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日本から帰って来てはや1ヶ月以上が経ち、翌日から仕事に追われていたのですが、あれから1ヶ月ちょっとしか経っていないとは思えないほど、身辺にいろんな変化がありました。自分の事も他人の事も含めてですが、この年齢になって(というか、だからこそ)考えさせられる事が多く、残りの、先が見えて来た人生を、悔いのないように頑張ってやっていこうと思いました。その中で、ネット、というものに対し、自分がかなりの時間を割いていた事に気づき、ちょっとこの辺でネットとの付き合いを考えてみようと思います。わたしはミクシイの方にも書いていたので、馬鹿バカしい話ですが、それにもしばられて、苦痛を感じる時もありました。誰かが望んでいるわけでもない、自分のために書いているのが楽しかったのに、そういう気持をもうすでにあまり持てなくなっています。またそのうち「自分のために」何か記録を残したくなったら始めますが、とりあえず、ここらで終わりにしようと思います。リンクしてくださった、皆さんのところにも遊びに行きたいので、ここはそのまま残します。たぶん現実生活で人とつながっているミクシイの方はこれからも細々続けますので、もしお暇だったら遊びにきてください。私書箱にメールをいただけたら嬉しいです。この4年間、ここに書く事で、ずいぶん元気をもらいました。離婚してシングルになったことが、ネットを利用するようになったきっかけですが、離婚の事は私の中でだいぶ消化されました。ここでできたお友だち、励ましてくださったみなさん、とっても楽しかったです。いろいろ有り難うございました。またお会いできたら嬉しいです。2008年5月17日
2008.05.17
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この1ヶ月以上、放置状態でした。コメントくださった方、本当にもうしわけなかったです。ごめんなさい。いちおう続きです。 3月30日(日) 15歳の姪っ子はことし高校へ入学。 2年前に一人でアメリカに来てくれたので、そんなに印象は変わらないけれど、 13歳の甥っ子にはびっくり。 背が高くスラっとして声もお父さんにそっくり。 わりとだだをこねてた面影は消え失せ、 すっごく面白い、でもとってもいい中学生に変身。 すっかり私のお気に入りになってしまった。 午後、姪っ子の友だちの吹奏楽コンサートへ行く。 日本の教育ってほんとにすごい。 この中学は南関東大会で優勝したり、全国大会で入賞したり というから実力も相当なものだと思うんだけど、 それにしてもとても中学生のオーケストラとは思えない。 やっぱり部活の練習量も違う。 甥っ子の野球の部活は週に4日の朝練、週に5日の午後練、 週末の練習試合。これが1年とおして続くわけで、 日本の野球選手が体格のわりに通用するのはこの練習量なんだな、って痛感。 それでもやはり背の高い、どっしりしたアメリカ人並のカラダから、 投げられるボール、打たれるタマは威力があるんだそうです。(涙) 3月31日(月) 皆でサファリパークへ。あいにくの天気で、富士吉田を通る頃は雪。 サファリパークはうっすら霧がかかってたけど、 とりあえず、トラもライオンもクマもいた。猛獣見学をたのしむ。 お昼を食べて、私たちは三島の駅で降ろされる。 こどもたち念願の新幹線だ。 東京をぐるぐるしてた時に、ちょっとでも速い電車が通ると 「しんかんせん?」と聞いてきた次男。 そのたびに「ちがうよ」とあっさり振られてしまい、 忘れた頃に三島駅にサプライズで到着したのだ。 妹一家とは焼津で再び落ち合う事にして私たち3人は新幹線に乗った。 (っても二駅だけ、それもこだま) ホームにあがったとたんに、目の前を700系のカモノハシ顔の新幹線が 「ひゅん」というものすごい勢いで通り過ぎた。 さんざん「しんかんせん?」を連発してきた次男は、 いざ本物を目の前にして「いまのはなーに?」 あんまり速いので、あれが電車だとは思わなかったようだ。(笑) 夕方焼津グランドホテルに着く。 さて、ところで焼津グランドホテルはとっても良かった。 全室海に面していて、しかも私たちが泊まった部屋からは 海の向こうに富士山まで見えるという豪華版。 しかも手前には桜。 海・富士・桜の御三家を一望できるお部屋に泊まれるなんて。 ほんと、帰りの飛行機が墜落するんではないかと心配になった。 お食事もとってもおいしかったし、露天風呂も最高。 http://www.sn-hotels.com/ygh/ (恐らく冒頭に出て来るのは私たちが泊まった部屋だと思う。) 息子たちも温泉浴衣で温泉に入ると言う初めての経験をなんなくこなし、 「お風呂は楽しかった?」「うん。でもしょっぱかった」 というからにはどうやら肌でも舌でも味わって来たようだ。 4月1日(火) 懐石夕食に続き、バイキング朝食もとても豪華だった。 さつま揚げ、オムレツ、フレンチトーストなどは その場で焼いたり揚げたりしてくれる。 山盛りのフレンチトーストと一緒に鯵の干物を乗せて来た長男。 「ぼくはお魚好きだから」っておいしそうに魚を食べてた。 ホテルを出て淡島マリンパークに。 とてもしょぼい。(涙) 甥っ子「どの出し物もだんだんかわいそうになって来ちゃったよ」 それでも魚好きの長男は、ちっちゃい水族館を楽しんでいたようだ。 そのあとは苺狩り。 とっても甘くてやわらかかったんだけど。 なんか今回、日本の果物が全体においしく感じられなかったのは何故? すっごく甘いんだけど、なんか香りが薄いような感じ。 カリフォルニアで食べる果物の方が甘さはともかく、 もっと香りも味も自然に近い、鮮烈な感じがするのは、 こっちに慣れてしまったからかなあ。 夜は甲府にくりだして回転寿司に。 海に面してもいないのに、このへんは回転寿司が軒並み立っている。 東京で食べたときよりやすくて美味しかった。 競争が激化しているようでとても一皿100円とは思えない、 特別に注文するとお皿が新幹線でやって来るので 子供たちはすっごくよろこんでいた。
2008.05.17
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いやあ、今回の旅行はとっても楽しかった。先週の日曜日に帰って来たんだけど、強度の時差ぼけで昼間は半死状態。メールも仕事もたまっていくのになかなか手がつけられない。(泣)でも忘れないうちに日記かいておこう。・・・ということでやりたくない事(仕事)はどんどん後回しにするしょうもないさくさんでした。3月24日(月)成田到着。 実はこの日は長男の誕生日だった。はっぴーばーすでい12歳、長男。 空の上で迎えた誕生日。いい記念になるかも。 5年ぶりの帰国、5年ぶりに対面の妹と、お互いにひとまわりさらなる成長を遂げた事を確認しあう。(涙)3月25日(火)翌日は地元でのんびりし、 長男の希望どおり回転寿司でお昼。 ケーキを買って帰る。東京23区とはいえ、お荷物区といわれる田舎町なので、 英語をはなす兄弟に道行く人が固まる。3月26日(水)新宿に行き、都庁ビルの展望台へ。 何といっても無料というのが太っ腹。 ま、都民の皆さんの血税が使われているわけですが、 利用者の大半は都民ではないのでは?という感じで、 外国人をたくさん発見。(笑) 帰り道にドトールに寄って 「アメリカよりおいしいホットドッグだよ」 といいながら子供たちに食べさせた。 長男は2本半、次男は2本、私は1本半食べました。 お代わりを買いにいくのが恥ずかしかった。 3月27日(木)浅草仲見世をとおって花やしきへ。 去年までアメリカにいた長男のクラスメイトに久しぶりのご対面。 長男・次男はお友だちと遊べて嬉しかったようで、 親同士はどっかり座り込んでおしゃべりを。 花やしき、なかなかいいよね、気に入った。 謎の飾り物もたくさん。閉園時間までみっちり遊んで人形焼きを買って帰る。 3月28日(金)何故か子供たちの希望で 東京タワー>国会議事堂>最高裁判所>皇居・千鳥が淵 を回った。「日本のホワイトハウスが見たい」と言うので総理官邸前も連れて行った。(笑)まるではとバスツアーのようだ。 桜が満開の千鳥が淵は最高にきれい。 歩き疲れたのでパフェをおごってやったらその後ずっと「アレを食わせろ」とうるさい。 3月29日(土)高校時代の友人ととしまえんへ。 彼女が無料券を持っていたので、 それで一日遊ばせてもらったのだ。 ここでも子供たちはひたすら乗り物へ。 母は友人と5年ぶりのおしゃべり。 その日、としまえんではコスプレ大会があったようで、豪華なコスプレに身を包んだ若者たち数百人があちこちでポーズを決めて写真を撮りあっていて、なんとなく哀れを誘う光景だった。(涙)ここでも桜が満開でもうおなかいっぱい。そして新宿へ行き、高速バスで一路山梨へ。
2008.04.11
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来週からいよいよ日本なんだけど、アメリカと2週間おさらばだから今のうちにアメリカごはんでも食べておくか、なんて全然思わない私は、この週末もまた全部アジアご飯大炸裂、だった。木曜日にお仕事中のランチでパッタイを食べ、金曜日のお昼はお友だちと飲茶を食べた。この回って来るおばちゃんがなんだか妙な人で、「これが食べたいんじゃない?あんたたち」と勝手にせいろを何度も置いていく。「ちょ、ちょっと待って。これ、いらないよー!」と呼び止めると、「そうかい?おいしいのにねー」とブツブツ。しかも途中で、減ってもいない醤油を3回も取り替えに来たり。謎。ま、おいしかったんだけど。で、金曜の夜はいつもの友人宅で肉じゃがといんげんのごま和え、揚げ出し豆腐を作って食べた。土曜日の夜は、kanavistaちゃんとひゅーじょんたぱすのGOCHIへ。ええ、食べましたとも、食べましたとも。お刺身さらだに揚げ物に焼き物にガンガン注文して、ここは何を食べても美味しいんだ。最後は「おこげの中華あんかけ」で締め、デザートの「抹茶クリームブリュレ」を唸りながらいただきました。お腹いっぱいなのに、あっという間に食べてしまった。その後はドーナツやさんに場所を移しひたすらおしゃべりに専念。おいしい食事と楽しいおしゃべりはやっぱり最高ですね。日曜日は子供たちがいなかったので、日本スーパーへ買い出しにいき、面倒くさいので弁当でも買って帰るか、と思い、目についたのが「ビビンパ弁当」これをほんのすこーしゴマ油をたらしたフライパンでじっくり火を通すと、石焼ビビンパもどきの出来上がり。子供もいないし、友だちから大量に借り出した、日本のドラマを見ながらお食事。(至福)こうして、こうして、どんどん大きくなる私。やっぱりしばらくはアメリカンなお食事にしようかなあ。そうすれば食べ過ぎないですむから・・・(涙)
2008.03.18
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私がアメリカに来たのは1992年の暮れだ。それから多少の出入りはあっても、移住してまるまる15年ということになる。恐ろしい。実に日本にいた年数の約半分なのだ。アメリカに来たばかりの頃、在米年数の長い日本人の方々にお会いする機会がよくあった。彼等はれっきとした日本人だ。日系人ではない。日系人なら許される日本語の間違いも、日本で成人してこちらに来た人たちの変な日本語に対してはあまり寛大にはなれなかったものだ。おかしいぞ、あんたたちの日本語。・・・などと失礼にも友人たちとよくつぶやいていたものだ。それらの日本語は微妙に間違っていたり、使用感が違ってたり、単語が今時使わないようなものだったり。「この壁はねー、塗り直したばかりだから、まだなまあたらしいよ。」「あら、かわいいね。この子は混血なのね。」「泣かないよー、お母さんが今、乳をくれるよー。」「あの人はほら、支那人だから。」「Youは豆腐が好き?」ってこんな感じの軽い間違いが多いんだけど、いや間違いとも言えないものもあるんだけど、今、日本では聞かない日本語だぞって。なのにここ最近、わたしの回りでも「あ、えもんかけ、取って」「乳母車、持っていった方がいいかなあ」などと今時聞かない単語が飛び交ったり、「うん、いいよー、アイドンマインドだよー」「グラスにウォーターを1杯ちょうだい」「ちょっと、ピアノをプラクティスしてから、プレイしなさい」などと本人は全然気がついていないうちに動詞や名詞のかなりの部分に英語が交じってたりする。妹に言わせると、私の日本語もそうとう怪しいそうだ。でもこっちの友だちには「えー?さくちゃんのジャパニーズなんかぜーんぜんノープロブレムだよー」と言ってもらったりするのだが、判定する奴らの日本語が相当怪しいわけで、私としては妹の説の方が正しいような気がしてしまう。再来週から、子連れで2週間、日本に帰る私。なんと5年ぶりの日本である。1泊2日の温泉旅行を妹と企んでいるのだ。妹「じゃあ、お姉ちゃんは東京駅から新幹線で行って、沼津辺りで落ち合おう。お母さんは(母は足が悪い)エレベーターじゃないと辛いから、東京駅で駅員さんにどこにあるか聞いた方がいいよ。」私「そうか・・・あ、でも東京駅くらいだったらたぶん英語通じるよね。」妹「・・・・・・英語? なんで?」・・・・・・・???・・・・・・・私「あー、そうかー、私日本人なんだから、英語必要ないじゃーん。あーっはっはっはー。」妹「おねえちゃん、ほんと大丈夫?沼津まで行ける?」妹と話しているうちに外国旅行をするような錯覚に陥ってしまったのだ。なーんか、日本人としての自分に少しずつ自信を失いかけて来てしまった。こうやって外国暮らしが長くなればなるほど、「ちょっとへんな日本人度」というのは高まっていくのかもしれないなあ。(涙)
2008.03.13
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トシを取って来るとよく、「最近ホント忘れっぽくってさああ」「人の名前とか思い出せないよね」とかそういう馬鹿自慢で盛り上がっちゃったりするのだけど、最近の私、ほんとーにほんとーにヤバイかも。ゆうべ母親に電話した。というか3回目でやっとかかったのだ。何故かというと、突然実家の電話番号を忘れちゃったから。何しろ実家を出るまで30年も慣れ親しんだ電話番号なんだから、指もちゃんと覚えてるし、自分の誕生日と同じくらい忘れる事のないはずの番号なのに。忘れてるし。(涙)小さい女の子が出て「あ、XXさんのお宅ですか」と聞いたら「ちがいまーす」と可愛い声で言われちゃったし。次にかけてみた番号はぶっきらぼうな爺さんがでて「違いますよ」ああ、私はいったいどこに迷い込んじゃったの?????で、3回目にやっと母の懐かしい声が。「電話番号わかんなくなった?やだねえ、この子は」私だってやだよー@@で母と話しているうちに、先月亡くなったおばさんの話になり、「えっと、それで福島のおばさんは元気なの?」「・・・・・あんた。今そのおばさんが亡くなったって話をしたんでしょ」あ・・・・そうか!!そうだった。「だいじょうぶなの?」79歳の老婆に心配されちゃうし。(涙)いや、大丈夫じゃないんです、ほんと。毎朝起きるたびに「今日は何曜日?今日は何する日?」ってしばらく思い出せないし。仕事をネットでしていると、うっかり遊んじゃってで、もともと何をしてたのかすぐにわからなくなっちゃうし。冷蔵庫を開けたとたんに、何を取り出すのか忘れてしまう、なんてしょっちゅうだし。車の鍵は毎日どこに行ったか探してるし。この間は自分の住所の郵便番号がとっさに思い出せないし。ほんと、どうしよう。このまま脳細胞破壊?ああ、こわい、こわすぎる。体力は人一倍あるので、いつまでも元気よく働けるな、とのんきに思ってたけど、どうも脳みそが塩をかけたなめくじのように、シュルシュル溶けてる感じだ。何とかしなくちゃ、何とか。ああ。
2008.03.08
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えーと、去年完成した紙芝居のイラストがやっと印刷もあがり無事出版された。やいやいやい、あんだけせっつかれて描き上げたっーのに3ヶ月もなんでかかったんだよう、という愚痴はおいといて。まあ、やっぱりこうして現物を目にすると嬉しいですわよ。思えば「絵かきになろう」と決意した年中さんの夏から数十年。皆がチューリップをたのしく描いてた横で「柿の木のある田舎の夕暮れ」を一心不乱に描いて母を気味悪がらせた幼稚園時代。ヒマさえあれば、家にあった仏像の写真集を一生懸命スケッチしていた小学生時代。覚えたての「イラストレーター」という言葉に憧れ、漫画ばっかり読んでいた中学生時代。どうでもよくなってロックバンドに染まってた高校時代。なんだかよくわからないが、それでもデザイン関係の学校へ行き、紆余曲折はありながらもグラフィックデザイナーという職につき、かれこれ二十年以上も経過した今(げげげ・涙)最近はお絵描きなんかもお仕事の一部になって「あーそういえばこれは幼稚園の頃の夢だったなあ」と気がついた。で、今回は紙芝居第2弾ですが、ほとんど同じイラストで本にもなる予定。やっぱり正直言うと本になるのは嬉しい。ただ何というか・・・矛盾するようだけど、今回は描いててもとても楽しかったんだけど、うーん、印刷物っていうのは、そのー、あがってしまうと見たくないもんですね。ま、前置きが長くなりましたが。とってもマイナーに売ってるので、お目にかかる事はあまりないかもしれませんが、万が一見かけたら、買って。(爆)目指せ、印税所得者。では一部だけお目よごし。
2008.02.28
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もう何年前になるのか、私自身どーでもよくなってきちゃったので、もう最近は忘れかけているけれど、元夫と別居したばかりの頃、夕飯の時間がとても嫌だった。子供と3人だけで囲む食卓がものすごく寂しかったのだ。昼間は元気なのにこの時間になるとウツ状態になった。それでも子供たちと一緒のときは無理矢理頑張って支度をしてたと思う。それでもたまにベビーシッターのYちゃんにごはんだけ来てもらったり、お友だちに誘ってもらったりするとほっとしつつ、毎日をやり過ごした。なにしろ家に帰って3人でごはんを食べるのを避けたくてもまだ子供も小さかったし、そうそう外へ食事にも行けなかったし。そんな頃、長男が友だちにピアノを教えてもらうことになった。ちょうど初めてのレッスンが夕方にさしかかったので、「ついでに夕飯食べてく?」とのお誘いに遠慮もせずにとびついた。次の週も、またごちそうになった。仲の良い友人夫婦だったし、子供たち同士も友だちだし、なにより家で3人で食べなくていいので嬉しかった。そしてさらにその翌週は「ごちそうになってばかりだから、今夜は私が作るね」と言って、私の方から持ちかけた。いつの間にかそれが何となく習慣になって、週に1回の夕食会(兼ピアノのレッスン)は日常化し、かれこれ5年が経とうとしている。このことはもう何回かここにも書いているのだけど、この友人夫婦とのつきあいはもう家族のようなものだ。一緒に旅行に行ったり、キャンプをしたり、留守宅を預かったり。この5年間で、私は失った元亭主のかわりに新しい家族を手に入れたような気すらしてくる。もうこの数年は、子供たちと3人で食事を食べても別に寂しくも何ともないし、それはそれで気楽なんだけど、でもやっぱり毎週金曜の友人家族との夕飯が1週でもスキップしてしまうとなんだかその週末は物足りなく感じてしまう。今、その友人夫婦はふたりともパート学生をしてるんだけど、今週から4週間、友人妻の方が月~金の間、研修でいなくなる。で、友人夫のクラスの都合で月曜日だけ子供を預かるんだけど、きのうはまだまだ風邪であまり調子が良くなかったけどまあとにかく来てもらったわけだ。で、ついでに夕飯も簡単に用意して、友人夫が迎えに来た時に、いつもとは違い、私の家で、友人妻抜きで5人でごはんを食べたんだけど、やっぱり一人欠けるとなんとなく寂しいものだ。(笑)おはしをせっせと動かしながら、「はやくEが帰ってくるといいねー」「そうだねー、取りあえず金曜日には帰って来るよ」「じゃあ、金曜日はお鍋にでもしようか」なんていう会話のやり取りが、平凡なホームドラマみたいで、ふと一人で笑ってしまったんだけど、こんな時「ああ、私にはこの人たちがいるから再婚なんかしなくていいや」なんて思っちゃったりして。する気もするアテもないんだけどね。なんで、ここにこんな事をダラダラ書いているのかと言うと、たとえばいろんなそれぞれの理由から、子供とだけの食卓が暗く寂しいものに思えるような人がいたとしたら、ぜひとも同じような境遇の家族や、もしくは親しい友人などを呼んだり訪ねたりして、食卓を賑やかにすることを試してみたらどうかな、と思ったわけ。もちろん気疲れしてしまうようならかえって逆効果なんだけどね。私の場合は、この人たちのおかげで、ずいぶん離婚生活がラクなものになったから。会話が弾んで、笑いながらごはんを食べる事の楽しさを失わずにすんでいる。もうひとり、やっぱりシングルママの友だちがいて、定期的にでこそないけれど、子供たち同士も友だちで、やっぱり一緒にでかけたりごはんを食べたり、預けたり預かったりする事がこの数年多くなったんだけど、彼女の子供がある日泊まりに来た時、ぽつんと言った。「君たちはさ、もちろん友だちなんだけど、なんていうかさ、もっと家族みたいな感じなんだ。」一人っ子の彼がそういうのを聞いて、なんか嬉しくて涙が出た。海外に出て家族と離れ、結婚して子供ができて。でもその結婚がこわれてしまって、今更日本にももどれなくて。そんなケースは幾らでもあると思う。自分の家族もいない、心細い状態で子供を育てていく。もちろん経済的にもいろいろと大変なんだけど、精神的に、非常にさみしい、たよりない気持でいる人、たくさんいるんじゃないのかな、と思う。そんな時、同じ境遇の仲間を求めたり、人に甘えたりするのって決していけない事じゃないと思うよ。自力で立ち上がって一人でやっていくのも素敵だけど、ちょっと回りに甘えて自分を取り戻すってことも決して悪くない。いつのまにかそんな友だちに支えられて、自分も一回り以上大きく強くなっている事に気がつく場合もあると思うから。ま、私の場合、いろんな意味で大きく強くなっちゃいましたけど。(泣)
2008.02.27
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これは去年決意した事なのだが、これからは忙しいだのなんだのつべこべ言わずに、できるだけ子供たちと一緒に旅行にいったりキャンプに行ったりしよう、と。一昨年はキャンプに数回行っただけで、バケーションもろくに取らなかったからだ。で、去年は、ヨセミテにも行ったし、シャスタ経由でオレゴンにも行ったし、ラフティングも2回したし、キャンプもいっぱいした。(前年比)上等だ。今年はすでにスキーに行ったし、春休みは日本にも行く予定。5月にはたぶんヨセミテもまた行くし、夏もキャンプをたくさんしたい。8月末にはまたシャスタで1週間ほどすごそうかな、なんて。金はあるのか?もちろんないですけど、いいの。シャスタのキャンプ場はタダだし。で、今週は学校が一週間休みなのだが、仕事はそれなりに後半に詰まっているので、前半に2泊3日の旅に出た。・・・っても近場だけど。日曜の午後出て、楽天友のkanavistaちゃんを訪問。アンティークの家具が似合う、スペイン風のとっても素敵なおうちだ。この日は一泊させていただいて、翌日は思い切り遊ぶ。彼女のお子さんたちが、うちの息子たちと同じくらいの年で、やはり興味の対象も似ているせいか、仲良く遊んでもらった。親の方は・・・お茶飲んでおしゃべり。夕飯食べながら、おしゃべり。子供たちが遊んでいるのを見ながら、おしゃべりし、子供が寝たあとも、2時までおしゃべり。仕事の話、家族の話、学校や子供の話、いやあ、たのしかったです。お食事もとってもおいしかった、ごちそうさまでした。翌日は、水族館に行き、その後は海岸に行き、シメは子供たちが大好きな公園で暗くなるまで遊んだ。で、彼等に泣く泣く別れを告げ、まるごと食品で寿司を仕入れ、一路、南にむかう。彼女の助言で海岸線の道を走らず、内陸から向かったのだが、これは大正解。翌日、海岸線の道を北上したのだが、崖沿いの道もたくさんあって、死ぬかと思った。夜に通らなくて本当に良かった。(涙)GPSでモーテルを見つける。電話をかけてみると、とってもリーズナブルなお値段なので、即決。これも大正解だった。きれいだし広いし、ジャクージタブなのでゆったりお風呂に入れたし。前日にもちょうど話していたのだが、どうもBest Western系はなかなかいいような気がするけど、どうでしょう。朝ごはんも良かったし、高級ハーブティまでついていた。で、テレビに見入ってる子供たちを追い立てて、内陸から海岸方面に向かう。最初にTourist Informationに向かう。これははずせない。行き当たりばったりの旅を成功させるコツ。なにしろ情報の宝庫だし、いろんなパンフがおいてある。それに、こういうところにはたいていおばちゃま、おばあちゃまがヒマそうに座ってたりしているので、ドアを開けたとたんに、「やっと来たわね」という笑顔で迎えてくれる。たいていは必要以上に親切だ。そこで有益な情報を聞き出し、いくつかパンフをもらい、「引き潮満ち潮カレンダー」ももらってきた。岩場オタクの息子を持つ母の私には貴重な品だ。で、最初の目的地である、「ゾウアザラシ海岸」へ。kanavistaちゃんのブログで見て、ぜひ行きたいと思ったところなのだ。目の前にはゾウアザラシがうじゃうじゃ。でかい。臭い。大迫力だ。しばらくすると匂いにも慣れる。繁殖期らしく、ちっちゃな(っても大きいけど)赤ちゃんがたくさん。より固まってくるくる回ってたり、必死でおかあさんのおっぱいに吸い付いちゃってたり。かわいい。でも中には死んでる子も数頭いて、父親なのか、一頭のオスが傍らによりそっていたのが、涙ものだった。それでもカモメが死臭にさそわれ、肉をついばみに来る。そんな横で、繁殖のための活動をはじめちゃったカップルもいて、大勢の見物客に苦笑いされながらも、真剣に行為に取り組んでいた。(赤面)なんというか、生と死の壮大なドラマっていうんですか。(大げさ)その後は、途中でお昼を食べ、海岸線を北上したのだが、途中は霧雨と、濃い霧におそわれ、海で遊ぶどころではなくなってしまった。でも幻想的な霧の中のドライブもよかったけどね。最後は、晴れ間も出たところで、モントレーの隣町、カーメルの海岸まで戻り、ちょうど引き潮の時間にもなったので、息子たちと1時間ばかり岩場を散策。 かに、イソギンチャク、ひとで、うに、その他わけのわからない気味の悪い生物を堪能して、砂浜をゆっくり歩いて車に戻る。「ママ、この旅行に連れてきてあげてありがとう。」いまだに「あげるもらうくれる」の使い分けができない長男だが言いたい事はよくわかった。そうなんだよ。何故できるだけ旅行に行こうって決意したかって言うとね、お母さんにはキミとの時間はあまり残されていないって感じたからなんだよ。長男はもうすぐ12歳。あと数年もしたら、親との旅行なんて嫌がるだろう。巣立って結婚でもしたら、ますますそんなチャンスはないだろうし。今のうちにたくさん思い出を作っておきたいのだ。こうやって楽しんでくれるうちにできるだけたくさん。いちばん楽しんだのは、たぶん私だけどね。(笑)
2008.02.22
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早いもので長男が今の学校に入学してから7回目のバレンタインデーがやって来た。まいとしまいとしまいとしカード作り。毎年同じクラスで同じ顔ぶれなので、別に誰も気にしちゃいないとは思うけど、それでも子供の記憶力というのは案外侮れない。というわけで、毎年カードの作り方を微妙に変える。学校では手作りのカードが奨励されていて、いわゆる市販の簡易カードを持って来る子はいない。それでもただ色紙に相手の名前と自分の名前だけ殴り書き、というような乱暴なのはやっぱり男の子に多い。ちまちまといろんなものを貼付けてかわいく小細工をするのは女の子に多いような気がする。キャンディやシールなどはいちおう禁止されているのだが、「うっかり」持って来ちゃう子がいたりして、その日のヒーローになってしまう。(笑)うちの息子どもも、ご多分にもれず、面倒な事は嫌い。何しろ長男は18枚、次男は23枚のカードを用意するのだ。長男は赤い紙を4つにおり、レインボーカラーの折り紙をハートの形に切り抜いたものを表紙に貼付け、中に相手と自分の名前、そして「Happy Valentine's Day」と書いただけ。次男はなぜか手裏剣を皆に作り、封筒に色鉛筆でハートを描いて、友だちの名前をハートの中に書き、手裏剣を入れていた。おかしかったのは次男は女の子は好きじゃない、女の子の事なんか名前もろくに知らない、などと豪語してたくせに、「あ、イザベラはピンクと紫が好きだからこれにしよう。」「エマは馬が大好きなんだよ。この茶色とオレンジのがいいな。」「アレキサンドラもピンクが好きだよ。」よく知ってるなあ。「ジョナサンは?どの色が好き?」「知らない」お前・・・女の子の好きな色は知ってても、男の子のは知らないのか??日頃言ってる事とやってる事がずいぶん違うじゃないか。まあ、そんな感じで慎重に女の子の手裏剣選びはすすみ、男の子のはあっというまに適当に選んで終わってしまった。で、次男のクラスは毎年お茶会をするんだけれども。これがね、なかなか楽しみ。子供たちが歌を歌い、次男はピアノで伴奏をする。なのに、私ったら今年時間をちょっとばかり間違えて終わった頃行ってしまったのだ。(涙)他のお母さんたちが次男の演奏を口々に褒めてくれたが、あとで次男に言わせると「ほとんどコンスタントにつっかえた」そうだ。ほら、みなさん、やさしいから。で、チョコレートケーキ、チョコレートムース、ごまのクラッカー、クッキー、サンドイッチなど、色とりどりのごちそうが。中には「砂糖いれてないじゃん」くらい甘くないクッキーもあり、正直なものでそれは最後までいっぱい残ってた。(笑)長男のクラスは子供たちだけでお茶会をやったそうで、何人かボランティアの親が持って来たケーキやスナックを食べたそうだ。今年交換して来たカードはこちら。長男のカード。次男のカード。(端っこの手裏剣は次男作)こうやって並べてみると、やっぱりきれいだし、手作りのカードって言うのは暖かみがあっていいよね。次男の机にすわってお茶を飲んでいた私のところに、子供たちがニコニコしてカードを配りに来る。中にはいちいち私にどうやってこのカードを作ったのか、くわしく説明してくれる子もいた。そんな顔を見ていると、「みんないい子たちだなあ」と思う。で、私が子供たちからもらったプレゼントはこれ。元夫の差し金です。新妻の教育が行き届いているようで。(笑)あ、それから今夜、次男のカブスカウトがあって、その間教会の駐車場に車を停めてたら、なんと1時間後には車が、たくさんのピンクや赤のハート、キャンディなどで飾られていた。それも私の車だけ。教会の女の子たちの仕業らしいけど、1台だけランダムに選ばれた<犠牲車>が私の車だった。今年はなんかいいことあるかなあ。(笑)
2008.02.15
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この前の金曜日はルナカレンダーのお正月だった。アメリカではチャイニーズニューイヤーで通っているけれど、ベトナムだのチベットだのでも新年を祝うのだ。このお祝いはこれから2週間続くらしい。で、金曜日はいつも友人のところでご飯を一緒に食べるのだが、この家族はチャイニーズアメリカンなので、正統的に餃子を作って食べようということになった。いつものニラ入り日本風餃子はやめて、もうちょっと中華風。ターキーのひき肉(これは豚肉の方が一般的)、レンコン、干し椎茸、豆腐、青ネギ、白菜、生姜をこまかーく刻み、塩こしょう、ごま油で味付けして、本来は皮も作るのだけど、面倒くさいので省略して市販品を使った。ほかには、チキンと野菜の中華風スープやチャウファン、そしてデザートに小豆入りのもち粉ケーキを作ってお祝い。いつも作る餃子がついワンパターンになりがちなので、このレンコン入りの餃子がとーっても新鮮で美味しく感じた。日本だと、餃子はご飯のおかず、って感じでたいていの家庭はご飯を炊いて一緒に食べると思うんだけど、中国だと餃子は主食になるみたいで、スープや他のおかずと一緒に食べるみたい。でも私としては、やっぱりお醤油をつけた焼きたての餃子をついついご飯と一緒に食べたくなっちゃうんだけどねー。ところで私は人様にあまり自慢できるものを持ち合わせてないんだけど。みっつだけ、自慢しちゃえるモノがあるのだ。1. 体力と持久力。2. 方向感覚。初めての土地でも滅多に迷わない。 昼間なら特に東西南北を体が知っているというケモノなみの感覚がある。3. 餃子包み。 これは高校生の時に2年間も中華屋さんで修行したので(笑) 早いし、きれい。みんなが感嘆してくれる。ええ、これだけです。ま、そういうわけで、友人Eは私のいない時には餃子を作りたくない、とまで言ってくれるわけだ。人間、たとえどんなに小さな事でも人樣から頼りにされるとはりきっちゃうわけで。大きな鍋にたくさんの中味を作ってせっせと包む。ところで、日本の餃子騒動は一段落したのだろうか。家の冷凍庫に中国製の餃子があるんだけど。これは日本向けに作られたものではないし、アメリカでは騒動が起きてないから大丈夫なはずだけど。なんとなく、手を付けていない。
2008.02.11
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最近、剣道の稽古がしんどくなってきた。トシだし。私の回りはほとんどが10代から20代の若者と子供。勢いとほとばしる生命力と熱気に溢れる中で、ちょっとずつひからびて枯れていく一方のこんなおばさんが、必死で必死で健気についていっているのだ。もう、すぐに息が上がっちゃうし。いつか心臓マヒおこしそうで心配。この間なんて、袴に足の指引っ掛けて転んじゃうし。で、まわりの若者に本気で心配されちゃうし。笑ってくれよ、そういう時は。頼むから。で、今日なんかですよ。先生に竹刀で叩かれちゃったんですよ、あたくし。お尻を。ばしんと。竹刀で。2回も。(涙)いやあ、このトシになって、他人様から尻を竹刀で叩かれるとは思いませんでしたね。年齢と体型のわりに持久力はある方だと思うんだけど、そんなに運動神経のいい方ではないから、そうそう教えてもらった通りにはできないわけだ。今日なんか、「胴ッ!!」って、間違えて、号令お兄さん(いつも準備運動で号令をかけるお兄さん)の脇の下 思い切り打っちゃったし。すごく痛そうだった号令お兄さん。ごめんなさい。しくしく大体もともとは息子たちが始めた時に、次男がまだ年齢的に若すぎるから、「お母さんもいっしょならいいよ」ってことでじゃあエクササイズがわりにって始めただけなのに。気がついたら防具一式買ってるし。毎週帰りの運転はフラフラですけど。ああ。・・・なんかつらい。
2008.02.06
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友達に誘われて、レイクタホにスキーに行ってきた。私は雪道を運転したことがないので、今回はお友達の車に乗せてもらった。行ったスキー場はこんなところ。でもこんな絶景が楽しめるのは上級者か死にたいヤツだけ。実はスキー場に来たのは15年ぶり。やっぱり同じレイクタホで、まだ長男が生まれる前の話だ。日本にいた時はお付き合いで、年に2-3回くらいスキーに行ったりもしたけれど、実はただの一度も心からスキーを楽しいと思ったことがない。さむいし。さむいし。さむいし。かおがいたいし。すべるし。私は「滑る」と言うのがすごく怖くて、滑って転ぶのはもちろん嫌だし、スキーもスケートも得意じゃないのだ。あとはリフト。高所恐怖症のケがあるのでリフトに乗るのがすんごく怖い。地に足が付いていないととっても嫌なのに、あんなちゃちい乗り物で、しかも地上何十メートルの上空を、このわが身が運ばれて行くという事にどうしても慣れないのだ。だからちょっと滑るとすぐ「お茶休憩」をしていた私は回数はこなしていても当然のことながら全然上手じゃない。で、金曜日はそり遊びをして子供と戯れたから、土曜日は一日子供たちをスキー教室に突っ込んで、私は、なんと、ホテルに帰った。で、ヒマなので、仕事を。ちょうどお友達のあみちゃんも仕事すると言うので、二人でホテルまでとぼとぼ歩いて帰ったのだ。何しにここまで来たんだかよー。午後はお教室が終わる4時よりもちょっと早めの3時ごろゲレンデに着いた。あ、次男発見。最近は地味な色のウエアが主流なので、次男の派手な黄色のジャケットはけっこう目立つ。おお、うまいじゃないか、次男よ。(親ばか入ってますんで、話半分で)いいぞ、すごいぞ、次男。とてもスキーを初めて履いた子供とは思えない。ちょっと遅れて長男も降りてくる。・・・・・・・・。ボーゲンはいいんだけど、何故そんなに足を開く。股が裂けそうではないか、長男よ。でも、偉い。君なりに頑張って降りて来たね。子供って。覚えるの早いのねーやっぱり。ところで土曜日の夕方から日曜の朝にかけて大雪が降った。朝おきたら、一面の銀世界。私の部屋は駐車場に面しているのだが、車の姿は影も形もなく、いや形はあるのだが、すべてすっぽりと雪に覆われていた。それでも何とか雪かきをし、そのうちに除雪車も入り、通行止めだったフリーウエイも開通して、無事帰宅。なんどもなんどもなんどもなんどもなんども子供たちに聞かれる。「ママ、次はいつ行く?」楽しかったのは良かったけど、知ってるー?スキーってね、ものすごーくお金かかるんですよー。今回の2泊3日の旅行でね、支度もいれて、家賃の半月分です。しかも私はやってないんですよ。次は・・・・いつかなあ。(遠い目)
2008.02.03
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この1年くらい、長男にまたアトピーが出ている。この1年と言えばちょうどギニーピッグの「まんご」を正式に養子縁組に迎えたあたり。うちのまんご(かわいい?)去年の夏、長男が1週間この家を離れて元夫実家に行った時、アトピーがすごく良くなってたし。いつもまんごを抱いている腕の内側が一番ひどいし。ちょっと怪しい。(涙)とにかくまあ、病院に連れて行こうとは思うんだけど。で、今日ミミちゃんのママと話した。ちなみにミミちゃん(3歳)はまんご(2歳)のガールフレンド。この1年ほど、プラトニックな交際が続いている。本人たちはけっこうその気まんまんなんだけど、ほら、すぐ結果に結びついてしまう体質だから。「なんかさあ、長男のアトピーがなかなか良くならなくて。腕だけじゃなく、脇の下とか脚とか広がって来たんだよね。で、もしかしてまんごが原因じゃないかなって気もするんだけど。」「それは可愛そうね。でももしまんごのせいだったら、手放すしかないんじゃないの?やっぱり健康が第一だしね。」・・・それしかないのかなあ、やっぱり。「ほら、学校行っている間に、誰かにあげちゃうとかして。で、長男くんにはまんごが死んじゃったんだよーって言うとか。で、かわりにカメ買って来たよとか。」カメ?うーん。それはちょっと思いも寄らない方向だったな。「まあカメは別としてもね、やっぱり長男くんの健康を考えるとさ、ペットを買い続けるというのは無理があるわけよ。アトピーは馬鹿にできないからね。」そうなんですよね。うーん。うん。なんか悲しい。懲りずに別の友だちにも相談してみた。彼女はファミリードクターなので、そういうシチュエーションも経験しているかもしれない。「うーん、そうねえ。難しいわね。喘息だったら、命に関わるから手放しなさいって言うな。アトピーだったら、状況次第よね。まあ、できるだけ接触をしないという事で様子を見るかも。」そうか。(安堵)というわけで、1) まずはアレルギー検査で白黒をはっきりつける2) まんご犯人説が確定した場合、接触を制限する3) 週に1-2度はまんごを洗う。(まんごには悪夢)4) 長男がどうしてもまんごと濃厚に接触したいときは、レインコートを着せる。取りあえず、これで様子をみるのだ。何といってもね、健康は大事なんですけど、心の健康も大事な気もするし。今週末はタホに行くので、まんごとは3日間のお別れ。えさやりはベビーシッターのYちゃんに頼んでいる。私もたぶん相当アタッチしてるんだよねえ、まんごに。(涙)
2008.01.30
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長男は1年前から、次男は半年前からバイオリンを習っている。長男が始めたのは10歳半、次男は8歳ということで、スズキメソードのお教室ではそうとう遅い方だ。別に個人で習うのに早い遅いはないと思うけれど、長男などはかなりの長身なので、グループレッスンでは目立つ。特にまだまだ初心者クラスだと、身の丈半分くらいの子供たちに混ざって弾いているので本人もちょっと身の置き所がないような気がするみたいだ。「あーどうせならもうちょっと早く始めさせてやれば良かったかな」などともつい、思ってしまう。この間の土曜日、グラデュエーション・コンサートというのがあった。それぞれの段階でいろんな「卒業」があって、そのパスした曲を皆の前で披露し、免状をもらうのだ。いわゆるリサイタルではないから、皆一緒に弾く。上の方になって一緒の子がいなければ、一人で弾く事もある。うちのみたいな初心者は、まだまだそこまで到達しない。<その他大勢>で参加する段階だ。知り合いの子の中には、スズキメソードで始めて、上級になって他のメソードに移ってしまう人も多い。いろいろな考えがあると思うんだけど、そのうち物足りなくなるのだろうか、とも思った。うちは、ピアノもやっているし、バイオリンも楽しんでほしい、という程度なので、(というか学校で、4年生、5年生は習う事を奨励されている)先生を変えることも多分ないだろうし、本人が嫌がらない限りそのまま細々と続けていくとは思うけれど、なんたってほら、お金かかりますから。(涙)私は楽器にも全然詳しくないし、バイオリンもスズキメソードしか知らないんだけど、ものすごくオーガナイズされた練習法だなと感じる。そのぶん、画一的に感じられてしまう人も多いのかもしれない。何しろ皆が皆、同じ道を通っていくわけだし、一人で弾くリサイタルなんて(たぶん)ないわけだから、中にはそういうことがモチベーションになる子もいるしね。あとある人が言ってたのは「スズキは嫌なのよ。親同士がグループで会うと、お宅は今、ブックのどこ?とか探りあったりするのよね」と言っていたが、これに関しては???だけれどね。まあうちの子は大きいのに、うんと小さい子に混じってやっているから、最初からそういう相手にされてないかもしれないけど。(涙)私自身は他を知らないので何とも言えないけど、私自身はシンプルでわかりやすくてけっこう好きだ。それに「どの子も育つ。育て方ひとつ」という理念がとっても明確で、音楽そのものじゃなくて音楽を通して子供を育てていこうという考え方がいいなあと思った。だから初級から中級の子にはとってもいいんじゃないかな。そのあとはたぶん、本人次第だよね。上級だって決して悪くはないと思うけれど。コンサートでいろんな子の演奏を聴きながらみんな上手だなあと思った。皆で一緒に弾くから緊張感も少なくてすむかもしれない。最後になって皆で演奏する時間になった。長男も次男もこのへんからが出番なのだ。(もっとも今回次男はカブスカウトの用事があって不参加)進み具合によって途中からどんどん子供が参加していく。だんだん下に降りていって、最後は「キラキラ星」の大合奏。これはスズキメソードのテーマともいえるんだけど、小さな3歳くらいの子から、高校生くらいの子まで、大勢の子供たちが一緒に弾いて、親が「キラキラ星」を歌っている。そんなのを見ていたら、ずっと前に一人の日本人の演奏家が始めたメソードが、こんな海の向こうまでひろがって、こんなに大勢の子供たちを育てているんだなあって、ちょっと感動して涙が出た。
2008.01.29
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子供が生まれる前は単純なもので、ちゃんと子供に日本語で話しかけてさえいればバイリンガルになるものだと信じ込んでいた。甘かったですねー。キンダーに入るまではそれでもちゃんと日本語を話してた子供たち。あれよあれよという間に英語の子供になってしまった。今、彼等は日本語はざっと理解しているようだけど、長男はあまり、次男はほぼまったく話せなくなってしまった。それでも長男は基本のセンスが身に付いている気がする。長男が3歳から6歳までの3年間、有志のお母さんたちで集まって、毎週土曜日の午前中、9時から12時までの3時間、場所を借りて幼児教室をやっていた。サークルタイムで手遊び唄から始まって、ひらがなのお教室>クラフト>おやつ>唄とお遊戯>ストーリータイム、と息もつかせぬ3時間。お母さんたちが交代で先生をやり、月に一回は親だけで夜集まって、食事をしながらミーティング。ほんとうに皆よく頑張ったなあと思う。集まっていたお母さんたちもすごくいい人たちで、3年間もめたことなんか一度もなかった。8人のうち2人をのぞいて専業主婦だったけど働いているだのいないだの、時間があるだのないだの、そういう事で他の人を煩わすような人もいないし皆お互いに対して思いやりもあった。長男に日本語のセンスが身に付いているのもあの教室のおかげだったと思う。悲しい事に次男が3歳になった頃は皆学齢期になってしまって解散する事になったので、次男はそのお教室の記憶はほとんどないのだが。この次の週末はそのお母さんたちと新年会。去年久しぶりに皆で集まって、異常に盛り上がったのでこれからも毎年集まろうという事になった。今は8人中6人が働いていて、なかなかスケジュールも合わないけど、これだけは都合を付けて集まろうとしている。また思い出話、近況報告、子供の話などで楽しい時間を過ごせるだろうと思う。
2008.01.21
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息子が生まれた約12年前には、もうすでに右脳教育という言葉は存在していたと思うけれど、私は胎教にも早期教育にも本当に興味がなかったので、どういうものであるかはよくわからない。妊娠中は、後半「妊娠糖尿病」と診断され、毎日のエクササイズ、三度の食事の管理と食事日記、カロリー計算に、食後の血糖値検査、食前のインシュリンの注射、週1回の医者通い、とものすごく忙しい妊娠ライフだったので、子供が無事に生まれる事しか頭になかった。生まれて来た子は本当にかわいくて、とてもニコニコする赤ん坊だったので、こっちもニコニコしているうちに幼児期を迎えた。初めての子供が多少「あれ?」と思っても、比較対象がないので、変に思う親は少ないだろうけれど、それにしても「この子はちょっと変っているな」と思わされる子だった。一つの事に集中しだすと、飽きずにそれを、本当に何時間も繰り返す。川に連れて行けば、石を川に投げ入れるという単純作業を1時間半も繰り返し、電車模型のコンベンションに連れて行けば、くるくる回る電車を眺め、外に出そうとすれば大声で泣き、結局7時間もいたことがある。海辺の水族館の子供コーナーで積み木を同じ形の穴に入れる作業をだまってもくもくと繰り返し、他の子が来るたびに譲らせ、他の子が去るとまたもくもくと・・・1時間以上もへばりついていた。すべては1歳半の頃の出来事だ。初めての子ではあったけど、同じ時期に子供を生んだ友だちが何人かいて、よく行動を共にしていたから、長男の集中力の長さは、すごいなーを通り越してちょっと不安でもあった。(育児書に言わせると、この年齢の集中力の限度は長くて10-15分)今思えばその頃に長男はひとりで勝手に右脳を鍛えていたのだろう。(笑)3歳頃になって、やっぱりちょっと変だなと思ったのは、おしゃべりが遅いのと、運動能力がいまいちなのと、集団で行動する中にはなかなか入っていけない事だった。自閉症も疑われたし、そう思われても仕方のない行動をとっていた。でもパズルなどをやらせると、ぱぱぱっとやってしまう。妙な記憶力に優れているなと思ったのもこの頃だ。結局普通のプリスクールではなかなかテンポがあわなくてシュタイナー教育の幼児教室に連れて行き、そのままその関係のキンダーガーテンに進む事になった。キンダーでの長男の行動を見た先生がセラピストを紹介してくれた。前にもこれは書いたと思うけれど、その時に言われたのは「感覚統合障害」と「Central Auditory Processing Disorder」。自閉症の子供たちが多く併せ持つ、五感の感覚がきちんと脳に伝わらない障害だ。長男はまた、右脳がものすごく発達しており、反して左脳が眠っていてその二つの脳のコミュニケーションもまたうまく行ってないと言う事だった。それからはオン・オフでいろいろなセラピーをするようになり、キンダーにももう1年いくことになった。2年生くらいから、大仏のようにおしだまっていた長男がずいぶんおしゃべりになって来て、なんか「普通の子供」になってきた。もともと体は大きくて実年齢よりいつも2-3歳大きく見えるのに、実際の発達年齢は実年齢よりも幼い、というすごくチグハグな子供だったのが、ずいぶんカラダとアタマがお互いに歩み寄った気がする。音楽やアートには優れているし、手先が器用で手芸も得意。暗算や、ぱっと見たときの計算などは得意な方だと思うけれど、論理的にじっくり考えるのが苦手で、文章なども拙い。体を動かす方はまるでダメで手足の動きがバラバラだ。今週からはムーブメントセラピーが始まる。それに先駆けて、またいろいろ先生と話をした。長男は食事と生活習慣を総合指導するドクターに診察してもらう事をすすめられた。長男は脳神経の伝達がスムーズにいってない子供にありがちの行動パターンらしいが、それを改善するのに役に立つそうだ。なぜこんな事を長々書いているかと言うと、私はこの息子に膨大な金と時間を費やしている。(笑)一度普通の医者に相談したら、ひとこと「リタリンを試せ」。息子はADDでもADHDでもない、というと、「そうだけど、どういう作用を及ぼすかわからないんだから試してみたら」これってやっぱり今の主流なのかなと思ったら哀しくなったが、薬を絶対に使おうとせず、時間をかけて元の問題を何とかしようとする学校で息子は本当に良かったと思う。そんなことを繰り返すうちに、いわゆる「右脳教育のすすめ」というのは一つ間違えると危険なんじゃないかなあ、と思った。幼児や赤ん坊のうちにどちらの脳が優れている子供なのか、そんなことはなかなか判断できない。だけど、もともとバランスが悪い子供に、その発達している方の脳をより鍛えようとするのはとてもアブナい事なんじゃないかと。長男は自分のアンバランスさに気がついているし、それで苦しんでいた部分もあると思う。子供はそれぞれ個性的で当たり前。優れている部分とそうでない部分はおのおの違うのだ。だけどそれをわざわざアンバランスな子供にする必要はないのじゃないだろうか。なぜ「右脳」ばかりがもてはやされるのか。「天才」とか「芸術家」とか「創造的」とか響きのいい言葉に踊らされてないか。長男は確かに「芸術肌」だとは思うけど、「天才」では決してない。むしろ、学力面ではやや遅れている方だ思う。今、3-4年前に超個性的で、できることとできないことの差が恐ろしくハッキリしていた長男は、セラピーやなんかのおかげでどんどんバランスのいい、普通の子供になって来ている気がする。それをつまらない、と感じる人もいるかもしれないけれども、少なくとも本人はそれでしあわせそうな感じがする。とっても安定して来ているのが感じられる。「どんな子供にしたいか」ではなくて「どんな子供になるか」それを親はゆっくり見守っていき、必要があれば、手を差し伸べて助けてあげる、それでいいんじゃないかなと思う。
2008.01.18
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最近、あるタレントさんが子供に思い切りよく英語名をつけた、ということで、ネット上で「イタい名前」が再考されている。その名前自体は英語圏にはよくある名前で、響き的には私は嫌いではないけれど、確かに日本人として日本で生まれて、しかも美しい名前がたくさんあるというのに、何も英語名をつけなくてもなあ、という思いもなきにしもあらず。でもいろんな思いを込めてつけられた名前なのだろうから、他人がとやかく言うのは余計なお世話だろう。とはいえ、やっぱり限度というものがあるよね。いくら何でもそれはあんまりじゃないか、という名前が相変わらず増えているという。日本にいる妹の回りにも、聞くとつい身をよじってしまうような名前がたくさん。いったいどういう思いを込めてそんな超個性的な名前をつけたのだ。子供に一生ついて回るものだということを、本気で考えたのだろうか。いえね、大方の名前はオッケーだと思うんですけどね。ほら、ここにでてるようなやつ?ほんとにこれってネタじゃないんでしょうか。(涙)(あっでも吾郎とか賢一郎は何が悪いのかわからないぞ)昔読んだ記事で、それは少年鑑別所の職員が書いた本を紹介してた記事かなんかだったけど、その人が言うには「あきれるような変わった名前の子供が多かった」と言う。同じ頃、英国の「ものすごく変ったスペルの名前の子に、手がつけられないような困った子供が多い」という記事を見つけた。変った名前そのものが悪いんじゃないだろうけれど、「どうにかしてうちの子供を目立たせたい」「個性的に、誰からも羨ましがられるような格好いい名前に」「世界でたった一つだけの変わった名前に」などという子供の将来のため、というよりはむしろ親の自己顕示欲に左右されている部分が大きいんじゃないのかな。そんな姿勢が子育て全般に影響するのかなって気もする。だいたい子供は嬉しくないと思うよ、そんなものすごく変った名前は。苛められたり、からかわれたりもするし。息子たちが生まれた時に名前を考えるのには悩みまくった。もちろん意味のある名前にしたいと思った。ただ響きがいいというだけじゃなくて。ファーストネームは英語、ミドルネームは日本語、というのはもうすでに元夫と話し合って決めていたのだ。子供はアメリカで育つのでそれに異論はなかったけど、日本の家族にも比較的呼びやすい英語名にはしたかった。長男のときも次男のときも顔を見てから決めたかったので生まれてから何日もかかり、病院から「早くしろ」と催促が来たほどだ。どちらの名前も比較的平凡な名前だ。スペルも普通。日本語名も特に変った名前ではないけれど、漢字の意味を大切にしたかった私は、長男の日本語名に私たちの宗教上、大切な意味を持つ漢字を当てた。奇しくも当時人気だった男性タレントの名前の一字と重なり、しかもぜんぜん意識していなかったのに、次男の名前の一字はその同じ人のもうひとつの漢字をいただいてしまったのだ。(別に彼からいただいたわけではありませんがね、画数上の問題で)というわけで二人の日本語名を並べて言うと、まるで私がその人のファンのように思われてしまって哀しいのだが、それにしても自分の好きな俳優やタレントと同じ名前にするって、そんな馬鹿はこの世にいるのか?(ちなみに私はほんの一瞬でも彼のファンになったことはありません)もっとも二人とも、日本語名はミドルネームなので普段あまり意識してはいないようだけど。ただ親の欲目かもしれないけれど、その当てた漢字の意味のようにそれぞれ育っている部分が二人ともなきにしもあらずで、そう考えると名前というのは親が思っている以上に大切なものかもしれないなあと思う。貧乏でも金持ちでもどんな環境に置いても、親が子供にあげる事のできる、一番大切な、一番最初のおくりもの。それだけに軽々しくふざけた名前、つけちゃいけないよねえ。あ、よーく熟考の上でだったらすみません。
2008.01.16
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最近トシとったせいか、やたらと昔のことばかり、ふと気がつくと物思いにふけてしまう。先日も具合が悪くて、子供たちはアフターケアに行ってもらい、子供のクラスのお母さんにドロップオフしてもらって私はちょっと昼過ぎから横になって寝ていたんだけど。3時頃、ふと目が覚めた。夢を見ていたのか、なんか自分が今寝ている状況がわからない。何時なのか、どこなのか、誰かいるのかいないのか。目の前の白い壁を見ていたら、実家を思い出した。豆腐屋さんのラッパの音が聞こえて来るような気がした。酒屋さんの配達の音が聞こえて来るような気がした。はっと我に返ったら、ものすごくホームシックに陥った。今、長男は11歳だ。父が亡くなった年、私は11歳だった。一番下の弟は8歳だった。次男が今8歳だ。だから今の子供たちを残して逝ってしまうようなものなのだ。家は団地で、とてもせまかった。お風呂もついていなかったので銭湯だった。(今は改築されてお風呂もついている)母は働きに出てたから、いわゆる鍵っ子だった。家に電話もなかったし、生活保護も受けていたから貧乏だった。今、家の広さはあの頃とそれほど変らないかもしれないけれど、まあ、せまいけどお庭もあるし、ガレージもついてるし、何より車ももってるし(てか、無しじゃ生活できないし)電話もコンピューターもネットもあるし(笑)、私は働いてはいるけれど、子供は鍵っ子ではないし。なんだ、うちの子、ずいぶん恵まれているなあ。私の母の作る食事はそれほど豪華ではなかった。もっともどこの家も似たり寄ったりの時代だし、特にうちは母子家庭だったし。夕飯がふかしたジャガイモだった晩もある。それが実はすごくおいしかったのだけど。月に2-3回の楽しみはお約束のカレー。日曜日の朝のお楽しみはトーストと目玉焼きとコーヒー。(それ以外の朝ごはんは和風)母はあまり料理の好きな人ではなかったし、わりとワンパターンだったけど、特に不満に思ったりした覚えはない。今、うちの子供たちは好物がでるとを大喜びし、好きじゃないものが出ると、文句は言わないが、なんとなく静かに食べている。あんな感じだったんだろう。子供って案外不満は言わないものなんだよね。(笑)それでも大違いなのは外食の頻度。私は高校生になるまで、ほとんど外食というものをした記憶がない。それこそ年に1-2度あるかないか、じゃなかったろうか。うちの子供たちはしょっちゅうだ。月に1-2度はあるかもしれない。ランチも入れたらもっとあるかも。私が働いているのは言い訳にならない。母だって働いていたのだから。しかも私は毎日じゃない。週に1-2回は子供たちは元夫と食べるのだから。で、何かとりとめがないけれど、私は子供の頃不幸だったのか。全然そんな事はない。子供心に「こうだったらな、ああだったらな」と夢想していた事はたくさんあるけれど、やりたいこともたくさんやったし、妹弟もいたし母もいた。毎日外でたくさん遊んでいたし、近所の友だちもいっぱいいた。ご飯もたくさん食べて、本や漫画もたくさん読んで。それなりに幸せな子供時代だったんじゃないかな。息子たちが大きくなって子供時代を思い返す時、どんな事を思い出すのだろう。いやいや食べさせられたごぼうやれんこんか。こたつに肩までもぐって本を読みふけった事か。母親に毎日ガミガミおこられていたことか。家の周囲1ブロック限定で自転車を乗り回した事か。それとも金魚やギニアピッグの「まんご」のことか。願わくば「それなりに幸せだったのかも」と思ってほしい。「すっごく」でもなく「全然」でもなく「それなり」で。
2008.01.15
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何度か日記にも書いているが、私はアメリカの都市部にはびこる人気スーパー、Trader Joe'sが大好きだ。安いし。イイモノおいてあるし。そこそこ安全だし。そこそこオーガニックも多いし。店員さんも感じいいし。だからうちの家族のカラダはほとんどココの食品で構成されていると過言ではない。クリスマスプレゼントにはココの商品券を4枚もいただいた。どれだけ日頃私がこの店に傾倒しているか世間様によくわかっていただいて嬉しいような恥ずかしいような。実はこの4-5日、私はカラダの調子が大変悪かった。クリスマスから正月にかけての暴飲暴食がたたったせいか、1月8日、すなわち私の誕生日の晩あたりから床に伏した。胃痛腹痛頭痛筋肉痛関節痛発熱嘔吐感下痢とまあ、嫌なものが祟りのように一気にやってきてしまったのだ。こんな時にも働く母である私は、口を開けて待っているひな鳥たちに餌を与えねばならない。やつらはもう実際そんなに小さなかわいいひな鳥でもなく、声変わりは始まっちゃうし何かムサイし。(ああ嫌だ)これがしつけの行き届いた家庭であったら、夕飯の一品や二品は作れる年齢であるのだけれど、まだまだのんびりと教育中の段階であるので、「メシをたのむ」などとひとこと言って寝ているわけにもいかない。あれはどこ、これはどうするの、つぎはなにするのなどといちいちうるさく私を煩わせるに決まっている。で、Trader Joe's(しつこい?)ここの出来合いチキンラザニアは安くておいしい。オーブンに突っ込むだけ。それに温野菜レディゴーを袋から鍋に明けて茹でるだけ。しかもそのくらいなら奴らにもできる。これで一晩はクリアだ。次の晩は一緒に買い求めたピザドウにこれまた一緒に買った瓶詰めのピザソース、チーズを振りハムを刻み缶詰のパインを散らし、息子ら好物のハワイアンピッザ。これだってほとんど息子たちに制作を任せられる。ビタミン補給にみかんをたくさん与え、二晩目も無事クリア。そしてかなり回復の兆しを見せた今夜は特製コーンチャウダー。ふふふ、これもほとんど調理なし。もうすでに刻んである「タマネギセロリにんじんMix」が大活躍。もちろんこんなもの普段だったら割高で買わないが、こんな時にはなんて気の効くありがたいMixだろうと感心してしまう。それをサッと炒め、パック入りの「Squash Cream Soup」と冷凍コーン、クリームコーンの缶詰を入れ、牛乳を加える。こんな実だくさんのスープにはパンとチーズがあれば良い。そして驚く事にこれらすべてどんなに手を抜いたとしても一食当たり7ドルほどでできてしまう。下手なテイクアウトより安上がり。(喜)まあ、自分だけだったら何もしなくてすんだんだけどねー。(実際この3日間、私はおかゆとビタミンウォーターとみかんで生きて来た)子供がいるとそうもいかない。(涙)昔私が「わたしの大好きなJoeが作ったチーズケーキ」と言ったのを聞いた長男が、勘違いして焦っていたことがあるが、彼さえいてくれれば私の生活は豊かにうるおう。なんと心強い味方がいてくれたものだろう。ありがとう、Trader Joe's(キラキラ)あ、ところで私べつに広告料はもらってませんけど。くれるんなら拒みませんから。
2008.01.12
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前にも書いたかもしれないけど、私は最近白髪染めにヘナを愛用している。白髪を魅力的に見せている人もいるしそれが似合っている人もいるけれど、私の場合は老け婆に成り下がるだけだ。ヘナはいい。なんたって安いし。普通の髪染めが10ドル前後するのにヘナは一箱2-3ドル。しかもそれで3回くらい染められる。ヨーグルトやレモン、インスタントコーヒーなどを混ぜ入れて、ほんの少し色を調整する。不思議な事に髪の色によってか、色も人によって仕上がりが違う。私の友人は黒いまま、白髪部分が紅くなる。別の友人は均等にオレンジっぽい感じ。私の場合、黒かったところは茶色に、白髪の部分がオレンジがかった明るい茶色に。そしてけっこう長持ちするのだ。今は2-3ヶ月に1回くらい染めているけれど、トリートメント効果があるというだけあって、髪はしっとりつややかになる。そして何より嬉しいのはかなり増えた白髪が、そのままヘアマニキュアのような効用をもたらしてくれるのだ。30になったばかりの頃から悩まされて来たこの白髪。最近はけっこう気に入っているのだ。
2008.01.08
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今日は1月3日。もうお正月気分なんてどこにも残っていない。幸い仕事は来週からなのでのんびりできるけど、2日から仕事のメールも電話もはいって来る。アメリカではクリスマスや大晦日は盛り上がるけど、元旦は2日からの仕事に備えてのんびりする日。特に何をするわけでもないのだ。幸いな事に、私には日本人の親戚がいて、彼女がいつもおせちやお雑煮を作り、一緒に元日を祝う。私も彼女の作らない料理を作って参加している。私の作るのは簡単にできる伊達巻きやきんとん、いり鶏など。でも今年はベビーシッターのYちゃんが、バイト先のレストランからおせちをおすそわけしてくれて、お重に詰めてみたら超豪華。やっぱりおせちはアートだよねー。(自己満足)そして親戚宅ではもっと豪華におせちやお寿司、お雑煮その他いろいろと。息子たちもおせちそのものはそれほど好きではないようだけど、もともと目がいやしいので嬉しそうにあちこちつついていた。こんなふうにおせちを持ち寄るとすごく華やかでいいかもね。残り物をいろいろいただいてお重に詰め直していると豪華感も倍増だ。にわか金持ちになったような気分で家に帰る。翌日、2日は「もちっこ」で製作した餅とおせちをもって友人宅へ。お雑煮を作ってもらい、おせちをつっついておしゃべり三昧。お昼から夜の8時までお邪魔して子供たちもいっぱい遊ばせてもらった。やっぱり日本人が集まるとお正月気分になってちょっとしあわせ。2日から仕事をしないですんで良かった。今日はもう私自身正月気分も抜けて、子供たちを父親宅に送り届け、仕事を再開。といっても自宅で2時間ほど仕事をして終わり。これから洗濯をしながらDVDを見る予定。なんかこれで3が日も終わりだと思うと気も抜けるけど、ま、もともとアメリカには3が日なんて概念もないし、街はもうとっくに平常通りだし、なんかこういう感じにだんだん慣れて来てしまって、こうして私は似非日本人としてここで暮らしていくのかもしれないなあ。
2008.01.04
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9月から今まで全然更新しませんでした。忙しかった、というのは一つの言い訳で、何だかこういうブログを続けるのも気が重くなってしまい、旅行記、なんて言っておいて途中で投げ出し状態になってしまったり。で、ますます足が遠のいてしまいました。こんな放置状態の日記でも見に来てくださった方ありがとう。そしてコメントや励ましのメールをくださった方も本当に感謝しています。たぶん、この先も細々と続けていくと思います。今年もあとわずかですね。皆さんにとってはどんな年だったのでしょうか。私にとっては毎日が余裕なく過ぎ、充実感を味わったり、イライラして叫びだしたくなったりの平和で静かな生活とはほど遠い毎日でした。31日まで仕事には振り回されそうですが、来年は何とか、少しずつ向上したいと思います。皆様にとって、明るい楽しい1年でありますよう、心からお祈り申し上げます。そして来年もどうかよろしくお願いいたします。
2007.12.30
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先週1週間、バケーションを取って旅行に行って来た。これはその時の記録。8月27日(日)午後出発。州都の義兄宅に立ち寄る。この日は義姉の父親の誕生日で、みんなで料理を持ち寄ってお祝いした。子供達はこのおじいちゃんに木刀の作り方を教えてもらってご機嫌。この日は義兄宅に泊めてもらう。8月28日(月)最初の目的地、シャスタ山はここから車で3時間の距離なのでらくちん。シャスタ山のふもとの町で、 レンジャーオフィスに寄り、 おすすめのキャンプ場を教えてもらう。 結局シャスタ山の向かい側にある山の、 Castle Lakeというキャンプ場に寄ってみる。 サイトが6つしかないし予約もできないので 早い者勝ち。シーズン中なら難しいけど、 今日なら空いているかも、との言葉を頼りに 行ってみると2つ空いていた。ラッキー。 湖からも近く、針葉樹の木立の中の 静かな、きれいなキャンプサイト。 車も停められて、横には小川が流れ、 テーブルもトイレもある。 水はないけど、こんな素敵なサイトが無料って。(感涙) 湖で少し遊んでキャンプに戻り、 パスタとサラダ、ソーセージの夕飯。 この日は折しも月食だったので、夜中に起きてしばらく眺めた。8月29日(火)シャスタ山は確かにとても神秘的で美しい山だ。でも必要以上に神聖視されてて、 ヒーリングパワーだのチャネリングだの、 ちょっと疑問。どこの山でも自然の中なら ヒーリングパワーはあると思うけど。 インディアンの聖地っていうのも、あっちこちにあるんだけどね。(苦笑)でも確かにすてきなところなので、逆に気軽に楽しめばいいんじゃないかとう気もする。 午前中はシャスタ山まで車で登った。ほんのちょっとのハイキング。 午後はCastle Lakeに戻り、スイミングを楽しむ。 子供たちは岩から岩へ夢中になって泳ぎ、 私は木陰に座ってのんびりできた。 夕飯は簡単にブリトーを作る。 背後に誰かの気配を感じたので振り向くと、鹿。 ぎゃっと声を上げそうになったが、 子供たちもあまりにも近くに鹿がいるので驚いていた。 8月30日(水)シャスタ山から一路北へ向かってオレゴンへ。ひたすら森の中を抜けて最初の目的地、Lava River Caveへ。ここは3年前にも来たが、 あまりの寒さと暗さに入り口付近で断念したので、 今回はちゃんとセーターを着てランタンを借りて ひんやりと暗い洞窟の中に降りていく。 最初はかなりの傾斜で結構怖い。 あまりの暗さに次男、泣きが入り、他のグループに頼み込んで一緒に行って貰う。 ひたすら歩くこと30分。 ほとんど洞窟の長いトンネルの最後まで行けたのだが、 最後はハイハイしないといけないようなところ。 私は断念したけど、長男はチャレンジし、次男は私に張り付いていた。 この日はモーテルで。プールもあるし、朝ごはんもついている。キャンプもいいけど、シャワーがないのでやはり間にモーテル泊は入れておきたい。
2007.09.06
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・・・などと書いてしまったけれど、別に今、人付き合いで悩んでいるわけではない。最近ある友人が友だちと絶交状態になってしまった。それなりに怒り傷ついているのを見て、人付き合いというのは一つ間違えると大変だなあと思った。私はたぶん、人の好き嫌いはそれほど激しい方ではないと思う。たぶん過去にすごく嫌いになった人って、嫌な上司とかも含めて4-5人じゃないかな。ま、忘れちゃっている事も多いかもしれないけど。(笑)それが多いか少ないかは別として、けっこう人の話を聞いていると、友人だった人と絶交状態になることがあるらしい。私は・・・ひとりだけいるけど。でも友人ともいえない関係だったし、あまりにも意地の汚い人だったので心底嫌になってしまったのだけど、あとは、まあ「ちょっと嫌かも」と思っても、適当につき合える方なので、絶交状態になるということはほとんど経験がない。だいたい人の心は敏感だから、自分が「ちょっとこの人苦手かも」と思った場合、大抵は相手もそう感じているものなのだ。で、だんだん疎遠になったりする。それはそれで平和的解決として正しいと思う。昔日本にいた時に生理的に苦手な男性がいた。同じ職場で、彼の場合特に女性には嫌われてたんだけど、私はそばで同じ空気を吸うのも嫌だった。彼はもう故人なのであまり悪くは言いたくないし、実を言うとどうしてあそこまで嫌いだったのか、今イチ理由がよくつかめない。でもある日、友だちが私に言った。「もしかしたらその人の嫌だなって思うところが、あなたの中にもあるんじゃない?」げー、やめてくれ、とその時は思ったけど、もしかしたらそういう事もあるのかも、と後で思った。他人に対しての嫌悪感は、もしかしたら自分の嫌なところに対しての嫌悪感という事もひょっとしたらあったりするのかなあ。ある人が「私、XXさん嫌いなのよね」と言った。私はそうだね、と話を合わせていたけれど、実は彼女とXXさんにはけっこう共通点が見えたのだ。自分では気がつかないんだろうなあ、と思った。きっと私も自分では気がつかないところでそういうことがあるのかもしれない。さいわい、私はいい友だちに恵まれている。日本でもアメリカでも多分一生つき合えるだろう友だちが複数いて、その友情が変る事はおそらくないだろうと思う。日本にいる何人かはもう何年も会っていないけれど、でも必ずいつでも迎えてくれるという確信がある。こういう友人は大切にしていきたいと思う。この人たちの何人かは、私の悪いところ、直した方がいいところなども、こちらが求めれば、私のために言ってくれる。それでずいぶん自分の欠点が客観的に見えたものだ。私は欠点だらけの人間だから、とても助かる。人を嫌う、というのはとてもエネルギーがいるのだ。こういうネガティブな事にエネルギーを使うのはもったいない。ある時点で「この人はちょっと苦手」と思ったら、ただ単に疎遠になればいいだけの事。「もしかしたらこの人は私が苦手なのかな」と思ったら、別に追いかける必要もない。(たいていそういう場合、こっちもその相手が苦手なのだし)すべての人とうまく行く人はいないし、すべての人に好かれる必要も、好きになる必要もない。でもできるだけ、敵を作らないでおきたいなと思う。人の輪というのはどこでどうつながっていくかわからないのだから。あとでその人とばったり出会った時に、気まずい思いをするような、そんな関係はできたら作りたくないな。
2007.08.20
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よく、トシを取ると、筋肉痛が翌日、もしくは翌々日にやって来ると言われる。今の私は筋肉痛の出方が驚くほど早い。一体これは何故なのだろう。私は中学生の頃はあまり運動をしなかった。ひたすら本を読むか友だちをくっちゃべるか、絵を描いたりして過ごす事が多かった。高校のときは1年の途中まで卓球部に所属したが、かったるい先輩が多く、スポ根アレルギーもあり退部。その後はロックバンドに所属し、およそ健康や健全とはほど遠い生活を送る。私が生涯でもっとも肉体的に活発だったのはなんと20代の後半。カヤックをはじめて、トライアスロンにまで手を出し、東京の自宅から3時間かけて奥多摩まで自転車を走らせ、川でカヤックを数時間漕いで、また自転車で帰る、など今考えると寒気がするような事を平気でしていた。しばらくは明治通りをブイブイと自転車通勤もしたし、冬のオフシーズンはあちこちのハーフマラソンに参加。(フルマラソンの根性はなかった)毎日ジョギングだのプールだのと身体を動かした。風呂に入って鏡で背中を見るとしっかりと美しい筋肉がついていたものだ。あれから10数年、今の私の背中はまるで大だるまのようだ。お腹はかわいいくまさんのようにまるい曲線を保ち、あごはくっきりと美しい二重で、手はさながらもみじまんじゅうのようだ。「昔はトライアスロンしてたんですよ」というと確実に笑いが取れるので、もうジョークにするしかない。そんな私の、全身厚い層でおおわれてしまった身体も実は見えないところにわずかな筋肉が残されているようで10代の若者でさえハアハア言っているような剣道の稽古にもかろうじて(本当にかろうじて)ついていけるのも、この内蔵された筋肉の、わずかな名残のおかげかもしれない。それにしても昔は筋肉痛とは無縁だったように思うが、それでも現れるときは翌日だったと記憶している。いつもより長めに走り込んだり、久しぶりに山方面へのサイクリングに出かけると、必ず翌日足が痛かった。剣道を始めてから、何度かひどい筋肉痛に見舞われたが、大抵は夜中にはじまり、翌日痛くなった。今はあまりそういう事もなくなったが、先月はじめてラフティングをして、その日の夜にとてもつらい筋肉痛に見舞われたのだ。肩から腕にかけてだるくていたくて仕方ない。あまりに辛くて薬を飲んだほどだが翌日はきれいさっぱりなくなった。昨日もラフティングに行ったが、何と昨日はすでにラフティングの終わりの方でもうすでに同じような箇所が痛くて仕方なかったのだ。帰りの車(人の車に乗せてもらった)の中で、腕や肩をもみほぐしていたのだが、どうにも痛くて辛かった。けれど夜中には痛みもすでに引いていたのだ。私よりもずっと運動している若者達は、やはり筋肉痛は翌日にすると言う。やはりトシをとると筋肉痛が遅く来るというのは間違いだろう。むしろすぐに現れるのではないかと睨んでいる。私はいくら何でもこの身体で、しかもこの運動不足の状態でカラダの筋肉年齢が若いと言う事はあり得ないからだ。さあ、皆さんの筋肉痛状態はいかがなものでしょうか。
2007.08.13
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このSC市に引っ越して3年になる。 シリコンバレーのど中心ではあるが、 住宅街としての高級感もステイタスもない。 一部の地域を除いて学校区もぱっとしない。 とくにスラム的なエリアも、高級住宅街もない。この近隣の10都市以上を抱える郡の名前と同じなので何だか存在も影もうすく、 すべてが平均的であまり特徴がない。 ところが他市から引っ越してみてわかったが、 見えない恩恵がいろいろとあるのだ。 まず電気代が安い。 何度も書いているが、うちのユーティリティは ここに来て一気に半額になった。 これはこの市の自家発電のおかげだ。 停電も滅多にしない。というか、この3年は一度もない。 子供向けの催し関係もけっこう充実している。 3年前まで住んでいたSA市は高級住宅地で知られているが、 何もおいしいことはなかった。 ワインフェスティバルなんかやってもらっても、 別におもしろくもなんともないし。 何といってもサマーキャンプが安い。 この市の非市民料金は、近隣の市の市民料金より安い。 その料金でいろんなところに連れて行ってくれる。 いくらグループ割引があっても儲けがないだろう。 普段は高くて行かせられないようなところも、 バスに乗せて連れて行ってもらえるので嬉しい。 今日は次男のサマーキャンプの遠足だ。 (長男は今週は山ごもりキャンプに行っている)午前中はトランポリンの遊技場に行き、 お昼を食べた後はみんなで映画館に行く。 映画はあらかじめ5つのセレクトがあって、 内容の説明があり、親が選ぶようになっている。 The Simpsons(PG13)以外はすべてPGの映画だ。本人はどうしてもThe Simpsonsが見たかったようだが、父親の許可が得られず、涙をのんだ。(元夫もへんなところでカタイのだ)そして何より有り難いのは、低所得者割引があるのだ。 あらかじめ、納税書類とともに申し込むと、 子供一人につき最大$200の援助がある。 普段はこうした福祉はできるだけ利用したくないが、 サマーキャンプに関してはどこも高いのでとても助かる。 ちなみにこの市のあるカテゴリーの低所得ラインは 全米の平均年間所得よりも1万5千ドルも高い。 住居費が高いので無理もないのだけど。 サマーキャンプの所得ラインがいくらかは知らないけれど、毎年すんなり通っているあたり、うちも立派な低所得と見なされているわけだ。(涙)というわけで、私が今年支払った差額は総計13ドル。 これで長男がひとつ、次男は二つのキャンプに行かせてもらえた。 先週、長男はシックスフラッグス、次男はベースボールゲーム、 そして今週の次男は今日の遠足に連れて行ってもらう。 本当にありがたい。(合掌)
2007.08.09
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友だちから面白い話を聞いた。彼女がご主人の弟夫婦を尋ねた時の事。この弟夫婦は金持ちの医者夫婦だ。夫婦あわせての年収は1億を越えるらしい。田舎町ではあるけれど、そこに豪邸を建て、5人の子供達とナニーさんと暮らしている。今は、レジャーの少ない田舎町だから、家の中にインドアのプールを建設中だと言う。食事中に食べ物の話になって、私の友人が「高いけど、卵や牛乳、パンなどの基本的なものはすべてオーガニックで。野菜や果物もできるだけそうしているの」と言ったら「うちなんか、オーガニックなんて言ってたら大変よ。生活していけないわ」とのたまったのだそうだ。5人の子供との食費がいくらかかるのか知らないが、インドアプールを建設中の年収1億が言う事じゃないだろう。私の元義兄一家も、どちらも面白い。かたや押しも押されもせぬ大金持ちで、シリコンバレーの一等地に推定6-7億円の豪邸と、現在住んでいる他州の3億円の豪邸と、湖畔の別荘、他に副収入として6軒の家を所有しそれぞれ貸しに出している。夏はモーターボートやジェットスキーを別荘で楽しみ、ピアノは新品のスタインウエイ、子供達は靴も服も高価なものを身につけている。彼等の家はいつもものすごく散らかっている。うちもそうだから人の事は言えないけれど、あれだけの立派な家に住んでいたら、もう少しどうにかしたいと思わないのだろうか。高価な美術品の下で、子供達の服が脱ぎ散らかされ、ピアノの下にはおもちゃが転がり、ハードウッドの床は食べこぼしでベタベタしている。私だったら他の出費をおさえても、お掃除の人かなんかを雇うだろう。それだけお金があったら、あれだけ立派なお家に住んでたら、きれいにしていたいと思うだろう。でも、「お掃除の人なんて、高くって」というのを聞いたことがある。かなりビックリだ。もうひとつの義兄一家はもっと堅実だ。でもそこの義姉の趣味はバーゲンハンティング。とにかく安いとなればいくらでもものを買ってしまう。ガレージはセール戦利品倉庫、といったところだ。たまに遊びに行くとアレも持っていけ、コレも持っていけと断るのに一苦労だ。この間、ラフティングをしに行ったのだがすぐ近くだったので帰りによらせてもらった。夕飯をご馳走になって少しお喋りして、帰る時間になった時に、またいつものようにガレージに連れて行かれ、いろんな戦利品を見せられた。「ほら、これ。バケツ。たったの50セントだったの。一つあげるわね。あ、そうそうこの掃除用の洗剤も。ペーパータオルも安かったからいっぱい買ったの。これもバケツにいれておくわね。ンー、あと、あげられるものはないかな。あ、このシャンプーは?いらない?これは?ツリーの形のケーキ型。いらない?そう?じゃ、このパヒュームセットは?つけないの?そう。」こうして次から次へとモノを見せられ、しかも大変申し訳ないけれど、どれもこれもうちでは使わないものばかり。でも片っ端から断ると機嫌が悪くなりそうだから、バケツやペーパータオルなど、何とか使えそうなものはもらっていく。どういうわけか、人がものをもらってくれるとご機嫌なのだ。何度も言うようだけど、いくら安くても、こんな事をしてたら、お金がいくらあっても足りないだろうよ。ご馳走になっておいてこんなことを言うのも大変恐縮だが、料理の嫌いな彼女は私たちのためにピザを頼んでくれた。大人3人と子供7人で、ラージがふたつ。「足りるのかな」とちょっと心配になった。彼女はピザが来た時に数を数え、「ひとり2枚」と宣言した。先に子供達に食べさせ、2枚で足りなかったらシリアルを食べろと言ったのだ。この中には食べ盛りの14歳と11歳がふたり、うちの大食いの8歳児もいる。「あ、私はいいから、子供達もっと食べてもいいよ」と言ったら「ダメよ。あなたも食べなくちゃ」と睨まれた。残りのピザはたったの5枚。大人は3人。彼女は自分で1枚を取り、残りを私と190センチ近くある、大男の義兄に与えた。2枚で十分だけど、何か食べた気がしなかった。(涙)案の定、帰りの車の中で「おなかすいた」と言い出した子供達。しかたなくファーストフードに寄って、また食べさせたのだ。これだから、夕飯をここでいただくのは気が進まないのだ。多分、私だったら、少なくともラージを3つは買うだろうなあ。十分おなかいっぱい食べてもらって、残ったらまた温めて食べればいいのだから。決して彼等だって貧乏なわけじゃない。大きな家に住んで、犬も2匹買っていて、いつもいつもいつもいつもいつもいつもモノを買っているんだから。でも食事にはお金をかけない。何かそういうところがすごく不思議だ。何にお金を使うか、これは個人の勝手なんだけど、いろいろな考えがあって面白いものだなあと思う。
2007.08.08
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この数年、わたしは大変な働き者と化している。仕事の入り具合に応じては週末も休みなく働いている。キャンプに行ってもラップトップを持っていき、夜中までコンピューターの前に座りっぱなし。実にむなしい。このまま人生が終わっていくのだろうか。私は一体何のために働いているのだろうか。なんてことを考えちゃう時もあるが、もともと難しいことを考え続けられるような上等な脳細胞を持ち合わせていないので、目の前の出来事をクリアするだけでせいいっぱいだ。それでも新たな決意を一つ。「毎年かならずバケーションに行く」なんて言っても今年だって近場のキャンプに2回も行っているし、ヨセミテでもキャンプをしたし、ラフティングもしたし、今週末は湖に行き・・・あそんでばっかじゃないかと叱られそうだけど、なんかまとまったバケーションを取りたいのだ。息子達の学校は毎年9月のレイバーデイ明けに始まる。8月の最後はそれでいつも困る。ほとんどの学校はもう始まっているからサマーキャンプももうないし、預け先にも悩むところだ。そこでこの期間を利用してバケーションを取る事にした。(パチパチパチ)私の一つの仕事は夏が一番忙しい季節ではあるけれど、いつも夏の終わりは少しスローダウンする。なので、8月の終わりにかかる仕事は取らない事にした。第一弾の母子旅行は、3年前に行ったオレゴン。ちょっと芸なしだけど、息子達はもう一度行きたいというし、やはり正直言えば3人だけで旅行するのはいささか心細くもあるので一度でも行った事のあるところへ行きたい。で今回は山と湖に焦点を絞り、シャスタ山でキャンプ、クレーター湖をまわり、また化石と洞窟と溶岩跡地を見に行く事にした。そして長旅の車中で聞く「ハリーポッタ-7」のテープ。もうすでに発売になっていて待たせるのも酷な気もするけれど、息子達のクラスメートは禁じられている子も多いので、それを知っている彼等は取りあえず納得しておとなしく待っている。これで退屈なロングドライブはクリア。さあ、あとは宿泊やキャンプ、ルートの手配。何だかワクワクして来たぞ。というわけで、今年はオレゴン、来年はサンディエゴを予定。高校生くらいになって、母親と旅行したいかどうかはわからないので、いつまで続くかわからないけど、後で思い返して「ああ、あの旅行は楽しかったな」と思い返してもらえればうれしい。去年もおととしも、そういう思い出を作れなかったけど、これからできるだけ、楽しい事をいっぱいしたいと思う。ほんとに、あっというまに、育っちゃうんだろうから。
2007.07.31
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先週、子供達は農場キャンプに行って来た。次男は毎日通いで木曜の晩だけお泊まりのデイ・キャンプ、長男は今回初めての5日間お泊まりキャンプだ。行く前はちょっとナーバスになっていて、ぬいぐるみの大きいカメさんを持っていこうか、それとも小さい毛布を持っていこうか悩んでいたが、結局てのひらサイズのミニカメをバッグに入れたらしい。やはり恥ずかしいのだろう。次男は毎日そこに通っていたので、長男を見かけてはいたようだけど、「誰かとおしゃべりしていた」という報告のみ。私は様子を見たくてうずうずしていたけど、変に里心がつくのもどうかと思ってのぞかなかった。最終日の昨日、朝の10時にお迎えに行く事になっていた。農場のコテージ前には大勢の子供達と親、たくさんのカウンセラーのお兄さんお姉さん達がいた。最終日の開放感もあってか、カウンセラーの若者達は、ギターを弾きながら、大声でいろんな歌を歌っている。子供達だけじゃない、彼等も一緒に5日間雑魚寝だったのだから。やっぱり家に帰れる喜びはあるんだろう。ちょっとハイパー気味の喧噪の中、長男はコテージの階段のところに同じ歳くらいの男の子と座っていた。「ママ、この子はリオ。今度家に呼んでもいい?」すっかり仲良くなったらしい。家もどうやらご近所のようだ。ちょうど現れたお父さんと、連絡先の交換をした。次男のお迎えまでは1時間以上あったので、農場の中をいろいろ案内してくれた。(といっても私もここはよく知っているんだけど)最初に連れて行ってくれたのは、自分たちが寝ていた場所。大きな木を取り囲むようにして、簡易ベッドが屋外に並べられていた。端の方にはカウンセラーの雑魚寝スペースも。10人ずつ4つのグループに分けられ、それぞれのグループに4人のカウンセラーがいたそうだ。「毎晩、空を見ながら寝たんだ。」それはさぞかし気持がよかっただろう。「ラムと仲良くなったんだよ」どうもこの羊は長男が気に入ったようで、グループで顔を出しても必ず長男のところに来たのだそうだ。この時も長男が顔を出した途端、柵の端の方から一目散に歩いてきて、まっすぐ長男のところに行った。なでられておとなしく長男を見上げていた。「ラムって。これ小さくないじゃん。大人みたいに見えるけどね」と言った私に、長男は笑った。「ママ、LambじゃなくてRam。雄羊だよ。」ちぇ。日本人はRとLが苦手なんだよ。そのあとは池に行き、おたまじゃくしやアメンボを眺め、小川沿いの道を歩いて戻った。友だちがたくさんできた。カウンセラーの人はみんなフレンドリーだった。嫌なこともひとつもなくて楽しかった。朝ご飯がいつもすごくおいしかった。夕飯は時々はマアマアだったけど、いっぱい食べた。お皿洗い、牛や山羊の乳搾り、たい肥の世話、雑草とりなんかの仕事もたくさん。ハイキングや水泳、鶏のレースやゲーム。いつもは学校の事などあまり話さない長男が、ものすごく饒舌だった1時間。「来年も絶対にこのキャンプに来たい。来年は5日間じゃなくて12日間のキャンプがいい。だって5日間は短すぎたもん。」たったの5日間なのに、すごく成長した気がする。大げさだけど、「かわいい子には旅をさせろ」ってちょっとこういう事なのかなと思った。子供ってある程度の年になって来ると、親元から離れた場所でこそ、学べる事もたくさんあるのかもしれない。どの子供達も高揚感で顔が輝いていた。カウンセラーとハグして泣いている女の子、お友達同士で「絶対にあおうね」と約束している子たち、親にあうなり機関銃のように話しだす子供。みんなさぞかしいい時間を過ごしたのだろう。長男がかえりみちにたった一言。「ケンタッキーのチキンが食べたい」どうやらジャンクフードには飢えていたようだ。(笑)
2007.07.21
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今日は昔の思ひで話。いつごろから出没し始めたのかぜんぜん記憶にないんだけれど、気がついたら紙芝居のおじさんが公園に来ていた。私はその団地内の公園の、隣の棟に住んでいたので、おじさんが拍子木を鳴らすたびに「あ、きた!」といって飛び出していった。おじさんは日焼けしてしわくちゃで、愛想も何もなく、むっつりと怖い顔をしていた。退役軍人なのかもしれないけれど、古ぼけた、耳つきの飛行機野郎系の帽子をかぶり、全体に薄汚れたアースカラー系のファッションで身を固めていた。今思えば新宿あたりのストリートをを根城に生活している、レゲエおじさんともそう変わらない雰囲気だったかもしれない。おじさんは別に子供たちが菓子を買おうが買うまいが、気にせず紙芝居をやってくれた。野太い、ガラガラの芝居がかった声で紙芝居をする。紙芝居の最後には必ずクイズがあって、それに答えられた子はいつも何かお菓子をもらえた。箱の中にはさまざまなものがあった。ピンク色の薄いシート状の小さな四角の中にいろんな字や模様があって、それを少しずつ指で削り取っていくのは「ヌキ」。必ず細く、難しいところがあって、その難関をクリアし、きちんと模様を抜いていくと、水あめや、いかがわしい「ジャム」やらソースせんべいなどでいろんなものを作ってくれた。同じようにニッキ味の飴がシートになった「ナメヌキ」。四角い菓子の中に穴をいくつか開け、その穴がたくさんあればあるほど、レベルアップした菓子をもらえる「マンボ」。子供たちは少ない小遣いをずいぶん貢いだものだ。考えてみれば、都営団地の貧乏人の子供たちが持っている小遣いなどタカが知れているというのに、おじさんは何故かいつも、ややインカムレベルの高い、公団住宅のほうにはあまり行かず、私の住む都営団地のほうによく出没していた。おそらく公団住宅のお母様方のほうが「あんな不衛生なものを買ってはいけません」と子供に言い渡す率が高かったのではないかと推測される。そこへいくと都営団地の子供たちは、あまりそういう制約を受けずに小銭を握り締めて紙芝居のおじさんのところに飛んでいけたのかもしれなかった。あんなきったならしい子供たちを相手に小銭で勝負しているおじさんというのは今考えてみるとどういう存在だったのだろう。おじさんがにこりともしない、強面だったのに別に子供たちは怖がりもしなかった。ずるをして叱り飛ばされた子供たちもいたっけ。私はおじさんは子供が好きではないんだろうと思っていたけど、大人になってみると、子供が嫌いな人にあんな商売はできないだろう事がよくわかる。テレビに比べて紙芝居は、刺激のある内容でも特に面白いものでもなかったけれど、公園について自転車を止め、拍子木をたたいて子供たちを待つおじさんの姿が最近やけに思い出される。そんな私は今、紙芝居の絵を描いているのだ。ところでこんな話をしていたら友人に「さくちゃんて私と同じ年だったよね、確か。なんだか信じられないわ、いつの話なの」と出生の時期を疑われてしまった。そんな私は昭和30年代の生まれであります。
2007.07.19
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先日の日記に書いたお客さんにその後も2回ほど会った。最初に会った時は奥さんに会えなかったが、2回めは会えると思っていた。なのに妻は忙しくてまた彼ひとりだと言う。ちぇ。でも今度はどんな面白い事をしてくれるのか、期待感でわくわくした。その日はお引っ越しと契約書のサイン。それからアパートの中のインスペクション。オフィスで待ち合わせた彼は、顔を斜めに傾けニヒルに笑い、ものすごい力でブンブン握手をして来た。痛いんだよ。(涙)朝っぱらからオフィスのお姉さん達に、気障なジョークをばらまいて、和やかな場を作っていた彼は、タダだと思ってコーヒーを何回もお代わりしていた。相変わらずポーズはキメキメだ。しかも引っ越しなのに白いテーラージャケット。テニスの王子様もまっさおだ。その格好で別のアパートから積んで来た、徳用サイズの洗剤やスーパーの袋に入った缶詰などをせっせと運んでいる。相変わらず楽しいなあ。そして、今日、やっと念願の奥様に!!!!いったいどんなオンナがこーいうオトコと結婚しようと思ったのか。とっても興味があった。彼女は細面のこぎれいな、ちょっとケバイ化粧のイタリア人。(あ、ちなみに彼はイギリス人でした)電話でも感じたんだけど、低音のハスキーボイス。素性を知らなければオカマかとも思えるほど。でも彼に比べたらずっと普通のヒトだ。今日は社会保障事務所に連れて行ったのだが、待合室の椅子に3人ならんで座った途端、彼が無言で彼女の尻をチョロッとさわったのを私は見逃さなかった。新婚だから仕方がないが、社会保障事務所でやる事じゃないぞ。彼女と私は初対面だったのでいろいろお話をした。彼は朝のコーヒーを飲んでいないので、ほとんど死人同然。それでも妻の尻をさわる元気はあるんだな。彼女が私のステイタスを聞き、グリーンカードや二重国籍の話になり、そんな事から私が結婚して離婚した話になった。「ねえねえ、私も再婚よ。しかも3回め」知ってるよ。(とは言わなかったけど)「あなたはもう再婚したの?それともこれから?」「再婚?予定もないし、多分しないと思う。」すると彼女は愕然とした顔で「正気なの?んまあ、あなたって強いのね。すごいわ。本当に強いんだわ。私はダメなのよ。ひとりじゃいられないの。」それでコイツと結婚したのか???なんだかとても微笑ましい夫婦に見えて来た。社会保障番号の手続きを終えて出て来ると、妻が夫に言った。「あら、あなた。目元に何か赤いものができているわよ。」「ええ???本当かい」あまりにも大げさな反応に私も彼女も驚いた。「大丈夫よ、たいしたことないわよ。ほんの小さいの」たしかに言われなければわからないほど小さい。引っ掻き傷か虫さされか。「本当か。医者に行く必要はあるかな」私と彼女は思わず笑ってしまった。「そんなんで行ったら医者が驚くわよ」車に入ってからもミラーを覗いて気にしている。本当に不安そうだ。「大丈夫かな、医者に行かなくて」「ああ、もう。行ってらっしゃい。あなたは医者へ。私は仕事に行くから」とばっさり切り捨てられてしまった。ちょっとシュンとしている気障男。やはり妻が主導権を握っていると見た。今日でいちおう彼等との仕事も終わり。何だかつまんないなあ。もうちょっと見ていたかったのに。(笑)さて次に会う人はどんな人だろうか。
2007.06.26
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あまりここに仕事で出会った人の事を書いてはいけないと思うけど、ま、日本語を理解する人もほとんどいないし、あまりにも面白かったので書いてしまおう。彼は、私のお客さんの配偶者だった。私のお客さんは女性で、ある会社のシニアマネージャー。その彼女がアメリカの部署に配属になり、彼は無職状態で彼女について来たのだけど、一応こちらで仕事をするつもりらしい。最近こういう妻の駐在に一緒について来る男性も多い。妻はとても忙しいので、家探しなどは彼と私がすることになった。彼は背が高く、とてもハンサムで、適度に日に焼け、鍛えたボディが服の上から見て取れた。一般的にはかなりカッコいい方なのだろう。本人もそれを意識しているような感じがミエミエだ。どうも仕草がいちいちポーズを決めているようで気になる。なんだか動作も話し方も気障ったらしいのだ。あんまりいちいちポーズを取るのでだんだん笑えて来た。コメディ映画を見ているようだ。しかも・・・もしかすると・・・あまり賢くないような。助手席に座って、いちいち地図をガサガサ広げる。地図の見方がよくわからないらしく、顔をななめに傾けたり、地図をくるくる回している。いろんな契約のプロセスなどをいくら説明してもなかなか一度では理解してくれない。話も眉唾関係大風呂敷モード全開。どうもお国ではテロリスト専門のパトロールをしていたそうだ。(笑)そしてこの国である犯罪組織の追跡法を思いついたらしく、FBIに話しにいかなくちゃ、などとうそぶいていた。その前に、ちゃんと労働許可証もらってこいよ。(笑)そんな大物の彼なのに、「その日一番大切な仕事」は奥さんが床に脱ぎ散らかしていったドレスをかたづけるため、ウォルマートでハンガーを買う事だと大真面目な顔でいうのだ。ムキムキ系にありがちな「プロテイン信仰」派でもある。いきなり「Jamba Juice」を探してくれ、というので連れて行ったら、思い切りプロテイン系のジュースをズルズルすすっていた。テニスの腕もプロ並らしい。素敵だわ。本当に何から何まで笑えるヤツだ。途中からすぐ気がついたんだけど、そんなに若くないな、と思った。カラダも引き締まっているし、顔は浅黒く日焼けして、髪の毛もちゃんとあるけど、すこし後退気味。それに尻がひらべったい。(爆)40歳くらいかな、と思ったらやっぱり40歳だった。最近私の観察眼はかなり鋭いのだ。でも若く見える事に自信があるらしく「いくつだと思う?」と聞かれた。「うーん、30歳くらい?」と思い切りお世辞を言ってみたらば「はーっはっは、実は40歳なんだ」と超ご機嫌。私は一応接客業なので「まあ!!!冗談でしょう」と叫んで青空高ーく成層圏まで持ち上げてやった。ちなみに私は本来のお客である奥様の方にはお目にかかっていない。実は新婚ほやほやで(って事は40まで独身だったのかよ・・・汗)妻の方はこれが3度目の結婚。とても美しく気が強く、気に入らないことを言うと「思い切りビンタではたかれる」のだそうだ。無敵のテロリストハンターも妻にはかなわないらしい。(笑)いやいやいや、本当にたまにこんな楽しい客がいるから、こういう仕事もなかなかやめられないのである。
2007.06.22
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今日は父の日なので、「父」について考えてみたいと思う。男尊女卑信仰を持った男子は、きっと爆ギレするかもしれない内容だから、血圧を正常に保つためにも是非お帰りになっていただきたいと思う。ところで自然界を見回しても一般的にオス(オトコ)というのはかなり情けない生き物なのではないかと思う。いつの間にかウチの子になってしまった「まんご」(ギニアピッグ・オス・1歳半)を先日友人のミミちゃん(ギニアピッグ・メス・1歳半)のところに預けた。去年も疑似恋愛を楽しんだ「まんご」とミミちゃんだが、今回もさっそく「まんご」からの必死のアプローチが始まったようだ。フェロモンを小出しにして「まんご」を惑わすミミちゃんと柵越しにずっとハアハアしている「まんご」を見ながら、ミミちゃんのお父さん(人間・オス・40歳)は「ほらみろ、これだから女っていうのは嫌なんだ。気ばっかりもたせやがって、なあ。」と憤慨していたそうだ。ある宗教(あえて名前は言わないが)では父親がその宗派でも母親がそうでなければ、子供は自動的にその宗派には所属しないそうだ。逆に、父親がそうでなくても母親が信者なら、生まれた子供は自動的にその宗教のメンバーの資格を持つ。何故ならば「子供の父親を本当に知っているのは母親のみ」だからだそうだ。メスというのは何処の世界でも一般的に狡猾である。工夫して「できちゃった婚」に持っていった例を私はたくさん知っている。(皆がそうだとはいいません、念のため)そういう時に「ちくしょう、騙された」と地団駄を踏んでいたオスも。(笑)「お気の毒さま」としかいいようがない。一瞬の快楽と引き換えに、人生を棒に振ってしまったとしても、それはオノレが悪いのだ。わはは。だいたい、男性はこの一瞬の昇天で簡単に父親になってしまうから不思議だ。女性というものはそのタマゴを10ヶ月近くも体内で育てて少しずつ母親になっていくのを実感せざるを得ないし、しかも、あんな何時間もの苦痛と引き換えに母親になるのに対し。男性はほんの数秒、「うっ」とか言ってるうちに父ちゃんになってしまうのだから、やっぱり何だか情けない。男の子を育てていてもよくわかる。とても単純だ。ばか、と言い切ってもいい。生物学的にも染色体が1本足りないんだから仕方ない。女の子があーでもないこーでもないと複雑な思考を持って複雑な人間関係を作り上げていくのに対し、男の子の場合、ほとんどその場限り。ぶったー、蹴ったー、取ったー、泣いたー、ごめんなさーいで終わる。女の子の世界はそこへ行くと複雑怪奇、ドロドロ人間模様の片鱗を幼いうちから匂わせる。なかなかの策略家でもあるのだ。「女の人はやさしい」と信じているのはかまわないからあえて言うまいが「それはね、ただのファンタジーだよ」って。できるだけ長く夢を見せてあげたい気もするし。(笑)そうそう、この間ネットで読んだ川柳にこんなのがあった。「妻の声 昔トキメキ 今動悸」大傑作だなあと思った。このように女性というものは母になり大きく変わるのだ。で、話はそれまくりだけど、そうそう父の日だ。私の父は飲んべえだった。でもいい父だと思っていた。ずっと。その父が「ああ、弱い人だったんだなあ」とわかったのは、私自身が親になってからだ。今、私は亡くなった父親の年齢を越えてしまった。こんなに若くして(笑)逝ってしまった父親。三人の子供を残していくのはどういう心境だったのだろう。本当に本当に責任感があったのならお酒はやめられたはず。やはり弱い人だったんだろうと思う。それでも私たち子供にはとても優しい人だったので、決して悪い思いを持っているわけではない。男は泣いてはいけない。男は強くなければいけない。男は家族を養わなければいけない。男は頑張らないといけない。さぞやプレッシャーだろうなあと思う。ま、そのプレッシャーに最初からつぶされて酒ばくち女に逃げる輩も山ほどいるので何ともいえないが、世間一般のフツーのお父さんの重圧というのはすごいだろうと思う。そのお父さんに働くだけ働かせて、ランチだお茶だお買い物だ、と好きなだけ遊んでいる奥様方もいる。やはり女性はたくましいのだ。だからせめて父の日くらい、好きなものを作ってもらって、肩でももんでもらって、「クサイ」だの「邪魔だ」の言われずに、幸せに過ごしてもらいたいもんだなあと思う。だってどうしたって、普通は女の人より早く死んじゃうわけで。ああ、なんか、可哀相で涙が出て来る私であった。やっぱり男に生まれて来なくて良かったなあ。ということで、よくわからないけど、全国のお父さん、父の日おめでとう。
2007.06.17
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何だか長かった今年の息子達の学校生活ももう終わり。3ヶ月の夏休みがはじまった。(ため息)朝ゆっくりできるのはいいけれど、ダラダラしてしまうようにならないよう気をつけよう。昨日の終業式に先駆けて、長男の担任の先生とのお別れ会があった。息子達の学校では8年間の間、同じ教師が担任する事になっているが、やはり色々な事情があるもので、やはり途中で変ってしまう事は珍しくない。この先生は2人めで、一生懸命やってくれたのだけど、なんかその辺が空回りしてしまって、一部の子供達や親とうまくいかず、嫌な雰囲気でやめることになってしまったのだ。あと1ヶ月を残すところで学校に来ない事になってしまったのだ。これにはかなりの親が反発したけれど、一部の親の強硬手段でどうする事もできない状態になってしまった。それでもお別れを言いたいという人たちもたくさんいたので、おとといの午後、公園でポットラックをかねたお別れ会を企画した。「子供も親も本当にお別れを言いたい人だけ集まって」と声をかけた。義理で来てもらっても雰囲気が悪くなるだけだ。ひょっとしたらあまり集まらないかもなあと思っていたら、結局クラスの2/3の家族が集まってくれたのだ。(安堵)子供達は車から、それこそ鉄砲玉のように飛び出し、公園の芝生からスプリンクラーがでて、ほとんど水浴び状態で走り回っていた。そのあとびしょぬれのまま先生とサッカーをやっていた。そしてポットラックの夕食を皆で食べ、演奏会の時間になった。もともと音楽の先生だったので、楽器などが得意だ。だから皆になんでもいいから楽器を持参するように頼んでおいた。そして先生がギターやウクレレを弾き、子供達が笛やバイオリン、お父さんのひとりが太鼓を叩き、あおぞらコンサートがはじまった。来ている人達や先生の顔を見渡し、その穏やかな顔を見ているうちに何だかちょっと情けない気持になった。たとえどんなわだかまりがあろうとも、どうしてこんな時にさよならの一つも言えないんだろうなあ。普段はコミュニティだの何だの言っている人たちが、こういう時にねじれた人間関係をリリースできないのは何だか悲しいなあと思った。それでもその先生を大嫌い、と言っていた子供が、「お別れだけは言いたい」とたった10分だけ顔を出してくれたり、娘の卒業式がこれからあるというのに、ギリギリの時間まで過ごしてくれた家族がいたり、その卒業式のお手伝いをしなければならないのに合間を見て駆けつけてくれた家族がいたり。結局ほとんどの家族が温かい気持で来てくれたんだと思うと、暗かった気持も明るくなった。実際にひとりのお母さんも「私はずっと先生が辞める事を悲しく思っていたけど、今日のこの送別会で本当に気持が癒されたわ」と言っていた。まあいろんな事情で来れない家族もいたけれど、何の意思表示もくれなかったのはほんの数家族。何となくクラスの中がちょっと分裂してしまった感じだったけど、こういう温かい気持を持った人たちがたくさんいるとわかってほっとした。なにしろこれからまだまだ4年もあるのだ。先は長い。最後に皆で先生を輪の中に置き、円になってさよならの歌を歌った。アイルランドの歌だそうだ。門出を祝う、とてもきれいな歌だった。いろいろあったけど、子供達もこんなふうに最後の時間が持てて、とても良かったと思う。和やかで温かい送別会だった。「一期一会」という言葉はよく言われるけれど、出会いも別れも本当にそのつど大切にしなければ。今日は日本語学校の終業式。そのあとはポットラックのランチがあって、それが終わってからは、長男のクラスメートのお別れバースディパーティ。(涙)その後は去年やめてしまった子のバースディパーティ。目の回るような一日だけど、こうしていろんな人の出会いや別れや再会があるということを、子供達も学んでいくんだろうなあ。
2007.06.09
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先日クラスで行われたミーティングでのいろいろ。この年齢になると、子供達はけっこう隠れて悪い言葉を使いたがる。彼等も悪いとわかっているので、ふざけてこそこそ使っているし、親や先生の前ではできるだけ隠しているのだが、そこは子供。ついポロリと出てしまう事もある。親によっては自分の子がそういう言葉を使っているなどとは思いもよらないだろう。現に黒板にとても悪い言葉がかかれていて、それを知ったあるお母さんは「うちのクラス、男の子が多いからね」と言っていたのだが、実はそれを書いたのは彼女の娘だったのだ。親というのは案外自分の子供が見えないものだ。人の子供のアラはよく見えるのだけど、自分の子供を見る目にはフィルターがかかってしまう。でも他の子供をよく批判する親の子供はやはり案外批判的にものを言ったりするので気をつけたいと思う。やさしさっていうのはやはり親から教えられるものなんだと思う。ところで、その日のミーティングでは、悪い言葉使いからはじまって、差別の話になった。子供が小さいうちは人種や宗教、性差などを気にしない。区別はする。「XXの髪の毛はは真っ黒でくるくるだね」「OOの両親は色が白いのに、OOは何で真っ黒なのかな」<養子「WWは変った言葉を話してた」全然悪気はないのだけど、大人が聞くとひやっとするような事を平気で口にしたりするけれど、本人に邪気はない。逆に「そういうことは口にしちゃいけません」などと方向性を間違えるとそういうのが悪い事だという意識も植え付けてしまうので、親は慎重にならざるを得ない。差別的なもの言い、というものがあって、それを小学校にあがったあたりから、子供はだんだん学んで来る。* 性差* 人種* 宗教* 言語* 文化* 年齢こういったもので人を区別し始める。区別はいいと思う。あって当たり前のものだからだ。男の子と女の子はいろんな意味でやっぱり違うし、人種や宗教によるおおまかな違いってやっぱりあると思う。それが差別に変っていく微妙な段階で私達自身も気をつけなくちゃいけないと思う。大人はその辺の微妙な具合をコントロールできる人が多いので別にそれほど問題にはならないけれど、子供の場合はそのままズバリと思った事が出て来るわけで、親はひやっとさせられる。(汗)先日私の車に乗ったある男の子が、イエスキリストを馬鹿にするジョークを言った。うちの子をはじめ、他にクリスチャンの子もいたので、そういうジョークは楽しめない子もいるんだよ、と注意した。長男が仏教寺で聞いたお経のイントネーションが面白かったらしくお経風にものを言っていたので注意した。お経は仏教徒にとっては神聖な言葉だからだ。次男が、女の子はどうしてあんなに意地が悪いんだと怒っていたので話し合った。意地が悪かったのはその女の子であって、女の子そのものが意地が悪いわけじゃない。あるクラスの男の子が中国語を馬鹿にしたように話したので中国人のお母さんが本物の中国語でその子に話しかけた。彼女は私の言葉は笑われるようなものではないと思うけど、どう?とやさしく言ったのが堪えたようで一切言わなくなったそうだ。食事などに関してもそうだ。息子達の学校で今までもっていったお弁当などをとやかく言われた事はない。おにぎりやお餅、海苔などをクラスで配ると大喜びだ。それでも尾頭付きの魚などにはギョっとするようで汚いものでも見るようにのぞく子供もいる。(うちの息子達の小魚スナック)それはそれで仕方がないかなあとも思うけど。日本人でも人によっては、豚の耳だの、羊の脳みそだのアメリカで食べられるターキーの丸焼きなどに対して嫌悪感をあらわにする人も大勢いるからだ。ただ人は食べつけないものを嫌う傾向があるけれど、食べ物は文化なので、少なくとも「人間の食べ物じゃない」などと言う言い方はよくないなあと思う。子供はそういうのを敏感にキャッチする。私ももちろん、こういう場でつるっと人種を口にしてしまうので、気をつけなくちゃいけないんだけど、やっぱりそういう差別的な事を口にするのは、「自分は正しい」「自分の所属するものは優れている」という気持から来ているんだろうなあと思う。この間、別のブログでマナーの話になった。イギリスの調査でマナーが一番良いのは日本人。悪いのはフランス、インド、中国、ロシア人。日頃、そのへんの人たちの行動を苦々しく思っていたので、大いに賛同した記事だったのだ。夕べ、スーパーに行った。よるも遅かったわりにはけっこうレジに並んでいる人たちもいた。その中でベトナム人と思われる若い夫婦が、赤ちゃんを抱えて牛乳などを買っていた。その若いお母さんは一生懸命小銭を数えている。それを見た私は一瞬イラっとした。「こんなところで小銭でものを買うなよー」と。でもレジのお姉さんも辛抱強くニコニコして待っているし、彼女の夫も赤ちゃんを抱えてニコニコしている。私の後ろに並んでいる人たちも誰もイライラした様子を見せていない。なんだかちょっと恥ずかしくなった。マナーマナーって騒いでいるけど、こんなところで2分3分遅れたところで、人生に大きな影響が出るわけでもないし。こういう時にたぶん「アメリカのレジってほんとに!」と憤慨してしまう日本人の方は多いような気がする。日本では滅多にないだろう光景だし、「他の人に迷惑をかけない」というのが美徳だからだ。でも時々、あまり目くじらをたてる日本人(私)ってもしかするとけっこう心に余裕がないのかもしれないなあって思った。差別は自己愛の現れでもあるような気がする。人をけなす言葉は醜いし、それを口にする時のその人の表情も醜い。自分の子供に本当の意味で美しい心を持ってもらいたければ親の私もよその子や他人を批判したり、差別的な発言をしたりする部分を改めなくちゃなあと思う。ミーティングの最後に「いつ芽生えるかわからないけど、子供達の心の庭に毎日少しづつ良い種を植えていってあげるんだよ。悪い芽が出て来たら、小さいうちにそっと抜く。でも親自身もまた自分の心の庭をそうやってケアしていかなくちゃいけないんだ。」そういったあるお父さんの言葉がとても印象的だった。
2007.05.27
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2泊3日のヨセミテから帰って来た。やはりものすごくきれいなところでその大自然には圧倒されたけど、やっぱりちょっと短すぎた。最低でも3泊はしたい、何しろ300マイルの距離だから。金曜日の午後、家を出た私たちは、途中渋滞に巻き込まれながらも、なんとか7時半のかろうじて明るいうちに到着。さっさとテントをはり、寝袋やマットをセットし、グループの人たちが集まっている場所へ。今回は教会の「独身者の会」主催のヨセミテキャンプだ。実は毎年やっているそうだが、今までは不参加。もはや再婚願望のない私にとっては何となく気の重い集まり。それでも参加者の半数以上はシングルマザーだし、こういう機会を利用しなければ、春から初夏のヨセミテはなかなか予約も取れないので、今年から参加する事にした。キャンプファイヤーに行くと、みんながS'Moreを頬張っている。マシュマロをたき火で焼いて、チョコレートと一緒にグラハムクラッカーにはさんで食べる、あの超甘い、キャンプの夜のお約束だ。私は苦手なので、ホットチョコレートをもらう。これもまた脳天直下直撃型の甘さだったけど。テントに戻ると新顔さんが現れた。7歳と9歳の男の子連れのシングルママさん。子供達はちょっとうれしそうだ。やっぱり同じ歳くらいの男の子がいると違うのだろう。ちょっとだけお喋りして、テントに入る。翌朝そのお母さんが「ねえ、夕べは怖かったわね」と話しかけて来た。「え?夕べ?何かあったの?」と尋ねたら、笑われた。「あなた、全然起きなかったの?熊が出たのよ。何人か騒いで、音を立てて、追い払ったみたいだけど、こっちに来るんじゃないかと思って怖くて眠れなかったわ」全然、しりませんでした。(恥)豪勢な朝食(ブルーベリーパンケーキ、ベーコン、ソーセージ、たまご、フルーツ)の後は、幾種類か用意されているアクティビティを選ぶ。私は徒歩でしか行けないVernelとNevadaの二つの滝を見る事にした。他の滝は前回見たし、ちょっとハイキングもしたかったし。これがあんな苦行になろうとは、その時は想像もしなかった。最初のVernal Fall下流までは徒歩30分。楽勝。多少急な上り坂ではあるけれど、たいしたことはない。その勢いで、Vernel Fallの上まで行く事にした。降りて来る人がびしょ濡れで、多少青ざめているのが気になったけど、まあ、子供達もずんずん登っているし平気だろう。と、思ったのが大間違い。滝が近づくに連れて、私はもはや引き返す事しか考えられなかった。高所恐怖症気味の私は崖っ淵を歩くという事が何より苦手だ。でも息子達はずっと先を行っているし、もう景色も見ず、ただただ登って行く事で怖さを打ち消そうとしたのだ。降りる時の事は考えたくなかった。Vernel Fall、征服。おなじグループのおじさんが、「帰りは楽な道があるよ」と言うので安心し切って、お弁当のサンドイッチを食べたのだ。ところが、その「楽な帰り道」はこの上のNevada Fallを征服しなければならないとわかり愕然。上まで登るか、それともさっきの崖っ淵のびしょびしょを降りるか。高いところから見下ろすのが何より苦手な私は、迷わず上へ行く道を選んだ。こんな辛いハイキングは初めてだった。ただただ登る、延々と続く岩場のトレイルをひたすら登り続ける。途中で腹痛に襲われるけれど、トイレもなし。Nevada Fallにはトイレがあるという事なので、冷や汗をかき吐き気を催しながら、腹痛をなだめつつ、なんとか上までよじ上った。達成感と安堵でおもらしをしそうになる。トイレが天国に思えた。Nevada Fallの上では、先にグループの人たちと着いた息子達が座って休んでいた。長男はあちこちの石をひっくり返しては虫を探し、次男は川のほとりで持参の笛を吹き、大物感を漂わせていた。帰り道は本当に楽だった。ひたすらの下り坂なので足は痛くなったけど、優しい林道で、気持がよかった。下に降りるとレスキュー隊が。何かあったのかと思ったら、どうやら人が滝から落ちたらしい。20歳くらいの男性だそうだ。川でふざけていて滑って流され、滝から落ちたらしい。あの滝から落ちてはまず助からないだろう。本当に気の毒だけれど、Mother Earthをなめてはいけない。大自然の威力の前では人間なんて本当に虫みたいなものだ。思わず息子達を抱き寄せた。夕飯は疲れ切っていて、何だかあまり喉を通らなかった。そのあとでタレントショーがあり、笑ってみてたけど、心底疲れていたので早く眠りたかった。子供達は、隣のテントの子供達とすっかり仲良くなった。翌日はキャンプ場でのんびりし、少し早めに出て、途中で滝を見ながら帰った。来年も参加しよう。でもせめて金曜日の朝家を出て、日曜日の夜も泊まるくらいのつもりで。7時間のハイキングをはさんで、片道4時間半のドライブ。なんだかこのキャンプ自体が苦行のようなものだったけど、まあ、来て良かったかな、と帰りの車の中でつぶやいた。
2007.05.22
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私は今週末キャンプに行く。行き先はあの「ヨセミテ国立公園」だ。(鼻息)しかも5時間もかけて行く。それだというのに、金曜日の午後に出て、日曜日の午前中にはあちらを出て来てしまう。向こうで遊ぶのは土曜日のみ。なんだかガソリン代の無駄遣いのような気もするが、まあいい。さて、問題はエアマットレスだ。私はエアマットレスというものにほとほと嫌気がさしている。なので、三つ折りのコンパクトなマットレス2つを愛用している。これはいい、最高だ、信頼できる。けれど、一つをサンフランシスコに住む友だちに貸してしまった。この2週間私は怒濤の日々を過ごしていたので、すっかり忘れていた。私の方からシティに住む彼女に会いに行く、と言っていたのに連絡をぜんぜんとらなかったのだから、私が悪い。そこで連絡をやっと入れたら、なんと緊急の出張中だと言う。彼女はものすごく罪悪感を感じて「もう一つ買ってくれ、お金は私が払う」と言ってくれたが、そこまでする必要はない。一応、あの、エアマットレスがあるし。エアマットレスのいいところは、場所を取らないことだ。たたんで広げて、ブイーンと空気を入れればできあがり。ウォーターベッドのようなものなのでちょっと寝にくいが、ざらざら、ゴツゴツが直に背中に伝わってくるよりはいい。問題は、空気が漏れるようになった場合だ。所詮、エアマットレスなんて、ビニールプールのようなものなので、傷はつきやすい。回りでも、長年使った人は一度や二度は修理をしている。私はそれが面倒くさくて放っておいたが、やはり前回のキャンプで、朝までには空気が少しずつ漏れだし、フニャフニャになった。これほど気持の悪いものはない。しかも二つ持っているが、二つともその状態なのだけれど三つ折りマットレスがない今、これを修理して持っていく他はない。己を奮い立たせ、昨日の午後に決行した。まずは小物から。シングルサイズのColeman製。Colemanは決して高級ブランドではないし、値段もお手頃で品質もそこそこなのだけど、夏限定お手軽キャンプ隊には十分のブランドだ。まずは適当に空気を入れる。そして水を張ったバスタブを用意し、端の方をくるくると丸めて、空気を片一方に寄せた。なかなか大変だ。沈んでいかない。タンクトップと短パンで挑んだが、すぐビショぬれに。私は殺人を犯した事も、試しみた事もないが誰かを水に沈めるという疑似体験を味わった。なかなかの力仕事である。15分の格闘後、ある裏側の1点から、あぶくがもれだしているのを発見。そこにバンドエイドを貼る。取りあえずの応急処置。外で乾かして、あとでそこを修理する。漏れ箇所はどうやらこの1点のみらしい。さて、と。次はクイーンサイズの大物である。こっちの方がたいへんだ。シングルの方は空気が抜けるのが早かった。なので、穴も見つけやすいだろうと思ったのだ。こちらの方は、ゆっくりゆっくりと空気が漏れる。それでも朝までにはだいぶフニャフニャに。これは最高に気持悪くて、体重がかかったところは深く沈み込み、空気は身体の回りに移動、気持悪い上、結局身体が地面に触れるので、何の役にも立たない。このマットレスは安物なので、作りもColemanに比べてもっとお粗末。<教訓>エアマットレスはいずれにしてもお勧めしないが、どうせ買うならせめてColemanクラスか、できたらそれ以上の価格のものを購入しましょう。さて、と。想像してみていただきたい。クイーンサイズのマットレスをバスタブに沈める。巨体のデブ女と泥レスリングをやるようなものだ。こっちに空気を寄せて沈めると、このデブ女は激しく抵抗し、私の尻を持ち上げてバスタブにひっくり返すこと3回。その度にバスタブの水が溢れ出し、床もビショビショ。そのうち私もどかんと頭に来て、本気でこいつをやっつけてやろうと沈める手に力が入った。今度は殺意まで疑似体験してしまった。格闘40分。1カ所の小さな漏れを発見。私の勝ちだ。私はこの小さなバスタブで、巨体女を踏みつけ、びしょ濡れになりながら、両手を高々とふりあげ、勝利のよろこびを味わった。<教訓>やはりエアマットレスなぞは買わない方が良い。
2007.05.17
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昨日の午後から今日にかけて、4年生のクラスのキャンプに行って来た。行き先はレッドウッド州立公園。今までずっと知らなかったのだけど、レッドウッドとはカリフォルニアの北部にしか存在していないのだそうだ。この辺の自然公園と言えば、レッドウッドとは切り離せない。中には10人もの人間で抱えるような大木もあり、雷でできた木のほこらなどもたくさんあって、子供達のいい遊び場なのだ。きのうは昼過ぎに付き、子供達はただひたすら再会を喜ぶかのように(毎日顔を合わせているくせに)はしゃぎ回って遊んでいる。大人は大人で草地を見つけて寝転がりおしゃべりを楽しむ。夕飯の後、キャンプファイヤーを囲み、歌を歌ったり、ゲームをしたり、インディアンの笛やアフリカの太鼓を聞いたりしたのだ。ばか騒ぎをするような酔っぱらいはここいらのキャンプ場ではめったにお目にかからない。(日本のキャンプはこれが嫌でした・涙)きれいな星空をあおぎながら静かに夜は更けていく。20代の頃からアウトドアに目覚め、カヤックでの川旅やキャンプを楽しんだものだけど、子供ができてからはその傾向が一段と強くなった。息子達が遊園地などの人工的な施設よりも自然公園やキャンプなどの方が好きなのは、成り行き的には当然のような気もする。息子達が通う学校もそういう趣向の人が多いので、キャンプ場の情報交換も盛んだ。自宅に農場があり動物もいるというお母さんは「みんな、おやすみ」といいながらいきなり地べたにマットと寝袋を用意してもぐりこんでしまった。「え、テントは?」と聞くと、「持って来たけど別にいらない。星がきれいだから、このまま寝るわ。」と言った。彼女の息子はすっかり疲れて車の中で熟睡していると言う。すごーく自然にそういう事をする人なのでなんだか格好いいなあと思った。こういうことは好き嫌いだし、アウトドアは嫌いな人も多いけど、レッドウッドの森のなかで、木々の間に瞬く星を見つめながら寝るなんてすごく贅沢な事だよなあ、と思う。私は人込みに行くとものすごく疲れるので、やはりこういうバケーションの方が好きだ。家に帰っても何となく気分がリフレッシュした気分になる。ところで夜に騒ぐ酔っぱらいにはめったにお目にかからないと書いたけれど、「困ったキャンパー」はどこにもいるものだ。以前ヨセミテに行ったとき、2日めから隣におおきなキャンピングカーが泊まった。嫌な予感は大きく的中。彼等は日中ジェネレーターを作動させ、車の中でテレビを見たり、ゲームをしたりしていた。さすがに夜は静かだったけど、いったいここまで来て何をやっているんだろうなあと思った。楽しみ方は個人の自由かもしれないけれど、キャンプというのは大方の人は自然を楽しみにくる。こんなところまで来てテレビを見ているのなら、家にいればいいのに、と余計なお世話だけれど、考えてしまう。だいいち、こちらの方もゲームの騒音などはキャンプ場などでは聞きたくないものだ。せめてジェネレーターは禁止にしてくれないかなあと思う。再来週にまたヨセミテに行くので、そんなキャンパーの隣にはなりませんように。(願)今日は朝ごはんの後、みんなでハイキング。3時間近くも歩いたろうか。日差しは強く、かなり暑かったけれど、レッドウッドの森の日陰はとても涼しく、森林のいい香りでいっぱいだった。一番年少の2年生の2人(一人は次男)がどうしても遅れを取るので、私も彼等に合わせてゆっくり歩いた。こんなに歩いたのは久しぶりだ。家に帰ってからは、夕方なのにみんなで1時間くらい昼寝。息子達は夕飯の後また寝てしまったけど、オトナのわたくしは、こんな時間まで。すっかり目が冴えてしまったぞ。今日は遠くに車の音を時折聞きながらの就寝。車でたった45分の距離なのに、なんだか別世界のようだ。キャンパーもいない、夜の森は今夜もひっそりと静まり返っているのだろうか。
2007.05.07
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料理というのはセンスだな、とつくづく思う。取りあえず、自分のことは思い切り棚に置いておいて(爆)絶対にここを覗かれる可能性がないので今日は思い切りいいたいことを言ってしまうが、たまには本音もいいものだ。ふふん。私はたいていの事では驚かない。それから私はあまり「おいしい」「まずい」と批判めいたことを言うのも好きじゃないので、こういう事を口にするのは非常にはばかられるのだが、でも言っちゃう。ある日本在住の知り合いは、缶詰のミートソースを鍋で温めている間、ゆであがったスパゲティを湯の中に放置していた。私がおそるおそる「できてるみたいだよ、ざるにあげないの?」と聞くと、「え?だって冷めちゃうじゃん」と言い放った。あそこまでふくよかに肥大したパスタは二言めには「アルデンテ」といちいち口にする日本人の、イタリア追従の常識をくつがえしていた。ちなみに彼女の作ってくれるものはいつもユニークだ。「早い安い味はどうでもいい」という料理信条を持つ彼女がお昼に作ってくれたインスタントラーメンは、粉々の雑炊状態で、もはやラーメンとはいえないものをスプーンでおいしくいただいた。(涙)ある台湾人の友だちが作ってくれたミートローフ。それまで世の中に、本当にまずくて食べられないものなんて現実にはそうそうないと思っていた。私は飲み込むことすらできないほど凄い、あんな味に今まで出会ったことはない(ごめん・涙)。彼女の旦那も「ああ、今日はもうお腹がいっぱい」と言いながら、ほとんど手を付けていなかった。素晴らしい旦那だ。ある意味、感動的なほど凄い味だったので、私は是非、レシピを知りたい気もしたが、やはりやめた。この彼女もいつも個性的な味付けで私を驚かせてくれる。なるほど、ご主人が「大の外食好き」なのも、わからないでもない。アメリカ人の義姉、B。言語道断。ひき肉のパックをそのままフライパンにひっくり返し、四角いまま味付けもせずに焼いて、皿に四角いまま盛る。炊いたごはんにストロベリーソース。冷凍野菜をそのままチンして皿にあける。もしくは缶詰のいんげんがどさっとそのまま出てくる。人様に料理していただいてこんなことを言うのは(あえてそれを料理を言うならば)いくら何でもひどいと思われるかもしれないが、はっきり言って「今日はピザを頼む」と聞くと私は心の中で小躍りしてしまうぞ。ちなみに彼女は料理が嫌いなのでセンス以前の問題だ。最後に訪れた時はお昼に缶詰のマカロニやスパゲティをずらりと並べて「好きなの、食べてね」そこへいくと、料理のセンスがいい人は、いつでもどんな簡単なものでも非常に美味しかったりする。ポルトガル人の菜食人C。彼女も自分ではあまり料理が好きじゃない、という。自称学習障害なので、二つのことを同時にできない。私も何度も目撃しているが、おしゃべりを始めると、包丁を持つ手が止まってしまう。私が見かねて、刻んであげながらおしゃべりしてると「すごい。神業だ」などとふざけた事を真顔で言う。でも彼女はとてもセンスがいいのだ。本当に簡単なものしか作らないし、しかもものすごく時間がかかるのだけど、いつもとてもおいしい。たとえば、今まで作ってくれた夕飯。炊いた玄米に人参とピーマンを炒めたものをのせただけ。ほうれん草とレンズ豆のスープとパンだけ。数種類の野菜と炒めあわせたパスタだけ。他のどれもだいたいこんな感じ。なのにどれもこれもびっくりするほど美味しかった。「なんで???」と思うほど。ちなみに彼女の味付けは、塩とこしょうとオリーブ油とにんにくのみ。ほんと。なんで???ルーマニア出身の友人Cのボーイフレンド、Jさん。すでに孫もいるアメリカ人のおっさんだ。この人が作ってくれた天ぷらは、もう絶品。しかも1度だけじゃない。冷めてもカラッとしている。そのうち「Jの天ぷら教室」を開いてくれるよう、今、友人にお願いしているところだ。お肉の煮込みも、鮭のマリネも、手作りのビスコッティも、なぜあんなにおいしいものしか出て来ないのか。ちなみにこの友人Cが作ってくれるものは・・・うーん・・・まあまあ。(ごめん)いつも夕飯をともにする、中国系アメリカ人夫婦。奥さんのEも、あまり料理が好きではない、と言い切る一人。でも仕方ないから時々する。仕方ないからするので情熱が足りない。そのせいか、やはりなんかひと味足りない。この家では、たいてい私が料理をする事になっている。けれど、彼女も1品作ってくれる事もある。私が何かを作っている横で、彼女もごそごそやっている。「ねねね、味みて。大丈夫?」味見をするとやっぱりなんか足りない。「塩、もっと入れたら?」とか、「ごま油、足してみたら?」とか指示をする。すると「あれー?ほんとだ。良くなったね」と感心してくれる。ちなみに彼女はいつも私にレシピを聞くのだが、後日そのレシピで作ったという残り物を食べてみると「いったいあのレシピが何故こういうことに」と唸ってしまうほど大きく進化をとげた一皿に様変わりしている。ある意味で見事としかいいようがない。やはり料理というのはセンスだろう。けれど「精進」という言葉もあるのだ。もともとセンスがちょっとくらい足りなくても努力でおぎなえるものがある。けれど、うーん、やはり正直言って努力だけではどうにもならない、というツワモノも存在しているのは事実。そんなことを言ったらミもフタもない・・・かもしれないが、なに、世の中には「シェフが作ったレトルトシリーズ」だの「洋食屋さんのコロッケ」だの「オーブンで焼くだけグラタン」だのそういったようなものが溢れているではないか。いいんだいいんだ、無理しなくて。ね。
2007.04.25
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土曜日は次男の誕生パーティだった。せっかくの週末だっていうのに、6時起床。こんな時の毛布は何よりもあたたかく私を包み、せっかく立てた綿密な行動計画を台無しにしようとするが、よいお母さんを目指す私は誘惑を振り切る。なんたって年に1回の(正確には2回-2人分だし)イベントなのだ。ことし、次男のバースディは本人の希望もあって、ミニチュアゴルフでやることにした。こういうところでやると、子供達は勝手にアクティビティに夢中になっているし、場所の心配もしなくていいし。問題は・・・・ゲームセンターなのだ。息子達の学校は反メディア体制を取っているので、多くの家庭の子供達が、テレビやビデオ、ゲームなどからしっかりと遠ざけられている。ところが、ミニチュア・ゴルフの場所は、たいていゲームセンターとセットになっているのだ。避けてはとおれないのだ。「息子の誕生パーティはXXゴルフランドでやりますが、ゲームセンターが隣接されていますので、お子さんをそこで遊ばせたくない方は30分ほど早めに迎えに来てください。すべての、ゲームセンターが許可されていない子供達が帰宅したのち、許可されている子供にトークンをあげて遊ばせます。」こんな折衷案を用意しなければならないなんて、ほんと面倒くさいったらありゃしないよ。ところで、ミニチュアゴルフなどでバースディをすると、飲み物もピザも紙皿などもセットになっているので、ふーんふん、親はラクできるはず・・・と思ったのが甘かった。何しろゲストにVeganご一家がいたのだ。ご存知Veganは究極のベジタリアン、何しろ一切の動物性食品は口にしない。もちろんピザはだめ。ふつうのケーキもだめ。これはちょっとした誤算であった。次男はいつものように中国系ベーカリーの生クリームとフルーツたっぷりのケーキを欲しがったし、当然彼等は乳製品やたまごは食べられない。なので、朝イチで「まるごと食品」にてVegan用のケーキを購入。ついでにうるさい親もいるのでオーガニックのジュースを何本か買う。ピザが食べられないゲストのために早起きして、ごはんを炊き、どうせならと思って、醤油とごまで味付けしたおにぎりを24個。海苔は別に持っていくことにした。いちおう、ピーナツバターとジャムのサンドイッチも用意。卵とバターを使わないバナナブレッドも焼いた。そしてたっぷりの野菜スティックとフルーツ盛り合わせ。野菜やくだものを切り刻むのはそれなりに時間もかかる。その間に友人宅にお泊まりしていた長男を迎えにいくなどしていたら、あっという間に家を出る時間になってしまった。息子達と食事と飲み物を、車に放り込み、途中で中国スーパーに寄ってケーキをピックアップ。そしてぜいぜいしながら会場について用意をしているうちにゲストが次々到着したので、ゴルフを始めてもらう。ほっと一息ついたのもつかの間、グディバッグ(おみやげ袋)の用意をしておこうと、ゴルフランドの人に「グディバッグ、早めにいただけますか」と頼んだ。すると、「え?それは別料金ですよ。ひとり3ドルです」なんだと!!!予約の時に話した兄ちゃんはグディバッグが含まれている、と言ってたぞ。そこだけ念を押して聞き返したのだから間違いない。話しが違うではないか。「きっと彼が間違えたんでしょう。とにかく含まれていません」その場で買っても良かったのだが、こんなところのグディバッグは超チンケなのだ。含まれているのならともかく、そんなものに3ドルは悔しい。そこで、元夫と友人に後を託して、すぐそばの手芸屋さんまで車を走らせた。なんとセール中で59セントのかわいいサンバイザーを発見。それにキャンディやら小さなシャボン玉ボトルなどを入れ、うちの息子達のも含め、計14個のグディバッグ完成。ひとり約1ドル50セントで、納得のいくものに仕上がった。ちょうどピザがくるところだったが、待ちきれない子供達はおにぎりやフルーツを貪っていた。Veganの兄妹もおいしそうにおにぎりを食べていた。24個のおにぎりがあっというまに完売。その後もすごい勢いでピザを食べ続ける子供達。食後は、すぐケーキに突入したけれど、おかげでケーキは入らないという子供まで出る始末。となりのグループのお母さんたちが、「あなた、そのケーキ、どこで買ったの?すごくおいしそうね!」そうだろう、そうだろう。アジア系のケーキはうまいんだ。大半が帰り、残りの子供達がたっぷりもらったトークンを握りしめゲームセンターで遊ぶ中、いただいたプレゼントや、ケーキや食品の残りを片付け、車に運ぶ。嬉しかったのはVegan一家の若いお母さんが「本当にありがとう。すごく楽しかった。ケーキや食事も気を使ってくれてうれしかった。」と喜んでくれたこと。そして子供達を元夫に託し、私は一人で帰宅。1時間ほどベッドで放心状態で過ごした。ああ、これで、来年の春までは何も考えなくていい。子供のバースディパーティなんて、親が誕生日を祝ってやればいいものなんだから、そんなことを大げさにいちいちやってやる必要はない、と言ってた友人がある。彼女のいうことにも一理あるが、それでも年に1回のバースディ、親が祝うのはもちろんだけど、子供の時だけに許される、楽しい楽しい1日だってあってもいいのでは、と思っている。お金も労力もかかるけど、長い人生でほんのわずかな時期のこと。確かに甘やかされているのかもしれないけれど、誕生日くらい甘やかしてやろうと思っている私は、はい、普段は世にも恐ろしいおかあさんです。
2007.04.23
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自分でも思うが、私は時々やることが極端だと、妹に言われることがある。最近、アトピーに悩まされ気味の息子の食事を見直すため、この数日いろいろと考えた。あ、悩まされているのは本人ではなく、その部分が「痛そう」「かゆそう」と思う親の方だが。で、アトピーにもいいと言われる玄米菜食やらマクロビオティックなどのサイトもいろいろ見てみた。確かに理論的にはいいと思うのだけど、ちょっと現実にはかなり無理があって、私には長続きさせる自信が、もう全然なし。もともと白米よりは玄米を食べているし、白いパンやパスタよりは全粒粉、あわ・ひえなど鳥餌系も食す我が家だけれど、副食方面においては、菜食からはほど遠い。なーんてそんなことをつらつら考えながら、いろんなサイトのレシピ集を見ていたら、だんだん無性にお袋関係のご飯が食べたくなった。ちょうど「オカンとボクと-」の映画封切りニュースをあちこちで目にしたことも無関係ではないだろう。それにお袋料理と言えば、そのまま菜食につながるものも多い。よし。元夫が夕べからラスベガスに出張で、ホントに仕事なのかやや疑わしいところだが、(だって週末だし)子供も夕方には帰ってくるし、午後はなんだか料理熱が何ヶ月ぶりかにぶりかえした。ひさしぶりに、ほったらかしだった食品貯蔵庫をひっくり返し、乾物を探し当て、冷蔵庫の野菜を外に出し、あとは午後中、台所仕事に専念した。子供達が夕飯に帰って来た。「ただいまー。今日のご飯、なに?」「おかえりー。今日はママ、たっくさんいろんなもの作ったよ。ほら。」2人の息子はテーブルの前で無言になっていた。きんぴらごぼうひじきの煮物大根の浅漬けれんこんのきんぴらほうれんそうのおひたしイワシの丸干し根菜と豆腐のけんちん汁雑穀ごはん。どこに出しても恥ずかしくないほど立派なニッポンのおかあさんの献立だ。つーか、おばあさんの献立と言ってもいいだろう。なのに子供達は終始無言で部屋に行ってしまった。うーん、アメリカ育ちの、食べ盛りの小学生にこの伝統食は少々厳しかったかもしれない。しかし、このうえ、奴らの好物を作る気もないので、こんな時の味方、納豆にお出まし頂いた。納豆ごはんをもそもそ食べつつ、「ちょっとずつでも口に入れなさい」とお皿に入れられるおかずを嫌々食べながら、母の「デザートに苺ムースがあるよ」という言葉だけを励みに息子達はジャパニーズ・トラディショナル・ディナーを終えた。そして先ほど、昼ご飯にチーズと豆のトルティヤ(大好物)をうれしそうに食べてた子供達。「ねーママ、今日の夕飯はきれいな色がいいな」え?「茶色とか黒いのばかりじゃなくて。」・・・というわけで、今夜の献立は酢豚に決定しました。ふん、思い切りカラフルにいろんなもの入れてやるからな。野菜とか野菜とか野菜とか。(笑)
2007.04.16
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私は昔から虫に弱い。別に虫は嫌いではないが、(ごっきーを除く)虫の方は私の豊満な体が好きらしく、集中攻撃にあう。実家でもいつも夏の夜に迷い込んでくる蚊が、お食事するのは決まって私のカラダ。彼等の食欲をこの私が一身に引き受け、そのおかげで他の家族はいつも無事だった。なのにこれといって厚い感謝も得られず、私はいつもぼりぼりと体をかきまくっていたのだ。高校の時、校庭の草むらで1時間ばかり過ごしたことがあった。別に男子生徒と怪しく過ごしていたわけではない。たぶん科学の先生、しょうちゃんの要請でなにやらやらされていたんだったと思う。草むらから出て来た私はヤブ蚊によって全身ぼこぼこにされ、あまりのすさまじさにしょうちゃんが「うおおお!」と叫んだほどだ。うろたえたしょうちゃんに手を引かれ、すぐに医務室につれていかれ、そこでも保健の先生に叫ばれて、何やら薬を塗られたのち早退した。あれ以来、私は夏に自然と戯れる時は、全身くまなく虫除けスプレーで身を守る習慣ができた。これ以上、奴らの餌にされてはかなわない。アメリカに来て、この辺にはあまり蚊がいないことがわかり夏になっても虫除けスプレーも必要なくなりほっとした。それでもキャンプの時は必ず持参する。私と一緒にいる人間には、私という存在は有り難いだろう。何しろ、私自身が彼等の虫除けであるからだ。たまに定期的にダニ関係にやられることがある。自分のうち、人様のうち。元夫はいくら私が騒いでも、自分がちっとも刺されないので私が、どうも最近家ダニがいるのでは、といっても半信半疑だ。私はじんましん持ちでもあるので、そっちを疑われる。蕁麻疹と虫さされ、どっちを選ぶかと言われたら前者だ。虫さされは後を引く。何日も痒くて仕方ない。今回、わたしはまた、思い切りダニだか何だかにやられた。まずはギニアピッグの「まんご」が疑われる。何故なら、いつも「まんご」を抱くその腕の、ひじの内側当たりが集中的にやられているからだ。で、「まんご」をちょっと洗ってみた。抵抗するかと思いきや、ぬるま湯の容器の中でけっこう気持良さそうにしている。特にのみらしいものは発見できなかったが、ダニ関係は目に見えないし、いたかもしれない。とにもかくにも痒くて痒くてどうしようもなかった。もうかれこれ5日めになる。右腕、38カ所。左腕、12カ所。右足に、4カ所。どういうわけか尻に1カ所。1時間置きに、かゆみ止めクリームを塗りたくる。特に辛いのは寝ている時間で、猛烈なかゆみで目が覚めるのだ。そしてクリームを塗り、また寝て、また目覚める。運転中に発作が襲って来た時など叫びだしたいくらいだ。そんな私に友人から朗報がもたらされた。「えー、キンカン塗ればいいじゃない。キンカン。一発よ。」ああ、あの「キンカン塗って、また塗って」のキンカンか。何故か思いつきもしなかった。「私も虫にさされやすいから、いっつも常備してるわよ。うちの子供達もキンカンのヨロコビに目覚めちゃって、何かにくわれると、キンカンって騒ぐわよ。」さっそくミツワに走った。あった、キンカンだ。禁断症状の震えのようなものを感じながら、ミツワの駐車場の中で、箱から取り出すのももどかしく狂ったように腕に塗りかかった。ああ・・・・(昇天)・・・・気持いい、すーっとして、かゆみが収まった。キンカンスバラシイ。ニホンスバラシイネ。車の中で放心状態になってしまった私はあやしい外人のようにつぶやいてしまった。これで私もあらためてキンカンの凄さを発見。ディスカバリー・キンカンだ。しかもかゆみをおさえる力が持続する。1時間おきに塗ってたあのクリームは何だったのだ。なぜこういう素晴らしいものがアメリカにはないのだ。キンカンのヨロコビを知ってしまった今、私は肌身離さず持ち歩いている。かいかい地獄も4日めにしてキンカンに救われた。これでまた抱っこしてやれるぞ、「まんご」。ところで息子達はなんでもないんですけど。うーん、本当に「まんご」のせいなんだろうか。いまだに犯人は解明されていないのであった。
2007.04.12
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毎年イースターは親戚宅で過ごす。他州に越した元義姉の両親の家だ。自分の孫達が他州に引っ越した今も、祝日には私や子供達を呼んでくれる。それでも孫たちの来ないアンクルジョーの家は今までと違ってとても静かだ。その引っ越した孫達が、このイースターに帰ってきた。うちの息子達も従兄弟たちに会えるのでとても楽しみにしていた。やっぱりイースターエッグハントは賑やかでなくちゃ。いつもアンクルジョーの前庭で、大人がゆで卵を隠し、子供達が合図とともに外に飛び出す。なかなか熾烈な戦いだ。(笑)長男はいつも取れようが取れまいがのんきに構えているが、次男は鼻息が粗い。もっとも動作が素早い方ではないので、あまり取れなくて涙ぐむ年も多い。(笑)今年は全部で60個の色染めした卵を用意し、6人の子供達で、取り合う。ひとり10個の計算なのだけど、長男は6個、次男は10個。(笑)そして何故か毎年かならずひとつかふたつ、行方不明になる卵が出てくる。そして後から見つかった試しがないそうだ。いったいどこへ消えるのか。イースターエッグハントを嫌がる親もいる。それでも植え込みに隠されたカラフルな卵を見つけるのは子供の頃にだけ許される楽しみの一つ。去年の次男のバースディパーティでは泣く子が出ると困るので(笑)、7色の卵を人数分ずつ隠しそれぞれの色の中に別々のおまけやおもちゃを入れておいた。みんな色違いを7つずつ袋に入れるだけだから、自分のが終わると、見つけられない子を手伝ったりして、争いもなく和やかなエッグハントだった。エッグハントのあとは、イースターディナー。いつものように、ハニーローストハムやエッグサラダ、野菜たっぷりのパスタ・プリマベラ、焼きたてのパンに、ベイクドヤムなど、イースターのごちそうが並ぶ。お腹いっぱいごちそうを詰め込んで、少し食休みをした後は、デザートの時間。デザートはいつも私の担当だ。今年はグラハムクラッカーのクラストをしいた、苺のレアチーズケーキに苺のソースをかけたもの。大きなパイレックスに作ったのに、完食。(笑)アメリカに来て15年め。日本のお祭りと、アメリカのお祭りと両方楽しめる子供達は幸せだ。まだまだひとつひとつの祭日を単純に楽しみにしている年齢だから、もう少し大きくなって自然に卒業するまでは親もつき合って楽しませてあげたいなと思う。子供の頃の毎年のお楽しみの暦は(これを義母はファミリー・トラディッショナルと呼ぶ・笑)きっといい思い出になって残ると思うから。
2007.04.09
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子供が小さい頃、私は子供というのはとにかくただ、遊ぶべきものだと思ったので、習い事などはあまりさせないようにしたいと思った。宿題もない、テストもないシュタイナー学校に通わせようと決意したのもそれもあるのだ。それがどうしたわけか、いつのまにか、毎日のように習い事が入っている。月曜日は取りあえず何もないが、火曜日の夜は剣道。はじめて子供達が自分からやってみたいといったスポーツ。今までサッカーも野球も特に興味を示さなかった子供達が、デモンストレーションをみて、びびっと来たらしい。まあ、武道は精神修養にもなるし、いいだろうということで、なんと私もやることになり1年半が経つ。時々、竹刀で足とかを叩く、こわもての先生がいるので泣きが入る時もあるが、取りあえず続いている。月謝が安いのも魅力だ。週2回の稽古で、月70ドル。しかも家族3人で。(笑)水曜日は長男のバイオリンの稽古。去年の9月から、学校でバイオリンの授業があり、できたらプライベートレッスンも取って欲しいとのことではじめた。なんと最近は次男もはじめたくてうずうずしている。今、空きを待っている状態だ。ちなみに2人分の月謝はきついのだけど、先生の為にちょっと働くことになり、その報酬として、次男分はチャラにしてもらうことになった。たいへん有り難いことである。そして水曜日は11歳になった長男がボーイスカウトに、8歳になる次男は来週の木曜日からカブスカウトだ。これは習い事というよりも教会のアクティビティの一環なので避けるわけにもいかない。でもいろんなことを教えてくれるのでいいと思う。問題は水曜の夜と木曜の夜をそれぞれ取られるのでちょっときついかなあ、といった感じ。ちなみに習い事ではないし、お月謝はない。(笑)金曜日はピアノ。何度も書いているけれど、友人一家なので、ピアノを教えてもらっている間に私がご飯を作り、毎週みんなで夕飯を一緒に食べる。私にとっても子供にとっても大切な時間だ。うちの子供達は何故かピアノが大好きで、練習をしろと言ったことはほとんどないけれど、毎日少しずつは弾いている。音楽好きの元夫一家の血筋なのか。次男に関してはバイオリンも意欲満々だ。これも月謝はなんとなく夕飯代で。(笑)土曜日は日本語学校。これだけは私が無理矢理行かせている。もうすでに日本語からはだいぶ遠ざかっているけれど、何とかつながっていて欲しい。本人達も日本語の勉強は嫌いだけど、この日本語学校は好きで、毎週とりあえず楽しみに行っている。ここも授業料が安くて(2人で月に80ドルくらい)いろんな催しもあるので、有り難い。シングルマザーだから、習い事はさせられない、という人もいないわけではない。家計に響くし、絶対に必要なものではないからだ。私自身も子供が苦しむような習い事は絶対嫌だし、これ以上増やす気もないし、もっとも時間もない。私の場合、金銭的には大変ラッキーなんだと思う。これだけいろいろやらせても、さほど負担にはなっていない。ピアノに関してはプレイデイトがメインなので、習い事という自覚は本人にもないだろう。好きなことをやらせてあげられて良かったと思う。結果的に毎日のようになんやかや入っているけれど、かえって「今日は何の日」というメリハリがついてそうでなくてもダラダラ過ごしがちな我が家に取ってはいいようだ。まあ、将来どんな人間になるにせよ、習い事の一つや二つで過大な期待をする親もそうはいないだろうけど、好きなことがあり、だんだんそれが上手になっていく喜び、そういった達成感が味わえるのは、子供の時の方が、余計な思惑が少ない分、機会も多いのかもしれない。
2007.04.07
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うちでは子供たちにテレビとゲームを制限している。それを現実離れしているとか、かわいそうだと思う人も中にはいると思うけれど、私なりの考えがあってやっていることなので、それぞれの家庭のやり方、と言うことで了解してもらいたい。もっともテレビを見せないのはかわいそうというのは、おとなの側の勝手な判断基準で、子供たちは自分の生活環境をただそのまま受け入れているだけなのだと思う。小さい頃は子供に(特に長男)テレビを見せていた私も長男が3歳の時にシュタイナー教育と出会って、それが小さい子供に及ぼす影響を知ってからは、子供にテレビを見せるはやめた。親戚や友人宅でたまに見る分には制限はしなかったけれど、普段家の中で見ることはめったにない。それでも週末に父親宅で時々ビデオなどを見ているようだし、別に彼らをかわいそうだとも思わない。本人たちも家では見たがることもないし、自分たちで本を読んだり遊んだりしている。最近は「テレビを見るより本を読むほうがずっと面白い」と言う。本は気に入った箇所を何度も何度も読み返すことができるから。子供の頃、私は「アルプスの少女」の本が大好きで、本が擦り切れるまで何度も読んだ。美しい挿絵がところどころはいった、長い物語で、それでもハイジがお爺さんからもらった、やぎのチーズと干し肉のお弁当を想像して楽しみ、ハイジが山を降りていくときは胸が張り裂けそうになり、クララが山で歩けるようになったときは一緒に喜んだ。本に書いてあったように「夕暮れ時に、山の草原はピンクになり、そして真っ赤になり、最後は金色に染まる」のを想像し、図書館で何冊もスイスの本を借りて、ハイジの住む山を想像しながら何枚も何枚もスケッチをした。その私の憧れや夢、頭の中の素敵なイメージをざっくりとえぐってくれたのはアニメのハイジだった。あれが好きだった方には大変申し訳ないと思う。別にアニメのクオリティが悪いとも思ってはいない。でも頭の中で素敵な世界を思い描いていた私には、あのフラットなアニメの絵やイメージが、そしてユキちゃんだか何だか勝手に名づけられた山羊やらが私の頭の中のイメージまでぶち壊しにしてくれたのだ。あれ以来、私はあの本を、多分読んでいないと思う。たぶん、私が子供の頃に、あまりアニメなどにのめり込めなかったのは、そんなことも関係あったのかもしれない。本を先に読んでしまうと、映像にがっかりさせられることが多い。もっともサザエさんやドラえもんのように、アニメが先に来てた場合(私の中で)はまた別だけど。次男がこの間、新しいハリーポッターの本が楽しみだと言っていた。今までの作品はどれももう何回も読み返している。実は子供たちはこの本が大好きな割に、映画のほうはそれほど見たがらない。実際彼らは一番最初のを見たきりなのだ。その第1作を見る前はすごく喜んで、とても楽しみにしていたのに、別にこれという感想を述べるでもなかったけれど、第2作目を見たいとは言い出さなかった。次男が「なんか本と違うんだよ。お話はほとんど同じだけど、でもなんか本と違うんだよ」と言う。まだ小さい次男は頭の中で自分が作り上げていたイメージと映像のそれが違うという概念がよくわからないんだろうと思う。私自身は映画は良くできていたと思うし、本のイメージとはあまり違わなかったが、それぞれが頭の中に描くイメージなんて人それぞれだ。本を読んで頭のなかでいろいろな風景や登場人物を自分の好きなように思い描いて楽しむと言うのは、とても贅沢な遊びなんだと思う。そして映像を見てしまったとたんにその想像世界は壊され、映像に与えられたそのイメージが取って代わる。アニメのハイジを見るまでの、私の頭の中の世界はアニメでなんて表現できないほど美しかった。挿絵が与えたイメージに近かったことは否定できないけれど、それでも想像を働かせる余地は十分あった。けれどアニメはそれすべてが視覚イメージなのだから、想像を与える隙間はほとんど残されてはいない。私の頭の中にあったイメージは壊され、あの幼児のようなひらたい顔のハイジが取って代わり、私はとってもがっかりしたのだ。子供たちがハリーポッターを積極的に見たがらないのは同じような理由なんじゃないかと思う。私は、私の経験から、シュタイナー教育で言うテレビの害に納得した。普段テレビをほとんど見ない私の子供たちは、暇さえあれば本を読んでいる。何度も何度も好きな本を読み返しては楽しんでいる。長男の年になれば、そろそろテレビやビデオももう少し見せてもいいのかなと思うけれど、本人も習慣として見なくなってしまったし、本を読むと言う楽しみがあれば、テレビは必要ないとも思う。うちの子供たちだって他の子のように本当に忙しいのだ。学校から帰って宿題をし(といってもあまりないけど)、外にいって、自転車に乗ったりローラーブレードをしたり。家の仕事なんかも少しはしなくちゃいけないし。本も読みたいし、プラモデルも作りたいし、レゴでも遊びたいし、ああ、そうだ、夕飯も食べなくちゃいけない。(笑)そのうえ、ピアノだのボーイスカウトだの剣道だのって。このうえテレビやゲームを見ている時間なんてどこにもないのだ。友達の子は公立校に行っているがテレビは見ていない。2年生までテレビが大好きでテレビ漬けになっていて、それを心配した友人が、壊れたのをきっかけに買わないで試してみることにしたのだ。最初の2週間くらい、かなりぶーぶー文句を言ったけど、そのうちどうでもよくなったらしく、テレビのないままで今に至っている。兄弟そろって見ていないが、学校でも人気者だし、もうすぐ中学校にあがるお兄ちゃんのほうも、話題についていけないというような問題はないそうだ。テレビがない分、その時間を遊びに当てている。なくして良かったと言っていた。これは本当に人それぞれなので、人の選択を否定もしたくないしされたくもない。けれど、もしも「テレビはよくないなあ」と本気でそう感じる人がいて、「でもうちの子はもう見ないといられないから」と思っている人がいるのなら、ためしに2週間くらいやめてみてもいいと思う。最初は騒ぐかもしれないけれど、子供と言うのは結構すぐ忘れるのだ。うちは少なくとも、子供たちがこの家でテレビを見る習慣がなくて本当に良かったと思っている。
2007.04.01
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今日は長男の11歳の誕生日だった。今年は友達とどこかに出かけて、そのあとお泊りパーティをしたいということで、元夫宅が会場となった。いくら元夫宅が広いとはいえ、クラス全員を招待するわけにも行かないので、ほんの数名と学校外で仲のいい子をここから車で1時間ほど離れた軍艦ツアーに連れて行った。元夫と私の車にそれぞれ分かれ、お父さんの一人でやはり軍艦が見たいという参加者も含め、総勢10名の遠足旅行だった。はい、はっきり言って私にはつまらなかったです。が、長男はとても嬉しそうにはしゃいでいた。感心したのは、男の子たちが何かと言うと、「今日のバースディボーイからどうぞ。」とか「彼は今日誕生日だから、ここに座らせてあげて」などとガイドの軍人さんに頼んだりしたことだ。こういう思いやりがちゃんと育っているのはいいなと思った。元夫の家にたどり着いたのは6時半。私もそこでお暇したかったけど、他のお父さんが残って手伝ってくれているのに私が帰るわけにはいかない。元夫は注文していたピザを取りに行き、新妻がチップスや飲み物、野菜などを揃えてくれていた。私は何となく手持ち無沙汰にうろうろしていた。きれいにリモデルされた家だった。こぎれいな家具が並び、きちんと片付いていて、私の家とは大違いだ。(恥)子供たちの部屋にも入ってみた。自分の子供たちの部屋なのに、見たこともないなんて、なんか変な感じだ。私がまったく知らない世界をこの子達は持っているのだ。急に彼らの一部が遠いもののように感じた。ピザがきたので、子供たちに食べさせ、私たちもいただく。そして新妻が冷蔵庫からバースデイケーキを取り出した。悪いけど私だったら今まで買わなかった、着色料ふんだんケーキだ。今回は元夫宅でするので、彼らが注文してくれたんだけど、今まで私がちゃんと用意してたのにな、と思って寂しくなった。それでも子供達は喜んで食べていたし、普段は絶対にケーキを食べないような子がおかわりしていた。私の「こんなケーキは」という思い込みなんて、勘違いな親の自己満足でしかないんだなと思う。ケーキをちゃんと用意してくれた彼等に感謝した。元夫と新妻がろうそくを二人でケーキに刺して火を灯していくのをぼんやり眺めていた。そしてケーキを長男の前におき、長男が皆に見守られながら、11本のろうそくを吹き消す。皆が大騒ぎしている中、すごく嬉しそうな長男の顔を見て、再び「私がいなくなってもこの子は大丈夫」だと思った。前にも同じようなことを書いたけれど、こういう節目節目にそう感じさせられるのは、なんとなく悲しくて、そしてほっとする。この子達を置いては逝けない、なんて悲惨な気持になったところで、人間いつかはお迎えが来る。そのいつかは30年後かもしれないし、明日かもしれない。私が死んで、もちろん悲しんではくれるだろうが、現実に彼らは生きていかなくちゃいけない。取りあえず安心できる環境があるのはありがたいことだ。かりに元夫夫婦に子供ができたとしても、年が離れているのでそれほど問題にもならないだろう。そういう場所が彼らにできたことに安心感を抱いた。何だか肩の荷がちょっと下りたのと同時にぽっかりと心に穴が開いたような感じだ。私は、もうそんなに頑張らなくてもいいんだ。大事な我が子の誕生日に思うような事じゃないのかもしれないけれど、年を重ねるに連れてだんだん「別れ」というものを自然に意識して来ているような気がする。40代になって、いつ逝ってもいいように準備を始める人がいるというが、私もそうやって心の準備を始めているのかもしれない。ある日ぽっくり死んじゃっても、残された人たちが困らないように、そろそろ少しずつ身の回りの整理整頓をしていかなければいけない。親が亡くなっても、子供達が少しでも安らげるような環境をちゃんと整えていってあげる事が親の役目の一つでもあると思う。自分がいなくなって彼等が右往左往するような状態にはしたくないのだ。11年前の今日、長男に出会い、幸せにしてやりたいと心からそう感じた。そして11年後の今日、父と母が形だけでもそろっていて、長男のことを少なくとも思いやってくれる人がもう一人いて、大好きな友達に囲まれて、健康に誕生日を迎えた長男は少なくとも幸せだ。長男、お誕生日おめでとう。楽しい一日だったね。
2007.03.25
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今日、ギニアピッグのまんごを連れて動物病院に行った。10日ほど前にのどのところが腫れて、インフェクションだと言われ、切開して膿を出したのだ。切開した二つの穴に紐を通し、毎日2回ずつ消毒するように指示された。注射器のようなシリンダーに、青い消毒液のようなものを入れて片方の穴から流し込み、もうひとつの穴から出す。後は口から抗生物質と痛み止めを。そして今日、医者に見てもらったのだ。待合室に入って受付をすませる。実はまんごのオーナーが病院のアカウントを持っている。ところが連れてきた私の名前が違うので、彼らはちょっと混乱したようだ。「では、この子の名前はまんごチョメチョメで、あなたのラストネームのまんごサクサクではないんですね。で、あなたはオーナーじゃないの?え?これからオーナーになるかもしれないの?」と矢継ぎ早に聞かれて、なんと説明したものかと考えていたら「あ、じゃあね、ここにあなたの名前を書いて。で、まんごチョメチョメが正式にまんごサクサクになったらここに連絡してください。彼のアカウントが変わります」・・・・ってそんなに大げさな問題なのか???待合室に座っていると、猫やら犬やらを連れた人が来る。一応犬の入り口と、猫と「その他」と書かれた入り口があり、まあ当然こいつは「その他」だよなと思いそちらから入る。でも結局呼ばれたのは犬の入り口のまん前のカウンター。この二つのドアには何の意味があるのだろう。そういえば、前回は「お犬様用」ドアから入ってしまったよな。まんごを抱っこしていると珍しいのかいろんな人が話しかけてくる。「男の子?女の子?」「いくつなの?」「お名前は?」「本当にハンサムな子ねえ」こちらもご愛嬌で質問をぶつける。「あなたの猫はどこが悪いの?」「うちのカーティスはね、アレルギーがひどくて。今日はステロイドの注射を打ってもらうのよ。でもこの子注射が嫌いだから鳴くのよね。」はあ・・・。別のおばさんが話しかけてくる。「この病院は最高よ。なんたって休みなしの24時間営業よ。もしアイリーンがおなかが痛くなって鳴いたらとても翌日の朝までなんて待てないわ。それにね、たいてい具合が悪くなるのは休日か夜中よ。」こんな会話をどこかでしたことがある。ああ、小児科の待合室だ。(笑)いろんな人に「可愛いわねえ」と言われ、鼻高々だ。「そうなんですよ、この子はギニアピッグの中でもおとなしい方でね。とてもいい子なんですよ。でもまだおむつが取れてなくてね」とおしりをくるんだタオルを見せたら笑われた。子供の自慢は時には鼻につくが、ペットの自慢はもう少し罪が軽い。(笑)ここに来る前に息子たちを迎えに学校に寄った。まんごを抱いていたら大変な騒ぎだ。次男のクラスの女の子たちが10人ほど寄ってきた。「あ、まんごだ」「ねえ、これ、まんごでしょ。」何でみんな知ってるわけ。(笑)次男がそうとうしゃべってると見た。10本の腕がいっせいに伸びてまんごを触りまくる。まんごはびっくりして固まったように動かない。キンダーの子達が来てずっとまんごを見ながら質問する。「ねえ、どこの道で拾ったの。」「何食べるの」「ジュースのむ?」「クラッカー食べる?」と言って取り出そうとする。「泳げる?」「この子ねずみ好き?」???「何で毛の色がこことここ違うの?」「キスしていい?」(爆)いやいや、もう大人気だ。そんなことを思い出しながらニヤニヤしてると、「まんごチョメチョメさん!」と呼ばれる。まんごはこの診察室を覚えているのかまた私にしがみついて上に上っていこうとする。体重を量られ、どんな様子だったか、食欲はあったかなどを聞かれた。そして先生が登場する。傷を見ながら「ふーん、いいね。なかなかいいよ。じゃあ、ちょっと持ってて。」そして背中を私に押し付けるように抱きかかえる。先生がはさみで紐をちょきんと切り、いきなりぐいっと引っ張った。「ぐぎゃぎゃぎいぴぴぎゃぐがあ!!!!!!!!!」と声高に叫んで私の腕の中で暴れ、私の首と髪の間にあわててもぐりこもうとして、先生に取り押さえられた。そしてまんごの傷をもう一度見ながら、「うん、いい。とてもいい状態だ」と一人悦に入っている。てめ、もうちょっとやさしくやってくれよ。(涙)まあ、そういうわけで取りあえず全快だ。でも歯が悪いとまた同じようなことが起きるかも知れない。実はその対策も練ってある。友人が鍼灸師になるための勉強をしているところなのだ。うさぎなどで実験をすることもあると言う。もちろん、まんごはギニアピッグ、つまりモルモットだ。大金が払えなくて手をこまねいて見ているよりは鍼灸で治してもらえたらいいじゃないか。つーことで、鍼灸師、ゲット。まんごちゃん、あなたの健康対策はばっちりよ。(笑)あーでも治ってよかった。(あくまで取りあえず)
2007.03.24
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先日の日曜日のこと。私はこの何年か、教会で日曜学校の先生をしている、今まで受け持ったのは、12歳、7歳、8歳、4歳。毎年担当が替わる。今年はまた7才児のクラスだ。去年、おととしと常に9-12人位のクラスだったので、今年は3人だけのクラスと聞き、「楽勝じゃん」と思った。事実、初日はかわいらしい、素直な女の子二人だったので、「奴」が来ても、そう大変でもないだろうと思った。ところが私が甘かったのだ。「奴」というのは、教会の子供のひとりで、なかなか見事なくそガキぶりを発揮しているTくんだ。周囲の大人にいつも叱られ、時にはかなり本気で怒られる。でもめげない。まともに人の話も聞かないし、いつもふざけてクラスの邪魔をする。幸か不幸か(笑)毎週は来ないので、顔を見ると、5割り増し大変になることを覚悟しなければならない。いつも最初の時間は合同クラス、そして2時間目に年齢別のクラスに分かれるのだが、最初のこの時間にある先生が「悪い言葉を使うのは自分の心が汚れるんですよ」というようなことを言ったのだ。この手の子供はすぐにピン、とくるのだ。「おい、Fワードって知ってるか?」と隣のおとなしい女の子に声をかけた。「やっぱりね」と心で思いながら「T、その話はもう終わり。」と彼の話を静止しようとしたら、なんと私に向かって、にやにやしながら中指をおったてたのだ。とーぜん、私は静かに彼の手を引っ張り、後ろの席に座らせ、「何でここに座らせられているか、わかるね」と言った。そして、手短に「その行為は許される行為ではない」ということを伝えた。こういう子にクドクド言っても逆効果だからだ。この子は弟とともに、実の母親の姉、つまり彼らの叔母に引き取られている。実の母親は麻薬中毒だったと言う話だ。彼らにもその影響がかなり出ていると言う。確かに兄弟そろって落ち着きがなくいつも騒ぐ。母親(叔母)は見る限りではかなり厳しく、でも愛情豊かに接しているように見えるので、躾のせいだけでもないのだろう。しかも彼女は働いていると言うのに、週に4時間以上のボランティアが要求される応募でしか入れない学校に入れている。教育熱心でもあるのだろう。さて、その後、年齢別のクラスに分かれた。いつもこの子はふざけるし、騒ぐけど、忙しくさえさせておけば、たいていそのことには熱中する。ただし長くは続かないので、こちらもやることを変えて、テンポの速い授業にしないといけない。彼がいるとなかなか大変で手抜きもできないのだ。(笑)ところがこの日は違った。最初の時間から「おふざけ反抗全開モード」だった彼は年齢別のクラスに行っても大変だった。座らない、いすの上で飛び跳ねる、歩き回る、他の子の邪魔をする、わざと妙な声を出す。私は彼に3回ほど注意をし、警告を与えた。「あともう1回注意を受けたら、よそのクラスに5分行かせる」とーぜん聞きやしなかったので、手を引いて隣の、大きいこのクラスに連れて行こうとしたら、ニヤニヤ笑って抵抗するのだ。仕方ないのでこちらも実力行使とばかりに彼の体を持ち上げ、ドアから出そうとした。すると笑いながら「NO! NO!」と言ってたはずの声が泣き声に変わったのだ。びっくりして、顔を見たら、大きな目から涙をぼろぼろこぼして泣いていた。仕方がないので座らせて話をした。「隣のクラスには行きたくないのね」悔しそうにそっぽを向きながら、うなずくT。「でもどうして行かされそうになったかわかってるよね」無言で斜め方向をにらみつけて泣いている。「ここはね、遊ぶところじゃないよ。教会なの。もちろん楽しみながら勉強したいと思うけど、ふざけて騒いで遊ぶところではない。わかってるよね。あなたは、私やここにいる友達だけじゃなく、ここにいる以上は神様にもリスペクトしなくちゃいけない。私も、隣に行きたくないあなたの気持ちをリスペクトするから、あなたもそうしてくれるよね。」まだ怒った顔で、私をにらみつけながら、それでもうなずいてくれた。私は顔の涙を拭いてやり、授業に戻った。それからいくらもしないうち、仏頂面で座ってたTが、他の子がやってたプリントを自分もやっていいか、と聞きに来た。「いいよ、もちろん。」とプリントを手渡したら、急に機嫌を直したように、ひとつひとつ問題をやっては「ねえ、これであってる」「ここはこの色を塗ればいいの?」などと熱心に質問してくるのだ。最初ははじめて子供に泣かれてびっくりしたが(あ、自分の子は別ですけど・笑)泣いたせいで彼も何かが洗い流されたような感じだった。とても協力的で、今まで見たこともないようないい子に変身していた。「じゃまた、来週ね」「ばいばい」と出て行ったが、まあ、これからもきっと手こずらされるに違いない。でもああいう手のかかる子にかぎって、いつまでも忘れられない子になったりするんだろうなあ。
2007.03.20
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まんごはたったの2日でだいぶ元気になった。私がいろんな「やなこと」をするせいで、どうも私の顔を見るとおびえるような気がする。前は息子達がケージに手を伸ばしてまんごを抱きかかえようとしても逃げなかったが、やはりこの2日くらいは逃げ回るようになった。まあ、すっかり元気になってくれればそのうちまた元に戻るだろう。注射器での傷の洗浄も、きのうおとといはじーっとおとなしくされていたのに、今朝は途中であばれて、逃げ回るようになった。「こら、まんご、じっとしていなさい」といったが、まあ理解するはずもなく、昨日までの倍も時間がかかった。でも、元気になったという事でうれしくもある。実は今回の治療費は友人が払ってくれたのだ。まだ正式にはあちらの子なので、という事だったが、私としては何百ドルかかかる覚悟でいたので、「払わせて、せめて半分でも」と食い下がったのだが、どうしても首を縦に振ってくれない。結局、今後の治療費は私が払うという事で落ち着いた。ところで、その友人の、そのまた友人がうさぎを飼っていたそうだ。うさぎの歯が悪くなり、化膿するようになり、2回も手術をしたと言う。総計で5000ドルほどかかったそうだ。それを聞いて暗い気持になってしまった。というのも、まんごも今回の医者に、歯が悪くなって化膿している可能性がある、と指摘されたからなのだ。その場合はやはり歯の手術をしなければならない。そうでないと繰り返すそうだ。様子を見てみないとわからないけれど、それをチェックするためには、専門の、ペットの歯科医がいるそうなのだ。今回、これですんでくれればいいけど、今後も繰り返すようだったらどうしよう。私は正直言って、何千ドルもまんごのために使ってあげるお金がない。こう言ってしまうと非常に冷たいようだが、そして私も息子達もまんごが大好きだし見捨てたりなんかとてもできないと思うけれど、でも、やはり、無い袖は振れないのだ。ペットを飼う、ということは非常に責任のいること。だから今まで、ペットが欲しいなと思っても、その子を一度引き取ったら、生涯責任が付きまとうし、踏み切ることはできなかった。私には息子達を育てると言う責任もあるからだ。その点、虫とか魚とかは、みてくれる医者もいないだろうし、ある意味気がラクなんだけど、どんなに小さくても体温のある動物の場合は複雑だ。看護婦さんの話しによると、うさぎより小さいペットを医者に持ち込む人はあまりいないらしい。ギニアピッグでさえわりと珍しいそうだ。でも別の友だちは、小さなハムスターが死にかけた時、その子を手に納めて、獣医に駆け込み、注射を1本打ってもらったと言う。80ドルのお支払い。そしてその晩、ハムスターは死んでしまった。その話しを聞いて、涙腺の弱い私は泣けてしまった。今回まんごの顔の腫れを見て、支払いのことなど考えなかったけど、でも歯の治療に5000ドルかかると言われたら、私は借金してでも治してあげたのだろうか。正直言って自信がない。それなら最初からペットなど飼うな、と思われる方もいるかもしれないが、まんごがここに来たいきさつは何となく微妙なので、それで未だに正式な養子縁組手続きが取られていないわけだ。今後、どうなるのか。私にそれだけの覚悟ができるのだろうか。なんだか、「治療費が払えないから」って実家にお返しするのもなんだし。すっっっごく悩んでしまう今日の私。ああ、まんごちゃん。(涙)
2007.03.16
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