちの通う中学の近くに劇団〇〇の稽古場がある。そこのお向かいの敷地内にそれはそれは見事なサクラ並木がある。満開の時期にはライトアップされていた。
夜桜。それは この世のものとは思えない美女と すれちがった時みたいな妖しい美しさ・・・
サクラ きれい、うれしい、美しい、やさしい、はかない、悲しい、妖しい・・・
そして 怖い。
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