頭痛が痛い

頭痛が痛い

Don't Read Me!













 1. 読心プロローグ












「人の心を読む」というのは、誰もが一度は欲したことのある能力で、

もし自分に他人の思ってることが分かったら…

なんて妄想をしたことがある人もいるであろう。

とは言ってもそんな能力は漫画やアニメ、小説、映画、ドラマにしか登場しないし、

テレビの超能力特集で人の心が読める北欧の老婆がもてはやされていることはあっても、

どこか胡散臭い。







しかし、彼女は胡散臭くなかった。







僕が最初に彼女の持っている特殊な力に気づいたのはつい一ヶ月前で、

僕と彼女は小学校の頃から同じ学校の同級生だったので、

11年間もの間、僕はその力に気づかずにいたわけだ。

とはいっても彼女自身でさえ、

自分が他の人にはない能力があるということに12年間気づかずにいたそうなので、

別に僕が鈍いというわけではない。むしろ鋭いと言うべきである。

いや本当のことを言うと、

僕が彼女の能力に気づいたのは、

僕の鋭さ賢さ観察力注意力などとはまったく関係がないのだけれども。

先程、僕が「彼女の能力について胡散臭くない」と

きっぱりはっきり断言した理由を皆様に分かってもらうには、

あの事件のことをお伝えしなければならない。







と、ここから手に汗握る波乱万丈回想シーンに突入したいところだが、

今の僕の頭の回転速度であの衝撃的な事件を語ろうとすれば、

その衝撃が九割方緩衝され、

ゆるふわ系ドタバタ日常バラエティーになることは避けられないので、

少し休憩を入れさせて欲しい。

今回はほんの導入部だけになってしまったが、何事にも休息は必要だ。

彼女の超能力にも、きっとインターバルとかが必要なのではないだろうか。

普通に出来事を語るだけでもこんなに疲れるのだから、

人の心を読むのはもっと疲れるに相違ない。


































今にも泣き出しそうな目をした少女が、そこに立っていた。

どこかで見たことのある顔だな、と一瞬考え、すぐに思い出した。

彼女は僕と同じ私立洗賀高校3年1組のクラスメイト、結城だった。

ここでフルネームをバシッと出した方が演出として格好良かったのかもしれないが、

あいにく僕はクラスの女子全員の下の名前まで覚えるほど暇でもないし、

女好きでもないし、物覚えも決して良いほうではないので、

皆様の期待に応えることができなかったことをここにお詫び申し上げる。

















2. 屋上コンタクト















しにたい。

これは、人生の中で誰もが一度は思ったことのあることではないだろうか。

実際に口に出したことがある人も少なくないと思う。

というか、最近の若者は「帰りてー」と同じノリで「死にてー」と言うらしいが。

しかし、「死にたい」と思った人の大半はただ「思う」だけで、

実際にはなんとかかんとかして人生を送っている。

特に中高生については、

人生について悩みを持つということも思春期の1つの特徴であり、

その悩みは時間とともに、

机の上に書いた落書きのように薄れやがては消えていく。

ただし思春期の少年でも、実際に自殺行為に踏み出す場合がある。

その原因は主に学校内のイジメがほとんどなのだが、

僕の場合は、そうではなかった。











「僕の場合は」と書いたことからもお察しいただけるように、

僕も一度だけ、自殺行為に走ったことがある。

もちろんそのような行動に至ったのにはそれなりの理由があるわけだが、

今その理由について話す気分ではないし、話す必要もない。

話さなければいけない時が来たら話せばよい。それで十分であろう。

とにかく僕は、その時の僕は、死のうとしていた。











計画はこうだった。

朝6時半に学校の正門が開くと同時に、爽やかにママチャリで登校。

教室には行かず、東階段を使ってそのまま屋上に行く。飛び降りる。おしまい。

この、小学生の夏休みの計画よりはるかにシンプルかつ大胆な計画によって、

僕の命はあっけなく終わるのだ。

ちなみにこの計画は、実行予定日の前日の国語の時間に考えた。

最近の学校では屋上へ続くドアの鍵は閉められていることが多いらしいが、

我が学校のそれは常時開放されていた。

校訓の一つに「高峰」というのがあるが、

それと関係あるのかもしれないし、関係ないのかもしれない。

もちろん落下防止のためにフェンスは張られてあったが、

よじ登れない高さではなかった。

場所として学校を選んだのには、特別深い理由があるわけではない。

「身近にある高い建造物」

を考えたときに自分の通う学校が候補として挙がってくるのは、

ごくごく自然なことである。

少なくとも、

電車で二時間の見知らぬ街の見知らぬ人が住む見知らぬビルよりは、自然である。

決行時間を朝一番にしたのも、屋上に人がいない時間を考えれば自ずと決まった。

我が高校の屋上は割と人気で、休み時間や放課後には、

四、五人でたむろする男子の集団、二人きりでイチャイチャするカップル、

授業中の睡眠では足りず昼寝する奴など、誰かしらがそこにはいた。

授業を抜け出して屋上へ、という手もないことはなかったが、

便意を催してもいないのに授業を中断してまで挙手し、わざわざ

「トイレにいってもいいですか」

という返ってくる答えがほとんど分かりきった質問をする面倒と、

朝いつもより少し早起きすることの面倒とを僕の頭の中の天秤に掛けると、

後者の上皿天秤の方が上に上がったので、早起きすることに決めた。

早起きをするためには、早寝をしなければならない。

しかしやはり、前日はまったく寝付けなかった。

オーストラリア中の羊がいなくなるくらいの数の羊を数えつつ

柵の中に入れたのだが眠れず、

寝るのは諦めて、考え事でもすることにした。












次の日、計画は実行された。

結局一睡も出来なかったが、目覚まし時計は律儀に働く。

もはやただのタイマーである。

そこからは大したハプニングもなく、計画通りに事は進んだ。

6時10分に家を出る。

6時32分に学校に着く。

既に正門は開いていた。

昇降口で上履きに履き替える。

まさか僕より早く学校に来る人はいないだろうと何の根拠もなく思っていだが、

ふと靴箱を見ると、トイレ用スリッパのような上履きがズラリと並んでいる中、

一足だけ、上履きの代わりに革靴があった。

こんなに早い時間に登校するとは、家が近いのだろうか。

自転車で20分かけて登校する僕からしてみれば、

家が近いのならその分だけ長い惰眠をむさぼりたいものである。

普段ならここから西階段を使って4階まで上って自分のクラスに向かうのだが、

今日は廊下を進んで、東階段で屋上に行く。

階段を上る途中で急に怖くなったりもしたが、足が止まることはなかった。

それでよかった。それが僕の最良の選択だった。

それは、昨晩布団の上で横になって最後の吟味をした上で出した結論でもあった。

僕の決心は、まるで鋼鉄のように固く、揺るぐことはなかったのである。











そして僕は、屋上への扉の前にたどり着いた。

深呼吸をして、ドアノブを回す。

錆び付いた金属が、頼りない音を立てる。

例の如く、鍵はかかってなかった。

ゆっくりと体重をかけ、ドアを押し開いた。

そこには、限りなく白に近い青色をした春の朝の空と、

無機質なコンクリートで固められた屋上の床との間に、

いるはずのないものがいた。












人だった。

屋上の真ん中あたりで、こちらを向いて立っている。

制服からそれが女子生徒であることは分かったが、

顔は逆光でよく見えなかった。

顔は見えなくても、これが非常事態であることは僕にでも分かった。

計画は失敗だ。後日出直そう。というかまずこの場をどうにかしなければ。

やはりまず挨拶だろう。

小学校の頃「人に会ったらまず挨拶しましょうね」ってゆみ子先生も言ってたし。

「おは…」

僕がゆみ子先生に教えられた挨拶は、彼女の行動によってさえぎられた。

彼女が僕の方に歩み寄ってきたのである。

一歩一歩の足取り、それに伴って揺れるスカートと黒髪。

すべてがスローモーションに見えた。

気づいたときには、彼女は僕の目の前に立っていた。

そして、彼女は言った。
















「―――死なないで、北見くん」
















皆様にこの時の僕の驚きがお分かりいただけるだろうか。

誰もいないはずの朝一番の学校の屋上に人がいて、

しかもその人が開口一番「死なないで」と言ってくるなんて、誰が予想できよう。

それはまるで、

学校の校舎の屋上で背中をドンッ!と押されたかのような衝撃だった。

まさに今校舎の屋上から飛び降りようとしていた人間が用いるにしては

少々伝わりづらい例えとなってしまったが、

逆にこの状況で冷静に適切な例えを出すことが出来る方がもしいらっしゃるのなら、

今すぐここへ連れて来てほしい。讃える。



とにかく僕は、驚いた。












大変申し遅れて恐縮であるが、僕の苗字は北見という。

いやそんな自己紹介など今はどうでもよろしい。

今僕の個人情報より重要なのは、

その1、彼女は誰か。

その2、彼女はどうして僕の名前を知っているのか。

その3、彼女はどうして僕が死のうとしていることを知っているのか。

他にも、なんで彼女はこんな朝早くに屋上にいるのかとか、

彼女は僕がここに来ることを知っていたのかとか、

疑問点は探せば山のようにあるのだが、謎ベスト3はこれらだ。

3つに絞った理由は特にないが、とりあえず、3つだ。











疑問その1とその2はすぐに解決した。

彼女が近づいてきて顔がはっきりと見えたとき、

最初は誰だか分からなかったが、すぐに分かった。

彼女は僕のクラスメイトの結城だった。

僕と結城は特別親しいわけではないし、会話を交わしたことすらないと思うが、

結城とは小学校の頃から同じ学校で、

一、二回同じクラスになったこともあったので、名前は知っていた。

向こうも、僕の名前くらい知っていてもおかしくない。

しかし、疑問その3は解決しない。

クラスメイトだから僕が死のうとしているのを知っている、

という因果関係には無理がある。

クラスメイトどころか、学校の誰でも、日本の誰でも、世界の誰でも、

僕が死のうとしていることを知っているはずがない。

だって誰にも言ってないもん。










「結城、なんでそれを…」

結城は、その質問にすぐには答えなかった。

そして、今思っていることを言うべきかどうか迷うような表情をしたあと、

彼女は小さくこう言った。

「読めるの」

「え?」

聞き取れなかったわけではないが、意味が分からなかったので聞き返した。

結城は、今度ははっきりと、力強い声で答えた。














「私、人の心が読めるの」















この結城の言葉に対し、

「は?何言ってんのお前」とかあきれてみたり、

「いやいや、そんなことあるわけないだろう」とか疑ってみたりするのが

一般人の一般的な対応だと思われるが、

僕はこの時点で既に、彼女の言葉をほとんど信じていた。

それは何故かというと、全く他人に口外していないことを知られていたということも

もちろん理由の一つとしてあるのだが、それよりなにより、

僕を見つめる彼女の目がとても真剣で、

嘘やでたらめを言っている人にこんな目が出来るはずがない、と

本能的にそう思ったからである。










とはいえ、これほど大胆なカミングアウトをされたからには、

とりあえず一度疑ってみるのが礼儀であると思われた。

「…嘘、だろ?」

結城はその質問には答えなかった。

その代わりに、彼女は淡々と語りだした。












「北見君は、数年前から家庭の問題に悩まされていた」

まるで教科書を朗読するかのように話す彼女の顔は、

決して自分だけが知っている知識をひけらかし問い詰めるようなものではなく、

どこか悲しさの伴った、申し訳なさそうな表情をしていた。

「それはずっと北見君の大きなストレスとなっていたのだけれども、

 北見君は頑張ってた。弱音を吐くことも、愚痴をこぼすこともなかった」

僕は黙って聞くほかなかった。

「けれど、二週間前の春休み、事件が起こった。

 北見君はそれでも、なんとか頑張ろうとした。

 春休みが明けて、学校に行くかどうか悩んだけど、

 学校に行けばその苦しみも紛れるかもしれないと思って、ちゃんと登校した。

 だけど、駄目だった。

 無理をして押し殺すには、その心の傷は深すぎた。

 北見君は、自らの命を絶つことに決めた。

 そして昨日の国語の時間、具体的な計画を立てた」

そこまで言うと彼女は口をつぐんだ。












もはや僕には、先ほどの彼女のカミングアウトを疑う余地はなかった。

なぜなら彼女の言葉は、全て紛れのない事実だったからである。

目の前に人の心を読める少女がいる。

その僕が置かれた状況はあまりにも現実離れしすぎていて、

僕はもう既に死んでいて、ここは死後の世界なのではないか、とまで思った。

そしてその人の心が読める少女が、僕に向かって「死なないで」と言った。

だけど、僕はそこで立ち止まるわけにはいかなかった。

何度も自問自答し、その末に出した答えだった。

例えここが死後の世界であろうと現実であろうと、

僕はフェンスをよじ登り、ここから飛び降りなければならなかった。

そうだ。これは鋼鉄のように固く、揺るがない僕の意思。












「結城、ごめん。だけど、もう決めたことなんだ」

「…他に選択肢がないから?」

「ああ」その通りだ。

少し間をおいて、結城が口を開いた。











「…私ね、北見君の力になってあげられるかもしれないの。

 他の選択肢を、作ってあげられるかもしれない。

 私は、今までずっと必死で頑張ってきた北見君を知ってる。

 一人で頑張ることに限界が来たのなら、

 私も一緒に頑張る。

 …だから、死なないで、北見君…

 お願い…」
















そう語る彼女の眼には、涙が浮かんでいた。

しゃべり終えた後も彼女は、流れる涙を拭うことはしなかった。

その涙と一緒に僕の悩みも流れていった、ということはさすがになかったが、

僕の鋼鉄のように固く揺るがないはずだったあの決心は、

結城の言葉によって、ふにゃりといとも容易く折れ曲がったのであった。
































毎日、僕の両親の間には言い争いが耐えなかった。

時には大喧嘩になることもあり、

父は食器を割り、

母は携帯を折り、

父は壁に穴を穿ち、

母は窓からパソコンを投げた。

放り投げられた湯飲みが居間のテレビの液晶の右上に当たって、

テレビをつけるとその部分が紫色に変色してしまっていたときは

さすがに僕も黙っていられなかったが、

あの激戦の中に割り込んで仲裁できる者なんていない。ターミネーターぐらいである。

それくらい僕の両親は、仲が悪かった。















3. 妙技カウンセラー















自転車の二人乗りは、法律で禁止されている。

僕たちはそれを知っていたので、

僕は自転車を手で押しながら、結城と歩いていた。











屋上であの後結城は、僕の母に会いたいと言ってきた。

「それ、本気で言ってるのか?」僕は聞いた。

彼女は本気だった。

「北見君のお母さんに会って、話がしたい」

結城は、僕の家庭事情について全て知っていた。

僕の両親の不仲も、春休みに起きたことも、全て。












今年の春休み、僕の両親は離婚した。

いつかはこうなることは覚悟していたので、大きなショックは受けなかった。

逆に、今まで良く我慢して一緒に生活してきたものである。

一人息子である僕は母に引き取られ、父は家を後にした。

家族がバラバラになるという感覚に胸が痛くなったりもしたが、

これからは毎晩の喧騒に耳を塞ぐこともない、平和な日々が訪れるのだと思うと、

気が楽になった。

しかし、それは大きな間違いだった。












離婚後、母は変わった。

ほとんどしゃべらないし、笑わなくなった。

何の前触れもなく、僕に向かって怒鳴り始めることもあった。

情緒不安定というやつだろうか。

離婚をきっかけに、今まで蓄積していた何かがふっきれたのであろう。

それでも僕は、なんとか耐えていた。

しばらくすれば母も落ち着くだろう、そう安易に考えていた。

しかし離婚後一週間ほど経ったある日、母の口から出た言葉は僕の心を粉砕した。

「あんたさえいなければ…」

諸君は、手を滑らせてガラス製のコップを割ってしまったことがあるだろうか。

そのときの音がした。

僕さえいなければ、両親は離婚せずにすんだのだろうか。

毎日の喧嘩も、僕が原因だったのか。全ての元凶は僕?

そのときの僕は、精神的に参っていた。

ゆえに僕の頭の中では、

そのようなネガティブな推測が雨後の筍のようにニョキニョキと顔を出し、

僕の心はネガティブチョコレート味のたけのこの里と化した。

そして、ついにその思考は、自殺にまで及んだ。

僕の心はネガティブたけのこに支配され、そこに僕の居場所はなくなっていたのである。












結城と母が接触することでこの問題が解決されるとは思えなかったが、

今や僕は心をふにゃりとへし曲げられた男である。結城に従うほかない。

かくして僕たちは、朝の通学路を家路へと逆行しているのであった。

その道中、結城は自分の特異なる能力について少しばかり僕に教えてくれたのだが、

そのすべてをここに書き出すとお話が一向に進まなくなってしまうので、

彼女の能力については、また次の機会に詳しくお伝えしようと思う。

というわけでこの場面は早送りして、

僕たちが僕の家に到着したところで、再生ボタンを押すことにする。












さて、健全な男子高生が女の子を自宅に招き入れるという行為は、

それ自体この上無きドキドキイベントであるのだけれども、

言うまでもなく、僕は違う意味でドキドキしていた。

結城は、僕の母に会って一体どうしようというのだろう。

「お邪魔します」

僕の心配をよそに、結城は凛とした顔で僕の家に上がる。

母は、家にいた。

居間の机で朝刊を読んでいる。

僕たちに背を向けた形で座っているので表情は分からないが、

息子の早すぎる帰宅も、突然の来客も、まったく気に留めていない様子である。

結城は僕の方に一度振り向き、

「では行って参ります」と言わんばかりの決意のこもった目を僕に向けた。

僕も「よし、行って来い」という激励の目を向ければ良かったのであろうが、

あいにく僕はそのような目ヂカラを持ち合わせていないので、

これからどうなるのか不安で狼狽した目をするのに精一杯である。

そして結城は母の斜め後ろに正座する。

僕はそのさらに後ろで棒立ちだ。

母が新聞の頁をめくる。

結城が口を開く。












「北見君のお母さんは、旦那さんのことが、好きだったんですね」

僕には結城が何を言っているのか分からなかったが、黙って聞くほかない。

「お母さんは、結婚して何年経っても、旦那さんのことが好きだった。

 いくつ年をとっても、出会った頃のような二人でいたかった。

 でも、北見君のお父さんは変わった。

 以前は優しかったのに、だんだんお母さんに対する態度が冷たくなった」

結城によると、母は、優しき父との幸せな生活を常に望んでいたという。

しかし、父の母に対する愛情は、時間とともに薄れるばかりだ。

父の冷たい態度に不満をこぼす母。

その不満に食って掛かる父。

両親の喧嘩の出だしで、しばしば見られる構図である。

全ての喧嘩の原因は、母の父に対する愛情だというのか。にわかには信じがたい。












「北見君のお母さんは、出会った頃のように、

 旦那さんと楽しく笑い合えるような日が、

 いつかまた来ることを信じていたんですね」

しかし、その夢は果たされることなく、両親は離婚した。

変わらぬ想いと、変わってゆく想い。

絶えず手を伸ばし続けた幸せの光は完全に消え失せ、母は失望し、虚脱した。

「結婚する前、北見君が産まれる前の頃に戻りたかった。

 だから北見君に当たってしまった。

 そんなことをしても意味がないと、本当は分かっていたのに…」












気づけば母の新聞をめくる手は止まっており、

その代わりに、新聞紙の上が数箇所、濡れていた。

結城は、肩を震わせて泣く母の背中に手を回して、言った。

「お母さん、本当は分かっているんですよね。

 あの日の旦那さんが、もう戻って来ないってこと。

 でもね、お母さん。

 あなたがまたあの時みたいに幸せになれる方法、まだあると思うんです」












僕の家に、カウンセラーがいた。

しかもかなりのスゴ腕である。

それも当然だ。

なんせ彼女には、人の心が読めるのだから。












「お母さん、知ってました?」

結城は優しく微笑んで、母に語り掛ける。












「息子さん、旦那さんにそっくりなんですよ」












四月のやわらかい風が、湿った新聞紙の上をそっと撫でた。

































父の部屋の掃除をしていると、若い頃の両親が二人で写っている写真を見つけた。

どこかへ旅行へ行ったときのものだろうか。

幸せそうに笑う母の隣の父の顔は、

なるほど、僕にそっくりである。

僕「が」そっくりである、と言った方が適切かもしれないが、まあ大した違いはない。













4. 心謝エピローグ














さて、ここで皆様に、僕たちのその後をお伝えしようと思う。

結城が僕の家を訪問してのち、母は、らんま1/2もビックリの豹変ぶりを見せた。

うるさいほどによく喋り、うっとうしいほどに僕に干渉するようになった。

18歳の男子高校生が母親と仲良く買い物をしているというのは、

傍から見れば、やはり異様な光景だろうか。

しかし僕は、やや過干渉気味な母に冷たい態度をとることもなく、

むしろ内面では、少し嬉しく思っていた。

僕のことをマザコンと呼びたいのなら、いくらでも呼ぶが良い。甘んじて受け入れよう。

今まで親の愛情をまともに受けずに育ってきた人間なのだから、

一時的にマザコンになることぐらい、大目に見てもらいたい。












母は、離婚後自分が塞ぎこんでいた事や、結城が家に来たときの事について、

触れることはしなかった。

意図的に言及しないようにしているのかもしれないし、覚えていないのかもしれない。

ただ、母は結城のことを知っていたし、なぜか気に入っていた。

「今夜は外に食べに行かない?あ、そうだ!結城ちゃんも一緒に!」

こんな感じで、母は結城を良く食事に誘った。なぜか三人で舞台に行ったりもした。

もしかしたら、それは母なりの、結城に対するお礼なのかもしれない。

まあ僕には誰かのように人の心が読める訳ではないので、真偽の程は分からない。

そしてたまに母は、

「結城ちゃん、ウチに嫁いできたら?」

と冗談とも本気ともつかないことを急に言い出して、僕たちをひどく動揺させた。

「な、なに変なこと言ってんだよ、別に俺たちはそんなんじゃ…」

と僕が取り乱しつつも反論しながらちらりと横を見ると、

なぜか結城が僕の三倍くらい顔を真っ赤にしていて、見てるこっちが照れた。












と、そんな中学生のぎこちない初恋のような話はこの辺にしておいて、

とりあえず、僕の家庭は結城の活躍により、活気を取り戻した。

そして忘れてはならないのは、僕は結城に命を救われたということである。

本来ならば僕は結城に対して、

毎日三十本の花束と共に、感謝万謝の言葉を伝えなければならない。

しかし、僕はまだ彼女に対してお礼の言葉を口に出していない。

「この恩知らずの人でなし野郎!!」

と僕を罵倒するのは、少し待っていただきたい。

口に出してはいないが、僕は結城に会う度に、

「ありがとう。結城、本当にありがとう。」

と、心の中で何回も言っている。

心の中で思うだけだ。

それだけで、結城には届く。










なぜなら、彼女には、人の心が読めるから。





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